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2024-07-08 24:55

リハビリテーションにおけるコミュニケーションについて考えてみる

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様々なトピックを取り上げて、健康について考え直す番組、Rethink Healthということで、今回は森野くん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、前回の派生の話みたいな感じにはなるんですけど、お互い、高齢学療法師というリハビリテーションの専門家みたいな立場でもあるので、
改めてリハビリテーションって、そもそも何で、どういう形が理想なのかな、みたいな話をしてみたいなと思います。
前回は、健康で文化的な最低限度の生活みたいなところでしたけど、リハビリテーションって主に健康に関わるようなところで、
本当に病気とかになってしまったら、医療機関の治療とかが必要になると思うんですけど、
治療を受けた後の回復過程とか、そもそも医療にも通じますけどね、予防の部分だったりとか、
健康増進的な、ちょっと健康になっておきましょうというか、鍛えておくとリハビリに入るような気がするし、
あと一応リハビリテーションの語源がリアビリスだったかな、再び社会に適応した状態になるみたいな、
だから一旦何か怪我とか病気とかしてしまうと、通常の今まで通りの生活は送れなかったりするから、
元に戻すみたいなところがアプローチしてるところにはなるかなと思うし、
まあまあちょっとその辺含めていろいろ喋ってみようかなと思うんですけど、
そもそも森野くんがリハビリテーションというか、理学療法に用意持ったみたいなのはあれだっけ、
なんかコミュニケーション系のあれからできたんだっけってめっちゃざっくり。
そうですね、一番最初は僕が小学校の時にラグビーをしていたんですけど、
その時に自分の声かけでチームがちょっと雰囲気変わったっていうのが一個大きな言い事があったんですね。
ラグビーってこの時は小学校の12人だったかなってやるんですけど、
フィールドも広いので結構みんなで声かけ合ってコミュニケーションするんですけど、
僕自身はあんまり声出すのが得意じゃなかったんですが、
その時に大きい声でなんかこう鼓舞するような声をなんかこう気持ちが高ぶってしたら、
すごいなんかあの声かけ良かったよって言ってくれて、
結構そういうコミュニケーションってこんなになんかチーム変わったりするんだなっていうところから、
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きっかけとして興味持ち始めたんですね。
そこからなんかまああのフラムダンクの作者の上さんのリアルっていう漫画だったりとか、
そのコミュニケーションっていうのを通じて、もちろん運動療法とかも通じて、
すごいダウンサイドにいる人をもっとこう励ましたりとか、
ありたい先に一緒に向かっていくっていう、
そこのコミュニケーションをどうやってるんだろうっていうところに興味持ったのがニハビリへのきっかけでした。
なるほどね。
あと、医療職がそういう多分過劣の不調がある人のアプローチとして、
医学的なアプローチと社会的なアプローチみたいな、
医学的なっていうとその体の不調に対してとか、
その人に対しての個人的な関わりだったりするけど、
社会的なっていうともうちょっと仕組みとか、
システム的にとか、あと環境調整とかいう感じになるし、
だからさっきのコミュニケーションみたいなところはどっちかっていうと、
医学的アプローチよりなのかな、まずは。
そうですね、近いと思います。
それ、そうね、しかもなんかこうコブされたみたいのはどっちかっていうと、
ポジティブな反応が引き出された感じで、
いや本当声かけて、
よく働くこともあるし、悪く働くこともある。
ちょっと不調がある人への声かけとかめっちゃ大事で難しいと思うけど、
それでモチベーションが上がることもあれば、
逆に傷ついちゃうみたいなこともあると思うしね。
難しいですね。
声かけとか聞き方とかで意識してることとかある?
そうですね、リハビリを覚えたわけですね。
そうそう、だからさっきのスポーツ場面でコブするときとか、
ちょっと不調がある人とか、対象によっても違うと思うけど、
みんな統一してこういう形でやってますというよりは、
こういう対象にはこういうこと意識してるとかなんかあるのかなみたいな。
そうですね、本当さっきのラグビーの例で言うと、
ミスしたときの声かけは、
自分の中でいつもこうしようっていうのはあって、
ラグビーでのミスってボールを前に落としちゃったら、
満足になったりとか、
もっと危ないタックルをしたらより重いペナルティーがあったりするんですけど、
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そういうちょっとしたミスとかでも、
わーい!とかどうが飛び交うみたいな気分もあったりするんですよね。
だから僕はなんか、そんなミスみんなでカバーして切り替えて、
すぐやればいいじゃんって思ってたので、
誰かがミスしたら、
そんな暇あるよって言ってたんですよね。
優しいな。
なんか自分がそう言われたら結構楽っていうのもありますし、
なんかそういう雰囲気にしたかったっていうのもありますね。
いいね。優しい世界ができそうだね。
なんかちょっとこう、くすってなるんですよね。
練習中とかでも、また森野が言ってるわみたいな。
ねえ、なんか、大丈夫大丈夫とか次よくしようとかじゃなくて、
そんな暇あるよって。
そんな暇あるよって。
楽観的っていうか、なんかいいよね。流す感じで。
そうですね。
そのぐらいの緩さが自分にとってはちょうどいいんですよね。
なるほどな。
面白いね。なんか、ペップトークっていう手法があるけど、
これはなんかどっちかっていうと前向き前向きポジティブって感じだけど、
やっぱそれがいい時もあれば、逆に苦しくなっちゃう時もあるんだろうなって感じはしてて、
だから特にそのミスした時に、なんか無理やりこうポジティブに切り替えようとしても、
なんかうまくはまんない時とかあった時に、そんな暇あるよって、いいね。
そうですね。なんか松岡修造的なやれればみたいな感じも、
多分働く時も良い方に働く時もあれば。
そうだな。
経験がたい時もあれば。
なるほど。
あとなんか、逆に医療現場とかリハビリの場面で、
今日痛いんですよねみたいな時に、この日もあるよって言ったら、
すごい投げやりな感じになっちゃうみたいなのもあるから。
そこは普通はないかも。
だからスポーツ場面とかだと、どっちかっていうとポジティブにしていこうっていうか、
勝つとか、どっちかっていうとベースがそっちだから、
失敗した時は流す感じだけど、
医療現場とかだったらネガティブになってしまってるのを改善してほしいっていう期待もある状況だから、
そんな言葉で流さないでほしいみたいなのも起こりそうな気がする。
確かに。確かに距離、その距離感がね、非常に難しい。
けど、何て言うんですかね、医療現場を、
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あとなんか、すごいテンプレート的によく言われる、
女性からの傍談に男性がどう答えるかみたいな話があると思うんですけど、
女性からの悩みごとに、こういうふうに悩んでるんだよねとか、
仕事でうまくいかなくてさっていうのに、男性が解決策を提示したら、
聞いてほしいだけなんだよっていう言説ってもう何十年も言われてると思うんですけど、
それはなんかどうなんだろう、全部が全部そうだとは思わないんですけど、
でもさっきの今日痛みが強くてとかっていう時に、そうなんだ、夢が強いんだって、
まず受け止めるっていうのは、ノウハウというよりは心根的に両方で大事だと思うんですよね。
そうだね。
ネガティブな時に、どこまで効くか問題っていうのはちょっと個人的に考えたりして、
痛みとかちょっと弱い部分って聞けば聞くほど色々出てくるんだけど、
深すぎると傷を逆にえぐっちゃったりとか、ずっとそこばっか頭に残っちゃって、
こういうのがあるから、自分もリハビリ移植とかで、
そういう心と体の不調がある時に、人によってどこまで深掘るかとか、
あえてここはもうちょっとポジティブに切り替えたい言い方しようとか、
結構感覚的にとか変えてるなって気がして、そういうのもなんとなくわかる。
すごいわかる気がしますね。
痛いところを、例えば肩の、何ですかね、居場が痛い人とかで、
そこを徹底的にやるってなると、
痛たたたたたーみたいな感じで、でもまあよくはできると思うんですけど、
一方でこっち全然、その遺体側の上司触らずに、
かしだけにアプローチしてみたら、
もちろん効くところは変わると思うんですけど、
痛みが施術中にあるかないかっていうのも、
一つ大きなポイントだと思うんですね。
意識させないというか。
痛み、結構なんか自分たちは痛みに向き合うことが多いと思うんだけど、
なんか痛みって、最終的にゼロにできないし、
ある程度抱え続けるっていうか、波があるもんだから、
そこの患者さんとかクライアントは、今ある痛みをゼロにしたいって思うかもしれないけど、
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なかなか100%取り切れない時もあるから、
痛みの向き合い方みたいなのって結構リハビリと密接だなって気がする。
確かに確かに。
また痛み以外もあるからね、もちろん過動液変えたいとか、
全然痛みが関与しないところもあるんだけど、
自分たちは結構痛みに向き合うことが多いのかなみたいな。
確かに。
なんかあれだな、トレーニングとかポジティブな成長のための痛みと、
本当にただただ取りたい痛みみたいなのもあるだろうから。
確かに確かに。
だからトレーニングとか、本人が例えば筋トレして強くなりたいみたいな感じだったら
痛みを抱えててもなんとかなるよっていうかポジティブに捉えてもらって、
ちょっと腰が痛いとか膝が痛いとか、なかなか取り切れないものは、
そういうのは何回かやっていくうちに理解してもらって、
いつかそんな日もあるよっていうので、
納得してもらえる日が来たらそれはそれで。
そうですね。
だから最初、初っ端で痛みを抱えてる人にそんな日もあるよって言ったら、
突き放してる感じがするけど、
いろいろ試行錯誤して、良くなったり悪くなったりを繰り返して、
やることやりきった後に、
そんな日もあるよっていうのが納得できるとこまでいったら結構。
はい。
って感じなのかな。
そうですね。
さっきの受け止めるって話、ちょっと戻るんですけど、
なんか、自分がすごい受け止めてくれる人がいたんですよ。
バイト先の先輩なんですけど、
大学生の時にバイトしたレストランがあって、
ここのもうフード、厨房で料理してる方だったんですけど、
まあ自分より一回りいかないぐらいか上の女性だったんですけど、
なんか僕が、いやーちょっとこんなことがあって凹んでるんですよねーみたいなことを話したら、
そっかーって、毎回そっかーって言ってくれるんですけど、
解決策を言ってくれるとか、めっちゃ励ましてくれるとかじゃなくて、
どんな気持ちやったんとか、そこをスバッと聞いてくれる感じなんですよね。
この人に話したら、なんか受け止めてくれるなーっていう感じがあって、
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つい話したくなる人だったんですけど、
なんかその、受け止めるっていうこのコミュニケーションの仕方って、
いろんなところで結構求められる気がするんですよね。
ジャッジしないとか、何々しないっていうのはよく言われると思うんですけど、
まずはなんかこう両手で受け止めるというか、
ここもそのさっきの痛みがあるんですよねって言われたときに、
まずはガチッと受け止めるっていうのは、そういうような気がしますね。
まあでもほんとなんか立ち位置によって違うなーって感じがして、
ほんと自分もこうスポーツ現場でトレーナー的な関わりすることもあったりするけど、
トレーナーみたいな立場のときは結構受け止める側に行くんだけど、
スポーツで言ったらやっぱりコーチとか監督とか、
その結果を求められてるポジションっていうか、
その個人の痛みに寄り添いすぎずに集団の結果を責任を負ってる立場だと、
その人に寄り添いすぎちゃうと全体がうまくいかないってこともあるから、
多分会社とかでもそうなんだろうけど、会社の経営者とかが、
例えばなんかしんどいって言ってる社員みんなのみに連れてって、
ケアし続けて会社潰れましたとかなったらもうどうしようもないみたいな感じだろうし、
その立場によって寄り添った方がいいのか、こう鼓舞した方がいいのかとか、
まあでも自分であったらなんか、
今は寄り添って欲しい立場だったらそういう人のとこにいて、
解決策求めてる時はそういうとこに行ってみたいな、
選択肢が複数あるといいのかな。
確かに確かに。
なんか最初の話のそのリハビリみたいなところからちょっと、
派生していったけど、
ちょっとスポーツトレーナーみたいなところに話を行くと、
やっぱストレングストメディカルみたいな、
パフォーマンスアップ側と痛みとかを改善するとかって、
結構やっぱ特性が違う感じがして、
どっちかっていうと、いわゆるリハビリとか病院とかは、
弱みに寄り添うメディカル寄りが強いと思うんだけど、
多分本人の性格的にもどっちがいい、違うだろうし、
まあまあその人の状況に応じて、
どちらかにうまく大分関わっていくと、
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前回の健康で最低限との文化的なみたいな話あったけど、
多分その体にとってはちょっと鍛えるみたいなとこが文化的なポジティブな要素。
ネガティブを減らすだけだと多分それはそれで弱っていっちゃうっていうか、
限界がある気がするから、両方うまく立場を受けて関われると。
セラピストがリハビリの目標を立てるときとかも、
その文化的なことが、患者さんの文化的なことがゴールになることってありますよね。
あるよね。
趣味のゴルフができるようにとか、
そこってやっぱり、
その人の大事なこととしてちゃんと機能してる、
逆に機能できるようにセラピストが支援していけると、
いい方向に転ぶ気がしますね。
そうだよね。自分もそんな感じはして、
やっぱりどっか痛みを抱えますとか出ますとか体が不調があってっていうので、
日常生活に戻ろうっていうだけとなかなかモチベーション上がらなかったりするから、
その先のもうちょっと娯楽的なとか、
本当にやりたいことみたいなとこが目標にあると、
もうちょっと頑張ろうかなってなるような気がするし、
そうですね。
やっぱりリハビリと前回の話も通じてくる感じがしたね。
確かに確かに。
そうなるとやっぱり文化ってまた何だろうっていうのがその人によって違うんだけど。
そうですね。
そうですね。文化って本来は私たちのものっていうイメージが強かったんですけど、
どちらかというとグローバルな、
マスかスモールマスかぐらいの、
例えばこの地域の文化とか、日本の文化とか、
私にとっての文化っていうのは小さい主語で語ることってあんまりなかった気がするんですよね。
確かにね。確かに。
そういう意味で捉え方が難しいのかな。
そうですね。
同じ人で言うと、年代とか成長するに従って過ごし方が変わってきて、
いろんな文化に触れていくだろうから、
世の中にいろんな文化と言われるものがあって、
そこを行ったり来たりする中で、
ここはやっぱ自分に合ってるなとかが次第に見つかってきたりするのかな。
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確かに。
なるとよりその国としてそれを進めていくってなかなか難しいですよね。
確かにな。
まあまあなんか過去から続いてって、
国が何とかしないと途絶えてしまいそうなものを残そうとするとかは一つあるかもしれないし。
はいはいはい。
まあ日本で言うとまたこうアニメとかなんか漫画とか、
あれも文化って感じだと思うけど、
結構その業界で働いてる人は、
まあだから文化庁とかで来てるわけですね。
そうですね。
ああいうのはまた、
そうすると文化庁として何をしてんのかとかもちょっと気になりだしたけど。
まあ文化と言われている、
その漫画例にとると、
漫画を残していこうとか、
まあ漫画は多分残るでしょうけど、
なんか消えかかっている、
なんですかね、着物文化とかを保存していこうっていうのは国としてはしやすい気はして、
もう一個さっきのその小さな主語の話でいくと、
その個人個人が文化を楽しめるように支援するっていうのも国として必要な気がするんですよね。
まあそうするとだから個人に対しては、
この図書館行ったら無料でできるよとか、
いろんなその、なんだろう、
使えるリソースっていうか移動手段とかお金とかに合わせて、
その状態だったらこういうのができるとかっていうのが、
階層に分かれていろいろあったりすると、
売れるきっかけを作ったりできるのかな。
あとはその、なんか本って面白い気分。
そこのこの教育的な側面もありそうですよね。
絵本読み聞かせとか。
そうね。
自分一人で生きてたりすると気づかないのもあるから、
個人に選択してもらうだけじゃなくて、
ちょっと無理やりにでも触れてもらう機会っていうか、
そういうのを作るのも気があるかもしれないし。
そうですよね。
そうね。だからリハビリのさっきの目標みたいなのを立てるときに、
本人がこれしたいからっていうので立ててもらうのもありだけど、
あなたのこういう能力だったらこういうのもできるんじゃないですかって言って、
支援してあげるのもよかったりはするよね。
確かにそうですね。
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そうすると支援者側はよりたくさん選択肢を知っておいた方がいいって感じ。
そうですね。
あとはその人のこういうところがあるからっていう洞察力というか、
そうですよね。
なるほど。
こんな感じかな。
いやーなんか、答えがない感じだったからリハビリそもそも。
もうちょっとこう、対象とか内容を絞ると考えやすくもなるかもしれないんで。
確かに確かに。
ちょっと前回今回は抽象的な話をしてみました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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