1. レイ・イナモト「世界のクリエイティブ思考」
  2. #080 注目のクリエイティブ「..
2024-06-04 47:59

#080 注目のクリエイティブ「インスピレーションと盗作の境界線」

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第80回は、Tokyo Art Beatの共同創設者でアートコンサルタントの藤高晃右さんがゲストで登場。レイ・イナモトが、変化を続ける日米のアートシーンに詳しい藤高さんと「どこからが盗作なのか?」という哲学的なテーマを議論します。


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00:03
This is Reina Moro's Podcast. 世界のクリエイティブ思考
Hi everyone, this is Reina Moro.
みなさん、こんにちは。ニューヨークと東京を拠点にするグローバルイノベーションファーム I&CO 共同創業パートナーのReina Moroです。
この番組では、世界で活躍するトップランナーのクリエイティブ思考に迫り、21世紀を生き抜くヒントを探ります。
今回は、僕が気になったクリエイティブ作品を紹介する注目のクリエイティブをお届けします。
今日はこの番組のプロデューサー、竹村幸子さんと一緒にお届けしたいと思います。
はい、レイさんよろしくお願いします。
今回は注目のクリエイティブに初めてのゲストが登場です。
お招きするのは、東京アートビートのコーファウンダーで、アートコンサルタントの藤高浩介さんです。
藤高さんは2004年に、ポール・バロンさんとオリビエ・テローさんとともに、日本とアメリカの展覧会情報を掲載するニュースサイト、東京アートビートを設立。
変化を続ける日米のアートシーンを紹介し続けています。
東京アートビートのことは、もうしばらく前から知っていまして、日本の情報も出てくるし、ニューヨークの情報も出てくるので、個人的にすごく好きなメディアだったんですね。
そんなことをずっとちらほらと思っていて、たぶんここ3年くらいのお付き合い、3年くらい前に知り合ったので、そんなに古い仲ではないんですが、
今までのゲスト、特に日本人のゲストにはまれてニューヨーク在住の方なので、今回の収録はオンラインではなくて対面でできるということもあったので、ちょっと雰囲気がいつもと違うかもしれません。
今回はそんな藤高さんと一緒にインスピレーションと当作の境界線についてお届けします。では早速いきましょう。
今日のゲストは藤高耕介さんです。よろしくお願いします。
藤高さんとは実は完全な個人的なつながりで、僕の妻が藤高さんの大学の学生時代のお友達ですよね。
奥さんのご友人が僕の友達。
そっかそっか。ちょっと離れてはいるんですけども、個人的なつながりで家族同士で一緒にご飯をさせていただいたりとか、ここに3年の結構最近のお付き合いではあるんですけども、そんな感じでニューヨークにいる日本人として、
そしてお互いアートだったりとかデザインに興味があるので、そういう共通点もあり、お付き合いさせていただいているという、そういう感じです。
今日、インスピレーションと創作の境界線という非常に難しいテーマではあるんですが、何でこのテーマを選んだかというと、
去年の末ですかね、藤高さんが運営をされている、そして結構昔に始められた東京アートビートというメディアである記事が取り上げられていて、
03:04
そこの記事はですね、ビヨンセが映像の中で着ている衣装のデザインがアーティストの空山はじめさんの描くセクシーロボットのシリーズに見過ぎているというのが話題に取り上げられていて、
それが気になって、ちょっとこういうトピックについて話したいなと思って、藤高さんにお声掛けをさせていただいたという、そういう流れです。
先ほども申し上げましたように、この東京アートビートのサイトでも記事になっていまして、この空山はじめさんご自身があなたは私に正式にお願いすべきだったというコメントを、
彼のインスタグラムに彼ご自身が発言をされていて、そのこともこの記事に紹介されていたんですが、
これを読んで、この件だけではなくて、アートがどこまでが本当にそのアーティストが自分の中から考え出したことなのか、そしてどこからが外から引っ張ってきたインスピレーションなのかということと、
あともっと最近、ここ数年の話でいうと、AIというものが今までに作られた絵だったりとか写真だったりとか、いろんなものをデータとして引っ張ってきて、それを料理し直してというか解釈し直して生成しているという、
さらにどこまでがインスピレーションでどこからが当作なのかという境界線がすごく曖昧になっているんですが、
藤坂さんは長年日米、そして世界のアートのシーンを見てきて、まずちょっと結構ざっくりとしたところからのご質問にはなるんですが、その辺についてどう捉えていらっしゃいますか?
藤坂さんは長年日米、そして世界のアートのシーンを見てきて、まずちょっと結構ざっくりとしたところからのご質問にはなるんですが、その辺についてどう捉えていらっしゃいますか?
藤坂さんは長年日米、そして世界のアートのシーンを見てきて、まずちょっと結構ざっくりとしたところからのご質問にはなるんですが、その辺についてどう捉えていらっしゃいますか?
藤坂さんは長年日米、そして世界のアートのシーンを見てきて、まずちょっと結構ざっくりとしたところからのご質問にはなるんですが、その辺についてどう捉えていらっしゃいますか?
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藤坂さんは長年日米、そして世界のアートのシーンを見てきて、まずちょっと結構ざっくりとしたところからのご質問にはなるんですが、その辺についてどう捉えていらっしゃいますか?
藤坂さんは長年日米、そして世界のアートのシーンを見てきて、まずちょっと結構ざっくりとしたところからのご質問にはなるんですが、その辺についてどう捉えていらっしゃいますか?
藤坂さんは長年日米、そして世界のアートのシーンを見てきて、まずちょっと結構ざっくりとしたところからのご質問にはなるんですが、その辺についてどう捉えていらっしゃいますか?
藤坂さんは長年日米、そして世界のアートのシーンを見てきて、まずちょっと結構ざっくりとしたところからのご質問にはなるんですが、その辺についてどう捉えていらっしゃいますか?
06:03
藤坂さんの作品に関しても、フューチャリスティックなロボット、レトロサイファイ的なロボットっていうのは、モットネタがたくさんある。フリッツラングも含めてあるでしょう。
ただ、そういう反論が結構大半を占めていて、とはいえ、細かいところを見ていくと、よく話題になっていたのは耳のところにつけていた形状。彼女のビヨンセのコスチュームの耳のところの形状っていうのは、空山さんがやっていたロボットの一つにとても向いているし、
さまざまな細かいところは確かに空山さんの作品の形態にとても向いているんじゃないかなというのは、僕も印象としてあります。
多分、法廷で争われるとかっていうことにはならないんじゃないかなとは思いますけど、今後どうなるかというところが一つと。
この件に関して言うと、かたやビヨンセって世界中にすごいカンタの大スターなわけですよね。世の中誰でも知っている。逆に空山さんはアート業界とかクリエイティブ業界の人は知っているかもしれないけど、名は知られているけど世の中的にすごい知られているというわけである。
そのときに空山さんがそう言わされたと思った、それが真実かどうかは別として思ったときに、取れる手段も結構限られてますよね。
これを放っておくと、何も言わないと、逆に後で空山さんの作品を見たときに、これ何かビヨンセがやってたよねっていう話になったりもしてくる。
だからそういう自衛手段っていう形もあるのかなと思って。特にスターパワーの力の差がかなりあるところなので。
だから空山さんの行動っていうのは、そういう意味でもここで声を上げておかないと、自分の作品というものを。
彼は特に、ビヨンセにとっては歌が種目で、コスチュームは今回一回やって、次にやるっていうものでもないと思うんですけど。
空山さんはこれが基本的には作品の根幹を占めているもので、声を上げておかないとなと思ってあげられたんだろうと思いました。
確かにビヨンセ側が言ったみたいに、いやいや、そもそもこれって、もっと昔に他の人が作ったものがインスピレーションになっているから、我々はあなたのものを直接搭載したのではなくて、いろんなところからレファレンスを集めて、それがインスピレーションになっているから、ここだけじゃないよっていう。
これはビヨンセ自体は実は多分声明発表していなくて、周りのソーシャルネットワークのコメントおよび世の中に出ている分析記事、そしてそういう意見が強いということで。
たぶんビヨンセ側は何も言っていない。確かにそういう意見は。それはそれでたぶんあって、世の中何でも元ネタがあって、じゃあフリッツ・ラングのコピーライトはどうだったんだ、そういう話には確かになりますね。
09:15
他に今までいろいろシピースとかされてきて、そんな例とかってあったりします?
そもそもアート業界内だと、いわゆる当作っていうのは実は最近減ってきているような気がしている。だからあんまり聞かないっていうか。
一つはアートヒストリーの中で、過去を引用して作品を作るっていう手法はすごいたくさんの人が、特に20世紀以降やってきていることだと思うし、さらにもっと直接的なものとしてアプロプリエーションっていう手法がある。
つまりあるイメージそのもの、例えばリチャード・プリンスの作品だったら、マルボロの広告に使われていた馬のカウボーイの写真をロゴとか全部外して、そのものを作品として写真作品にするっていう手法。
それってマルボロからしたら勝手に使われているという立場になるのかもしれないですけど、要はアーティストとしてはビジュアルのイメージがとても重要というよりは、それが持つ社会的な意味とかアイコニックな意味というのをロゴとかを外した上で使うことで見るものに換気する。
同じイメージを使って別のものを作り出すっていう、それがアプロプリエーション。
そういう形で、普通に引用という形もたくさんやってるし、アプロプリエーションという形で直接的なイメージを意図的に使うことをたくさんの人がやってきていて。
そういういろんな形で事例が積み重なってきているというか。アーティスト同士で、よくあの人が自分の絵をパクったみたいな話っていうのはあるけど、あんま大きな話に最近なっているのは見たことなくて。
そういうアート作品作りの手法そのものにすごく深く入ってきているような気がして。各自がそれを意図的にやっているから、シンプルなビジュアルの投与という話にあんまりならない。
アプロプリエーションの例とかってどんなのがあると思いますか?
アプロプリエーションは、先ほど言ったリチャード・プリンスの例とか、あとは一番多いのは、あんまり世の中的には知られていないんですけど、シェリル・ルビーンという女性作家がずっといまして。
いろんな有名作品、それこそウォーホールとか、マレビッチとか、ペインティングとか立体作品をそのまま写真に撮って、それを写真作品として作る。
それを本当に見た人は、「これってウォーホールのペインティングの写真だよね?」と。
12:04
ウォーホールもある写真をシルクスクリーンにして、いろんなカラーを入れて作品を作っていた。
さらにそれをそのまま写真に撮って写真作品にする。
ということで、ウォーホールの手法がさらにクリアになるっていうか、シェリル・ルビーンの作品を通してウォーホールがやっていたプロセスっていうのを、さらにクリアに見る人が考える。
ウォーホールを見たときに、みんなウォーホールが元の別の他の写真家の写真、例えば有名な人の写真を誰かが撮ったのを、ウォーホールが使ってシルクスクリーンにするっていうのを、あんまり考えないで見るんですけど。
シェリル・ルビーンがそれをやることで、そこに注目があった。
マルビッチの場合はもっと本当に、ペインティングっていうのが美術館ですごくみんながありがたがって見る。
そのことをオブジェクティブに、客観的に見せる。
新しい価値を彼女はその作品として見せる。
そういう行為そのものがプロクリエイション。
今のところでちょっとすごくはっきりしたなっていうのは、アイディア自体は法律では守られない。
そこからその間に基づいて作られたものは守られる。
そこに現れているスタイルは守られないっていう、その文脈で考えると、ちょっと話を戻すと、
これはどっちの見方もあって、例えばそら山さんの視点からすれば、
ビヨンセがその舞台で使っていた衣装の、耳のところから尖ったアンテナみたいなのが出てて、
それはそら山先生が、僕の作品でそういうものが実際にありましたと。
僕も見たんですけど、ちゃんとあって、それを盗作したっていうふうに主張することもできます。
スタイルを超えている。
そうそう。具体的にそのものがあるから。
でもビヨンセ側からすれば、もしくは周りにいる一般の人からすれば、いやいや、それはそういう作風で、
他にも昔にもこれに似たようなものがあって、そこからもインスピレーションをしてるし、
もしかしたらそら山さんの作品からもインスピレーションを得てるかもしれないけども、
そういう作風を、スタイルをインスピレーションに使ってるから盗作じゃないっていう言い方もできるから、
すごくどこまでが物でどこまでがスタイルかっていうのは曖昧で、すごく決めづらいところではありますよね。
あとは彼もビークエンドっていう別のバンドと実際に音楽業界で仕事をしたことがあるし、
っていう意味で全くそこの影響がないはずはないというのが多分彼の考えで、
絶対に彼はファッションディオールのイベントとかに大きな彫刻作品を見せたりしてるし、
15:04
多分ビヨンセの制作に関わった誰かは見ているだろうっていうのはなんとなく思うので、
そこに意図的か意図的じゃなかったかは別にせよ影響があったんでしょうと、なんとなく思えるっていうところがあります。
さっき藤坂さんがおっしゃったみたいに、
そら山さん自身が、ビヨンセの方が全然有名だし世界中に知られているから、
彼女の美衣装を彼が真似したっていうふうに他に思われないように、
ちょっと自分を守る意味でもこういうことを発言したっていうのはあるかなと思う。
今日話すまでそういう視点もあるかっていうのは実は僕は思ってなかったんですけど、
確かにそれを言っとかないと後で何言われるかわかんないっていうのもありますよね。
もう一つちょっと例で思い出したのが、これは少し10年ぐらい前に、もっと前なんですけども、
バラック・オバマ氏が大統領に出馬したときに、もうあれは多分2016年に覚えたので、
だから8年に最初の当選をしているので、多分2067年ぐらいの話でその後に起こったんですけど、
シェパード・フェアリーっていうストリートアーティストがいるじゃないですか。
彼が、これはアメリカのアーティストなんですけど、ちょっとリスナーのためにどういうことかっていうと、
バラック・オバマ氏の写真の肖像画をモチーフにして、
シェパード・フェアリーっていうアーティストが自分の作風のスタイルで、
彼はペイントというかイラストですね、それをプリントにするものを作ってるんですけども、
その写真を手で描き起こして、それをイラストにして、
それがオバマ氏のキャンペーンに正式に使われたんじゃないと思うんですけども、
彼がオバマをサポートするとしてポスターを作って、それを売ってましたと。
そしたら、もともとの写真を撮った写真家の人が盗作したというふうに訴えた例があるんですね。
最終的には落ち着いて、アーティストの方が写真家に膨大なお金を払わなきゃいけないということにはならなかったんですけども、
それもさっきの星屋さんがおっしゃっていた、
引用とオマージュとアプロプリエーションという別々の言葉を使ってらっしゃったんですけども、
その場合ってどこに入るんですかね?
何かあるんですかね、具体的な定義というか。
その写真の場合は完全に、シェパード・フェイリーは写真家の人の存在を全く消していたはずはない。
そのどれにも当てはまらないですよね。
紅葉に近いというか、引用とオマージュとアプロプリエーションというのは意図的に、
もしこれがアプロプリエーションだとすれば、写真家がすごく有名である必要があって、
その有名な写真を使って別の意味を作らないといけないので、
18:02
今回シェパード・フェイリーの場合は写真は関係なくてオマージュ関係あるだけだから、
写真家の存在は作品作りの中では全く入っていないので、
写真家としては勝手に使われたというところに落ち着くんじゃないですかね。
それは結構妥当な。
それで言うと、これ日本でも結構な有名な事例で、
最終的には変えなきゃいけなかったことになったのが、2020年東京オリンピックのロゴで、
これ聞かれてる方で覚えてる方はあまりいないかと思うんですが、
そもそも2016年とかもうちょっと前ぐらいに東京オリンピックが決まった時に、
ロゴをどうするかっていうコンビみたいなのがあって、
最終的に買ったロゴっていうのが、
実はベルギーかどっかのすごい小さいある劇場が使っていたロゴにすごく似てたと。
たまたまなんですけど、
僕の会社のスタッフで昔子供の頃に日本人の人なんですけど、
ベルギーに住んでた人がいたんですね。
で、なんか学校に通う途中にその劇場をよく通ってたらしくて、
子供の頃に見てたと。
オリンピックのロゴが発表された時に、あれ一緒じゃんって思ったそうなんですって。
そしたらその数ヶ月とかに後にその劇場の方が訴えて、
いやこれって真似してるでしょっていうことになって、
そのデザイナーの方は真似したかっていうのははっきり言わなかったんだけども、
でもやっぱりちょっと似てるかなって言って、
結局あれ作り直すことになったんですよね。
だから今おっしゃられた力関係っていうのは、
ベルギーのほぼ無名の地元の人しか知らないような劇場のロゴと、
世界的に有名になるオリンピックの力関係っていうところで言うと、
弱者の方が何かを言わないと潰されちゃうということになるので、
力関係っていうのは見逃せない、
こういう話の中でポイントなのかなっていうのは、
今日話しておりましたね。
面白いなと思ったら、背景を思ったのが、
今野口ミュージアムで、
トシコ・タカエズっていう日系アメリカ人のポッタリを作るセラミックアーティストの
女性作家の古典が始まったんですけど、
この人っていうのが20世紀初めにハワイで生まれて、
10年くらい前に亡くなった人で、
最近すごいアート業界でホットな作家になってきています。
すごい作品素晴らしくて展覧会もすごく面白いんですけど、
ずっとセラミックを作っていて、
彼女の作品の一番有名なのは、
セラミックって絶対どっか空いてるんですけど、
全部閉じていて、それを彫刻作品として作って、
21:01
彼女の20世紀半ばの作品とかで、
結構抽象表現主義のペインティングを絶対見てたでしょうっていう、
明らかにセラミックの絵付けのところが抽象表現主義の作風になっている作品が結構あって、
その当時に見たら、それは影響を受けていると言われていただろうし、
それがプラスかマイナスかっていうのは結構微妙なラインだったはずなんですが、
今から見たときに、歴史として展覧会を見たときに、
すごくそれが面白い。
要は、みんなキャンバスで抽象表現主義をやっていた時代に、
彼女はセラミックスの上にそれを釉薬で描いてた。
それはすごく見て面白いし、
時代の同時代性をしっかり見られる作品であるとして、
明らかにプラスなものとしてテキストにも書かれるし、
クリエイターも話すし、自分で見る人もそう思うと思うんですよね。
例えばこの空山さんとビヨンセにしても、
その空山さんとビヨンセが、
このこと自体が50年後に語られるとは思わないですけど、
50年後、100年後に語られるとしたら、ほぼプラスのこととして、
どうしてこの作品は似た形になったのかということが実は面白い。
当事者はどっちかが怒ってたかもしれないけど、
後から見た時にはプラスのこととして見られることが多い結果になる気がしますね。
たぶん理由はいろいろあるんで、
それを語る一つのリファレンスポイントは多分無数にある。
歴史が経ってみた時の方がそれがクリエイターになる。
今のセラミックスのアーティストもあれで言うと、
例えばあるものを真似してそれを作ったっていうよりかは、
それを自分なりに解釈して別のものとして蘇らせたみたいなところがあるので、
ここで僕らがこれは当作だ、これは当作じゃないかっていう判断をすることではないと思うんですが、
やっぱり何かを見て、そのものをただそのまま作るっていう風になるのじゃなくて、
それだったりとかいくつかの作風だったりとかスタイルを見て自分なりに解釈して作っていくと、
それは自分のものを新しいものとして蘇らせることができるから。
最近の事例で僕が見て気になったもので言うと、
スタジオジブリのセント・チヒロのアニメーションの映画の、あれはアニメじゃないですか。
あるアーティストなのかわかんないんですけども、日本の方がそれをAIで実写版的にリアルセント・チヒロっていうので、
ちょこっとしたアニメーションにしてキャラクターをいくつか残してたんですね。
それがQツイったX上だったりとかインスタ上ですごく話題になっていて、
それこそ我々チーム内でも共有して、これすごいね、面白いねみたいなことで話し合ってたんですよ。
24:04
それをですね、僕はたまたまアメリカのソーシャルメディアのリンクといいんで、
これってすごく作品として見て表面的にはすごいなとは思うんだけど、
多分原作者である宮崎さんには許可を多分得てないってやってると思うんですよね。
こういうのってどうなのかねみたいな感じでソーシャルメディア上で問いかけたら結構反応があって、
大半の人はこれって当作とは言わなくてもその本人に対してリスペクトがないっていうふうに言ったりとか、
これ技術的にはすごいかもしれないけどアイディアがないし、
その他人の作品をこのAIという都合のいいツールで作って、
それを自分のセルフプロモーションとして使うのは良くないっていうふうに言ったりとかコメントしてる方が結構多かったんですね。
ただその一方、僕ももともと大学で美術を勉強していて、
自分の技術を磨くために過去のいわゆる巨匠たちの、すごい古い話で言うとレオナルド・ダ・ヴィンチとか、
ミケ・ランジュみたいな何百年も昔の人たちの作品を模写してテクニックを磨くみたいなことは普通にやってたことで、
それは全然当作という意識も僕も全くなかったし普通にやってたじゃないですか。
ただその20〜30年前の話と今の話で圧倒的に違うのは、
ソーシャルメディアというものがあることによって自分が作ったもの、自分が書いたものをすぐオンラインに投稿できて、
オンラインで投稿した瞬間にそれが公表に見られることになるわけで、
そうしたらじゃあそこから当作になるのかっていうその辺もすごく微妙じゃないですか。
例えば千と千尋のアニメーションの実写版みたいなことを作ってた方は若い方かはちょっとわからないですけども、
若い方だとして、自分の腕を磨くため、もしくは実験的にやるのは、
例えばそこでお金をもらうとかっていうことになっちゃうと、それは結構微妙なラインで、
そこはその線があるのかなと思うんですけど、その辺なんかどう思われますか。
まあそうですよね。それこそある有名な絵を模写してっていう話と、
今回の話が僕はちゃんとどういうふうな見せ方でその人が発表したのかっていうのは僕もちゃんと知らないからなんともあれなんですけど、
要はこれって引用か投作かって結局はその見せ方とかプレゼンテーションの仕方で変わってくるっていう、
結局はその意図があるものを見た人が明らかに、これはある作品をそのまま使っているにも関わらず、
その人はそのことについて認識している様子がないとか、それを明らかに隠しているとか、
そういう時に明らかな投用っていう、投作的な。
27:00
それ以外の引用オマージュ的なことっていうのは世の中にずっとたくさんあって、
この人が例えば、その人は当然千と千尋を実写版にするって言った時に、
千と千尋っていうストーリーとか設定とかは自分が作ったとは当然思ってないし、
そういうふうに発表もしてないわけで、こういうふうに新しいテクノロジーできますよって、
彼が言いたかったところはその部分ですよね。
新しいテクノロジーでこういう違うことができるっていう。
そこに関しては、僕個人的にはそんなに目くじらを立てて攻め立てるべきものかなという気はしていて、
当然、スタジオジブリとして法的な中のことをすることは可能かもしれないですけど、
本人も別にそれを、自分の作品としてっていう部分は新しく作れたプロセスみたいなところを
言いたい、発表したいというわけだと思うから、
そこは新しい技術ができたときのいろんな過渡的なちょっとしたアップデートなのかなという気はします。
だから最近もまた別の目線から、さっきもちらっと最初に冒頭に話していた、
生成をするAIが出てきて、今までのデータを膨大な量のデータを引っ張ってきて作ってるわけじゃないですか。
たぶんこれからは、たとえばアンディ・ウォールでいうと、
アンディ・ウォールの作風でこれを書いてくださいとかっていうのも出てくるわけじゃないですか。
そうするとまたさらにプロンプトとかで、それを公開しない場合もどんどんどんどん出てくるわけで、
そこにそういう言葉を使っていると意図的に倒作したことになったりとか、
逆にもう偶然でAIがそれを真似してやってしまって、
いや気づかなかったみたいな話にも何かちょっとお題にあげたいかなと思ったのは、
やっぱりその意図っていうのも結構、さっきのシェパード・フェリーの件と、
あとそのアンディ・ウォールの作品を写真に撮った人。
シェルルルル。
はいはい、ではその方はその意図的にやってるわけじゃないですか。
シェパード・フェリーの場合はその写真っていうのも撮ってきて、
それは別に誰が撮ったかはもう関係なく勝手に使ってっていうところがあるので、
やっぱりその作品を使った時の意図っていうのも結構影響してくるのかなと思うんですけど、その辺はどうですかね。
要はこれって今までは意図っていうのが割とレイヤーがワンレイヤーしかないからわかりやすいと。
AIだとAIがすでに過去の何千何万というイメージを勝手に学習して、そこから出力をしているから、
30:01
当然それをプロンプトした人の意図はそこに出るけど、プロセスの中の意図が全部消えてしまうっていうのはありますよね。
その何千枚もごっちゃになって混ざって出力されてくるから。
プロンプトしている人の意図はやっぱり明らかにプロンプトしてそれを見せた人っていうのは当然意図はクリアですけど、
そこは今後いろんなケースバイケースでいろんなケースが作られて世の中的に落ち着いていくのかなと思いますけど、
AIに関して言っても、先ほどそれこそレイさんが、みんな若い学生は過去の名作を模写して絵を上手くなるとか、
それって基本的にはAIがやっていくこととあんまり変わらないわけですよね。
過去の名作を美大に行けば当然書いて練習するし、美大に行かなくても教科書を、
世界中の多くの子供たちはアートの教科書を見て、世界の名作っていうのを見て習っていると。
そのプロセスそのものはAIがやっていることの基づと少ないけど、プロセスとしてはすごい似ていて、
そこからそれでアーティストになる人とかデザイナーになる人っていうのは出力があって、作品として。
どっかには教科書みたいな名画の影響とか絶対に出てくるわけですよね。
その名画とされているものが、これが名画だって言って教えられて、
当然今ルネッサンスの絵画を作ったところで、そこにそんなに、それは何百年前のものだから、
そんなに目当たらしたもないし価値はないにしても、
その名画の歴史をどっかの影響としては入っているような気はします。
またそう考えたら、AIがやっているようなことはそれをステロイドに投入して、
それを大げさにしたプロセスなのかなという気はしていて。
結局、さっきのある画家の、こういう風で絵を出してくださいっていうプロンプトは当然できるし、
それも僕もちょっと面白いなと思っていろいろ読んでたら、
少なくとも著作権、そのコピーライトという意味では、そもそもアイディアは保護されません。
作品そのものは著作権、文章とかビジュアルの書いたものは著作権で保護されている。
で、実はスタイルっていうのも保護されていない。
じゃあその作品とものとしては守られているけれども、そのスタイル自体はされないと。
だからごっこ風、今は多分フォトフィルターとかであると思いますけど、
写真撮ってこれごっこ風にしてくださいとか、モネ風にしてくださいっていうペイントツールっていうかフィルターみたいな。
33:05
特に彼らはもう死んで、時間が経ったというか著作権は切れてるにしても、今の人がやった時に、
それは原則としては著作権の範囲外であるということになっているそうなんですよね。
ただなんかそれってAIができて、すごいそういうことが絶やすくなっていくので、
多分そこに議論はもっと出てくるような気はするというか、
今生きている作家の作風で作ってくださいって言った時に、
じゃあどこからどこまでが東洋で、どこからどこまでは東洋じゃないかっていうのは、
なんかその辺の敷地が昔とちょっと変わってくるんじゃないかな。
要はそれを作るのがすごく絶やすくなってしまう。
ただスタイルをその著作権に含めないっていうのは、
結局スタイルっていうのはすごい大きな幅がある。
音楽だったら、例えばこのヒップホップというジャンルはスタイルなのか。
それをある人に帰属するとなったら、他の人がヒップホップができなくなる。
海外にしても、新しい描き方?
新しいというかある描き方を人に主張して、他の人が描けなくなる。
要は新しいクリエーションが生まれなくて、にくくなる。
要はスタイルっていうのが幅広すぎて。
ただAIによって実はスタイルがすごく細かく作れるんであれば、
もしかしたらそれはあるところまでは守られるべきものかもしれないですけど。
今ではそれを作るのが結構難しかったから、あんまりそういう話がなかった。
なるほど。ヒップホップのことで言うと、去年だったかな?
一昨年がヒップホップの50周年だったんですね。
ヒップホップってもともとカセットテープをミックスしたりとかして、
もうサンプリングをしてできている業界じゃないですか。
だからしょっちゅう誰が誰のものを創作したか。
音楽っていう作風っていうもののさらに具体的に曲っていう一つのものになっているから、
それを引用とかすることによってまた新しい曲とかができるわけじゃないですか。
それでしょっちゅう基礎とかコクソが出るんですけど、結果って結構バラバラで。
当作っていうふうに認められる場合もあれば、いやこれは当作じゃないっていう。
その時のYシーンの人だったりとか裁判官の見方によって結構揺れるんですよ。
だからしょっちゅう引用しては訴えて、でもまたこれOKだよみたいなこともなってて、
グレーゾーンではあって揺れる領域なのかなっていうのは今回話して、やっぱり結論がないですし、
もちろんやっぱり意図的に隠して使うってことになると、それは当作にはなっちゃうかなと思うんですけども、
逆にアプロプレーションみたいに分かる形でやったりとか、あることに対してのコメントとして、
36:07
意見としてそういう使い方をするっていうのはあると思うので、
やっぱり黙ってたりとか隠して使うと当作になるのかなっていうのはちょっと今日話してて思いましたね。
その境界は本当に曖昧で、見方にもよるし、時代にもよるし、
過渡期の時ってやっぱりみんな状況が収まっていないので、いろんな意見が出てきますよね。
リスナーの方たちにちょっと考えていただきたいなと思ったのは、
アイディア、物、そしてスタイルっていう分け方、僕それすごく分かりやすいなと思ったんですけども、
アイディアは確かに自分のオリジナルのアイディアを生み出すのがいいんだけども、
でもそれもなかなか大変じゃないですか。
物っていうのも誰かが作った物っていうのはその人が作ったもので自分のものではないと。
ただそのスタイルだったりとか、アンディ・ウォー・ゴールとかいろんな人たちがいるわけですけど、
スタイルっていうのは誰かが確立したものではあるかもしれないけども、
それに見習って自分のものとしてやっていけば、
それはそれで新しい道が開けるのかなっていうのは今日話してて思いましたね。
あともう一つ、それで言うと、アーティストですごく有名なピカソがいるじゃないですか。
彼の言った言葉でgood artist copy, great artist stealっていうすごく有名な言葉なんですけども、
いいアーティストっていうのは他を真似る。
すごく素晴らしいアーティストは盗むっていうふうに、
別の言い方をすれば盗作するっていうふうに言えるかもしれないんですけども、
自分のものにするっていうことですよね。
だからそれはそれで大事な心構えで、
特に若い人たちは恐れるべきことではないし、
真似るんだったらもういくらでも真似して、
最終的に自分のものにしていけばいいのかなっていうのは、
ちょっと今日話してて改めて思いましたね。
そうですね。何かどこに新しい価値を作るかっていうところですよね。
そのスタイルを流用して、
でもそのスタイルそのものが価値になってれば、
やっぱりそこは多分作品としてあんまり意味がないけど、
ある作品のスタイルを使うことで、
そこに新しい価値を乗せられるのであれば、
それは新しい作品になっているという気がしますね。
なるほど。
さてここまでお送りできました、
39:04
れいなもとの世界のクリエイティブ思考。
今回の注目のクリエイティブは、
東京アートビートの藤高浩介さんにお話を伺いました。
今回はインスピレーションと創作の境界線という、
答えがない非常に難しいテーマだったので、
どんなふうなお話になるのかな、
何か答えとか出てくるのかな、
どうなのかな、お二人どう考えているのかな、
なんて事前には全く予想できなかったんですけど、
結構いろんなキーフレーズ出てきましたよね。
僕もですね、このトピックは、
アートだったりとかデザインに関わっている人間として、
結構近いところでずっと気になっていたトピックではあるんですね。
はい。
特に音楽の業界だと、
結構身近なところで、
これが当作なのかっていうのは、
昔から何回も話題になっていて、
特にアメリカで訴訟がすぐ起きるような国では、
どのアーティストが誰々を訴えたかとかっていうことは、
よくあるんですね。
でも、決着がどうなるかって、
結構ケースバイケースのことが多いんですよ。
法律で決められているはずなんですけども、
どこまでがインスピレーションで、
どこまでが当作だっていう解釈って、
すごく個人差があって、
そういう訴訟が起きちゃうと、
裁判官の見方で変わっちゃったりとか、
あと、ビジュアルアートの業界で作られたものが、
別の業界で使われたりとか、
あと僕がいるマーケティングの業界でも、
クリエイティブを作るときに、
そのクリエイティブっていうのは、
どっかからインスピレーションを拾ってきているってことは、
結構あるんですよね。
この当作なのかどうなのかという話のときに、
藤高さんから、
当作かどうかを決める一つの境界線は、
元ネタ、何からインスピレーションを受けて、
これを作ったかっていうのを、
オープンにしているか、それとも隠しているか、
っていうところなんじゃないかっていう話もあって、
それも新しい視点だなあ、
なんていうふうに私は思ったんですが、
レイさんどう思われました?
これは結構すごく、
はっきりした境界線なのかなっていうのは思いましたね。
特に音楽の世界だと、
明らかにDJの人たちがミックスをして出している場合もあれば、
ごまかしてっていうとちょっと言葉が違うかもしれないんですけども、
明らかに見てるのに、
そこは言わずにっていうことになると、
そこが問題になるっていうのは、
やっぱり一つの境界線として、
元ネタをはっきり出すか出さないかっていうのは、
すごく大事ですよね。
今回お二人がこの話をされるまでは、
私は元ネタを開示するかしないかっていうところがキーポイントになるなんて、
一回も思いつかなかったので、
すごくどんどんどんどん二人が話しているうちに、
何か答えが明確になっていくっていう感じが、
この注目のクリエイティブの中でも新しい試みだったなあ、
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なんて思うんですが、
全体を通じてやられていてどうでしたか?
このゲストバージョン。
最初に僕がこの件で藤坂さんにお声掛けをしたときに、
いいんですか?別にこのトピックの専門家でもないし、
法律的な視点から、彼も別に弁護士とかではないので、
法律的な視点から話せるわけでもないので、
ちょっとどんなことがしゃべれるかわかんないんですけどね、
みたいな感じに最初藤坂さんから返事があったんですね。
なのでどういうふうな話になるのかなっていうのが、
今までのゲストよりももっと最初にわからなかったんですよね。
どうなるのかなとは思っていたんですが、
意外と新しい物差しが見つかった気はします。
そうですね。今回聞いていて、
皆さんも結構こんな見方があるんだとか、
驚きもあったんじゃないかなと思うんですが、
レイさんが気になったポイントをまとめてご紹介いただけますか?
はい。3つのキーワードがありまして、
意図・解釈・価値っていうことなんですけども、
まずその作品を、今回のインスピレーションと
藤坂っていうことを考えたときに、
何か目に見えるもの、もしくは音楽のように音で聞こえるもの、
自分のクリエイティビティを使って、
アーティストだったりとか、デザイナーだったりとか、
ミュージシャンが何かを作るわけじゃないですか。
その背景にある意図が何なのかっていうことを、
まず作る人も明確にどこかで持っているわけですし、
それを後から見た人が、その人の意図がどこにあるのかっていうのを
理解することは非常に大事なんだなっていうことが、
まず一つ。その意図が何なのかっていうことを理解する。
二つ目に解釈という言葉を使ったんですが、
その作られている作品が何かを解釈をして、
形に最終的になっているのかっていうところで、
その解釈の度合いっていうのも、
すごく深く解釈をして、自分のものにして、
全く新しいものにしている場合もあれば、
そのままのものを、これ解釈してるの?してないの?っていうところで、
結構真似たりだったりとか、あとその意図にもつながるんですけども、
どういう解釈をして世の中に出しているかっていうことが二つ目。
そして三つ目で、これが一番大切かなと思うんですが、
新しい価値を想像しているかっていうことになるんですね。
彼と話すまで気づかなかったんですけども、
彼が一つ挙げていたのが、シェリー・レビンさんという写真家の作品なんですね。
その方が何されたかっていうと、
アンディ・ウォーホールという巨匠の作品を写真で撮って、
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それをそのまま自分の作品として世の中に出すということをされていて、
それが出た時には結構議論が起こりまして、
これはクリエイティビティはないっていう人もあれば、
これはその人の写真家としての意図、
そしてアンディ・ウォーホールと作品を解釈して新しい価値を作っているから、
これはできたものをそのままある意味コピペしたものではあるけども、
別のものとして蘇ったから、
インスピレーションを受けて当作ではないっていうふうに判断される。
彼もされていましたし、
特にアート業界の批評家とかはそっちに解釈している人が多いと思うんですけども、
その一つの事例はすごく適している事例で、
やっぱりアートの業界を結構前からジャーナリストとして導撮されているので、
そういう事例がここで上がってくるのは非常に僕も勉強になりました。
そんな人がいるなんて私は知らなかったので、
作品を写真に撮ってそれを作品として発表するって、
なんかそんなことあるんだってすごい驚きがありました。
そうですよね。
今回藤坂さんとのお話、
インスピレーションと当作の境界線というすごく曖昧で、
ある意味哲学的な話でもあったんですが、
意外と明確な物差しが見つかって、
僕も個人的にも勉強になりました。
なので、3つのまとめ、キーテイクアウェイを最後にまとめると、
まず一つは、その作者の意図がどこにあるのか。
二つ目は解釈をどうしているか。
そして三つ目に新しい価値を創造しているか。
この意図、解釈、価値というのが、
今回藤坂さんとの話の中から出てきたヒントですので、
皆さんもぜひある作品を見て、
これが当作なのかっていうふうに考えたときに、
この作者の意図だったりとか解釈の仕方、
そして新しい価値を創造しているかっていうところを
フィルターにしてもらえると、
アート、デザイン、音楽などの新しい楽しみ方ができるのではないかなと思います。
本当その通りですね。
今後またこの注目のクリエイティブにも
ゲストをぜひお呼びしていきたいなと思っています。
はい、では次回もお楽しみに。
世界のクリエイティブ志向、お相手は
李奈本と竹村由紀子でした。
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デジタルガレージは危険な海に最初に飛び込む
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