00:05
はい、今日のテーマは、悟りはゴールではなく、めぐるもの、かもしれないというお話をしていきたいと思います。
ちょっと自然な形って何だろうっていうのを考えてたんですけど、 その中で、その悟りましたっていうこともあると思うんですよ。
で、その悟るって何だろうっていうのを考えてて、 なんか、悟ったからもう終わり。あなたはもうずっと悟ってます。
で、僕そんなこと本当にあるんかなーって思っちゃったんですよね。 なんか、人はずっと悟ったままでいられるのかなーっていうか、
違う角度から見たら、悟ってないように見えることもあるかもしれないと思ったんですよ。 なんか、
そう思うと、悟るという状態はあるのかもしれないけど、それはずっと続くものじゃなくて、 この瞬間ふっと訪れるものなのかなーって思ったんですよ。
水が流れるように、季節が移ろうように、 悟りもまた移ろっていくものなのではないかなって。
悟ったり、迷ったり、悟ったり、笑ったり、また怒ったり、悟ったり。 そうやって巡っていくというか、循環していく流れの一つなのかなーと思ったんですよね。
だからこそ、そのゴールなんてないというか、 悟りがゴールなんじゃなくて、悟った状態もあれば、次の瞬間には迷っていることもあるっていうか、
それも含めて巡り巡るというか、 今咲いている花とか、風に揺られている草とか、
例えば木とか鳥さんとか、虫とか、そこにあるし、そこにいる。 私たちも生きてるし死んでいるというか、全部が巡っている。
何を言っているか自分でもちょっとわかんないんですけど、 ただその、
流れの中にいるんだなって思うんですよ。 その言葉にできないけれど、自分の体にそっと触れた時とか、
誰かに触れられた時、今ここにいるなって、 そんな風に感じる瞬間というか、
それが悟りのようなものなのかなーともちょっと思ったりしたというか、 そのどうしてもなんか悟るっていう言葉には、どこが完成とか到達とか、
もうはい終わりーみたいな、 一種のゴールみたいな感覚が僕はあるなと思ったんですよね。
ただその、なんていうのか、自然とかを見ていると、 その完成って言われているものってないのかなって思うんですよ。
その春が来て花が咲いてまた散って、 夏が来たりとか、
03:01
なんか、春は終わって夏が来るみたいな、 それはもちろん終わりとか来ますけど、でもそこに完成ってないじゃないですか。
わー春が完成したーとか、わー夏完成したーとかって言わないじゃないですか。 なんかそういう風に近いのかなというか、その完成という終わりがない、
というかその、ただ流れているっていう感じなのかなと思ったんですよね。 だからその、私たちの心ももしかしたら同じかもしれないし、
穏やかな日もあれば苦しい日とか、ざわつく日とか、 体調が良くない日とかもあるし、もちろん優しくなれる日もあれば、その分余裕がなくなってしまう日ももちろんあると思うんですよね。
で、なんかそういう浮き沈みがあるっていうことを、例えば悟っていないっていう風に、 その切り分けるんじゃなくて、なんていうか、それも含めて、その循環の中にあるっていうか、
そういうゴールなんてないっていうか、 っていうのをちょっと考えたら僕は、
あー、だったらちょっと行きやすいかってちょっと思っちゃったんですよね。 そのなんていうか、悟りを目指さなくてもいいっていうか、
そのなんかゴールを探さなくていい感が出るっていうか、 その今どんな場所に立ってて、
今どんな気持ちがあるのかっていうか、それを感じることっていうか、 そういうこと自体がもしかしたらもう小さな悟りというか、
に近しいのかなともちょっと思ったんですよ。 その体に触れるときとか、呼吸をしているとき、その息の出し入れっていうような、
あー今生きてるなって思うっていうか、そういう素朴な感覚の中に 全てが入っているような気もするというか、
全てというか、完成しない何かっていうか、 そういう悟ったり迷ったりっていう、なんかどっちもあるからこそ僕たちは自然な形、
自然な形というか、自然な姿なのかなっていうか、 っていうのを感じたっていうか、
その、そう、完成はない、ゴールはない。 だからこそ、
巡り巡っていくというか、循環していくのかなーっていうのを思った。 はい、今日この頃でした。
えっと、最後に一言。 ゴールを探さなくていい。ただ今、巡りの中にいることを感じてみましょう。
すいません。今日はここまで聞いてくださりありがとうございます。 それじゃあ、またね。