1. 問い×AI×言葉のアトリエラジオ
  2. #256 不登校経験者のわたしが..
2023-12-13 11:54

#256 不登校経験者のわたしができること



#不登校
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63a3d1d47655e00c1c7338cf
00:05
おはようございます。パートタイムはママでキャリ婚受験生、そしてなんちゃって社会保険労務士のかなや なおこです。
本日なんですけれども、若干暗い話になるのかもしれないんですけれども、
ちょっと人から言われてハッとしたことがありましたので、共有していこうかなと思っております。
私、ちらっとね、ブログとかにも書いてはいるんですけれども、
小学校5年生の夏から、小学校の、なんていうのかな、
卒業するまで、不登校だったりとか、ちょっとね、学校に行けてても保健室登校とかしてたんですよね。
不登校になったのは、そうやなぁ、いじめがきっかけだったんですけれども、
もともとね、私、学校っていう場が本当に嫌だったんですよ。
前々回かな、通信生高校の話とか少ししたと思うんですけれども、
その時にもちょっとお話ししたんですが、本当にね、今思えば同じ学年のことを、
同じことを同じ時間にして、自分の意見はなかなか認めてもらえないというか、
おかしいっていうふうに締め出されるっていうのが、本当に窮屈で。
もう私、授業の時はね、まだ良かったんですけど、昼休みとか休憩時間がやってくるのが本当に苦痛でした。
だからね、結構ね、多分浮いてたんでしょうね。本当しんどかったから。
それでも、なんていうのかな、やっぱり小学校の時は不登校だったんですけど、
やっぱり今後、高校とか大学とか行くのであれば、中学校はせめてちゃんと勉強しないといけないと思って、
中学校はね、母の実家の学校に住所を移して、そこの学校に通ってたんですよね。
ただ、なんていうのかな、自分の中では、結構ね、中学校は休みながらもなんとか行けてはいたんですよ。
ただ、すっごく、なんていうのかな、やっぱり今思えば大変だったかな、大変ながら通ってたなって思います。
そう、やっぱり小学校の時にね、人の視線とか怖くて、なんか無視されたらどうしようとかね、
結構その、なんていうのかな、あの時の視線が結構こびりついていて、しばらくの間やっぱり怖かったですね。
うーん、まあ別にその子たちがいたわけじゃないんですけどね。
そんな感じで、中学校通って、高校も、高校は通信生の高校に行ったんですけれども、
03:07
通信生の高校を卒業して、1年間フリーターして、通信生の大学に行って、
7年半、結構そんな人生を歩んではいたんですけれども、
それでね、やっぱりその小学校の結構早い段階で、人間関係につまづいてしまったっていう、自分の中ですごいコンプレックスがあって、
周囲の人とうまくやっていく自信が今でも正直ないんですよ。
うん、まあ今はね、まあないながらも、なんていうのかな、
やっぱり年齢相応のね、ずぶとさも結構育ってはきているので、
まあ別に、あかんかったらあかんかったで、違う場所行けばいいでしょみたいなそんな感じで、結構ね、割り切ることができたので、ずいぶん生きるのが楽になったんですけれども。
そうはね、私20代ぐらいまでって本当にしんどかったんですよね。なんで私は生まれてきたんだろうかとか。
そう、だから本当に、
あの結構ね、あの私早くね、もうこの命なくなればいいのにって、思うことも本当に多くて、本当に生きてるのがすごくしんどかったんですよね。
だから、あまり良くないですけど、
その、まあ自殺未遂もね、何度か経験したことがありますし、
やっぱりもう自分がとても憎くて、自分がすごく嫌いで、あの自傷行為とかもね、それも数えきれないぐらいしてて、
あの結構左腕がね、もう見せられないぐらいキツだらけなんですよ。
っていう話もね、ちょろっとこの間、あの仲のいいキャリコン受験生仲間とね、お話ししてたんですよね。
結構その子は、あの本当傾聴力がかなりあって、ついついね、あの私の過去もベラベラベラベラと話してしまって、でもその人は全然、そのそういう話とかも聞かずに、すごく聞いてくれて。
で、まあ彼女としては、私がそういう風な人生を歩んでるっていうのを、今の私を見て全然思わなかったそうなんですね。
彼女から見れば、私ってすごく自信があって、シャロウ氏持ってて、で、まあ結婚して、今子育てしていて、仕事もしていて。
だから、そんな人生を歩んでたなんて、想像、言われなかったら全然想像しなかったっていう風に言われたんですよね。
で、それと同時に、こう言われたんですよね。
06:00
今不登校で苦しんでいる方たちの、すごいロールモデルみたいな感じですよねって言われたんですよ。
私ね、全然その発想がなくて、いや私はまだまだ本当に発展途上で、もうなんとかね、その外れたレールからもがきながら、今もだんだんだんだん上がっていっている状態なんですよね。
だから全然なんか、ロールモデルって言うほど、そんなすごいどえらいもんじゃ全然ないんですよ。
ないんですけど、なんて言うのかな、今の私を、もし昔の私が見たら、どう感じるのかなとかね、ちょっと最近思うんですよね。
今ってね、やっぱり昔より不登校の子が増えてるって言うとあれなんですけど、ちょっと集団生活に馴染めないなって思った場合の選択肢がね、いろいろ広がっているのかなと思うんですよ。
フリースクールとか、あと通信生の高校とか、あと最近私、スタイフとか、スタイフでは言ってないか、ブログでも書いたんですけれども、
高等、高卒認定試験か、そういうのもあったりとかして、必ずしも通学するだけが道なわけじゃない。いろんな道があるっていうところが結構あると思うんですよ。
ただ私自身も結構ね、あったんですけど、あの、今大人の私から、なんていうのかな、
あの学生の頃の自分を見た時に、いろんな道あるよなって思うんですけど、でもね、その逆にあの頃の自分が大人になっていく世界って、まだまだ全然未知の世界やから、
この、なんていうのかな、普通のルートから外れてしまった場合、ちゃんと私は生活できるんだろうか、生きていけるんだろうか、大丈夫なんだろうかって、めっちゃくちゃ不安だったんですよね。
で、不安やったし、やっぱりそこで私は正直自信がなかったんですよ。
まともに集団生活も送れない私が、社会に出ていけんのか、大丈夫なの?親がいなくても自立できるのかな?って、本当にね、なんかそこで自分のことをすごく卑下してたんですよね。全然自信もなくて。
かといって、やっぱり周りの大人で、なんていうのかな、
うーん、この人は私みたいな道を辿ってたけど、こういうふうに社会に今溶け込んでるとか、社会で頑張って生きてるとか、そういった方って誰もいなかったんですよ。いなくて。
09:08
だから、なんていうのかな、あの生まれてきてくれてよかったよっていうのとか、いてくれてよかったよっていうのって、うちの親しかいなかったんですよね。
それはそうでしょうよって、思うんですよ。だって血繋がってるもんって。
まあそれだけでもね、血繋がってる人から言われるだけでも、今思えばありがたいことなのかもしれないんですけど。
でも、なんかね、うーん、それってやっぱり、憎しんの良し、みて言ってるだけやんな、っていう思いもすごく自分の中で強くて。
なんやろ、私はもしこの親がね、いなくなったら、誰も認めてくれへん、誰も受け入れてくれへんっていう不安がね、すっごくあって。
なんか本当に20代はそんな不安ばっかりでしたね。
だから、もう生きてく気力がなかったし、どう生きたらいいのかわからなかった。
また私はあの刺さるような視線の中に行かないといけないのかとか、とにかく不安だらけだったんですよね。
そうなんですよね。 だからなんでしょうね。
まあ今はね、本当不安がないって言ったら嘘になりますけど、さっき言ったみたいに、ここがわんかったら違うとこに行きゃいいやんとか。
結構そういうふうに本当に思えるからいいんですけど、
その違う世界があるっていうこと自体、やっぱり学生の時私はわからなくて。
なんやろ、今の子がそういう不安を抱えているのかどうかはわからないんですけど、
こういう経験をしたからこそ、私が言えることとかってもしかしたらあるんかなぁ、
ということを、その方から言われた発言で少し感じました。
ということで、なんかね、すごくぼやぼやぼやっとぶらいておりますけれども、
まあ、なんか暗い話はしたけど別に、なんか今それをめちゃくちゃ引きずってるとかそういうわけでは決してないんですよ。
そういうわけではなくて、何か私ができることってないのかなぁと振り返った時に、こんなことがあったなぁ、というちょっとした共有でした。
なんかまとまりのない感じになってしまいましたけれども、ここまでにしようかな。
はい、ということで最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日もご機嫌な一日となりますように、金谷菜穂でした。
いってらっしゃい。
11:54

コメント

スクロール