2025-11-19 59:04

【Replay】#NETFLIX #ドキュメンタリー『#ポップスが最高に輝いた夜』ポップスは本当に死んだのか 【Replay】#NETFLIX #ドキュメンタリー 『#TheGreatestNightInPop』 Has Pop Music Already Seen Its Brightest Moment?

"Check your ego at the door"

ーーーーー

映画談義ポッドキャストパーソナリティまこです。

今回は  #ポケ沼 よりオーマを迎えての収録です。

今回はNetflixドキュメンタリーから一本。

もはやおじさんホイホイと化した歴史的名曲を追いかけます。

時代を象徴する伝説的なミュージシャンがたった一晩で。

プロジェクトが立ち上がってからわずか10日でつくらげられた名曲。

伝説的な楽曲でありながらその背景としても伝説的なエピソードがいくつも出てくるこの曲。

果たして天才のひしめくレコーディング現場ではどのような天才的なやり取りがなされていたのか。

いざみてみると思いの外人間ぽいっていうか。

僕たちは日頃どれだけ天才という生き物に線を引いて手の届かぬものにして、自分を納得させていたのかを理解する一本となっています。

人間だからこそ作れるものがある。

それはさておき、結局みんなシンディローパーパートのアドリブ好きだよね。

ーーーーー


podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPalツイートをお願いします。

いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。


公式noteもやってます。

https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5


テーマトーク投稿フォームはこちら↓

https://forms.gle/4PT2GBA7TY8vAoCx7


直接のメッセージを送る場合はこちらまで↓

⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠


これからも番組をよろしくお願いします。


"Check your ego at the door"

Hey everyone, this is Mako, your resident film-rambling podcaster.
This time, Ouma from #ポケ沼 joins me again—and we’re diving into a Netflix documentary.

And yeah、this one’s basically boomer bait.
We’re talking about that legendary, era-defining anthem… recorded in a single night, thrown together in just ten days from project launch to final mix.
A miracle track backed by a stack of miracle stories.

But here’s the surprise:
When you peek into the studio where all these “geniuses” gathered, the vibe is way more human than you’d expect.

Watching it, you start to realize something:
How often do we draw a line between “us” and “genius” just to protect our own self-esteem?
Maybe greatness isn’t as unreachable as we think.
Maybe it’s human precisely because humans made it.

…Anyway.
Let’s be honest—everyone secretly loves Cyndi Lauper’s ad-lib section the most.

Host: Mako(@_macobana)
This show is the dedicated channel born from all the movie talk I can’t cram into the main podcast 『ポケットに沼を』(#ポケ沼).
There’s always more to say, and episodes drop weekly or biweekly.

Tweet your thoughts with #リルパル / #ReelPal—your posts might get featured on the show!

Official note
https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5

Topic submission form
https://forms.gle/4PT2GBA7TY8vAoCx7

Message me directly
yomoyamakobanashi@gmail.com

Thanks as always for listening!


00:04
Reel Friends in TOKYO バックナンバー 過去のエピソードをプレイバック!
はい、ということで、本日のテーマは【Netflixドキュメンタリー】【ポップスが最高に輝いた夜】
【ポップスは本当に死んだのか?】 ということで
ちょっとね、あの、今回言い訳していいですか?
あの、僕本当にあの、音楽というものに
効くんだよ。効くんだけど、そんなに入れ込んでないからさ。
ああ、なるほどね。
そもそもポップスが死んでいるのかどうかそれは知らないね。
いやまあだからね、そもそも僕はいつも言ってますけど、そのこないだのマイケル・ジャクソン沼の時にも
あのマイケルの前世記っていう言葉を使った結果、ちょっとももさんに叱られるっていう場面がありましたけど。
ありましたね。
でもね、あの、初めから分かってんのよ。
でも、やっぱりこうね、振り切ってキャッチーな言葉に落とし込んでいかないと、話は深いところにリーチできないっていう。
なるほどね。まずは曲ぶりして。
そうそう、皆さんご存知ですよねっていうところのラインで話をしても、
やっぱり自分が想定しているところまでしか行けないっていう。
やっぱりその奥に行きたいじゃん。話してる側として。
奥までね。
そう。で、聞く人たちだってさ、別になんかこう、一般のを聞きたいわけじゃねえから。
やっぱりもうちょっと曲ぶりしてしっかりと行こうかなと。
いうわけで、ポップスは本当に死んだのかと、問いかけるわけですよ。
ポップスは、俺たちの。
もうね、この番組はただでさ、聞いてる人少ないのに、そんなもうね、何エピソード前に擦ったネタかわからないものを引っ張り出すなよ。
でもちょっと我々の番組、一番回ってるのはやっぱりゴジラなんで。
そうですね。
ただ残念ながら回ってるのはあくまでエピソード1ですから。
他のやつ聞いてくんないかな。
ミレニアムシリーズに関してはね、そこまで回ってないんでね。
あれはまあ別に。
でも俺でも一番楽しかったのはあれだよ。語ってて一番面白かったのは。
確実にくさしまくりましたけども。
というわけで今回は、ポップスが最高に輝いた夜についていきたいと思います。
ではあらすじ紹介。
よーいどん。
ということで皆さん、ポップス市に残る最高の夜、唯一の夜と言ってもいいかもしれませんが、
03:01
そんなね奇跡に満ちた一晩のことをご存知でしょうか。
1985年の1月28日ロサンゼルスのA&Mスタジオで、アメリカのトップアーティスト40名以上が一度に返し、たった一晩で一つの楽曲We are the worldを録音した。
エチオピアの木が救済のために企画された1枚のシングルなんですけれども、
まさにですね、この何千万枚と世界中で売り上げたシングルが音楽の力で世界に影響を与えたというのは、
ある意味ではですね、ポップスというものですね、ポップミュージックというものが世界を動かした最後の輝きと言ってもよかったんじゃないでしょうか。
このプロジェクトを指揮したのは、ライオネル・リッチー、そしてマイケル・ジャクソンの2人、そしてプロデューサーとしてクイーン・シー・ジョーンズ。
基本はこの3人の力で話が進んでいくといったようなところです。
何よりですね、ポップミュージックが最高潮に盛り上がっていた時代に、その時代ヒットソングを次々飛ばしてきた数々の音楽界の住人たちが集まってですね、たった1曲をわずか1晩のうちに収録する。
もうね、夢のような話なんですけれども、そもそもなぜそんなことが可能だったのか、そして実際に収録の中でどういったやり取りがなされ、
そしてそのわずか準備期間とした10日ほどとなるんですけれども、10日間のうちに名曲が生まれるまでに、いったいどのようなドラマがあったのか。
実際にですね、手動してきたライオネル・リッチー本人のインタビューをベースにですね、当時のことを覚えている何人かのアーティストからの実際の声も集めて、
一つのドキュメンタリーに仕上げたものが、今回私たちが見たポップミュージックが最高に輝いた夜です。
みなさんもいま一度この作品を見てですね、青春時代のあの曲を思い出してみてください。
まあね、青春時代のあの曲をとか言いましたけど、僕らの青春とはかすりもしてないですけどね。先に言っておきますけど、1985年の話ですから。
これ生まれる前なんで、我々からすると。でもだからそこもある意味では、彼らがなぜレジェンドと呼ばれているのかがはっきりするのかなって気がするんですよね。
僕らからしたら生まれる前の出来事だし、生まれる前の人たちなのに、その人たちの代表曲を聞くと聞いたことがあるものばかりっていう。
どこで聞いたか、タイトルは何か、歌ってる人は誰なのか、そんなことは全く存じ上げなくても知ってるってなる。
それってある意味ではやっぱり表現者としての一つの到達点だよねって気がするんですよね。
そうだね。ゴホという名前を知らなくても、ひまわりを見るとわかるとかさ。
やっぱり結構ね、表現者って表現したそのものに価値を持たせる人だと思ってるので、本人がどうじゃないよねっていう、
06:05
そこを体現してる人たちが集まってるのかなっていうふうに思うと、非常にすごいことだし、そういう人たちがだよ。
自分がっていうところじゃなくて、人のためにっていうところで集まり、なおかつ協力して一曲を作ってるっていうのはすごいよねって。
本当にCMとかさ、番組の冒頭とかさ、そういうところで聞いた。
この人が歌ってんのか?みたいなのとかが、本当に出てくるっていうのがすごく面白かったし。
あと、何よりWe are the worldの曲自体は、多分みんなの頭の中に1回2回は入ってきた曲だから、なんとなくおぼろげなイメージがあったと思うんだよ。
その番組を見てる時に、多分最後の方までパシッと自分の頭の中のイメージの曲と合わせる瞬間ってないんだけど、
そのパシッと合わせる、わー!この音源だー!ってなった時の、あの上がり。たまんなかったね、今回は本当に。ここだー!みたいな。
もうなんかそれを探すために、僕は今回大興奮しながら見てた。
収録の中でもいろんなアレンジをしたりとかして、やっぱりこう、何だろうね、やっつけじゃないなっていうのがすごいなって思ったけどね、俺は。
やっぱりそれだけ期間がない中で、弾く手数多のアーティストたちを一箇所に集めてるから、
それこそだから、テイクも少なく済ましてみたいなところになるのかと思いきや、そんなことは全然なくて。
アーティスト側も、当然プロデューサーというか、クインシー・ジョーンズ側もですね、一切妥協しないでやり取りして、最後まで良いもの作ろうってしてるっていうのがすごく良かったし、
それだけに、本当にプロの仕事を見た気がしたね。
そうね。
当時だからアレがやったけどさ、今やったらコンプラ問題になりそうな話ではあるんだけれども、
コンプラ問題になるからじゃあ今はやめようっていう話ではあるんだけど、
でも一方ね、そういうコンプラみたいなのを排除したときに生まれるエネルギーっていうのも確かにあるよねっていうのを、
僕らはその岩野時代の人間として、そこは一旦は一回、
09:01
昭和五時の昔は良かったって言ってる、その一旦をちゃんと認めなきゃいけない部分もしっかりあるなっていうのをすごく感じた。
はいはいはい。
まあなんかね、ものづくりって結構こういう空気の中で良いものができる感はあるとは思うんですよ。
で、なんかさ、やっぱり僕らって浮世離れしたものをやっぱりトップを走るアーティストたちに見るというか、
浦岡さんも僕らとは違う人間になってほしいっていうようなさ、そういう期待もあってさ、
なんかこう天才が天才ゆえの仕事をしていくみたいな。
実際その天才的なことをやってるし、真似できないことをやってはいるんだけど、
意外と見てみるとやっぱり人間らしいというか、
まあみんなで何かしようと思ったらこういうこともあるよねみたいな、いざこざとかいろいろあるじゃない。
で、非常に僕の中で印象的だったのは、やっぱりこう、サンスクリット語事件。
サンスクリット語であってたね。スワヒリ語か。
スワヒリ語だね。スワヒリ語で歌おうって言って、いやサンスクリットも入れようみたいな。
なんかいろいろ言った結果、あいつ誰が書いてたんだっけ?
いやだから誰だっけな、えーとね。
あのー、なんだあのウェスタンハットみたいな。
そうそうそうそう。あの人もともと結構ね、問題を起こしがちな短期な人なんで。
あー。
はい。スワヒリ語。えー。
帰った人。出てこないな。
ニアザワールって言ってる。
でも、あのー、なんかみんな悩みながらそのアイディアに乗っていこうっていう風に。
うん。
ね。ウェイロン・ジェニングスじゃない?
って言ってたの?その人がわからん。
ウェイロン・ジェニングスですね。
お、はい。帰っちゃったんですね。
帰っちゃったね。
はい帰っちゃいましたから。
だからあの辺のやり取りがすごく人間的だと思うんですよ。
その、えー、スティービー・ワンダーがスワヒリ語を入れたいって言い出して。
うん。
で、その間にみんなこううまいことをアジャストしようとするんだけど、そもそも必要ないアイディアっていう。
うんうんうん。
あのー、まあ結論から言うとそれエチオピア支援なのに、エチオピアの人たちはスワヒリ語喋らないっていう。
えー。
確かにね。
そう。っていうところとか。
そういうところのさ、何のためのアイディアかみたいな、その根本的な部分を結構話し合ったり、いいもの作るってみんな思ってるんだけど、
12:06
やってるうちにちょっとどこかで忘れてしまって、暗唱に乗り上げる瞬間があったりだとか。
あと、もう一個笑い話に過ぎないっていうふうにも見えるかもしれないけど、
えーと、彼女ね。あのー、誰だっけ。
Girls Just Wanna Have Funの。
えーと、エイムじゃなくて。
Time After Timeの。
えー。
Time After Time、ダイアナロスじゃなくて。
じゃなくて、シンディ・ローパーね。
シンディ・ローパー。
シンディが歌うときに毎回ノイズが入るって言って、
なんだこれはって言ってみんなで何回もやってるんだけど全然わかんないって言って、
今結局あの、イヤリングとかネックレスっていう、
彼女が本当にアイコニックにたくさんつけてたものがなってたっていう。
そんな見るわかるやんって思うんだけど、
でもね、もの作ってる時ってね、やっぱりそういうこと起きるんですよね。
びっくりすると思うんだよね、本当に。
あのー、まあ本当にプロの方々と比べてもしょうがないんですけど、
僕とかハコベラがね、学生時代に一緒にこう映像とか撮ってた時に、
本当に撮影中も誰も気づかなかったし、
編集中も誰も気づかなかったんだけど、
めちゃくちゃこうシリアスなシーンで、
役者会ってる友達が隣に座ってる人に向かって静かに語りかけるシーン。
公園のベンチで座って静かに語りかけるシーンで、
撮影のために持ってきた三脚がずっと背景に映り込んでるんですよ。
公園にふと撮影用の三脚が立てかけられてるなんてことありえないじゃないですか。
でもね、びっくりすることに撮影中もカメラマンも監督も、
そして編集を務めたやつも、誰一人それに気づかなかったよね。
全部出来上がってから、よっしゃ見てみようかどうしてって。
見てしばらく経ってからようやく気づいて。
もうね、盲目になってるんだよ。
もう一つの何かね、ものを作るっていうその目的に全部取られちゃって。
本来だったらそういう細かいところに目が行くのがプロの仕事だと思うんですけれども、
そういうところさえも見失うぐらい、みんな熱い思いを持って何かに取り組んでると、
そういうこうちょっとしたポカみたいなものが出てくるっていうのも、
結局やっぱりどんなに天才たちが集まってるって言っても、やっぱり人間なんだなっていうのがすごい感じて嬉しかったですね。
あとなんか似たようなところで言うとさ、もう作曲と作詞使っててんのが、
あのライオネルリッジとマイケルジャクソンじゃないですか。
はい、そうですね。
天才と天才が競合して作った曲なんだけど、
いやこっちの方に変えた方がいいなとかっていうのが後から後からどんどんどんどん出てきて、
15:03
最終的に僕らがよく聞いているWe are the worldになってくるじゃん。
で、その最初のアイディアのものを聞くと、やっぱり最新版の方が良くなっているっていうのがあって、
やっぱりその天才の人たちでもブラッシュアップする余地っていうのは、いろんなものづくりの中で絶対あるんだなと思ったら、
自分らがものづくりしているときに、不備があって当然だなっていうところを、
ちょっと自分で自分のことを認められたっていうのはすごく学びとしてでかかった。
やっぱね、歌詞一つとっても、英語の歌詞って非常に公文が単純だから、
日本語のような、日本語の持つ詩的なものとは違うものがある。
それをだから人によって、やっぱり日本語の方がいいよね、みたいなことを言うのかもしれないんだけど、
僕はなんかすごい逆にこれを見て、英語ってやっぱり奥深いなと思った部分があって、
You and me、You and Iじゃなくて、みたいなことをマイケルジャクソンとクイーンシュージョンズが喋ったシーンがあったと思うんですけど、
You and meとYou and Iは全然違う。
まったく同じ、I、meは格が違うんですけれども、
その主格ではなく目的格にするのかっていうところ。
そのわずかな本当に日本人だったら、もうなんかIだの、meだのってもうなんかなんとなくで使ってますけど、
歌詞っていう限られた文章の中で、その単語を使う上では、そこに込められる意味がだいぶ変わってくるというか、
それによって全然印象が変わってくるんだなっていうところを、
やっぱり英語で詩を作る人たちはものすごくやっぱり意識してるんだなっていうのが伝わってきたし、
本当にこうなんだろうな、
さっき大間が言ってたのを繰り返しになるかもしれないけれども、
はじめ仮絵歌詞を入れて歌っていくわけなんだけれども、
その仮の詩で歌ってるマイケルの音源とかもあったりするんですよ。
これはフルバージョンもなんかで聞けたと思うんですけど。
あ、そうなんだ。
これはもう僕はマイケルファンだったので、
マイケルのあらゆる音源を集めていた時代にそれも持ってたんですけど、
今ちょっともうどこ行っちゃったかわかんないですけどね。
サブスクの時代になっちゃったからサブスクに切り替えちゃってさ。
データをどこに保存したか全くちょっとわかってないんですけど、
やっぱり全然歌詞違うんですよ。
ところどころ違う、ところどころ。
Better DayとBrighter Dayね。
だからやっぱりマイケルはBrighterを使いたくてしょうがなかったんでね。
歌ってるとBrighterになっちゃうみたいな。
画面。
あの辺もだからやっぱりどっちを使うかっていう。
18:02
実際落ち着いたところとしてはBrighterからのBetterっていうね。
両方とも出てくるっていう感じなんですけれども。
やっぱり歌っていく中で、もっとこの音の方がいいとか、
この単語の方がいいっていうのがやっぱりどんどん生まれていって、
最終的にあの形に落ち着いていくっていうのは、
天才たちの切磋琢磨によって生まれてる。
この歌を作ったこれを歌えじゃない。
みんなで作っていこうっていう余地がある。
それが本当に良かったなっていう。
本当になんかいろんなところで、
みんなで作っていくっていうのと、
途中からやっぱりこのコーラスの時は、
やっぱりまだみんなバチバチ感が結構強かったんだけど、
そのソロパートになってからの、
お互いサポートしていこうよっていう姿勢みたいなのが、
すごく結束が強くなって、
そのドキュメンタリーの中でも語られてたけども、
サインを交換し合った後から空気が変わったみたいな。
そうね、やったよね。
だからそこでチェックアウトエゴっていうのを。
チェックアウト、後はエゴ。
エゴを扉の外に入れてみたいな。
ありましたね、コインシーが書いたとされる。
そうそう、謎のメモ。
まあでも大事な言葉でしょうね。
みんなエゴの塊だからね。
エゴの塊の連中は、
コーラスパートで実はもう帰ったっていうね。
まあそうかもしれないね、そうとも言うかもしれん。
実際だからそのコーラスパートを撮る時も、
初めはまだみんな自分を出してしまっていて、
コインシーに怒られるっていう。
黒として、弾くところは弾かなきゃダメなんだみたいな。
でもその通りだなっていうふうに思いましたけどね。
すごかったな、でも本当に。
でも今回の映像を見てさ、
僕はあまり80年代のミュージックって、
本当に有名どころは聞いたことあるし、
好きな歌手とかは聞いてるけども、
あまり明るくないけど、
人々の紹介の時にポンポンポンって入ってくる曲たちで、
この曲この人だったんだみたいな、こんな顔してたんだっていうのが見えてくるっていうのは、
すごくやっぱ面白かったな。
そうね。
ケニー・ロギンスとかね。
フットルースですよね。
まだね、名前と顔が全然一致してないからね。
ケニー・ロギンス、歌ってくれないとわかんない。
テレテレテレフットルース、
ってやつ。
シャバディバダルン、
21:00
ってやつね。
メリー、みたいな。
あれですね。
歌うまいねー。
うまいねー。
あとあれですよ、トップガンのオープニングというか、
あの一番いいね。
Danger Zone歌ってますね。
I'm on my way to the danger zone.
なんだ、いつも。
歌ってますね。
いい声なのよね。
めちゃくちゃややこしいのは、ケニー・ロギンスがいるうえで、ケニー・ロジャースもいるっていう。
ややこしくてしょうがないんですけど。
見た目も違えば歌が全然違うんで、混ざることはないんですけど。
日本人的にはちょっと混乱するんですけどね。
ケニー・ロジャースはカントリーミュージックの人です。
でもあの曲の中で一番、ライオネル・リッチーの出された曲が一番ピンとこなかったっていうね。
ライオネル・リッチーはね、日本ではどうなんだろうな。
あんまり見ない?
でもね、親父世代は結構洋楽かぶれの人は知ってる。
逆にね、ライオネル・リッチーは、あのジャケットの顔と今の顔はわかるのよ。
知ってるの。なぜか。どこで知ったかわかんないけど。
でも彼が歌手ってことを知らなかったわけね。
そんなことある。そんなことあります。
え、こいつ歌手だった?みたいな。
ライオネル・リッチーを俺が認知したのはいつだったんだろうな。
多分だけど、娘がなんかしょうもない番組に出てた気がしたの。
あ、そうなの?
えっとね、ニコールかな。え?なんだっけな。
嘘?
パリス・ヒルトンと一緒にリアリティ番組やってなかったっけ。
え、知らんだけど。
確かやったんだな。
へー。
あ、そうそうそう。これだ、シンプルライフだ。
パリス・ヒルトンとニコール・リッチーが課題に挑んで最終的に勝者を決めるっていう。
しょうもない番組だな。
いや、ただこれがめちゃくちゃバズったんすよ。
へー。
要するにあれですよ、世間知らずの箱入り娘がぶっ飛んだ物差しで何かに取り組むっていうところの、世間とのズレを楽しむみたいなところよ。
あれですね、やって到来みたいなもんだ。
24:02
まあまあそんな感じ。
でも規模感は違いますけど。
ロードトリップとか面白いですよ。
パリスの運転によりピンク色のピックアップトラックでアメリカ中を旅行するとか。
すごいねー。
みたいなね。
シーズン1は脱贅沢戦、アーガン層で落脳を営むライティンに1ヶ月お世話になる。
いわゆる何かを成し遂げてセレブリティとなったとかじゃなくて、ただ金持ちの娘っていうそういうタイプのセレブに無理させてみるっていう。
ある意味じゃ日本人の80年代バラエティみたいなさ。
そういうと神話性が高いようなタイプの番組で。
それを見たうちの親父が、え?この子ライオネル・リッチーの娘なの?みたいなことを言ってるのを聞いて、ライオネル・リッチーという歌手を認知した。
それまではライオネル・リッチーっていう風にインプットされてないから、We are the worldで歌ってる、一番初めて歌ってる人っていう。
でかい。
コーラスの時にちょっと親指立てる人みたいな。そういう認識しかなかったね。
でもね、本当によくまとめたもんですよ、ライオネルさん。
すごかったねこの人。
すごいですね。
ちょっとね、俺2回目見て、はーってなったアハ体験1個あったんですよ。
俺ね、開始20分くらいかな、ライオネル・リッチーがジャクソンの家に、マイケルの家に行って、ピアノ弾きながら喋ってるシーンがあったんだよね。
後ろにね、書道の書が飾ってあるんですよ。
書道の書が飾ってて、柵っていう字にちょっと似てる何かの漢字と、あとたっといっていう字の、なんかちょっと似てる漢字があって、
こういう中国の漢字があるのかと思ってたんですよ。
1回目に見逃して、2回目やっぱりちょっと気になって、柵、ソン、柵、ソン、柵、ソン、柵、ソン、ジャクソン!みたいな。
アハ体験だね。
気づいた時、新宿駅で気づいたんですよ。はーってなって。
すごいなそれ。
27:01
でも本当にそういう、誰が書いたんですかね。
これジャクソンで合ってんのかなっていう。
柵っていう字がさ、横棒1本じゃん。横棒が2本なの。
なんだろうな。
ソンは多分、ソンの旧字体でさ、ソンの字の上に8が書いてあるやつ。
8書いてソン。
柵の字の横棒2本線で、たぶん、今で言うさ、面っていう字あるじゃん。
面?
お面の面。
ありますね。
中のチョンチョンを消して、一番下の棒を全部消した、ページに似てる字あるじゃん。
あれの旧字体かなと思って。あれも柵って読むじゃん。
ちょっともう一回見てえな。バブルス君の下り?
バブルス君の下りのちょっと前かな。
前か。あ、出てきた出てきた。
ソンって書いてあるね。
そう。これおそらくジャクソンなんじゃないかなと思うんですけど。
これで今日絶対マゴちゃんに確認しようと思ったのよ。この漢字はジャクソンで合ってるのかっていう。
ソンは確かにソンですね。
ソンだよね。
あーなるほどね。柵ですね、上に書くのね。
あ、柵なんだ。
柵ですね、一冊二冊の柵なんだけど、確かに横書くが変だな。
これはなんだこれ。
でもまあ多分ジャクソンっていうことなんじゃないですか、やっぱり。
いやー多分誰かに書いてもらったのかな。
これはでもね、よく見つけたね。
気づかなかった?
うん、気づかなかったなんか。
なんか札文字の横書くが見たこともない日本版だったので、なんだろうなと思ったんですけど、そのぐらいしか考えてなかったんで。
ちょっとこれ宿題にしていい?
ちょっと宿題にして、古代だとそういう書き方があるのかな。
金文とか鉱骨ぐらいまで遡ったらそういう書き方もあったのかもしれない。
しれないけど。
30:01
ちょっとごめん、調べるからちょっと繋いで。
あとね、そのジャクソン繋がりで言うと、
僕今回ね、This Is Itを見たときに感じては、
僕すごく彼のプロフェッショナリズムっていうのをものすごく感じたなっていうのがThis Is Itの印象。
だからここまでパフォーマンスとか、一つ一つのエンターテインメントってものにガチガチにちゃんと考えてやる人なんだなっていうところの、
ある意味厳しさみたいなところをすごく感じたんだけど、
今回の映像のマイケルで、僕一番何を感じたかっていうと、
この人めっちゃ処分が丁寧な人なんだなっていうのをすごく感じて、
ごめんけどアメリカ人若干くさすけど、アメリカ人ってやっぱ雑なんですよ。
あらゆるものの扱い方が。
そのアメリカ人の中で、僕一番感じたのが、
ごめん、また間違えちゃった。みたいな感じのシーンの後に、
ヘッドホンを床に置くんだよね。
それもやっぱり機材だから、彼としては仕事道具なんだろうなっていうものの扱いだから、
コードをゆっくりゆっくりやって、ゆっくりゆっくり下ろすんだよ。
コードをペッて投げるんだけどさ。
でもその処作がすごく丁寧だったのと、
あとマイクに触ったりいじったりする時がすごく丁寧に触るし、
あとスタッフたちへの対応とかがすごい丁寧に丁寧に扱うっていうので、
自分の仕事っていうものと相手の仕事っていうものにすごくリスペクトを払っている道具と人っていうのに、
それをすごく感じて、
だからまだ僕の中で幼少期に擦り込まれた、
マイケルに対するゴシップの呪いみたいなのがまだ残ってたんだなっていうのをすごく感じたっていうのが、
あのワンシーンだったんだよね。
なるほどね。
やっぱね、ゼロで見ないとダメだね。
物っていうのは、人っていうのは。
いやちょっとね。
寝てきました?
寝てきましたけど。
これ北技の解消だと出てきますね、この日本線バージョンが。
本当だ。
唐の時代まで下ってもまだ日本で書かれている文章がいくつかあるみたいなので、
5時ではない。
表記の幽霊の一つなので。
闘神時代の扇子もね、幸福寺談秘で日本線の札を書いてるんで。
だから間違ってないってことは、一応それなりに書の造形の深い人が、
33:04
ジャッソン!ってことで書いた。
でも札だったらさ、
サッソンになっちゃわない?
ジャクにならないと。
札ってジャクって読むのかな?
いやだからさ、この日本での読みと中国での読みってまた違いますからね。
いくつか読み方ありますんで。
えー。
でもわかんないですね、中国語の発音は。
わかんないね。
札は策であるとも書かれてる。
札尊。
近づいてきましたね。
これにちょっと濁点が入ったら完璧ですね。
策っていうのはこっちか。
しかもその策っていうのは物事の奥深いところ、奥深い道理みたいな。
そんな意味合いもあるので。
奥深いところを、札尊。
ジャクソン。
めっちゃいいじゃないですか。
めっちゃいいね。
相当ちょっとね、言葉と文字に明るい人が書いた可能性もありますけど。
別にあんまり字が上手じゃないなって思っちゃいましたよね。
正直。
その言葉を聞いて、マイケルが書いた文字だよ。
だとしたらやべえな。
でもやっぱりダンスが上手いってことは動作再現性が高いってことなので。
動作の再現性が高い人っていうのは結構字が上手いんですよ。
っていうことを考えるとちょっと可能性が見えてきますね。
ちょっともうね、そろそろ本題に入らないとね。
あと12分しかないんで。
喋りすぎです。
一個だけどうでもいい。
まあいいや、一個だけ。
一番笑ったシーンがあってさ。
シンディーローパーなんですけど。
シンディーローパーの登場シーンだね。
昔のシンディーローパーの登場シーンで。
私すごくナーバスなの。
私服が派手だからさ。
っていう言葉でスタートするの。
お前自覚あんのかよ。
すっげえ笑ってる。
まあでもね彼女からしたら、そりゃそうだよ多分。
いくらねスターダムにグワッと出てきたとはいえ、
やっぱりあそこに集まってる人たちはあの時代にすでにレジェンドだった人たちだから。
シンディーは言うなれば、まだレジェンドっていう立ち位置でもないのよ。
あの中で言うとまだニューピー。
36:03
なんだよねっていうことを考えると、そりゃ相当なプレッシャーもあったろうなって気がしますよね。
一応今のポップのアイコンとしての参加っていうところもあったろうし。
そんなプレッシャーがあるシンディーよりも、ボブディラのポンコツさがすごかったですね。
言うたるなよ。
それはもうパーソナリティの話になってきちゃうからさ。
ボブはコーラスの時も見てられないから本当に。
つらいもん。あれね、あれ本当につらいよ。
あれ多分ね、見れない人いっぱいいると思うよ。いろいろ重ねちゃって。
なんかさ、はい二人組作ってって言われた時の顔してるもんね。
相当ね、多分ね彼は本当にそのプロジェクトにものすごい感化というか、
強い意思を持って参加してるんだけど、そこに目的にものすごい欲を持ってる人だと思うんですよ。
だから先に体が動いちゃったんだよね。
なんて素晴らしい企画なんだ、僕は行こうって思ったんだけど、
大勢でものを作るっていうようなものに慣れてる人とは到底ないから。
それでもう本当にどうしていいかわからなくなっちゃったんだろうね。
パニックの、HRGいなかったらさ、マジで終わってたよね。
いやまあスティービーな。
スティービーワンダーのおかげでね、本当にいい感じに作品に参加して、しっかりと自分らしくやることができたんですけども。
本当に有名な話なので皆さんご存知かもしれないですけど、
We are the worldでのボブ・ディランのソロパートは、ボブが自分で辿り着いたんじゃなくて、
パニックになってどう歌えばいいかわかんなくなってるボブにスティービーワンダーが、
君ならきっとこうやって歌わせようって言って、ボブ・ディランのモノマネをしながらソロを歌うんですね。
でボブがそれを真似するっていう。
自分の真似をしてる他人の歌い方を真似して歌って自分らしさを取り戻すっていう。
自分らしさとは何かっていうのは非常にですね、我々に問いかけてくるシーンなんですけども。
深いね。
深いですね。ぜひちょっと見てくださいということで。
本題はあと8分で終わらせますんで。
ポップスは本当に死んだのかということでね。
それをちょっと聞きたいんですよ皆さん。
ポップスは本当に死んだんですかっていう。
39:01
どうなんですか?
やっぱり僕が思うのは、
ポップミュージック、ポップカルチャーっていうのが世界に影響を与えた一つの到達点がこのWe are the worldだったのは確かだと思うんですよ。
やっぱりこれが本当に一つの大きな輝き、一つの到達点だったのは確かなんですけども、それに続くものって果たしてあったのかっていう。
バンドエイドはこの前?
前です。
前か。
でこれね面白いことにね、そんなようなことを書いてる人がいて、
We are the worldの呪いっていう本を書いてる人がいるんですよ。
これ書いてる人は結構熱心なそのマイケルフリークな方ですね。
西寺さんっていう方。
マイケルジャクソン学みたいなやつも出してるんですけど。
本当にポップス、この時代のポップスに非常に明るい方で色々と書いてるんですけど、もちろんプリンス論っていうね、プリンスについても書いてるんですけどね。
マイケルジャクソンの教科書とか色々書いてるんですけど、この人もこのいわくこのWe are the worldがアメリカンポップスを終わらせたのではないかみたいな結構責めた本を書いてます。
そこらへんの言説についてはぜひちょっと皆さん本を買うなり借りるなりして読んでいただければよくて、僕はそれについて別に擦るつもりは全然ないんですけど。
ポップスが死んだっていうふうに書かせていただいたのは、よく言われる話だから。
今って新曲が出ても別に何かこう、翌日教室でみんながその歌について話してることって全然ないんだよね。
そうなんだ。
ないよ。みんなやっぱりもうそれぞれのさ、関心事があるからさ。
音楽に興味ない子は音楽の話についていく必要がないっていうところさえあるし。
で、音楽一つ取っても、いろんな音楽があるじゃないっていう。そういうスタンスが取れるようになってるんだよね。
確かにね。それこそさ、聴いている音楽の内容で言うと、中学時代の僕だってかなり浮いてたじゃないですか。
あなたはこのマイケルフリークだったし。
僕はクイーン・アバー、サイモン・ドガーファンクル、謎にサザンオールスターズっていう。
なんか当時の中学生が聴くような曲じゃない奴らを聴いてるんですよ。誰とも話が合わないっていう。
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そうね。やっぱ当時はオリコンシットチャートのトップ10みたいなのをみんな把握してるぐらいの勢いで。
なんかこう、新曲出たってなるとみんなそんな話ばかりするじゃないですか。
そうだね。
おっとっとっと、出す出せたかなんだか知らないですけども。あれが一時経ったのかどうか知らないですけど。
浜崎あゆみとかもね、前世紀だったじゃないですか、あの頃は。
もろもろありまして。
僕らもそれを聴いて当時は思い出すんで、それなりに聴いてはいたのかもしれないんだけれども。
みんながその曲を知っている必要はあるのかみたいな。
最近その紅白歌合戦があんまり面白くないみたいなこと言う人もいると思うんですけど、
それもまあある種当たり前の話で、万人に響く歌って正直もうなくなりつつあるんじゃないのかと。
それはなぜかって言ったら別にそれに乗る必要がないっていうのをみんなが知っているから。
あれその話のネタじゃないですけれども、その歌についていかなければならないんじゃないかっていうのをなんとなく感じている自分もいたはずなんですよ。
実際このアメリカのアメリカンポップスっていうのがこのWe are the worldの頃にはやっぱり流星の極みにはいたと思うし、
だから僕らが洋楽って言ったらやっぱりアメリカの音楽だったはずなんですよ。
マレニーズとかありますけれども、基本はやっぱりアメリカがある種ポップミュージックの中心地だったと言っていいのかもしれない。
ただ今やそうでもないよねっていう。
もうさ、ストリーミングが強いのよ。
ストリーミングのいいところって、他の国もそれこそアメリカとかイギリスとかじゃなくて英語圏じゃないところの音楽も平気で聴けるよね。
でもそれこそさ、ポップスっていうジャンル、ちょっと僕あんまりその辺詳しくないから違ってたらちょっと申し訳ないんだけども、
例えばさ、今英語圏内の人たちが有名どころで言うとさ、エドシーランとかデュアリーパーとかさ、その辺がいいけど、あれがポップスかと言われるとちょっとハテナな気がするんだけど、そこの認識は合ってる?
まあいいんじゃないの。ポップミュージック自体が別にポピュラーから来てますから。話題の中心にある音楽みたいな。
そんな意味合いでもいいのよ。
そういう意味で言うとポップスか。
そうそう。だからね、非常に文化的な意味合いのある言葉なので、音楽的な特色ではまたないんだよね。
あ、そうなんだね。
だからそれで言うと、マイケルはキングオブポップとか言うけど、音はキングオブポップ、ロック、R&Bみたいなさ、いろいろ、アンドソウルみたいな。
なんかLGBTQみたいな。
でもいっぱい付くのよ、本当は。一番響き的にもキングオブポップで切る言い方が多いけど、もとより彼がグラビー賞の最優秀賞を取ったのは、R&Bとか国字音楽の枠内だったんですけども。
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ポップミュージックっていうのはあくまでカルチャーとの組み合わせというか、結びつきによってポップと称されているっていう風な理解でいいかもしれない。
だとすると、音楽が文化し、趣味も文化し、そしてそれらにみんなが自分の好きなようにアクセスできる今となっては、ポップミュージックとはすなわち一体どれを指すんだか分からなくなりつつあるってことだと思う。
確かに。
Aちゃんはこの歌が好き、Bちゃんはこの歌が好き、Cちゃんはこの歌が好きってなった時に、ポップってどれっていう話にもなりかねないわけなんでね。
で、それが全然あり得るというか、起こっているというイメージもある。
ラテンミュージックを聴こうと思った時に、昔はツタヤに行ってもCDがなかなかねえよみたいな感じだったかもしれないけれども、今はいくらでも探し求めることができる。
例えば僕が昔、カントリー気に入ったって言っても、僕がイメージしているカントリーは、いわゆるカントリーじゃなくて、現代カントリーね。
カーペンターズよりも後の。
カーペンターズはフォーク色強いですから、カントリーのジョニー・キャッシュとかね。
ジョニー・キャッシュですら僕のイメージしているカントリーじゃない。
じゃあお前のイメージしているカントリーってなんだよって言われたら、それはね、もうバンジョーガチにジロリロリロってやっててほしいんですよ。
でもそんな音楽って言ってどうやったら探せばいいのみたいな、CD借りるまでそれかわかんねえよみたいな感じだと知り込みしてそこに踏み出すことはできないんですけど。
でもそれが今はいくらでもできるわけですよね。
ってなるとそれが本当に自分の好みでね、僕がイメージするカントリーっていうのは、ジョニー・キャッシュがすごくフォークギター弾きながら歌ってるようなカントリーじゃなくて、
バンジョーガチにジロリロリロって言ってて、そこに荒々しいジダンダみたいなドゥンドゥンドゥンみたいなのが入って、そこにフィドルでドゥンドゥンドゥンドゥンドゥンみたいな感じでも。
そういうのをイメージしてたとして、それにアクセスできちゃうわけよ。
そうなってくるとそれにドハマりしたらそれが好きって言えるわけですよ。
それがその人のポップスだもんね。
ってなってくるといよいよね、もうみんなの好みがズバッと合うことって非常に少なくなってくるから。
だからある意味ではそのネットの流星によってポップという一つの一ジャンルが死んだと言っても過言ではないんじゃないのかという気はするんですよね。
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確かにね。
で、さらに言うと音楽そのものが持ってる社会への影響力も確実に霞んでる。
昔は音楽がめっちゃデカかったと思う。正直。
そうだね。それこそバンドエイドしかり、今回のWe are the worldもそうだけどさ、
ポップスっていうことは大衆っていう大きな集団が一つの曲であったり一つの歌手であったりとかっていうところに執着するからこそ大きなエネルギーを生んでくるけれども、
でもそのポップスっていう概念が薄まってしまったら、
例えばさ、今We are the worldやろうってなったときに、
その一つ一つのコンテンツが持つ集客力っていうのが昔と今とだと全然雲泥の差が出てくるから、
We are the worldの時ほどもしかしたら流行らないかもしれないし。
実際あのサイロクバンみたいなのがあるんですよ。
どっかポリネシアあたりで津波か何か起きたときの義援金を集めるチャリティーとして、
それこそね歌い出しが、世界一嫌われている少年、ジャスティン・ビーバーだった気がしますけど。
っていうふうに今をときめく人としてもう一回歌ってみたみたいなのがあるんですよ。
でもやっぱりそのきらめきで言うとやっぱりこのオリジンは超えられないというのもありますし。
で、何よりだね、今大間が言ったこともまさにその通りなんだけど、
昔の人たちにとっての音楽って多分社会とつながるツールでもあったと思うんだよね。
音楽を購入する行為によって社会に影響を及ぼすんだったら自分も買いたいだとか、
あるいは自分がこの音楽を聴いているという事実が自分自身をわかってもらうための一つのアピールだったりするわけ。
だからみんなが聴いてる音楽を買って聴いている。
これが僕が皆さんと同じコミュニティに存在している意義ですよというか、証拠ですよみたいなそういうPRにもつながってたと思うんだけど、
今や結局音楽がそういうファッション的な扱いもしずらくなってきている。
なぜなら結局漫画文化もめちゃくちゃ発展したし、映画だってそうですよね。
テレビだって今までとはまたちょっと違う方向でいろいろと視聴率を上げてますし、中には下げてますし。
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映画、ゲーム、アニメ、このあたりの結局いわゆるサブカルチャーと呼ばれたものがカルチャーレベルまで延熟してきましたってなった時に、
音楽が音楽だけの力で社会に影響を及ぼせるかって言うとそうでもなくなってくる。
そうすると別に自分が聴いてる音楽を人に知ってもらう必要もなくなるというか、
それを自分と共有できる誰かを探そうと思ったら、別にそんなのネットを通せばいくらでも見つかるしみたいな世界になってくるわけだよね。
そういう意味で言うと本当にポップス自体には罪はなくても、
当時と比べたらポップスが社会に影響を与えられるだけの存在感はもうすでになくなってるよねっていう気はするよね。
死にました。
だからそういうことを考えると、ポップスは死んだって言ってもいいんじゃないのという気はするんですけど。
でもある意味だけど、その一つのコンテンツが取り巻く集客力は上がってるかもしれない。
今までは、例えばそのABCDの人たちがみんなこの曲っていうふうに、そこの集団単位で集まって、いろんなカラーバリエーションがある人が集まってたっていうところだけれども、
例えばエディ・マフィーじゃなくて、エド・シーランが好きですってなったときに、
ああ、エド・シーランっぽい曲好きなんだよねっていう、そこにコミットする人たちっていうのが、
インターネットを通じて日本からでもインドからでもエチオピアからでも、どこからでもいろんなものを集客できるっていうふうになるとすると、
一つのコンテンツ自体が持つ力っていうのが別の形で伸びているとすると、一般大衆としてのポピュラーっていうところはなくなったかもしれないけれども、
カラーバリエーションが赤だったら赤、青だったら青っていうふうに、ある程度統一感を持たれたポピュラーっていう部分に関しては逆に強まったんじゃないかなって気がする。
中小会員の話ばかりしてるから伝わるか不安なんだけどさ。
でも実際ある意味では、本当に音楽的な視点で音楽のジャンルを捉える人が増えたっていうところもあるのかなという気がしますけどね。
ポップかどうかではなくて、その曲、自分が好きな音楽っていってどういう傾向にあるのかみたいなことを音楽的な特徴で持って捉えることが可能な世の中になったと言ってもいいのかなという気がするんですけど。
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ただね、それがやっぱりできちゃう世の中になると今度は自分の好みに合わないものを聴かなくなるっていう怖さもありますけどね。
自分から探して自分でこういう歌が好きだからってそういう歌ばかり聴いていく。
そうなってくると、いろんな音楽に触れる機会っていうのはちょっと難しくなってくるみたいな。
そういう点でいうと非常に一長一短なところがあると思いますけど。
マイケルやライオネル・リッチーっていう本当にその時を輝く人たちが作ったっていうことも、
もちろんこの作品というかこの音楽、この曲を持ち上げる一つの大きな事実なんですけれども、
僕としてはそれらが本当になされるべき時になされたということに価値があるんじゃないかっていう気がするんだよね。
だから今の時代に同じことをやってもうまくいかないよっていうのは、やっぱりそれは社会がすでに変容しているからね。
そういったことが起きる前の段階でですね、このプロジェクトが進んで実際に成功を収めたっていうところは非常に大きなことなんじゃないのかなって気がしてますけど。
ただね僕はねポップスが死んだって言ってうわーっというか思ってるわけじゃないんですよ。
鬼の首とったようにうえーみたいな。
俺らはあの頃知ってるぜとかでもないし、あー終わっちゃったっていうわけでは全然なくて。
なんていうのかな、そのポップスが死んだって言うとやっぱりなんかさ文化が衰退したかのように思われるような気がするんだけど。
でも音楽が好きな人は依然としているわけですよ。
っていうふうに考えると別にポップスは死んだんじゃなくて、単純にそれはねなんていうのかな、ポップカルチャーというものが変容しただけ。
今まではそのものすごく大きなコミュニティによって支持されることがポピュラーで、そこにみんな安心感を覚えているからポップカルチャーっていうものが親しまれてきた。
今はねそのポップかどうかじゃなくてやっぱり自分が好きかどうかっていうところだよね、あくまで。
主観的な好き嫌いでもって人々がものを選択できる時代になったわけだから。
ある意味でもさっき言ってたのと同じで、自分にとってポップかどうかを判断すればいい。
予想は予想、内は内っていうね。
それはねむしろ衰退じゃないですよと。
昔は良かったおじいさんとかじゃなくてまあ進化ですよね。
ただまあその上でねやっぱりね、そうすることでジャンルを超えた音楽同士の関わり合いがもっと進んでいって、
みんながこれ好きとか、私はこっちの方が好きっていう風に感じれるようないろんなバラエティーに富んだ音楽っていうものが世の中に出ていくのがベストなんじゃないのかなっていう風に思うと、
ポップスは死んだんじゃなくてポップスは種になったんだと。
これからの音楽の文化を支えるね。
あの輝きがこれからの音楽をどんどん作っていくと。
だからまあ世代交代の区切りだったんじゃないのかという風にちょっと思ったりするわけなんですよね。
デストロイヤーにつながる部分があったと、そういうことだよね。
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いや、デストロイヤーにつながるんじゃなくてね、やっぱりミレニアムゴジラですね。
そうです、ミレニアムゴジラですね。
ポップスは俺たちの心の中にあるのかっていうね、そういうことなんですね。
これ詐欺に使うべきだったな。
そうですね、はい。
まあでもとりあえず警戒に見ることができて、改めて聞き返してみるとやっぱりすげえいい歌だし、このメンバーだからこそできたことだろうし。
本当に素晴らしい音楽史に残る一曲だと思うので、聞くも良し、見るも良し、皆さんに楽しんでいただければなというところが僕の今日の言いたいことですね。
そうですね、本当に今日もぜひ見てほしい。背景を知るとよりこの曲が好きになるみたいなところがあると思うから。
そうだね。
たぶんそんなにWe Are The Worldを聴いて、それぞれの歌手にピンとこない人でも、「ああ、このフレーズだ!」ってなった時の爽快感は、たぶんWe Are The Worldを聴いた人だったら誰でも得られると思うから、すごく面白かったと思う。
そうだね、楽しかった楽しかった。
じゃあまあ、いいすか。最後に言い逃したことがあれば。
そうね、今回マイケルの素の声で喋ってるところがいっぱいあったと思うんだけど、そこでちょっと1個だけ思ったんだよね。
マイケルが普段からあの声で喋ってるんだったら、クロちゃんって本当にあの声なんだろうなって。
そうだね。
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