2025-09-20 1:58:58

真夏のホラー企画最終章 #ホラー映画 『#ミッドサマー』 ダニーの笑顔をどう読むか? Summer Horror Grand Finale – #Midsommar: Decoding Dani’s Final Smile

“I'm sure it was just a miscommunication.”


ーーーーー


どうも、パーソナリティのまこです。

今回は真夏のホラー企画最終章ということで、世界を震撼させた新感覚ホラー「#ミッドサマー」を語りました。


うん、でもまあ、正直「#ウィッカーマン」の焼き直しだよね!


とはいえこの作品、考察の余地を随所に残しているし、登場人物の造形もかなりこだわっている模様。

読み解く人によってたどり着く答えはまた違うのではないでしょうか。


何かに寄りかからないと安心できない僕ら。

この激動の時代の中でどうやって自分を保てばいいのか。


そんなことを考えながらぜひお聞きください。


ーーーーー


podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPalツイートをお願いします。

いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

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⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠


これからも番組をよろしくお願いします。


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“I'm sure it was just a miscommunication.”

Hey everyone, it’s Mako here.
This time we’re wrapping up our Summer Horror Special with the film that shook audiences worldwide — #Midsommar.

And… well, let’s be real. It’s basically a remake of #TheWickerMan, right?

That said, there’s still plenty to chew on: layered symbolism, meticulously crafted characters, and endless room for interpretation. Depending on who’s watching, the “answer” you come away with can look completely different.

We humans can’t help but lean on something to feel secure. But in this turbulent age, how exactly are we supposed to keep ourselves together?

That’s the question I kept circling back to as we talked through this one.
So grab a seat in the sunshine (or maybe the shadows) and give it a listen.

Mako (@_macobana), host of the main channel Pocket ni Numa o (#ポケ沼), brings you all the side stories and deep dives that couldn’t fit there in the solo podcast Yomoyama Kobana (#まこばな).
There’s never a shortage of films to talk about!
Episodes drop weekly or biweekly.

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Thanks for listening and supporting the show!


00:17
Reel Friends in TOKYOにようこそ。この番組は話題の新作、往年の名作、謎を聞き作からぶっ飛びB級映画まで、あらゆるフィルムを倫理、宗教、歴史に陰謀、多様な視点から聞いまくる映画専門チャンネルです。お相手は、パーソナリティのマコと
オーマです。よろしくお願いします。
コンビニのドーナツですか?
その話の前にさ、スタートする前に言っておけって話なんだけどさ、ほとんど曲聞こえてないんだけど大丈夫?
どういうこと?
マコの声はクリアに聞こえるよ。
えっとね、バックグラウンドで流れてる曲のね、ボーカルがかすりごすりしか聞こえてない。
本当?僕に聞こえてるから気にしないでください。
はい。
何なんですかね。
わかんない。だから最後のやつ落ちた後にさ、入りのタイミングが僕わかんない可能性あるから、しゃべり始めそっちよろしく。
もちろんです。
さてと、今も聞こえてないんですか?このバックグラウンドミュージックは。
あ、はい、ぐらいしか聞こえてない。
なんだそれ。完璧に聞こえてますね。
何でしょうね。
リスナーの皆さん置いてけぼりなんでやめましょう。すごくどうでもいい話を今長々してます。
収録上にはおそらく何の問題もないことになってるんで。
戻しますよ。戻しますよ。
ドーナツがどうこうという話なんですけど。
そうなんですよ。最近コンビニで売ってるドーナツのレベルが高すぎて、僕はおはまりして、体重が増えそうで怖いんですよ。
昔、仕事始めたばかりぐらいの頃にファミマのミスドでいうところのチョコオールドファッションみたいなやつハマって安く売ってましたけど。
最近ね、うまいんだよ。特にセブンのドーナツ、うまいんだわ。
セブンイレブン一時期レジ横で売ってましたよね。
03:00
ホットスナックで売ってて、あれもあれでうまいんだけど、僕好きなのはセブンのオールドファッション的なやつ。
売ってますね。
そうそう、140円ぐらいで売ってるんだけどさ、全然これで大満足できるからさ、某大手ドーナツ屋さん行かなくてもいいかなって。
ほんとですか。
最近思い始めてる。
僕はなんだかんだでミスタードーナツの方が好きですけど、別壇だからミスドじゃなきゃ認めんっていうほどでもないというか、別にドーナツにそんな熱量がないので。
正直どうでもいいんですよね。ただミスタードーナツで僕が好きなのはココナッツチョコレートとゴールデンチョコレートの2大巨頭がいて。
あーそれはね。
この2つに関してはコンビニドーナツでは並ぶことが基本的に一切ないので、だから結果的にあんまり買わないんでしょうかね。
そっか。でも確かにゴールデンチョコレートうめえんだよな。
うめえのよ。いまだによくわかってないのはゴールデンって何?っていう。
ね。
あれ何?
だから砂糖よね。
そうそう。ゴールデンチョコ言ってますけどみたいな。ゴールデンって何の説明もしてないからね。一体何なのっていうのがよくわからないまま。
でね、これね僕の記憶違いじゃなければ、昔あのゴールデンチョコレートのチョコじゃない版が売ってたんですよ。
え、知らない。
だからそれこそオールドファッションと同じような色合いの、でもオールドファッションとは違うの。チョコファッションと同じような造形の。肌色にゴールデンついてるみたいなやつ。
へー。
売ってたんですけど、まあめっきり見なくなったっていうのがありまして。
ちょっとねドーナツ、あんまり熱量ないとか言いながらちょっと今話してたら2つ言いたいことが出てきました。
1つ目ね。ミスタードーナツ、セブンイレブンのドーナツ戦略がさ、失敗した件があるじゃないですか。
大動きしましたよね。
そうですよね。レジ横のホットスナック扱いで、レジ横でドーナツ売り出そうっていう計画をやってみたけど、いまいち振るわなくて結局レジ横からドーナツが姿を消すっていう。
で普通にパックされたものが今パンエリアに並んでると思うんですけど。
そうだね。
あれが始まる前に僕台湾に行ったんですよね。台湾にもセブンイレブンあるんですけど。
台湾のセブンイレブンはレジ横にミスタードーナツが売られてました。
それでいいじゃん。
そう、それでいいじゃん。だから初めセブンイレブンがレジ横にドーナツ並べますってなった時に、うわマジかと思って。
06:04
ついに台湾方式でミスドを店内のレジ横で売るんかと思ってたら、まさかの自社製造というか、ミスドと思いっきり競合する形で案の定負けたから。
いや何しよんっていう。素直に台湾方式でやれよっていう気持ちになったっていう。
しかも中途半端にオリジナリティを目指してさ、クリスピークリームドーナツとも違うし、ミスドとも違うドーナツを出したもんだから、余計振らなかったよね。
そうそうそう。いまいちだったなって。ミスドでええやんけ。
やるんだったらクリスピークリームドーナツぐらいのやつやればよかったのになって思ったんだけど。
それはすごい感じましたけど。あともう一個ドーナツ関係で言うと、日本市場ってアメリカから見ると異常らしくて。
へーなんで?
海外というか本家で大ごけするものがなぜか日本ではウケるっていう。だからクリスピークリームドーナツは本土では負け組です。
日本ではミスドとは違いますみたいな。我クリスピークリームドーナツなりみたいな。
アメリカでブイブイ言わせて日本に来ましたぜみたいな雰囲気出してますけど、普通に本土では負け組です。
ま?
ちなみに言うとミスタードーナツ、負け組です。本土では多分片手で数えられるぐらいしかないんですよ確か。
下手したら1店舗しか残ってないとかそういうレベルだった気がするんですけど。
ちょっと待って、日本で何店舗あんの?
日本はダスキンさんが多分ライセンス契約をしてやってると思うんだけれども、日本でドーナツと言えばミスドっていう風に決まってますけど、
本国アメリカにおいてはもう完全に負けてるんですよね。
へー
じゃあどこって話になるじゃん。じゃあアメリカでドーナツどこってなるじゃん。これがダンキンドーナツ。
ダンキンドーナツなんだ。
で、ダンキンドーナツは日本でどうなったかっていうと、負けて撤退しました。
そうだよね。一瞬さ、ニュースの昼番組とかさ、夕方のさ、あれでさ、ダンキンドーナツついに上陸みたいな感じでポーンって出た覚えがあるんだけど。
負けました。
俺ついぞ食わずに無くなっていったんだけど。
残念ながら無いんですよ。だからもう本当にね、日本市場っていうのはマジで謎に包まれてるわけですね、アメリカから見ると。
なんでって。
そうだよね。
だからダンキンドーナツはもう一切震わずに帰ってしまいましたし。
09:03
ただね、僕はダンキンドーナツを海に行った時に食べたことがあって。
バカうまいんですよ。
へー。
全然うまいの。そういう話聞くとさ、やっぱりね、味付けがアメリカ向けだから、あまり日本人の口に合わなかったんちゃうん?みたいな。そんな感じの論調になるじゃん。そんなこと全然なくて、普通にうめえのよ。
どういう系ドーナツなの?ミスド系の固め系ドーナツなのか、クリスピークリームドーナツみたいなふわふわ系ドーナツなのか。
ミスドと同じでいろいろ出してるよ。ミスドもいろいろじゃん。それこそだからオールドファッションみたいなのもあれば、いわゆるちょうど中間みたいなしっとり系もあれば、ふわふわのパン系も全部あるじゃん、あそこは。
クリスピークリームみたいにふわふわ一択とかじゃなくて、いろいろあるんですよ。だからダンキンも同じで、基本的にいろいろあるし。
僕が忘れられないのが、ローステッドココナッツっていう。
ローステッドココナッツ?
軽くいったココナッツがくっついてるんですよ。だから白いつぶつぶじゃなくて茶色いつぶつぶになってるんですよね。
へー。
ローストココナッツのドーナツ。
ダンキンって打つとなんか感じれなっちゃう。
金をたつ。
あ、うまそう。
あ、出ました?
画像で出てる。
あ、出てきます。
ミスドのココナッツのやつもさ、50倍くらいかかってるね。
50倍かかってますね。もうみっちみちですね。
そうなんですよ。
かびてんのかなって思ってるぐらい。
そうそう。これですね。もうみっちみちですね。
これうまそうだわ。
まっかうまくて、俺はね、たびたびこれの味を脳内で反芻しては、もうクチャクチャしてるんですけど。
それこそだからね、もう水増ですよ。20年以上食えてないんですよ。
ほんとに。何が何でももう一度上陸していただきたいなというふうに願ってやまないんですよね、ダンキンドーナツさん。
あー。
じゃあこれアメリカに食いに行こう。
そう、アメリカに食いに行くしかないよね、正直ね。
ゾンビランドダブルタップのあのおっさんみたいなもんだよね。今のまこちゃん。
ゾンビランドダブルタップのさ、なんとかかんとかのお菓子が食いたいんだって言ってさ、反響論になってるさ、おっさんいたじゃん。
そんなに鮮明に覚えておくタイプの映画じゃないのよ、あれ。
あんなもんは。あんなもんはワンツー流れてみて、それでハッハッハで終わりなんよ。そんなところまで覚えておくか。
12:09
そういうジャンルの映画だから、そんなもん。
あんなもんだってお前、死ぬ間際にもう一度ゾンビランドダブルタップが見たいのみたいなおっさんがいたら、製作者もドン引きするわ、そんなもん。
そういうタイプの映画じゃないよ。
どうしても離れられないというか、脳内から離れられない、依存傾向に近いような、そんな状況なんだよ私。
だからこそ今回はですね、離れられなくなってしまう。
どうしても離れられないみたいな、そんな強い依存に関する映画を語っていこうかなと思って。
ここんとこ精細描いてますね。
繋げるってことをすっかり忘れて普通に対話してた。
俺も最近その口なんで、ちょっと今パッと思い出してやってみたけどちょっと無理がありましたね。
そんなわけでじゃあそろそろ参りましょうかね。
いいですか?というわけで本日も参りましょう。
はい、ということで本日のテーマは、真夏のホラー企画最終章。
ホラー映画ミッドサマー、ダニーの笑顔をどう読むか。
ダニースマイルね。
というわけで、今回は非常にシンプルな問いですね。
これは話題作でしたね。
でしたよね、ミッドサマー。ぼちぼち話題になってましたよね。
話題にはめっちゃなってたけど、追像見なかったね、ホラーだから。
やっぱりこの企画を通してかなりオーマもホラーに慣れて、だいぶ詳しくもなったし、
映画ジャンルだいぶ開拓できたんじゃない?
もう飽きてきた。
いいってだからそれは。これで終わりなんだから。
もっと前向きなコメントをして始めなさいよ、あなた。
これで正直ホラーかと言われたら、ホラーかってなる。
サスペンスではあるかもしれないけど、ホラーなの?ジャンル的にっていうのはちょっと疑問なんだけど、どうなんですか、その辺は。
ホラーでいいんじゃないですか?別に明確な定義があるわけじゃないし。
要はホリブルだったらホラーなんですよ。
15:01
なんかこう、おぞましかったりだとか、そういう負の感情を引き起こすためのものであればそれでいいんじゃないでしょうかね。
なるほどね。
そんなわけでとりあえずですね、今回アリアスター監督のミッドサマーを見たので、早速あらすじ紹介からいきたいと思います。
はい、じゃあ行きますよ。
よーい、ドン。
はい、ということで今回見たミッドサマー、物語の主人公は深い喪失感を抱えたダニーという少女です。
少女つつか大学生なんですけど。
家族をですね、心を病んでしまっていた妹と一緒に両親を一度に亡くしてしまって、そんな心の傷を抱えたまま恋人クリスちゃんとの関係にも亀裂が入りつつあるダニー。
その中ですね、クリスちゃんは友達と一緒に北欧スウェーデンである祭りを見に行くという計画をしていて、ダニーは半ば無理やり同行するような形になります。
向かった先はホルガという人離れた村、そこでは90年に一度だけ行われる神聖な祝祭ミッドサマーが始まろうとしていました。
この白夜の世界の中でですね、自然と共生する穏やかな人々と共にホルガ村のミッドサマーの祭りが進んでいきます。
ところが開始早々ですね、70歳を超えた長老2人がですね、影から自ら身を投げて命を絶つ、アテストパーンみたいな儀式が始まってみんなどんびきしたりだとかですね。
どうもそういった何がしかの違和感を感じつつですね、祭りは祝々と進んでいく。
自分たちはここにいていいのだろうか、いや早くここから離れるべきなんじゃないかということで、それぞれにそれぞれの思いを抱えながら、ただなかなか行動を起こすことができないまま時間が過ぎていきます。
そんな中ですね、一人また一人と仲間たちは姿を消していきますが、ダニーはですね、祭りの中でメイクイーン、5月の女王に選ばれ、肌のドレスを身にまといですね。
完全に村社会のそのコミューンの中に一員として迎え入れられるような形になります。
そして祭りのいよいよ最終章、ダニーは最後に一つの選択を迫られますが、果たしてダニーはどのような選択を下したのか、そして最後にダニーが浮かべる穏やかな笑顔のその意味は何なんでしょうか。
ミッドサマーという作品なんですけど、ご覧になってない方は是非見ていただきたいというのは毎回言うんですけど、今回は特にちょっと見ていただかないと、何の話してるのかよくわかんないようになりがちっていうのはあるかもしれないですね。
そうだね。これもまた説明しにくいよね。
そうなんだよ。いわゆるアート系映画に近いような描写は非常に多くて、要するに何かを示唆するような暗示的なカットは非常に多いし、それぞれに明確な答えが用意されているような、されていないようなみたいな。
18:13
その辺は本当に考察にお任せみたいなところもたくさんあるので、その辺りをどういうふうに読み解くかみたいのは是非見ていただいた方がわかりやすいっていうのと。
あと最終的にですね、仲間たちはダニー以外全員死にますよね。
彼女たちを村に誘った元々コミューンの一員であるペレ以外の連れてこられたですね、ダニー含め9人。要するにダニー以外の8人。8人じゃねえか。8人もいねえわ。6人だ。
友達2人と、連れて行った友達2人、ホルガの2人、最後に選ばれる人。
あれでも9人じゃなかったっけ。
9人だね。あれ、じゃあ誰が足りないんだ?
なんか足りないね。
若そう、大学院生、ちっちゃい女の子、でっかい男の子。
ホルガの二人。
ジジ二人と、あとは、ジジ二人とホルガに追加で二人。
そうだね。で、クリスちゃんで9人。
クリスちゃんで。
一応ダニーと一緒に来た人たちっていうのはみんな死にますっていう、火に包まれて死んでいくわけなんですけれども、最後にダニーは恋人のクリスちゃんか、あるいはホルガの誰かかっていう、どちらを生贄にするかっていうのを選ばせてもらえる立場にいたんですけれども、
彼女は恋人のクリスちゃんを選んでですね、クリスちゃんが火に包まれていくのを眺め、
そして穏やかな笑顔を浮かべて映画が終わっていくという、そういう形になります。
果たして一体これをどう読むのかっていうのが今回の一応キーになってくるんですけれども、
一応ですね、一つ言えるのはこの作品僕が初めて見たのは、とあるティーネイジャーにですね、ミッドサマー見てくださいっていうふうにお願いされたんですよ。
ぜひ見てくれと。これは本当に面白いと。というかこんなホラーは見たことがないみたいな。
初めて見るタイプのホラーでとにかく画面が全然終始明るくて、なんかホラーが持ってるなんか暗い雰囲気とかとはまた全然違うんですよみたいな。
それで画面がずっと綺麗で、なのに怖いって。これすごい斬新で素晴らしいんですっていうふうに言われて、ほーんっつって。
21:01
これ見たんですよ。どこが新しいねんつって。僕は結局ですね、ウィッカーマンという作品を見ているので、何も新しさは感じてないんですよ。
本当にこのレビューを見ていると、結構なんか明るい画面でおぞましさを引き立たせるという斬新なみたいなことを言ってる人いるんですけど、いやいや偉大な先人であるウィッカーマンがいるだろうがという。
ここがですね、ちょっと謎でしょうがなかったんですね。一方でウィッカーマンも含めて検索すると、やっぱりウィッカーマンとミッドサマーの関連性について、やっぱり言及してる人って山ほどいるんで。
だからこの作品の評価はウィッカーマンという1970年代の作品を見た人と見てない人で大きく分かれるんじゃないかという気はするんですよ。
でも監督自身もウィッカーマン、後々調べたらウィッカーマンかなり深い影響を受けてこの作品作ったみたいなことをはっきり述べていらっしゃるから、まあ見てないんだろうねっていう。僕も見てなかったんだけどさ。
やっぱりセットで見た方が楽しめる作品ってあると思うんですよ。別にそれはシリーズに限らずですね。この作品とこの作品って関連性が深いからみたいな。
そういうものっていうのは一定程度あると思うんですけれども、それでいうとウィッカーマンとミッドサマーもある種対のような作品になってる気がするので、
ぜひですね、ウィッカーマン見てない人はウィッカーマンも見た上でこれを聞いていただきたいという、無理なんだよお願いするんですけど。今回のエピソードを通して興味を持って見ていただくみたいなのもとてもいいんじゃないかなという気がしています。
でも一個だけ注意があるとすると、ウィッカーマンは絶対に、絶対に、絶対に電車の中で見ちゃダメです。
僕は電車の中でも見ますけど、難易度高いです。
高いですよ。下手したら隣の人に怒られますよ。
そうですね。そういう映画になりますんで、ウィッカーマン見るときはご注意をお願いしたいなという気がしております。
ということでね、とりあえず今回の主題はミッドサマーなんで、ウィッカーマンに関しては時と場合に応じて引用することはあるかもしれませんが、とりあえずはミッドサマーを中心に対話していきたいと思いますけれども、何かジャブがあればいきましょうか。
僕のジャブってさ、今回用意したのはエタについてとルーンについてと、あとアテストパーについてっていう。
そんな真面目なジャブ?
24:02
真面目なジャブ。
じゃあ俺ちょっとクソジャブいくつか放っていい?
はい、お願いします。
マーク役の俳優さん?
マーク、小僧か?
小僧です。
やっぱいいよね。
クソ野郎感頼んないよね。
彼はね、魔の抜けた青年を演じさせたら右に出るものはいないんですよ。
いない。なんかちょっとクズっぽい、でも悪気はないクズ。
そうなんですよね。
すごくいい。
この人は本当に素晴らしい俳優なんです。
ウィルポールターさんっていうですね、この方イギリスの俳優さんなんですけど、発音見事にアメリカンな発音をしておりますんで、ちゃんと演じ分けができてますね。
実に素晴らしい。
一番すごいところっていうかさ、これたぶん容姿の話になってくるんですけどさ、80年代アメリカにいそうな顔してるんだよね。
それはそう。それはそう。でもね、表情作りも上手いから、本当になんかそう見えてくるっていうところが実にすごいよね、この人本当に。
すごいよね。
本当にすごい。いろいろ出てるんですよ、この人。メイズランナーとかレベナントもね、実際僕らが扱いました。レベナントも出てましたし、今回ミンドサマーにも出てますし、あとネットフリックス映画で言ったらブラックミラーにも出てるんですけれども。
とにかくね、いろいろ話題作に出ている中で、一つだけ僕がお勧めするとしたらなんちゃって家族ですね。
なんちゃって家族。
はい、っていうクソ映画があるんですけど。2013年のコメディ映画なんですけどね。
ブライムスリラーって書いてあるけど、どういうこと?
本当しょうもない映画なんですよ。ジェニファー・アニストンが出てるんですけど、家族の不利をして麻薬を運ぶんですよね。っていう映画に出ていて。
ほうまです。童貞の3人を共にメキシコへと桃太郎のようなお話って書いてある。
彼がですね、童貞役をやるんですけど、もうね、見事に童貞なんですね。実に素晴らしいんですよ。彼の演技が光ってて。
ぜひ見ていただきたいですし、ひょっとしたら我々ネタにつきたらなんちゃって家族を取り上げるかもしれないので、お楽しみくださいということでね。
とりあえずマークに関してちょっと真面目な話をすると、すごくいいセリフがあったなと思って。
27:06
ホルガについて宿舎に行くんですよね。集合宿舎みたいな、みんなで寝るところに連れてかれたときに、ホルガの娘が来て話してくるんですよ。
その時のそのセリフにも俺はすごいジャブを放ちたいんですけど、オースティン・パワーズ見るならこっちよって言われるっていう。
おおよそ電気もテレビもなさそうな空間なのに、どうやってホルガの連中をオースティン・パワーズ見てんだろうっていう。
子供たちがオースティン・パワーズ見てるわっていうセリフがあって、何言ってるかマジでわかんなかったんですけど、それはとりあえずクソジャブとして放っておきまして。
その彼女と目があって、その子が去っていったときにマークがですね、「Did you see that?」って聞くんですよ、クリスちゃんに。
お前見た?みたいな。今の見た?みたいな。初めどういう意味かなっていうふうに思うじゃないですか。
単純な話ですね。あの子めっちゃ可愛くね?みたいな意味なんですよ、オースティン。
名前が出てこない。アルマゲドンの曲歌った人のさ、「Dude looks like a lady!」みたいな、そういうノリってことでしょ?
Dude?
Dude looks like a lady。
そんな感じだと思いますよ、だから。
今の見た?っていう。
あれは何かって言ったら、元よりダニーが来なかったら、この旅は、そもそも初日は買収宿に行くみたいな話を一番初めにしてるじゃないですか。
いわゆるバチラーパーティーみたいな、男たびで好き放題やるみたいな、そういう性質を持った旅をマークは期待していたわけで。
だからもう頭がそれしかないんだよっていうことを示す素晴らしいシーンだったんですよ、だから。
女の子と話したら、「うわあ、あいつめっちゃいいわ!」みたいなことしか言わないっていう。
だからもう本当にキャラクターが完璧に立っているシーンだったなっていうふうに思ったんですけど、そんなことよりオースティンパワーズどうやって見るんだっていうことのほうがどうしても気になってしまったっていう感じですね。
あれはなんでオースティンパワーズなんですかね。
そうなんですよ。ちょっとよくわかんないんですね。そこが本当に未だにわかってないポイントなんで。
ちょっと素晴らしい考察がある人はこちらまでということで。
30:03
そうですね。
あと、2つ軽いジャブで言うと、1つはカメラワークがキモいっていう。
グルンってなってくるってことですね。
そうそう、ひっくり返るやつ。あれはアリアスターが他の作品でもやってる。
某は恐れているんですけど。
やってたっけ?
やってたと思いますよ。
全然覚えてないよ。
確かやってたと思います。
覚えてないけど見返し好きにもならんだよね。
そうなんだよね。
別になんでもないシーンにもかかわらず、カメラワークがなんか気持ち悪いことで絶妙に不安にさせてくるっていうところは上手いなっていうのと、
あとこれだけのこういう作品をスウェーデンの人たちよく許したなっていう。
確かにね。えらい風評被害ですよね。
そうなんだよ。この作品をスウェーデンの人たちも楽しく見てるんだとしたらなんて懐が広いんだろうなという気がしますね。
本当に素晴らしいなと思います。
平成中に遅刻ですから。
それはスイスですね。
あ、スイスか。
適当すぎんのよ。
はい、ということで僕からのジャブはこの程度ですよ。
1個、数ジャブ1個あったわ。
ありますよ。
ラストシーンのあのおっさん、大嘘つきすぎて笑ったんだけどさ。
あー、はいはいはい。これはイチノキから取った液体だ。痛みを感じなくなる。
うわーっつった。
めっちゃ感じとるよね。あれちょっと笑ってそう。
あれはとても意味があるシーンだと思うんですよ。
あれもとても意味があるシーンだと思うし、しかもそれを僕がやっぱり意味あるシーンだったんだなって思ったのはウィッカーマン見直してですね。
ウィッカーマンという作品では主人公は敬虔なクリスチャンなんですけれども、たった一人で最後焼かれるんですよ。
家畜たちと一緒にね。その時に彼はキリスト教ですから、父なる神だとかイエスに頼むんですよ。
イエスはどうかご慈悲の心があるのならばこの私に恐ろしいほどの痛みを感じさせないでくださいみたいな。
そんなことをお願いしながら火に焼かれていくんですけど、最後やっぱり絶叫がこだまして死んでいくんですよね。
確かに確かに。
同じ構図になってるんですよね。ここはめちゃくちゃ大事なんだろうなと思うし、多分これはどちらも信仰っていう点においては共通項になると思うんですよね。
33:08
ウィッカーマンはもっとわかりやすく描いてるんです。要するに完全に信仰の言葉を口にするわけですから。
一方でこのミントサマーのところでもそのおっさんがですね、口にするこれをなめれば痛みを感じなくなるっていうのも、
あれは完全にそう信じなさいということでしかないんだよね。
それは事実であるかのように語られているし、それを事実として受けてもそれは事実だと思いながらなめるっていう。
そこにあるのは別に科学的な実証じゃなくて、完全にただその事実を受け入れるというだけの信仰なわけじゃないですか。
だからやっぱり信仰というものに対して現実というものはどういう形で迫ってくるのかっていうものをあそこに詰めてるんじゃないのか。
それがだからこの作品を通して制作者が伝えたいこととおそらくリンクしているんじゃないのかって気がしますね。
だからあそこはね、撮り方によってはギャグみたいなの撮れるし、それやっぱそうだよなんて笑うんだけど、でも結構大事なシーンなんじゃないのかなって気はしてますね。
あと確かにケルト文化だと一位って明快の木っていう位置づけだったと思うんだよね。
何だっけ、枯れないみたいな話があって。
一番中ずっと緑があるから、不死の象徴だったりとか、再生の象徴みたいな感じで一位の木が出てくるっていうことはあるから、それなのかなと思いつつも。
ハリーポッターでも杖の材料として出てきますね、一位はね。
僕の杖は一位の木で作りました。
僕の杖?
レガシー。
びっくりした。こいつついに自分で音頭作り始めたのかなっていう、ちょっとびっくりしちゃいましたね。
ドラゴンの金銭とかどうやって取ってくるんだよ。
そこが気になっちゃって。どうやってそれ中に入れるんだろうっていう、いまだにわかってない謎とかあるんで。
確かに。
ちょっと話戻しましょう。
僕からのジャブはほぼないので、言いたいこと言っちゃってください。
じゃあまずちょっとエッダっていうところから語っていきたいんですけど。
どうぞ。
皆さんご存知エッダなんですけど。
ご存知じゃないのよ。
一応確認をしておきますと、北欧神話へ憧れを持っている中坊でも、オーディンとか、カメラで遊ぶな、やめろって言ってた。
オーディンとか、トールとか、そこら辺のワードは知ってるよ。
36:07
ロキとかね。
ロキとかね。
でもミッドガルドとかさ、アースガルドとかなってくるとちょっと怪しくなってきて、エッダとかなってきたらもういよいよハーってなってくる。
遊ぶんだとミッドガルドはさ、だってあれスパイダーマンじゃなくてハンマーマン、ハンマーマンじゃねえか。
マイティーソーだろ。
マイティーソー、マイティーソー。
ハンマーマンはもう身体ハンマーになっちゃってるしそれ。
マイティーソーでめっちゃ出てくるし、あれだってエッダの話じゃん。
そうですけどね。マーベル程度の知識しかない奴はそんなもんでしょ。
そっか。
やっぱ連中はマイティーソーって言いますかね。マイティーソーのムジョルニアとかいう気持ち悪いこと言い出すからさ。
いやトールのミョルニルだろっていう。
英語発音気持ち悪いね。ムジョルニア。ミョルニルやつね。
すごいちょっとそこらへんちょっとこっちはモヤモヤするんですけど。
でも基本的にだから、創作で描かれているものの原点はどこかなっていうのまで知らないと気が済まないオタクぐらいしかエッダにたどり着かないの。
ハンセン。
そういうことです。
じゃあエッダについてどうぞ。
皆さんこれからご存知になるエッダなんですけど、ケルト神話の北欧神話における日本書紀みたいなもんですね。
この世界がどうやって作られたかっていうようなことを書かれている。キリスト教でいうと旧約聖書。
日本でいうとところのイザナミが海をかき混ぜてホコから滴り落ちたやつが日本の地となったみたいな。
そういうあれが書かれてるやつで。
ちなみに某巨人漫画のシソユミルっていうのが出てくるんですけども。
出ていますね、ユミル。
ユミルは漫画のオリキャラだと思っている人が非常に多いんですけど、ふざけんなと。これは声だから出てくる普通に巨人のお名前です。
世界で初めて生まれた巨人の名前っていうのがユミルっていう名前なんですね。
特にユミルさんなんですけれども、氷の国のニブルヘイムと火の国であるムスペルの熱っていうのが混じり合うところみたいなところに雫が生まれてそこから生まれたっていう謎の巨人なんですけど。
39:03
湧きから子供を産んで、まだそこまではブッダも湧きから生まれてて。
100歩譲ってわかる。ただユミルが寝返り打って足を交差させた瞬間、子供が3人追われたみたいな話もあって。
何かを暗示してそうだけど、その何かが全然見えてこないね。
全然わかんないね。
とりあえずいろんな子供を産んだ後に、ここの大地っていうのがどうやって生まれたかっていうと、ユミルの体を全部バラバラにして、肉で大地を作って、血で海を作って、骨で山、髪で木々、頭蓋骨で天井、なぜか眉毛で人間界を作ったと。
なんでやねん。眉毛。眉毛。
でもそれぐらいたわいもない存在なんだよ、人間界なんてみたいな。
人間が構築している社会なんて、その程度の問題的なシスタンスなのかもしれないね。
知れない。でもね、そんな高尚なことを多分ね、北欧神話を作った人はあんまり考えてなくて。
その証拠によく雲ってあるじゃないですか。
クラウド。世の中にね。
ある意味で作られたかというと、ユミルの脳みそから作られたっていう。完全に形じゃないかっていう。
もやもやしてっから。
もやもやしてっから。
そんなもんですか。
多分適当に設定組んだときに、眉毛でいっか。
雲。脳みそ。みたいな。
ふんわりした感じで作ったんじゃないかなっていうのが、江田ってやつなんですけど。
江田っていろんな映画だったりとか、それこそアニメとか見ると江田の引用とかめちゃめちゃ多いので。
だから結構江田読んでおくと、今読んでる漫画とか、今見てるアニメーションとか、今見てる映画とかがもっと楽しくなる受け合いなので、みんな江田読もうぜ。
だからさ、やっぱり言葉の響きがね、なんかいい感じじゃんっていうところはあると思うんですよ。
かっこいいじゃん。
そうそうそうそう。かっこいいからさ。だからやっぱり中二病に刺さるんだよね。
そう、それは絶対あると思う。
前にも話したけど、ビンランドサガ。
はいはいはい、言ってましたね。
そうそうそう。あれも江田から来てるアレですし。
まあその割にブルームヒルダに全く反応できなかったオウマっていうね。
42:05
まあ、そのときはね。多分いろいろあったんだよ、俺にも。
で、ちょっとなんかサクサクいくと、あとルーム文字ですね。復興神話といえば。
本作でもルームが出てきましたね、いっぱいね。
そうそうそう。魔術をたしなむ身としてはさ、大事な要素になってくると思うんだけども。
今回ね、このルーム文字、なんか変だなと思ってずっと見てるんですけど。
逆位置だったりとか、反転させてたりっていうような使われ方がすごくしていて。
だから本来のルームの形とはちょっと違うのが一つと、
あとね、いろんなその、食卓の形が多分いろんな形があったと思うんだけど、あれ全部ルーム文字なんですよ。
なってましたね。
そうそうそうそう。すごい面白いなと思って。
で、よく出てきてたのが、テュエル・フェフ・ライド・ダガース・ペルスロ・アルギスみたいなところが多分出てたかなと思います。
で、テュエルっていうのが上向きの矢印みたいな形。
これが法律だったりとか自己犠牲っていう意味で、フェフっていうのが、
一本の棒に手がニョンって2本右から出てるようなやつ。
で、これが八九材賞とか。
あ、そうそうそうそう。
で、あとはライドっていって、これ旅とか密とか、ライドのRみたいな文字ですね。
あとダガース、無限みたいなやつ。
これがターニングポイント的なやつだったりとかっていう風な、
なんかいろんなルーンが使われていて、これちょっとルーン知ってるとね、これかなり楽しいと思うんだよね。
ルーン文字に関しては、多分皆さんよく見てるはずなんですよ。
日常生活で、通勤中とかに。
そんなマジで知ってんの?
Bluetoothのマークです。
あれは、2つのルーン文字を組み合わせて作ってるんですね。
デンマークのハーラル一世っていう人が、青葉王っていう風に言われるんですよ。
青い葉の王っていう。
で、そのBluetoothのですね、Bluetoothはその王様のBluetoothですね。
青い葉っていう意味で。
そういう、すげーアホっぽい名前なんだよ。
そうです。
そのハーラル一世のイニシャルが、それぞれHとBなんですけど、それにあたるルーンをダチョンってくっつけてBluetoothのマークにしてあるんで。
45:07
だから日常的に皆さん、今全世界でですね、ルーン文字を常に目にしているということです。
素晴らしいな。
ちょっと魔術的な素養が皆さん終わりと。
そうです、そういうことなんですよ、実は。
実はルーンは身近だったというお話をしておきます。
これからこれを聞いて、皆さんもルーンに興味を持つと思うので、ぜひアルファベットを全部覚えていただいて。
僕も中学生ぐらいのときは全部覚えてたんだけど、もう忘れちゃった。
ちょっと落書きしようぜっていうところが一つ。
あと最後にアテスパなんですけども。
今回の映画の中では、置いたものが家族の負担にならないようにっていうところで、断崖から身を投げたっていうような話になってると思うんですけれども。
実際これスウェーデンの伝承ではあるらしいんですよね。
だからスウェーデンの各地にこのアテスパっていうと呼ばれる崖の名前だったり、族名みたいなのがすごいなんか点在するらしいんですよ。
日本のウバステ山みたいな感じで、本当にそれが行われてたかどうかは怪しいから、
民間伝承としてはあったけど実際にはやってなかったんじゃないのっていうのが今の学説らしいですねっていうのがアテスパでしたという。
僕がちょっと調べましたっていうそれだけです。
全然地域が違っても通じるものっていうのが不思議とあるのがホモサピエンスの面白いところだなという気はするんですよ。
作中でもインドとすごく似てるねって言ってさ、あいつの名前忘れたけど、
なんていうやつだっけあいつ。
名前が大学院生。
大学院生ね。
メガネの大学院生ですよ。女子か。
女子がね言ってましたけれども。
それで言うと僕もちょっとこれ繋がるなって思ったのは、
クマの神聖史ですね。
クマってアメリカインディアンもクマに関しては神聖史していたのは間違いないし、
あと僕我々にとって身近なところで言えばアイヌ民族もそうなわけじゃないですか。
そうだね、ロシアでもそういう文化はあるね、クマの信仰は。
アイヌは面白いのはクマっていうのは神そのものなんだよね。
神が我々に肉を与えるために降りてきてるんだよね。
だから神だと分かっているクマを殺して食べるんですよ。
48:01
神殺しをするっていうのが当たり前っていう認識なのが非常に面白いなというふうに思います。
神が使わせてくれた、神が肉に姿を変えて我々の元に降りてきてくれてるから、
神であるクマを殺して食べるっていうすごく面白いなというふうに思いますけど、
今回のホルガではクマは暴力の象徴みたいな形で殺されてましたよね。
生贄に捧げるときそんなようなことを言ってたんで、
クマの凶暴性みたいなところまで行かれる神のような、
あるいは暴力のアイコンとして殺すみたいな形になっていたっていうのが非常に面白かったな。
もちろんさっきのアテスティパンのウバステ山みたいなのもすごく面白く思ったし、
あとはたびたびドラッグが出てくるんですね。
めっちゃマシュルミキーもあるけどみたいな。
あの辺はもう完全にオーガニックなドラッグで、
それも南米あたりの原始の民族では当たり前に使われていたりだとか、
それこそサージを行うときにタイマックって痛み消してたとか、そういうのも言われてるぐらいですから。
結構本当にいろんなところの原始の文化みたいなものをごちゃ混ぜにいろいろと混ぜて、
ホルガーという一つの共同体を表現しているような感じがありました。
あと、生贄9人じゃないですか。
ごめんなさい、音声途切れで聞こえなかった。
生贄が9人じゃないですか。
はいはいはい。
9ってどこから来てるのかなっていうふうに思って。
確かに全然気づかなかった。
そしたら北欧神話においては世界9つなんですよ。
そうだね。
だからこう、それぞれの世界に向けて1人ずつ生贄を捧げてるのかなとか。
ちょっと思いましたね。
なるほどね。
だとしたらそれぞれの9かいろいろあるじゃないですか、ヘルヘイミンまであるわけですけど、
どれが誰に当たるのかなっていうところも考察したら面白かったのかなーなんてこともちょっと感じて。
確かに。
でもそこまで全然できてないので。
9重なるぐらいのつもりで、そこで終わりましたっていうのがありました。
あとは巨人ユミルの話もさっき大間がしてくれたけど、
言った通りユミルの体で世界ができている。
そんなユミルを信仰するっていう体系がホルガンにはあるみたいな発言があることからも、
彼らが自然と一体になって生活するっていう様式を今でも守っているっていうのは、
ユミル信仰から来るところなのかなっていうのを、
51:02
観客がなんとなく把握できるような匂わせをしているっていうところはありまして、
結構だからホルガというこの架空の村の描写が、
いい具合にごったにで、
いい具合にある程度考察に耐えるぐらいの論理性があって、
いい具合に破綻しているという。
ここはすごく大事なところだなっていう気がしてますね。
完全な信仰体系がその場にあるのではなくて、
いろんなものが入り混じって、何かしら一つの系統だった、
信仰がありそうな雰囲気みたいなのがちょっと出てくるっていうのが、
非常に良かったなというふうに思いました。
あとは何より、このホルガという村の文化、文明、
宗族っていうものの中で、
特筆すべきものが、性に関する極めて直接的な表現が多い。
ここなんですよね。
恋の魔法をかけるためには、女性が男性に対して陰謀と軽血をですね、
飲み物に混ぜて飲ませるだとか、
実際に初めて交わるときは村の女性たち全員が見守る中ですね、
みんなで声を合わせて果てるという文化があったりだとか、
とにかくその我々の感覚から言うと、
え?ってなるような、そういう宗族がそこにはあるという、
そんなですね、描かれ方をされてるんですけれども、
これもおそらくティーネイジャーの彼は、
なんて斬新なんだと思ったのかもしれないんですけど、
もうウィッカーマンがやってることなんですよね。
もっと、もっとフルオープンにやってるからね。
だから多分ウィッカーマンでやったことを、よりですね、
強めるためにですね、より毒や棘のある描写に、
多分しているのかなっていう気がしますけれども、
この辺で声を強めて描くことによって何がしたかったのかっていうと、
やっぱり全く違う常識っていうものが共有されてる共同体に足を踏み入れるということに対してですね、
我々が感じる拒絶感だったり違和感っていうものをですね、
観客に共有してもらうという、
とにかくそこの効果に全振りしてるんじゃないのかなっていう気がしますね。
別にそこに本当にこうなんていうのかな、
これこれこういう言い伝えがあるからそうなっていますみたいな、
そういう裏、骨組みみたいなのは正直別に何もなくて、
僕らが今暮らしてる社会に向いてはそれらって隠されるものが当たり前だと思っているし、
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だからそれがむしろフルオープンなコミュニに来た場合に我々が感じる方はっていう感じを、
とにかく全力で引き出すための描写なんだろうなというふうには思いましたけれども、
見事にそれが成功した。
あと同時に日本に限らず世界中で、
集落単位での生活をしていた時の時代ではあるんですけれども、
例えば所長を迎えた女の子の腹ますであったりとかっていう文化であったりとか、
あるいは精通した男の子の性交渉を少し年上の女性が教えるとか、
逆に所長を迎えた女の子との性交渉を少し年上の男性が教えるみたいな文化っていうのは結構世界中どこにでもあって、
ここ日本でもそういう文化っていうのは非常にあったんですよね。
割と乱交文化っていうのかな、あまり言い方をよくないけれども、
もともとあったっていうところも、
ここの映画の何かになってるんじゃないかなとはちょっと思ったよね。
昔はこうだったけど今違うよねっていうここの対比とか、果たしてこれ真価と言えるのかどうかみたいな、
そういう問いかけも含まれてるなという気がした。
それこそ僕、この間今楽しく読ませてもらってるサピエンス全史でですね、その手の話も出てきましたけど、
どっかの民族ではですね、より強い子供を産むためだとか忘れましたけれども、
より多くの男性の性を受けた方がいいというふうにされていて、
だからこう一度にその同じ集落のですね、同じ部族の多くの男性と女性が交わって子供を作ると。
むしろそうしないと子供ができないぐらいの勢いで考えられていたから、一度にたくさんの男性から性を受けるという。
そうすることで生まれた子供っていうのはある意味では誰の子かはわからないわけで、
だからこそ別にどの子も等しく部族みんなで育てるという。
だから自分の優先的に守りたいとかじゃなくて、部族の子供だからみんなで守るっていう発想になるという。
だからそれがかえってそのコミュニティの結束を強めていたみたいな、そんな話もあったりして。
生というものっていうのは、元来子孫を作って繋いでいくというか、自分たち組織を大きくしていくっていうふうな当たり前の営みであるからこそ、
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別にそれがオープンだったところで、別に本来的には嫌悪感を得るものではないんだけれども、でも僕らはそれを感じるよねっていうところのくすぐりではあるよね。
あと同時にこのホルガの世界を見るとさ、よく今現代社会において男社会っていうものが批判の対象になることは非常に多いんだけれども、
それっていうのが現代社会において女社会っていうのがもう消失したっていうことの裏返しでもあると思うんだよね。
だからその村の共同生活において、女性が女性だけで集まってどういうふうな仕事をしていて、共同をしていたかっていうところって、
もう今はその各家庭にお任せっていうところに完全に移り変わってしまったからこそ、
共同体全員で子供育てようとか、共同体全員で食事を作るとか家事をするってすると、全員が全員出動しなくちゃって何人かは休む人ができるしっていうようなサイクルで、
それこそホルガが当たり前のような時の時代っていうのはあった文化ではあったんだけれども、完全に現代においてはその変化も全部消失していったからこそ、
この共同体としての生き方みたいな、人間の生き方っていうところがすごく失われて等しいけど、実はそれはそれで良かったんじゃねーみたいな、そういう話も出てくるのかなと思ったよね。
まあそうね。ホルガのこの文化形態っていうのは、完全に3,4世代前ぐらいのですね、現代社会とは隔絶されたコミュニティですよっていうことがわかりやすく描かれているというところだと思いますけれども。
じゃあちょっと本題に入っていきたいんですけど、何かありますか。
じゃあ僕からでいいですか。
いいですよ。
じゃあ今回なんですけども、
もう割とね、そんなにひねった話ではないんですけど、
このアリアスターのミート様、みんなで泣けば怖くない説っていう。
はいはいはい。
説でもなんでもないんだけど。
そういうシーンがありましたね。
これの映画を見てやっぱり引っかかってくるところってなんだろうなっていうと、この集合意識っていうところだと思うんですよ。
で、集合意識っていうのは何かなっていうところなんですけども、この個人の存在を超えて共有される価値観であったり規範であったりとか感情だったりとかっていうところが、この集合意識っていうふうに言われるんだけれども、
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同じように集合無意識っていうものをユングも言っていて、
人類に普遍的な金型みたいなものがあるんだったらそれが無意識。
まあイデアみたいなもんですよね。
ミート様が集合無意識に反して、集合意識っていうものがディルケームっていう人が言ってるんだけども、
今回はディルケームの集合意識っていうところがメインになってるんじゃないかなと思って。
ここを知る上で、同時に知っておくと面白いのが、同化と異化っていう、心理学だったりとか社会学とかでよく使われる言葉なんですけども、
例えば同化っていうのが、この集団に合わせて境界を薄める行動。
みんなでなんかしようよとか、みんなで泣き悲しんで、みんなで笑って、みんなで生活しようみたいなのが同化。
異化っていうのが、ある意味集合体じゃない自分を保つっていうところ。
自立であったりとか、自立って立する方の自立だったりとかっていうところが、やっぱりこのミート様で描かれていたんじゃないかなっていうところで。
ミート様っていうのは結局、破局するカップルの個人になってしまった集合体が、いかに次の集合体に取り込まれるかっていうところの偶和なんじゃないかなっていうところであって。
だからそこを掘り下げていくと、この映画また見方が一つ深まるんではないかなっていうところをちょっと言いたいなというところ。
で、ホルガ村ってどんなことが行われてたかなっていうと、主にホルガでは同期だったりとかの同化っていうところが行われていて、
誰かが泣けばみんなで泣くし、誰かが叫べばみんなで叫ぶ。誰かが絶頂を迎えればみんなで絶頂を迎えるみたいな。
感情が同期されるっていうようなことを可視化してずっとやっているとか、あとはその退治者みたいなところも、確かにその同化としての集合体として、ホルガという生命体が生きているような生活観をしていて。
これが18歳だっけ。18歳4期でいいんだっけ。
18、36、みたいな感じだった気がする。
そうそう。で、72歳で最後、73歳か。
72じゃない?
72か。もう72歳まで生きて、73になるまでに死ぬみたいな。
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だからこれが共同体としてこの細胞が入れ替わる、退治者みたいな話になってくるし、あとこの服装であったりとか、あるいはダンスだったりとかっていうのもすごく象徴的だったなと思って。
服装がみんなほぼほぼ同一のような。
季節によって、季節っていうのが18歳4期の区切りで服装が分かれていて、
おおよそ子の象徴っていうものはほぼほぼない。
あるとしたら、クリスチャンの生を受けた妹が、おそらく初めて生を受けましたよみたいなおめかしをされてたと思うんですけども、それぐらいしか象徴するような服装をしてないとか、
あるいはダンスがずっと円環構図でぐるぐるぐるぐるしてるっていうような、そのなんか循環であったりとか集団っていうところがすごく強く、やっぱりこの映画の中で描かれているなと。
で、なんかちょっと話つなげていくと、最後の笑顔の意味はどうなんだろうって話につながっちゃうかもしれないけど、いい?
いいよ全然。
いい?
うん。
なんかその同化と異化っていうところなんだけども、普通に心理学的に見ると、同化のメリットとしては不安が低減するっていうこととか、関係性がすごく充足するっていうことが言われるんですね。
私だけじゃないとか、みんながそばにいるって結構気持ちいいことじゃないですか。
そういうふうなメリットもあるし、逆に同化のデメリットとしては思考停止だったりとか、集団思考になってしまうとか、あるいは規範に対する逸脱行為っていうものが罰則化されるみたいな。
それはそうですよね、集団で生きてるんだからっていうところであったりとか。
またその異化っていうところのメリットとしては、自分で自分をコントロールしていくからこそオリジナリティが出てくるとかっていうところはあるんだけれども、デメリットとしては孤独感であったりとか、あるいは断絶感っていうところが出てくるよっていうところ。
この同化と異化っていうのをうまくバランスとっていかないと、なかなか人間っていうのはうまく生活できないよっていうところはあるんだけど、このクリスちゃんと主人公の女の子の名前、ダニーがすごく象徴的に描かれてるなと思って。
ダニーっていうのは、近代社会の世界では同化を求める人間であったんだけれども、ホルガにおいては異化をすごいしようとしてる人間。だからホルガっていう集団に取り込まれないように必死に抗っているっていう人間だったんだけども、逆にダニーは近代社会においては。
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おだしょー 現代社会ね。
おだしょー 現代社会においては、社会に馴染めなくて、人と結びつくことっていうことに対して非常な恐れ感であったりとか依存感っていうのがすごく強かった人間だけれども、ホルガに行った瞬間に共同意識っていうものに非常に安らぎを求めるっていうような行動をずっとしてたっていうところ。
だからそこはすごく症状的に描かれていて、同化と異化っていうのがこのバランスを取ることっていうところで、すごく心理的にいい面があって。
ただ、このバランスの取り方っていうのが、同化が任意で行われているのかなっていうところと、その異化が行われたときの罰則がどのぐらい安全なのかなとか、あるいは離脱することで罰せられないかっていうことで、この心理的ないい面っていうのが強化されるっていうふうに言われてるんだけれども。
今回の映画の中では、同化に極度に進んだ結果、この人は幸せになるんだろうかどうなんだろうねっていうような話だと思うんですよ。
だから結局、今の現代社会において、同化ってすごく圧力になり得るなと僕は思っていて。
極端な効果を心地よいというふうに映画の中では描かれてるんだけど、それが本当に果たしてどうなのかなっていうような風刺にもなってるのかなっていうふうにこの映画を僕は読み取ったのね。
例えばなんだけど、今はもうSNSの前世紀で、もうFacebookだったりTwitterだったり、インスタグラムっていうもので、いかにいいねを勝ち取るかとか、同じ意見の人を集めるかみたいな同調の圧力みたいなところが、ある意味規範みたいになってきてるなっていうところが非常に多くあるし。
あるいは、多くの先進国で学校っていうシステムを取り入れているけれども、学校ってどういう場所かっていうと、集団で生きていくための同化を強制的に行う場所っていうことも極論を言えば言えると。
というのが、結局その学校の暗黙のルールだったりとかっていうところが、日常版のミッドサマーみたいになっちゃってるんじゃないかなとか。
ホルガ村みたいになって、そこから逸脱したものが、えーおかしいよっていうふうになるような世界であったりとかっていうような、結局その近代社会において、ホルガ村のことをおぞましく気持ち悪く見えるような映像の作り方をしてるんだけども、
1:09:15
これ現代社会においても、同じようなことって日々日常でいっぱいいろんなところに存在するよねっていうところが、もしかしたら言いたいところの一つになってたんじゃないかなと思うんだよね。
だから今回その、確かに人とのつながりっていうのがすごく大事な面も非常に多いんだけれども、ホルガぐらい共依存でお互いにどっぷり同化に使っていると、それはなんか本当にその人の幸せにつながるのかなっていう疑問を投げかけてるんではないかなっていうところが、
今回の言いたかったところをサクッとまとめた感じです。
結局ダニエルの笑顔がどうのこうのっていう話、全然してないじゃないですか。
なんかしなかったね。
じゃあ後にとっておこうね。
じゃあ後にとっておこう。
後にとっておこう。
まあでもね、すごくまあそうなるよねっていう話でしたね。だから結局僕もそういう視点になったってことはやっぱり明確にミッドサマーそういう作品なんだということだと思うんですよ。
というわけで僕の持ってきた説。映画ミッドサマー。依存と救いの見直し映画説です。
要は依存と救いって要は紙一重ですよねっていう。
その人にとっての救いっていうものが他者から見たらただの依存に過ぎないというふうに見えるかもしれないし、あるいは救いを求めるのであれば一定程度の依存は必要になってくるんじゃないのかっていうところの、
それをどう考えるべきなのかっていうことを我々に問うてくるような作品なんじゃないのかっていう話なんですね。
僕もこの辺ちょっとうまく整理できないですけど、一応順を追っていくと冒頭のダニーはもう完全に救いがゼロの状態からスタートしてくるわけじゃないですか。
真冬の雪降りしきる中ですね、両親が妹との、多分妹による無理心中ですよね。
そうだね。
僧侶性障害を抱えている妹が両親も連れてガス自殺をしてしまうという。
それに対して妹がすごく不吉なメッセージを送って全然連絡が取れないということで、ダニーはもう本当に押しつぶされそうになりながらクリスちゃんという彼氏に助けを求めるんですけれども、いい感じにあしらわれると。
1:12:00
結果ですね、想像し得る最悪なシナリオになってですね、完全に家族を全員失ったわけなんですけれども。
彼女のきついところは依存先が事実上存在しないということなんですね。彼女自身は今の自分の本当に発泡ふさがりなというか、常にストレスにさらされている状況から何とか抜け出したいと。
でもそれができなくて、カウンセラーに相談をするのもカウンセラーはいつだって自分に寄り添ってくれるわけではないですし、一方で一番そばにいてほしいはずの彼氏に関しては、クリスちゃんは全然当てにはならないんですよね。
本人はいつ別れ話を切り出そうかというふうに迷っているし、友人たちの前で思いからいつか別れるだろうみたいなことを言うんだけれども、
結局それを自分から切り出す勇気もないから、ダニーの不安とか涙に対しては適当なことを言ってあしらうわけですよ。
言うなれば恋人という救いすらもそこにはないわけで、ダニーは極めて不安定な状態から物語がスタートしていく。
だったら別れればいいじゃんっていうふうに僕らは思ってしまうけれども、でもダニー自身は誰かに依存したくて依存できる相手になり得るであろうクリスちゃんを自分から切ることはやっぱりできない。
何より自分が拒絶されてしまうことが非常に怖いから、明らかにクリスちゃんは自分のことを本当に心から心配してくれていないにもかかわらず、
その逃げ切れない態度のクリスちゃんに対して自分のそういう思いを明確に伝えることもできないわけじゃないですか。
ここのかわいそうな感じが本当に序盤きついんですよね。
あんな適当なクリスちゃんに対してですね、そんなやつの顔色を伺ってですね、いや私が悪いからいいのみたいなことを言って飲み込もうとするダニーの姿っていうのは、
まさしく不安型の依存傾向を示している、極めて不健康な状態ですよっていうところを確認するための冒頭だったのかなという気がするんですね。
出発前の時点で家族っていう依存先、そして恋人という依存先も機能していない、自分の性格的にも自分自身を強く持ってみたいなさ、
自分の性格的な救いを自分から求めようとすることも、具体的なアクションも起こすことはできないっていうふうな、完全な発泡下がりの状態からスタートをしていってたどり着いたのがホルガーなわけじゃないですか。
これはYouTubeかなんかの書き込みかなんかで知ったんですけど、ホルガーに着いた時に出迎えてくれるおっさんがですね、男子全員握手するだけなんですけど、ダニーだけ抱きしめてくれるんですよね。
その時にスウェーデン語で何か言ってるらしいんですけど、お帰りって言ってるらしくて。
怖ってなったっていう話なんですけど。
1:15:02
最初からダニーを村の一員にするつもりで村を受け入れてるんだ。
そういう感じですよね。で、事実ダニーにとってはそこっていうのが、自分を受け止めてくれる人たちとの出会いになるわけなんじゃないですか。
初めてここで本当に自分をありのまま笑顔で受け止めてくれるような存在と出会うという。
ダニー自身も結構象徴的なシーンがいくつかあって、ホルガーに入る前にホルガーのほど近い草原で薬を決めるシーンがあるんですよ。
その後もたびたびドラッグの影響を受けるたびに、彼女は自分の体の一部に草が生えるような現象をするんですね。
この一番初めでは手だったし、その後メイクイーンになった時には足から草が生えているような現象をしたと思うんですけれども、
あれはおそらくは彼女が絶対に不動のもの、要するにクリスチャンみたいに不安定で全く頼りにならないものではなくて、
まるで大自然のようなですね、完全に大きな存在に自分が同化する、
要するにそれだけを万弱なものに依存したいっていう欲求が原始になって現れているんじゃないかという、そんな気がするんですよ。
ただ一方でその後彼女バッドトリップして小屋の中に入るんですけど、その時鏡を見ると自分の顔が溶けてる現象もするんですね。
あれは大きなものに依存したいんだけれども、その一方で自分が消えていってしまう、
要するに何かでっかいものに依存することによって絶対的な安心は得られるだろうけれども、
それによって自分という子が消えてしまうことへの恐怖っていうものは、あの時点では併せ持っているということの描写なんじゃないのかなっていう気がするんですね。
ところが一方でこのホルガの村っていうのは徹底的にダニーをどんどんどんどんどん囲い込んでですね、取り込んでいくわけです。
それがさっきオウムも言ってたような同調するような、要するにダニーが泣き喚けばみんなも泣き喚くしみたいな、
一緒に感情を共有してくれるみたいなことをみんなでやってくるわけじゃないですか。
そこに薬物による感情の起伏をより引き出すようなトリップを乗っけてくるわけで、
ダニーからするとですね、非常にその辺は初めて感じる、人から共感されるっていう強烈な安心感に移っただろうし、
さらに非常に面白いのが生活のほとんどがやっぱり大きな建物で同時に行われているということ。
育児に関してもそうですし、寝る場所もみんな同じ世代の人たちっていうのが大きな建物の中で一緒に寝るみたいなことが行われるわけじゃないですか。
儀式の空間とかもやっぱりでっかい建物があって、そこにみんなで入っていくみたいなそんな空間ばかりで、
1:18:03
そういう巨大建造物の効果の一つとして、個人というものを小さく感じさせることで集団のスケールに従属させるような雰囲気を作るっていうやっぱり効果があるんですよ。
そのあたりもホルガーは徹底してるなっていうふうに思ったんですね。
だから整理するとダニーはホルガーについて、熱烈な歓迎で安心感、ここは安全だっていうプライマリーエフェクトを受けて、
で、同時に感情の動機ですね。そうやって自分の思いっていうのが分かち合われてるんだっていう感動を得て。
さらに薬物だったり、あるいは疲れ果てるまで踊るっていう儀式によって、あれは思考を奪われるわけじゃないですか、批判的な。
深く考えることができなくなるような、そういうみんなで動く薬を決めるっていうことをやって、そして最終的に巨大な空間の中で、今自分っていうのは大きな存在の中の一部なんだというふうに思わせられるという。
見事にすべてが奇跡のマリアージを起こして、ダニーは集団の中へと取り込まれていくわけじゃないですか。
この構図って何かどこかで見たような気がするなって思うんですね。それはカルトですね。
カルト宗教とファシズムの造形に非常に似てるんですよ。
さっきそのウィッカーマの話をしたんだけれども、それ以外にもおそらくはいろんなモチーフを取り入れてると思うんですね。
このピープルズテンプル事件ですね。
人民寺院って言ったほうが多分ピンとくるのかなと思うんですけど、1970年代のカルト宗教の事件がありまして、
ジム・ジョーンズっていう人が作った人民寺院、ピープルズテンプルっていう宗教があるんですよ。
これはもう人種差別を受けてきた人たちの行き場のない悲しみっていうところにつけ込んだというか、
そこにターゲットを絞り込んだ人種差別がない、完璧に平等な共同体を我々で作るっていうふうな思想の下ですね。
作り上げられた巨大な信仰宗教なんですけれども、公民権運動の要因の中でですね、
人種差別とか核災に苦しんでる人たちをどんどん取り込んで大きく成長していって、
そのどでかくなったところですね、南米にジョーンズタウンっていうジム・ジョーンズの名を冠した一つの集落を作るわけですよ。
本当にそこにみんなで移住させたわけですよ、信者たちを。
その集落、作り上げられた宗教の力によって作られた宗教集落っていうものができるわけです、ジョーンズタウンが。
1:21:00
そこでジョーンズは絶対的な権威を持っているわけなんですけれども、
みんなの生活の中では全員で合唱したりだとか、
やっぱり集会を長時間行う中で、共同体としての統一意識みたいなものを高めていくわけですよね。
最終的に何をしたのかっていうと、死を全員で選ぶっていうことをさせちゃうんですよ。
で、みんなで毒入りのジュースを飲んで900人以上が同時に死ぬっていう大事件を起こしたんですね。
これが人民人事件っていうアメリカでも記録的な出来事なんですけれども、
ここで重要なのは、でもそこに集まった人たちは救いを求めて集まって、
そして共同体の中では今自分たちがやってることは、
それは救いを得るためにやってることなんだっていうふうに本当に心から思ってしまっていたわけだし、
だから何の疑問もなく毒入りのジュースを飲めてしまうわけですよ。
これって本当にホルガが行っている、いわゆる儀式として死を選ぶ行為と、
あるいは救いのために普通はできない決断をさせるっていう構図とほぼほぼ変わらないような気がするんですよね。
あとは日本で言えばオウム心理教団とかもやっぱり象徴的な事件として知られているところですけれども、
結局あれも構成している人たちっていうものがかなり高学歴の人が多かったっていうところは、
犯罪心理学の中でもすごく取り上げられる事実だとは思うんだけれども、
日本が当時抱えていたちょっと負の部分ですよね。
未来への先行きのない不安だったりだとか、そういうものを抱えているエリート層なんかを巧みに取り込んでいくと。
そういった中でオウム心理教がやったことっていうのは、やっぱり共同生活ができるサティアンみたいなものを作ってですね、
信者を徹底的に孤立させるんですよね。
家族からの切り離しっていうものを完全に行っていくと。
一切の連絡ができないような状態にして、外部との関係性っていうものを完全に立って、
共同体の中での関係性っていうものだけに依存するように仕向けていくという。
そういった中で瞑想みたいなものを繰り広げていく中で、
今自分が感じているこの感覚っていうものはこの宗教団体によって授けられたし、
それを見ながら分かち合っているんだっていうふうな感覚をいつの間にか擦り込まれていく。
そんな中で、死への絶対的な復讐っていうものもどんどん構図として組み込まれていって、
最終的には組織の歯車として犯罪行為に手を貸してしまうというふうなことが起きる。
こう考えるとホルガって何をやってるかって言ったら、完全にカルト宗教の文脈と同じことをやってるんだよね。
1:24:01
あとはさっき言ったどでかい巨大空間の演出で子を消すみたいな。
この意識を消すみたいなことが、もっと大規模なお話で言えば、
ナチスドイツがやってたこととほぼ変わらないんじゃないのかっていうお話も実はしたくて。
これですね、ナチスドイツは非常に興味深くてですね、
たびたびナチスドイツ関係のドキュメンタリーを見てしまうんですね。
また新しいドキュメンタリーできてるって言って、またどんどん見ちゃうんですけど。
中でもシュペイアーという人物がいて、この人は建築家なんですよ。
別段、特筆すべき人物ではなかったように、
ナチスによって起用されたことによって、その後も名を残すことになるわけなんですけれども。
彼がやった一つの功績に、光の大聖堂というものがあるんですね。
これは本当にただの演出なんですよ。
建築家なんだけれども、光の大聖堂は物理的な建築ではなくて、
ナチスドイツの集会に集まった人々の中にですね、
超巨大なサーチライトをですね、空に向かって垂直に照らし出すんですよ。
そうすると光がですね、一本の柱のように天空に向かって上がっているわけですね。
それらが列になって並んでいると、あたかもですね、
自分たちが超巨大な聖堂の中に集められているかのように思うという。
光の大聖堂という。
要するにそれだけの建築を作るということはできなかったから、アイディアなんですけれども、
これがこうしてですね、ナチスドイツは何度も何度もですね、
いわゆる集会を開くんですけれども、その集会で人々が集まった時に、
ただその場に集まって、ただ演説をするんじゃなくて、
そこに集まった時にその空間というものが超巨大な空間であり、
なおかつ一人一人個人が小さく感じるような、
巨大な空間の中で子というものがなるべく溶け込んで一つになるかのような、
そういう効果を狙うんですよ。
これって本当にこうなんていうのかな、
ダニーがですね、ホルガ村の中では大きなですね、建物の中に集められるところとか、
あるいはその巨大な謎の建築物の周りでみんなで踊ったりだとか、
そういうことをやっていく中で徐々に子という、
そういう自分自身のアイデンティティのようなものが溶けてなくなっていくようなのと、
結構同じような構造を持ってるんじゃないのかなっていうふうに思ったりするんですね。
そう考えると結構中央集権の中でも独裁の方向に進むような国家っていうのは、
マスゲームが多く行われるわけですよ。
1:27:03
ここで特定の国家の名を出しませんけれども。
今一緒に出しそうになってごっくんしたよ。
マスゲームっていうのはやっぱり基本的には、
数百数千数万という人間が意思乱れずですね、
動きを揃えていくことによって、
自分がいわば大きな共同体、この場合だと国家だけれども、
国家の本当に一部であるっていうことを感じさせる。
自分の個人としての自分ではなくて、
国家の一部としての自分というものを自覚させることで、
貴族意識を高めるとともにですね、
個人的な決断ではなくて、組織としての決断っていうものを
優先するような人間にしていくみたいなところがあるのかもしれないね。
っていうふうに考えると、メイクインを決めるダンスなんかも、
止まれとか逆回転とか、そういう号令に従ってですね、
最後みんなで同じ動きをしたりするっていうのが、
あれはもう完全に数の暴力によって飲み込まれてですね、
子が消えていくっていうふうな構造を持ってるんじゃないかなっていうふうに
思いました。
そう考えるとダニーが最終的にですね、メイクインに選ばれて、
このホルガという村の共同体の一員になったっていうのも、
完全に既定路線だし、
たまたま彼女がホルガ村という村にですね、
適合したのではなくて、ホルガ村がそうなるように見事に誘導していると、
いうことに他ならないわけなんです。
っていうふうに考えると、果たしてダニーの、
このホルガ村への仲間入りっていうものは、
ゼだったのかどうかということになるんですよね。
ここが非常に悩みどころで、
登場人物たちいっぱいいるんですけれども、
それぐらいですね、みんな健康的じゃないわけじゃないですか。
だからこいつらをこいつらでどう料理すればいいのかは、僕はよくわかってなくて。
ただ一個言えるのは、それぞれにやっぱり依存というものについて、
共通項あるんじゃないのかっていう気がしていて、
マークは完全な快楽依存なんですよね。
肉欲しかない、生と快楽への依存の形として、
マークというキャラクターはできている。
ジョシュはなんだろうなっていうふうに思うと、
知識依存なのかなっていう、追求心みたいなものにばかり完全に気を取られていて、
倫理的なことが身についてないんだよね。
だからダメって言われていても、自分自身の要するに、
知的な欲求に忠実だから、ある意味ではマークと大差ないんだよ。
自分の知的探求心というのが全肯定されると思ってしまっている。
なぜならそれは研究的に価値があるから、
でもそれはホルガムラのことを全く尊敬はしてないんだよね。
そこに敬意は存在していない。
1:30:01
ダメって言われるようが、それは自分自身の知的欲求を抑える理由にはならないわけだ。
っていうふうに考えると、彼は非常に高尚な目的を持っているっていうふうに、
取る人は取るかもしれないんだけれども、
ただそれは見方を変えれば、
単純に自分の知的欲求に忠実なだけであって、
果たしてそれは性的欲求に忠実なだけのマークと大差あるのかっていう話にもなりかねないわけだ。
だからこそ、このジョッシュが自らですね、
ホルガムラの人たちの言うことを聞かないで、
神聖な場所に入ってカメラを向けるっていう、
わかりやすいマシーンが差し込まれたんじゃないのかというお話。
で、クリスちゃんはこれこそですね、他者依存なんじゃないのかっていうふうに思っていて、
結局彼のすべての決断って、何一つクリスちゃんの意思じゃないんですよ。
すごい気持ち悪い男なんですよ、こいつ結局。
ダニーに言われたことは全部やる。
全部やる、基本的には。
恋って言われたら行くし、多分こう言ってほしいだろうなを全部言うようにしてる。
それでいて、その決断を人任せにするんですよね。
ダニーにやることも結局、お前がやってほしいって言ったからやってあげてんだろうになるし、
友達に対する態度も全部そう。
友達からしたら早くダニーと別れてほしいって言うんだけども、でも自分はできないからそれはやらないし。
ダニーの誕生日を祝うのもペレに言われたからだし。
何も自分で決めない。そして自分の研究テーマも自分で決めない。
助手が興味持ってやってることにただ乗りしようとする。
完全に彼は他者依存で、まるっきり優柔不断な状況にあるんだけれども、
誰かに決めてもらうことによって、自分の意思で決断してそこに責任を負うということから避け続けるという。
他者依存の局地としての存在としてクリスチャンがいるんじゃないのかと。
ペレは共同体への完全な依存だよね。
もう共同体の一部として機能している存在なのだから、これに関しては言うまでもないんだけれども、
じゃあダニーは何かっていうと、ダニーは一番初めにも述べた通り依存先の欠如という状態にあるわけだから、
ある意味ではダニーが一番何者にも依存はしていない状態とも言えるんだよね。
そんな彼女がこの共同体への依存というものを強めていく過程を見せることによって、
依存と信仰って一体何の違いがあるんだと。
あるいは依存と救いってどんな違いがあるんだみたいなお話をしたいのかなというふうに僕は思ったんですよ。
ここが非常にちょっとうまく言えないんだけれども、ちょっとウィッカーマンの話をさせてもらうと、
ウィッカーマンと比較するとどんなことが分かるかな。
ウィッカーマンの主人公は敬虔なクリスチャンなんだよね。
1:33:01
めちゃくちゃ敬虔なクリスチャンで、当然のように童貞なんですよ。
そのぐらい厚い信仰を持った人物として描かれていて、作品を通して彼は聖に奔放なサマーアイル島という島にたどり着いて、
その宗族のすべてをキリスト教的な価値観から、これは帝族で悪質で、あるいは大敗的で堕落的で非常に許しがたいみたいな批判をするんだけれども、
最終的にそういったサマーアイル島という島に伝わる儀式の下、生贄として火で焼かれると。
ただ作品を通じて主人公が言ってるその指摘っていうものが圧倒的に正しいものとしては一瞬たりとも描かれていなくて、
ある意味ではその互いに信仰を持っているという点においては、主人公とサマーアイル島の人々っていうものは全く対等な存在だし、
ある意味主人公が彼らをそれは間違ってるって否定するように、彼らが主人公を間違ってるのはあなたですって言ったとして、それを咎めることもできないんだよね。
だからいわば信仰みたいなものっていうのは、所詮そういう揺らぎのあるものに過ぎず、ある種救いの形っていうのは依存先によって大きく異なるんじゃないのかという。
だからキリスト教的な価値観というものに信仰を持っている人からしたら、彼の生き方こそが救いのあり方だろうし、
一方でサマーアイル島という独自の信仰形態を持っている人たちにとっての救いは、主人公の目から見たらそれは救いには到底見えないのかもしれないという。
だから救いっていうものは信仰によって容易に姿を変えるし、それは他の信仰を持っている人からしたら全く理解ができないものなんだよという。
これは単純に歴史的にも当然同じことが言えて、優遇の戦争とかもあったように、同じキリスト教の中でも信仰の機微価値があることによって簡単に殺し合いが起きるわけですから。
ある種それは真理に近いのかなっていうふうに思ってるんで。
ミントサマーはじゃあ何なのかっていうと、ウィッカーマンの現代的な解釈だったんじゃないのかと思っていて、っていうのも主人公たちが何も明確な信仰を持ってないんですよ。
確かに宗教的な話は出てこなかったね。
出てこないよね、ウィッカーマンの時代はある意味ではまだ社会構造の中にキリスト教的な価値観っていうのがある程度当たり前に浸透していた時代だと思う、1970年代です。
一方で現代の若者たちっていうのは、例えばアメリカであっても、特定の宗教というのは当然家庭からの影響で持ってはいるんだけれども、そこにどれほどの切実感を持っているかっていうと、かなりそこはだいぶリベラルになってきているというか、自由になってきているところがあると思うんだよね。
1:36:00
そういった現代においてウィッカーマンの構造を持ち込んできた、つまりはミッドサマーにおいては明確な信仰を持たなくなった現代人というものを古代宗教の場に放り込むことによって、救いのように見える依存、あるいは信仰によって移ろう、救いっていうものをありありとこちらに見せつけてきてるんじゃないのかと。
つまり何が言いたいのかっていうと、何か信仰を持っていれば全く違う構造を持ったその信仰の救いを見せつけられても、それは違うって言って反発してぶつかり合うんだけれども、一方で何もまっさらな我々現代人からすると、全く異なるというか初めて出会う信仰とその救いっていうものに簡単に染まる可能性あるよねっていうことを言いたいんじゃないのかという。
ここなんですね。
だからある意味ではマークだったりジョシュだったり、別途の依存先を持っている場合は、それらに全く迎合することなく跳ねのけるというか、結果的に殺されるわけなんですけれども。
ダニーのように何の信仰も持っていない、その上で依存先も何も持っていないっていう人たちっていうのは、ある意味では日々の常識の中からでは一切理解ができないような信仰だったとしても、そこに救いの形っていうものを一瞬でも見せられたら飛びついてしまうような危うさがあるんじゃないのっていうのを、僕らに見せてくれてるんじゃないのかなという気がするんですよ。
だからある意味ではカルト批判のようにも見えるし、ある意味では何の信仰も持たないままでいる我々ってどうなのっていうことの問いかけのようにも見えてくるという。
で、じゃあ本題に入るんですけど、ダニーの最後の笑顔は一体どう読めばいいのかということなんですね。
大間はこの笑顔をどう見ましたかっていう。
なんかここちょっとまあ、どの視点に立つかっていうところでまた変わってくると思うんだけれども、
ダニー自身の立場にとってあの笑顔を読み取れば、ダニーは幸せに見えるかもしれないけれども、観客としての立場から見るとダニーそっち側に行っちゃったのかっていう気持ち悪さにしか見えないっていう。
このなんかギャップそのものを描きたかったのかなっていう気がする。
なんかそれはすごく僕も思って、象徴的なシーンとしてダニーがいよいよ5月の女王メイクイーンですね。
1:39:01
ジャガイモの名前になったメイクイーンですけれども、メイクイーンに選ばれた瞬間にちょっと喜び始めちゃうんだけど、嬉しいってなるんだけど、その時にお母さんを見るんですよね。
死んだはずの。
死んだはずのお母さんがすっげえ嫌な顔をしながら去っていくんですよ。
で、当然お母さんはもう死んでるからあの場にはいないわけだから、あれは完全な幻覚ですよね。
彼女の幻覚だったっていうふうに理解するのが自然で。
でも幻覚だとしても、お母さんがめちゃくちゃ嫌な顔でこちらを見ているっていうのは、ダニー自身がそれを見ているわけだから。
ダニーも内心では、自らの本当の家族を捨てて、この共同体を家族として認めることに、いくらか怪異的な視点がまだあの時点ではあるっていうふうに考えていいんじゃないのかと思うんでね。
ところが、彼女は結局その流れに身を任せることにしてしまう。
身を任せていき、足にまた草が生えているかのような幻覚を見るわけだ。
ユミルの民のお話もありますよね、ユミル信仰のお話があったというように、
やっぱりそのユミルの話があそこで出たっていうのは、ホルガとユミル、つまり大地ですよね。
この自然というものと、そして彼女がたびたび見る自分の体が草のように見えるっていうふうな幻覚が非常にリンクしていると思っていて、
ホルガの一員になるっていうことは、大地と一緒になるぐらいの安心感を彼女に与えるっていう自覚が彼女の中にあるっていうことだと思う。
っていうふうに考えると、あの時点でお母さんの幻覚を見たときには、まだある程度自分を咎めるような感情っていうのがあったんだけれども、
でもやっぱりこの安心感に変えられないなっていうことを少しずつ彼女は受け入れ始めていき、
そして決定的になったのがクリスちゃんを切り捨てた瞬間だったんじゃないのかと。
だから最後の笑顔は完全にダニーがもう共同体を受け入れた瞬間ですし、
それによって彼女が自分は救いを得たと実感した瞬間があれなんだろうなということなんだけれども、
我々観客はそこにそれを救いと認めていいのかっていう違和感をアリアスターは持たせようとしているということだと思うんですよ。
本当に倫理的な問題なんだよね、これね。本人にとっての幸せっていうのは社会的幸せとは限らんよねっていう、そこだと思うし。
でもね、僕ね、受け入れに関してはもうちょっと早いなと、時点であったんじゃないかと思っていて。
1:42:08
なんかね、これちょっと自分でも半信半疑ではあるんだけれども、女王の椅子みたいなところに座った時なんだけれども、女王の椅子の葉っぱをコントロールしてるんだよ。
手すりの葉っぱが動くの、めちゃめちゃ。そのダニーの手によって。
だからその瞬間、座って、いわゆる大地の象徴である草の生えた椅子に座って、草をコントロールするような仕草を何回か見せたりするんだけれども、
その時点でホルガーっていうところに入り込んでる。最後の一軸の葉が何だったかっていうと、多分クリスチャンなんだけれども、
そのぐらいからクリスチャンっていうのが、おそらく多分薬の影響なんだろうとは思うんだけれども、すごく片身の狭い感じをずっといたりする場面が多くあって。
だからそこら辺で、同化することによって救いが得られたダニーっていうのと、共同体に馴染むことをしなくて以下を選んだクリスチャンっていうのが、その共同体におけるその片身の狭さみたいなところが選ばれてたとすると、そういうことになるのかなと。
だからそこが、ダニーがホルガーに属した瞬間だったのかなっていう気がした。
あのシーンは、彼女が被ってる花冠が呼吸してますよね。
この額のところの花が、フーフーって。
あの日はそういうことだと思います。
だからお母さんとお別れして、そこからそのシーンに繋がっていったと思うので。
最終的にはこれは救いなのかっていう。
これは救いと認めていいのか、我々はというところの問いかけで終わっていくということだと思うので。
僕はだから当初このミッドサーマーは、この世における救い全否定映画なんじゃないのかとすら思ったんですよ。
結局救いってそういう性質を持ってるじゃないですか。
だからこう、ある種救いっていうのは依存先を見つけることであるとも取れるし。
また共同体っていうのはそういう救いをもたらす効果が非常にあるし。
1:45:02
全体に助けられて、自らの子が持ってる心配ごと不安っていうのはなくなっていくっていうことも確かにあるんだけれども。
それらはやっぱりいずれも非常に危ういもので、容易に悪い方向にも流れていくような不確かなものだよねっていうのは間違いないわけじゃないですか。
でもやっぱり僕らは救いを求めないと生きていけないような場面にも手配すわけで。
だからこそね、一体誰に何にどれだけ依存すればいいのかとか。
一体何を良しとして何をゼとして生きていくのかっていう、自分なりの信仰っていうものを胸に抱いてなきゃいけないよねっていうふうなことを、
僕はアリアスターさんに言われた気がしたので、今後も自分自身が考えたことを最も大切にするという自分教を信仰していこうと思います。
同時にそれも依存だよね。
そうね。自分への依存かもしれない。
だからすごいそこが、どっちを取ってもダブルマインドだよ。
だからやっぱり救い全否定なんですよ。
それで言うとやっぱり僕が一番初めに考えたテーマの方がひょっとしたらバシッとくるのかもしれない。
救いへ依存について見直すとかじゃなくて、もう救い全否定の可能性がありますね。
何も選べない。信仰ってなんだっていう。
そういうもやもやしながら答えを出すことすらもお前にはさせないみたいな、そういうのを某は恐れているにつきやっぱり見せてきますね。
鉄の意思を感じるよね、アリアスターも。
コメディを描きましたで、某は恐れていると出してくるわけですから。
そりゃあそんな人間がホラー出してきたら、こういう作品になるでしょうよということだと思いますけれども。
とりあえずダニーについてはね、そんなところなんじゃないですかね。
本当に面白い映画だった。初めて見たけどすごく楽しい映画だった。楽しい。
インティングな映画でした。
考察が楽しいというか、こういう意味なのかなというふうにいろいろ考えていく。
どこまで考えてるか知らないけど匂わせ的なのもいっぱいありますんで。そこら中にルーンが書かれてるんで。
このルーンにはこういう意味を込められていて、それが逆位置になってるから、おそらくこういう意味でみたいなことを考えても一日潰せるような映画になってますんで。
自制潰しましたね。
1:48:00
僕としてはね、多分それ追いかけても何も得るものがないと思ったんで。
ありますよ。ルーンを身につけることができるじゃないですか。
やさましいね。というわけで、そんな作品です。2回目3回目見て楽しむっていう性質もなかないですね。細かいところが結構。
忘れた頃にもう一回見たいなという気がする。
僕結構好きなのは、クリスちゃんに出されたオレンジジュースだけ赤いっていうシーンですね。
あそこもやっぱ大事なシーンです。
僕あれはなんかがっつり混ぜたんかなって思ったんだけど。
そうですそうです。あれ混ざってますよ、完全に。
そのためにその前にパペストリーをしっかり見せてるわけですから。
まあ確かにそうか。
そういうことなんですよね。だから今何が起きているのかっていうのが、しっかり見ているとわかるわけですよね。
ぜひぜひちょっと皆さんも気になったらご覧いただくとともにですね、70年代の傑作ホラー映画ウィッカーマンも見ていただき、ニコラスケージによるリメイク版ウィッカーマンは見ずに飛ばしていただければと思います。
やっぱりどちらの作品も自宅で見たほうが安全ですよと。
そうですね、そこだけはちょっと確かなので、ぜひぜひ一人でゆっくり見ていただければと思います。
ということでよろしいですか。やっぱね、考察の余地が多めな作品のせいで随分長々と語ってしまいましたね。すいません。
2時間近く行きましたね。
ちょっと何か言い残しがあれば手短にどうぞ。
最後に一言なんですけども、別れ話を切り出すんだったら旅行先じゃなくて居酒屋でやりましょう。
カフェだと気まずいよ。
それは実体験ですか?
カフェの気まずさはえげつないですから。
あと別れ話を切り出したら自分が先に帰りましょう。
それが大事だと思いますね。
それは大事だと思う。
本当に大事だと思う。
僕は居酒屋で別れ話をしたことはないんですけど、
全ては僕は夜の公園とか駅前とかそういう場所でやってますね。
なるほど。
さっとその場から離れそうっていう。
1:51:01
それが結局一番大事な気がしますよ。
先に帰られたりしたしようもんならですね、直後に出るわけにもいかないからしばらくその場に留まらないといけないじゃないですか。
だるい。
そう、だるいんですよ。
しかもその別れ話をした時に両サイドがおばちゃん二人組のおしゃべりな方々だったりするとですね。
明らかにこっちを意識しながら喋ってるのが伝わってくるんですね。
絶対俺が出てった後こいつら俺の話するなみたいな。
今別れ話しててねーみたいな。
本当に何考えても、別にただの自意識過剰かもしれないけど、とにかく嫌な気持ちにしかならないという。
そういうね、ぜひですねリストラの皆さん、別れ話するときは適当にうるさくてですね、会話が全部埋もれて消えていくような居酒屋をお選びくださいという。
間違ってもね、カフェみたいなのもダメだし、あとまああれですね、LINEとかもダメですから。
そうなの?
ダメでしょ、なんだもう。我々昭和の男からしてはそんなもん許されませんからね。
やぶみとかの方がいいのかな。
やぶみ。やぶみを当てる。
やぶみ当てたら、やぶみ当てたらあかん。それぞれこんなっちゃうから。
そうなんだけど。いやー本当ね、クリスちゃんは本当にね、しょうもない男だったね。
いやーすごい、なんか彼とさ友情関係を結べてるあの4人組ってさ、頭おかしい連中しかいねえんだなって思ったよ。
ペレは頭おかしかったからね。ペレは初めからもう生贄選びのために仲良くしてるから。一番怖いのはペレなんよ。
生贄を選ぶために仲良くなったわけだから、ペレの目から見てこいつら生贄にぴったりってなったから一緒にいるだけなんで。
すげーって。
もうこいつこいつこ追いつくといいねって感じで選んでるんで。っていうふうに考えると非常にね、ペレすごいなっていう感じはしますけど。
まあそうね、ジョッシュが一番よくわかんないかな。
ジョッシュね、頑張り屋さんなんだけどね。
ね、頑張り屋さんなのかもしれないけど。でもやっぱりこう、人間性的にはどうなのかなっていう気はしますね。
たぶん彼が一緒にいたのもペレがそういうとこ連れてってくれそうだからみたいな。ペレに対するたぶん興味だけで一緒にいた可能性もありますし。
そうなってくると本当に一番意味不明なのはやっぱマークですよね。
1:54:02
マークが一番よくわからない。なんで仲良いのかよくわかんない。
たぶんマークはイケイケグループに一時期属してたんだけど、やっぱキョロキョロだからやつ。最終的にはぶかれて、ペレが声かけてグループに入ってきて、一番心残ものだと。
なるほどね。可能性あるね。まだしっかり実は時を埋めてないんだ。
たぶん最初はクリスちゃんとジョッシュとペレの3人組、あるいはクリスちゃんとペレの2人組だったんだけど、少しずつ増えてって、4人組が出来上がったんじゃないかなって俺は思ってる。
なるほどね。クリスちゃん見た目はイケメンだから、そばにいたらワンチャンあるんじゃないのかっていう打算的な理由で一緒にいる可能性もあるしね。
マークラーの感じだと。何の考察だよっていうね。
しかも答えは本当にない。
何もないから。
イエスターは思ってない。
何も思ってないんで。楽しい映画だったんで、ホラー企画を締めくくりとしてちょうどよかったんじゃないかなという気がします。
よかったですね。
楽しかったんで、そんなわけで次回どうするかっていうところなんですけど、次回はですね、リスナーさんからリクエストが一応来てると言えば来てるわけですよね。
ベッチさんの。
ベッチさんからですね、取り上げてほしいテーマとして、エイリアンシリーズをいただいておりますので。
いやー、これどこで終わってますかね。
それもそうですし、ホラー企画最終章といったわりに、早速サバイバルホラーなんですけど。楽しく見ていきましょう。
エイリアンは僕はSFだと思ってるから、許すね。
許そうということで。
許す。
でも僕もこれはね、1,2で切ろうと思ってます。
1,2ね。
1,2で切る。
まずは。
1,2、3,4。
はい。はい。
ロムルス系エイリアン。
はいはいはいはい。
コヴェナントロムルスなんちゃらですね。
プロメテウス、コヴェナントロムルス。
はい。
で、エイリアンVSプレデター。
それ見ない。
それは見ない。
それは見ない。
絶対に。
見ないの?
DVDで見たことあるけど、もう見ない。
いらんからそんなの。
僕は割と好きよ。
1:57:00
最後プレデターにやりもらって終わるってアホか。
お前を選手として認めようじゃねーんだよ。
ふざけんな。
何を見せられてんだこっち。
いらんって。
だから。
レビィ対ジェイソンよりかはマシだったと思うよ。
まあね。
でももう分かんない、その辺のVSシリーズはもう。
サダコVSカヤゴが出てたあたりで、もうちょっと本当にいよいよいい加減にしようってなったし。
ホロシリーズ、カヤゴそれでもよかったね。
そんなことはないですね。
というわけでですね、本当にベッチさん長らくお待たせいたしました。
ついにですね、エイリアンシリーズエピソード。
次回に向けて準備をコシュタンタンとですね。
コシュタンタンとじゃねえ。
着々と進めておきますので、よろしくお願いいたします。
じゃあいいですか、終わって。
そうだね、ディズニープラスに入るとね。
見れますよ、全部。
大丈夫だと思います。
というわけでですね、お聞きいただきましたのは、
真夏のホラー企画最終章、ホラー映画ミッドサマー、ダニーの笑顔をどう読むかでした。
番組では皆様からのご感想をお待ちしております。
Xにいたハッシュタグリルパールをつけてポストしてください。
なお、公式Xアカウントはリールフレンズで検索。
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公式ノートもあります。
簡単な投稿フォームを用意しておりますので、そちらにもご感想いただけると幸いです。
この番組はApple Podcastをはじめとする主要なPodcastアプリで配信しております。
本日のお相手は誠。
オーバーでした。
それじゃ、またね。
またねー。
東京のリールフレンズ。
世界中の映画愛好者たちと一緒に。
01:58:58

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