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はい、今日のテーマは、耕すということ、人生を前に進めるものとしてではなく、ゆっくり耕していくものとして見てみる、そんなお話です。
僕は農業をしているわけでもなく、どちらかといえば消費する側の人間です。
それでも、耕すという言葉を思い浮かべた時、これってそのまま人生みたいだなって思いました。
昔の人たちは、土を触って、季節を感じて、待つことを知っていた。
だからこそ、生きるってどういうことかを、頭じゃなく体で知っていたのかもしれません。
耕すって、土と混ざることのような気がします。
急がないこと、何も起きない日を受け入れること、すぐに実にならなくても、条件を整えながら待つこと、結果を出すことだけが目的じゃない、それって人生にも似ているなと思いました。
成長するとか、鍛えるとか、何かを目指すことも、きっとこの耕すという行為の中に含まれる。
もし、生と死を耕す視点で見るなら、生は芽が出ること、死は土に還ること、終わりじゃなくて次を育てるための養分、
悲しみも、失敗も、喪失も、ちゃんと土に還る場所があれば、毒にならず、次の何かを育てていく、そんな気がしたんです。
ちょっと補足していこうかなっていうふうに思うんですけど、
今の時代でいうとちょっとすごいふんわりしてるんですけど、
どうしても成果だったり価値だったり、意味っていうものをどうしても求めすぎてしまうような、求められてしまうというか、
そういうこと、そういう時だからこそ、今、耕すっていう行為が、とても難しくなっているのかなっていうふうに思いました。
耕すってことには、待つ時間っていうのがもちろん必要で、何もならない時間だったり、無駄に見えることっていうのが必要になってくると思います。
そんなにね、今日植えた花が明日咲いて実になるっていうことはなかなかないと思うので、水をあげる時間だったり、見守る時間っていうのがとても大切になってくると思うんですよね。
以前、僕がお話ししたその余白っていうことととてもよく似ているなという気がしました。
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その余白があふれるから愛があふれる。余白があるから土は柔らかくなる。
なんていうか、そういう急がないことだったり、決めつけないことだったり、また者のだったり、自分の成長を奪わないっていうことだったり、
そういうことで見えてくる自分の弱さだったり、自分っていうものをちゃんと土に戻せるっていうこと、そういったものが大事になってくるのかなと思っていて、
ちゃんと戻ってこられる土っていうのがあって、倒れない一本の木のようなものがある。
そうするとなんていうか、くじけずに、方向性が見失わなくなるような気がするんですよね。
方向性っていうか、生きている意味とかあるのかなっていうことを、それがあるだけで答えを持っているような気がするというか、
もちろん言葉にできる人は言葉にしていただければと思うんですけど、
例えばそういったものを言葉にできなかったとしても、何か心の中で温かいものがあるような、そんな気がするのかなっていうふうに思いました。
だからこそ、人生って完成させるものとかじゃなくて、作り続けるものとかっていうわけでもなくて、
本当にただ耕し続けていくっていうことなのかなっていうふうに思いました。
じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
急がなくていい。今、何も目が出ていなくても大丈夫。
あなたが今日も自分の土を優しく耕しているなら、それで十分です。
どうかその歩みを信じてくださいね。
今日の放送はここまでにしたいと思います。
それじゃ、またね。