幸福に関するワークショップ
心と体の専門家が様々なトピックを取り上げて、健康について考え直す番組、Rethink Healthということで、今回はみるさんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はですね、前回の続きみたいな感じで、ちょっと幸福っていうのについて考えてみようかなと思うんですけども、
前回は幸福に関するいろんな要素とか、お互いいろんな感じで思ってるみたいな話をしてみたんですけど、
今回は新しいテーマというか、もし、幸福に関するワークショップとか開いて、来てくれた人がどうやって自分の健康について見つめ直したりとか、
今後も幸福で過ごせる人が増えたらいいかなと思うんですけど、
そのためにどういうことを考えておいたらいいかみたいな話をざっくりしてみようかなと思います。
はい。
という感じで、どうなんですかね、こういう幸福みたいなことを考えたときに、
例えばあなた幸福ですかみたいな質問をもし投げかけるとして、
数字で表した方がいいのか、なんかエピソード的に、こうこうこうだから、今こういうふうな感覚みたいな言葉で書くとか、どういう感じがいいとかあるんですかね。
うーん、なんかよくインタビュー映像とかの人が言ってる論調的に言うとなんかよく、
一つはなんかよく他者との比較ですよね。なんか世の中にはもっと不幸な人がいるのに、それに比べたら私は本当に幸せですとかいうのが一つか、
もう一つはすごい本当に食べることすら大変だったっていう過去の事実と照らして、
今は本当にこうやってご飯が食べれるだけありがたいっていうふうに、自分の過去の事実と今の事実を比較して、
なかったものがあるようになったことがすごいありがたいっていうふうに、まさに言葉の通りみたいな感じで言う人と、
他にもあるかもしれない。結局はそういう、よくあるのは他の人との比較か、自分の中との比較みたいなことがありますよね。
相対的な幸福度とか幸福感って感じですよね、それは。
そうですね。
絶対的なものっていうのは言えるんですかね。幸福ですって本人が言ったらもう絶対的なものなんか。
どうなんですね、だから幸福って、これが幸福ってあればもうそれをじゃあ商品にしてみんなに提供しちゃえば、
全員が幸福っていう状態に作ることができるけども、幸福感を得られてない人がいるから、世の中そういう精神的な病気とかが減ることはないんですよね。
幸福度の対象
だからまあ絶対的な幸福っていうのはそもそもやっぱり定義がないし、あれば特にみんな救われてるかもしれないし、
もしかして気づいてないだけで、すでに日本なんかは結構ちゃんとしたセフティネットが敷かれてるっていうこととかは、もしかしてすごい幸福なことなのかもしれないですね。
そうそう、なんか最近なんか仏教とかよく勉強するんですけど、なんか仏教的な幸福は、なんか人生生きてたらいろんなこうマイナスになる可能性、なんかそれなんか空として表現されてるんですけど、
どんな空に対してもこうであれば対処できるみたいなパターンをめちゃめちゃ持っとくっていうか、考え方を身につけとくと、より幸福に近づくみたいな発想だと思うんですよね、ざっくり言うと。
さっきのセフティネットめっちゃあるとか、周りの人で頼れる人がいるとかっていうのは、マイナスになる可能性が極限まで低ければ、結構幸福感とか幸福度高いみたいな考え方は一つありますよねって感じだと思うんですけどね。
ありがたいっていうのはあるんですよね、本当に犯罪が少ない日本っていうのはありがたいなーとか、けどなんかそれが自分個人の幸福感、すごく私幸せと思うかって、またちょっと違う気がしてて正直。
そうですね、なんか考えての幸せみたいな、本当なんか感覚的なものじゃないかもしれないです。
自分が生み出したものじゃないっていうのもあるかもしれないですね。
確かに。
まあそれが例えばなんか仕事してお金稼いでしっかり資産作って、まあこんだけお金あれば将来何があっても大丈夫かもって思えるのは、ちょっと自分が関わってるマイナスの減らす幸福感みたいな感じなんですかね。
一つはそうですね、だって人間やっぱり老いていきますから、経済的なことへの恐怖っていうか、そういうのがない人ってまあおよそいないわけですから、まあそういったものが解消されていれば、恐怖感がないっていうのは大きいかもしれないですよね。
そうですね、まあそっちのマイナスになる可能性が少ないっていうのも一つだし、もうちょっとこうポジティブな感情ですね、喜びとか楽しさとか、まあそういうのを感じるのも幸福っていうところだと思うんで、まあ簡単にね、そのおいしいもの食べたりとか、なんか旅行に行ったりとかそういうのも楽しいとは思いますし。
そうですね。
やっぱり健康とすっごい関係してるなと思いますよね。
結局のところ。
そうですよね。
元気に旅行に行けてる状態っていう自分がすでになんか嬉しいと思うこともすごいありますよね。
闇上がりとかだとなおさら。
まあ幸福感を感じられるときってそういう苦を乗り越えたときとよく言われる通り、まあ例えばコロナにかかったときは本当にしんどかったけど、そうするとコロナじゃなかったときってすごい当たり前だけどすごいいい状態だったってことを気づかされたりとか。
なかなかね、そういうの苦しみがないとありがたみに気づけないっていうのはありますよね。
そうですね。
だけど、だからその苦しみとどう向き合うかっていうところがもしかして重要なのかもしれないです。
で、その苦しみから逃げるっていうことも、もしかしてじゃあ幸福から離れるってことになり得るかもしれないですよね。
苦ありきなのか、全く苦がない世界だと幸せしかないのかみたいな。
そう、なんか幸せしかないと、その幸せを失うんじゃないかっていう。
今度新たな恐怖感が生まれるんじゃないかと思うんですよね。
それって漠然としてますよね。
乗り越える方法があるんですかね、それって。
でもなんかそれも仏教的にはそういうのあるらしいですね。
今ある幸せっていうのは永遠に続くと思わないようにしようみたいな教え。
確かに確かに。
そうですよね。
なんかそうすると結局先々への不安感、どうなるかわかんないのにいろんなことを考えて、不安がどんどん増強していきますよね。
そうですね。
だからこそですよね、今を感じようみたいな発想に落ち着くのはまあまあ思うと思うんですよね。
だから、そのポジティブな幸せは、その時幸せをめっちゃ楽しむっていうのはいいんですけど、ずっと続くと思わないようにしようっていうのは多分一つで。
幸福になれない人へのアプローチ
その苦しみみたいなものは、人に頼ったりとか自分の考え方変えたりとか、何かしらのその社会のセーフティーネットがあれば解決できるっていうその手段を知っとけば、結構心としては不安が減るかなと思うんで。
そうですね。
すごくなんか現実的な具体策って感じで、すごくいいと思いますね。
そうですね。だからまあ最終的にはそういうふうに落ち着くといいんじゃないかなっていうのもあった上で、改めてそのもしワークショップみたいなのを開くとしたら、その幸福度というか今の幸福感を評価するっていうと、
まあまあでも前回言った6つの要素のちょっと点数というかエピソードみたいな何かしらで挙げてもらえば、今の現状はわかるかもしれないですかね。
何でしょうね、でもそうすると過転方式じゃないですか。違いはわかるけど、しかも周りの人もそんなことないよ、よくできてるよなんつって課題に評価とかしちゃったりとかして、意味ないと思うんですよね、そうすると。
なるほどね。
そういうのはなんか苦と向き合った方がどっぽどいい気がして、というのもやっぱりみんな何かから逃げてるんじゃないかなと思って、それを逆に直面した方がまた逆に具体的な対策が見えてくるので、なんかその今できてることを評価しても意味がないっていうか、もしかしたらですよ。
なるほど。
まあ、でも多分そもそも、もし何かその幸福度に関するワークショップみたいなのもしやるとしたら、多分今幸せだと感じてる人ってあんま来ないですよね。
まあそうですね。
何かちょっと不安を感じてるとかっていう人が。
なんか面白いですよね。日本の人ってでもなんかにこにこするじゃないですか。
はいはい。
いや大丈夫ですなんつって、自分の置かれてることをそれこそ人に比べたらもう全然マシなんですとか言って正当化したりとかして、じゃなくてもう本当に苦悩に満ちた感じで来てほしいですよね。
じゃあもうあえて幸福とかじゃなくて、苦悩に向き合う場みたいな感じで設定して、もうここに来たらまず自分が今苦しいと感じてることをひたすら挙げてみましょうみたいな感じでもいいですか。
それはええかもしれないけど、なんかデメリットが生まれそうな気はしますから、そこらへんは想定しておかないといけない。
うまいことやればいいですよね。そこで、だから数人集まったとして、とりあえず一人一人挙げていってもらって、もうそこで起こったことは他言無いよって感じで。
例えばその講師みたいな人に打ち明けてもらうのか、グループワークみたいな感じで、それぞれとりあえず喋ってみてもらって、みんなに受け入れてもらって、どう解決していくかっていうのをみんなで考えるみたいな。
最近、自助会ってあるじゃないですか。依存症の自助会。あんなのって本当に特別な場所でしか日本って行われてないんですけど、それをオンラインでするのすごい良いと思いました。
それはそれぞれ持ってるものは、区の様々だから、アルコール依存症とかではない、共通があるわけじゃない。
だけども、いいじゃないですか。例えばですけど、正直言って、本当に子供のことが憎たらしくて、もうビッタしたんですよとか、しかもそれで生成したし、私はもう本当にそれでいいと思いましたとか、そういうタブーとされてるようなことを言って、お互いに評価し合わない。
そこが大事で、もちろんそれは言ってるってことは何らか自分の中で苦しみっぽいことがあるんだから、言うってこと自体がまず恥ずかしいですよね。
ここを乗り越えるってとこからの出発だから、ここからどうなるかっていうところになるんですけど、そういうちゃんとした情報を守った上での場所とかっていうのは意外と必要かもしれないですね。
そうですね。めちゃめちゃ信頼感必要ですね、それ。
だからなんか自助会とかはすごい参考になるけど、きっちりとしたルールがあったりしますからね。
なるほど。
そうですね。人数も何人ぐらいがいいとか、ファシリテイトは誰がいいとか、どういう進行がいいとか、基本なんかもう全部ちゃんとあるんですよね。
すっごく難しいですね。
でもなんかそれのライトなやつあってもいいですね。
そうですね。ライトなやつ。
でもライトにするとライトで情報の管理とかがちょっと甘くなっちゃったりするとそれも良くないかもしれないですよね。
でも情報の管理さえちゃんとしておればいいんじゃないかなと。匿名で眼鏡かけた状態でもいいかもしれないですよ。
はいはいはい。
そうそうそう。
オンラインとかだったら逆にやりやすいみたいなね。
やりやすいんじゃないですかね。面白いですね。
画面はオフにして、できるならボイスチェンジャーみたいなの使ってもいいかもしれないし、それで自分の本音をさらけ出して。
それするとなんか余計乗り越えにくくなるかもしれませんけどね。
なるほどね。出すからこそいいっていうのもあるかもしれないと。
周りをうかがいながら変えていくっていう場合もあるかもしれませんよね。
ワークショップの設定と進行
なるほどね。
でもなんかいいですね。ちょっと見えますね。そういうのもいいかな。
そうですね。どうしてもやっぱこう人と話すってことが本当に減っちゃってる世の中なので、あえてそういうのは求められてる気もしますね。
自分の弱みっていうか、そういう弱音とかを吐き出してるかって言ったら減ってってるんじゃないですかね。
なるほどね。
でもなんかそういう場セッティングするとしたら、なんかめちゃめちゃいろいろパターンあるなと思って。
恋愛とか、親子関係とか、夫婦とか、職場の同僚、上司、部下とか、なんかめちゃめちゃいろいろカテゴリー分かれるし、
まあそれ分かれてやるのがいいのか、いろいろごちゃ混ぜがいいのかちょっとわかんないですけど。
今の言ったのは誰しも共通しているカテゴリーと思うので、やっぱりシリーズっぽくなんか分けて、ちょっと大きな題目は置いてもいいかもしれないですね。
なるほどね。
いいんじゃないですかね。
まあだから例えばちょっとカテゴリー分けて、10人いないぐらいとかで、
まあそういう場をセッティングして、まあそれぞれ普段感じてる悩みとか苦しみみたいなことをさらけ出して言って、
まあそれはなんか批判しないとか、まあまず受け入れるとか、ルール決めてやって、
で、そのさらけ出した後はどうしたらいいんですか。みんなで話し合うのか、なんかそれに対する解決策みたいなやつを、
ちょっと一部その更新みたいなファシリテーターみたいなのが提示するとか、そういうのってなんかあるんですか。
もちろんなんかそれによって感情的になっちゃったり、その後のアフターフォローみたいなのが必要であれば、やっぱそれ役の人が用意しておくべきなんじゃないかなとは思うんですけど、
でもまあ常にまとめようとは思わなくていいかもしれないですよね。
その時その時が途中であるし、それこそその状態が今あるがままってことなんで、
ただまあ本当に自分と向き合うこと自体が自分を傷つける、自分の傷をえぐるみたいなことにつながっちゃうこともあるから、それをフォロー、ちゃんとアフターケアするっていうか、
あれは必要かもしれませんね。
すごい難しいですね、こういうのって。
その中で、メンタルの専門家みたいな人が見る中で、ここはちょっと本当に危ないなっていうか、リスク感じたらそういう診療内科とか精神科につなぐみたいな、
ちょっとサポートみたいなのもできたらより良いって感じなんですか。
そういう必要になっちゃえばね、蓋を開けちゃったことが本当に良かったのかどうなのかってことで、また自問自答しちゃいそうですけどね。
そういう取り組みをもし医療機関でやるのか、行政がやるのか、民間事業としてやるのかみたいな形によってもちょっと立ちつけ変わりそうな気はするんですけど。
まあやっぱりでも基本的に治療の一環で、クリニックとかで行われてるイメージですよね。
だからやっぱり専門家のお医者さんがいてとか、それはマストだと思うんですよね。
でもそれはあくまで診断名がついちゃってるぐらいのレベルの人だと思うので、
そのライトな層っていう感じでいけば、もしかして別に一般、民間レベルでもできるかもしれないですよね。
今のところそういうのはやっぱりリアルな対面でやってるのが多いんですかね。
でもね、コロナの時はさすがにオンラインでやってたと、オンライン事情を書いてすごい探したら出てきますね。
へー。
はい。
なるほど。今時ですね、その辺の取り組み。
今時ですが遅いぐらいですよね、日本ってね。
まあ確かにね。
そう、なんか日本、アメリカとかってやっぱりそのカウンセリングとか対話とか、本当に昔から大事にされてきてるのに、
日本ってなんかなかなかやっぱり自分の素を晒すってことが、はばかれるのは何でなんですかね。
なんですかね。表に出さない文化感はありますよね。
表に出さない。
ワークショップの目的と準備
でもなんか1対1でそういう専門家の人にカウンセリングに行こうっていうよりは、
そういう会があるから参加してみませんかっていう方が、なんか来るような気はしましたね。
来れば来るでしょうね。
そっからどう深掘っていくかですよね。複数回つなげていくとか、なんか本当に困ったことがあったらどういうとこにつなぐかとか。
そこまでは、ただ集まる場は設定してるとこあるかもしれないですけど、そっから先がまだないかもしれない。
やっぱりね、だから目的としては気づきとか学びっていうところ、
あとは本人がそれを、その時間本当に良かったと思ってもらえることとかだと思うんで、
すごい準備が必要なんでしょうねって、なんか今話しながらフワッとそう思いましたね。
本当に表向けどうやって伝えるかとか、中でどう設定して、その時間もですよね。
1時間なら1時間とかでどういう組み立てにしてとか、こういう話が出てきたらこういう反応をしてとか、結構いりそうですね、準備がね。
そうですよね。問題が、だからカテゴリー化した時も、その家族だったら家族の話をしていますが、
実際問題が起きてるのは家族の中じゃなくて、あなたの中とか、あなたの心部分ですよねとか、いう場合もありますもんね。
ですね。
そう。
ちょっと1回三浦さん、自分で設定してやってみてください。
あー、これ難しいね。すごい、なんかわかんない、私も本当にやったことないんですけど、
1対1の方がやりやすいのか、3人とかになっちゃうと話しにくくなっちゃう人いるじゃないですか。
いや、ありますよね。
そう、本当に、これは、でも実際そういうのが本当にビデンスとしてあるし、すごい活発に行われてるところもあるし、
それがなんか病気の人だけっていうイメージにはなっちゃってるのは残念で、
本当はみんなどんな人でも、そういう素直、正直な自分とか、なんか自分の部分を話す、言語化するっていうことは、
すごい積んだ方がいい経験かもしれないですよね。
そうですね。
まあ、これで20分くらい経ったんですけど、
はい。
まあ、いつかね、このリセンクヘルスで、例えばそういうのちょっとやってみますみたいなことがあれば、モニター募集とかね、してやってみてもいいかもしれないですし。
確かに、確かに。
何か苦しみを抱えてる人がいれば、
お悩み相談していただけたらいいかなと思いますし、
まあ、みんな健康で幸せになったらいいなと思うので、何かいろいろ取り組んでいけたらと思います。
はい。
はい、じゃあ今回は以上です。ありがとうございます。
はい。