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  2. S4 ep1 民藝運動を時代と周縁..
2024-07-02 58:24

S4 ep1 民藝運動を時代と周縁からながめてみよう 民藝 Returns(前編)

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Cra出しRADIOシーズン4、スタートしました。今シーズンは、ファーストシーズンのエピソード5~7で取り扱った「民藝」を初回のテーマとして始めてみます。以前民藝について話してから2年経ち、前回とは違う視点で語ろうという試みはうまくいっているのかどうなのか??

ちなみに、途中話題にしている志保、海自作のスリップウェアはこちらです↓

https://x.com/con_cra/status/1807985028942778475



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民藝 MINGEI ―美は暮らしのなかにある 世田谷美術館


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『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』山本浩貴 著


https://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/10/102562.html


MAVO (Wikipedia)


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『アウト・オブ・民藝』軸原ヨウスケ・中村裕太 著


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⁠パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

ConCRAのメンバーが、工芸を軸に物と人との関係や物を作ることについて考える番組「CRA出しRADIO」のシーズン4が始まっています。岩田、うみ、しほのメンバーが再開について話し、新しいジングルや楽器の使用方法など、今シーズンの模様を紹介しています。 「民藝運動を時代と周縁からながめてみよう 民藝 Returns(前編)」では、民藝運動について語られています。濱田翔二や共同立ち上げ人など、関連するキーワードも取り上げられています。 大正時代には、産業革命以降のものづくりが盛んになり、効率が優先されて物の質が後回しにされている中で、アーツ&クラフト運動やウィリアム・モリスの危機感に影響を受け、日本でも民芸運動が生まれました。また、大正時代には日常の雑記に価値を見出す感覚やマボ芸術運動も広がっていました。 民藝運動を時代と周縁からながめてみよう 民藝 Returns(前編): パトロンにフィーチャーしているというのはね、こういう人がいないとスタートしません。ハルーミさんのセリザワさんという人が、高林兵衛によって設計に案を出して、大工の手配などを尽力しました。 民藝運動を時代と周縁からながめています。

シーズン4の始まり
CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。 うみです。 しほです。
はい。 皆さん、お久しぶりです。
どんぐらいぶりなんでしたっけ? 3ヶ月ぶりに帰ってまいりました。
最後の配信が3月終わり、4月初め。 4月頭ですね。 そうですよね。
待ってる人がいたのか、おらんのか、勝手に始まったのか、再開したのかは知らないですけどね。
待ってなくても、なんか、新しいの出てるって気づいた人たちがいる。 かもしれないですね。
見てくれると嬉しいですね。 3ヶ月休んでると、どんどん忘れられていってるんだろうなっていう感じがあるんですけど、それでもちゃんとずっと聞かれてるようですし、休んでる間もチラチラと。
なんか、あったかいリスナーに支えられてる実感はしていますが、我々ももうなんとシーズンドゥルドゥルドゥルー。
4? そうですね。 なんで私のホームページに入ってんの?
なんとなく。 私が今言うのかっていう。 いや別に誰も決めてないんですけど誰か言うかなと思って。
もうシーズン4まで来てしまいましたけども。 そうですね。
新しいジングルと楽器の使用
ちょっと模様替えしまして、これ収録してる時点ではちょっと出来かけなんですけど、ジングルを変えましたというのがまず。
季節に合ってる。 季節に合ってんのかな?
夏能量感はちょっとありますよね。
また岩田さんの力作なんですけど。 バケーション的な感じ?
リゾート感。ビーチリゾート感ある。 ゆうすずみ感ある。
最初の印象だけど。
反響もそれなりにあった。今年初めのベストバイとかを言い合うところで登場した岩田さんのオムニコードが使われてるんですよね。
ちょっとその辺もね、伏線回収というかね。
伏線をなんとなく回収しつつ。
楽器はオムニコードと? あれ言った方がいいんじゃないの?
バラフォンというアフリカの楽器をメインというか。
だから基本的に今回はソフトウェア音源を使わずに作ろうと思って。
全部アナログ。
和太鼓と。
和太鼓使ってましたね。
家にあんの?
この部屋に。
和太鼓とオムニコードと。
前のジングルでも使ってたリズムボックスと。
あと海さんからもらったギターと。
あれですよね。レスポールジュニア。
あんな音するんだってちょっと僕も驚きましたけど。
人が違うと違うね。
バラフォンってどんな楽器なんですか?
これ竹じゃないな。木製の。
木筋ですよね。木筋の下にたくさんひょうたんがぶら下がってて。
それで音を反響させるみたいな風になってるんですけど。
アフリカのどこの国の人やったかな?
アフリカから直接持ってきたアフリカの方。
アフリカの方って超ざっくりした言い方やけど。
どこの国か忘れちゃったんで。から直接買いました。
わざわざ持ってきてもらったんですか?
そう、わざわざ持ってきて売ってたやつを買いました。
ピアノみたいにきれいにというよりは音階がいわゆる十二分割で均等にチューニングされてない感じっていうか。
個体差があるってこと?
僕も買ってからいろいろ調べたんですけど。
僕が買ったのはペンタトニックスケールっていう日本の夜名抜き音階と同じ音階のやつなんで。
だから上を向いて歩こうとか弾けるんですけど。
その十二音階のやつもあるらしいです。
そうなんですね。
いやいや、それがいわゆる民芸の話なんですよね、ちなみに。
いきなり?
今日のテーマね。
今日のテーマいきなり言うと。
なんかその非西洋的なところのインスピレーションをなんとなく十二音階のところと勝手にシナプスがつながっちゃったんで今言ったんですけど。
民芸の話を久々にしようかなっていうところですね。
あれですよね。割とダサン的な部分もありつつですよね。
そうなんですよね。
我々もなんかすごい聞かれてるんですよね。
我々が。
断トツでね、民芸界がね。
聞かれてるんですよね。
もっと言うと、あまりにも言ってきたっていうだけの振り返ると雑なレポートもあったかなっていう感じもあったし。
無邪気。
無邪気だね。
前回収録した当初よりも、倉田氏ラジオの回数を重ねたりとか、我々もいろんな人の話を聞いたりとかして。
民芸展とブロックバスター化
いろいろ工芸もそうですし、民芸にまつわることのメタ認知がわりかし強化されてきたから。
もうちょっと振り返るきっかけないかなと思ってた矢先に、我々の近所の世田谷美術館で巡回展でやってた民芸っていう展示。
もともとはどこからスタートしたんですか?
それも後でちょっと言うんですけど、美術館と、これは確か新聞社がどっか協賽なんですよね。
新聞、後で言うというか今も言っちゃってますけど、メディアと美術館の共同で開催する展覧会のことをブロックバスターというらしいんですよ。
そうなんですね。
僕も知らなかったんですけど。
ブロックバスターってハリウッド映画とかでどこのシネコンでもかかってるような超大作みたいなもののことを言うという認識だったんですけど。
なんかそれが転じてるんですかね。これも後で言おうと思ったけど、今から言うんですけど。
尚人裕樹さんっていう美術評論家であり、プレイヤーでもある方の、最近司法さんが買ってきた本を横から勝手にパラパラ見せたら、彼の著作の中でそれを言う。
このブロックバスター形式の展覧会がパンデミック下における壊滅的なダメージを与えたということで僕読んでたんです。
壊滅的なダメージ?
物流とかが全部パンデミックで止まったりすると、簡単に言うとメディアと共同で開催するっていうことは、ある程度集客が見込める。
言ったら今まさに我々が同じようなことをしようとしてるのかもしれないですけど。
ネタで例えばモネ展とか、わかりやすく平日の昼間でもすごい混んでそうな展覧会とかをやるときは、それを運ぶ人とそれを責任持つ人も合わせて来日させる予定を組まなきゃいけないとか、
そういうものをやってるとパンデミック下ではそういう企画は全滅するっていう。パンデミック下は何をもたらすのかっていうようなショーだったんですけど、たまたまショーさんなんだっけね、忘れたんですけど。
例えば今のと、人気漫画の展覧会とかいい例かもしれないね。
ブロックバスターのいいところは、美術館の経営的にはメディア特務っていうのは集客力があるもの、ネタとメディアがガッツリ合ってるので、とにかく集客性がすごく読みやすいし見込めるっていうことと、
悪い点で言うと、わかりやすくマーケティングに走ると、なんとか原画展とか、別に悪いとは言わないんですけど、もうすごく広いレンジの知識を持っている学芸品のナレッジが持ち腐れされやすいという。
美術館においてのインパクトが博物館や美術館にとってはあまり良いことではないということですね。
何のためにこの人のナレッジがあるんだっけということになります。
経済的にはうるおうけど、言ったらミュージアムショップは相当うるおうけど、学芸員がミュージアムショップを作るわけでもないから、才能があまり使い切れていないかな。
でもね、カタログとかに気合入る場合があるから、だから結局展覧会見た後にカタログ買ってみよう、ブロックバスター系のやつね。
やっぱりお金かけているだけあって、すでに。
あと元々の写真とかの権利とかが全部クリアにされているから、結構そういう図録としては写真とか修了性が高いなと思うのがやっぱりメディアが関わっていたりすると、そういうのは良いことなんじゃないのって私は思います。
もちろん良い部分もあるんでしょうね。っていうような複雑な思いを胸に、結論から言うと、すごく世田谷美術館に思い越しをあげて、近い場所ほど思い越しをあげる感じってあるじゃないですか、人って。
いつでも行けると思うからね。
いつでも行けると思うからね。
東京タワーに行かないみたいな感じ。
会議が長いから、1週間とかあったら私も、2、3ヶ月とかやってると、行こう行こう、いやだるいみたいな、近いほどそうやって思っちゃうものですけど、行ってきて、結論から言うとやっぱり、もはや数年前とは違う民芸っていうネタに対するブロックバスターネタ感をすごい感じて帰ってきたっていうことなんですけど。
場所的な話もあるかもしれないけどね。
悪いことっていうよりは、そういう民芸っていうワードが共有されてるんだなっていう感じですよね、いろんな人に。
それもそうだし、結局展覧会のないミュージアムショップが突如として最後現れて、ミュージアムショップもあるのにミュージアムショップができてるっていう構造。
だからそれって民芸100年展も同じことがあって。
でも民芸100年展のやつはもっとエグいなんだろうな。
それは何ですか?ミュージアムショップが通常よりも拡張してたってことですか?
今までもあるんですよ、それ。ピーター・ラビット展とか。
ピーター・ラビット展もエグそう。それこそブロックバスター感あるな。
でもね、私的にはほぼ同じレベルだった。
そうなんですけど、前回の近代美術館の物販よりは、どっちかっていうと、
これ岩田さんだけに分かる話してもリスナーの人分かんないかもしれないけど、
京都の新風館のビームスジャパンの関西の機関店のあそこのポップアップショップみたいな感じですね、イメージ的には。
だから民芸っていうキーワードとかコンセプトに絡めて、セレクトショップを展開してるっていうことですか?
しかも世田谷美術館って1階と2階に分かれてて、1階は民芸って2階にショップがあったんだよね。
2階の方は確かビームスの、元キュレーターが、今も現在もそうかもしれないけど、
立ち上げたお店とかの取り組みも紹介してた。
取り組みのコレクションを見せてた。そこから最後ビームス化してたお店、ミュージアムショップが。
私はピーター・ラビット展と同等か、むしろすごい人の欲をうまくプロットしてるなっていう。
それが悪いって言ったわけじゃないんですけど、
うまい編集とも言えますからね。
それこそまさにブロックバスター化したかっていう。
はからずもね、民芸運動の活動のことを前回の収録ではね、
我々はやってることビームスとかセレクトショップに近いよねというふうに、
ディスってつもりもないけど。
私は悪い意味で言ってない。私好きだもん、ビームス。
ありかしらよりビームス感を増してリターンしてきたという、そういう状況がありました。
しんぷう館で見に行っちゃうの?ビームス時間あったら。
ビームスジャパンのね、日本の良いセレクトされたものを集めるっていうコンセプトだよね。
京都にあるしなおさらだよね。
いいものっていうか、ユーモがあるものといいものが同じところでカオスって感じが好きな。
例えば5月とか恋のぼり特集みたいなのない?ビームスのジャパンの。
しんぷう館とかの。恋のぼりかーみたいな。
僕はあんまりそういうカルチャーがなかったからお家に。
マンションだったら仕立てる場所ないし、そんなに心躍らなかった。
今回の民芸展にはバッチリ恋のぼりの場所もありましたけど、
私は和紙が好きなので結構興味深い。
良い和紙使って良い恋のぼりだなと思って楽しかったけど。
あとはその前回の近代美術館の民芸展と我々がちょっとこのタイミングで民芸振り返ろうと思ってる
1年だか2年だかの間に、我々が実際ちょっとやってきたこともあったなと思えば振り返ったりとかすると
それこそ河合勘次郎の、ではないんですけど、河合勘次郎の弟子が作った茶碗にチップを埋め込んだりとかですね。
民芸運動の始まりと関係者
それで価値記事を問いかける作品を作ったりとか。
あとは今回でも展示されてたけど。
しかもその作品リムスのスペースで展示させてもらった。
あれって濱田翔二じゃなかったでしたっけ?
濱田翔二かなんかの弟子だったかもしれないですね。
共同立ち上げ人の人たちですよね。
ちょっと忘れました。
間接的に民芸が並みの茶碗に入れてしまっていると。
あとそれをビームスが主催している東京カルチャーストーリーっていうやつの
東京の原宿のラフォーレの最上階にある拠点みたいなところがあって。
ラフォーレミュージアムだったところだよね。
それをデジタル骨董展っていう、
新しい骨董とデジタルを掛け合わせて新しく見える風景を紹介する展示に出したりとか。
それ今初めて聞きましたけど。
多分初めて聞いたと思うけど。
聞き流したらごめんなさい。
でも確かにその年はNFT関連の引き合いが多くて、
この作品結構3,4個に出してたんですよ。
デジタル骨董展って他はどんなアプローチで?
エキソニモさんとか、どういう作品だったっけ。
バーチャルで殺した犬と犬の皮で作られているっていう風に設定したカバンとかがリアルにあるとか。
現実とリアルを投作するような作品じゃなかったっけ。
エキソニモらしい感じ。
それがペットショップで売ってるっていう設定なんですよ。
あとはメタマスク。
メタマスク。
タカオさんとかのだっけ。
メタマスク。
あとはワンニャン。
ワンニャンも一応出してたかな。
ワンニャンっていう加藤さんの名義だっけ。
加藤さんだけじゃなかったっけ。
我々がNFT界でも紹介したプルフォーX展のオーガナイザー兼作家の方が、NFTを絡めたデジタル高等展を出してたような気が。
出してましたよ。ガチャで出してた。
猫と犬どっち?って。
すいません、脱線させちゃいましたね。
それが開催、塚田有名ちゃんという人がキューレーションして声をかけてもらって、
ビームスのスペースで出せたことに私はじわじわ。
それこそさっきの伏線回収感があったりなかったり。
民芸とかで柳宗吉とかが収集してた朝鮮半島のチプシンというわら字があるんですけど、
あれを知られた、取り入れたミックスカルチャーみたいな靴を、
キッカボーの野島さんと一緒に作ったりとか。
何かと民芸に絡むことの実践というか検証というか感覚の確かめじゃないけど。
あとスリップウェアっていうお皿があるんですけど、
あれはどういうお皿?なんかおさらいすると、
イギリスでちょっと取ってきた雑記、
普通の庶民が使っているようなやつを持ってきて、これいいよねっていうのを日本に持ってきて、
エッセンスを河合勘次郎が再現してマシコで作ったお皿の様式みたいなのがあるんですけど。
元々ね。
バーナー・アンド・リーチ関係は?
バーナー・アンド・リーチ関係ありますよ。
教えたってことなの?そういうわけではない?
物を共有したんだと思うんですよ。
その元になっている収集したやつも展示されてたし、
民芸の一側面であるクックパンとカンというかレシピの共有みたいな感じで、
我々も現代に生きる生活者として、行くところに行けばそのレシピが共有されているので、
デジタル骨董展と民芸の結びつき
音声メディアであれですけど、画面上に志穂さんが作ったスリップウェアをお見せします。
すごい!めっちゃスリップウェア。
めっちゃスリップウェアですよね。
いいなぁ。
これが、志穂さんまた、これ結構ね、白化粧で絵付けするんですけど。
え、ちょっとめっちゃいいじゃないですか。それ志穂さんが作ったんですか?
盛り盛りに化粧のやつを。
使いにくいです。
盛り盛りすぎて。
これはこっちのラインの方は使いやすいけど、
もう一個のこっちの方はね、
こっちこっちって音声メディアで言ってたじゃないですか。
丸い方はボコボコしてて。
柄の部分が盛り上がりすぎてるってこと?
そうなんです。
これ志穂さんのあれなんだろうね、使ってる人への嫌がらせじゃないけど、
フォークとかスプーンが引っかかるぐらいの。
それなかなか盛り上がってますね。
なかなか盛り上がってるんです。
スリップウェアの実用性と魅力
見た目はいいけど使いづらい。
そうですね。僕もちょっとあれですけど、
現代でもあれですけど、
スリップウェアの模様をあしらったグラフィティのタギングみたいなことをやるみたいな。
かっこいい。
みたいなことを実際やってみて、
我々がそのスリップウェアのレシピにアクセスできるっていうのがね。
これは何ですか?レシピだけ見て自分らでもやったってことですか?
言いすぎですね。
佐藤先生っていう陶芸家の方がスリップウェアのワークショップをやっていて、
近所の陶芸のスタジオでそういうのを開催していて、我々もちょっと参加したっていう感じなんですけど、
しかるべき指導者がいれば。
私ですらできた。
できるという。
やりたいな。
でもスリップウェアの作家さんとかはおられるし、
その人たちはもっとさらに洗練されたものを作られる方もおられるし。
私の柄なんか大好きなぬいぐるみの顔の柄だしね。実は。
目と鼻。
ベースっぽく見えて実はぬいぐるみの顔がある。
目と口とかね。
これなのかな。くらだしラジオの、あれそこに乗っけた方がいいのかな、写真とか。
乗せましょうよ。
ごめんなさい近くで見てもわかんない。
目と鼻と口がつながってる。
それが円形状にやっててレースみたいな模様を形成してるという、
志郷さんの天才的なアイディアが光ってますけど。
素晴らしい。
民芸に実際近代美術館に行った時よりは実践を伴ったあれこれを考えた結果を。
作っては思ったけど、特にこのさっきのシャーって台の方。
セタービの方にも似たような、失礼だけどさ、もっといいやつがあって。
これ何気なくやってるけど、こういう感じにするの難しいよなとかもやったらわかった。
あと佐藤先生っていう、表々としてらっしゃるけど巧妙な先生が、
現代風にスリップヤーってどうやって作るかというと、
赤土の上に鉄分を含むお煮板をやって、その上にお煮板を敷くことによって焼くと黒っぽくなるんですけど、
その黒っぽい地に対して白で絵を描いたりとかするっていう白化粧で、
白い粘土をシャビシャビにして液状にしたようなもの。
その絵を描くときに、関西の人なんかすごい馴染みがあると思うんですけど、
お好み焼きをやるときの三連で出るマヨネーズの、ああいうのがいい仕事するんですよ。
だから一本一本線で手でやると、やっぱり早くやるといい感じになる。
ゆっくり丁寧にやるとわざとらしくなっちゃうんで、
そういう偶然性を作るのと均等性をいい塩梅にするのが、お好み焼きのマヨネーズなんですよ。
白い粘土が焼くとああいう黄色い色になるんですか?
工程がさらに説明すると、
さらに飴油という飴色になる釉薬をかけて焼くと、
白が若干濃くするような緑色になる。
だから一番表面の釉薬の色なわけですね、この黄色っぽいのが。
こう見ると三本線になっているじゃないですか。
それがマヨネーズ。
あと竹串で線をピューってかけてあげると、
いい感じになる。
いい感じにっていうよりは、
全然下手くそなんだけど。
まあまあ、そういうのが民芸の良さだったりするので、
普通に使う分には全然いいものなんです。
実際すごい使いやすい。
頻度多い。
パスタ皿とか、
カレーとか、
もりもりのおかずとか、
しかも分厚いから、
洗うときとかも結構、
このまま別にオーブンもかけられる。
オーブンにも使えるし、
そういう意味でも、
何気なさがいいっていうだけじゃなくて、
ただ実用性がすごい高い。
あとは、なんとなく、
器って分かんないんだよね。
実際使ってみて、生活の中でこう言って、
これやっぱいいなって思うのが、
じわじわ分かってくるものだったりするので、
スリッペは、そんな僕も興味なかったけど、
実際生活のところに置いてみると、
結構いいなって思うことがあったりとか、
そんなんで、
民芸店行ってきましたって感じで、
なんで僕らが作った器を見せてるかというと、
写真が禁止だったからなんですね。
民芸店ですごい。
実際のものを写真撮ってみようかなと思ったら、
学芸員がささっと来て、
民芸館から借りてるものに関しては、
もうちょっと著作があるということで、
やめてみるという。
一応カタログに絶対載ってると思うんだよね。
あ、でも三島でもあるな。
三島で、これ松尾さんじゃないですけど、
僕がやってる造眼の技法で、
何だろうな、ゴゴゴっていう。
これはどうやって作ってるんですか。
これはインカっていうハンコを、
器の形を作った後に押して、
その上に白い、白化粧の、
さっきと一緒ですね。
乗せて、それをさらに固まったら削って、
それで模様をする造眼技法ですね。
そういうのも。
これは河合勘次郎のやつですよね。
なんかさっきから物見ながら喋りまくってるから。
喋って、リスナー置いてきぼりになってて、
ちょっと怖いな。
松尾さんと海さんの作ったものはね、
写真載せるとしてね。
河合勘次郎さんが作った、
日本民芸館に所蔵されている、
1927年、28年にできた、
竜、なんて読むのこれ。
竜鋲皿って読むの。
かっこいいですよね、普通に。
だから偉そうには言えないですけど。
河合勘次郎のスリップやとかは。
なんで、ちょっと、
それで何か言ってきましたっていう話だけでも、
ちょっと芸がないかなと思いながら、
当時では想像できなかった、
民芸運動はざっくり何だったのかと、
ちょっとその時代のことを、
想像するのってめんどくさいことなんですけど、
誰かがやってもいいかなっていうことで、
僕もちょっと想像してみようかなっていうのを、
喋ろうかなっていうところですね。
前段が長くなっちゃったんですね。
ここから本題中ですね。
かっこいい。
そうなんですよ。
ここで切って後半にしてもいいですけどね。
ちょっと早くないですか。
早いですよね、運動。
それで、民芸ちょっと、
いきなり隔論にいって喋ってますけど、
おさらいすると、
大正時代の一番最後の終盤とかですね、
大正14年とか15年に想像する。
1920何年とかでしたね。
あれですもんね。
前の民芸展をお二人が行ったやつが、
民芸100年展やったんですよね。
そうです。
なんで23年か24年でちょうど100年なのか。
なるほど。
それで、柳、宗吉、あるいは曽越、
バーナ・ドリーチ、河合勘次郎らが、
何か価値観を共有して盛り上がって、
これを広めていこうぜっていった運動っていうと、
ちょっと雑すぎる説明なんですけど、
産業革命とアーツ&クラフト運動
当時ってどういう状況かっていうと、
日本だけじゃなくて世界的にすごい、
産業革命以降のものづくりが盛んになってきて、
大量生産品がすごいいっぱい出だしてきたんで、
効率が優先されて物の質っていうのが
すごい後回しになってるっていうことは、
もともとアーツ&クラフト運動とかで、
ウィリアム・モリスとかも同じような危機感を
言ってたりとかして、
そういうことからちょっと遠回しに影響を受けて、
日本でも民芸運動みたいなものが出ましたよと。
あと、日常の雑記とかにすごい価値を見出すっていうのは、
唐突なことではなくて、
柳宗吉は安土桃山時代の茶人もやってたことなんで、
っていうのが引用されてて、
確かにそうだよなっていう。
お茶の世界ですごく最高級って言われてる
井戸茶碗ってやつですね。
お茶の茶碗の高台のところが釉薬がちょっと、
そこって鉋で削って釉薬がつきにくいから、
しかも下の方で溜まりやすいから分厚くなって、
釉薬が縮れちゃうんですよ。
グニョグニョグニョっていう。
それを本当は朝鮮の統合とかが、
今日何個作るぞって言ってせっせかせっせか作ってたから、
その辺は結構雑にやってたんだけど、
それが日本の茶人とかが、
この縮れた釉薬が可愛いとかって、
かいらぎって名前をつけるっていうことがあったんですけど。
雑記に美を見出すっていうのは、
結構日本人特有の感覚で、
茶人もやってましたよねっていうことは、
ちょっと柳宗吉もリマインドしてました。
と言いつつ、
大正時代ってどういう時代だったかって、
大正時代の状況と民芸運動
想像するのって結構面白いと思ってて。
なんでかっていうと、
1900年代初頭の美術の在り方みたいなのを、
これも狙ったようにやってきた、
司法さんとその辺のアート史とかを、
まとめ直さなきゃいけないという、
ある仕事をですね、
大学の授業の資料をまとめてる時に、
当時、第一次世界大戦の前後とかで、
やっぱり芸術に対する考え方が、
世界的に結構変わってくるというか。
もっとざっくり言うと、
戦争の前後って、
表現がすごく一変するっていうのは、
どれだけ戦争が人にインパクトを与えてるかっていうのが、
色濃く出やすい作品になったりするなっていう話。
一般的に言われてるのが、
第一次世界大戦で絶滅ヨーロッパで仕掛けたのは、
王政というか、王様が治める国がほぼなくなっちゃいましたよっていう。
完全ではないんですけど、
そうすると、民主主義とか国民国家化した国がすごく強くなりますよ。
国民国家化することによって、戦争が悲惨になるし、
株式会社っていうことが台頭してくることによって、
武器がすごい、開発が早くなるっていう。
資金調達も、今までと違うやり方で、
どんどん開発が早くなってきて、
産業革命を促進するっていう側面があって。
それが大量生産品とかを生む景気につながるっていうのは、
結構、戦争を抜きにしたい、ちょっと語れない部分があったりとかして。
日本は明治以降に、1900年ちょいぐらいに、
日清戦争と日露戦争に一応勝って、
いろんな知性学的なラッキーポイントもありながらも、
ラッキーパンチが当たったことがありながらも、
民間運動が生まれた頃の日本は、
領土がどういう状況かっていうと、
サハリンとかカラフトの半分が一応日本領で、
朝鮮半島も日本領ですよと。
あと台湾も日本領。
ビザなしで行けるような、
柳宗がちょっと漏れなと思ったらすぐ行けるっていう状況ですよね。
国の雰囲気としては、超イケイケというか、
でかい戦争に2回勝って。
バブってたんですね。
イケイケの、もう俺ら世界的にすげえ国だぞっていう状況がありつつ、
関東大震災とかがあって、
1回東京が全部野球の範になって、
スクラップ&ビルドみたいな感じがありつつ、
あれですよね、
いろんな思想家が大正時代ってバッコしているというか、
自由民権運動とか、
日本でももうちょっと、
選挙をもっと一般人に解放しようっていう運動だったりとか、
あとは、
表向き差別はなくなったけど、
表向き差別とかそういうのを根絶しようっていう全国水平社とか、
そういう運動が立ち上がったりとか、
あとは女性解放運動とかですよね、大正時代とか。
大正時代って15年しかないんですけど、
そういう意味でいうと平成の半分しかないんですけど、
ものすごくカオティックで、
アナキストもいれば共産主義者もいて、
大役軍人とかは時系団とかを結成して、
俺らが街を守るぞみたいなのが、
関東大震災の後とかに悲劇をもたらすとか、
いろいろあるわけなんですけど、
その中で僕も最初に戻る山本博之さんという方の、
現代美術という中央討論者の本とかで、
改めて勉強し直したやつが、
民芸と同時期に出てきたのが、
マボっていう芸術運動ですよね。
僕も美大とかで出てたのも、
あんまりよく分かってなかったんですけど、
だいぶブチ切れてる人たちなんですよね。
まず第一次世界大戦とかで、
表現とかが制限されて、
それが苦しくなった人たちが、
スイスに集まってダダっていう、
芸術運動をやっていて、
それに影響を受けた人たちが、
日本でマボっていうむちゃむちゃ過激な。
ダダは別にスイスだけじゃなくてないんだけど、
いろんな国で広がるんだけど、
ただちょうどスイスだと戦争から逃れられるから、
余裕があるアーティストがスイスに逃げることができて、
結局ダダっていうのは否定するっていう意味なので、
その戦争が起きたのは、
我々に理性があるから戦争が起きた。
例えばその理性っていうのは、
もっと土地が、領地が欲しいとか、
帝国主義的なね。
もっと色んな資金が欲しいとか、
そういう考えを持っていることを否定したい。
意味をなくしたいみたいな。
意味ないみたいな。
そんなものは意味がないんだ。
証言自体も意味がないとか、
そういう虚無主義的な。
だからもう明確に第一次世界大戦が起こったから起きた運動なわけですか。
ほぼそれに近い感じですよね。
人が集まる原因になったよね、スイスに。
衛星中立国だからっていう。
対戦に参加していない国に集まるっていうのは、
明確な理由がありますよね、そこは。
多分そこから影響を受けた人たちが、
日本でマボっていう宣言をするんですけど、
ウィキペディアのマボの宣言っていうのを読むと、
私たちはとったんに立っている。
そして永久にとったんに立つであろう。
私たちは縛られていない。
私たちは過激だ。
私たちは革命する。
私たちは進む。
私たちは作る。
私たちは絶えず肯定し否定する。
私たちは言葉のあらゆる意味において生きている。
比べ物のないほどっていう、
わりかしポエティックでもあり、
とにかく尖りまくってるぜっていう宣言なんですけど、
それが民芸が起こる2年くらい前ですね。
何が重要かなって僕は思ったときに、
今の感覚とかでの繋がるポイントを民芸に探すっていうよりは、
無茶苦茶なことを無茶苦茶言ってた人たちが
ひしめいてた大正時代の一つのムーブメントとして
民芸を捉えた方がちょっと見落とさない、
見落としてることも結構あるんじゃないかなっていう仮説がちょっと。
大体マボの雑誌作ってて、
マボっていう。
で、民芸も白樺って雑誌作ってて、
結局メディアっていうのはマボが先にやってて、
やっぱデザインとかもかっこいいんですよ、今見ても。
マボの雑誌って。
そこに人を引きつける強さ、
表現というかグラフィカルの強さっていうのがいるんだって、
多分、もしかしたら影響を受けてる可能性は。
影響を受けてるっていうか、そういう雰囲気で、
そういうものがいっぱいあったんじゃないかなっていう推測。
いろんなことを発言するために、雑に言うと運動化するみたいな。
しかも言葉のかっこよさ、
グラフィカルにかっこよい、
着てるものがかっこいい、
なんかグループ感がかっこいいみたいな、
バンドみたいな、
ビジュアル系バンドじゃないけど、
いいなって思わせるものから
コミュニケーションの発端を作ってるっていう。
だから、想像でしかないんだけどって言ったらあれですけど、
想像することが結構大事で、
何でかっていうと、自分らの知ってる今までの
仕組みだったり、式たりだったり、常識とかで
考えることをやめて想像するっていうことなので、
多分ですけど、
大正時代ってモボとかモガとかっていう言葉が生まれて、
モダンボーイ、モダンガールっていうのがいて、
モダンガールとか百貨店で博来品の服とか売ってて、
おしゃれなファッションムーヴがあったはずなんですよね。
一応メインストリームみたいなものが多分あって、
もしかしたら、そういうものと全然違う、
でもこれ無名のものだけど良くない、
これをネクタイにしようぜっていうのが、
もしかしたら尖ってたかもしれないんだよね。
民芸の人たちがやってた。
そうだよね。
中袋だったっけ?
別に良い素材でできてるっていうより、
その辺にあるような素材だけど、
それをそういうバッグ持って、
みんなが持ってるかっこいいみたいな。
あるじゃん。
キャンパストートみたいな感じなのかな。
エコバッグみたいな感じじゃない?
エッジの効いた、
過激さがあったかもしれないっていう可能性で、
民芸のことを想像することもできるんじゃないかっていうのを、
大正時代の雰囲気を想像すると、
そういうことも考えるなっていう。
あと世田谷美術館の展示で、
ちょっと面白いなと思ったのが、
基本どうやって民芸が始まったかっていうのは、
結構語り尽くされているからこそ、
日本民芸館ができたストーリーが結構、
随所に現れて出てくるんだけど、
喧嘩をして別れたとか、
どこだったっけな。
なんかあったね。
尖ってる人同士が何か共同作業してたら尖ってるから、
それは途中で些細なことで喧嘩別れでもするんだろうなっていうのはあるんですけどね。
なんか多分違うと思うんですけど、
わさびを醤油に溶く派か溶かない派かとか、
そういうことだけでも喧嘩しそうな感じするじゃないですか。
静岡市、
芹沢なんとか助美術館、ちょっと読めないし。
けいすけですかね。
この人が結構やっぱりなんかフィーチャーされてて、
世田谷の方で、
彼のそのお家にあったものをレイアウトしてインスタレーション作ってる。
空間を見せてるのがありました。
それ100年点ではなかった。
そこだけ写真撮ってた。
高林兵衛との交流
そこは写真撮って良い場所だったんだよね。
やっぱりその人がいなかったら、
パトロンですよね。
パトロンにフィーチャーしてるっていうのはね、
こういう人がいないとスタートしないわ。
スタートっていうか、続かないよね、運動って。
だけどわしがクスッと思ったのは、
だけどわしがクスッと思ったのは、
割と単名に喧嘩して別れてる。
からあんまり文献この人がしょっちゅうしょっちゅう出てこない。
このセリザワさんって人が、
メインでは人間でそんなに。
喧嘩ばっかりしたことによる?
出てくるんだけど。
喧嘩ばっかりしてるんですか。
なんかでも結構セリザワ・ケイスケって、
柳宗義の著作の想定とか、
なんかやってるイメージありますけど。
あれ、じゃあこの人じゃないのかな。
この人じゃないかもしれないけど。
違う、間違えた、ごめん。
浜松在住の高林兵衛。
なんとか米の米で、戦米の米ですね。
高林兵衛って読むのかな、であった。
浜松の休暇で14代目にあたるから、
学生の頃からいろんな収集を始めてて、
和道家のコレクターとして著名だし、
大杖の絵もいっぱい持ってたし、
民芸の講演を行ったときに、
柳さんと会うんだけど、
その家を訪ねて、
なんかすごい300年とか経ってる、
かやぶき屋根の、
なんか屋敷にすごい感銘を受ける。
この愛を経験に、
柳と高林の交流が始まったって言って、
盛り上がったんですよね。
盛り上がったんです。
民芸家の建設が決まったときに、
高林は建設や、
なんかいろんな見識がもともとあったから、
設計に案を出して、
しかも資材の調達とか、
大工の手配とかを、
両面全部で尽力したって書いてある。
だからこの高林さんっていう人が、
相当貢献してる。
相当貢献してる。
たぶんお金も、
コネも、
あとは資材。
知識も、資材も、
全部いろいろ。
その後、1928年末には、
高林さんは自分の家を、
日本民芸館に寄贈。
だいぶですよ。
だいぶですよ。
家を。
家を寄贈してるんだよ。
俺気に入ってるけど、
俺もいいよ。
これあげるか、
もう移設してよ、
みたいな感じ。
だいぶですね。
だいぶですよ。
で、
っていう風に、
寄贈するって柳に伝えたという、
ということなんだけど、
柳さん、
高林さんの申し出を受けて、
屋敷の移設とか保存について、
協議中っていう風に、
日本民芸美術館消息っていう本に、
高林兵衛の貢献
記録には残ってるんだけども、
1931年に、
高林邸内日本民芸美術館が開館したんだけど、
で、
柳さんはそれまで収集した、
民芸の品字板を展示して、
みんなに案内状を送って、
2日間の招待日に、
多くの来館者があったって言うんだけど、
しかし同館は設立の2年後には、
高林寺柳の不安によって閉館してしまった。
たった2年しかない。
でもそれの風景が、
セタビリで見れました。
それの風景が、なるほどね。
再現しました。
再現。
結構しょうもないことで、
喧嘩始まったんだよね。
あの、
えっと、
なんか、
僕、
今日の、
今日どういう話運びになるのかって、
全然事前に打ち合わせしてないから、
あの、
あの、
いやいや、
あの、
前もその、
同じポジションで、
お二人が民芸展見に行って、
僕聞くみたいな。
今回もそれやったんで、
あの、
僕何も準備してないという場合は、
してないんですけど、
あの、
唯一したこととしては、
えっと、
このアウトオブ民芸っていう本を、
ちょっと読んでたんです。
これって、
僕は手に取れてないんで、
むしろ、
ちょっと感覚、
現段階の感覚を。
いや、
なんかね、
これ、
これ読んで、
この、
なんか話運びになったんかなっていうぐらいなんですけど、
えっと、
僕も、
あの、
本当にこの間買ったとこで、
まだ全然半分も読めてないぐらいなんですけど、
えっと、
えー、
塾原さん、
塾原さんでいいのか読み方。
塾原陽介さんと中村優太さんっていうお二人で、
あの、
協調なんですけど、
はい。
えっと、
まあ協調というか、
あの、
京都に、
あの、
成功者っていう本屋さんがあるんですけど、
あ、はい。
はい。
そこ、
まあそこが、
あの、
えっと、
発行元になってるんですけど、
あの、
そこで、
こう、
開催されたその、
えっと、
二人のその、
対談のイベントを、
まあ、
書籍化したみたいな本なんですけど、
ああ、
あの感度の高い本屋なんですよね。
えっと、
この、
6月に初版が発行されて、
僕この間これ買ったやつが、
2023年6月20日のゴズリのやつなんですよね。
おお。
結構だから、
この、
まあそれこその、
民芸がブロックバスターになるみたいな話もあれですけど、
やっぱり、
まあ、
世間的な注目度が高いのかなっていうことを思わせる、
あの、
感じなんですけど、
この、
まあ、
あのタイトル、
アウトオブミンゲーっていう名の通り、
あの、
民芸の外側、
あ、
ちょっとこの帯文読みますね。
これ、
これ読めばもう、
あの、
この本のスタンスわかるんで。
えぇ、
なぜこれは民芸じゃないの?
資料を読み解くことで書き換えられるソンカン図。
民芸運動の終焉にスポットを当て、
21世紀のものづくりを考える。
未来は常に過去の中にある。
っていう、
まあ、
おいう文なんですけど、
えっと、
どうしても民芸運動の話を、
こう、
あの、
話そうとすると、
まあ前回の僕らの民芸界もそうですけど、
やっぱり柳宗義の話になるんですよね。
うん。
で、
えっと、
それを批判するにしても、
その流れにこう、
こう、
日本民芸美術館の開館と閉館
分け入っていくにしても、
やっぱり柳宗義の話、
どうなんと?
まあ、
あの、
まあ、
河合寛次郎とか濱田翔二とか、
バーナーの理事とかもそうですけど、
やっぱりその運動の中心になってた人の話、
になりがちなんですけど、
えっと、
ま、
まったく今の海さんのアプローチと同じで、
この大正時代の同時代に、
他にどういう運動があって、
その中で民芸運動っていうのがどういうポジションで、
なぜ、
例えばコケシとかは、
民芸にならなかったのか、
みたいなところを、
でもそれを、
なんかコケシを、
こう、
盛り上げる運動をやってた人とかも、
一方でいたりとかして、
そういうのをこう、
あの、
時代で、
俯瞰で見ることで、
民芸運動のポジションを、
あの、
改めてこう、
整理するみたいな、
本なんですよ。
うんうんうん。
面白そうですね。
そうそう。
で、
帯がこう、
二つ折りになっていて、
開くとですね、
あの、
なんかこんな、
創刊図が、
になってるんですけど、
帯の裏が。
あの、スタジオボイスでよくあったような。
そうそうそう。
あの、
あの、
いや、ほとんど、
ほとんどの小有名詞知らないですけどね。
僕、僕の。
でもスタジオボイスも、
ほとんどの小有名詞知らんけど、
編集者だけの、
なんか変愛で作ったんだよな、
みたいな、
創刊図でしたよね。
うん。
でもこれ、
かなりその、
今のその、
なんだ、
魔房とか、
その辺の、
同時代の運動、
魔房のこととか書いてあんのか、
ここ分かんないけど、
あの、
いや、
そこの、
なんか、
時代性の中で見るっていうのは、
うんうんうん。
えーと、
全くこの本でもやってることやったんで。
うんうんうん。
いや、
やってるし、
ちょっとその、
その、
なんていうんですか、
フォーカスを、
あの、
そういう角度がまた、
ちょっと、
今の海さんの話とこっちの本で、
あの、
フォーカスしてるところが違うので、
めっちゃ面白いなと思って。
あー、
なるほど。
うん。
直接魔房と民芸は、
多分ね。
多分クロスはしない。
あー、
ですよね。
だから、
そういう、
対象時代をどう想像するかみたいな。
そう、
尖ったグループみたいなのがたくさんいたっていうことですよね。
アンカラっていうか、
なんていうの、
な、
なんだろう、
そういうこう、
ちょっと、
あの、
ディスカッションをする、
人たち。
人たちとか場とか、
そういう、
うんうん。
感じ?
まあね、
まあ、
Vストの写真とかなんか、
ほとんど半裸でパフォーマンスする状態とか、
外でやってるんでしょうか。
あとは、
あれだよね、
あの、
あの、
関東大震災とかで、
ボロボロ、
壊れた家で建ったバラックとかに、
勝手に看板とか、
装飾とか、
仕出すっていう、
へー。
なんか、
活動とか、
ゲリラとかで。
うんうん。
そういう、
少し過激な、
あの、
ことをね、
やってて、
チュポムが影響を受けてるんだっけ、
まあ、
Vストに。
知らんけど。
あ、
可能性は感じるよね。
じゃあ、
それは未確認状況でした。
彼らもだって、
あの、
そういう、
亡くなる建物に対してさ、
道路作ったりとかしてるしね。
まあまあまあ、
そんなんでした。
で、
さらに言うと、
えっと、
同時開催してた、
えっと、
森美術館のシェスター・ゲイツ・アフロミンゲについて
森美術館のシェスター・ゲイツ・アフロミンゲっていうのを、
ちょうど今日見に行って行ったんで、
その話を、
は、
次やりましょう。
するかどうかっていうとこですね。
え、
するかどうか?
いやいや、
しましょう、
しましょう。
そういう感じにはなんないですか。
うん、
しましょう。
カタログで、
めっちゃ気になってるんですけど。
あ、
でも、
あの、
します、
はい。
カタログがね、
予約販売だったから、
手元にないから、
記憶で喋る。
ああ、
そうだそうだ。
でも、
なんだけど、
次回って感じでしょうか。
うん。
じゃあ、
えっと、
来週も、
引き続き民芸会で、
今度はアフロミンゲ。
うん。
はい。
これ、
これ僕、
僕本当に何の、
なんか、
予備知識もないので。
だし、
えっと、
これ結構もう夏中旬ずっとやってんのかな。
だから配信された後も、
リスナーの方は、
まだ見に行ける展示かなっていう感じですね。
うん、
やってる。
はい。
はい。
なんで、
その話を、
はい、
えっと、
今週は、
以上です。
はい。
なんか、
あれですね。
ん?
全然いけますね、
シーズン4ね。
いけますかね、
なんか、
わかんないけど。
でもさ、
今日収録で、
今日見てきたとこ、
ちょっとなんか、
準備の期間が、
すごい。
うーん、
まあ、
そうなんよね。
うん。
でも一応さっき、
大急ぎで僕はキーワード、
一応メモったんで、
なんか、
また、
はい、
喋れるといいかなと思ってます。
うん。
最後言うことを、
僕らは、
久しぶりの収録で忘れちゃった。
そうですね。
シーズン4スタート
えー、
くらだしラジオは、
まあ、
今日、
シーズン4スタートですが、
あの、
この後、
毎週火曜日に、
あの、
配信いたしますので、
えー、
続けて、
お楽しみいただければと思います。
はい。
えっと、
相変わらず、
ご感想は、
えー、
Xで、
ハッシュタグ、
CON、
ん?
あ、
そうです。
で、
えー、
ください。
はい。
フォームもあるので、
えー、
リクエストとか、
ください。
人間の、
なんか、
ご意見とかね、
あの、
あの、
別に何が正解ってこともないんで、
意見が、
くれたら、
僕らも、
嬉しいです、
っていう、
はい。
そうねー、
ちょっと久しぶりだから、
感想をもらえたら、
泣くかも。
嬉しくて。
ふふふ。
そんなんでまた、
はい。
というわけで、
またお会いしましょう。
はい。
はい、
ありがとうございました。
ありがとうございました。
58:24

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