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#128未完成を認めることを“幸せ”と呼ぶのかもしれない
2026-04-14 08:15

#128未完成を認めることを“幸せ”と呼ぶのかもしれない

本内容では、人が「足りないもの」を埋めようとする性質から、「未完成であること」の価値に気づいていきます。 空腹や愛情、弱さの克服など、私たちは常に何かを求めながら生きています。 しかし、その満たされない状態こそが、人を動かし、他者とつながるきっかけになっているのではないかと語られます。 もし最初からすべてが満たされていたなら、知ろうとすることも、誰かと関わろうとすることも生まれないかもしれません。 未完成であるからこそ、対話が生まれ、好奇心が芽生え、行動へとつながっていく。 その余白こそが、人間らしさの源なのだと気づかされます。 自分も他者も未完成な存在だと受け入れたとき、世界の見え方はやわらかく変わり、すべてが少しだけ愛おしく感じられる――そんな優しい視点を伝える内容となっています。 画像拝借元 Image by Patrice Audet from Pixabay BGM拝借元 2つのアラベスク第1番/クロード・ドビュッシー 音楽の卵さんから https://ontama-m.com/ongaku_c_piano.html --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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はい、今日のテーマは、未完成を認めることを幸せと呼ぶのかもしれない、ということについてお話ししていきます。
僕たちは、やっぱり足りない足りないっていうことを思うことが多いと思うんですけど、
どうしても人って欠けてるよねっていうふうに思ってしまう部分がどうしてもあると思ってて、
お腹が空いただったり、愛されたいとか、弱い部分を強くしたりとか、
どうしても自分の欠けている部分だったり、ないなって思ってしまう部分っていうのを、
未完成というか、欠けた状態で僕たちはこの世を生きていかなければいけないっていう部分だと思うんですけど、
ちょっとふと思ったのが、ないないって思うけど、
僕たちは未完成の生き物として生きていくことっていうのを、
完成しない生き物だよねっていうのを認めるというか、そうだよね。
僕たちって未完成なんだから、未完成を別に悪く言う必要ないんじゃないかなっていうのを思うというか、
全てがもしかしたら幸せに映るんじゃないかなというのを感じたというか、
完璧とか完成された生き物という人間にもしなったんだとしたら、むしろもう何もしなくていいんじゃないかなって全部知ってるし、
なんなら全部そこにあるしっていうか、だからもう多分完璧だと何もしないのかなっていうか、
だと思っちゃうんですよね。
もしかすると完全完璧な生き物っていうのはその植物のことを僕は言うんじゃないかなと思ってて、
むしろなんかあれが僕たちが求めている完全完璧な状態なんじゃないかなというか、
もうそこに咲くだけでいいというか、そこでただ生きる。
もうなんか本当にそこにはそこに花があるっていうだけというか、だからもしかしたら、
花とか木々が幸せかどうかわからないですけど、ただもしかするとそれが僕たちが言ってる完璧とか完全っていう状態なのかなというか、
なんか、もちろんその花が咲いて散っていくっていうことに関してそれをじゃあ欲望?花が咲きたい?
花がそう欲望として持っているのかっていうこともわかんないですけど、
僕たちがその欠けていることを完璧じゃないっていうことがあるからこそ、なんかその他者を知りたいだったり自分を、
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なんていうのかな、もっとこう、いい風にしたいじゃないですけど、動くっていう動機になるような気がするんですよね。
だからこそ動物はそれがあるからこそ動くっていう部分が僕はあると思うので、
なんかその余白を感じてしまうというか、どうしてもそうなるように設計されているというか、そうなるよね人間っていうのは。
だけど、なんかその未完成であること、その欠けてる部分っていうのを、
じゃあ欠けちゃってるじゃんっていう風に思うのか、そのじゃあ欠けてるけど、
欠けてるのもかっこいいよねみたいな、欠けてるけど未完成のまま生きていくけどこの未完成って余白もあるし、
なんか、その完成しないっていうことが、未完成っていうことかもしかしたら完成なのかもしれないというか、
これもちょっと言葉遊びな部分っていうのは強いかもしれないですけど、
そういう部分というか、そういうなんか未完成には未完成なりの欠けているから、未完成だからこそ動く理由だったり何かするっていう、
僕たちが人間であるっていう証明にもなっているのかなというか、
なんかその欠けている部分が人間らしさになってくるんじゃないかなと思っててるんですよね。
それが人間の味というか、人間臭さでもあると思うし、
その人間がいいねって思うような、そういう人間の部分っていうのはそういう欠けてる部分とか未完成な部分からかもし出てくるんじゃないかなというか、
だからこそ別にAIと人間を区別したいわけじゃないですけど、もちろん別ではあるし別ではないっていうことも言えると思うんですけど、
だけどその、やっぱりその欠けてる部分っていうのがやっぱり僕たちはAIと違う部分なのかなと思うんですよね。
もちろんAIが欠けてないのかって言われたらそうではないと思うし、もちろんその人間に比べたらない部分っていうのはもちろんあるけど、
多分AIは欠けてるっていうふうには思わないと思うんですけど、僕は。
人間がその欠けちゃってるな未完成だなって思う部分っていうのは、僕はそれが人間が人間である理由というか、人間が人間だなって思っている部分なんじゃないかなと思ってて、
だからこそこの人間が人間だよねって思っている欠けてしまっている部分とか、未完成だよねって思っている部分っていうのが、
そこをどう思うかによって自分が、自分がというか人が幸せで生きていけるかどうかとか、自分が自分自身で生きていけるかどうかっていう前を向いて生きていけるかどうか、
そういう希望を持って生きていけるかどうかっていうことになるんじゃないかなっていうか、ただそのじゃあ未完成をじゃあ認めようっていうのが、
その不完全だよねっていうのを、その、じゃあ受け止めていきましょうっていうのも結構人によってというか、その段階によってもちろん難しい場面もあるし、
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言葉で言うのは簡単っていうのはもちろんあると思うんですよね。なんかその体、体感覚として、分かる、分かるというかな体感覚としてその、
不に落ちるっていうか、未完成のままでもいいんじゃんっていう、別に完成とかしなくていいんじゃんっていう、最高じゃん今のままでっていうような、
言い換えるとやっぱタルを知るっていう風にはなるのかもしれないですけど、なんか、その、
なんていうのかな、やっぱ未完成の欠けがあるからこそ間が生まれるっていうか、その間があるじゃないですか、欠ける部分だと。
未完成だと間が生まれないと思うんですよね。だってもう完璧だったら何もしなくてもいいし、何でも知ってるし、丸のままでずっといればいいじゃんって話だけなんで、
欠けてるからこそその欠けてる部分の間を生きる僕たちっていうこそが、やっぱ人間が人間として生きていることだと思うし、
人間が未完成な生き物なんだっていう風に思うことというか、完成も未完成もないですけど、なんかどうしてもその精神的な面だとどうしても未完成というか、
欠けちゃってるよね僕たちっていう風に、どうしても満たされないものを何かで埋めようとするとは思うんですけど、
そこがより人間らしいなっていう部分では僕はあると思うので、なんかその埋めたいけど埋まらないっていうそういうもどかしさとか、
なんかもどかしいけどそういう埋めようとするけど埋まんないっていう行為でも頑張っていこうっていうその動くっていうこと自体が僕は愛おしいと思うしっていうか、
だからこそなんかそういう未完成な生き物なんだ、だけど完成もしないけど未完成として生きていく僕たちっていうのは、
それをもしかしたら認めるというか受け止めた瞬間に自分も他者も幸せだよねっていうか、
あの僕たちはそれを幸せと呼んでいるんじゃないかなっていう風に思ったという、はい今日この頃でした。
ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。
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