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  2. #154 デザインの学び方と教え方
2023-10-13 1:41:36

#154 デザインの学び方と教え方

「デザイン、学びのしくみ」という本を読んで、デザインを学んだり教えたりするときのポイントや、あらゆることを学ぶとき・教えるときの姿勢、心構えについて話しました。

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サマリー

resizefmは、MotoyamaさんとDeguchiさんが最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げて、のんびり話すポッドキャストです。遠藤大輔さんが書いた「デザイン学びの仕組み」という本を読んで、デザイン教育のカリキュラムやデザイン学びの方法について興味を持っています。日本の美大はデザイン学部に特化した学校であり、実際にデザイナーとして働ける能力を学生に身につけさせることが重要です。学び方は主体的であり、実践的な経験を通じて資格言語を習得することが重要です。絵を描く才能がないという抵抗感がありますが、絵を描くこと以外の新しいスキルを学ぶ時には抵抗感が少ないことがあります。絵を描く楽しみ方や面白さを学ぶことが重要であり、効果的な学び方や成果を実感することも重要です。【デザインの学び方と教え方】デザインの学びのゴールは、分かるだけではなく、デザインを通じて誰かの役に立てることが重要です。学習効率を上げるためには、制限と自由のバランスを調整し、自分ごと化できる課題を設定する必要があります。また、仲間との共同作業や遊びの要素も学びにおいて重要です。デザインの学び方と教え方について考える中で、褒め方や学習意欲の問題、小さな成功体験の重要性、教師側の姿勢などが取り上げられました。学びの目的と評価の考え方、リサーチとプロセスの重要性、順位付けの問題についても議論され、デザインの教育について考えさせられます。

DeguchiとMotoyamaの会話
Takaya Deguchi
こんにちは、Deguchiです。
kudakurage
こんにちは、Motoyamaです。
resizefmは、MotoyamaとDeguchiが最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げて、
のんびり話すポッドキャストです。よろしくお願いします。
Takaya Deguchi
お願いします。
なんか寒くなりましたね。
kudakurage
寒くなってきたね、最近。
うん。
Takaya Deguchi
ちょうどいいぐらい。日中はちょうどいいのかな、割と。
夜ちょっと寒くなった。
kudakurage
うん。朝、夜ちょっと寒いね。
Takaya Deguchi
しかもなんか花粉がなんか飛んでるっぽいですよ。
デザインの話
kudakurage
ほう。なんだったっけ?す、なんかすすきとかのそういうやつ?なんかわかんないけど。
Takaya Deguchi
うん。そういう秋系の。
僕もなんかすごいなんか、2,3日前から鼻水がめっちゃ出るようになって。
kudakurage
えー。
Takaya Deguchi
風邪なのか、なんだのかよくわかんないですけど。
花粉症な気がしてきました。
kudakurage
うーん。やっぱ花粉症はわかんないな、僕は。花粉症じゃないから。
Takaya Deguchi
うーん、毎回こんな話してる気がするな。
kudakurage
まあでも、ちょっとね、やっぱり寒いからね、なんかふとこうソファーで眠っちゃったりとかしちゃうと、なんかちょっと風邪ひきそうになったりとか。
いや、そうです。
危ない、危ないっていうかね、気をつけないといけないなと思って。
Takaya Deguchi
で、まあさっきも寝落ちして、収録に2時間遅刻して今なんですけど。
っていうかiPhoneが届いたんですよ、さっき。
kudakurage
おお、さっき、はい、新しいやつ。
Takaya Deguchi
そうそうそう、意外にそんなでかい、まあでかいけど。
でかいですよ。
でかいっけ、ああ、でも重さはそんな、思ったよりは軽いなとは思いましたけどね。
まあでもでかい。
kudakurage
でかいですよね。
Takaya Deguchi
僕は裸派なんですけど、iPhoneね。
でもまあちょっとこのでかさだと落とすなと思ってどうしようかなと改めて思っちゃいましたね。
僕もう最近なんか、あのこのケースとフィルム、これここのメーカーのってもうなんか決めてんだよね。
kudakurage
おお。
で、なんかまあフィルムは、なんだっけ、ニマソ、ニマソってやつ。
Takaya Deguchi
ニマソ。
kudakurage
ニマソっていうNIMASOっていうメーカーのフィルムをいつも買ってんだけど。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
まあなんか良かったから。
Takaya Deguchi
うんうん。
kudakurage
で、えっとね、ケースはね、えっとMEMUMI。
Takaya Deguchi
おお、似たような。
kudakurage
MEMUMIっていう、M-E-M-U-M-Iっていうところが出してるやつなんですけど、ここのなんかね、超薄いケースっていうのがあるんですよ。
ああ、はい。
0.3ミリみたいな。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
これがまあつけてるんだけど、結構こう、なんていうの、分厚くならないみたいな。
うん。
だから、まあiPhone miniの頃から使ってて。
うん。
で、15 Proでもこれを使ってますね。
MEMUMIさんの超薄いやつが。
Takaya Deguchi
僕なんか、もう裸で使ってアップルケア入っといて、まあ最悪傷つきまくったら交換したらいいじゃんっていう発想の派なんですけど。
うん。
でもちょっとさすがにちょっとでかいなと思って。
kudakurage
でかいよね。
Takaya Deguchi
オブジェクツハイオーっていうレザーのガジェットのメーカーの、なんかカラビナついたやつ、ケースがあるんですよ。
うん。
それはちょっと気になってるんですけどね。
kudakurage
カラビナつけちゃう。
Takaya Deguchi
外出てるときだけこれ使おうかなみたいな。
kudakurage
なんかでも、なんていうの、カラビナじゃないけど、なんか後で入れれる、なんかそのケースに差し込むみたいな、なんかストラップみたいなの結構売ってるんですよね。
ああ、なるほどね。
iPhoneのデザインと機能
Takaya Deguchi
最近。
確かにそれでもいいか。
kudakurage
うん、なんかそれは結構いいかなと思ったけど、まあ僕言ってもそんなに持ち歩かないなと思って、外外出しないなと思って。
買ってないけど、まあでも、なんか外出よくするとかだったらそれでもいいかなと思って。
確かに。
Takaya Deguchi
いや、そう、なんか常時つけたいわけじゃなくて、外出るときだけつけたいなっていう気持ちなんですよね。
なるべく裸で使いたいなっていう。
kudakurage
なんかケース使うとちょっと暑くなっちゃうじゃないですか、どうしても。
Takaya Deguchi
まあまあまあ、ちょっとね、やっぱりどうしてもね。
で、さらになんか、まあ僕手小さいから、なんかそれでまた大きくなるのがちょっと嫌なんですよね。
kudakurage
うん。僕もだからやっぱり超薄いやつにしてるもんね。
うん。
もうだから、多分本当の傷を守るぐらいだよね。その頑丈さを強くするみたいなもんじゃないくてさ、どっちかっていうと、傷を守るみたいな。
でも、iPhone miniでもそれつけてて結構落としたけど、全然ほぼほぼ大丈夫だった。ちょっと傷ついたところはあったけど側面で。
そのカバーしきれてない部分で。
Takaya Deguchi
僕は傷つきまくったけど、一回交換したんで、最終綺麗な状態で使ってましたね。
kudakurage
うん。
AppleCareでも結構高くない?あれ。
Takaya Deguchi
うん。まあでもケースもらもら買うよりは、まあいいかと思って。
なんで、ケースもらもら買わずに措置をするっていう。
kudakurage
新品に交換できるって考えたら、まあ安いのかもしれないけどね。
Takaya Deguchi
うん。それもせっこみです。
なんかバッテリー下手ってきた頃、1年、2年弱ぐらい経った頃に1回買えるっていう、そういう感じ。
kudakurage
いや、僕iPhone miniがやっぱ好きすぎてさ、使ってるって話したじゃん。
うん。
僕もうバッテリー交換お願いしたもんね、もう。ついに。
Takaya Deguchi
うん、そうでしょ。いや、だったらAppleCare入ったほうが。
kudakurage
いや、でも普段は1回もやったことなかったから、バッテリー交換。そもそも結構買い替えたりとかもしてたしね。
うん。
だから別に、でもバッテリー交換のほうがAppleCareより安いし、やっぱり入んなくていいかなと思って、今回も入ってないけどね、結局だから。
Takaya Deguchi
まあでもそんななんかもう頻繁に買えないかなと思って。
kudakurage
まあそうだよね。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
なんかアメリカのどっかの州かなんかは、その7年ぐらいは保証しろみたいな、そのセキュリティアップデート的なものを。
Takaya Deguchi
ああ、なるほどね。
kudakurage
っていうのがあるらしくて、でなんか最近Google Pixelが新しいのを出したんですよ、Pixel 8かな。
うん。
で、それはなんか7年ちゃんと保証しますみたいなことにしたけどね。
へえ。
Takaya Deguchi
それはディスコンにしないってことなのかな、7年は。
kudakurage
うーん、まあね、どうなんだろうね、OSのメインのバージョンアップも7年やってくれるのか、それともセキュリティの部分のみこう担保していくのかっていうのはちょっと僕も詳しく見てないんで分かんないけど。
Takaya Deguchi
うーん。
iPhoneって今どうなんだろうね、あんま昔のこと分かってないけど。
kudakurage
どうなんだろうね。
割と長いよね、イメージとしてもあるけど。
でも意外と切ってた気がするな、どうなんだろう、あ、違うか、切ってないか。
いや意外と切ってなかったっけな。
Takaya Deguchi
なんかその辺は悩ましいですね。
開発者的にはさっさと切ってほしい気持ちもあるし、7年長いなと思うし。
kudakurage
まあでも最近のデバイスそんな変わんないからね、そのハードウェアっていうミスやさ、そんなに変わんないから。
まあOSが新しくなってくれるんだったら全然いいよねっていう気がするけどね。
Takaya Deguchi
ああそうか、7年でアップデートもちゃんとしてくれればまあ問題ない。
kudakurage
でもメインがついてこないとちょっと微妙な部分もあるかもしれないけどね、
新しい機能が使えないとかさ、そういうのが出てきちゃう可能性があるから。
Takaya Deguchi
あとiPhone画面綺麗だなとか思いました、新しいやつ。
kudakurage
新しいやつね、エッジがベゼルっていうんですかね、エッジがなんか結構狭くなってるよね。
狭くなってるよね。
丸い、丸くてこうRがかかって細いっすよね。
いやなんか前までのやつってもうちょっとその黒い縁が太かったんですよ。
あった、ありましたね。
それがなんか結構もうちょっとだけググってこうディスプレイの部分が拡大してるっていうか、
多分ディスプレイが拡大してるっていうより多分ベゼルが小っちゃくなってるんだけど、
デバイス自体がちょっと小さくなってるんだけど多分。
っていう感じだなと思いましたね、なんかすごい際までいったなみたいな。
Takaya Deguchi
でもなんか表面上はいろいろそういうちょっとなるべく小さくみたいな工夫が見られる一方で、
裏見るとカメラでっけぇなって思いますね。
kudakurage
カメラはね、でかいよね。
Takaya Deguchi
2段だもんね、なんか。
kudakurage
いやもうこれはカメラだな、iPhoneじゃなくてiカメラだなっていう。
Takaya Deguchi
プロは特にね、もうなんかiPhoneっていうかカメラね。
iカメラ。
kudakurage
なんかね、前も話したかどうか忘れちゃったけどその、
そのこのiPhoneの最新のiPhoneでのカメラでなんかまた映像作品みたいなの、
なんかプロの人が撮ったみたいな作品とかなんかちょっと昔から公開されてたような気がするけど、
めちゃくちゃもう綺麗で普通にiPhoneで撮ったとは思えないぐらい、
最近でもなんかiPhoneで映画撮ってる、で公開してるとかよくあるもんね。
うん。
もうすごいよね、やっぱり。
Takaya Deguchi
iPhoneのデータの移行をやってたんですけど、スムーズでびっくりしました。
kudakurage
うん、そうね。
Takaya Deguchi
で、その移行中に新旧のiPhone1時間ぐらい使えなくて、
その時に寝落ちして気づかす今に至ります。
ああ。
kudakurage
でかいなでも。
Takaya Deguchi
なんかな、リングつけたい気持ちもあるんだけど。
kudakurage
うん。
Takaya Deguchi
でもあれつけるとマグセーフできなくなるし。
kudakurage
そうなんだよね。
あれつけると、だからマグセーフリングみたいなの買えばいいんじゃない?
なんかなかったっけそういうの確か。
Takaya Deguchi
ああ、着脱式の。
kudakurage
そうそうそうそう。
Takaya Deguchi
そうね。
kudakurage
なんかでもそれも微妙なんだよね。
Takaya Deguchi
うん、なんか。
kudakurage
僕なんか一時期使ってたんだけど、買って。
うん。
なんかやっぱりなんかこうつけたり外したりするの。
Takaya Deguchi
そうそうそう、それめんどくさい。
っていう悩ましいですね、でかいと。
みんなどうしてるんだろう。
kudakurage
うん。
やっぱミニーがいいんだよ。
なんかミニーがやっぱすげえいいなって思ってさ、
その再認識させられてさ使ってたんだけど、
本当にいいなと思って、
もうこれ以降本当にミニー出ないかもなと思ったら、
13ミニー買っとけばよかったなと思って。
Takaya Deguchi
あれも今からでも買えばいい。
kudakurage
もう買えないんですよ。
Takaya Deguchi
あれはもう売ってないんだっけ。
kudakurage
もう売ってないんですよ新品は。
中古は過労死で売ってんだけど、
中古とかまあそのそれを見越して新品で買って、
メルカリで売ってる人とかいるんだけど、
価格してね。
今は買えないんだよもう新品が。
そうなんだ。
まあどっかの田舎の携帯ショップとかに、
もしかしたらまだあるかもしれないけど。
うん。
まあ少なくともオンラインではもう全然売ってないっすね。
Takaya Deguchi
iPhone 13はまだ売ってるけど、
kudakurage
ミニーは売ってない。
ミニーはもう生産中止で、
Takaya Deguchi
あんまりもうないんですよ。
いやもう買っとけよかったと思って。
あのなんだっけ、
整備品みたいなやつで出てくる可能性も。
kudakurage
まあなくはないのかな。
整備品って売ってんのかな。
整備品のiPhoneって売ってんの。
わかんない。
なんかMacとかは見たことあるけど。
わかんない。
Takaya Deguchi
あるっぽいっすよ。
kudakurage
あああるね。
整備済みiPhone。
13ミニなんてもらわないけど。
モデルなんか12Proしか出てこないけど。
うん。
いやー。
いつか復活しないかな。
Takaya Deguchi
いいよ。
もうアプリに入社して復活させるしかない。
kudakurage
販売がいよいよ新品の販売が、
中止っていうかもうなくなって、
やっぱりなんかみんなこう、
12ミニ、
12じゃなく、
ミニ、iPhoneミニミン達が結構こうね、
ワーってなってるから、
それに気づいてアップルがやっぱ売るか、
みたいにならないかなと思って。
Takaya Deguchi
それ一回やったのがミニでしょ今の。
kudakurage
え?どういうこと?
Takaya Deguchi
いや昔もその小さいサイズが、
小さいのがやっぱ良かったっていう声があったから、
12ミニが出たんじゃなかったっけ?
kudakurage
それでまた13ミニやめますってなったけど、
またこう良かったっていう声が今出てきてるから、
もう一回じゃあやるかみたいな。
3回目。
3回目。
なんないかなって。
っていうかなんかやっぱMAXが僕納得いってないんだよね。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
なんかそんな変わんないじゃんって思ってんだよね。
Takaya Deguchi
サイズバリエーション出してほしいですね。
kudakurage
なんかMAX無くしてミニにしてくんないかな。
MAX求めてる人って結構いるのかな?
ミニより多いってことなのかな?
Takaya Deguchi
でも出し続けてるってことは、
売って売れてるってことなんじゃないですか。
kudakurage
なのかね。
Takaya Deguchi
誰が買うんですかね。
kudakurage
誰が。
Takaya Deguchi
僕らみたいな層が買わないとしたら誰が買うんだろうなって。
kudakurage
でもトコロさん買ってるけどね。
Takaya Deguchi
トコロさんは僕らみたいな層の中でもかなり特殊な気がしますね。
kudakurage
いやでもなんかでも話聞いてみると、
まあでも特殊ではないのかなっていう風な気持ちもあったけどね、なんか。
どういうと?
なんか漫画見たいんだって。
Takaya Deguchi
あーなるほど。
kudakurage
うん。
まあでもその気持ちはまあ分からない。
まあ確かに。
まあ小さいからっていう。
まあできるだけ大きくしたいとかっていうのは分かるけど、
多分もう僕らみたいになると、
そのなんていうんだろう、
もうiPadとかで見るとか、
まあもしかしたらMacで見るとかなっちゃうから、
なんかもう別にそんな漫画は別に携帯で見ないしみたいな感じだったりするんで、
あれだけど、
まあなんかそのそういうね、
例えばなんかサラリーマンでさ、電車通勤でiPhone持って漫画読むの楽しみとかさ、
人もまあいるだろうし、
まあそういう気持ちもまあ分かんなくもないんだけどね。
Takaya Deguchi
確かにまあジャンププラス僕も入ってるけど、
確かにiPhone miniだとちょっと無理だなと思いますね。
kudakurage
えー本当?
Takaya Deguchi
全く読めないです、細かすぎて。
kudakurage
ジャンププラスぐらい、
まあ分かんない、
ジャンププラスのあのなんていうの、デジタル向けで作ってる漫画はまあ僕は普通に読めてるけどね。
Takaya Deguchi
いや、あの本紙の方ね。
kudakurage
本紙の方だよね。
だからそのなんていう単行本とかのやつってことだよね。
まあそれはちょっとまあ確かになかなかね、難しいとは思うけど。
Takaya Deguchi
まあまあ気持ちは分かりますけどね。
kudakurage
うーん。
Takaya Deguchi
けどそれぐらいだな。
でかいのがいいって思う。
kudakurage
にしてもさ、そんな変わんないじゃん、なんか。
なんていうか、本当に気持ち大きくなるみたいなさ、なんか。
うん。
感じだからさ、やっぱいらないと思うんだけどな。
Takaya Deguchi
まあでも確かにiPhone一台で何でも済ませたいっていう人が買うのかな。
kudakurage
うーん。
まあゲームやる人とかね。
Takaya Deguchi
うーん。
kudakurage
まあそういうのもまあ分かるけど。
うーん。
いやーでも見に買っときゃよかったなと思って。
なんかしかもさ、その最近インボイス制度っていうのが始まって、まあいろいろややこしいことがいろいろあるんだけど。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
そのもうなんか、もうちょっと高くてもいいから、メルカリで買おうかなとか思ったんだけど。
うん。
その13ミニを。
うん。
なんか経費にしづらいんだよね、なんかもう。
だからメルカリで買うとかになると。
Takaya Deguchi
ああ、まあそうね。
kudakurage
インボイス出ないみたいな。
Takaya Deguchi
はいはい。
kudakurage
で、もうなんかうわーんってなって、バッテリー交換出した。
Takaya Deguchi
今でも、まだ今、買うなら今じゃないですか。
kudakurage
ん?
Takaya Deguchi
これがさらに年月が経つと、そこでも入手できなくなるじゃないですか。
kudakurage
いやもう、もう買わないかな。
ちょっとiPhone、iPhoneじゃなくてAppleがまた、やっぱミニだわってなるの待つかな。
Takaya Deguchi
4,5年後かな。
kudakurage
まあもしかしたらなんかね、CEOが変わったりすると、俺はミニ派なんだけどみたいな人が出てきて。
うん。
Takaya Deguchi
新しいデザイン責任者が出てきて、俺はミニ良かったと思ってんだよね、みたいな。
手が小さいアジア人が社長になるといいですね。
kudakurage
じゃあ、そろそろ。
Takaya Deguchi
はい。
kudakurage
今日の話しますか。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
今日の話は、ちょっと学ぶことについて考えてみようかなっていうふうに。
Takaya Deguchi
おお、志望がでかいですね。
kudakurage
まあ最初の志望はでかくしたんだけど。
Takaya Deguchi
うん。
ちなみになんか子供の頃、勉強好きでした?
kudakurage
いや、ずっと嫌いですよ。
得意でした?
Takaya Deguchi
いや、全然。
あ、そう?
いや、得意じゃないが、うん、そうだね。めっちゃ苦手でもないけど、みたいな。
kudakurage
でも好きじゃないことは間違いない。
まあ僕も好きじゃなかったな、別に。
Takaya Deguchi
得意、ある程度の年齢までは得意だったけど。
ああ、そうそう、分かる分かる。
なんていうかこう、勉強しなくてもいけるところまでは。
kudakurage
ああ、ちょ、高2ぐらいから結構厳しくなっていくんだよね、なんか。
Takaya Deguchi
高校から厳しかったですね。
kudakurage
ね、それぐらいからね、なかなか難易度が上がってくるからね、どうしても。
難しくなっていくんだけど。
いや、もうなんかでもよくさ、子供の頃も僕、なんかいろいろ聞いてたけど。
なんか大人になってから、なんかすごい勉強したくなるから、昔やっとけばよかった、みたいなさ。
Takaya Deguchi
ああ。
kudakurage
いうの、なんか聞くじゃん、よく。
はいはい。
Takaya Deguchi
聞いてたじゃん、なんかよく。
kudakurage
僕はまあそんなわけないだろうと思ってたんだけど、僕が今気づいたらめちゃくちゃ勉強してるわけですよ。
Takaya Deguchi
まあ勉強と思ってないんじゃないですか。
kudakurage
まあまあそれもあるとは思うけどね。
で、まあなんだろう、勉強っていうのが何を指すのかとか、まああるけど、
まあ多分どういうふうに捉えてるのか、どういう姿勢でやってるかとかによって多分変わってくるとかってね、そういうのもあるだろうし。
まあでもいずれにしても、子供の頃勉強だと思ってたことを、なんか今めちゃくちゃやってるわけですよ、なんか。
で、まあそういうのもあって、ちょうど今日は学ぶことについて話そうと思ったんですけど、
なんかちょうどね、最近いい本があって、
Takaya Deguchi
デザイン学びの仕組みっていう本が、今年の7月ぐらいに確か出版されてて。
kudakurage
で、まあ僕自身も、なんかちょっとそんな大したものじゃないけど、なんかちょっと教えるみたいなことがあったんだけど、
まあでも正直僕あんまりこう、デザインを教えるみたいなのは、なんかおこがましいなみたいな気持ちがずっとあるっていうか、今もある程度あるので、
ちょっとどうなのかなと思ってたんだけど、まあでも、なんだろう、そんな大層なものっていうことではなくて、
なんかまあちょっとでもなんか伝えられるとか、サポートできることがあるっていうぐらいのまあライトな感じで、
そういう気持ちで考えれば、まあできることはあるのかなみたいなふうに思って、まあちょっとそういうのを考えたりやったりとかすることもあるんだけど、
で、まあそういうのもあったから、ちょっとこのデザインをどうやったら学べるのかとか、どうやったら教えられるのかみたいな部分に興味があって、
まあちょうどいい本があったんで、買って読んだって感じですね。
で、結構ね、この本すごく面白いなと思って、めちゃくちゃもうバッてもう読んじゃったんだけど、
なんかね、この本書いてるのは遠藤大輔さんって言って、プラットインスティチュートっていう、なんかニューヨークの美大、私立の美大だったかな。
で、なんかコミュニケーションデザイン学科で教えてる女教師の方が書いてるんだけど、なんかむさびとかでもたまになんか依頼を受けて教えてたりしたことがあるみたいなこと言ってたかな。
で、基本的にはグラフィックとかをメインにされてる方なんで、仕事としてもビズリーチとかビジュナルとか、なんかその辺のロゴを手掛けてるみたいなの、なんかちょっと見たりとかしましたけど。
それ系の人で、まあでも今回のやつは、だからその遠藤さんが教えてるコミュニケーションデザイン学科での話とかっていうのがメインで書かれてるって感じですね。
だからデザインって言っても多分いろいろ広いと思うんですけど、その建築とかもあるかもしれないし、実際の物理的なプロダクトデザインとかそういうのもあるかもしれないけど、
今回はコミュニケーションデザインって言って、コミュニケーションデザインって割と広いというか、グラフィックを中心として割とこう、なんかだいたいコミュニケーションが発生するデザイン部分。
まあだから、もしかしたらインターフェース的な部分も入ってくるだろうし、っていう感じなので、まあ割とデジタルプロダクトやってる人からするとまあなじみがしやすい、なじみ深いみたいなところかなっていうような感じかなと思いましたね。
で、一応最初の方に本に、というかなんかこれなんかノートに、その最初の試し読みの部分が公開されてて、まあざっと最初の始めにみたいな部分が読めるんだけど、
まあ誰の人に向けて書いてますよみたいなのがなんかあって、まあデザインを学ぶ人と教える人それぞれについて書いてますよみたいな感じだったんですけど、
ただ、割とこう一般的にできる部分っていうのもあるような気がしてて、単純にこのデザインっていう部分に限らないで何かを学ぶとか、何かを教えるっていう部分に当てはまる部分も結構多いにあるんじゃないかなっていうふうには思いましたね。
で、まあ自分自身も、まあ場合によってその教える立場っていうのはあるけど、まあかなりの部分を僕は学ぶ立場だと思ってるので、まあ学ぶっていうときにどういうふうになるかっていう部分、
まあその両面で僕自身はこう読み取ってる部分があったので、そういう部分でも結構僕は面白く読めたっていうような感じの本でしたね。
デザイン教育のカリキュラム
kudakurage
ざっくり目次として4章立てになってたんですが、最初がデザイン教育のカリキュラム、その次が想像的な学びの場、で3つ目が教師と学生、
で最後にリサーチアナリシスプロセスって言ってるんだけど、これはまあ具体的な一つの講義を取り上げて詳しく話したっていうやつでしたね。
なので最初になんか割とどういうようなカリキュラムを組んでるのかっていうのと、でその次にどういう環境作りをしてるのか、で最後にどういうふうに学生と対面して向き合ってるのかみたいな話の構成だったんじゃないかなっていうふうには思いますね。
デザイン教育、今回の場合はコミュニケーションデザインで割とグラフィック寄りなコミュニケーションの仕方っていう部分もあったような気が、まあそれに限らないと思うけどそういう部分があったと思うので、
まあ最初のデザイン教育のカリキュラムっていう部分でも、デザインを学ぶ一番の良い方法っていう部分で、まあとにかく手を動かして何か作れとかデザインしろ、やってみるみたいなことをやれっていうふうに言ってる部分とか、
まず基礎的な部分から入るみたいな、そういう何だろう、たとえばデッサンだとか色について知るとか、なんかその辺があったように気がしますね。
まあでもその辺はやっぱり結構デザインを学ぶ上で、一からやっていくんだったら重要な部分かなっていうふうには思っていて、まあ何で重要かっていうとやっぱりその何かコミュニケーションするにあたって、その言語的なものだけでコミュニケーションしていくっていうのはなかなか難しい部分があって、
デザイナーの特性として、何だろう、視覚言語を操ってコミュニケーションするっていう部分があるので、それができるようになるためのその基礎としてデッサンだとか色について学ぶとか、そういう視覚をどういうふうに特性、どういうような特性があってこの機能っていうのをするのかっていうのを学ぶっていう意味で、
そういう視覚を、グラフィックを扱うっていう部分の基礎を学ぶっていうのがすごく重要だっていうようなことが書いてありましたね。
で、だからカリキュラム自体も、一応カリキュラム、出口君にはわかるようにノート、ノーションの方にバッと書いてあったんですけど、ざっくり1年の時にその基礎的な部分、視覚表現の基礎的な部分。
で、2年の時にそれだけじゃなくて、それにどういう意味を持たせるかとかどう伝えるかとか意味的な部分。
で、3年でそれとは違う、表現者と受けてって言ってるんだけど、その制作物とか作品だけじゃなくて、それの意味とかを自分と相手みたいなもの、クライアントと発注者みたいな関係みたいな、そういうところの関係性も含めて考えるみたいな。
だいたいこう、そういう順番でこう、次元が上がっていくみたいな感じのカリキュラムを組んでいるっていうような感じだったかな。
これ基本、美大ってことなんですか?
美大のデザイン学部とは
kudakurage
そうですね。美大、まあでも日本の美大は、ちょっと美大、日本の美大がどういう感じなのかっていうのはいまいち分かんない部分もあるけど、なんか美大っていうイメージよりはかなりデザイン学部みたいな。
デザイン学科って言ってるんで、コミュニケーションデザイン学部って。
Takaya Deguchi
要はデザイン美術系のことを学んでいる人たちっていうこと。
kudakurage
そうですね。かなりデザインに特化した学校って感じが印象としてはありましたね。
で、結構ね、この学校すげえいいなと思って、なんか僕もこういうところで勉強したかなだなっていうふうに思った部分がかなりあって、すごい実践的だし、なんか現場に近い感じの、なんかこう教えてることの内容が、なんかそういう感じがしたというか。
なんかね、例えば、リサーチの勉強とかもかなり実践に近い話のことをしてて、で、ツールのことを覚えるとか、さっき言った基礎的な部分を覚えるとかもあるんだけど、
なんか具体的に最後の方とかになると、実際になんか授業の中で仕事を見つけて、このキャリアをどう進めていくかっていうのを考えたり、なんかそういうことをやっていくためのなんか時間を設けて、なんかこう寄り添っていくとかっていうのがあったりとかして。
かなりその、なんて言うんだろう、学生がデザイナーとしてちゃんと働けるのを、なんか一からサポートをしていくみたいな学校っていう印象があったんで、なんか僕の中の印象だと、美大っていうよりは専門学校に近いみたいな、なんかそんな感じの印象ありましたけどね。
Takaya Deguchi
うん。働くためにっていう先手。
kudakurage
そうそうそうそうそうそう。
なんかね、結構このカリキュラムの中でも割と面白いのがいろいろあったんですが、なんか、例えば何か気になるものあったりしますかね、でぐちくんが。
Takaya Deguchi
うーん、時間と動き。
kudakurage
時間と動きっていうのは、割とこれもグラフィックの、グラフィックというかまあ平面的な、あのなんて言うんだろう、絵の表現の一つの、もうちょっと拡散、拡散というか拡張したやつですよね。
Takaya Deguchi
うーん。
kudakurage
まあ、そのアニメーションだとかモーションとかの話ですね。
Takaya Deguchi
いやなんか正直なんか、僕全くデザイン教育受けてきて、全くでもないけど受けてきてないから、何が特徴的なのかがわかんないですね、このカリキュラム見ても。
kudakurage
まあまあまあまあそう、僕もでもね言っても自分の大学ぐらいのことしか知らないわけだから、特徴的な部分っていうのはあんまりわかんないんだけど。
なんかね、結構面白かったなーっていうのは、最初の方に基礎的なことがあって、なんかね、この文学批評研究っていうのが1年からあるんだよね、1年生の頃から。
で、これの理由っていうのが、まあなんかいろいろな理由があるっぽい感じがしたんですけど、まあなんか、例えばそのニューヨークの美術大学なので、いろんな国から来たりするわけですよ、なんか。
だから結構英語をみんな話せるけど、第2言語みたいなことが多いっていうのもあって、多分そういう部分もあるから、その文章の書き方だとか、なんか文章構成の仕方みたいなのを教えてるっていう側面も多分あるんだけど、
学び方と教え方
kudakurage
ただなんかこの文章、テキスト、まあ先だとUXライティングとかっていうふうな話もあるけど、なんかそのライティング的な部分をその美大で教えるっていうのは結構すごいいいなと思っていて、
僕はなんかその、まあ大学卒業して働き始めてからは、もうちょっとしてぐらいから結構そのテキストみたいな、そのライティングみたいな部分をようやく意識し始めたぐらいなんで、
割とこの辺実はでも、なんだろう、すごく重要な部分としてやっぱりデザインの中であると思ってるんですよね。
だからそれをその大学生の頃から、まあちゃんと学んでおくっていうのはすごく重要なことなんじゃないかなっていう。
本当、ちゃんとした文章の書き方みたいなとか、まあもしかしたらこれは含まれてないのかなっていうのも思ったけど、まあわかりやすい文章の書き方とかって、そういうのもあったらより良いだろうなっていうような感じ。
で、まあ別のその理由として、なんかこれ批評的分析の仕方、まあなんか批評ができるようになるみたいなのを結構、このカリキュラの中を全体通してよくあるんですけど、
まあこれっていうのはいろんな、これもなんか2つぐらい観点があって、まあ1個は卒業論文がちゃんと書けるようになるみたいなところもあるんだけど、
ただそのもう1個として、なんかデザイナーとしてやっぱり何かに対してちゃんと批評的な観点で考えられるようにならなきゃいけないみたいな。
その自分のある程度軸を持って、それを論じて、まあなんか考えるような思考方法ができるようにならなきゃいけないっていうような考え方があって、
それをこう身につけるために、まあなんかそういう批評的分析の仕方みたいな部分を学ぶっていう意味で、なんかこういう文学批評研究っていう、
まあ文章を書きながら、その批評の能力も身につけながらみたいな部分があるみたいなのがあって、これはなんか結構いいなと思いましたね。
なんか、まあ今になって思ったっていう部分はあるかもしれないですけどね。学生の頃いいなって思わなかったですけど。
Takaya Deguchi
ないでしょうね。なんでこんなにやんなきゃいけないんだって思うでしょうね。
kudakurage
そうだよね。
Takaya Deguchi
っていうか、この学校は卒論があるんですね。
kudakurage
卒論あるんじゃないですかね。
Takaya Deguchi
4年卒論ってありますけど。
kudakurage
うん。卒論やんなきゃいけないっぽいですね。
でも最近は多いんじゃないですかね。卒業論文書かなきゃいけないのっていうのは。
Takaya Deguchi
そうなんですか。
kudakurage
分かんない、分かんない。僕もそんな詳しくないから分かんないけど。なんかでも僕の出た大学も今はもうあるんじゃないか。みんな卒業論文必須になってんじゃないかな。
なんか僕らの頃は論文か制作かみたいな。
そういう感じで僕はまあ論文めんどくせえなと思って制作やってて終わらせたみたいなとこあったりしたけど。
Takaya Deguchi
いいな。僕はもう普通に周り県大学だったんで。
kudakurage
うん。
Takaya Deguchi
全員卒論みたいな感じですけど。
kudakurage
でも論文書いた方が僕は良かったんじゃないかなと思ってるけどね。今となっては。
Takaya Deguchi
いや僕も今となってはあの時なんかいろいろまあ修士も行ってたからそれも含めて論文結構書かされたっていうか書かなきゃいけなかったけど。
うん。
なんかまあ今となってはそのまあ確かに文章批判的なこう批評的な観点とかなんかまあさっき言った話とかまあ確かに身についたなとは思うけど。
当時は全然好きじゃなかったですけどね。
kudakurage
まあね。
Takaya Deguchi
それよりはコード書いてた方がいいなと思ってたけど。
kudakurage
うん。
Takaya Deguchi
大事なのは分かりますね。
kudakurage
まああとなんか1年2年でまあこう美術の歴史とかねグラフィックデザインとかイラストレーションの歴史みたいな授業もあったりするんだけど。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
まあ結構僕昔子供の頃から歴史って別に好きじゃなかったというか。
うん。
むしろなんか嫌い嫌いっていうわけじゃないけどなんかあんまり好きになれない分野でなんでやるんだみたいな。
うん。
まあデザインっていう文脈で言えばまあなんかこうね引き出しが増えるとかなんか意味に深みが出るとかそういうのあるのかなみたいな風に思ってずっと今過ごしてたんだけど。
うん。
結構ねこの例えばそのグラフィックデザインとイラストレーションの歴史を学ぶっていうところの中でなんか確かにそういう側面よくよく考えてみればあるなって思ったところがあって。
何かっていうとそのまあこれ何かまあそもそも授業は何かっていうとなんかこの現代の作家たちの問題意識っていうのを歴史的な文脈で考えることでその時代の精神を形作るデザインの役割を実行するってまあちょっと難しい言葉で言ってんだけど。
うん。
まあ要は何かその背景とかをちゃんと知ってやっていくっていう何かこのやっていくっていう風なことが何で重要かって言ったらそれが自分たちにも当てはまるかもしれないからっていう話なんですけど。
うん。
自分たちが社会的なその文脈の中でまあ普通に今デザインを作ったり表現したりとか作品を生み出したりするっていうことをやるんだけど、それが今の社会まあその歴史の一部なわけじゃないですかそれって。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
その文脈でやってるんだっていうのをこう意識するっていうことが重要なんだっていう話があって。
なんかこの今までの歴史でその作ってきたとか考えてきた人たちもその時代の時のそのまあ今から見たら昔の歴史なんだけど。
その時代の背景があってこういう考え方こういうものを作ったとかっていうのがあるっていうまあそういう関係性があるわけですよね。
うん。
それが今の自分にも当てはまるんだよっていうことをこう考えるっていう上で重要なんだっていう話をしてて。
うん。
そういう考え方をしたことなかったなと思って。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
すごいいいなと思いましたねなんか。
Takaya Deguchi
うん。なるほど。
まあでもこういうのもやっぱ今になれればそこも思うけど、その時にどう思うかというとわかんないですね。
kudakurage
うーん。
Takaya Deguchi
そこまでしか考えられるかっていう。
kudakurage
そう。そうだね。
なんか説明、そういうふうなことをなんかいろいろ説明してたのかもしれないけど、残ってないもんね。
Takaya Deguchi
うん。全く。
資格言語の習得と実践的学習
kudakurage
してたのかな。そういうこと言いながら授業をしてたのかなやっぱり。
なんかでも印象に残ってる授業もあって、なんかこれは何のためにやってるんだっていうのをちゃんと最初にその教授の人が話してくれた。
僕は印象に残ってるやつもあって。
うん。
まあそれはそれでまあ、やっぱり意味があるんだと思ってやってるのがあったから、たぶんすごく学習としては効率が良かったんだろうと思うけどね。
うん。
まあなんかでもその学び方ってまあさっきのその、じゃあこれちゃんと意味があるのかなみたいなのも含めてたぶんそうだと思うんだけど。
うん。
そのやっぱり何かを学ぶっていうのはどうやったら効率よくできるかって言ったらやっぱり主体的であるべきだっていうふうに言ってて。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
まあやっぱり人はこう受動的よりも能動的に学んだ時の方がやっぱり一番成長するんだっていうようなことですよね。
うん。
だからそれに対して教える側っていうふうにはまあどうしたらいいのかっていうのがたぶんあるんだけど。
うん。
それに対してやっぱりそのできるだけその生徒が能動的になれるように没頭できるような課題とか環境を与えるみたいなこと。
でまあたまにその視野を広げるようなガイドする案内役っていうような感じになるべきなのかなっていうふうになんか思いましたけどね。
なんかどうしても教えるってなるとさ、なんかこういろいろなんか伝えるとかさ、なんかどうしても上からみたいな感じになるような気がするんだけど。
うん。
なんかどっちかっていうとその横に伴奏するっていうような感じ。
なんかあの目がその見えない人がさ、マラソンとかする人いるじゃん競技で。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
でなんかそれ目が見えないから隣で一緒に走ってくれる人いるじゃん、なんかあのここ今段差あるからみたいなとか言ってくれる人。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
あれになるべきなのかなっていうふうになんか印象としてはありましたね、なんかその教える側っていうのは。
Takaya Deguchi
うーん、なるほどね。
kudakurage
まあいずれにしてもね、やっぱり主体的にこう学ぶっていうのをいかに作るかっていうのを結構考えてるのかなっていう印象はありましたね、全体を通して。
まあ1年の時はだからまあ最初基礎で、その資格言語をまあとにかく習得していくっていう部分がまあ集中的に必要になってくるんですけど、
まあその資格言語ってまあどういうふうにじゃあ習得していけばいいんだろうっていう部分で。
で、やっぱりまあ最初言ったようにもうとにかく実践しろって、やれっていうようなことを言ってるわけですよね。
まあこれって多分どんなことでも多分同じで、例えばなんか子供の本当に赤ちゃんの頃とかで、徐々に言語を学んでいくっていうのがあるわけじゃないですか。
なんか日本語とか普段の日常会話みたいな部分で。
でもそれもなんか体系的に何かを学んだわけではなくて、日常会話をまあこう母親とかね家族と話してるうちにとかでまあ覚えていくとかさ。
そういうふうになんかできるようになっていくっていうような感じになるわけじゃないですか。
だから結局その資格言語まあいわゆる絵を描いたりとか、それで表現するっていうようなことも同じだっていうようなことで、
まあとにかくまずやってなんとなく肌感覚で覚えていくっていうのがとにかく重要だっていうような最初はね。
一番本当に一番最初は。で、その上でその文法的な部分っていうのを学んで、
絵を描く抵抗感
kudakurage
自分の中で感覚的につかんだコツみたいな部分をその後々体系的な理論で復習みたいな感じで理解していくっていうふうにやると、
多分一番効率が良いっていうような感じ。
だからいきなり理論から入っちゃうんじゃなくて、最初はとりあえず慣れて感覚的につかむ。
で、その次に中級とか上級とかにステップアップするときにようやくこう理論、体系的な部分を学んで、
復習的により構造的に理解していくっていうような感じにすると、多分一番良いんじゃないかっていうことで、
まずはとにかくやっぱり描けっていうようなことを言ってるっていうような感じですね。
Takaya Deguchi
なるほど。
kudakurage
あと真似るっていうのもいいですよっていう感じですね。真似るっていうのも一つ学ぶこととしてあるんじゃないか。
これでよくインターフェースとかでもたまにやってる人いるけど、アプリのインターフェースを真似てとかやるみたいなやつとか。
僕もそれは全然良いと思うけど、真似るっていうのはコピペとは違うと思うので、別に模写してもあんまり意味が動かないと思ってるんで、そんなに。
模写自体に意味があるわけじゃなくて、どうしてそうやってるのかっていうのをやっぱり自分なりで解釈して再構築するっていうのが、
僕は重要だと思ってるので、真似るっていうのはそういう意味だと思うんだよね、多分。
それは自分なりに解釈するから、もしかしたらそれ間違ってるかもしれないんだけど。
でもそれを自分なりに一回解釈してみて、試してみて、検証して、良かったのか悪かったのかみたいなのを繰り返しこうやっていくっていうのが、
最終的に自分の身になっていくみたいなものだと思ってて。
それも多分さっきの言語とかの話と同じで、本当に子供の頃は多分言葉の意味とか分からずに使ってたりとかするかもしれないけど、
それっていうのが自分が使ってみたらなんかあれおかしいみたいなので、これそういう意味で使うものじゃなかったんだって気づいて直していくみたいな。
多分そういうのと同じだと思うんだよね。自分なりに解釈して実践で試して検証して、良かったのか悪かったのかみたいなのを学んでいくみたいな。
それと同じなんで、マネールって言っても単純に模写をするっていうことじゃないっていうふうには思いますね。
あとこの視覚言語っていうのが何で重要なのかっていうのをさっきもちょっと話したけど、概念的なものの理解っていうのを助けるじゃないかみたいな話がちょっとあって、
これはなんか僕もそうだなっていうふうには思ってるんですけど、例えば、あれレグチ君ってソロバンやってた?
Takaya Deguchi
昔やってましたよ。
kudakurage
なんか僕だと、そのいわゆる視則演算、まあ足し算引き算でいいと思いますけど、
僕の中で足し算引き算って、なんか数字とソロバンが合体したようなイメージの動きが僕の頭の中でイメージとして出てくるんですよ。
分かります?なんか。
Takaya Deguchi
なんとなく。
kudakurage
なんかこう、例えば8足す7みたいなものをイメージしたときに、7が8の一部を持ってって、その10の位に上がっていくみたいなイメージ。
Takaya Deguchi
分かる分かる。なんか、5と2みたいな分け方するってことですよね。
kudakurage
なんかでもそれを、なんていうんだろう、5と2になるとかっていうのを考えてるわけじゃなくて、イメージの中で持っていくみたいな。
Takaya Deguchi
10だったら、10の7が埋まってて3が空いてて、そこにはまるみたいな。
kudakurage
そうそうそうそう。で、それって多分結構ソロバンから僕来てんのかなって思うことがあって。
ソロバンって具体的に玉があるじゃないですか。上に5の玉と下に4つ玉があって、8のときは8個玉が真ん中の方に集中してるんだけど、
それを7にするときに玉を弾いて計算していくわけだけど、
それのイメージが自分の中でうまく数字とマッチしてというか、合体して概念的なものになってんのかなっていうふうに思ってて。
多分それって言語的に理解するのってなかなか難しいと思うんだよね。
確かに。
そういう概念的な動きというか、数字の指則演算なんてさ、もう概念じゃないですか、やっぱりどっちかっていうと。
それを理解するにあたって視覚言語っていうのがめちゃくちゃ重要なんだっていうような話をしてるんだと思っていて、
視覚的なイメージっていうのがそういう概念の理解っていうのを助けるっていうような部分がある。
この概念っていうのが多分いっぱいいろんな指則演算だけじゃなくていろんなものがあるから、
それを理解するっていうのも大事だし、それを例えば言語化するとか、アウトプットにするとか、
そのアウトプットを使って他の人と共通の理解を得るための材料にするとかっていうのに使えるようになるから、
視覚言語がすごく重要なんだっていうような話につながるんだけど。
そういうもののために視覚言語をどう学んでいくかっていうのが結構最初の1年生の頃とかにはかなり重点的に学習するっていうことになるってことですね。
それだけじゃなくて、例えばレゴブロック使って何か作ったり直してみたりとかっていうのも、
ある意味その創造と解体のプロセスみたいな部分をソフトウェアとかで言ったらアジャイル的な開発の仕方みたいな部分っていうのを体験的に学んでいくとか、
しかもそれを実際のものとしてその身体的に視覚的にイメージとしてできるようなものとしてやっていくから、
そういうものが理解しやすくなっていくみたいな部分があるかもしれないし。
結構この概念を理解するっていうのが結構他の理解も助けるっていう意味で、
例えばの例でタイポグラフィーか、タイポグラフィー、書体とかを学ぶときにその1つの書体を徹底的に学ぶことで、
他の書体の理解についても簡単にできるようになるっていうようなことがあって、
これ1個の理解みたいなものが進めば、他のものもそれを利用して理解できるようになっていくみたいなことになるっていうのがあるから、
結構そういう意味でも視覚だとか概念みたいなものの理解をどうやっていくかっていうのをコツをつかむみたいな部分っていうのがすごく重要だっていうような部分で、
最初のほうにやるみたいな話が結構面白かったですね。
で、視覚言語っていったら大体絵を描くみたいな話があるわけだから、
大体多くの人が、僕も多少なりともあると思ってることとして、絵が描けないことへの抵抗感みたいなのがやっぱりあるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
これってなんでそうなっちゃうのかっていうのがあると思っていて、大体分解して考えていくと、
たぶん日常的にありすぎてるとか、絵っていうグラフィック見えるもの自体が、世の中にいっぱいある程度いいもののアウトプットがあふれているわけじゃないですか。
だから、自分がこうならなきゃいけないみたいな理想とする姿っていうのを、たぶん自然と高くしすぎてるっていうのがやっぱりあると思うんだよね。
普通にその辺にあるものがこれぐらいできてるんだから、自分もこれぐらい描けないとダメだっていうふうになっちゃうみたいな。
絵を描く才能と学び方
kudakurage
それが結構ハードルを高くして、抵抗感を生んでるようなものになってんじゃないかなって思うんだけど、
例えば、じゃあ絵を描くっていうこと以外で新しく覚えようとか、できるようになろうみたいになったときに、
たぶんそれがすごいマイナーなものだったら、たぶんその感覚ってあんまりないんじゃないかなと思っていて、
それってたぶん対外的な評価基準っていうものがあんまりないから、ある程度うまくいかなくてもそんなに抵抗感がないみたいな、それができないことに対して。
だからそのハードルみたいなものをいかに取っ払うのかみたいな部分が、僕はすごく重要なんじゃないかなと思っていて、
それは自分が学ぶときでも、誰かに教えるときでも。
その辺の話も確か、第3章ぐらいかな。
教師と学生とか、その辺とかにも結構いろいろ書いてあったような気がするけどね、どう向き合うかっていう部分で。
で、よくエンジニアの人とかに、僕は絵の才能がないから描けませんみたいなことを言う人がいるんだけど、
僕はもうそれに対していつも否定していて、絵は才能ではありませんっていうふうに、努力ですっていうふうに言ってんだけど、
いつも納得してもらえないんだけどね、そういうのが。
Takaya Deguchi
そう言われてもっていう感じはありますけどね。
kudakurage
でも、別に絵が特別なものじゃ僕はないと思ってて、やっぱり。
大体のものは才能じゃないんだよね。努力なんだよね。
Takaya Deguchi
まあ、そうだけどっていう感じはあるかな。
kudakurage
で、これは僕の持論でしかないけど、才能っていうものが本当にあるとしたら、
それって感覚的なもの、感じ方みたいなものはある程度先天的なものがあるかもしれないなっていうふうに僕も思ってますね。
いわゆる専門的なやつで言うと共感覚みたいな、音が色で見えるとか色が音で聞こえるとか、そういう感覚の持ち主の人っているんですけど、
そういう共感覚的なものとか、すごいセンシティブな部分っていうのは、もしかしたら才能的な先天的なものがあるかもしれないなって思ってるけど、
まあそれ以外は大体肯定的で努力でなんとかなる部分だろうなっていうふうに思っていて。
効果的な学び方と実感する上達
kudakurage
で、もう一つなんか才能的なものが本当にあるとしたら、僕は究極それをなんか楽しめるかどうかだと思うんだよね。
Takaya Deguchi
なんか、多分だけどその楽しむまでに至るところが才能なんだろうなと思いますけどね。
例えば、サッカーめっちゃ上手くて、幼稚園とか小学校のレベルでは才能あるねっていうので、
最初スタートできたら楽しいなって言って、どんどん努力できて、どんどん上手くなるかもしれないけど、
そもそもそこのスタートラインに立てない人とかもまあたくさんいるわけじゃないですか。
ちょっとやってみたけど全然上手くいかないくて、そもそも努力する気にもならないみたいな。
だから絵とかも大体そうな気がするんですよね。
だから結果論を見たら9割5分努力なのかもしれないけど、最初のその0.5割のスタートライン切れるのがなんか大事な気がしますけどね。
kudakurage
僕はその高天的に獲得するスキルを効果的に学ぶ方法っていうのはやっぱりコツがあると思っていて、
そのコツが結局やっぱり面白がるとか楽しむだと思ってるんだよね。
その面白がるとか楽しむコツっていうのが多分あって、さらにね。
それをつかめれば多分めちゃくちゃ強い人になれると思うんですよ。
多分それが別にもしかしたら勉強的な歴史を学ぶとかっていうことにも当てはまるだろうし、
サッカーが上手くなるとかっていうのは当てはまるかもしれないし、
普通にね、エンジニアリングの行動がもっとよく描けるようになるとかっていうのもあるかもしれないし、
絵が描けるもあるだろうしっていうような。
そのどうやったら面白がれるかとか楽しめるかっていう部分のコツを学ぶのが多分一番手っ取り早いというか、
一番重要な部分なんじゃないかなっていうふうに最近は思ってるっていうような感じですね。
Takaya Deguchi
それは才能っていうんじゃないのかね。
kudakurage
いや、僕はそこは再現性のあるものがあると思ってるんですよ、やっぱり。
Takaya Deguchi
才能って何なんだろうって感じだけど。
kudakurage
僕の中で才能っていうのは先天的なものっていうふうにしてるから、
後天的に手に入れられるものっていうふうに考えれば、
そういうコツっていうのは手に入れられるんじゃないかなっていうふうに思ってるっていう感じですね。
あともう一個効果的に学ぶコツとしては、
上達を実感するみたいなところも、これも面白がるとか楽しむに割と入ってくる部分だと思うけどね。
やっぱり自分の上達が実感できるっていうのは、
自分の学ぼうとする心自体をドライブさせるみたいな部分があると思うので、
その辺がやっぱりできると上達する、何か新しいことをやる、
例えば絵を描けるようになるみたいな部分も上達しやすくなるんじゃないかなっていうふうに思っていて、
学ぶ側としても、誰かに教える側としてもそれを意識する必要性があるのかなっていうふうに思ってるっていうような感じですね。
だから教える側というか、教師側もいかに生徒というかね、
学生たちが楽しめるかとか、面白がってもらえるかっていう部分を意識するっていうのが重要なんじゃないかなっていうふうに思うというかね。
そういう課題だとか環境だとか、そういうものを用意してあげるとか、
何かそういう努力が必要なのかなっていうふうに思ったっていうような感じですね。
最初はそういう基礎的な部分の話から入るんですが、
じゃあそういう何だろう、面白がるとかっていうのも含めて、
何かその創造的な学びの場っていうのをどういうふうに作ればいいんだっていう話が第二章に書かれてるんだけど、
ここは何かね、創造的な思考を生む4つのPっていう何か割と有名な話があるらしいんですけど、
デザインの学びのゴール
kudakurage
その4つのPっていうのがプロジェクト、パッション、ピア、プレイっていう、
プロジェクトは制作課題、適切な課題みたいなことですよね、きっと。
で、パッションは情熱。情熱をもって能動的にできるかっていう部分だと思いますね、主に。
で、ピアっていうのは仲間。仲間がいた方がいいっていうようなカゴですね、簡単に言うと。
で、プレイっていうのは遊び。これも割と面白がるとかに近いような話なのかな。
やっぱりそうしてプロジェクト以外は面白がるとか楽しむみたいなことにつながる部分なのかなっていうふうに思ったけど、
適切な課題っていうのもやっぱり重要な話で、
これって割とレベルデザインに近いような話かなっていうふうに見ていて、読んでいて思ったんですけど、
レベルデザインっていうのはその対象者のレベルに合わせてうまく課題とかそういうものを設定してあげるっていうようなデザインですね。
なのでいきなりすごい難易度の高いものをやってしまうと、学生もやっぱりちょっと難しそうってなって、
しりごみしてしまうとか、なかなかうまくいかないみたいなことになってしまうので、最初にある程度いい感じのレベルに合わせるみたいなことが重要だし、
しかもそれも想像的な学びの場って言ってるので、うまく制限と自由のバランスっていうのを考えるっていうような話があって、
要は正解が決まりきった課題っていうのは想像性が生まれないんで、非常につまらない可能性があると。
なのである程度自分で決めなきゃいけない要素も用意する。
ただそれが何でもいいですよってなっちゃうと要素が多くなりすぎちゃうんで、
ちょっと圧倒されてしまう可能性があるので、ある程度そこを狭めて、最初は狭めてあげるみたいなことが重要だったりするみたいな。
そういうマナーレベルに合わせて制限と自由のバランスっていうのをうまく調整してあげるみたいなことが最初の方は重要ですよっていうような話ですね。
でパッションっていうのは、これも例えば課題の話で言ったら、ある程度間口は広くした方がいいって言ってるんだけど、
要はこれって自分ごと化して課題を取り組めるかっていうような話になってるんじゃないかなと思いますね。
要は自分の関心を持ち込める隙間だとか余白みたいなものがうまく仕組まれてるかっていうような話ですね。
さっきの制限と自由のバランスで言うと、自由の方にどれぐらい余白っていうのがあるのかみたいなところ。
例えばお札紙幣のデザインの課題ですみたいな感じだとして、ある程度紙幣は作らなきゃいけないっていうのは分かるんだけど、
それがニューヨークの美大なんでいろんな国から来てるから、自分の慣れ親しんだ国でやるのか、
それともこの前旅行で行ったところの紙幣について考えてやってみるのかみたいな、
自分ごと化する部分っていうのを用意してあげるみたいな、そういう隙間を。
っていうのをうまく課題に設定してあげると、より能動的に情熱を持って取り組めるっていう部分で学習効率が上がるんじゃないかっていうような話ですね。
ピアっていうのは、これも分かりやすいですよね。仲間がいた方がいいっていうような話なので、
一人でやるより仲間がいた方がいいっていうのは感覚的に分かるとは思うんですけど、
ここで結構面白かったのが、場の多様性みたいなのがあって、
要はさっき言ったように、みんながみんな同じ正解の課題をやっているわけではないので、
それぞれの思う課題っていうのを設定してやっていくわけですよね。
その生徒たちも日本でやったとしても、ある程度なんとなく育った環境っていうのはちょっとずつ違っていて、
それぞれ違う考え方みたいなものを持っていたりするわけだから、
自分とは違う考え方とかアプローチをするっていうクラスメイトを見ること、
その人たちが作った作品とかを見ることでシワが広がったりとか、
もしくはその人たちが作った作品へのフィードバックみたいなものを聞くことで、
それ自体も学びになって、自分の作品だったらこういう部分に当てはまるかもなみたいな部分の
参考になる可能性があるっていう意味で、
単純に一人でやっているよりもやっぱり複数人、仲間とやっていたほうが、
そういう多様性っていう部分で生まれるっていう話があって、
なんかすごく重要な部分ですよっていうようなことですね。
で、なんかここのプラットインスティチュートの特徴としてさっきも言ったように、
いろんな国から集まってきてるっていう背景があるので、
結構面白いなと思ったのが、さっき言ったように共通の文化背景とか、
大体いろんな国から来てるんで持ってないっていうことがほとんどなので、
何かプレゼンするとか説明するときに、
分かりやすく論理的に説明しないと納得してもらえないみたいな背景があるから、
必然的にその説明するっていうことの重要性っていうのが上がっていくっていう背景があるから、
すごくこれはなんか面白いなと思ったっていうところですね、この学校の。
で、しかもみんな英語がめちゃくちゃ得意っていうわけじゃなかったりするから、
第二言語みたいな人が多かったりするから、
分かりやすい単語で率直な意見交換みたいなことをすることが多いみたいなファイルが出て、
そういう部分も確かに面白いなと思った特徴として。
Takaya Deguchi
なるほどね。
なんか僕クックパッドにいたとき、最後の年に、
デンマークのCIDっていうデザインスクールに何数週間いたんですよ。
なんかサマースクール的なやつに行ってたんですけど、会社の出張的な感じで。
で、なんかその時が本当になんか高校生からおじいちゃんまで、
いろんな人がその場にいて、
で、勝つ国もなんか本当バラバラで、
インドやヨーロッパや南米やみたいなところがいっぱい来てて、
で、本当なんかチームワークするっていう授業だったんですけど、
プロタイピング系の授業を取ってて、チームワークすることになったんですけど、
まず全体がもうみんな違いすぎて、なんか全然議論が成り立たないみたいな。
で、一応チーム、僕の一緒になったチームの人が、
映像作家してますみたいな人がいたんですよね、2人ぐらい。
で、なんかもう話せることが、お互い英語苦手だしっていうのもあって、
全然成り立たなくて、最初なんかものを無理矢理作って、
もうこれでいいでしょって感じで発表して終わったっていう、
なんかチームワークって感じじゃなかったんですけど。
やっぱそういうなんか物差しみたいな、
前提の何かこう揃える何かがないと、確かに成り立たなそうとは思います。
kudakurage
共同でやるっていうのはなかなか最初は難しいかもしれないね。
Takaya Deguchi
多様すぎて難しかったですね。
kudakurage
まあある程度時間かければうまくいくかもしれないけど、
多分短時間でやるっていうのはなかなか難しいかもしれないね。
Takaya Deguchi
あとなんか、5人チームで2人ネイティブがいたんですよ。
イギリス人2人入ってたんですけど。
逆にそのイギリス人2人がめっちゃ何ていうのかな、
すごい英語が当然流長だけだから、すごいテンポ早いんですよ。
kudakurage
全然議論の土台が違うっていうか。
Takaya Deguchi
逆にネイティブ2人がいない場だとやりやすかったりするんですけど、
お互い英語苦手な中でやるからね。
kudakurage
それはあるかもしれないね。
なんかこの本でもみんな大体、
ネイティブっていうよりはほとんど第二言語みたいな人が多いっていう意味で、
そういう部分からみんな絆が強くなるみたいな、自然と。
Takaya Deguchi
それはわかる。
kudakurage
っていう話があったりしたんで。
Takaya Deguchi
なぜかその場にいた台湾人とは仲良くなったりとか、そういうのはありますよね。
kudakurage
まあリサーチを発表するとかだったらまだ楽だったかもしれないけどね。
何か作るってなるとまた難しいかもしれないね。
Takaya Deguchi
議論と共同で作るはまずい気がしますね。
一人作業ならまあ。
kudakurage
リサーチとかならね、まだこう事実を記録していくっていうような形になって、
それを最終的にまとめていくっていうような感じだから、
まだやりやすいかもしれないけど、
なかなか新しいものを想像していくってなると難しいかもしれないですね。
Takaya Deguchi
僕まだプロトタイピングだからまだマシだったんですけど、
サービスデザインの方はもっと大変そうでしたね。
kudakurage
確かにね。
それが環境、想像的な学びの場における仲間の役割っていうのはとこですね。
最後にプレイ、遊びっていうのがあって、
まあこれもさっき言ったようにやっぱり面白がある的な文脈の話ですよね、ほぼほぼ。
課題、学生がやってみたいっていうふうに思えるような工夫をどう作るか、
さっき言ったような好奇心、主体性を引き出せるような隙間だとか、
余白を組み込むみたいな話もあるかもしれんし、
そういうのがうまくできなかったら、
自分なりの仮説みたいなものを立てて、
自分なりの正解を考えてもらうっていうような手法として、
単純にお札のデザインするってなったとしても、
もし何々だったらみたいな設定を自分が興味持てるような範囲で考えてもらうみたいなことにしていけば、
ある程度自分ごと化していけるとか、
面白がるっていう要素ができるかもしれない。
例えば、とっぴな発想だけど、もし宇宙で使う紙幣だったらみたいなことを考えたら、
ちょっと面白いかもしれないっていうふうに思えるみたいなね。
でもそういう遊びみたいな部分っていうのが、
学習、何かを学んでいくっていう上で、
主体性を引き出すっていう意味ですごく重要だったりするので、
割とそういう部分っていうのもすごく取り入れる必要性があるよっていうようなところですね。
仲間との共同作業と遊びの要素
kudakurage
あとプロセスを楽しむみたいな部分もやっぱりあると思っていて、
特に学生なんて、別にそれが失敗したからといって、
何かすごく変なことになってしまうとか、
命に関わるみたいなことは絶対ないわけだから、
その辺を楽しんで、
例えばちょっと寄り道してもいいかなっていう部分もあるかなっていうようなことですね。
紙幣のデザインの寄り道っていうとなかなか難しいのかもしれないけど、
なんか紙幣の造幣局に行ってみるとかっていうのもあるのかな。
そういう感じで、
お金っていうものに関する寄り道っていうのを考えて、
そういう場所に行ってみて何か楽しむみたいなことをやってみるっていうのも、
ひとつ何かヒントを得るとか、
新しいことを学ぶっていう上で重要になるかもしれない。
遊びっていう範疇を考えると、
そういうものも重要になるんですよっていうような話でしたね。
だからさっきの創造的な学びの場っていうのは、
大体この4つのPっていうのをうまく意識して、
制限と自由のバランス
kudakurage
環境作りっていうのをしていくとうまくいくんじゃないかっていうような話でしたね。
その次に今、教師と学生っていうのはどう向き合うかみたいな話だと思いますけど、
っていうのがあって、
まあでも大体いったようなことかな。
でもさっき言ってたみたいに専門学校って僕言ってたけど、
そういうふうに感じたのは、
この人が考えてるにこのデザインの学びのゴールっていうのは何かっていうのをこの辺で書いてて、
デザインの学びのゴールっていうのは分かるっていうことだけじゃなくて、
できるようになることだっていうふうに言っている。
まあそれはそうだろうなっていうふうに思うけど、
なんかでも結局そのデザインを通して誰かの役に立てることっていうのが、
最終的に重要なんだっていうふうに書いてるから、考えてるから、
だからそういう意味でもなんかすごく実践的な感じがしたっていう印象があったのかもしれないな。
何だろう、単純に教えるってことを考えてないっていうかさ、
なんか分かんない。大学の頃の記憶だと、
なんか教えられてるっていうような印象はあったんだよね、なんかどうしても。
なんか僕自身も教えてもらいに行ってる、学びに行ってるみたいな感じがあったんだけど、
なんか向き合い方としてもしかしたら違っていたのかもなっていうふうに思っていて、
もうちょっと目標というかゴールっていうのが先にあって、
ちゃんとデザイナーとして誰かの役に立てるっていうことができるようになるっていうのが最終的な目標にあって、
それのためにやっているっていうような設計にしなきゃいけないんじゃないかなっていうような話ですね。
こうやって言うとすごく当たり前なことなんだけど、
なんかそれが本当に大学でできていたのかとか、
誰かを教えるときにできていたのかっていうふうに考えると、
褒めると認める
kudakurage
意外とできてないんじゃないかなっていうふうに思ったっていうようなところですね。
他にも、この辺からもう割とデザインの話じゃなくなっていくんだけど、
褒めるとかね。
褒めるってよく言うし、僕も褒めたほうが基本いいと思ってるんですよ。
でもその褒め方って結構難しいっていう話があって、
この中で書いてたのは、いいところを褒めるよりできるようになったことを褒めたほうがいいっていうふうに言ってましたね。
なんかいいところを見つけて褒めるっていうのは、
なんかその人の身にならない可能性があるからっていうのは、
その人自身がすごく意識してやってない可能性があるからっていうところですね。
それよりも前はできなかったけど、これできるようになってすごいっていうふうに褒めた方が、
その人の成長に繋がるっていうか、
その成長をしたことによって自分が成功体験を掴めたっていうのがすごく自覚的になれるから、
だからそういう意味でも、できるようになったことを褒めたほうがいいっていうふうなことを言ってて、
それは確かに褒めるっていう部分脈で、
僕は単純になんか褒めればいいとか、なんかいい部分があったら見つけて褒めようみたいなことしか考えたことなかったけど、
重要なことなのかなっていうふうに思いましたね。
Takaya Deguchi
うーん、なるほどね。
そもそも大学の先生から褒められるってあんまあんのかな?
ありました。
なんかあんま覚えがないんだけど。
kudakurage
うーん、あんまりないよね。
そもそも。
でも、たまにあったな。
それこそなんか結構厳しめの先生というか、結構なんかすごい先生なんだけど、
これいいねっていうふうに言われたことあった気がする。
Takaya Deguchi
あー、それ好評とかあるから?
kudakurage
そうだね、好評とかもあるから。
Takaya Deguchi
よりないかもしれないですね、普通の大学は。
kudakurage
あー、そうかもね。
Takaya Deguchi
てか、全体的にわかったけど、やっぱ美術系とかデザイン系じゃない大学って、
よりこれとなんか遠い存在というか。
kudakurage
そんな気はするね。
Takaya Deguchi
そもそも制作しないから、よりこう一歩通行なわけですよ、普通は。
学習意欲と成功体験
kudakurage
よりなんか高校の延長線みたいな、大学、学校って感じだよね。
Takaya Deguchi
話聞いてて、どこがこうこれまでとの違いなのか、あんま僕はわかんなかったんだけど、
受けてないからね、自分。
kudakurage
あー、はいはいはい。
Takaya Deguchi
より多分、ほんと児童的ですよ、普通の大学は。
kudakurage
まあそうだよね。
僕も教養科目みたいなのがあってさ、やっぱり。
なんかフランス語通るみたいな、なんかそういうのがあったりしたけど、
まあ普通に高校の英語みたいな、そういう感じだよね。
Takaya Deguchi
だから教える方というかさ、学ぶことみたいな、そういう姿勢っていうのは。
それがたぶん90%じゃないですか。
で、ゼミとか入ったら、まあ多少主体的な部分が出てくるみたいな。
kudakurage
まあそれは確かにそうかも。
Takaya Deguchi
なんか美術、美大がやっぱ、まだ特殊な方なの。
特殊というか、相互インタラクションがある方だなとは思いますけどね。
kudakurage
まあある程度、なんか何かをできるようになるとか、
そのスキル的な部分を磨くっていう部分は似てるとは思うけど、
まあでもそれ以上にやっぱりなんか想像的なものをどう考えるのかとか、
どう作るのかっていうような部分があるから、
そういう意味では結構特殊な部分になると思いますね。
でもなんか最近その褒めるっていうやつに対して、
なんか幼児教育の先生がちょっと言ってたので、
いいなと思ったのは、なんか褒めるより認めた方がいいっていう風に出たんですよね。
で、これはなんか難しいんだけど、褒められるっていうことよりも、
認められるっていう、同じ立場になれるっていうことの方が、
すごく満足感っていうのかな、成長感っていうのを感じられるらしいんですよ。
でもなんかそれは僕も言葉にはできないけど、感覚的にはわかるような気がしていて、
例えば僕が学生の頃に尊敬してたような先生に、
なんかこれすごくいいね、この色いいねみたいな感じで言われるよりは、
認めるってどういう風に言うのかわかんないけど、
認めてもらうようなことを言ってもらった方が、
なんか自分もそれに近づけたっていう感覚が多分すごく生まれると思うんだよね。
なんかその先生に近づけたみたいな感覚っていうのが。
だから褒めるより認めた方がいいっていうのは、
確かにそういう部分があるんじゃないかなっていう風に思ったというか。
Takaya Deguchi
認めるってどういうことなんだろう。
kudakurage
どういうことなんだろうね。
なんかでもこの辺は子どもを子育てとかに多分、
教師の姿勢と報酬
kudakurage
僕らが遠い子育てみたいなことに多分一番近い話なんだろうな。
認めるって発言的にはどういうことなんだろう。
なんて言ってたかな、その時は。
Takaya Deguchi
認める、認めてるぞって伝えるってどういうことなんですかね。
kudakurage
感覚的には、これできるようになったね、すごいねじゃなくて、
やるじゃんみたいなことなんじゃないかな。
Takaya Deguchi
そういうこと?
kudakurage
そうそうそうそう。
なんかあれ、私負けてるかもみたいな、そういう感覚で言ってあげることなんじゃないかな。
自分の立場みたいな部分を同じ位置に持っていってあげるみたいなことじゃないかなと思ったけどね。
褒めるってどうしても上から見下ろしてる感じってあるじゃないですか、なんとなく。
だから、それよりも立場を同じにしてあげるっていうような感覚っていうのが重要なのかなって思ったけどね。
Takaya Deguchi
わかりますけどね。
なんか褒め方って結構むずいじゃないですか。
結構、ピンとずれた褒め方してるとあんま褒められてるけどあんま嬉しくないみたいな。
kudakurage
はいはいはいはい。
まあでも褒める、まあでも幼児教育の先生も褒めるっていうのは難しいからやめたほうがいいって言ってたよ。
褒めないほうがいい。褒めるんじゃなくて認めろって言ってたから、その時は。
Takaya Deguchi
確かに。
なんか、とりあえず褒めてんだな、だけだなみたいなふうに思っちゃったりとか。
kudakurage
まあ、なんかそれも自分ごと化してあげるのがいいのかもね。
自分ごと化っていうのかわかんないけどさ、なんだろう。
表層的に褒めてるっていうよりも普通に本当になんか、嬉しく、嬉しくなって、教師のほうも成長してくれて嬉しいっていう感じを出してあげるみたいなさ。
Takaya Deguchi
その結果がまあ認めるっていうことなのかもね。
kudakurage
うん、なんかそれに近いのかもしれないね。
あと学習意欲的な部分ではやる気の問題とかも書いてあったな。
やる気の問題もいろいろなんか要素があるみたいなこと書いてあったけど。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
まあなんか特筆して言えば、学習性無力感固定思考っていうふうなのがあったんだけど、これは何かっていうと、
まあなんかできないっていうことが続く、まあさっきの絵は描けないみたいなのがずっと続いてると、
自分は例えば才能がないからとか頭が悪いからみたいな感じで勉強しても仕方がないみたいな、みたいな感じになって、
まあこう負のスパイラルに悪循環に陥っていくみたいなことが、
まあそのもうずっとそういうできないみたいなのが固定思考として残ってしまって、まあ負のスパイラルになるみたいなのがあるので、
まあそれをうまく取り除いてあげる必要性があるっていうようなことなんですけど、
まあその取り除き方としては、まあ多分この小さな成功体験を積み重ねるみたいなことなんだろうなみたいな。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
で、結構この小さな成功体験を積み重ねるっていうのも割とデザイン的な手法の一つとして、
まああるような気がしていて、なんかね、あのロールケーキの予算とかもそういうのをうまくアプリの中に組み込むみたいなのが確かあった気がするし、
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
その単純に遠くのゴールだけじゃなくて、ちっちゃいゴールをこう繰り返させる、まあ成功体験を作ることによって、
まあもっと次、もっと次ってやれるようにしていくみたいな話の文脈で確か言ってたような気がするけど、
まあなんか割とそういうのも近い話なのかなっていうふうに思いましたね、そのデザイン的な考え方をすると。
で、それがまあある意味さっきのレベルデザインとかにもなんかつながっていて、
まあなんか案内付きの習得って言ってたんですけど、
まあうまくその成功体験、小さな成功体験のレベルデザインの設計をしてあげることによって、
まあなんかこうね、自分の判断とかやってきたことっていうことにまあ自信をつけることにつながって、
まあ成長をさらにこうさせていくっていうのにつながるみたいな話ですよね。
まあそういうノウハウとしてはまあそういうのがあったりとか、
あとなんか僕これ書いてあったかな、書いてなかったかもしれないけど思ったのは、
そういうなんだろう、自分はこれやってもできないみたいなのをどう打破するかっていう部分で、
なんかこう教師側も同じ人間なわけじゃないですか。
まあだから万能じゃないわけですよ、神様じゃないので。
はいはい。
でもできないことって絶対あるはずなんですよ、教師側もね。
だからそういう教師側も実はダメな部分っていうのがあって、
自分自身もなんかなかなかそれを打破できないんだけど、
こういうふうにやっていってうまく克服していったっていう姿を見せるっていうのも一つの手なのかなっていうふうに思ったというかね。
確かにね。
Takaya Deguchi
なんか僕なんか自分の大学に卒業してから何回かなんか教えに行くというか、
はいはいはい。
一時期1年に1回そういう機会があってやってたんですよ。
kudakurage
そうすると呼んでくれた先生とか、自分のゼミの先生とかと夜飲みに行くことになったんですけど、
Takaya Deguchi
意外に卒業した後の方がなんかそういう話を教えてくれるっていうか、
kudakurage
そういう話?
Takaya Deguchi
その自分がなんていうの、人間なんだなみたいなのがわかってくるっていうか。
kudakurage
はいはいはいはい。
Takaya Deguchi
特になんか印象的だったのが、
呼んでくれた先生がもともとエサ屋とかメーカーにいた人なんですけど、
だけどその時って超バブルの時にそういうところにいたから、
なんか作ったら何でもれるみたいな時代だったらしいんですよ。
だからそのユーザーを見るとか、授業では今教授として言ってるけど、
そんなこと働いてる時は意識したことはなかったみたいな。
なんかこうなかなかこうどう教えていいかわからないみたいな話とかしてたりとかね。
そういうのってわかんないからね。授業を受けてるだけだと。
kudakurage
そうね。なんかどうしても立場的に教師と学生ってなんか極端な言い方かもしれないけど、
なんか神様となんか下々の民みたいなさ、
そこまでいくとちょっと極端かもしれないけど、なんかそういう感じあるじゃないですか。
Takaya Deguchi
大学教授ってだけで偉そうだからね。
kudakurage
偉そうに感じてしまう。
教師側がそういうふうに思ってないかもしれないけどね。
学生からするとなんかそういうふうに見えちゃうみたいな部分であるよね。
Takaya Deguchi
肩書き側ね。偉そうだからね。
kudakurage
まあでもなんかそういうのも、なんかはもしかしたら取り払ってあげた方がいいのかもなって思うし、
まあさっき言ったみたいに、その教師は上からじゃなくてその隣を伴奏する人なんだっていう認識を持ってもらうっていう意味でも、
なんかそういうふうにうまくハードルを下げていくっていう、
教師側のね、自分自身のハードルを下げていくっていうのが、
まあ一つやり方として重要な部分としてあるんじゃないかなっていうふうに思いましたね。
あとこれもなんか幼児教育にかなり近い話の気がしたけど、
なんかやる気を引き出すための交換条件付きの報酬って言ってるんだけど、
これは何かっていうと要はまああれですよね。
なんか今度のテストで100点取ったらご褒美に何か買ってあげるよみたいな、
分かりやすく言ったらね、そういう話ですね。
これはまあ長期的な目線で言ったら良くない、それどころか逆効果だって言ってるんだけど、
なんでかって言ったら、これって環境変化とか条件が変わった時に逆にマイナスに働いてしまう可能性があるってことですね。
要はなんか条件が変わってうまくじゃあご褒美が出せなくなった時に、
ご褒美がないからもうやる気が出ないみたいなことになってしまうっていうようなことですよね。
とか単純に報酬自体がどんどん満足できなくなるからインフレしがちっていう部分とか、
目的がすり替わってしまうので、なんかこう自立性っていう意味では生まれないっていうなんだろう。
学びの目的と評価の考え方
kudakurage
学ぶことが本当の目的なんだけど、いい点数取ることが目的になっちゃうみたいな。
なので基本的にはあんまり良くないんじゃないかっていうような話をしてましたね。
なんかうまくやるんだったら、うまく内発的な動機だとか、自立性を促すようなやり方っていうのを
仕組みとして考えなきゃいけないんだっていうような話をしていて、なかなか難しいとは思うんだけど、
この前の名前デザインで言ってたようなことも一つなのかなっていうふうに思いましたね。
なんだっけ、あの時言ってたの。お風呂掃除のやつだったっけな。
でもなんかそれをお手伝い帳みたいなやつを作ってたんだけど、
それの名前をお手伝い帳じゃなくて、なんか自分が買いたいものがあって、
それを買うための名前にしたみたいな話だったような気がしたけど、
うまくなんかそういう自分ごと化するととか、自立性を促すような、
内発的な動機につながるような仕組みにしてあげるような必要性があるようなことだったような気がするな。
そんな感じで大体この辺は幼児教育みたいな。幼児教育じゃねえ。
リサーチとプロセスの重要性
kudakurage
普通に学び全般ですよね。
どう学ぶかとかそういう姿勢だとかどう教えるかっていうような姿勢向き合い方に関わるような話がほとんどで、
かなりいろいろな部分で納得しましたね。
Takaya Deguchi
結構その辺なんか最近遠同位からなかなかわかんないですね。
kudakurage
幼児避難士みたいな。
Takaya Deguchi
教えるっていう立場に立つことが今思ったらなんか最近全くなくなったなと思って。
kudakurage
それはそうだね。
Takaya Deguchi
大きい会社にいれば行ってそういうのをやんなきゃみたいなのもあったけど。
kudakurage
そうだね。
でも自分が学ぶっていう視点っていう意味でもいろいろ参考になる部分はあるのかなと思いましたけどね。
自分をうまくコントロールするっていう意味ではね。
最後に第4章にさっきの具体的な課題の話があったんだけど、
なんか結構このコミュニケーションデザイン学科なので、
リサーチとかっていうのを結構重点的にちゃんと学ぶみたいなのがカリキュラムでいろいろ組まれていて、
それで具体的な事例としてリサーチアナリシスプロセス、
リサーチして分析してそのプロセスを学ぶみたいな話の講義について細かく書いてあったんだけど、
そこで何やってるのかみたいな話があって、2つぐらいなんか面白い課題みたいなのがあったんですけど、
1個はプロセスブックってやつで、リサーチで最終的に発表とかするかもしれないですけど、
発表自体っていうよりもそのプロセス自体を学ぶことっていうのがこの課題というか事業で主題になっているので、
結果的にできたものとかそういう成果の出来だとか成功失敗っていうのは評価に関係なくて、
その制作過程を詳細に記録したものを提出しているものみたいな、それをプロセスブックって言ってるんだけど、
なんかそういうふうなそっちに意識を向けさせるみたいな、例えば美大とかそういうデザイン学校行ってないと分かんないかもしれないけど、
制作課題みたいなのが出されたりするわけですよ、さっきのお札のデザイン考えろとか、お茶のパッケージのデザインやれみたいなことみたいな感じで。
そういうふうになるとどうしてもとりあえず手を動かすみたいな感じで、いきなりこう作り始めるみたいなことをやってしまいがちだったりするわけですよ。
でもそれって今回の課題としては、リサーチの部分のプロセスを学ぶっていう意味なんで、そうじゃないよねっていうことになっちゃうので、
リサーチとかそれを分析することっていうものに、そのプロセスに注意を向けさせるためにそのプロセスブックを最終的に作るっていうような課題にしてるっていうことですね。
なるほど。
そのうまいやり方だなっていうふうになんとなく思いましたね。
で、それに近しい話でもう一個ニュースキルっていう課題があるんですけど、これもなかなかユニークで面白いなと思ったんですけど、
どういう課題かっていうと、新しいスキルを学んでそのプロセスを発表しなさいっていうような課題で、なかなか面白いですよね。
で、その新しいスキルっていうのは色々人によって解釈があるのかもしれないし、学生によっても色々様々らしいんですけど、
中には自分ができることだけど、さらにもうちょっとその先にある新しいことっていうふうに考える人もいるかもしれないし、
全く自分ができない苦手なことっていうのを新しいスキルって捉える人もいるだろうし、もう誰もできないようなことを新しいスキルっていうふうに捉える人もいるんだけど、
その課題設定自体は別に自分が興味を持てば何でも良くて、
で、どっちかっていうと自分がなかなか到達できない新しいスキルを選んだ方が良いっていうふうには言ってるんだけど、
結果的にそのスキル習得っていうのが上手くいかないとか失敗しちゃっても別に良いわけですよ。
そのどうやって学ぶのかとか、どうやって学んだら良いのかっていうのを考えたり、どう実践するかっていう部分のプロセスに意味があるからっていうことですね。
この授業の作り方結構面白いなっていうふうに思いましたね。
で、結果的にだから失敗する可能性も大いにある可能性はあるわけです。
まあ、課題設定によって。
で、その失敗をするっていう経験作りみたいなのも意識してるっていうようなことを言ってましたね。
やっぱりなんかその失敗するのは良くないみたいな思考ってどうしてもあると思うんですよ。
なんか特に日本の小中高の教育を受けていると。
だけど別に世の中失敗することも全然良いわけで、その失敗しても良くて、そうじゃなくてそのプロセスについて考える、
ちゃんと目を向けるっていうことが重要なんだっていうのを学ぶための課題として設定されているっていうような話だったかな。
これはなかなか面白い課題だなっていうふうに思いましたね。
あとなんか行動学習的な部分を学ぶっていう意味もあるっていうような話があったかな。
その要は何かリサーチするとか分析する、リサーチするってなった時に単純に誰かがやってることを観察するとか、
数値的なものを統計とってリサーチするとかっていうことだけじゃないよっていうようなことですね。
今回で言うと新しいスキルを自分自身が学ばなきゃいけないので、実際に必然的にやらなきゃいけないことになるわけですよ。
実際にやってみて分かることっていうのは実は非常に多いんだっていうような話がしてて、
それをリサーチの兆候として理解するっていうようなことですね、体験的に。
そういう意味合いもあるっていうような話で、結構複合的にデザインの準備段階の部分を学ぶっていう意味で、
なんか面白い課題だなっていうふうに思いましたね。
順位付けの問題
kudakurage
っていうような具体的な課題の事例とかがあったりして、
最終的に評価の話とかもあったかな。
それをどう評価するのかとかっていう話。
評価っていうのは評価が重要っていうよりは振り返ることがすごく重要だっていうふうに言っていて、
これなんかジョン・デュイっていう人が言ってるんだけど、
我々は経験から学ぶのではなくて経験を振り返ることから学ぶ。
さっきのプロセスブックとかもそれを意識してる部分あると思うんですけど、
単純に経験したことだけじゃなくて、
それをさらに反数して自分の中で振り返るっていうことがすごく学びにつながるんだっていうようなことですね。
っていうかこのリサイズFM自体も自分がインプットしたものをアウトプットするっていう振り返るっていうことを意識的に、
意図的にやるような仕組みにしてるわけだから、
そういうような機会にしてるわけだけど、
そういうのをうまくやれるような場作り。
例えば好評会みたいなのがあったりするわけだけど、
そういう評価をするとか、
それだけじゃなくて普通に内政を促す仕組みっていうのを考える必要性があるっていうことですね。
その一つとしてやっぱりプロセスブックみたいなのもあるんじゃないですかね。
なんか自分がやってきたプロセスを発表する。
ニュースキルも同じですよね。
プロセスを発表するっていう話ですから。
なんかでも結構デザイン系、美大系のやつだと、
多分何か製作物作ってとか何か調べて発表するっていう機会が事業として多いんですよね。
結構大体あって。
だからその発表するっていうのは一つの多分デザイナーに求められるスキルでもあるだろうし、
学ぶっていう意味でもすごく重要な部分だろうなっていうふうに思いましたね。
Takaya Deguchi
確かになんかプロセスブックは論文っぽいっすね。
理系の大学でも論文を書くわけだけど、多少プロセスも書くじゃないですか。
で、結果があるっていう。
でも確かに美大とかだと結果が作品として見えるだけだったりするから、
なるほどと思いましたね。
kudakurage
なんかだから評価も多分最終製作物だけで評価しないっていうのは、
なんかこの本にも謎なく書いてあったような気がしていて。
例えばさっきのプロセスブックとかニュースキルみたいな話で言うと、
完全に製作物で評価はしないわけだよね、もう最終製作物では。
結局そこで重要なことって、そこで学ぶべきプロセスが実践できてたとか、
理解できてたかっていうの部分が講義としては重要なので、
Takaya Deguchi
その部分で評価するっていうような評価軸を立てるっていうのが重要だっていうふうに書いてあったかな。
kudakurage
なんかね、どうしても製作物、最終的な作品で良し悪しみたいになっちゃうとさ、
なんかこうセンス的なものは足りないのかなみたいになっちゃいがちなんでね、どうしても感覚として。
Takaya Deguchi
なんか似たようなことあったな。
kudakurage
なんか昔インターンシップの講師やってたときに、
Takaya Deguchi
最終なんかサービスを作るみたいな、1週間ぐらいでそういうのやってたんですけど、
どうしてもなんかビジコンっぽくなることがあったんですよ。
何回かやってて、最初の頃その講師やってた頃でどうしてもそうなっちゃうから、
なるべく最後の方やってたやつはそうならないように、プロセスで評価するようにそういえばしてたなと思ってね。
kudakurage
何を最終的な目標にするか、目的にするかにも多分よるとは思いますけどね。
特にそういう美大みたいな、学校みたいなところで学生に教えるっていう風になったら、
多分ビジコンではもちろんないわけだし、何かを学んでもらうための場所なんで、
それがちゃんと理解できてたかっていう部分で評価するっていうのが重要だっていうような。
Takaya Deguchi
インターンは採用目的でやってるから、一発ネタの面白さよりも、
どっちかとしたらプロセスに再現性があるかみたいなところを見たいわけで。
kudakurage
確かに。そういう考え方ができるのかとか、そういう部分で見る必要性があるかもしれないよね。
確かに。
あと、これは書いてなかったかもしれないけど、多分順位付けしない的なことも大事だなと思っていて。
なんか、わざわざ順位付けしなくても、絶対他人と比べちゃうと思うんだよね、普通に学生って。
Takaya Deguchi
そもそも順位付けをするもんなんですか?
kudakurage
いや、された覚えはないし、ほとんどしないと思うけど、
でも、わざわざ教師側から順位付けする必要性はないんじゃないかなっていうふうに思うっていうかね。
まあでも、なんか高校ぐらいまでとかさ、もしとかもあったしさ、どうしても順位付けってされるものじゃないですか、なんか。
Takaya Deguchi
まあ確かに、偏差値とかね。
kudakurage
で、なんかわざわざその順位順に並びたりするじゃないですか、なんか。
Takaya Deguchi
ああ、確かに。
kudakurage
でも、そんなことしなくてもいいわけですよ、別に。
Takaya Deguchi
確かにね。今思えばなんでされてたんだろうな。
中学とかでもありませんでした?
kudakurage
あったあった。で、なんか高校の時とかも数学の先生が上から順番に配るとかね。
確かに、高校の時それで明確にやる気なくなったかもしれないな。
なんかでも、それはやっぱりあんまり良くないと思うんだよね。
その過度に他人と比べる、まあ教師が比べるみたいなことしなくても、絶対比べちゃうからどうしても。
その学生側が意識しなくても。
だから、それを助長しないようにした方が多分良くて、
できればもうちょっと内省的な、自分がどれくらい成長できてるかっていう部分に目が向けられるようにしてあげるっていうのが多分重要だと思うけどね。
Takaya Deguchi
確かにね。今思えばなんであれやってたんだろうな。今はもうやってないのかな、そういうの。
kudakurage
競争心みたいなことなんじゃないですか、やっぱり。
デザイン教育の課題と考え方
kudakurage
でも競争心って、よくサービスとかのゲーミフィケーションとかいってさ、
なんかそういう順位付けみたいなランキングみたいなの作ったりすることがあるけどさ、
あれって結構モロ派の刃だと僕はずっと思っていて、
ある程度上位の人たちにとってはかなりね、有効に働くかもしれないけど、
なんかね、5万8千位ですみたいに言われたらさ、もうやる気なくなるじゃないですか。
だからモロ派の刃だと思うんだよね、ああいうのって。
Takaya Deguchi
なんか確かに、10位以内の人たちが盛り上がってた印象ではありますね。
kudakurage
だからもうちょっとそういう部分じゃないところに目が向けられるような仕組みにしてあげないといけないとは思うけどね、やっぱり。
究極的には結局だからやっぱり自分の成長とか、どれくらい達成できてるかとかみたいな、
他人との相対的基準よりも自分の中での基準っていうのをうまく持ってやっていくみたいな、
なんだろう、あの前週刊課のみたいな時にもちょっと話したようなことに繋がっていくんじゃないかなって思うけどね。
っていう結構ね、読んでみたら、デザインの教育現場の話ではあるんだけど、
割となんか普遍的なこともいっぱい入ってるみたいな感じだったんで、めちゃくちゃ面白かったんですよ。
なかなか特に出口くんみたいな美大に行ってないような人からしたら、感覚としてつかみづらい部分も多いかもしれないけど。
でも結構得るものは多いような気がしましたね、この本自体で。
何か多分これからも勉強するだとか何かを学ぶっていう機会は少なからずあると思うので、
その時にうまくコツをつかんでやるっていう、一つの方法論としては何か参考になる部分があるんじゃないかなっていう気がしましたね。
Takaya Deguchi
なるほど。
kudakurage
なんかでも僕もちょっとこれ読んで何か教えたくなったもんね。
何か自分が教えるのは何かできないとかおこがましいって思ったけど、何かちょっと自分も教える立場っていうのをやってみたい。
何か教えたいっていうよりも何かそれをうまくデザインしてみたいみたいな、そういう気持ちがちょっと起こったというか。
Takaya Deguchi
もちろん向いてる気がしますけどね。
kudakurage
どうなんだろうね。分かんない。僕はできないと思ってたんだけどずっと。
Takaya Deguchi
僕は何か昔何回かやってみて、もういいかなって思った。
kudakurage
何かでも多分この人もずっと色々と何回か学科が変わったりとかそういうのもあって、色々試しながら色々作ってきてるっていう意味で、
何かうまくその教育、デザイン教育をデザインするみたいな部分っていうのを継続的に考えてきたんだろうなと思って。
僕も何かそういうデザインっていうのもちょっと考えてみたくなったなっていうふうに思いましたね、本を読んで。
Takaya Deguchi
大学の先生とか向いてそうだけど。
kudakurage
いやー、どうなんだろうな。そんな向いてないと思ってるんだけどな、やっぱり。
意外に向いてる気がしますよ。その志向性として。キャラクターとしては分からないけど。
キャラクターとして向いてないと思ってるんだよね。
Takaya Deguchi
でも大学の先生ってそういう人多いじゃないですか。
kudakurage
いや、だからそれがうまくいってない理由なんじゃないかな。
Takaya Deguchi
大学の先生ってそんなキャラクター的にこう、何ていうか、こう人が好きそうな雰囲気を出すとかそういうのあんまりないじゃないですか。
kudakurage
いや、でも何か振り返ってみたら、そういう何かいわゆるステレオタイプなキャラクターじゃない人の方が僕は学生の頃好きだったんだって。
Takaya Deguchi
いや、そうでしょ。
kudakurage
だから僕は向いてないと思ってるんだよ。
デザイン教育の魅力と可能性
Takaya Deguchi
人当たりがすげーよさそうな大学の先生とか見たことないけどね、あんまり。
kudakurage
まあね、僕もだから好きだったの、みんなも多分好きだと思うけど、そのデザイン系っていうよりもアート系だったからね、その先生は。
Takaya Deguchi
あーなるほどね。自分の何か世界観を持ってるような感じってこと?
kudakurage
でも、何かすごいフランクに接してくれて、何かいつもニコニコしてるみたいな。
Takaya Deguchi
はいはいはいはい。
kudakurage
そういう感じだよね。
Takaya Deguchi
確かに。
kudakurage
まあちょっと、なんか引き続きこのデザインの教育について、多分掘り下げて考えてみることになっていくのかなと思って。
最近はでもちょっと面白いなと思って。
まあ単純にその教えるってだけでね、やっぱり自分自身が学ぶことも多いから、何か新しいことを学ぶっていうことも多いから、まあそういうものの参考にもなるような気がするっていうのがあってね。
そういう意味で、まあ面白いなって思って読んでるって感じですね。
まあ何か周りでも何かね、大学で教えてる。
Takaya Deguchi
まあ池田さんとかも、この前ゲストで来てくれた池田さんとかも大学で教えてるとか、まあいろいろ他にもいるからね。
周りにいちらほらいますね、今思ったら。
kudakurage
だからそういう部分のデザインもちょっと考えてみたいなっていうふうに思った本でしたね。
まあちょっと僕は一気に、一気に何かどれくらい読んだろうな。
3、4時間ぐらいでバーって読めちゃったんだけど。
面白すぎて。
まあ試しに何か読んでみると面白いんじゃないかなと思いましたね。
はい、というところでちょっと終わろうかなと思います。
リサイズ編へのご質問やご感想、リクエストなどは、
リサイズ編は毎週金曜日に配信しています。
Spotify、Apple Podcast、YouTube、
なんか最近Google Podcastが終了するっていう話でしたね。
2024年末ぐらいで。
まあ引き続きGoogle Podcastにも配信していきますけど、
多分そのうちサービス終了するんだろうなと思っています。
なので、よかったらチェックしてみてください。
ということで今回はここまで。また次回お会いしましょう。
さよなら。
さよなら。
01:41:36

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