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はい、今日のテーマは、眼鏡をかけたくなかった。 世界を、見たくなかった。
見えないまま生きていた、あの頃の自分についてのお話です。 僕は小学校2年生の頃から目が悪くなりました。
原因は多分ゲームのやりすぎ、そう言われていました。 でも、目が悪くなってからも、僕はずっと眼鏡をかけませんでした。
さすがに黒板が見えなくなって、中学2年生の時、 眼鏡屋さんに行ったら、笑われたことを覚えています。
この視力で、裸眼で生活してたんですか?って。 視力はD判定、0.1しか見えていなかったのに、僕は裸眼で暮らしていました。
夜の自転車では、人にぶつかりそうになることも何度もありました。 それでも、なぜあんなに固くなり眼鏡をかけたくなかったのか。
今思うと、多分僕は、世界を見たくなかったんだと思います。 人の視線を感じたくなかった。
他者をはっきり認識したくなかった。 見えていないから、僕の世界には存在していない。
そんなふうに、自分を守っていたのかもしれません。 みんなが見ている世界を、あえて見ないことで、曖昧なままでいようとしていた。
自分の内側に潜っていたかったんだと思います。 少し補足していこうと思うんですけど、
今振り返ると、今もそうですけど、
本当に必死だったんだなっていうか、
本当に僕が見ている世界っていうもので、 生きていくのって相当
しんどかったんだなっていうのをちょっと感じました。 実際のその当時の僕が、
どう感じていたかどうかっていうのは、 今の僕には想像しかできないですけど、
なんか、 世界がすごい刺激が強くて、その人との距離も近くて、
なんていうか、あの頃の僕は、 その世界とか周りから出てくる情報とか、刺激っていうものに対して、
その心が追いついていなかったんだなっていうのをすごい感じてました。
たぶん。 なんかだからこそ、ぼやけた世界っていうのを僕は選んでいたのかなっていうふうに思ったんですよ。
はっきり見えない世界なら自分もはっきりしなくて済むっていうか、
明確にこうだよねっていう決めつける必要性がないというか、
でもたぶんこれって弱さじゃなくて、その生き延びるための知恵だったんだなっていうか、
その自分を守っていたんだなっていう感覚はちょっと今あって、 そのもしあの頃無理に眼鏡をかけて、
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その全部を見ていたら、たぶん体も心も持たなかったんじゃないかなーってちょっと思ったんですよね。
たぶんその… なんていうんですかね。
たぶんあの当時の僕にとっては多感すぎちゃったのかもしれないですね。
多感すぎちゃったっていうのはその… なんていうんですかね。
なんだろうね。 なんか多分制御できてなかったんだなっていうふうに思います。
まあ今もできてないですけど、でもなんか今ならちょっとフィルターをかけられるっていう感じではあるので、
そのままぶつかる必要性がないような感じもするんですよね。
だからこそなんか、眼鏡をかけなかったことっていうのを、もちろん物理的にすごい危ない、危なかったですけど、
なんかそれでも自分を守ってくれてた選択だったのかなーって今思うと思うんですよね。
だからこそその… あの頃の自分にありがとうって言いたくもなるなーと思って、
ただ今は眼鏡をかけてその世界を見ることができているというか、
なんか、今はそうなんですよね。やっぱ見えるようにっていうか多分、
眼鏡をかけて世界を見ても大丈夫なようになったってことなんですよね。多分これって。
なんか、自分を多分作っていく過程で、
全部を見て、自分の中に蓄えて、自分というものを育てていくっていうのが多分僕の中では耐えきれなかったんだなっていうのを感じていて、
だからこそなんか今は、その… 自分っていうものはないですけど、
折れない木っていうのをあらかじめ置いておいて、外を見ることができるっていう、
ブレないものがあるっていうのを、
ちょっとあるからこそ見られるようになったのかなっていうのは思いましたね。
ただなんか、たまにはその眼鏡を外して、
あのー、なんて言うんですかね、自分の見えている世界とか思いっていうのを、
その、溶かして、世界と一緒になるっていうか、
あの、崩していくのも悪くないのかなっていうふうに思った今日この頃でした。
はい。じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
見えなかった時間も、あなたを守るための大切な時間でした。
今、見られるようになった世界も、無理のない距離で優しく眺めていきましょうね。
はい。今日の放送はここまでにしたいと思います。それじゃあ、またね。