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2025-04-12 30:11

ながらcast4/126 40年前1985年の個人的音楽事情

spotify youtube

アフター6ジャンクション2

西寺郷太さん「世界のポップソング界における、超重要な年、1985年から40年!

郷太・宇多丸のヒットソング選曲対決!」

https://open.spotify.com/episode/3Tn2ZzUZGVcCu69fdi6P7S?si=Uv5KtWNyTyio0qgZ3dReTw


<特集続き>ホイット兄?!郷太・宇多丸の1985年ヒットソング選曲対決!

https://open.spotify.com/episode/0i246ujiS9UBFRRp6S65me?si=W9zUcZN4T6umvmAu4KLlxA


1985 - Billboard Top 100 Songs

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サマリー

1985年の音楽シーンにおける重要なイベントやアーティストについての考察が展開されます。特に、チャリティソング「We Are the World」の意義や音楽の変遷について、個人の体験を交えて語られます。また、1985年の音楽事情についての思い出として、レンタルレコードやカセットテープに関連する話がなされます。その中で、マドンナやアーハなどのヒット曲が今も聴かれていることに驚きを感じつつ、音楽がもたらすポジティブな影響について考えられます。

1985年の音楽とその影響
今日も暖かいですね。
とはいえね、 3時以降は雨ということで、
まあなんだろう、 一雨ごとに
暖かくなるっていうやつですか? 十分暖かいんだけど、ただ
僕の職場、何度も言ってるんだけど、 鉄筋コンクリートのマンション
の中にあるもんですから、 コンクリートの塊に囲まれてて、
なかなかね、暖かくなんないのね。 だから外はポカポカしてても、
中に入ると、 ちょっとひんやりしてる。
まあこれがね、鉄筋コンクリートの 建物の良い面でもあり、悪い面でも
ありますね。
さて、 そんな
今日は木曜日ですけどね、
頑張って、まだ週始まったばっかりなので、 世間的には月曜から始まってるんで、
月火水木、もう後半ですよね。 あと1日頑張ろう、みたいな、木金ね。
2日か。 っていう人も多いと思いますが、
私の場合水曜始まるんで、 まだ2日目です。
まあ頑張っていきましょう。 ということで、
ながらキャストスタートです。 まあいつもね、ふわーっとした話を
してるんですが、 えっとね、僕が聞いているポッドキャストで
TBSのアトロク2
アフターシックスジャンクションですね。 1985年の音楽について語るっていう
あの回がありまして、 結構それが面白かったんですよね。
85年というと僕は大学生だった時代で、
なんだろう、本当、 ある意味一番音楽、いろんな音楽に
触れることができた 時代ではありましたね。
ちょっと面白かったんですけど、そのお二人の話。
なんだっけ、
宇多丸さんとさ、あのもう一人、 ノーナリーブスの
なんとかさ、名前が出てこないんだけど、 その人が、二人とも音楽にすごい造形の深いお二人なんで、
すごい勉強になったんですけども、 二つ面白くて、一つは
チャリティとアートの連携
1985年の頭の方でウィアーズワールドが出るんですよね。
アフリカのキガに対して音楽で、
助けたい、みたいなので、
当時の、 アメリカのだと思うんだけど、
超有名な人たちが一堂に会してやるっていうチャリティ。
で、その前の年なんだろうか。
ドゥーゼのイッツクリスマスっていう、 これイギリス主導でやってて、
だから84年ってことなのかな。 ちょっとここはごめんなさい。曖昧なんだけど。
イギリスで、まず、そのドゥーゼのイッツクリスマス。 これは、
これごめん、何のためだったか忘れちゃったんだけど、 彼らはクリスマスってことを知ってるんだろうかっていう、
これが音楽、有名なアーティストたちが集まって、 音楽でチャリティをするっていうのの走り、
だと思うんですけどね。 で、
その後、We are the worldが出て、 その後、Sun Cityっていうのが出ますね。
このアルバムもすごい、僕はかっこいいと思って聞いてたんだけど、 当時アパルトヘイト政策が南アフリカ共和国で取られていて、
そこにですね、サンシティっていう、
名前だったかな。 とにかく、
白人と黒人を完全に隔離した、 人種隔離政策っていうのを取ってて、
白人たちは超金持ちで、 まあいい暮らしをしてて、逆に、
もともと住んでいる黒人たちはひどい暮らしっていう状況の中で、
白人たちが、要は、 楽しむための施設として、
確か、Sun Cityっていうのがあって、 そこに、
金持ちたちが集まって、 コンサートを楽しむっていう風だったらしいんですね。
で、そこは巨額の、
まあ、 お金がもらえるっていうことで、
有名ミュージシャンたちが、そこへ行って、
金持ちの白人相手に、 金を稼いでるっていう状況だったらしいんですね。
それに対して、このSun Cityっていうのは、
俺たちは、
Sun Cityでは絶対プレイしないぞっていう、 決意表明みたいな曲を作って、
そこにやっぱり、いろんなアーティストたちが参加したんですね。
面白かったのは、
守護が変わってるんだっていう話をしてて、
偶然のクリスマスっていうのは、 彼らはクリスマスって知ってるんだろうかっていう、
彼らっていうのは、
苦しい立場にいる人たちを指して、
で、次にWe are the worldで、私たちは世界だ。
私たちは子供だっていうね。
We are the world, We are the childrenっていうサビなんだけど、
ここで守護が私たちになって、
で、Sun Cityでは、
俺は、私はっていうね、
Ain't gonna play Sun City.
I ain't gonna play Sun City.
俺は、Sun Cityに行って演奏なんてしないっていう、 決意表明になっていて、
守護が彼ら、私たち、私とどんどん子に向かってる。
だから、より死体性みたいなものが出てきてるっていうような考察をしてて、
個人的な音楽体験
それがね、すげえ面白かったんだよね。
あともう一つ面白かったのは、
We are the worldが、それまでの音楽の在り方の、
なんて言ってたか忘れたけど、俺の理解では、
それが最後の花火みたいな感じで、
そこから先の音楽シーンっていうのが多分細分化していって、
みんなが知っている曲みたいなものがなくなっていく、
その最後の花火だったっていうような言い方をしていて、
それが90年代とかになっていくと、
音楽が細分化されていったりとか、
あとヒップホップとかラップとか、
そういう音楽が主流になっていく。
主流っておかしいか。
そういったものが広がっていくみたいな中で、
80年代的な、みんなテレビとかMTVとかを見て、
ある意味共有できてた音楽シーンが80年代だとしたときに、
85年っていうのが80年代と90年代のちょうど変わり目の年で、
WE ARE THE WORLDっていうのは、大きな以前それ以後みたいな言い方をしてたかな、確か。
俺も音楽をそういう見方で捉えたことがなかったんで、
非常に面白いなと思いましたね。
その時代が僕がちょうど大学生だったんで、
自分が積極的に聴くっていうよりは、
友達から教えてもらったりとか、音楽のことを知ってた時代だったんですよね。
WE ARE THE WORLDの頃って本当に、
俺は逆にメインストリームの音楽って積極的に聴いてなかったので、
その意義とかスターが集まってやってるっていうことに対する驚きとか、
あのすげえなっていうのは、僕なりに感じてはいたんですよね。
あの時点で誰がわかるかっていうと、自分が好きだった、例えばポール・サイモンね。
僕はサイモンとガーファンクルで音楽に目覚めたっていうのがあるんで、
当然ポール・サイモンが好きだったし、
その頃すごくもう一つよく聴いてたのは、
ブルース・スプリングスティーンもすごく好きで、
これはそれこそ、Born in the USAの日本ツアーを見に行ったりしてるんで、
ちょうどこの頃ですよね。
そんなのが出ていたり、例えばライオネル・リッチーがいたりとか、
スティービー・ワンダーとかもわかるし、
本当に有名な人、ボブ・ディランもいたよね。
わかるけどさ。
でも一番決定的だったのは、
その当時俺、マイケル・ジャクソンをわかってなかったんだよね。
本当、笑っちゃうんだけど。
俺は実はその後というか、もっとだいぶ後にマイケル・ジャクソンにハマるんですけどね。
ライブ・イン・ブカレストをその当時見て、そこからドハマりしていくんだけど、
We are the worldの時点で、俺はマイケル・ジャクソンを知らなくて、
すごいローカルな話で申し訳ないんだけど、
静岡の国吉田に当時まだあったスミヤっていうレコード屋さん、楽器屋さんでもあるんだけど、
そこに行った時に、たまたま店内の天井から映ってあるようなモニターで、
We are the worldが流れているので初めて聞いたんだけど、
その時にマイケル・ジャクソンがサビを歌うじゃないですか、すごい細い声で、高い声で、
あれを聞いた時に、「これは誰?」っていう感じ。
男なの?女なの?みたいな、本当に何も知らない私。
むしろ、「何これ?」ってどっちかというと、拒否反応の方が強かったような気がする。
でもそのWe are the worldっていうのが、その時はそこまで俺は結局のめり込みもせず、
人事のように、むしろ何か偽善じゃねえ?ぐらいの発に構えて見てたような気がするな、俺は。
その後、さっき言ったように、マイケルにハマった後でWe are the worldのビデオを手に入れたんだよね。
そのメイキングとかも見たりして、これ本当に面白い、すげえななんて、後から思った口なんだけどね。
ついでに言うと、サンシティも、あれはリアルタイムじゃないかな、ちょっと遅れて聞いたかもしれないんだけど、
確か、あのプロジェクトに参加してたのが、スプリングスティーンのバンド、Eストリートバンドのギタリストだったと思うんだけど、
彼が関わってたプロジェクトで、確かスプリングスティーンも参加してるんだよね。
なんせ、あの時点で俺は曲がめちゃくちゃかっこいいなっていうので震えてたんだけど、
この辺りはもう自分の記憶めちゃくちゃ曖昧なんだけど、マイルス・デイビスがトランペットを吹いてるじゃんね。
それもかっこいいなと思ってて。あの頃だけじゃないのかもしれないんだけど、なんか自分にとって尖ってる音楽をやってるところにマイルス・デイビスがいるっていう感じがしてて。
例えばスクリッティ・ポリッティのバラードっぽい曲に参加してたりとか、チャカ・カーンともやってた気がする。これは気のせいかな。
でもまあとにかく、僕にとってはサンシティはかなり先端の音楽でしたね。自分にとってはすごいちょっと背伸びして聴いてる部分もありつつも、純粋にこれかっこいいなって思いながら聴いてましたね。
85年の音楽シーンの思い出
今日は特にテーマを設定せずに、85年の音楽っていう流れの中でもうちょっと話をしていこうと思うんですけども、当時ってレンタルレコード前世の時代だったんだよね。
レンタルCDの前にレンタルレコードがまずあったっていうのをちょっと俺の中でも忘れたくないなと思っていて、僕が通ってた大学のそばにそのレンタルレコード屋ができたんですよ。
いつだったか覚えてないんだけど、80年代、85年っていうのはもう間違いなくあったんだけど、82、83年だと思うんだけど、それができて、それまでは大学入ってできた友達のところで音楽を聴かせてもらったりしてたんだけど、
レコード借りれたかな?いや、たぶん自分はレコードプレイは持ってなかったんで、そのレコード持ってる奴のところで録音させてもらってた気がする。
まあいい時代ですよ。カセット買って持って行って録音させてくれって頼んで、それを聴いてる間ずっとそいつの家にいて喋ってるみたいな感じですかね。
ある時、大学のそばにBESTっていう名前のレンタルレコード、貸しレコーダーができて、そこに時々行って借りるようになりましたね。
とは言ってもさ、規模もちっちゃい、そんなにたくさんは置いてないから、やっぱり流行ってるような音楽が多かったんだけどね。
まあそういうので、いろいろ借りたりしてたかな。
だからカセットテープのインデックスっていうの、紙の曲名を書くところに一生懸命曲名を書いてたね。
あれをいかに綺麗に仕上げるかっていうのに、結構力を使ってた。
それはたぶん中学生ぐらいから始まってるんだけどね。
中学校に入ってラジカセ買ってもらって、いろんなものを録音するようになって、AMラジオで録音したり。
ソニーのラジカセだよな、たぶん買ってもらったの、最初に。
だんだん高校生ぐらいになってきて、FMでエアチェックするようになって。
FMの雑誌もさ、当時FMファンを俺は買ってたかな。2週間に1回出るやつね。
2週間分のFMで流れる曲のプログラムが全部書いてあるから、その中で録音したいやつをチェックして、それを録音する。
それが自分にとってすごい重要な音楽の情報の入手元、インプット元っていう感じだったんで。
その頃も一生懸命さ、曲名とかを紙にペンで書いてたんだけどね。頑張ってましたね。
そういうところにすごいエネルギー使ってたんだよな。だからレンタルレコード屋さんでさ、LP借りて。
だいたい90分テープを買って、A面にLP1枚、B面にまた違うLP1枚みたいな感じで、だいたい1本に2枚分アルバムが入ったんだよね。
そこに1曲目から一生懸命書いていくっていうね。本当。
あの当時って本当にデジタルじゃなかったからさ。
いろんなことを手作業で、マンパワーでやってた時代ですよね。
ヒット曲の影響
ちなみにその時代に、ウィンダム・ヒルっていうレーベルに出会って、ジョージ・ウィンストンとか、ウィリアム・アッカーマンっていうギタリストとかの音楽に出会って、ちょっとそっち系にハマってましたけどね。
まあそれは置いといて、そんな時代の音楽シーンを象徴するのがWe are the worldだったんだろうな。
今日はなんとなくその1985年を軸に、思い出話みたいな感じをお送りしましたけども、
まあこの60歳を越えてきて、急にですね、昔話してもいいんじゃないかっていう感じで開き直りが出てきました。
まあ自分個人とか、妻も同じ世代なので話はある程度通じるんですけども、そういった話を思い出すっていうこと自体に、自分個人にやっぱりプラスの影響があるなと思っていて、
思い出そうとするとか、ボケ防止って言っちゃえば早いんだけどさ、そんなことも考えて、昔好きだったものとか昔見たり聞いたり体験したりしたことをもう一回再生するっていうことも、むしろポジティブに捉えた方がいいんじゃないかなと思っております。
1980年、85年間、Spotifyのプレイリストに、ビルボードトップ100っていうプレイリストがあるんですね。
これをバーッと見てると、僕もメインストリームの音楽を追っかけてたわけじゃないけど、それでも耳に入ってくる曲っていうのはありましたね。
例えば、マドンナのLike A Virginとか、あとチャカカーンのI Feel For You、これは好きでしたね。最初のちょっとラップっぽい、チャカカーン、チャカカーン、チャカカーンみたいな感じの出だし、かっこいいなーって思ってましたけどね。
さらに、やっぱりマドンナ多いですね。Crazy For Youとか。 あとはもう本当に爆発的ヒットだったのが、アーハのTake On Meですね。
これ未だに聴かれてるし、今ズンバでもやってるんだよね。笑っちゃうんだけどさ。いやー、85年、40年前の曲が未だに生きてるっていうのはすごいなと思いますね。
あと、REO Speedwagonもサークルの先輩が好きでさ、ギター弾く人だけど、その関係で聴き始めて、アメリカンロックっていうんですか、結構ゴリゴリ熱いんだけど、なんかね、爽やかな透明感みたいなのがあって、あとコーラスが上手だったよね、この人たちね。
好きだったなぁ。 あと、Huey Lewis & The Muse。
The Power Of Love。これはもうイントロをいろんな場所で聴いてた気がしますね。この曲を自分から聴いてるわけじゃなくて、どっちかっていうと、
テレビの番組とかで、後ろでかかってるみたいな印象ですね。
さらに、それからWe Are The Worldですね。他にも、
Brian Adams。フィルコリンズ出てきましたね。One More Night。バラードだったなぁ。
Duran Duran。これは僕の聴かなかったやつ。シカゴもそんなに聴いてなかったけど、
他には、
Alessa Franklin。
いいですね。フィルコリンズのSusurio。これかっこよかったですね。
俺の素人考えでは、すごい、スクリティポリティみたいな音作りでしたね。
他には、Sheena Easton。ホイットニーフストンとかね。
いますねー。
ホイットニーフストンは、We Are The Worldで、なんか目立ってた気はしますね。
他にも、スティングとか、ティナ・チェルナーとかね。
いますねー。
Tears For Fears。
シャーデー。いましたね。そんな人。よく覚えてないけど。
やっぱシンディ・ロープはまた出てきましたね。
All Through The Night。
ブルースプリング・スティンが、やっぱり今年は当たり年で、
Born In The USAから、Glory Daysが入ってますね。
それから、
Paul McCartney。サバイバー。
ブライアン・アダムス。読んでるだけ。あと、ワームがまた来ました。
ジュリアン・レノンも入ってますね。
スプリング・スティン。I'm On Fire。これも、Born In The USAですね。
それから、
John Mellencamp。
はいはい。いましたね。って感じですね。
そして、タイトルカットのBorn In The USAも入ってますね。
このアルバム、シングルカットしたものがかなりチャートインした。
本当にすごいアルバムだったなって、今でも思いますけどね。
それから、アレサ・フランクリン。スティング。
ライオネル・リッチー。
こんな感じですね。
ナイトレンジャー。
これも凄かったね。ナイトレンジャー。出てきた時、やっぱりその、さっき話したのってナイトレンジャーだっけか、
アメリカン・ロックって感じの、なんかさ、
凄かったのよ。出てきた時、そのギター好きの先輩がさ、これはかっこいいって言って、その影響でもうかっこいいって思って聞いてたんだけど、
最初のデビューアルバムのタイトルが、緊急指令NRみたいなさ、ナイトレンジャーね、NR。
そんな感じで確か、すげー名前、ナイトレンジャーっていう、
名前も多分そういう緊急指令的なイメージがあるのかな。
そういうね、成り物入りでやってきて、確かにかっこよかったですね。
ハードなんだけど洗練されてて、これは結構好きだったな。
そんな感じで、おはようございまーす。
85年っていうのはね、そんな感じの年でしたね。
あー、今俺、モフモフつけるの忘れたんで、もしかしたら、
風切り音入ってたらごめんなさい。というところで今日はおしまいです。またね。
ちゅーす。
30:11

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