2025-09-24 1:06:13

【Replay】#映画『#ザ・フライ』科学は人間を幸福にするのだろうか? [Replay] #TheFly — Is Science the Path to Human Joy?

怖がってください…とても、とても怖がってください…

ーーーーー

映画談義ポッドキャストパーソナリティまこです。

今回は  #ポケ沼 よりオーマを迎えての収録です。

というわけでハエ男の恐怖リメイク、『THE FLY』です。

古典名作ホラー映画って結構リメイクされているよね。

どうやらボディホラーと言われるジャンルらしいけど、その根っこに横たわってる恐怖ってどんな種類のものなの?

体と心ってどういう関係なのかしら?

科学って僕らを幸せにするの?

そんなことをのらりくらりと語らいました。

科学の力で今まさに変わろうとしている世界を前に、私たちはどうやって幸せを掴めばいいんでしょうね。

ーーーーー

podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPalツイートをお願いします。

いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

テーマトーク投稿フォームはこちら↓

https://forms.gle/4PT2GBA7TY8vAoCx7


直接のメッセージを送る場合はこちらまで↓

⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠


これからも番組をよろしくお願いします。


-----


“Be afraid… be very, very afraid…”

Hey, it’s Mako, your movie-talk buddy.
This time I’m joined by Oma from #PokéNuma, and we’re diving into the remake of the classic horror THE FLY.

A lot of old-school horror masterpieces have been remade over the years.
This one falls into what’s called the body horror genre—but what kind of fear actually lies at its core?

What’s the real relationship between body and mind?
Is science here to make us happy?
We wandered through those questions, bit by bit.

And with today’s world on the verge of being reshaped by science itself, how are we supposed to grasp happiness in the middle of it all?

🎙 Hosted by Mako (@_macobana)
Yomoyama Kobanashi (#まこばな) is my spin-off podcast born out of all the movie talk I can’t squeeze into the main channel Pocket ni Numa o (#ポケ沼).
There’s always more to discuss, and I don’t plan on stopping.

📅 New episodes drop weekly or bi-weekly.

💬 Share your thoughts with #リルパル / #ReelPal—I might feature your tweet on the show.
📮 Suggest a topic here: https://forms.gle/4PT2GBA7TY8vAoCx7
📨 Or email me directly: yomoyamakobanashi@gmail.com

Thanks for tuning in—see you next episode!



00:04
Reel Friends in TOKYO 〜観て、語って、沼る)マコとオーマ)
【Replay】
1958年に公開されたホラー映画、【ハエ男の恐怖のリメイク】として、
86年に作られたアメリカ映画の、【The Fly】。
これを観てきました。
行きますか。
行きましょうか。
2分間で結構です、今日は。
1作品なんで。
1作品の時は2分で行きましょう。
じゃああらすじ、お話しさせていただきます。
というわけで、今回は【The Fly】ですね。
皆さん、科学技術の進歩っていうのが、人類にとって、
それは福音たりうるのか、あるいは災いをもたらすのか、
みたいなことを考えたことはありますか。
というわけでですね。
【The Fly】、1986年の映画を観てきました。
作品のスタートとしては、天才的な科学者のセス・ブランドルが、
自分の発明品であるテレポッドという、
瞬間移動ができる装置を開発するところから物語がスタートします。
物質が一瞬にして、
1つのポッドからもう1つのポッドへと伝送される機械なんですけれども、
これができれば当然、その後の様々なですね、
移送手段、移動手段として使える、本当に世界が変わるような発明です。
セスはジャーナリストのベロニカと会い、この発明を披露し、
そこから2人の関係は少しずつ進展し、恋人同士になります。
ただ、ちょっとしたね、手話原価的な文脈もあり、
セスがお酒を飲んで酔っぱらい、
その勢いで自ら人体実験をしてテレポッドに入ります。
03:04
一見成功したかに思うんですが、
セスが入ったテレポッドの中には1匹のハエが混入していました。
それによってセスはですね、ハエと融合してしまい、
少しずつ体に変調をきたしていきます。
徐々に人間性を失って怪物化していくセス、
セスを愛してやまないベロニカ、
この2人の関係性もまた変容していきます。
変わっていく肉体に興奮したり、恐怖したり、あるいはそれを受け入れたり、
セスは自ら人間性を失いながらも苦悩していくわけですが、
最後に一体どのような結末が待つのか、
またセス、そしてベロニカの選択は一体何なのか、
そして私たちはそこから人間らしさとは何かという問いを考えさせられるのです。
こんなもんですかね。
ちょっと足りなかったんじゃない?
今回はちょっとギリかな、余韻がかぶった感じだと思います。
これはちょっとレイテンシーの問題で、
オウマは正確な判断ができないという状況にありますので。
毎回それ言うじゃん。
言うよ。言わないと。
なので実際にローンチされてから確認してください。
というわけなんですけれども、
クローネンバーグ作品ですね。
デビット・クローネンバーグという監督はご存知ですか?
名前は全く知らない。
一応この人は有名な監督ではあるんですけど、
80年代の有名な映画監督。
タランティーノと同じく、ちょっとデタガリなところもありまして、
出産のシーンのお医者さんが、
出産のシーンのお医者さんがクローネンバーグです。
みたいなのもあります。
この人の作品は、
2個か3個見た気がするんですけど、
これしか覚えてないですね。
ビデオドロームっていうイカれた作品も見た記憶があるんですけど、
見たという事実が記憶としてあって、全然内容を覚えてないんですけど。
全然わかんない。
でも実際ね、このザ・フライが最も成功したヒット作になるので、
他の作品を知らなくても普通かなっていう感じ。
この手のいわゆる特殊メイクを多用する、
ちょっとグロの混じるようなホラー映画で一生不備した。
ジャンルとして、ボディホラー。
ボディホラー?
06:00
ボディホリーみたいな。
ボディホラーっていうジャンルを確立したという人なんです。
要するに、肉体性が喪失する恐怖ですね。
その文脈でいうと、ザ・フライもまさにそれを踏襲していて、
肉体が崩壊していくにつれて精神もまた崩壊していく、みたいな。
人間にとって肉体とは何か、物質的な、人間における物質的な部分、
それが壊れていくことの恐怖、みたいなものを結構強く打ち出した作品が多いです。
体が欠損する、頭が爆発するとかね、その辺がボディホラーにありがちな。
頭が爆発するっていうのは、昨今ではもはや爆発オチ的な感じでね、
ギャグの要素で使われることが多いんですけど、
当時のボディホラーにおいては、結構象徴的な手法として知られているものですね。
というわけで、クローネンバーグ作品ザ・フライを見ましたけど、率直な感想はいかがですか?
うーんとね、嫌いではないけど、めちゃめちゃ面白かったとも言いがたい。
なるほど。僕は楽しかったですね。
これは何だろうな。初めて見たのは高校生の時なんですよね。
つい君がツタヤで絶賛してたんですよ。
これはめっちゃ面白いかなみたいなことを言ってて、全然借りなかったんですけど、
その後たまたまですね、スカパーに入ってて、スカパーでクローネンバーグ作品一挙放送みたいな感じで、
氷の美少とかザ・フライとかもろもろバーって流しているうちのザ・フライをたまたま見たんですよね。
まあやっぱ衝撃的ではありましたね。その時の感動も手伝っているのかわからないんですけれども、
結構好きかなというふうに思うし、ダイエットをお考えの方はぜひ見ていただきたいなという。
飯食えなくなるんで。ぜひね、見ていただきたいなというふうには思いますけど。
なんかどの辺がピンとこなかったとか、あるいはどの辺は面白かったのかって聞いていい?
えっとね、主題にしているテーマ的なものの捉え方はすごく面白かったし、
僕、もともとのハエ男ってオチぐらいしか知らないぐらい、あんまり内容をよく知ってないんだけれども、
09:03
おそらくもともとのハエ男の内容の主題とは全然別どころの映画として作られてるんだなっていうのはなんとなく理解はできるんだよ。
なんだけど、もうちょっと心理描写があってもよかったんじゃないっていうのがあって、
特に女性の方、ブランドルはね、割といい線いってたし、僕の中でいい語りあったなと思うし、
あと新聞記者もすごいいい味出してたのよ。
ベロニカね?え、違うか。
違う。
ベロニカの上司ね。
上司の方。上司の方もすごくよかったんだよ。
俺、ベロニカが、なんかね、もうちょいなんかあったんじゃない?お前。
そこがね、釈然としないというか、非常に人間的ではあったんだけど、なんかベロニカのせいでどっちつかずになっちゃった気がするんだよ。
というと?
なんかね、僕はこの映画を見て一番の主題は何かっていうとアイリンキティの喪失だと思うんだよ。
っていうところで見ると、アイデンティティの喪失をハエ男のブランドルはかっつり描けてると思うんだよ。
で、新聞記者っていうのも人間性としてのアイデンティティだったりとかっていうところも描けてると思うんだけども、
恋人の方がサポーティブに接想としてるのか、それとも化け物見て恐怖したいのか、それとも自分かわいそうって思ってるのか、
すっごいフラフラフラフラしすぎて、何がしたいねんってちょっと突っ込みたくなっちゃったんだよね。
それがいわゆる人間的な迷いなんじゃないの。
そういうことか。
ちょっとあれにイラっとしちゃったですね。
そうだね。女性というキャラクターの解釈が80年代の作品なので、
なんていうのかな、ティピカルな形で描かれていて、あんまり力強いキャラクターとしてはやっぱり描かれてないよねっていうのはどうしてもあると思うのよ。
そのあたりはだから仕方ないっちゃ仕方ないのかなって気がするんだよね。
一応その作品として見ていったときに結構序盤、彼女は自己の意思を結構強く持っていて、
自立した女性、強い女性としては描かれているんだけれども、やっぱり後半に行くにつれてね、
12:00
いわゆる女性的な、当時の女性的な解釈のキャラクター造形にだんだんシフトしていく。
自ら動くことはできなくて、誰かの手を借りないと行動を起こせないだとか、そういう部分が強く出てきちゃってるので、
そのあたりがピンとこねえなみたいな感じなのはなんとなくわかるかなって気はしますね。
ただ、作品の主題がアイデンティティの創出っていうのは、僕もすごく同調します。
同時に、だからそれがこのボディホラーの文脈で語られることによって、
アイデンティティって精神だけの話ではなくて、やっぱり肉体と密接に関わってるよねっていうところもやっぱりここで描かれているのかなと。
ハエ男の恐怖って僕、昔の58年版、これ見たことないんですよね。
すげえ見たいんですけど、今見れる方法がGoogleプレイなんちゃらみたいな。
Googleの映像サービスでしか見れないみたいなんですよ。
Googleったら。GoogleったからGoogleなのかわかんないですけど。
Googleさんが自分のサービスを紹介したくて言ってるのかわかんないですけど、
下手したら58年の作品だから全然フリーで見れるんじゃないかっていう気もするんですけどね。
確かにね。
この作品はもともと、頭だけ変わるんだよね。
頭だけだったと思う。
頭と片腕が、みたいなことが書いてあって、
ラストでは、頭が人間のハエがクモの巣にかかってるみたいな。
落ちて。
っていう話らしいんですよ。
それが結局大きく変化していて、
遺伝子レベルで融合してしまうという。
しかもそれが徐々に変化していくっていう、
もともとの自分の持ってる体、肉体に対する意識っていうものが、
それが失われていくことによって、
自分とは一体何なのかっていうのを見失っていくっていう、
フロットに変わることで、
肉体と精神の結びつきっていうところ、
それが実は別個のように思えるけれども、
やっぱり分離不可能な関係性がそこにはあるんだ、
みたいなことをものすごい打ち出してるなという気はしますね。
僕らの大好きなキリスト教的な文脈にはなるのかなって思うんだけれども、
結局肉体は神によって創造されたものですよね。
神に似せて作ったものなんですよねっていう。
神が人間を作ったときに自分の姿に似せて作ったんだよと。
だから神もまた人間と同じ姿をしているっていうふうに考えるわけなんだけれども、
15:01
あるならばその肉体を失っていったとき、
我々は人間性も失うんじゃないのかとも言えるし、
同時にセスが開発したこの科学技術っていうのは非常に優れた発明ではあるんだけれども、
それを無機物に対して行うのと人体に対して行うことっていうのは、
その価値観に照らし合わせると全く意味が変わってくるっていうことがある。
結局作品の中にては一旦それを分子レベルに分解して、
それをまたコンピューターがそれを理解し解釈し再構成をするっていうふうな説明がされていたわけで、
それは自らの手で神によって与えられた肉体を一度崩壊に導くっていうプロセスを払う。
それはものすごい罪だよねっていう話にも多分なってくるのかなという気はするんですね。
その辺りもちょっと込みで、僕は今回サブタイトルじゃないですけれども、
価格が人を幸福にするんだろうかっていう、その価格が踏み込んでいい領域ってどこなのっていうふうな話を同時にこの作品の主題として感じたわけですよ。
だから精神と肉体の結びつきっていうところで合わせてアイデンティティっていう主題がある。
その裏側に価格ってどこまでやっていいんですかって。
で、この作品は明らかにこのセスが最終的に到達した出口としての作品のエンディングを考えると、
やっぱりそれには限界があるというか、踏み込んでいい領域とそうではない領域っていうのは明確にそこにあるはずだっていうことをおそらく言ってるんじゃないのかなっていうふうには思うんだけれども、
この作品通して感じたこととは別に自分はどう思ってるかっていうことも改めてちょっと考えてしまう。
っていうふうな感じですかね。
なるほど。
そしたらどうしよっか。
ジャブ的な内容さ、2個ほどちょっと言っていいですか。
言っちゃってください、ジャブ。
まず1個はね、やっぱりオカルトマニアのね、血が騒ぐんですよこの作品。
モスマンの話はやめてね。
モスマンじゃないです。
じゃない。
もうニコラテスラ。
あ、ニコラテスラね。
と、あ、飛んじゃった。
ノイマン。
ノイマン、コンピューターの父。
そう。
ニコラテスラとノイマンといえばフィラデルフィア計画ですよ。
フィラデルフィア計画。
そう。
知らねえなあ。
知らない。
ニコラテスラが晩年、テスラタワーだっけ?
なんか結構ぶっ飛んだ地球規模の計画を結構提唱していたけれども、結局その頃にはテスラの信頼は地に落ちていて、誰からも対して手を差し伸べられることもなく、ものすげえ孤独な死を遂げたということは知ってるんですけど、ノイマンが関わってるんですか?どっかで。
18:20
どっかで関わってるんですよ。それがね、直接に手を組んでるってわけではないんですけど、テスラタワーっていうのもテスラノートに書いてあった記述の一つなんだけどもね、それで実際に行われたかどうかっていうのは、これはオカルトマニアの伝説の話だと思って、軽い気持ちで聞いてほしいんだけども、
1943年のアメリカ空軍の駆逐艦であるエルドリッジっていう駆逐艦があったんですけれども、当時レーダーに映らないような技術、第二次世界大戦中なので、そういうステルスの船を作りたいと。
で、当時は何だっけな、磁力みたいなのがレーダーに映る原因なんではないかみたいなのを言われていたので、なんか強い電磁波みたいなのを出したら、レーダーから映らない船、だから透明な船と言われるようなステルスの船が出来上がるんじゃないか。
レーダーに映らなかったらすっげえ至近距離まで近づけるし、強えじゃんっていうことで、実験が行われて、一番最初にシラハノイアイが立ったのがニコロテスラ。
で、テスラコイルっていうのがあるように、その高電圧を流して船自体を電磁化させて、してしまおうっていうのをやってみようとしたんだけれども、あまりに高電圧すぎるからこの実験やべえよって言って、やめとこうぜって言ってニコロテスラが行ったら、ニコロテスラを降ろされるんですよ。
で、その後に後釜として入っていくのがノイマンが後釜とかして入ってきて、その実験を結局ノイマンもやべえからやめろって言って言うんだけど、軍の組織としては実験がなされたという伝説。
で、結局何がそれで行われたかっていうと、実験自体は成功したって言われてて、その時に何が起こったかというと、高電圧を流したことによって、ノーフォークまで、ピラデルフィアからノーフォークまで瞬間移動をして、何時間、数分後だっけな、数分後にまたピラデルフィアに戻ってきたんだけども、
そしたら、船の中がすごいことになってたと。なんか、肉体の表と裏が逆になっちゃった人間になってたりとか、デロデロに溶けてるとか、壁と一体化したような人がいたとか、
21:06
あと、この手の歴史的実験のオチにありがちな精神に異常を期待した者がいたとか、そういうのがあって、なんかやべえぞって言って、アメリカ軍が取得をしているっていう実験と言われている一つ。
っていうのがこのピラデルフィア実験ですね。だから結構これ、わりといろんなSFとかにも引用されてて、テレポートとかそういう高電圧のものを使ったら、半透明のゼリー状の何とかになるとか、壁にのめり込んでしまうとか、
あの手の設定をエルドリッチのこのピラデルフィア計画のオカルト内容を引用していることが多いです。
なるほどね。つまり、今回のザ・フライで言うと、ひひの実験で一回目に失敗したときの表皮が裏返ったみたいなセリフっていうのは、そこからやっぱり来てるってことですか?
おそらくは。
おー、なるほどね。
もともとテレポートの実験でもあるし、多分ここから引用した内容があるんじゃないかなと思って、僕にんまりっていう。
なるほど。あれも気持ち悪かったね。
あれすごかったね。
はい。
でもちょっとあれなんか若干疑問なんだけどさ、表皮が裏返ったのに、表皮と肉体が裏返ったんでしょ?
うん。
なんで骨はそのままなの?ってちょっと僕は…
表皮だけ裏返ったんじゃない?
表皮が裏返ったら神秘にさ、別に普通にくっつく…わかんない。
謎回す。
っていうのが、オカルトマニアとしての僕のニッコリジャブが一つと、あともう一個ね、この映画を多分真に楽しめなかった原因がもう一個だけあるんですよ。
これがね、ジェフ・ゴールドグラムの映画全部に共通するんですけど、この人が出てくるとさ、どんな作品でも、ジュラシック・パークの手の甲に水滴さらしシーンが絶対に頭ちらつくのよ。
カオス理論ね。
そうそうそうそう。
カオス理論の話ね。
そう。あのシーンが絶対ちらつくからさ、なんかね、この人が出る映画あんま集中できないんだよね。
もうね、何やってもカオス理論の人になっちゃうんだよね、我々世代は。
なるよね。
ただ一応言っておくけど、カオス理論より前でしょこれ。
そうなんだよ。
これカオスデビュー前だから。この後カオスを唱え始めるんだよ多分。
正直ちょっとちらつかなかった?
いやいや、ちらつくどころじゃないよ。ずっとカオスだよ。本当に。
24:01
魔法の言葉を言ってもいいかいって言って、チーズバーガーっていうシーンあるんですよ。
カオスメソッドみたいな話になるのかなってちょっとドキドキしちゃったよね。
残念ながらカオスの、自分がカオスに陥っていたんで今回の作品では。
でも俺この俳優さんすごいなって思った。
うん。
初めて。
なんだろう、ジュラシックパークのジェフはイケ好かない野郎なんですよ。
で、こいつ真っ先に死ぬやん思ったら最後まで生き延びるという。
なんだったらリブートしたジュラシックワールドの方にもガッツリ関わってくるキャラクターに成長して、
なんか本当にイケ好かねえなみたいな。なんかちょっとスタイリッシュだしみたいな。
なんかそんな感じのイメージだったんですけど、改めてね、別の作品で彼を見るとセクシーだよねかなり。
すげえ、だってあれ多分スタント使ってないよね。
いや使ってるよ。
使ってるかな?
使ってるよ。どう考えても使ってるじゃんあれ。もう全然顔映んないんだもん。
顔映る手前に必ずカット入ってますから。あれは絶対使ってるんだけど、やってもおかしくないぐらい体もすごくいい体してて、手足すごい長いし、スタイルめちゃくちゃいいよねっていう。
しかもあんな感じのニキリな感じでさ、サラッとピアノなんか弾かれちゃったらさ、コロッとちゃうよね。
うん、し、またなんていうのかな、演技力もこの人いいよねってすごい思って。
今回すげえなって思ったのが、あのハエになりかけの顔が崩れ始めたシーンでちょいちょいハエっぽい動きみたいなのが、
そうね。
このチックみたいな動きがさ、ちょっと出るじゃない。で、なんかその瞬発的な動き以外もさ、こうずーっと目がキョロキョロキョロキョロしたりとかさ、
あ、なんか人間がハエになったらこういう動きしそうだなっていうのを、なんとなく表現できてて、すげえなって思った、この人。
ほんとね、そこに感心しちゃって、なんかこう、それこそね、今回は自我の崩壊、肉体の崩壊と自我の崩壊を描いているんだけれども、
出会った頃のセスの圧倒的な知能を持っていながら、少し自信なさげというか、人と関係性を構築する上で、
なんかこう、勇気出してる感がすごいのよ、ベロニカへのアプローチが。
どうしよう。
で、実際、スタイルいいんだけれども、着てる服毎回一緒で、スタイルいいから許されるけど、お前そのジャケットの丈なんなんっていう、
27:11
ちょっと古臭い長めな丈のジャケットを着てたりしてて、で、うーんって思ってたら、それがなんかちょっと肉体目覚めてからちょっとワイルドな服装をしたりして、
なんかその辺もすごいまた全然違う人にだんだん見えてくるんだよね。なんか演じ分けもすごくいいし、いや、絶妙にいいなって。
声もね、またすごくいいですよね。
セクシー。
セクシーなのよ、自負いい、俳優さんだなと。で、ベロニカ、ジーナ・デイビスさんとこれ、当時付き合ってたんだって。
あっ、ガチ恋人なんだ。
ラブシーンとかももう、もうね。
ガチラブシーン?
ガチラブですね。いや、ガチラブシーンって言うと、本当になんか、みたいな感じになっちゃう。
今の語弊があった。
それはちょっと語弊があるんですけど、はい、あの、まあ、そういう、当時そういう関係性ですね、はい。
だから翌年、ですね、翌年にご結婚されてるんですよ。
その前に結婚してるみたいなんですけど、1982年に経営者と結婚して翌年離婚し、
で、86年にザ・フライでジェフと交際関係になり、
まあ、そういうの前からなってたのかわからないですけど、で、ザ・フライで共演して、その後翌年に結婚し、
で、3年後に離婚してますね。はい。
で、その3年後には映画監督と再婚し、その5年後にまた離婚してると。
ちょっとずつ伸びてはいるんだね。
ちょっと伸びてますね。はい。
まあ、とにかく恋大きい女性らしいんですけど、またこの人もセクシーでしたね。
ちょっとこう、男っぽい顔つきなんですよ。こう、けっこう甲殻もしっかりされてて、でもね、ものすごいセクシーですね。
セクシーだね。
セクシー対セクシーっていう構図でした。
はい。2つのセクシーが交わったときね、どんなセクシーが生み出されるのかという。
何言ってんだろうな。とにかく、でもジェフはすごくいい俳優さんだったっていうことを改めて感じましたね。
いや、すごい良かったっす。
あとはジャブ。
ジャブはもうこんなもん。
僕からもジャブいいですか。
はいはいはい。
あの、仮にもしザ・フライが改めてリメイクされたとしてですよ。
リメイクのリメイクとして。リメイクされたとして、おそらく今の映像技術だったら、さらにブランドル・フライの表現とかもすごくCGとかで刷新されて、ものすごいリアリティに多分なると思うんですよ。
30:13
でも、僕はこの86年版のザ・フライを超えることはできないと思う理由があるんですよ。
これは一体何か。
何か。
やっぱね、グロは特殊メイクだから光るんですよ。
あー、なるほどね。
もうね、ここはもうね、絶対にそうだと僕は思ってて。
うん。
その、物体がそこにある感じっていうのって、
うん。
この特殊メイクの強みなんじゃないのかなっていう気がするんですよね。
この気持ち悪さ、気色悪さっていうか、そのディスガスティングな感じですよね。
不快感、生理的な不快感。
そういうのって、引き出せるのって、物がそこにある感じってやっぱあるんじゃないのかっていう気がしていて、
何かこう、それ、やっぱり気持ち悪ってなれるので、やっぱりそれが本当にそこにあるからなんじゃないのかなっていうのを、僕はちょっとすごい感じるんですよ。
まあ、これから先ね、もう今もそれこそ、えっと、ライオン・キング・ムファサーとか言って、何かね、またディズニーが過去の栄光を擦り倒してしょうもない映画作ってますけど、
野生動物のように見えるCGですけどね、あれは。
ものすごいリアリティはあると思うんですよ。
まあ、この勢いで成長していけば、ひょっとしたら、特殊メイクを超えるぐらい気持ち悪いCGが作れるのかなと思うんですけど、
今のところ、この80年、特殊メイク末盛りの時期に作られたグロ表現の映画に勝てる気持ち悪さを、いまいち感じたことはやっぱないんですよね。
いろんな映画見てきましたけど。
特に、なんかやっぱ、わっ!ってなるのがさ、人が拍子、まあその拍子というか、消火液をぶっかけるシーンなんだけどさ。
やっぱりあれって、特殊メイクだからこそ、やっぱ人間だよねっていう脳みそに一回タッチ切っちゃう。
絶対そこから固定されちゃうじゃん。CGだったら、これCGだっていう空想のものだから、空想のものが入ってもそんなに気持ち悪くないんだけど、
これ肉としてのこの人間がやってるよねってなると、人間が口からものを出すシーンって、
生物として捉えちゃうから、あんだけ、わっ!っていうシーンにやっぱなるんだよね。
これなんか、同じような感覚、シックスセンスでもあったんだよね。
シックスセンスはテント。
テントの中のね、女の子ね。
33:01
そうそうそうそう。
あれもそうなんだけどさ、やっぱりこう、人だよねって思われる肉感のあるものが、
ウォウォウォってなるって、ウォウォウォって、やっぱこの手のグロー映像には大事だよね。
うん、本当にそう思うし、やっぱり結構衝撃的なものが多かったですね。
今回そのアニマトロニクスもものすごい使われていて、さっきのヒヒもそうだろうし、あとは出産シーンね。
あれはね、そう、あれは俺も、俺が多分一番高校生の時に見て、一番ウォウォってなったのはあそこで、ものすごい、なんていうのか、不快感を引き出されたんですよね、あのシーン。
で、実際なんかこう、テレビ放映とかされるときにはこう、注意喚起が一番初めに入ったらしいんですよ。
出産にまつわるシーンがありますけど、大丈夫みたいな、ちゃんと見ますよみたいな、やめといた方がいいですよ的なのも出てたらしいですね。
だから俺これディズニープラスで見れるってなってから、下手したらこれカットされてんじゃないかなとか思ってたんだけど、真正面からしっかり出てきたんで、改めて見たけどやっぱこれキチイわっていう。
でもディズニープラスって意外とさ、そういうのしっかりさ、注意書きを入れて、こういう不快感がある可能性があるけれども、それは当時の作品のなんとかだから、そのまま出しますっていう。
なんか割とその辺は男気感じてる、ディズニープラスに関しては。
最近は本当に昔のミッキーの行動とかにも不快感をあらわにする人いっぱいいますから、ミニーちゃんのスカートメイクってお尻叩いたりとかさ、そういうのちょっと良くないんじゃないみたいな。
人もいるぐらいだから、いろいろ言われるがままに消してたら何も出せなくなるみたいなところあるかもしれないからね。
でも本当にまあその気持ち悪さっていうものを全力で特殊メイクのパワーでやってんなっていう。
もうセスが最後に崩壊してあの完全なブライドル、ブライドルじゃない、ブランドルフライに進化するシーンとかも、やべえよなあれっていう。
いやー、なんかあっこまでするかと思ってびっくりした。
ね、あのもうあれはほんとやばい、気持ち悪い。よく俺あれ見た直後ファミチキクエーだなってちょっと自分に拍手を送りたいわ。
本当に。
ただあれなんか一個さ逆関節になってたんだけど、はい逆関節ではないんだよね。
そうね、確かにね。
そう。あれはちょっとなんかおかしいなって思って。
そう。
あれもよさんなんかに見せたらさ違うって絶対言うよ。
てかなんだろうな、虫は逆関節というよりは股関節が逆向いてんだよね、足の脚部。
股関節から後ろ向いてないとおかしいんだよね。
36:00
うん。なんか馬みたいなコクする。
そうそう、馬になったからね。
そうそうそうそう。
まああそこはまあ、人ならざる者としてね、なんとなくそう知ったんでしょうけど。
でもそうなんだろうな、本当に虫と同じく股関節から後ろ向きにしたらもう歩くシーン撮れないからね。
まあ確かにね、吊り下げないとね。
ベロニカを連れ去るシーンとかさ、割とあの状態だと厳しいのかなとかいろいろ感じちゃうんで、まあしゃあねえかなみたいな。
でも本当に気持ち悪かったですね。
そういう意味でもぜひ見ていただきたいですね。
80年代の特集メイク真っ盛りの時期の作品って、別にCGの登場によってどうこうとか言うけど、捨てたもんじゃねえよという。
まあ正直CGの方が安上がりだからCGに流れていった部分もあるから。
特集メイクってマジで金と時間が尋常じゃないからね。
でしょうね。なんか何かのインタビューで見たんだけど、ジェフ・ゴールド・ブラムがこう、何だっけ、これの特集メイクするときに、
この特集メイクが終わる前に俺が死ぬわみたいなことを言ったみたいな。
そうね、めちゃくちゃ時間かかるからね。3時間4時間とかずっと座り続けるみたいなね、話だったと思いますし。
しかも今回は徐々に変化していくわけだから、1回で済まないわけよ。
ミセス・ダウトとかだったらもうずっとそれでいいんだけど。
まあね。あれはそういうもんだからね。
ずっとそれでいれば全然いいんだけど。そのシーンだけまとめて撮れるけどね。
本当にだんだん変わっていくもんだから、1回で済まないって結構しんどいなって感じましたね。
僕はそんなところですね、ジャブとしては。
そうね、ジャブとしては僕もそんなもん。
次は本題ですかね。
本題に入りましょうかね。
科学は人を幸福にするのかというところを合わせて、アイデンティティ関係をもうちょっと語りかければほしいです。
いいですか、ちょっと。
どうしよう、なんでハエなのかっていうのは飛ばしちゃおう。
なぜハエなのか、ちょっと簡単に言って。
まずね、ハエって、またキリスト教が出てきちゃうんですけど、
キリスト教の中でもハエっていうのはゴフ城の存在として、象徴的にあって、
それはなぜかっていうと、ハエの王バールゼブルですね。
ハエっていうのがいて、結構行為の悪魔の中でもバールゼブルっていうのが結構語られてるっていうところもそうだし、
39:07
あと生命力と不死性の象徴でもあるのかなっていうところがハエだね。
やっぱりこのしぶとさみたいなところと、
あとハエってやっぱり欧米とか、あとは欧州の方の文化でいうと、
自然発生的に出てくるものって、昔は1600年代ぐらいですけども、
それこそフランチェスコレディの実験が出てこない限りは、
なぜかハエは、
無から生まれるものだと。
無から生まれると。
アホかと思うんだけど。
なわけあるかいって思うけど、
でも実際に現代的な科学的な知識がない状態で、
ハエの発生を見たらそう思わなくもないなっていうのが何となくわかりますよね。
いつの間にかウジ湧いてるっていう。
そうそうそう。
だからそういうところでも、生命力の汚い方の生命力みたいなところがすごく強いのかなっていうのと、
あとやっぱり腐敗だったりとか不潔だったりっていうところの、
一番わかりやすいイメージソースって言ったら、
ハエっていうところが一番なのかなっていうところでもあるんだよね。
まあやっぱり死体に群がってるイメージはやっぱりありますしね。
昔の、特に欧米だと土層が当たり前で、
さらにもっと遡ったら、
中世の血なまぐせい時代だったら、戦地で死んだ死体とかほったらかしてたら、
そこにハエなんていくらでも群がってたから、
死の象徴としてアイコン化されるのも全然うなずける感はありますよね。
たぶんバール・セプルのイメージソースっていうのも、
たぶんそういうところから来てるんじゃないかなとは思うよね。
ハエっていうところは腐敗だったり不潔だったりとか、
生命力だったりとかっていうところなんだけれども、
この映画を通して、
このハエ男の変化っていうのが何なのかなと、
僕なりにちょっと考えたんだけども、
すごい極端に、
うえーって見れるハエには表してはいるんだけれども、
これある意味、何て言うんだろうな、
老化とか病気とかっていうような、
その外面が変化したりとか、ある意味怪我もそうだと思うんだけども、
身体的な変化っていうもののモチーフが、
今回のハエっていうふうになってたんじゃないかなと思ってて。
結論としては、
外面と内面、その人の本質ってどっちなの?
っていうのを言いたかったのが、この映画だったのかなと思ってて。
人間性だっていうのはどっから来るものなの?っていうのが、
このハエになった、いわゆる僕が考えたところで言うと、
42:04
病気になったとか怪我をしたとか、あるいは老化した、
だからその外面の変容が起こったところで、
やっぱり人間、
どこまで行っても、やっぱりルッキズムっていうところは、
どうしても切っても切り離せないところにもあるし、
やっぱりイケメン、外面的に美しいとされるものと、
外面的に見にくいとされるもの、ルッキズムなし、バリバリでね。
じゃあどっちのほうが受け入れやすいかっていうと、
やっぱり外面的に美しいもののほうが、より受け入れやすいっていうところもあるから、
その外面的に、
例えば外面的なアイデンティティを喪失することによって、
自分の内面の中では、
美しくないものに変容してしまったみたいな意識が、
少なからず出てくることによって、
その内面の変容が起こるんじゃないかみたいな。
外面に合わせようとして、
内面を美しくすることもできるんだけれども、
その逆もあるんじゃないのっていうところを、
この映画がすごく訴えていきたいのかなっていうところを考えたっていうところが、
一番やったんだよね。
セスでいうと、
どうなんだ。
セスは、少しずつ外面の、
いわゆる美しさを喪失していく存在として描かれているけど、
彼も抗ってはいたよね。
いわゆる自らの人間的な精神性、
恋人に幸せであってほしいと思う精神性みたいなものをものすごい持っていたにもかかわらず、
最終的には無理やりにでも彼女と一体化しようという行動に出るわけですけど、
最後には、
自ら死を選ぼうとするわけですよね。
恋人の手によって死にたいという。
あれが、彼女のためをもっての行為なのか、
自分のこれ以上生きていけないという思いなのかは、
多分解釈分かれるところだと思いますけど、
どうなんですかね。
やっぱり体、
結論はどっちなんですか?
どっちなんだろうね。
どっちなんですかそれは。
僕もあんまり外面が本質なのか内面が本質なのかって言われたら、
僕もよくわかんない部分だし、
人によるとしか言えないんじゃないかなっていう気もしなくもないんだよね。
45:03
でもどっちも良い面もあると思うんだよ。
やっぱり内面を美しくしようとしたら、
外面まで結果的に変わってきたっていうのも、
もちろんあるだろうし、
まずは外面を整えてきたら内面も充実してきたっていうことを、
そのプラスの面で言うとさ、
っていうのも絶対あるだろうし、その逆もそう。
内面が汚くなっていったら結果的に外面が汚くなっていくとかっていうことも、
やっぱりあるから、
どっちとも言えるし、どっちとも言えないとも言えるんじゃないかなって。
そうね。
思ったんだよね。
だから大事なのは、
自分をどこのフェーズに置きたいのかっていうところを、
はっきりさせるっていうのが大事っていうことかなと思って。
でもやっぱり肉体に引っ張られるっていう部分は、
やっぱり人間誰しも持ってんだろうなっていう気はするよね。
やっぱりその辺をセスもものすごい描いてる感じがして、
当初身体能力が上がるっていう描かれ方されてたけど、
その段階での彼の高揚感とか、
体に引っ張られて、
外側に向かう力が強くなっていくみたいな。
それを見て何の不自然さもないというか、
そうなるよねっていう気持ちになる。
この作品は本当に肉体と精神は密接につながってるんだよねっていうことを、
最後まで描いてるのかなという気はしましたね。
体の崩壊によって明らかに、
彼自身の心もどんどん折れていく。
人間であることっていうのは、
やっぱり人間としての肉体を持つこと。
そこは結構ものすごく大きいんじゃないのかみたいなことが言いたいんじゃないのかなっていうのは、
彼がベロニカをさらって言ったセリフにも感じてるっていうかな。
なぜ子供を殺すんだと。
僕が人間として生きた唯一の証じゃないかと。
それは本当にまさに彼が人間の肉体、
人間の肉体として宿したこだねみたいなところに、
やっぱり価値を見出してるわけだから。
人間であることっていうのは、
いわゆるその、なんていうのかな、
ヒューマーというか、
精神性に携わる部分だけではなくて、
人として生まれ落ちたこの体を維持することっていうことも、
ものすごく大事な意味があるんじゃないのっていうことを言いたいのかなっていう気はしますね。
逆にベロニカの方はさ、
ブランドルの精神性を尊重して、
最終的には精神姿勢が尊重できなくなっちゃったから離れてったっていうところもあるんだけども、
そこの対比が上手だなと思ったし、
あと編集長の方っていうのは、
身体を喪失してでも自分と、
48:03
自分の愛する人間の、
人間性を守りたかったっていうような行動を最後までやってたっていう、
この3者の描き方がすごく面白いなって思ったよね。
いやでも俺あいつ嫌いだけどね。
いや俺、そう、確かに前半部分すげえ嫌いだったんだけど、
でも、俺最後のシーンで、
こいつかっこよくね?ってちょっと思ってさ。
いや分かるよ、分かるけど、分かるけどさ、
追い詰められたらそうなんじゃない?
ああいうさ、なんでもないときに本質出てこないって気がしてきて、俺。
結局お前、女好きなだけじゃんみたいな。
アイデンティティともちょっと離れないんだけども離れるような話なんだけどさ、
なんかこう、愛の形みたいなところもさ、
多分同時に描いてて、
人間性の老化だったりとか病気だったりとか怪我だったりしたときの周囲の人間がどういう風に動くのかっていうところも
同じように描いてるような気もしてさ、
そのときにその、ベロニカの望む形の愛ではなかったんだけども、
彼の中で、その編集長の中でのベロニカに対する愛は
本物であったと僕は思うんだよね。
それがたまたまベロニカが望む形ではなかったっていうだけで、
彼の思い自体はすごく強いものがあったんじゃないかなと思うから、
あっここまでいろんなことが、ただただ描きたいだけだったら、
産婦人化紹介したりとかさ、
手足失ってまでどうにかするってことってなかなかしないと思うんよね。
単独で言ってるんだよしかも。
だからそこもさ、迂闊だしさ、
何より意味不明だったのは、
お前そこで銃組み立てるっていう。
入る前にやれよ。
入る前にやれって。
しかもそんな真っ向から入るなよ。
しかもまあショットガン、
ショットガンかっていう気がしたね。
なんかもういろいろちょっとなーって思いましたけど、
でもね、なんか、
そうね、
まあまあまあまあまあいいでしょう。
あの僕ね、でも前回の作品があったじゃないですか、
51:02
最高のなんちゃら。
はいはいはい。
あそこに関わる描写が今回もあったなっていう気がしまして、
セスの肉体の変化に対するリアクションっていうのが、
フィンクの危機モデルと
合致しませんかっていう。
あーそうだね。
身体の変化に気づいたときの
パニック感というか。
そこから今度はそのなんか肉体に対するその、なんていうのかな、
もうその変わっていく、でも俺はハエになっていいんだみたいな。
そんななんかこう新しい人類になるんだみたいな、
そういうなんかさ、
なんか高揚感に晒されて、
もうなんか一層もう全然何もしなくていいみたいな感じになったりだとか。
一方でもういよいよってなったときには、
もう来ないでくれみたいな、
もう僕を見なくていいんだみたいなことを、
ベロニカに突きつけて、
もう完全にこうなんていうかな、
閉ざした感じの承認に至ったかと思いきや最終的にはもう、
あのなんだろうな、
新たな価値観として、
一つの家族になろうみたいなことを見出すみたいな。
なんかこう絶対に避け得ない自分の運命に対して、
どんどん思考の傾向が変わっていく感じっていうか、
ものすごいね、そこも重なってんじゃないのかなって気がしていて。
確かに完全にフィンクだね。
うん。
確かにそこは全然考えてなかったわ。
そう、だからなんか結構だからそこら辺の描写は、
本当にあのいろんな文脈から考えて描いてるんだろうなって。
だからこそなんかこう、
僕らもより動かされるものがあるのかもしれないなって。
でも今回この作品でもセスが自分の肉体の変化にびっくりしたけど、
もう俺ハエ人間としてやってくぜベイビーみたいな感じで、
ずっとそれで駆け抜けてたら、
多分全然揺さぶられないんだよね。
もう、ただの怪物じゃない。
でも彼はただの怪物ではなくて、
そのやっぱ人間として生きたかったという思いが、
やっぱりずっと彼の中にあるがゆえの、
そのいろんなこう行ったり来たりがあるからこそ
引き込まれるっていうのはあるので、
その辺は上手だったなって気はするし、
何ならその何、もう初めからハエ人間であることを受け入れたら、
もう正直怪物ものじゃなくてもうそれね、
ヒーロー映画なんですよね。
スパイダーマン。
スパイダーマンですから結局。
スパイダーマンは自分の体の変化に高揚して、
うぇーいみたいな感じでヒーローを始めるっていう。
その後おじちゃんが死んでね、考え直しますけど、
でもまあ下手したらね、フィンクも、
フィンクの着物に引っ張られましたけど、
セスも、何だろうな、
もうハエ人間っていうヒーローとしてね、
54:02
生きていった可能性もありますからね。
フライマン、フライマン。
フライマンじゃないですか、ブランドルフライですか。
ブランドルフライ、ブランドルフライ。
しっかり名前つけてますからね、自分でね。
いやでもね、その辺りがやっぱりしっかりしてるから
ヒットしたんじゃないのって気もしますよ、なんか。
すごくその辺がね、良かったなって。
この映画が僕が好きなところは、そこがね、
フィンクのことは気づいてなかったけど、
そのアイデンティティの喪失、その愛のあり方みたいなところの、
人間模様っていうところの描き方がすごく丁寧だなっていうところが、
やっぱすごく良かったと思う、この映画は。
ベロニカも結構献身的だったと思うよ。
本当に。
僕、あのグジグジになったらちょっと。
あそこまで行ったらもうね、
恐怖が勝っちゃうよねっていうのはある中で、
最後まで彼のことを思っているのはすごいなという気はしますし、
何よりね、多分もう相当臭かったでしょうねっていう。
でしょうねー。
あそこまでもう腐敗した体で。
だからもう機能してないわけですから、あの体組織が。
あの人間だった部分は。
もう結構そう。
だってブランドルミュージアムの。
もうね、ブランドルミュージアムやばいよね。
あれさ、ブランドルミュージアムの中にさ、チンチンなかった?
チンチンあったよね。
あったよね、あれ。
なんか前回に引き続きさ、またチンチン出てきたよね。
あれチンチンだよね。
あれチンチンだよ。
あれチンチンだよね、多分。
なんかこれ見間違いかなって思ったんだけど、
あれ多分チンチンだよねっていうのがあった気がした。
だから鼻と耳と歯とチンチンが多分喪失してたんだと思うんだよね。
いやー、あれは。
いやー改めて、すげーな。
映像化、ようやるわって。
そこまでやるかみたいな。
ね、なんか爪のシーンとかもさ。
いや、あれすごかった。
ピュッて出る液体とかさ、もうやめてくれよっていう。
その後、だからファミチキ食ったけどさ、ファミチキ食うと油がピュッて出てくるんですよ。
ちょっともうやめてよってなったよね。
想像しちゃうまた。
うわーってなって。
もうニキビ潰せないよ。
そう、もうほんと来るよね、いろいろ。
ああいう描写。
いやーやってくれるわと思いましたが。
ちょちょちょ、もう本題入りますけど、もう1時間20分ぐらいになりますんで。
もうそんな喋ってる?
57:01
そんな喋ってるのに今回の本題に関わる角度から全然語ってないですけど、
科学は人を幸福にするのかという話をしておきたいんですよ。
はいはいはい。
今回はもうやっぱりこの科学、先進的な科学っていうのが一応ね、その大前提に置かれた作品になってるんですけど、
どう見ますかっていうその視点で言うと。
えーっとね、この科学者に決定的に足りないものが、
研究者としての目線で言うと、全然足りないものがいろいろありまして、
まず研究計画書がない。
だから、どういうふうな結果が求められる上で行われた研究なのかっていうところがないから、
目標地点がないからどうでも動けちゃうっていうことを実験しているっていうのが、
そもそものスタートの間違いであるし、
第三者機関の監視を受けていないっていう点も、
だから自分がどうにでもできちゃう。
だから、ある意味この研究倫理に反しまくってやり方をやっているから、
そりゃ崩壊する可能性があるし、
このやり方では科学は幸せには僕はならないと思う。
なんかそのあたりもやっぱものすごい関わっているのかなと思うんですけど、
まあ科学技術は道具に過ぎないよねという、
多分その部分が強く出てるんじゃないかって気がするんですよね。
道具って結局使う人で決まるわけですから、
便利な道具も使う人が何も考えてなかったら、
いくらでも人を害するものになるよねと。
だからSESなんかはもう本当に、なんだろうな、
SESの人物像っていうのは天才ではあるけどみたいな感じで、
結構無理のある設定なんですよね。
会社と提携しているんだけど、
僕は組み立ててるだけみたいな。
誰が設計したかようわからんみたいな話してなかったっけなんか。
してたしてたしてた。
してたよね。
まああの辺は多分、
まあ個々の科学者がたった一人で、
あんな大規模ないろんな材料が必要なものを作り上げられるわけがねえわけじゃない。
どんな頭良くても、
鉄鋼技術なかったらあんなポッド作れねえっていうのもあるし、
一人で発注しようにもね。
あれができるとしたら。
そう、財源迷子みたいな。
そういう話になるから。
アイリアンマンぐらいですね。
そうそうそう。
そういう話になるからちょっと無理のある設定で通したのかもしれないけれども、
それが作用してる点としては結局彼自身にビジョンがないよねっていう。
その夢は描いてるかもしれないんだけれども、
1:00:02
夢は描いてるけど、
自分の作ってるものに対する責任感がどうも感じられないっていう。
うん。
そこら辺のちょっと軽々しさみたいなものをものすごく感じてしまう。
で、だからこそ結局酒に酔った状態で、
何にもこう、何て言うかな。
試験が十分に済んでない状態にもかかわらず人体実験に踏み切るっていう。
うん。
無責任な行動に出るわけですけれども。
結局だから科学が人を幸福にするのではないよねっていう。
科学を人が用いて自ら幸福にするのであって、
科学そのものが人を幸福にすることは基本的にはないんだっていうことを、
理解していないといけないという。
そこをものすごく大事なラインですよねっていうのを、
おそらく言いたかったのかなみたいなことをすごい感じましたね。
うんうん。
要は使いようじゃないのという。
と思います。
ほんとね、
使いようなんですよ、科学ってっていう。
そこなんだよな。
今ぶっちゃけほんとに科学的なことを、
研究倫理だったり科学倫理みたいなところをがんむししてやろうと思えば、
わりと今ほんとにSFに近いことをわりと8割ぐらいは実現できちゃうんだよね。
例えばクローン人間だったりとか臓器の売買であったりとか、
あとはなんだろうね、
人工のなんとか培養とか、
新しい生命体の創造みたいなのも全然たぶんできちゃうし、
あとなんだろうね、
人体に別の機関を取り付けるとかさ、
やろうと思えばたぶんできることっていっぱいあるんだけども、
じゃあそれをなんでやんないのかっていうと、
その使い方が果たして人間を、
その個人ではなくて人間全体を幸福に引き上げるのかっていう保証がないからやんないんだよ。
だからそこを見失っちゃいけないよねっていうのと、
それを享受する我々も、
科学イコール万能ではなくて、
万能に使うかどうかは我々やよねっていうところと、
積み重ねがゆっくりじゃないとできないよっていうところの認識っていうのはやっぱり持ち続けてないと、
いつの間にか超便利になったぐらいの感覚で、
科学とかの軽く接してると痛い目に合うんじゃないかなって思う。
そこら辺の難しいところがやっぱり技術の発展のためには、
いわゆる倫理的であるって言われているところのラインを踏み越えた方が効率的なシーンがやっぱり多々あるっていう部分もどうしてもあるのかなという。
1:03:02
だからこそそこら辺の境界線が曖昧になって、気づいたら麻痺して容易に踏み越えてしまう人も出てくるっていう風な構図になってるのかなという気はしますけど、
やっぱり使う以上はそこに責任が伴うよねっていうことは、
誰しもが持っておかないといけないんじゃないのかなっていうのはすごい感じますね。
ただその主体的になってるのはやっぱりキリスト教的な部分はあるのかなって気はしているので、今回の作品はね。
彼自身の傲慢が彼に因果応報として返ってくるみたいな、そういった部分はおそらくあるのかなという気もしますし。
たぶん何だろうな、でも罪が一応最終的には愛でもって贖われるみたいな感じではあるかもしれないですね。
自業自棄性なのかね、あれは。
ただまあ、日本的な価値観でこの作品作ったらもう早々に自業自得ですねって終わる話ではあるかもしれないですね。
日本人の方がよほどそこら辺リアルですから。
ちょっとね。
なんでそんなことしたんですかっていう。
で、周りに害なったらもう近寄らないでください、はいっていうところで多分終わって。
そこら辺は非常にドライなんでね。
たぶん作る国によって作品の向かう末は変わってくるんじゃないかなって気がしますね。
日本版みたいですね、正直ね。
日本版みたいね。
日本版ザ・フライ。どういう感じになってるか。
早々にね、殺されるんじゃないかな。
早々に殺されるよね、たぶんね。
たぶんそんな感じになると思いますね。
まあでも、そんな映画です。
いやでもよかったわ。
本当に高校時代に見て以来だったので、久々に見てみて、こういう映画だったんだなっていうところがだいぶ深く見ることができましたし、
他の視点でいろいろとご意見聞くとやっぱ違って見えてきますね。
いやよかったです。
じゃあそんなところで、いいですか。
じゃあちょっとCM入る前に何か言い残したこととかあれば聞いておきますけど。
そうだね。
本編の中でもちょっと語ったんだけれども、やっぱりいろんな愛の形みたいなところっていうところが描かれているところっていうところもすごく僕は心を打たれたひとつで、
この映画を見てね、わりとガチ目にね、大事だなと思ったんだけども、
自分を愛してくれている人のやめとけって大事。
01:06:13

コメント

スクロール