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はい、今日のテーマは、季節に完成がないように、私たちにも完成はない、完成ではなく完成を生きるお話です。
何かを成し遂げたい、何かを完成させないと、何かにならないと、そんな思いの奥には、どこか見えないゴールのようなものがある気がします。
そこにたどり着けば、安心できる、認められる、満たされる、そんな場所が、どこかにあるような気がして、
でも、本当に完成ってあるのでしょうか? 人って季節や天気みたいだなって僕は思います。
春が、「はい、これで完成です!」って言わないように、晴れた空が、「今日で完成形です!」なんて決めないように、
私たちにも完成というタイミングは、もしかしたらないのかもしれない。 咲いたら終わりではなく、晴れたら完璧でもなく、
移り変わりながら、揺れながら、その都度違う表情を見せる。 それが自然で、それが私たち。
完成させる人生じゃなくて、その時その時に感じる、完成を大切にする生き方。
完成ではなく、完成を愛したい。 そんな風に僕は思いました。
はい、少し補足していきます。 その完成っていう言葉には、どこか安心を僕はくれるなぁと思ったり、
なんかもうやらなくていいんだみたいな、完璧じゃんっていうような、そういう終わりというか、もう評価してくださいっていうような区切りが僕はあるように、
ちょっと思うんですよね。 ただ僕はそれと同時に、
もう終わりなんだっていうような、虚しいというか、
もう終わりでいいんだっていうちょっと、
ポカンって開きちゃうような気もするんですよね。 その
本当に良かったのかなとか、もういいの?みたいな、そういう風な感じというか。
っていうのをちょっと、完成っていうことには、言葉からちょっと連想しちゃうなぁと思ったんですよ。
ただ、その自然とかっていうのは、自分を未完成だって責めたりもしないし、多分完成とか未完成っていう尺度で測らないんですよね。
なんか、雨の日は雨の日とか、晴れの日は晴れの日っていうような、ただそのままあるっていうか、
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その、もしかしたら僕たちもそれでいいのかもしれないなって思ったんですよね。 その、今日の天気は今日でいいし、今日の私は私だし、
今日の季節は今日の季節でいいかっていうような、 もし揺れてるなら揺れてるでもいいし、濡れてるなら濡れたっていいし、
晴れてるなら晴れたっていいっていうような、なんかその瞬間に感じていることをちゃんと感じるっていうような、
それが、その、完成っていうことなのかなと思うし、その完成を生きるっていうことなのかなと思ったりもするんですよ。
その、どうしてもその完成を目指しますってなると、そのやっぱり先に言ってたそのゴールを目指すというか、
未来を見るっていうのは先ばかり見るような気がするんですよね。それももちろん大切なことなんですけど、
その中で、その道端に咲いている花に美しいなって思う部分には、完成を大切にするっていうのもまた、
一興というか、そのゴールに至るまでの深みが出てくるのかなっていうのは思うんですよね。
だから、完成ももちろん大事だし、ゴールっていうのももちろん求めた方がいいっていうのももちろんそうなんですけど、
ただそこに至るまでの感じていることとか、風とか光とか、そこに至るまでの心の揺れっていうのを無視しないで、
優しく抱きしめつつ、そのまま進んでいくっていうような、そんな生き方もきっとあるのかなとも思うんですよね。
だから完成するとかしないとかではないっていうか、僕たちはそこを目指しているわけじゃないっていうか、
完成すれば終わりっていうわけでもないっていうような、そこも循環していくような気もするんですよね。
だからこそ僕たちは変われるし、どう見たっていいっていうような気もするんですよ、その世界とか僕たちっていう部分を。
だから、その時その時でいいのかなとも思うんですよね。
すごい無鉄砲なこと言ってるかもしれないですけど、なんていうのかな。
季節に咲く花を綺麗だと思うことなのかなと思って、
それってゴールとかないじゃないですか。ただ、今は春だから桜が咲くんだなとか、そういう、なんていうのかな。
今だからこそというか、今しかできないことっていうのの積み重ねで、きっと僕たちが思うゴールっていうのに向かっていくのかなというか、
まあでもそのゴールのゴールテープとスタートラインってきっと一緒なんでしょうけどね。
っていうのをちょっと思ったっていう、はい今日このゴールでした。最後に一言言って終わろうと思います。
完成しなくていい、今感じているその完成こそがあなたの季節です。
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はい、今日もここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。