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はい、今日のテーマは、他者の正解を、そのまま自分の正解にしないこと、聞いた言葉を一旦自分の心に持ち帰る、そんなお持ち帰りの心について今日はお話しします。
先生が言ったこと、本に書いてあったこと、専門家が話していたこと、それを聞いた瞬間に、
それが正解なんだ、って思うことって多分あると思うんです。まあ僕もあるんですけど。
でも、そこで考えとか思考っていうものが終わってしまうと、もしかしたらそれは、他者の正解で生きているということなのかもしれないなと思ったというか。
ただ、疑えとか反論しろという話ではなく、ただ、この人はこう考えてるんだな、そこで一度立ち止まってみる。
そして、じゃあ自分はどう思うんだろう、そうやって心に一度持ち帰ってみる。 テイクアウトというより大事に包んで持ち帰る感じ。
これは僕が内向的な人間だからかもしれませんが、誰かが言ったからこれが正解。
そうやって早く答えを出す世界は、どこか少しだけ寂しく感じることがあります。 正解が出た瞬間に、考えることも感じることも終わってしまうような気がして。
未完成のままの美しさとか、家庭の中にある面白さとか、そういうものが置き去りにされてしまう感じ。
誰かの考えに寄りかかることも、もちろん悪くない。 疲れた時に肩を借りるのは大切です。
でも、眠くなくなったらまた少し自分の足で歩いてみる。
他者の物語に全てを傾けてしまうと、いつの間にか自分の物語との境目がわからなくなってしまうから。
はい、少し補足していきます。 もちろんその人それぞれですね。幸せとか嬉しいとか楽しいとか、感じ方ですね。
そういった考え方とか、好きな景色っていうのももちろん違います。
だからこそ、自分はこれがいいなとか、これはなんだか好きだなとか、そういう自分だけの幸せというか、自分だけの好きっていうのを大切にできる。
思いとか感覚とか感性っていうのを大切にしたいなって僕は思ったりもするんですけど、
だからこそ、絶対的な真理というか、正解っていうものを一つとして決めなくても僕はいいのかなと思ったりするんですよね。
無理に結論を出さないというか、アンサーをすぐに出さないっていうようなクエスチョンとして持ち続けるじゃないですけど、
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そういうのもありなのかなと思って、誰かの意見を聞いて、これ面白いなと思ったら少しつまんでみたりとか、
でもこっちの考えも好きだなと思ったら、また少しつまんでみるというか、
私ってこういうもんだよねとか、これが正解だよねって決めつけてしまうと、
なんかちょっと僕は面白みがないなというか、変わっていく人間としてもっと流動的でいてもいいのかなっていうのは思ったんですよね。
そういう流動的だからこそ、そういう集めたものというか、こういう考えもあるんだなとか、こういう隙もあるんだなっていうのを、
自分の生きる糧というか、人生の畑の肥料にしていくっていう考えでもいいのかなと思って、
だからこそすぐに形にならなくてもいいかなと思うし、ぐちゃぐちゃでも時間がかかってもいいし、どんな形でも自分で耕していくっていう、
っていうことが、なんか自分を生きていくというか、その…
なんていうか、自分の納得した形で生きていられるような気がするんですよね。
だからこそなんかさっきのつまんで、つまんでつまんでというか、なんか自分だけの旗揚げができてて、
なんか正解っていうよりも、そういう考えもあるよねっていうような余白っていうのがある方が、
なんていうか、世界がもっとこう、軽くじゃないですけど、
もっと、なんていうのかな、色鮮やかに見えるような気がするっていうか、そんなことを考えていたっていう今日、はい、この頃でした。
じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
もし今日、誰かの言葉に出会ったら、すぐに正解にしなくていいので、一度だけ心に持ち帰ってみてください。
その中から生まれるものが、きっとあなたの物語になっていきます。
はい、ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。