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#154「拝む」何の意味があるのか?について思ったこと
2026-06-03 12:05

#154「拝む」何の意味があるのか?について思ったこと

拝むことはきっと日常的に行っていたりして 目に見えないものをみようとすることなのかも 画像拝借元 https://pixabay.com/photos/man-praying-kneel-kneeling-1867390/ BGM拝借元 【BGM】ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(ショパン) https://pocket-se.info/archives/1495/ ポケットサウンド/効果音素材 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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はい、今日のテーマは、「拝む」何の意味があるのかについて思ったことについてお話ししていきます。
あるYouTubeの動画を見ていて気になるコメントがあったので、そのことについて考えたいと思います。そのコメントっていうのが
こちら。 実家に仏壇も神棚もあったけど、病んで苦労して拝むって何の意味があるのかと思ってしまう。
そんなに熱心に拝んでいない人の方が人生うまくいっている。 というコメントがあったんですね。
なるほどなーっていうのを思ったっていうので、そこで今日は拝むということと人生がうまくいっていることについて考えていきたいと思います。
まず一番目の拝むなんですけど、これのことについて、辞書的な意味っていうのをちょっと
読ませていただくんですけど、拝むってその神仏や尊敬する対象に手を合わせたり、頭を下げたり、敬意や祈りを捧げる行為っていうことなんですね。
展示で見るという謙譲語として使われることがあるっていうことなんですけど、この見るっていう謙譲語ってそのありがたく見させていただくって
いうことで、その使用例として 一度拝んでみたいっていうような言い方をしたりするっていう謙譲語で使われてるよね
っていうことなんですけど、じゃあちょっと似てる言葉で祈るとか
拝むっていう違いってどうなのかっていうことなんですけど、さっき言った拝むっていうのはやっぱりその尊い対象に対する
意敬だったり、思わず手を合わせてしまうような感情を伴うこと。 祈るっていうのは神仏などに心願をかけ
悩み事をしたり、頼み事をしたり、救いを求めたりすることっていうことなんですよ。 こういうことを辞書的な意味として挙げてきたんですけど、結局これって
感謝という意味合いがすごく強いのかなって感じたんですよ。 その仏陀に手を合わせるとか、もちろん僕たちは普段いただきますとか
ごちそうさまってする時に僕たちは手を合わせてすることもあると思うんですよ。 感謝する時にも手を合わせることもある。
だから僕がここで思ったのは、その仏陀とか神棚に拝むだけじゃなく、日常的に僕たちは拝むという行為を
行っているっていうことなんですよね。 多分この人の中で拝むって何か神聖的なものに対して拝んでいるっていうか
だから 何ていうのかな
その何か そういったものに対して拝んでいれば人生がうまくいくっていう多分ちょっとした何かが
あったと思うんですよね。 ただ僕たちは拝むっていうことに関しては、生きている人に対しても
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拝むという感謝の形として日常的に拝んでいたりするわけなんですよね。 で
なんていうか今は拝むっていうとその何か大げさな感じに聞こえてしまうかもしれないんですけど
でも多分古くから日本の人たちっていうのは日常生活の中に拝むっていう行為が染み ついていたと思うんですよね。
あのさっき言ってたいただきますご馳走様もそうですけど何か他者に対してありがとうございます という時は手を合わせて目をつぶって本当に感謝をしていたっていう部分もある。
だからこそその僕たちは日常的に拝むっていう行為をしている。 だから僕はこれちょっと極端な言い方かもしれないですけど
拝むって何の意味があるんですかって聞かれたことに対して僕はちょっと じゃあ感謝する意味ありますかって聞いているのと同義なんじゃないかなっていうのを思ってしまったん
ですね僕は。 まあっていうのとまあそういう感謝の意味合いっていう部分も強いと思うんですけど
もう一つ拝むっていうことに対してすごく大切な部分があるなって思ったのは その見えないものを見ようとすることの練習として僕たちは拝むっていうことをして
きたんじゃないのかなっていうのを思ったんですよ その僕たちは日常生活を生きている中でその目でいろいろなものを見ようとするっていうのは
現代的なことだと思うんですよ だけどそのじゃあ僕たちが日常を眠ること以外にの時に目を閉じて何か
手を合わせる行為ってあるだろうかというか まあ眠ってる時は手を合わせないんですけど
まあ起きている覚醒している状態で目を閉じて何かを感じることって普段あるだろうか っていうことなんですよ
まあその瞑想だったりっていうこと 何かスポーツをされている方だったり身体感覚をとても意識なされている方々っていうのは
もしかすると目を閉じて神経というかその体の深部の感覚に 何というか耳を澄ませている部分があると思うんですけど
多くの現代を生きている人たちっていうのはこの起きている間に目を閉じて何かを 感じる瞬間っていうのが
うーんまあ少なくなっているんじゃないかなっていうのを持ったんですよ その
だからこそその拝むっていうのはその練習というかその目に見えないものを感じる 瞬間として
拝むっていう行為があのあるのかなっていうのも持ったんですよ まあそれこそさっきもちょっとかぶっちゃうんですけど
感謝とかっていうのはやっぱり目を閉じてありがとうございますっていうふうに 手を合わせるような拝むような行為だったかもしれないし
今もそうなんですけど例えば幸せっていう行為も何か本当においしいものだったり 何か風邪を感じてみたりとか
なんていうかそういうその目に見えない幸せっていうのを感じる時とか感じてる時 っていうのはきっと目を閉じてしまうっている部分もあると思うんですよね
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本当においしいなーって時は目を閉じてしまっている部分もあるだろうし 何が心地よくてその感じたいなーって時はその目を閉じて感じている部分はあると思うん
ですよ だからその目に見えないものだったり生きていることとか
その他諸々はその目ではなくその目を閉じて感じる行為の一つとして僕たちは拝む という行為があるような気がしたんですよね
その練習というかまあその延長線上っていうよりかはなんていうかその中で拝んでいる っていうような
感じだからこそなんかそういう深く感じる部分として拝むっていう行為があるん じゃないのかなっていうのを感じたんですよね
で話が変わって2番目の そのじゃあ拝んでいない人たちの方が人生うまくいっているような感じがするっていう
のをそのコメントであったと思うんですけど 多分おそらくでこの推察になってしまって大変申し訳ないんですけど
たぶんここで言っている人生がうまくいっている人たちっていうのはきっとその 一般的な幸せを手に入れている方々だと思うんですよね普通に例えば
仕事をして普通に稼ぎがあって普通に家があって 普通に例えば支える人がいたりとか
例えばまあ5月ご家族がいたりするっていうような例えば普通にうまくいっている人 っていうようなそのまあ経済的にもうまくいっているっていう意味なのかなっていうのを
僕は思ったんですよ そのだからそういう人たちは拝んでないからその熱心に拝んでいる人じゃなくてちゃんとそう
いうふうに人生がうまくいっている人の方が多いんじゃないかっていう そのまあご意見だったと思うんですけど
まあその もちろんその
もちろんそうだと思うんですけどただその僕がここで思ったのは その拝んでるから人生がうまくいくとか拝んでないから人生がうまくいかないとかっていう
拝むことってその人生がうまくいくとかいかないとかってもちろん関わってくる部分も あるけどでもなんかそういう部分じゃないんですよね多分僕たちが勝手にその
なんか人生がうまくいくってそういうふうに思っている部分があると思うんですよ だけど
その拝むっていう声はその充足感っていうかそういう満たされてるなっていう感覚に近いと思うん ですよね
だからじゃあ満たされているとか充足感とかってぶっちゃけ多分この人が言っている人生が うまくいってる感っていうのには多分そぐわないんですよね
あのそうだって社会的にっていう多分文面がつくんですよねこの人で言うとその文脈的に その社会的に人生がうまくいっている人たちっていうことだと思うんですよ
だけどこの拝むっていう声はそのまあ社会的な意味ももちろんあるしその感謝っていう 部分はそうだと思うけどそのまあ
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そのなんていうか究極的にというかあの大元を見るとなんか自分が満たされる行為 とかその充足感っていう部分なのかなって思っちゃうんですよ
まあ自己満っていう言い方ちょっとあまり良くない良くないというか まあそうじゃないのかなっていうのも感じますけど
そのまあ拝むっていうのはやっぱり目に見えない行為を行為というかまあ感じる部分だ とは思うので
まあそれで人生がうまくいくっていうのはちょっと社会的にね うまくいくっていうのはまあ確かに考えにくい部分かもしれないけど
ただそれをその行っていくというか本当にその拝んでいくを噛んでいるを噛んでいく 人生っていうのは僕はその社会的に人生がうまくいっている人たちよりは
その すごく味わい深いものになっているんじゃないのかなっていうのを感じたんですよね
その人生がうまくいってる言ってないとかじゃなくてっていうか そのすごい
なんていうのかなうわぁ生まれてきて良かったなみたいなそこまでの多分感覚として 落とし込んでいるんじゃないのかなっていうのを
僕は思ったんですよそのまあ宗教的にとかそういう意味合いじゃなくてっていうか 本当にその
人に対して拝むことができるかというか先祖に対してもそうだし まあ自然に対してもそうだしっていうか何に対してもそういう感謝だったり
何かそういう感じる部分幸せっていうのを感じる部分だったり その目に見えないものを感じることができるっていう人生っていうのは
きっと社会的に人生がうまくいっているっていうよりかは すごい人生としてというかまあ人が生きている上で僕たちが感じることのできる
すごい幸せというか 何ていうか善でもあるし美しい部分でもあると思うしというか
なんかそういった部分につながってくるんじゃないのかなっていうのを持ったんですよ ねだからそのなんていうのかな
人生がうまくいってる言ってないとかそのをがむから人生がうまくいかないとか 行くとかではなく
なんかそこの部分も結局をがむっていうことはどういうことなのか をがむってどういう世界なんだろうかっていう部分だと思うんですよ
これもこの前話したかもしれないけど結局世界をどう見るか そのをがむっていう世界ってどういう世界なんだろうって思ったりとか
どういうふうに自分は世界を作っているんだろうって どうをがむってどういう世界なんだろうどういうをがむって世界を作って言っているんだろう
かっていう なんかそういう部分の話になってくるんじゃないのかなっていうのを
感じたというはい今日この頃でした ここまで聞いてくださりありがとうございます
それじゃあまたね
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