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#153『不登校』ぼくと社会の場所取り合戦
2026-06-01 13:18

#153『不登校』ぼくと社会の場所取り合戦

不登校のことについて、感じたことを置いていくね 台本作らずに話したからちょっと聞きにくいかもしれません BGM拝借元 【BGM】ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(ショパン) https://pocket-se.info/archives/1495/ ポケットサウンド/効果音素材 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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はい、今日のテーマは、不登校ぼくと社会の場所取り合戦ということについてお話ししていきます。
最近、不登校ということが話題に上がっていたので、そのことについて僕が感じたことだったり、思ったことっていうのをお話ししていこうかなというふうに思います。
まず、不登校っていうことに関して、僕が感じたのは率直に、親と子どっちも苦しいよなっていうことなんですけど、
ただここで僕も感じたのは、どっちも苦しい。 子どもも苦しいし、親御さんも苦しい。
ただこれってちょっと苦しさの方向性というか、お互いに見てるものが違うからこそ少し食い違ってしまう部分もあるなっていうのを思ったし、
お互いがお互いの苦しいところっていうのを、どういうふうに発散じゃないけど、外に出していったらいいんだろうっていうのを、難しい部分もあるなっていうのは感じたんですよ。
で、まず僕が、子どもの方から感じた部分としてお話ししていこうかなと思うんですけど、
どうしても勇気がいることだと思うんですよね。僕のすごい感覚になってしまうので、
僕が実際に不登校の当事者だったわけではないので、本当に想像で物を語って、本当に第三者が何言ってんだよみたいな話になるかもしれないですけど、
僕がもし不登校の当事者だったとしたら、周りが敵しかいないなっていう部分はすごい感じるなって思ったんですよね。
誰が僕の味方なんだろうなっていうのはすごい感じるなっていうのを思ったんですよ。
これっていうのも、ある種の僕を取り巻いている社会への一種の反逆っていうことに僕はなるのかなっていうふうに思っていて、
やっぱりどうしても僕の中からすると、親の期待というか、親の気持ちを裏切ってしまったんじゃないかなっていう僕は思いに駆られてしまうなと思って。
学校に行くのが僕の生きる上での仕事じゃないですけど、
まあ第一目標としてというか、もう一種の、もうそれをするのが当たり前だよね。
生きていくんだったら学校に行きなさいみたいな感覚なのかなっていうのを僕は思ったんですよ。
だからこそ、学校に行けない僕に価値なんてあるのかみたいな感覚に陥ってしまうなと思いつつも、
たぶん行けない理由っていうか、もうなんか行けないんですよね。
なんかそれっていうのも、やっぱ学校っていうのは初めての社会というか、
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まあ保育園とか幼稚園っていうのはもちろんあると思うけど、
どうしてもすごい社会性を求められるというか、
なんていうのかな、社会に出る練習をしているとしてもすごい社会性を強いられてしまう部分だなっていうのはすごい感じていて、
まあもちろん、まあいいじゃないからね。どうしてもそういうのは当たり前なんですけど。
だからこそ、僕っていうものを生きていく中で、社会とどう折り合いをつけて生きていかないといけないのかというか、
僕っていうものがまだ確立してないけど、その社会と揉まりながら、人と揉まりながら、
その中で立ち上がってくる僕っていうのを掴んだり、こうじゃないかもとか、
はたまた、どういう自分が好きなのかっていうのも、
その中でどんどんどんどん見つけていったりとか感じていく作業になると思うんですけど、
なんていうか、まあそれが学校っていう社会システムと合わない場合もあるっていうのももちろんあると思うんですよね。
その過程っていうのが、どうしてもその社会と設定を作るってなった時に、
その学校っていう中で、見つけないといけないよっていうのにどうしてもなってしまうので、
まあ、一つの手段しかない中で僕たちは社会性を身につけていかなければいけないっていうのは、
やっぱ難しいなって思ったんですよ、そこっていうのも。
だし、やっぱりその自分がまだ出来上がってないのに、
その社会との距離感とか、社会とどう付き合っていくか、
社会の中で自分を作っていく、自分っていうものを確立していくんだってなっているっていうのって、
あのー、すごい苦しいというか、まあ友達とかいるけど、なんていうか、
うーん、まあ学校だけのシステムだけだとやっぱ難しい部分があるのかなっていうか、
まあ遊びの部分っていうので十分その立ち上がってくる部分だと思うんですけど、
その、ただ、その学校に通いつつっていうのになると、まあ難しさというか、
その、うーん、なんて言えばいいんですかね、
あのー、そうだね。
うーん、なんか自分とどう付き合っていけばいいのかってか分かってないのに、
あのー、急に外に出されて頑張ってきなさいよって言われてもまあ無理な部分もあるなというか、
そういう、まあ子供側からしたら今を生きるっていうのを、今が生きるっていうのを精一杯で体現してるってなると、
今がこんだけ苦しいんだっていうのになっちゃうと、
それは外に出たくないよなっていう感じにもなると思うんですね。
まあ社会との、社会と僕っていうのが自分の中でどういうふうに折り合いをつけていくかというか、
どういうふうに取り組んでいくか、取り込んでいくかっていう、
その難しさはすごいあるなっていうのを感じたんですよね。
だし、やっぱり、なんていうのかな、
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なんか、うーん、その中で周りが敵だらけになっちゃうっていうのはすごい苦しいなって思うんですよね。
そのー、うーん、なんか居場所がないなっていうか、
そのまあ大人だったら、その自分っていうその寄り所が十分できてるっていう部分が大きいなと思うんですけど、
うーん、まあまあ子供の場合はまだそれができてない分、難しさもあるなというか、
だからこそどう自分っていうのをこれから作っていくかというよりかは、
今どう生きていくかっていう部分に焦点が当たるなっていうのはすごい感じたんですよね。
その点やっぱり大人が、大人の難しい点っていうのも、やっぱり子供のことも心配してるけど、
そのやっぱり、今の子供のことを心配してるわけじゃないんですよね、それっていうのは。
そのやっぱり未来のその子を心配してるんですよね。
その、でし、やっぱりその、どう自分も関わっていくなんか、
かかっていかないといけないのかっていう、その、なんていうのかな、
子供自身はやっぱ自分自身の存在としての消失っていうのがすごいテーマにはなってきてるし、
でもその分親御さんたちは、そのじゃあ子供をどういうふうに育てていったらいいんだろうとか、
自分もどう取り、その社会とその関わっていったらいいんだろうっていう、
子供とどう関わっていったらいいんだろうっていうような、
その、いろんな矢印の方向が向くことによってすごいいろんな悩みが複雑化していくし、
いろいろ絡まっていった結果、やっぱ難しさというか、
その親御さんは親御さんなりの苦しさっていうのがすごいなっていうのを感じたんですよね。
だからこそ、その、どうしてもずれてしまう部分があるのかなっていうのがあるんですよね。
その苦しみの、見てる部分が違うというか、
その、もちろんすごい未来を心配する、
だから親、その子供と大人っていう違いかもしれないですね。
大人っていうのは今も生きてるけど未来を生きてる部分もすごいあるなっていうのを感じていて、
その未来こうしていかなきゃいけないっていう、ある程度その先を見ることができるっていう、
今っていう視野教則で生きていないっていうか、
まあ、今っていう視野教則って言い方ちょっとあんまりよろしくないですけど、
その今だけに全別途してないって言えばいいんですかね。
その、今と未来にちょっとずつ欠けるっていう感じができるっていう、
まあすごい、それがその、現代社会を生きていく絵では必要な手段かもしれないけど、
子供っていうのはやっぱり、今を生きている部分がすごく強いので、
今苦しいっていう、今この僕の周りは敵しかいないんだみたいな、
その、やっぱり今なんですよね、子供の場合は。
ただ、親御さんっていうのはそこのちょっと時間軸が生きてる部分が違うっていうのは、
違う苦しみがそこにはあるなっていうのを感じたし、
やっぱりそこが複雑に絡まることにつれて、
やっぱりその第三者の介入っていうのも必要だと思うし、
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その、各々が自分自身と向き合う時間っていうか、
っていうのがすごい重要にもなってくるのかなっていうのを感じたんですよね。
まあだからこそ、その、やっぱりその、なんていうか、
普段学校に行けてる人と学校に行けてない人っていうので、
親御さんもそうだし子供もそうだけど、
やっぱり意見が食い違ってくるっていうのはあると思うんですよね。
まあ意見というか、まあ雰囲気が全然違ってくるっていうのはもちろんあると思うんですよね。
その、やっぱ社会に身を置けてるかどうかとか、
その、それをすべて肯定じゃないけど許す、許さないじゃないけど、
その、ある程度余白が持てるかどうかっていうのはずいぶん違うなっていうのは、
うーん、感じたんですよね。
まあだからこそ、やっぱり、
うーん、まあ難しさがすごいあるなというか、
やっぱり今の、学校のシステムもそうだけど、
やっぱり人が育っていくシステムというか、
人が育っていくにあたっての環境もそうだけど、
やっぱりそこは難しさもあるなと思いつつ、
やっぱり大人は大人側で、じゃあ子供を育てるっていうことに関して、
その、どういうふうに自分っていう部分と折り合いをつけていくかっていう難しさはすごいあるなというか、
その、やっぱり大人の使命というか、大人が子供に何かをするというか、
っていうことに対しては、僕の中ではですけど、その、
答えを与えるという役割じゃないと僕は思っていて、
大人の役割っていうのは、どれだけその問いを渡せたかどうかっていうことだと思うんですよね。
その、無理やり押し付けた答えだけでは、きっと呪いになってしまう部分もあるし、
もちろんその示していかないといけない部分もあると思うんですよ、言葉とか態度とかで。
ただ、その中でその余白が持てる部分は、いかに問いをおけるかどうかっていうのはすごい大切になってくるのかなっていうのを思ったんですよ。
ただ、そんな問いなんて置いてる暇ないよねっていうのはもちろんその通りで、
まあだからこそ、今の社会システムというか、そのまあ学校の中だけで自分っていうものを立たせていくっていうのは、
なかなかに難しさがあるなっていうのを感じたんですよね、不登校に感じる部分としては。
もだし、なんていうか、やっぱりその今と昔っていう、僕が子供の頃とだいぶ多分違うと思うんですよ。
社会的な情勢もそうだけど、やっぱり大人の雰囲気とか、社会の雰囲気とか、学校が求めているものとか、
子供の身近にあるものとか、子供が話を話しに出すものだったりとか、
っていうものっていうのが全然違うっていうのはもちろんあると思うんですよね。
なんか、そこの中でのやっぱり社会としての余白だったり、その大人としての余白っていう部分が、
やっぱり今の部分、今の時代はやっぱり出すのが難しいなっていうのを感じる部分ではあるんですよね。
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だからこそ、やっぱり不登校とか、その延長線上に僕は引きこもりっていう部分もあると思うんですね。
僕は実際にちょっと引きこもり部分っていうのはあると思うんですけど、
だからこそ、社会と僕、社会と自分っていうのの場所取りをどうしていくかっていうか、
どこまで踏み込んだらいいんだろうっていうか、どういうふうに接していったらいいんだろうっていう部分だと思うんですよ。
この社会っていうのはイコールとして多分人とかっていう部分ではあると思うんですけど、
コミュニティとか、そういう社会集団、その人の集団の中でどう自分を生きていくかっていうか、
それっていうのも複雑化してるし、一概にどうこうしていくっていうわけではないですけど、
難しい部分があるなっていうのを感じたという、今日この頃でした。
すいません、今日台本がないのであっちこっち行ったりになってしまったんですけど、
僕が思ったこととか感じたことっていうのを今日は話させていただきました。
ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。
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