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はい。今日のテーマは、澄むという生き方。楽しいことを追い続けるでもなく、紅葉し続けるでもない、ただ、澄んで生きるという在り方について、今日は少しお話しします。
僕の生き方は、みんなが言うような、楽しいことをずっと、とか、好きなことをずっと、みたいな、ずっと沸騰している感覚とは少し違うのかもしれません。
僕は多分、澄むという生き方をしている。濁らないこと、透き通っていること、瞑想したり、ジャーナリングを書いたり、
掃除をしたり、ノートに投稿したり、ここでお話をしたり、夜に日記を書いたり、それらは全部、自分の中が濁らないように、外に出したり、静かに入れたりする時間、
自分という存在を、一つの通路のようにして、流れを止めずに、循環させること。それが僕にとっての喜びであり、幸せなのかもしれません。
だから、僕の好きは、朝のお茶が美味しいとか、朝日が綺麗だなぁとか、日溜まりが気持ちいいなぁとか、鳥が飛んでいるなぁとか、
気持ちが跳ね上がるようなものじゃなくて、無理が発生しないこと、つまらないこと、川の流れのようにただ、澄んで流れていくこと、それが僕の生き方で、幸せの形なのかもしれません。
少し補足していければと思うんですけど、楽しいとか好きとかって、とても大切な感覚だなとも思うんですけど、
みんながみんな、それを指標に生きなくても、僕はいいのかなってちょっと思ったんですよね。
僕自身がそうだからっていうのはあるんですけど、僕の生き方で、もちろん楽しいとか好きだなっていうことももちろんあると思うんですけど、
それだけを僕は求めていないんだなっていうか、ずっとそうでなきゃいけなくないんだなっていうようなことというか、
ただずっと感じ続けなきゃいけないって思った瞬間に、僕はちょっと苦しいなって思ったんですよね。
楽しいとか好きっていうことを、人生の指針というか、人生の中心に僕は添えてない、添えすぎるというか、それだけになってしまうと僕はちょっと苦しいなって思ったんですよね。
僕にとっての幸せって、歯磨きをするみたいな感覚に近いなってちょっと思ってて、特別に楽しいから歯磨きしてる人っているんですかね。
僕はちょっとお会いしたことがないんですけど、やらないと落ち着かないっていうのはあって、ただやるとちゃんと整うというか、
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済むっていう感覚って感情をなくすとか流しすぎるとかってわけじゃなくて、抱え込みすぎないことっていうことなのかなと思うんですよ。
余計なものをため込まないというか、濁らないように循環させていくような、ちゃんと流していくっていうことなのかなと思ったんですよね。
だからこそこの思いというか考えているのを分かってほしいとか、これがお勧めだよっていうことをここで言いたいわけじゃなくて、
そういう選択というか、そういう人生もあるんだなっていうのを、ただ一つの選択肢として置いていけたらいいなっていうふうに僕は思ったんですよ。
もちろん楽しいとか嬉しいとかで生きられる人は、それすごい楽しいことだと思うんですけど、
僕にとっての幸せがあるように多分皆さんにとっての幸せが多分あると思うので、自分がしっくりくるような幸せというか感覚っていうのが、
僕にとってはこういうことだったんだなっていうことを今日はお話しできればなと思いました。
毎日沸騰しなくても、住んでればちゃんと生きれているというか、僕はそんな生き方でもいいのかなって思ったっていう。
今日この頃でした。最後に一言言って終わろうと思います。
住んでいるということは地味かもしれないけど、とても強くて優しいことだと思います。
今日もあなたの流れが静かに住んでいますように。
今日の放送はここまでにしたいと思います。それじゃあまたね。