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#96自分、自我がないと言われても‐“世界がついたやさしい嘘
2026-03-08 08:34

#96自分、自我がないと言われても‐“世界がついたやさしい嘘

「自我はない」 そんな言葉を聞くと、 どこか戸惑ってしまうことがあります。 たしかに究極では “固定された私”は存在しないのかもしれない。 でも今ここに、 「私がいる」という感覚は たしかにある。 それはもしかしたら、 世界がそっと用意してくれた やさしい仮の物語なのかもしれません。 子どもにとっての サンタさんのように。 すぐに否定するのではなく、 一度信じてみる。 ちゃんと持って、 ちゃんと悩んで、 ちゃんと生きてみる。 そしてある日、 自然にほどける瞬間が来たら、 そのとき理解すればいい。 この回は、 “私”を急いで手放さなくていいという話。 成長の途中にいる 自分をやさしく認める、 そんな時間です。 画像拝借元 Image by Ralf Ruppert from Pixabay https://pixabay.com/photos/santa-claus-nicholas-snow-gifts-9247511/ BGM拝借元 ベルガマスク組曲 第3曲 「月の光」 BGM:Kamatamago (https://kamatamago.com) --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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00:05
はい、今日のテーマは、自分、自我がないと言われても‐‐世界がついたやさしい嘘っていうことについてお話していこうと思います。
自分とか自我はない。そんなものどこにもない。
うーん、多分そうなんだと思う。でも、それって子供にいきなり、サンタなんていないよって言うのと少し似ている気がする。
子供にとっては、サンタさんはいる。
プレゼントを楽しみにしていて、信じて、心が温かくなる存在。
それを、本当はいないって急に言われても、僕はうまく受け取れないなって思っちゃった。
自分とか自我とかも、それに似ている気がする。
もしかしたら、究極的にはないのかもしれない。
でも、まずいるよね。あるよね。
ここに、私って感覚、あるよね。
嘘かもしれないけど、まず持ってみる。
ここにいてくれる存在として、一度、信じてみる。
それをすっ飛ばして、ないから手放そうって言われても、なかなか難しい。
人生のプロからしたら、簡単なことなのかもしれない。
でも僕はまだ、人生アマチュア部。
もう少し、時間がかかりそう。
だから、いきなり信じて手放すよりも、
嘘かもしれないけど、あるかも。
いるよねって、一回持ってみる。
そしてある日、ふと、
ああ、自分とか自我ってないんだ。
固定されたものじゃないんだなって、
気づけたら、それでいいのかなって思った。
世界の答えをいきなり聞かされると、少し反応に困る。
せっかく世界が優しくついてくれた嘘なら、
僕たちは成長しながら、ゆっくり確かめていけばいい。
嘘だと分かったとき、ちゃんと体感すればいい。
今はまだ、その嘘を信じる段階なだけ。
それだけのことなのかもしれない。
少し補足していきます。
自分とかないとか、自我は幻想だって、
哲学とか宗教でよく言われていることだと思うんですけど、
確かにそうなんだと思います。
そうなんだと思う。
深く見ていくと、もちろん固定されたというか、
絶対的な私なんてものは見つからないし、
もちろんないんですよね。
ただ、いきなりそれを伝えるのと、
いきなり答えはこれですって、
言うのはちょっと違うのかなと思ったんですよね。
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もちろん人には段階がありますし、
心とか体にも成長の段階があるプロセスもあると思います。
だからこそ、まずは私をしっかり立てるというか、
自分を構成するというか、
自分をまず持ってみるというか、
自分でこういうことがあるんだというか、
私ってこういう私なんだっていうのをしっかり立てる。
そこをまず、私を立てた後に、
私を超えるっていうことだと思うんですよね。
だからまずそれがないとできないことだと僕は思うんですよね。
サンタさんの話も上で挙げたと思うんですけど、
信じる時期っていうものがあったからこそ、
後で自分の力で、
そういうことだったんだってサンタさんのことを理解できると思うんですよね。
もちろんサンタさんが本当にいる、いないの問題ではなくてっていうか、
そこが問題ではないというか、
なんていうのかな。
無理やりその真理を押し付けられてしまうと、
ただ混乱するだけのような気がするんですよ。
そこに例えば物語だったり、
中和剤というか、
ただその言葉だけだと、
なんていうのかな。
トゲがありすぎるというか、
なんていうのかな。
それだと、なんだろう。
なんかそれだとちょっと難しい、
人に響かない部分がもしかしたらあるのかもしれないなと思ったんですよ。
響かないというか、
多分それっていうのも、
目に見えないものとか、
そういう自分とか自我がないっていうのを理解するのって、
本当に自分が体感しないとダメなんですよね。
知識として分かってるじゃなくて。
そういうことだったんだっていうか、
腹に落ちるっていうか、
本当に自分自身の深くまで刻み込まれないと、
多分分かんないんですよね。
だからこそその答えだけ教えられても意味がない。
意味がないというよりかは、
それだけだと多分分からないんですよね。
だから、
世界がつく嘘というか、
一回あるよねっていう、
その幻想を引き受けるというか、
それもあるよねっていう段階もあるんだと思うんですよね。
だからこそ自我とか自分とかっていうのは、
多分世界がついた嘘なのかもしれないけど、
そういう嘘というか、
幻想っていうものは悪意のある、
そういうものじゃないと思うんですよね。
なんていうか、
落とし入れてやろうとかじゃなくて、
成長するまでの優しい足場というか、
土台っていうか、
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構成するものであると思うんですよね。
だからこそ、
そういう土台っていうのを否定しなくてもいいと思うし、
今私っていう感覚があるなら、
それをちゃんと踏みしめながらというか、
かみしめながらというか、
うまく使っていいと思うんですよね。
それを私が私をというか、
喜んだり迷ったりとか、
悲しいこともあると思うけど、
でもその中で、
私って思ってたものっていうか、
思ってたほど固定されてないんだなっていうか、
固くないなというか、
もう少し柔らかいものとしてそこにあるんだなっていうような、
自然に気づく日が来るような気がするんですよね。
だからこそ無理やり、
答えを教えるとか答えを取り入れるんじゃなくて、
ぶっ壊すとかではなく、
自分にちょっとずつ入れていくような、
世界がついた嘘を解いていくような感覚、
自分で一歩ずつ歩いていくような感覚っていうのを、
持った時にそういったことを、
体感すればいいのかなと思ったんですよね。
だからこそ急がなくていいっていうか、
人生のプロに言われたことを、
分かんなくて当たり前なような気がしたんですよね。
僕は人生アマチュア部として、
全然ありだなと思ったんですよ。
全然良い悪いじゃないけど、
いきなり答えを提示されて、
そうなんだって納得できる方が少ないような気がしたんですよね。
だから自分のペースで進んでいっても、
進んでいって欲しいなっていうか、
いつかそういうことだったんだって、
分かる時が来るなら、
むしろそれはそれでいいのかなっていうか、
自分が進みたいように進んでいくっていうのが、
いいのかなっていうのを思った。
今日この頃でした。
最後に一言言って終わろうと思います。
世界の答えを急いで受け取らなくていい。
今信じている私を、
優しく抱えながらゆっくり、
確かめていけばいいんです。
今日もここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。
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