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アートテラー・とにスのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにスがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
ポーラ美術館学芸員の山塙菜未さん
今回はポーラ美術館学芸員 山塙 菜未)さんをゲストに、美術についての話を続けていきたいと思います。
はい、ということでポーラ美術館を取り上げる全3回のうち第2回ということでございます。お待たせいたしました。ずっといてはいただいたんですが。
よろしくお願いします。ポーラ美術館学芸員の山塙菜未と申します。
よろしくお願いします。山塙さんはこの番組のことを結構聞いてくださっているという。
そうですね、実はコロナ禍になってから、その前までは職場でお昼ご飯を食べるときにテレビのある大きなテーブルがあって、そこで学芸部だけじゃなくて元広報の方とかショップの方とかみんなで結構ワイワイ食べることが多かったんですけど。
学校みたいな?
ランチルームみたいな感じだったんですけど、それがちょっとできなくなって。
コロナで。
コロナで、みんな個別にちょっとこうデスクでご飯食べないといけないという状況になって、えー何しようみたいな。
で、なんかその時に紹介してもらったのか。
僕からですか?
あれかな、なんか上司の岩崎とかがこうやってるよみたいな、いち早く確か鍵付けて情報をくれたんだったか、それで結構聞いてましたね。
お会いするときに聞いてますよっていうのを聞いてましたよ。
そうですね、だからあの回そうそうご飯食べながら聞いてたとか、なんか今回はちょっとね、過去の出演者の方の名前とか見て、そうそうそうとか思いながら。
お気に入り会は何なんですか?
お気に入り会はなんかやっぱり、例えば天野太郎さんとかがラーメンの話とかしてましたねとか。
多分してるでしょうね。
高校時代の話とか、やっぱり結構、貝塚さんもなんか小さい頃の話されてたりとか、そういうちょっとこうもう大御所の方々のすごいこう青春時代とか、そういう話聞けるのはやっぱりレアな番組だなと思いながら、面白く拝聴しておりました。
第3回では掘り下げますので、青春時代の話を掘り下げますということで。山原さんはでもポーラーはどれぐらいですか?
私2015年の4月からですね。気づいたらもう9年目ですね。もう10年目にもうすぐ突入しようとしてるんですね。びっくりしました、今自分で数えて。
そんなに長くいるんだなっていう。
そうですね。
担当とか専門は何になるんですか?
山塙さんの職場の変化
専門は日本の近代美術師なので、過去には岡田三郎介とか黒田世紀の作品を出した、モダン美人誕生という、ちょっと今モダンかぶりですね。
モダン美人誕生という展覧会をやったり、もともと学生の頃はジャポニスムを研究していた関係で、コネクションズという日本と西洋のコレクション、日本のコレクション、どちらもありがたいことに充実しているので、相互に与えあった影響みたいなものを見ていく会が中心だったんですけれども、そういう展覧会を企画したりしてきました。
ちなみに、第1回の放送をずっと隣でティースで、ソウジさんはどうでしたか?
そうですね。
そこで隣でソウジさんいるけど。
はいはい。
ソウジさんの声入らないので、率直なご意見は。
なんか、館長のモノマネとかしてましたけど、大丈夫ですか?
してましたよね。
してましたね、なんかね。
してましたよね。
ソウジ、本当に喋りが得意なので、ちょっと圧倒されながら。
でも山村さんも喋り得意な印象ですよね。
そうですか、結構緊張しなので。
本当ですか?
なんか、ソウジとかは本当プレスツアーの人がね、トニーさんいらっしゃってくださって、プレスの方々に展覧会をちょっとご紹介する場を設けてますけれども、私とかサブ担当で今回もちょっと前の方に座ってて、ちょっと緊張しながら座ってるのに、
隣の芸小児がすごいふざけたことを、なんか小学生なんて、お母さんなのかなとかっていう感じで。
なんか、うちのね、コウホーが、皆さんピンマイクがお手元にございますでしょうか?とかって言うのも、隣にいるのに、ありません、とか言って、なんか小っちゃい声で、後ろにみなさんいらっしゃるんですよ、お客様が。
結構、プレスもたくさん入って。
たくさんいらっしゃって。
行動にみんながまず一旦集まって、もう70人、80人くらいバッと座ってるんですよね。
で、前でね、一番前で、ちょっときちんと座ってないといけないのに、やめなさい、とかやってて、ちょっとやめなさい、とか言って、ちゃんと座ってなさい、みたいな感じで、何を言ってるんだろう、みたいな。
アートに関わる仕事
山前さんは後輩ですよね。
そうなんですか、すみません、ちょっとそうなんですけど。
でも、お姉さんはお母さんみたくなります。
なんですかね、欠席裁判みたいな感じで、今出演してないのに言うのもなんですかね。
あと、しょうじさんって言うと、いつも、あれじゃないですか、エイプリルフールに小ボケかませるみたいな。
そうですね。
凝った小ボケをかませる。
そうなんですよ、エイプリルフールだけじゃなくて、私やっぱり入った時もしょうじ先輩だったので、教育係だったんですよ。
しょうじさんが。
私が学芸員として初めて、現場を学んでいくにあたっての教育係がしょうじだったんですけど、なんかいっぱい嘘をついてた。
最低、最低。
まずい先輩ですね。
なんかいっぱい嘘をついてた。でももう入りたてなんで、すごい真面目にね、そうなんですか、みたいな感じでメモしたり。
なんかしばらくしてから、あれ嘘だから、みたいな。びっくりした。
4月1日入社。
4月1日入社、そうです。
だから入社のその日がもうエイプリルフールだからしょうがない。
それは。
それは。
そうなんですよ、まんまとしょうじの得意なあれに入ってしまって。
いつからそれがバケの川原。なんかもう今先輩とも思ってないじゃないですか、しょうじさんのこと。いつからそうなっちゃったんですか。
いやいや、割とそれはもうすぐ。
割とすぐ。
でも嘘ついてて、それ嘘だからとか言われて、なんでこういう人と。
でもそんなコンビで展覧会やるのは何回目かなんですか。
いや実は初めてなんですよ、そうなんです。
これどう決まってたの、まずしょうじさんがこの展覧会やりたいって言ったの?
そうですね、まずはしょうじがこういう企画をということで、しょうじは西洋美術のほうの専門なので、その中でやっぱり、でも前のシュールレアリスムの展覧会もそうだったんですけども、必ず結構日本の近代を果敢に入れてくる、それがしょうじよみたいな感じで。
でも同じ意味なんですね。
同じ意味。
日本の近代を入れたいって同じ。
そうなんですよ、何か入れてくるっていう。
西洋美術の人なのに。
今回も関東大震災後のちょっと日本のある需要とか機械主義の展開っていうものを入れていくっていうことで、それもあってちょっと私が作って入ったっていう経緯がありますね。
入って、第4章今回そこがメインになりますけど、その作品のセレクションとかはもう山原さんの?
いや、それが実は、私ほとんど作品の選定関わっていなくて、もう9割ぐらいはしょうじがすでに選んできたもの。
で、それをバッと見せられて、まったく結構育成の強いのができたみたいな感じで。
で、ちょっと第4章どういうふうにこの作品で組み立てようっていう感じで見ていった時に、じゃあちょっともうちょっとこの辺を補ったらいいかなとか。
今回だと杉浦悲水ですね、杉浦悲水の作品なんかを少し数を調整して追加したりとか、そういうことはしたんですけれども、でももうほとんど9割はしょうじのセレクトでしたね。
そうなんだ。
そうなんです。
でも今回こういうテーマをモダンタイムズインパリって聞いて、やる気にはめちゃくちゃ増えたんです。面白そうなテーマだなと思いました?
そうですね。やっぱり人と組む面白さって、自分で1から企画をするのとまた違って、そういうポイントとか目をつけたんだなとか、そういう新鮮さがあって。
なかなかやっぱり自分で組み立てる時で自分がもともと持っている興味関心とか、研究分野とかにやっぱり寄っちゃうじゃないですか。そうじゃないところから突然降ってきて、テーマが。
でもそれによって、やっぱり自分も勉強しないとっていう感じでいろんなものを読んだりとか作品調べたりとかして、それですごく新しい世界が開けたりとか、今までこのうちの作品そういう視点で見たことなかったけど、なるほどこういう見方があったかっていう、そういう面白さがあって。
そうですね。なかなか面白かったです。
じゃあぜひぜひ今日の第4章、モダン都市東京アールデコと機械部の需要と展開、この部分についてぜひぜひお話を織り下げていっていただければ。
だからあれですよね、それこそ内覧会があって、やっぱプレスがたくさんいるから2班に分けたんですよ。
そうですね。
ヤマワナさんが紹介するハント、僕はヤマワナさんのファンだから、ヤマワナさんはやっぱり第4章をめちゃめちゃ長く語ってる。
たぶんショウジさんの会だったら、行ってたらあんなに話聞かないってくらい、第4章が長い長い。第1、第2、第3、ハント、サクト、サクトする。
この人どう考えても日本の方の。
知ってるからいいけど、他のプレスの人たちはどういう気持ちでこれを聞いてるんだろうが、第4章だけ異常に分厚い。
異常に小さな作品とかを異常な熱量で語るみたいな。
今日はたっぷり語っていただけたらと思います。まずこの第4章で特筆すべき人とか作品とか、これは大事ですよっていうのはまず誰ですか?
第4章、ショウジが選んだ作品を見ながら組み立てていくにあたって、第4章はやっぱりこの1923年に今から約100年前に関東大震災が起こって、東京を中心とする関東地帯が災人に来すわけですけれども、
その後でやっぱり第一次世界大戦では無傷であった日本が、関東大震災でやっぱり街がゼロの状態になってしまう。
そこからやっぱり新しい近代都市を作り上げていくにあたって、アールデコだったり、あるいはその時代に活躍した芸術家たちが機械主義というものを、当時の西洋の最先端のデザインだとか芸術運動のものを取り入れていって、
それによって近代的な都市というものが作られていった。それを絵画だけではなくてポスターとか、ちょっと化粧道具なんかがあったりとか、あるいは映画もちょっと流していたり、いろいろなジャンルの作品によって見ていくショーになるんですね。
昭治が選んだ作家のリストを見ていて、杉浦翡翠の作品がかなり分量を占めていました。
もともと私も、モダン美人誕生という手納会を企画した時に、三越のこととかは使ったので、その時は江戸東京博物館さんから杉浦翡翠のポスターを借りたりして、翡翠の初期の三越のお仕事をご紹介したこともあったので、
これは、私はそういうレトロモダンな、翡翠はもともとすごく好きですし、自分で手納会に出したこともあったので、翡翠の分量も多いし、翡翠によるアールデコの需要と展開みたいな感じで、翡翠推しで第4種を。
日本初のグラフィックデザイナーと言われた人ですね。
そうですね。本当にグラフィック市場に残るような傑作を残しているような人なので、そうすると結構、上でアールデコのああいう香水瓶だったりとか、カスタンドルのポスターとか、ああいうものとも共鳴してくれるし。
第1章、第2章、第3章を見て、今度階段を下りて始まるんですもんね。
そうなんです。会場が分かれて、その下のフロアの方で第4章が始まるわけですけども、翡翠推しで翡翠中心の華やかな雰囲気の本にしようと思ってやってたんですけども。
絵画作品の方で、坂田和夫とか中原実、川部雅一さん、小賀春江とか。
小賀春江とかは、もしかしたら海という作品がある。
そうですね。金美さんがお持ちの海という作品とかも有名ですし、葉山にある荘外の結晶とか、皆さんよくご存知の作品があるのであれなんですけど。
中原実とか川部雅一さんとかの、大変ですね、何というか癖の強い。
初めて聞く人が多いですよね。
そうなんですよ。多分初めて名前を聞かれる方の方が多いし。
この初めて名前を聞く、なかなか近代美術館展覧会でも出てこないですよ。日本近代美術館。
そうですよね。
これを小賀春江さんが選んだんです。
そうなんですよ。確かにいると、最終的には自分でも、これ結構不可欠の作家だなって思い至るに言ってたんですけども。
最初見た時には、なんじゃこれって感じ?
最初見た時は、これどうやって繋げようかなみたいな、結構頭を悩ませてて、どうしようみたいな感じで。
正直言って、杉浦翡翠と何にも相入れない感じがあるんですよね。
全然違うジャンルの人ですしね。
全然違うという、そうですね。やっぱり時代感というのは似てはいるんだけれども、翡翠の華やかな商業デザインですよね。
モダン都市東京というものを高らかに歌い上げるような。
地下鉄のポスター、銀座線のポスターとかで有名な。
そうなんですよね。ああいうものと相反するかのように、ちょっと暗さがあったりとか、グロテスクさがあったりとか。
カワーベ雅久の作品紹介
これ展示するにしても、ちょっと同じ壁面に並べられないんじゃないかなとかって思って。
相性が合わない。
ちょっと持っている雰囲気が違うので。
なので翡翠の分量もちょっと増やして、翡翠コーナーみたいな感じで、アールデコというものを日本風に解釈してデザイン化していった人として、杉浦翡翠を最初にご紹介する。
その後もちょっと山田新吉とか山田綾夫とかの、同時代の翡翠に続いていくようなポスター作家とかのものを一つ並べて、一続きの壁の中でご紹介をする。
対してちょっとバーサスじゃないんですけど、反対側の壁に、対面の壁の方に坂田和夫から始めて、中原実とか川辺雅久、それから小川春江、続いて永久のコラージュの作品とかそういうものを並べて、
少しやっぱり大正から昭和初期にかけて、いろんな進行美術運動が盛んになっていって、プロレタリア美術とかそういうものとも結びついていくわけですよね。
なのである意味時代の暗さとか、戦争へと突入していく日本の足音が聞こえてきそうな、そういう面を持った作品も生み出されていったんだということを、対面の壁の方でパッと並べてご紹介するということで落ち着きました。
岡田 でもこれ多分宮崎、中原実と、かっこいい川辺雅久さん。何者だってことだよね。
宮崎 そうなんですよね。
岡田 でもなんか、特に川辺雅久さんにめちゃめちゃ興味持っちゃって、川辺雅久さんの作品のためだけのパネルが1個売ってるぐらいドハマリしてたじゃない。
川辺 そういう予定ではなかったんですけど、自分の中では筆芯についてもっと掘り下げたりとかって思ってたんですけど、川辺雅久さんの今回ですね、板橋呉美術館さんからお借りしたメカニズムという作品がありまして、1924年に、大正13年に描かれた作品なんですけれども、これ多分ネットで検索しても出てくるかなと思うんですけどもね。
男性の頭部の頭部が、頭の部分がですね、画面の中央に描かれていて、それが首元で切断されているというか。
川辺 生首のようにパッと見オゾマシーズがゾッとするような。 森 そうなんですね。パッと見ちょっとグロテスクな感じで、そこにいろんな機械部品だとか、工場の機械仕掛けの中に男性の頭部がはめ込まれているようなもので。
自分でも実際この作品、他のテナン会で見たこととかもあったんですけども、今までさほど募金かけたこともなかった作品ではあったんですけれども、今回も強烈なの借りてきたなとかって借りてるなと思いながら。
でもやっぱり作品解説各部屋でいろいろ川辺雅史さんについて調べたりとか、作品じっくり画像見たりしているうちに、すごい面白くなってきてしまったというか、なんか気になる存在になってきてしまった。しかもすごいこれもう機械主義じゃないですか、正直言って。
いろんな機械の中に人間が挟み込まれているような感じで、これなんかむしろ今回のテナン会の日本のショーを代表する一点だなと思いました。
じゃあ、杉原一優なんとかしようと思ってたのに。
思ってたのに。思い始めて、もうこの番組にもご出演されている板橋久美の広中聡子さんに頼み込みまして、この作品、ごめんなさい、やっぱり事前に調査させてくださいっていうふうな感じでお願いをして、もう広中さん本当にお忙しい中、ぜひぜひということでご開託いただいて。
お借りしに行く前に、ちょっと一回じっくり見させていただく。
板橋久美さんに行って。
収蔵庫の中でじっくり見させていただいて、二人で広中さんと一緒にこの作品を見ながら、ここにも紙貼り付けられている、コラージュがすっごく多い作品なんですけども、至る所に雑誌の切り抜きが貼り込まれていると。
で、広中さんも、え、ここも紙ですね、とか言って、二人で見ながら赤い印をメモ用に持って行った画像に、こうやって書いて、数えてみたら実は30箇所以上のコラージュがあることがわかったんですよ。
で、今までにも貼られている中で、このレスプリヌーヴという文字がね、レスプリヌーヴとありまして、これはコロビジュニアたちが1920年から1925年まで発行していた有名な雑誌だろうと言われていて、
で、今回ちょっと長さとか測ってみて、これサイズ的に多分雑誌そのものの表紙を切り抜いて、多分貼っているものがある。だから広告とかの可能性もあるじゃないですか。なんかこう他の雑誌に載ってたレスプリヌーヴの広告。
そうですね、とかっていう可能性もあって、もしかしてそれかなちょっとって思ったりもしてたんですけど、多分サイズ的にはぴったりだったりとか、あとなんかこうシプルオディッセイってなんか文字が書いてたりとかするんですね。円の中に周囲を囲むように書いてますね。
で、真ん中に星印とかがあったりして、これとかもなんだろうと思って調べたら、ベルリンで19世紀の後半に設立された香水メーカーがあって、そこが出している香水のアトマイザー。
アトマイザーってよく香水瓶に管が出てて、手でプシュプシュってやって香水を出す、あれの宣伝広告のイラストがあるんですけど、それに書いてある、要はこれ商品名なわけですね、その香水の。で、それを切り抜いて実は貼ってたっていう。
今回発覚したんですか?
そうなんですよ。発覚して、じゃあこのドイツの広告、どっから手に入れたのかって。
そう、カワーベは何者なんですか?
カワーベ雅久さんについてなんですけど、すみません。作品の方先に。カワーベ雅久さんって、生まれは1901年で新潟生まれの人なんですけど、もともと中学卒業してから画家になりたかったっていう人物なんですけど、お父さんがちょっと亡くなってしまった関係で、本当にちゃんとお金稼げる仕事に就かないといけないっていうことを、
そういう必要に差し迫られて、美術学校に本当に行きたかったんですけど、歯科医の学校に通ったんですよね。日本歯科医学専門学校って、今の日本歯科大学に入学をして勉強してたわけなんですけど。
歯医者さんの道に進んだってことなんだ。
歯医者さんの道に進むはずだったカワーベ雅久さん。ところが彼が3年生の時ですかね、日本歯科医学専門学校の設立者が中原一五郎という人なんですが、その人の息子が、さっきからちょいちょい名前が挙がってる中原実ですよね。
中原実は超エリートで、日本歯科医学専門学校終わった後にハーバード行って歯科医学を学び、その後第一次世界大戦末期のフランスに渡って、実は陸軍の司会として勤務した経験もあるんですよ。
向こうの陸軍ってことですか?
フランス陸軍で働いていて、戦場で虫歯とか治療してたのかなってちょっと思ったんですけど、そうではないらしくて、やっぱり近代の戦争で銃撃戦とかで頭部が損傷したりっていう、そういう傷を負う兵士が大変増えた。
やっぱり司会の、例えば顔面の骨格に関する知識とか、そういうものがすごく情報されたらしくて、そういう本当に負傷兵の治療にあたるっていう仕事をしてたのが中原実なんですよね。
彼は1918年からもう5年以上かな、フランスにいて。司会として勤務する傍ら、絵画を学びに実は学校に通ってたりとか、あとは結構ドイツの方に行って、当時の本当に最先端の技術運動に感化されたりして。
勝手にドイツ人の奥さん、結婚してしまって、お父さんに内緒で。1923年の関東大震災よりもちょっと前に帰ってきてるんですけど、息子さんが描いてたあれだったかな、列車からみんながいよいよ中原家の息子さんが、フランスで経験も積まれた息子さんが帰ってくるっていうので。
人の息子が。
人の息子さんが帰ってくる日本医学の専門学校で、先生として迎える人なわけですよ。駅で待ち構えて、息子が帰ってくるってお父さんも待ってたらしいんですけど、みんなでね。
だったら、すごい金髪のドイツ人の奥さん、片笑いに連れてて、お父さんがすっごい怒っちゃって。
勝手に結婚してるのもあるし、しかも海外の人だし。
っていうのもあって、っていうエピソードが親族の方に書かれて。
見つかれてる。相当びっくりしたんでしょうね、それは。
相当で書かれてるぐらいのエピソードとしても残っていて。
中原実との出会い
その中原実が、洋工帰りの、司会としての経験ももちろん積んでるわけですけど、もう最先端の向こうの技術に身を浸して帰ってきた中原が、自分の先輩みたいな感じなわけですよね、この川部正久から。
自分のだって学校も出てる人で、帰ってきて、そこで教鞭を取るようになるような人で。
元々だって、美術学校に行きたかった人なので。
まさか、だから自分はもう美術は諦めて、会社の世界に行ったはずなのに、最先端の美術に暮れたやつが、兄さん的な感じでいたの?
で、ちょうど3年生ぐらいの時に帰ってきちゃって。
えっ、やば、俺、かっこいいみたいな、多分なったと思うんですよ。
俺が秘めてた、あの情熱、美術に対する思い、今こそ解き放てみたいな感じだったと思うんですよ、本当に。
すごい引きが良かったんですよね。
それはもう、運命の巡り合わせみたいな感じ。
ですよね。だから、川部正久さんがこういう作品を描くにあたって、中原実人との出会いっていうか、偶然の出会いがなかったら、こうならなかったと。
でも、独学は独学なのですか?
別に美大とかじゃないってことは。
そうですよね。
基本は独学。
基本は独学で、その川部との出会いがきっかけになった。
中原との出会い。
中原実人との出会いがきっかけになって、23年帰ってきて、翌年、九段下のところに、もともと自分の自宅があったんだけれども、関東大震災で焼けちゃって、その焼け跡に画廊を建てちゃった。
なんだか、金持ちやっぱ違いますよね。
そうですよね。当時、日本で初めての現代美術専門の画廊を建てて、その活動とかにも川部は積極的に参加していく。
自分でも作品を描くし、そこで日本で初めてのアンデパンダン展、無審査の展覧会というのが開かれて、それにも参加する。
その作品、この三日に積むという作品も、首都美術展覧会というアンデパンダン展に出品されていたんですよね。
その絵とかも中原みのるから教わっているんですか?今、こういうのが流行っているよとか。
おそらく、コラージュという方法とか、それは中原から学んだのではないかなと思われるんですよね。
広中さんとも話していたのは、こういうドイツの広告とかが使われているから、もしかして中原の奥さんが、例えばドイツから持ち帰ってきたファッション雑誌とか、そういうものにこの広告が載っていて、それとか使っていたら面白いよねという話をしていたんですけど。
川部自体は海外に行ったという記録はないんですか?
若い時にはないんですよ。この三日に積むという作品も、男性の首の部分が解剖図みたいに切り開かれていたり、手も解剖図みたいに描かれていたりして、
やっぱりこの人は歯科医学生だったので、どうしても普段から解剖図を面していたりとか、人体の模型を見たりとか、そういう生活を送っていた人なので、
川辺雅久の作品の特徴
これって司会と、未足の藁じゃないですけど、そういう得意な経歴があったからこそ生まれた作品なんだって思うと、そこにもますます惹かれていくところがあって。
結果、パネルができた。この説明をするためだけのパネルが。
そうなんですよね、ということですね。
でも、このカーヴェはこれ以外は、この後もずっと絵を描き続けていくんですか?
それが、他にも実は作品、この時代にも描いていて、ちょっとこの放送の時には終わってしまっていると思うんですけど、
神奈川県立近代美術館の葉山の方で開催されている、移動するものに積む展なんかにも、この時期のカーヴェの作品が展示されたりとかしているんですが、
結局、学業を終えた後、やっぱり新潟の方にお戻りになられまして、司会として開業されて、司会としての人生を全うされるんですね。
新潟の方というのは、そっちがもうメインなんですね。
一応、絵画作品を描き続けたりとかもされているんですけど、結構普通に生物画とか、お部屋を描いた作品とか、あんまりこういうコラージュとか、人体の解剖図みたいな、
この鋭さっていうか、これはどこに行ったのかなっていうくらい穏やかな作品を描かれるようになるんですよね。
非常に穏やかな。
20年くらいパンクロックだったのに、急にもうそういう歌は歌わなくなっちゃったみたいな。
そうですね。大変穏やかな。たぶんドビフシとか聞かれてたんじゃないかなっていう感じの。
確かに。だから司会として成功してるから、お金にもそれなりにゆうとりもあるでしょうし。
でもやっぱり時代性とかももちろんあったと思うんですよね。この時代だからこそやっぱり生み出された。
若かった、本多美術の道を進みたかったので、今はまさに自分の身近にそんな人がいてっていう時にできた作品っていう、やっぱりそういう面白さがあるんですよ。
これはでもこの作品すごい熱愛というかされてて。
意外と板橋美術館はこの作品をそこまで重要視してないのかなと思ったのは、このタイミング。
3月から板橋美術館でシュルレアリズムと日本というシュルレアリズム100周年みたいな。
この作品がポーラーにあるということは貸し出してOKってなったと思うんですもんね。
ということなんですよ。お貸し出しいただけて。でもやっぱり最終的にこの作品があってすごくよかったな。
展示作品の紹介
隣に中原実の作品があるんですけど、中原のその作品は東京都現代美術館さんからお借りしてきた作品で。
中原って結構フランスベースだったんですけど、ベルリンとかドイツの方にも結構頻繁に行ったりしていて。
第一次世界大戦後のちょっと退廃した雰囲気のベルリンの街を描いた作品って言われるものをお借りしてきて。
そこでもやっぱり人体、人間がたくさん描かれてるんですけど、結構人体が切断というか部分的にやっぱり描かれていたりとか。
あと中に文字がタンツって、ドイツ語でダンスの意味のタンツっていう言葉が描かれてたりとか。
そういうちょっといろんなものがやっぱり貼り付けられてるわけではないんですけど、やっぱりコラージュ的に描かれていたりっていうので。
ぱっと見はそんなに似てるっていう感じしないかもしれないんですけど、やっぱり要素要素を中原の作品から結構影響を受けてるなっていう感じられるようなものなので。
今回その2点が並べられたのはすごく良かったなと思いますね。
プレスツアーの時と同様にメカニズムの尺がめちゃめちゃ長くなる。
あと他紹介できるのかなって今時間配分的に思ってるんですけど、せっかくだから他の作品もね。
切ってください、適当に。
だから今日はちょうじさんがリストがあったわけです。
山村さん的に追加したやつは何なんですか?
杉浦秘水のポスターの作品なんかは、杉浦のボリュームをもう少し持たせたいということで、個人像の個人の方がお持ちの作品をいくつかお借りしてきて。
この放送が配信される時には展示替えで下がっちゃってるんですけれども、杉浦秘水って結構山澤昭雄のポスター描いてて有名なんですけど、
しょうゆ瓶がちょっとポップな感じでレイアウトされてて、いかにもアールデコの影響を受けた感じで、いろんな幾何学的な形がしょうゆ瓶と一緒にリズミカルに並べられてて、
すごく山澤昭雄のイメージをモダンな感じにしてくれるようなポスター有名なんですけど、
今回出している山澤昭雄の唯一のポスターっていうのが、これね、もう中の内部の人間で、何あのポスターっていう感じで食いつく、食いつきのがすごくて、一番多分内部の人間が受けがよかった。
何あれってみんなが面白い面白いって言ってくれたポスターがあって、ちょっとこれもう図録でしか拝見できないので、皆さんぜひ図録を買っていただきたいっていう。
だからビル群の中にでっかい山澤昭雄が立ってるみたいな感じですよ。
なんかニューヨークだか何かどこかを、湖畔街だか何だかイメージしたのかなっていうような高層ビルとかが立ち並ぶ、大変モダンな街中の中に、すっごい写実的に描かれた山澤昭雄の瓶がドーンって、ドーンってなんかの、鎮座してるんですよ。
杉浦秘水のポスターと展示作品
これは確かにインパクトあったし、僕もこれはめっちゃ面白いなと思ったんですけど、
面白いですよね。
結局これを見て山澤昭雄カオーになるのか、おいしさとかでもないし、何を伝えたいのか、山澤昭雄は大きいよって言いたいのかなとかわかんないけど、インパクトだけはありますけどね。
そうなんですよね。で、こういうユーモアセンスもひすいて持ってたんだなっていう。
今のCMに近いですよね。なんかこのCM、ブランドイメージの広告ですもんね、これだって。味じゃないし。
そうですね、味とかそういうことじゃないんですよね。
面白いことやる。ニッシンの今のCMみたいな感じというか、商品のこと言ってるというよりは、この企業がこういうユーモアがある企業ですよってやってるように見える感じですよね。
そうですね。で、隣に同じくらいの高さのタワーとかがあったりして、こういうモダンな場の中にズズズイと出てきた山澤昭雄。
これ一本が何て書いてある?
品質日本一と書いてありますね。
で、この山澤昭雄の瓶の隣を路面電車とかが通ってますからね。
これ皆さんぜひ本物見てほしいと思うんですけど。
そうなんですよ。
やっぱさすがにうまいなと思うのが、その瓶のラベルが正面向いてないんですよね。ちょっと隠れてるんですよ。
ちょっと隠れてるんですよ。
見せないっていうところがあったね。
そうなんですよね。
これがなくなっちゃってるってことは、今配信中は何に変わってるんですか?
配信中は、これの配信中もまだ東洋唯一の地下鉄道という上野・浅草間開通という翡翠の代表作ですよね。
1927年にアジアで初めての地下鉄が日本で開通して、最初が上野と浅草間だったんですけれども、それを宣伝するポスターを翡翠が手掛けていて。
やっぱりうまいなと思うのが、翡翠ってヨーロッパにその直前、22年から23年にかけてフランスとかドイツとかベルギーとかも行ってるんですけど、
約1年ヨーロッパに行って、そこですごくたくさんのポスター集めてきてるんですよね。
映画「百年後のある日」の紹介
300種ともいわれて、400ぐらいあったんじゃなかって言われてるんですけど。
カッサンドルのポスターなんかも含まれていて、カッサンドルのポスターは今回第2章でご紹介してるんですよね。
カッサンドルも結構、例えばノールエクスプレスっていう列車のポスターを描くにあたって、列車の車体をバーンと描くんじゃなくて、
車輪を大きく描いて、でも車体ほとんど見えないみたいな。
とか、北極星号の宣伝ポスターで、それも車体描かれてないんですよ。車輪すら描かれてないんですよね。
で、線路。線路がワーッと前面から後方に向かって伸びていって、どこまでも延々と続いていく列車の線路っていうものを表して、それでポスターをきちんとデザイン。
想像させるわけですよね。
そうなんですよね。
ニール側にみたい。
そういう余白のあるデザインで、やっぱり筆水もそれにすごく影響を受けているなと思うのが、地下鉄の宣伝ポスターでも列車の車体、描いてはあるんですけど、隅の方にちっちゃく、今まさにホームに入ろうとしてくるこの列車。
それを待つ、心待ちにしているこのモダン都市東京の人々っていうのが、このポスターの一番の主役であって、前の方には洋服、コートとか帽子被ったりっていう、男女とか子供とかが描かれていて、
奥の方にはすごく華やかな柄の着物なんか着てる人もいるんですけど、やっぱりそういうモボとかモガっていうものが前の方に目立つように描かれていて、やっぱりこの時代の東京、どんどん都市機能が充実していって、百貨店なんかも頑張ってきていく時代なので、
そういうにぎわいというものをうまく表現しているなっていう、この作品はまだ展示中ですね。
これ方は当時は広告ですから、いろんなところに飾られてたんですよね、ポスターですからね。
そうなんですよね。
おしゃれですよね。
おしゃれですよね。これ本当に今見ても色褪せないというか。
確かに。
地下鉄にだから夢があった頃ですよね。夢があった。今がないかって言ったらそんなことないけど、今はもう通勤とか移動の手段のためのもので。
移動の手段で当たり前のものですけど。
そう、地下鉄に乗れるせいなんて思わないけど、この時はもう開通することが夢のような話だったっていうのが伝わりますもんね、このポスターから。
そうなんですよね。電車がやってくる。うわ、来たっていうそのワクワク感みたいなものがやっぱり出ている作品だなって。
このセンスがある人がさっきのヤマサのポスターを作ったのかと思うとまたそれがすごいですね。
違う面が見れてなかなか面白いですね。
だいたい4,5点は出ている状態ですか?
そうですね。ポスターは常時4点ずっと出ていますし、他に例えば三越とか大阪の三越っていうデパートが発行していた雑誌ですね。
それも表紙を展示、それは6点ずっと展示しているので、やっぱり日水って地下鉄とか三越なんかのデパートみたいにどんどん整えられていく都市機能というか、
新しい東京のイメージっていうものを体現していった存在なんだなっていうのがわかっていただけるかなと思いますね。
しかも今回展覧会では、4章の最後は映画で終わるというね。
そうなんですよ。
あの映画もなかなか変わった映画でしたよね。
そうなんです。これもまた障子がどうやって見つけてきたのかよくわからないんですけど、よくまた見つけてきたなという感じで、
小木野茂二という監督が手掛けた、そうなんです。私も実は知らなかったんですが、「百年後のある日」という映画ですね。
だいたい10分、15分、そんなに長くないんですね。一応その場で最初から最後まで見てもそんなに苦痛じゃないぐらいの長さなんですけど。
これは映画館で上映されたものなんですか?
この人実はアマチュアの映画監督だったんですよ。だから商業映画じゃないので、ただいろんな海外とか日本とかの映画のコンペとかにもいろいろ出してた人なので、その大きな映画館とかでワンって上映されたわけじゃなくて、自分でなんかコツコツずっと作ってたっていうタイプの方。
この人自身は第一次世界大戦は経験している人なんですね。家が炭屋さん、要は燃料屋さんなんですよね。すごく裕福で、ご自身がそんなに働かなくてもいい方だったんですよ。
長原みどるみたいなの出てきた。そんなバカですね、この時代は。
でもそれがやっぱり、この映画をコツコツ自分で作るっていう活動に集中できたわけなんですよ。
この100年後のある日っていうのは、かなり具体的なストーリーがあって、影風のアニメーションの映画なので、実際に人物が出てきたりとか、いろんなものが出てくるんですが、この他にも実験映画みたいなものものすごいたくさん作ってる人で、すごくそれは例えば抽象的な、波の波紋とか。
そういうちょっと実験的なものもたくさん作っている人の作品ですね。
主人公が自分自身、小木野茂次っていう、自分自身の名前をつけてるんですけど、小木野さん、小木野茂次さんが、これ作られたの1932年なんですけど、10年後の1942年にもう1回世界大戦があるんですよ。
要は予見してるんですよね。32年の時点でもう1回世界大戦が来る。1942年の世界大戦の時に、この小木野さんは爆撃で死んでしまうんですよ。
なんですけど、そこから、その死んだ時点から90年後か、2032年、要はこの映画が作られてから100年後に、蘇るっていう話なんですよ、設定としては。
それは小木野茂次の子孫という名乗る人物の案内で、甦った小木野さんが、その2032年の世界を見て回るっていうSFです。
これ一応日本における最初期のSF映画っていう。
SFだし、しかもSFアニメーションって考えたら思います。
アニメーションですね、そうなんですよ。
手塚治虫とかよりも先ってことですよね、そう考えたら普通に。
確かに時間旅行、過去から未来へっていうものとか、未来都市とか、あと最後ちょっと宇宙旅行で火星に飛んじゃうんですけど、っていう確かにSF的な要素が詰まっているものなんですよね。
で、この中で結構未来都市とかが出てくるんですけど、中央市、中央っていうのと真ん中の中央ですね、中央市っていう都市に小木野さん連れて行かれて、はて中央市とは、みたいな感じになるんですけど、ここはかつて東京と呼ばれていた、その前は江戸と呼ばれていたあの場所です、みたいな説明が入って。
ここはあの東京、みたいな感じになって、その東京が映し出されて、もうなんかマンハッタみたいなビルがブワーって建ってて、で、乗り物が来るんですけど、それがなんかちょっとあざらしみたいな丸っこい形で、それが道のような道じゃないようなみたいなところを通り過ぎていくような。
で、その乗り物とか見た時に、あれ、私なんかSFに出てくる乗り物のイメージってこれだなって思ったんですよ。で、確かにこれって日本人が持っているSFとか未来都市みたいなイメージの中もしかして原型があったりするのかなって思ったりして。
これを見てたってことですね。だからSFやった人、影響を与えているかもしれないですね、この方に。
そう思いました。なので、今回チャプリンの映画とか、ようしょようしょに結構映像みたいなのが出てくるんですけど、アネミックシネマとかシュールのところでは、ちょっと最後にはこういう日本の1930年代に作られたちょっと面白いSF映画を流している。
そうか、だから今100年後って言ってたけど、2030何年って言ったら、今の僕らからしたら本当に数年後の話ですよ。
でも10年もないんですよ。その10年の間にこの新しいみたいな、ふん、ふんって通り過ぎる、この乗り物作れるかなみたいな、多分作れないと思います、これ。
でもなんかすごいですね、100年前の人が考えた100年後を今知れるってのは面白いですね。
そうなんですよ。
4章、だいぶ頑張りましたね。
意外と、モダン・タイム・スイン・パリということで、パリがついてしまってるし、やっぱりレジェとかデュフィの作品っていうのがポスターとかにもどーんと出てるので、西洋の作品が中心のテナカイかなって思われるかもしれないんですけど、意外と第4章、ボリューム的には割とありましたよね。
ありました、ありました。
結構日本のところにも分量割いてるんだなっていう感じなので、その辺りご興味ある方にもぜひ見ていただきたいなっていう。
やっぱり僕は山間さんのツアーで回ったんで、テナカイ見終わったら感想は、メカニズムしか残ってなかった。川辺雅希さんですよ。あんなにいろいろと1章からブランクーシな、いろいろと見てきたわけなのに、シュルレアリズムだとかナリークとか見たけど、結構あれ川辺雅希さんを見に行った回なのかなって思う。
ほんとですか?
多分この回を聞いてる人ももう、川辺雅希さんのことしか今残ってない。
残ってないですよね。
あと山下翔太さん。
山下翔太さんね。
それでいいですよね。
いいです。
いいですか。翔太さんが企画したやつなのに。
はい、ということで、改めて告知をしていただけたらと思います。
『モダンタイムスインパリ1925』展覧会の紹介
モダンタイムスインパリ1925、機械時代のアートとデザインということで、1920年代から30年代にかけてのフランス、パリを中心にデザイン、機械、アート、いろんなものが展示されている展覧会なんですけれども、機械にだんだん近づいていくアートとか、アート日本にだんだん近づいていく機械というものが見れますし、
それが日本にどういうふうに授業されて展開されていったのかというものもご覧いただける、結構盛りだくさんの展覧会なので、映画に興味ある方、車に興味ある方、歯車に興味ある方、アートだけではなくてね、いろんな興味関心持ちの方にぜひ足を運んでいただきたいなと思っております。よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
はい、ということで、次回も甲羅美術館の話題を中心に、美術についての話を続けたいと思います。