社会的に健康な状態について再評価する②
心と体の専門家が様々なトピックを取り上げて、健康について考え直す番組、Rethink Healthということで、今回は三浦さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回前回の続きになるんですけども、その社会的に健康な状態とは何ぞやみたいな話をまたディスカッションしていけたらと思うんですけど、
前回ほんとざっくり1日とか1週間の中で、人それぞれ自分の個性に合わせて生活、仕事、娯楽みたいな配分ができたらいいよねみたいな感じとか、
ただ日本の今の環境だと結構ルートにはまっちゃうと、自分独自の方向性見つけるのちょっと難しそうだよねとか、
でもその実際の三浦さんの事例として、お子さんが習い事を始めたらちょっと没頭できる、自分の居場所みたいなのが見つかったかもみたいな感じもあったりして、
他どうですかね、お子さんの様子を見てて、社会的な人間関係に関することとかで変化してきたりとか、気づきとかありますかね。
そうですね、やっぱり大切なことが2つぐらいあるとしたら、やっぱり1つは自分が社会の中に入った時にすごく興奮するとか喜ぶとか、
すごくのめり込む状態、いろんな出来事っていうのを知るっていうので、自分の好きなことをどんどん覚えていくってこともいいと思うんですけど、
一方でやっぱりすごく安心してだらっとできる時間とかも大事だと思うんですよね。
だからやっぱり外に出てすごく刺激を受けたら、その分ストレスもいろいろかかってるだろうし、
そういったものから一切とらわれずに、家の中でぐだっとよく眠るとか、おいしいお菓子をいっぱい食べるとか、
そういう好きな、ほんとに野放しでOKみたいな時間も必要なのかなと思いますね。
そうですね。
ちょっとまた目線を変えてっていうわけではないですけど、
例えば家の中でめっちゃ安心できる環境がある人は、そうやって外で刺激を追い求めるというか、そういうのもありかもしれないですけど、
家の中には、家庭の居心地めっちゃ悪いみたいな人もいるかもしれないですよね。
そういう人だと、逆に外に安心できる場所を追い求めるというか、見つかったほうがいいなって感じですかね。
家の中で、残念ながらそういう環境に置かれちゃった子どもは、どうなんでしょうかね。
その人たちの話を聞くと、確かに社会の中に自分からどんどん入っていったとか、
あとは自分の中で理想とする、安心できるような世界みたいなものを、自分の中で妄想じゃないですけど、作り上げて自分を守るとかね、
結構そっちの方向、自己防衛とかそっちの方向に働いちゃって、それはどっちかって言ったら、それはそれでストレスなのかなと思うんですけど、
でも、どこかで安心できる場所が見つかるといいですよね。
社会的なつながりと健康
それはそうですよね、やっぱり。
だから、ちょっと自己防衛的に自分の妄想もあって、自分の居場所はここなんだっていうか、ちょっと歪んだ見方じゃないかもしれないですけど、
そういう人っていうのは、ちょっとやっぱり社会的にコミュニケーションを取る中で、なんかちょっと変な特徴が出てきちゃったりするんですかね。
そうですね、やっぱり人を自分のゾーンに入れたがらないとか、あるかもしれないですよね。
結局一人が落ち着くみたいなタイプとか、なんだろうな、根本的にやっぱりそこが愛情みたいなものがなかったりすると、
どうしてもそれを反動で何かに求めちゃうあまりに、いろんな手段を選ばずに、コミュニケーションの中で取っちゃったりとか、
何かと引き換えにとかをやっちゃったりとかはあるかもしれませんけど、どうなんでしょうね。
なんかわかんないですけど、居心地を求める先を、例えば外の人間関係に求めることもあれば、
例えばペット買ったりして、そのペットに愛情を注ぐことで、そこに安心感を感じれるみたいなパターンもある気がするなぁとちょっと思ったんですけど。
そうですね、一概に感じ方もそれぞれかと思うので、全然その同じ環境でもすごくメンタル的に落ち着いたまま大人になる方もいるだろうとは思うんですけど、
そうですね、でも一般的にやっぱりそういう何らかのつながりとかがあった方がいいのかなと思いますよね。
動物とかでもいいのかもしれません。
そうですね、なんか本で読んだ感じだと、なんか人間、古代のことを考えたら、
集落とか村とかで住んでて、周りにいる人って100人とか200人が限度で、
人間、顔を知ってコミュニケーション密に取れるのって、そのぐらいが限界だろうなと思ったりするんですよね。
それが今の現代であれば家族とか、あんまり地域のつながりそんな多くないかもしれないんで、それが職場だったりとか娯楽のつながりって、
誰しも多分頭に浮かぶ、普段から関わってる人って上限数のぐらいかなと思ったりするんですけど、
今特にやっぱウェブとかSNSとかで、もっと大多数の人の目に触れたりとか関わる機会がある気がするんで、
やっぱその辺が情報に触れることが多いから、ちょっと社会的なコミュニケーションの形は変わってるんだろうなみたいな感じは思ったりしてて、
SNSの影響とSNS断捨離
だからね、今現代であればどういうふうなメンタリティとか持てばいいっていうのは、ちょっと過去からも違うかもしれないんで、
そういう変化も文献とかあったら見てみたいですけどね。
いや、ほんとですね。なんかありそうですよね。1日あたり何人ぐらいの人と関わるとちょうどいいとか、
逆に何人以上だとストレスになりすぎるとか。
そういった意味だと、私は最近SNS断捨離みたいな感じをしたんですよ。
ツイッターとかね、そういった類のSNSをやめたっていうか、情報をほとんど絞ったって感じですね。
それによって、日常の自分のやらなきゃいけないタスクに集中できるようになったのは事実ですね。
なるほどですね。
まあね、自分もそんなウェブの発信すごい得意っていうわけでもないから、そんなSNSのフォロワーとか多いって感じじゃないですけど、
それもフォロワーが多くなってきたりすると、つながっている感覚を感じる人は多くなってきて、
その刺激はあるんだけど、その中には一定数ちょっと自分と合わないなみたいな人もいたりして、
そうするとね、無料で発信するのを控えでちょっと有料にして限定させた方が、逆に心地といい人だけと関われるなとかっていうのもあるし、
だからそのめちゃめちゃフォロワー多くて、影響力ある人になったことがないんで、その辺の感覚がわかんないんですけど、
でもやっぱりウェブの数値で見える関係性とかを考えても、やっぱり多すぎるとストレスっていうのは確実にありますよね。
そうですね、言うてもよく言うのが匿名の先には人がいるみたいな、そこでコミュニケーションの場所としては機能してるんですけど、
もしそこで何かしがらみが生まれたときに、その相手のこと実はよく知らないくて、想像するとどんどんどんどん膨れ上がっていっちゃってストレスになってくると思うんですよね。
だからこそやっぱりきちんと、私の場合はきちんと誰さんってわかってる人との付き合いに絞ったっていう理由はそこにあります。
やっぱウェブってネガティブな声が大きく見えやすいっていうか、
その裏にめちゃめちゃファンとかよく思ってくれる人がたくさんいたとしても、そういうネガティブな声がやっぱり届きすぎてしんどくなるっていうか、それがまた増幅されて感じるみたいなある気がするんで。
リアルな人間関係って今日何人関わったとか、数値でそれがどういう感覚だったみたいな評価しきるの難しいところありますけど、
そういうウェブ上だったらどういう言葉が届いてとか、どういう人数関わってとかっていうのはある程度定量化しやすい気がするんで、
それ活用して何か人にとっていい社会環境っていうか、人間関係はこういうものですよみたいなのはちょっとまた調べてみても良さそうですね。
そうですね。
オンラインとかでお仕事してる上で、顔合わせて一緒にミーティングとかしてる上では特に違和感はないので、オンラインの悪いとかでは全くないと思うんです。
心の近さとか、信頼関係感じてる人かどうかとか、コミュニケーションがお互いにちゃんと交流できるのか、ただ一方的なのかどうかとか、色々ありますよね、人とかがある要素でも。
そうですね。関係性によってその前に話した交換と贈与のまさにバランスが崩れた場合には結構ストレスになっちゃって関係が破綻しやすかったりあるのかもしれないですね。
そうですよね。それがやっぱり1週間の中とか1日の中で、子育てと仕事のバランスって、子育てはどっちかというと贈与っぽい与えることが多くて、仕事っていうと交換の要素が多くてって感じだと思うので、どっちかが多すぎてもしんどいんですかね、多分。
贈与と交換のバランス
そうですね。どっちも今、半分半分っていう感じが自分はあるかなと思っていますね。逆に贈与されてはいないなって気がするんですけど。
なるほどね。
どうですか、ゆうとさん。
贈与されてる感。
贈与するってことを意識するじゃないですか。
はいはい。
贈与されてる感っていうのは。
今まさにで言えば、そんなに多くはないのかなと思いますけど、過去思い返せば自分の親からそういうのを与えられてたのかなとか、ちょっとしたのはありますよ。やっぱり夫婦関係とかで、家事ちょっとやっといてくれたなとか。感謝を感じるポイントですよね。
家族の中でもあったり、例えば、ほんとなんか細々とした感じですけど、今住んでるとこってゴミ討伐みたいのがあるんですよね。自治会っていうか。
あれで、うちの家族は2人とも若いっていうのもあって、日中仕事してるんで、なかなかゴミ討伐になってても、ゴミ収集された後のネット片付けるっていうのができない日もあったりして、それを気づいた近所のちょっと高齢な方っていうか、もうリタイアしてて時間もある方が気遣ってそれ片付けてくれてたりするんで。
そういうときのちょっと雑用感というかね。そういうのは感じるから。それで、地域でたまに出くわしたとき、ありがとうございますとか、こんにちはとか、そういうちょっとしたのは感じますけど。
ありますよね。そうやって今こうやって話してると、私もいろいろと具体的に思い浮かんできましたね。ほんとに、そうやってあえて考えてみないと、意外と自分が雑用されてるんだってことに気づかないんだっていうのが、今ちょっとぞっとしましたね。
まあ、そうですよね。だから結局雑用っていうのは受け取りが受け取る側の知性が必要みたいな話は、前もちょっとあったんですけど、その感謝を改めてちょっと考え直す機会みたいな作ると、今までちょっと人間関係的になんかしんどかったなと思ってたけど、実はこんだけ与えられてるかもみたいな思ったらいいかもしれないですね。
そうなんですよね。だから、そうやってどこに行かなくても、今考えるだけでそういうふうにちょっと自分の状態変わるっていうのは、ある意味社会的にどんな人であろうと関係なくできたら、理想的ですよね。
コロナによる人間関係の変化
そうですね。だからさっきの1回目の話だと、生活・仕事・娯楽みたいなバランスで、今回は雑用と交換で、雑用する側にもされる側にもなってるみたいな配分がうまくできてると、いいかもなみたいなとこはちょっと見えてきましたがね。
そうですね。
割と自己満足みたいな側面もあるのかもしれないんですよ。幸福かどうかって。
まあまあ、一時点で見たら本当そうですよね。
幸せかどうかとか、社会的にいい状態かっていうのは、本当に変化するんで。
だから本当にコロナになるかならないかの間とかでも、今までは社会的にいい感じしてたけど、最近めっちゃダメだみたいな人もいれば、逆にそれが良くなった人もいるかもしれないし。
だからリアルで人と会うの多すぎてしんどいなと思ってた人は、コロナになってちょっと一旦距離が離れて、オンラインとかになったから、ちょうどいいなってなった人もいるかもしれないし、本当に今までもそんなに人と関わり多い方じゃなかったけど、コロナでより疎遠になっちゃって、超寂しいみたいな人もいるかもしれないですし。
自分にとっていい状態を作れる人が増えたらいいなとは思うんですけど。
そうですね、コロナによって、とりあえず新しい経験を集めたかなっていう、比較対象が生まれたっていうのは、それぞれみんなでかいですよね。
大人にとってはそうだけど、子供にとってはまた、これが当たり前だと思ってたのが、今後は違うみたいなのもあるかもしれないし。
そうですね、今でもだんだんと学校のマスクがしなくていいよとか、授業参加も分散から、もう一日にまとめてやりましょうとか、コロナ以前の生活っぽくなってきてる感があるので、
これによる反応がストレスがないことはないと思うので、またそこも比較していけるっていう学びにはなると思うので。
興味深いとこですね。
そうですね、子供なりにいろいろ思うことはあるんじゃないかなと思いますけど。
子供はどうなんですかね。やっぱり顔が見えなかった状態でのコミュニケーションが今まで当たり前になっちゃって、リアルで顔がマスク外して見えることになったことによって、今までと友達の関係性が変わったりするのかなみたいな、ちょっと気になるんですけどね。
関係性までも変わる可能性ありますけど、なんか私の身近な子供の話を聞くと、みんなメンタルブロックみたいな感じで、マスク外したくないって言ってる子が多いんですよ。
マスク、もう外していいんだよって言っても、いいや、つけていくとかね。
そう、と思いましたね。
社会の中でマスクがどう影響してくるかって、ちょっと気になりました。
そうですね。
子供にとってマスクが、何かしらの役割になってたのかなとか思ったりすると、深掘っていくとね、何か問題が見えてきそうですよね。
そうですね。
まあまあ、そんな感じで、もうすぐ20分くらいになるんですけど。
社会的健康の見方
社会的なところで言うと、ちょっと大きな見え方として、生活・仕事・娯楽みたいなバランスと、さっきの交換・贈与みたいなところはあって、ちょっと気づきがあったなと思うんですけど。
あとはどうなのかな。
まあその年齢とか収入だったりとか、土地によっても全然違うでしょうし、今回ちょっと幅広いテーマだったんで、またもうちょっと細分化してテーマ絞っていくと、また見えてくるものもあるかもしれないので。
はい。
はい。今回はじゃあ、一旦こんな感じで、その社会的に健康な状態ってどんな感じだろうなみたいな話をざっくりしてみました。
はい。
はい、以上です。ありがとうございます。
ありがとうございました。