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#158 生きろ!より“ただいな”
2026-06-13 03:28

#158 生きろ!より“ただいな”

ただいればいい ただいな それだけで言葉なんていらない そこにいていい それを生きるといいたい 少し傲慢かもしれないけど 画像拝借元 https://pixabay.com/photos/cat-happy-bench-school-metu-4610492/ BGM拝借元 【BGM】ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(ショパン) https://pocket-se.info/archives/1495/ ポケットサウンド/効果音素材 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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00:05
はい、今日のテーマは、生きろよりただいなということについてお話ししていきます。
これはまあ個人的な感想を述べておくので、あしからず。
僕は、その生きろと言われると、なんだか時々重く感じるのは僕だけでしょうか。
この生きるというのは、すごく時間軸が過去とか思い出だったり、今生きているということだったり、
未来という時間軸がすごい長い分、なんだか足取りがすごく重くなることがたまにあるなっていうのをちょっと思っていて、
その歩いてきた道だったり、今の足元、そしてまあ先の未来という蜃気楼のように見える先の景色、
これらすべてを生きろという言葉には肯定して生きていけというような、何かまあ脅迫的なものを僕は感じるんですよね。
だし、この生きろには、この無理やり首輪を引かれているような、なんか生きるんだよっていうような、
あの引かれているような感覚が僕にはあるんですよね。 だけど生きること自体っていうものを強制されてしまうと、
僕たちにの、僕たち、私たちに残るものっていうのは、 まあ果たして何があるんだろうかというか、
っていうのを僕は感じてしまったんですよね。 じゃあ前置きはここまでにして、じゃあこの生きろというより、
ただいなっていう、ただそこにいなっていう言葉の方が、 まあ僕はいいのかなっていうのを思ったんですよね。
そのただそこにいるだけでいいというか、 ただそこにいればいいっていうか、そういうベンチに、
あの猫と一緒に座っているように、 生きられないのかなっていうのをちょっと思っていて、
その猫と僕の関係性にきっと名前なんていらないんですよね。 でそんな中で、
一緒に過ごす時間っていうのは、僕はとても心地がいいなって思うし、 ただいるだけでいいんだなっていうか、
生きるというより、ただそこにあるだけ。 まあこれもね、生きるということなのかもしれないけど、
なんだかその生きる、生きろという言葉には、 歩いていかないといけないような、そういう
強制力があるなというか、 だからこそただいる、ただいな、ただそこにいればいいっていうのは、
その、まあそういう歩いていかなければいけないっていう強制力がないなっていうふうに思うし、
だからこそ今苦しい人だったり、今生きるのが苦しい人っていうのも、 例えばじゃあただベンチに座って、ただいればいい。
03:03
ただそれだけでいい。 生きている。
歩かない。 歩かなければいけない。
歩かないっていうことも、生きるというふうに僕は呼んでいきたいなっていうふうに思ったという、
はい、今日この頃でした。 ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。
03:28

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