なるほど
いいじゃないですか、なんかちょっと
そういうのってさ、普通さ
なんていうの
相方にさ、こういうの入れたからってさ
そういうの伝えてさ
俺マジであのQボタン押し間違えて
これミスったなっていう半分以上僕は思ってましたよ
すいませんね、なんかねミスったわけじゃないです
ちょっとなんかミスった振りもちょっと入れちゃったよ
入れてたよね
あれ?みたいな感じのちょっと表情をしてみたけど
してやったりですね
前番組も一応なんかちょっとそういうこう
ワンクッションを置いてから
オープニングが流れていくっていう風な構成だったので
ちょっとそういう余白の部分をちょっと大事にしたいなっていう風に思っております
やっぱり気持ちの準備が必要なんですよ
Real Friends in Tokyoにようこそっていう話をし始める前に
ちょっと短すぎて
今までちょっと心の準備が間に合わなかったから
ちょっと曲に余白をと思いまして
映画もそうじゃないですか
余白の時間があって
そこで差し込まれる音楽しっかり
セリフしっかりに
より奥行きが生まれていくっていう風なのはあると思いますんで
そうですね
という意味では結構映画館に行った時の
映画の予告編のCM僕は大好きですね
分かります分かります
でもさ
あれ見ないと始まんないみたいな
映画の予告以外にもさ
しょうもないCM流れません
分かる
なんかね
ペット…昔とかドギーマンとかのCMやたら入ってた気がするんだよね
タバコとかさ
そうねそうね
今はもうデジタル放送じゃないですか
デジタル放映じゃないですか
映画館行っても
昔はやっぱ映画館に行くとフィルム上映だったんで
日頃見慣れたテレビのCMを
フィルムで見る
ちょっとした趣があったんですよ
確かにね
カラカラカラカラって
そのなんか時々ノイズも入りながらの
さらりとした梅酒のCMとかが流れたりして
いやなんかちょっとちげーなという気分に浸るみたいなのが
一応映画館の映像体験の一つだったのかなっていうふうに思ってはいるんですよね
いやでも本当にもうフィルム上映が楽しめる映画館ってもうないんじゃないですか
やるんすかねどうなんだろう
大手シネコンはまずやってないですからね
しもしかしたらそのギシさんとかもさ
はいはい
いないんじゃないかね
どうなんでしょう
近隣のフィルム上映映画館
あっでもありますよ
ありますか
ありますあります
やっぱこう求める人には道は開かれるんじゃないんですか
どうしてもフィルム上映がいいっていう人を
求めないともうね
そうねやっぱ最新作はだいたいデジタルですからね
そうですね
もうちょっとフィルムを見に行くっていうテーマを決めて
映画館に足を運んでいただくみたいなこともできるといいんじゃないのかなと思いますけどね
一応あのちょっと僕は報告がありまして
番組のノートを更新してますっていう
あそうですね
あのブログサービスのノートをねちょっと番組の方で始めまして
1日1記事更新していくっていうのをちょっと自分に課すことにしました
頑張るね
僕はもう初めから言うけど1週間に1回程度
程度ね
全然いいですよ
週間に1回程度でたまに差し込んでくれればその分僕はちょっと休めますんでね
でもこれ結構なんていうのかな
大事というか僕らにとっても生命線になるんじゃないのかと思っていまして
やっぱりさこう放送終わって聞き返してみると
あーあれ言い忘れてたとか
ちょっとここ自分が意図した形と違う伝わり方しそうだなみたいな
あるじゃないですか
そうそうそういうのを後から一応さらって
文字ベースでねこういう感じですっていうのをちょっと添えられるっていう
セーフティネットとして活用することもできるんじゃないかと思いまして
そう考えるとですね
まあ一つエピソードを更新すると同時に
僕の方でそのエピソードのまとめ記事は書きますから
それと別にまこし展でのより詳しい記事と
大間支店でのより詳しい補足とかも含めた記事っていうのが出てくると
なんと1エピソード更新ごとに3つは記事が稼げるわけですよ
素晴らしいですね
で考えると別にそこまでなんていうんですかね
しんどくはなってこないんじゃないのかななんていう気がしています
確かにね
でしょ
できるじゃん
そう1日で3つ出しちゃえばもうそれであと残り4つですから
4つ余裕じゃんみたいな
いけるかも結構4つもそこそこ
まあ言ってでももう26日ぐらいまで予約投稿終わってるんで
今現在15日ですけど10件ぐらい溜まってますから
あんな全然チェックしてないですか
全然いいですよ別に
映画について日頃から思っていることをちょっと記事に起こしております
しつこいぐらいに必ずうちの番組の埋め込みリンクを貼り付けるという
うるせーってなりそうなね読み手がうるせーよって邪魔だこれって思うかもしれないけど
徹底的に宣伝させていただきますので
ぜひ興味を持っていただけるといいんじゃないのかなと思っております
Xに引き続き僕もノートの使い方もよくわかっていないので
僕が載せる記事は非常にシンプルでなおかつ何の装飾もない感じになります
しなさいよ装飾
まあ結局ね共同運営なんで
ワードでドゥルルルって書いてさ
そりゃさコピー&ペースでピッて貼り付けるだけだからさ
共同運営なので僕の方でね目次入れたりとかします
目次ぐらい入れてくれようはありますけどね正直ね
目次の入り方もよくわかんないから
すごいノートねすごい優秀ですよノートびっくりしました
結構直感操作で割と見やすい記事になりますんで
かなり簡単にいじることができるような仕組みになっております
やっていくうちに覚えてくるだろうしね
そこまで悔いにならないというか
本当にこうゼロからね
ワードプレスとかで作っていくよりは
全然初心者でも簡単に埋めできるんじゃないかなと思っております
そんな感じですかね
あとなんかあるもう一個一応番組の方で
過去番組で紹介した映画のエピソードをリプレイという形で再投稿
プレイバックさせていただいております
今回ですねプレイバック一つねファイトクラブとか上げたんですけど
調子乗ったゴジラシリーズを上げ始めたらですね
あれあの全部でその7まであるんですね
そんなやったっけそうな123初代僕はポンコツになったとき
アメリカ日本に戻ってきて
アンゴジでマイナスワンおかわり穴の7つです
昭和平成ハリウッドミリニアムシンゴジマイナスワンマイナさんおかわりの7つという風になっておりますので
まあさすがにこれ途切れ途切れでアップするのもなぁと思って7つあげたらですね
あのうちの最近の番組更新が全部ゴジラで埋まってしまって
ちょっと何が何でも今週ちょっとアップしてあげないとなというところで焦っておりましたというところで最新の映画をね
そうですね最新映画に我々が増えることはあるのかみたいなところちょっと気になっておりますけどね
僕の中で結構最新映画の一つですけどね
ちなみに僕は今日最新映画の一つであるディズニーの実写版白雪姫を見ましたよ
そっち?ビル&スイーツじゃないの?
馬鹿野郎劇場でしかやってないじゃないか
あれが劇場公開したおかげで白雪姫がサブスクに来たわけですよね
ぜひ見てくださいあの大赤字になった理由がなんとなくわかると思います
見なくてもなんとなくわかるっていう節はあるけどね
そうね不思議なもんですけど
まあそんなわけでねこれからもカラクチトークは続けさせていただきましょうかということで
じゃあ行っちゃっていいですか?
まあいいでしょう僕の動画も
話したい?頭飛んじゃったんでしょう?
まあいいや
じゃあエンディングでちょっと軽く触れられたら触れましょうか
いいよいいよ来週でいいよ
詰めちゃったんで始めまーす
はいということで本日のテーマは宮崎駿の集大成
君たちはどう生きるか?詩小説としてのジブリアニメ
インコになんてなるな!ということでね
久しぶりにインコが戻ってきたね
こんな感じでいこうかなと思います
でもあれか?またマコの言いたいことになるのか?
いやそんなことはないんじゃないかな
副題的なところでちょっと匂わせましたけれども
今回はですね君たちはどう生きるかを見ましたということで
これちなみになんですけど一応そうですね
あの特徴としては一切の広告を打たなかった
ポスター1枚出されただけでCMも流れなければ
全く前情報ゼロみたいな感じのマーケティングで
かつトトロ以来35年ぶりのスタジオジブリによる単独出資作品
一切その広告は関わらないというか
タイアップしない状態で作られた作品であるということ
そして宮崎駿監督としては2回目になりますけれども
アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞作品となっております
素晴らしい
素晴らしい海峡ですよね
そんな感じで一応前情報はそのぐらいにしておいて
ひとまずあらすじから整理していかないとね
というわけで行ってみたいと思います
よーいどん
はいということで今回は宮崎駿監督の映画
君たちはどう生きるかについてご紹介いたします
同じタイトルの小説があるんですけれども
まったく原作というわけではなく
それを着想を得たのかなっていう感じで
まったくオリジナルストーリーになっております
作品としては第二次世界大戦中の日本が舞台
母を亡くした少年の牧真人が喪失と葛藤の中で
自分の生き方を探していく物語
物語の始まりは悲しみからスタートです
人は病気で母を亡くし病気というか病気の母を火災戦火で亡くし
父の再婚相手である夏子と共に郊外の屋敷へと疎開してくる
そこにはどこか不思議な空気が流れていて
彼の前に現れたのが言葉を喋る一羽の青鷺
その青鷺は人に対して君の母は生きている
会いたければ塔へ行けと言ってきます
敷地内には謎の塔があり
そしてその塔には近づくなとその塔に
洋館に洋館洋館屋敷に勤めている
おばあさんだとかあるいは夏子さんですね
5歳も口を揃えています
そんな中ですね
人はいろいろな出来事が重なり
塔に向かって足を進めていくわけですが
塔の中に入ると不思議な異空間への扉が開いていきます
そこでは死んだはずの母の面影だったり
あるいはですね
自分の恐れを体現化したような謎の現象が
数々彼に襲わせてかかっていきます
映画の最大のテーマはタイトル通り
いかに生きるべきか
作品の中で描かれる数々の不思議な現象
不思議な生き物不思議な生態系
それらは一体何を表しているのか
表現の奥にあるものを読み解きながら
あなたもぜひ作品世界の中に飛び込んでみてください
そうすることで
宮崎駿監督の心象風景がひょっとすると
見えてくるかもしれません
だいぶ余ったね
ちょっと余っちゃったなぁ
2秒3秒ぐらいは余ったね
これなんでこんなに余っちゃったのかということなんですけど
はいはいはい
ちょっと語りようがないというか
出来事を整理するのが難しいですよね
今回の映画なんか
なんていうんだろうな
ある意味黒沢明の夢みたいな
黒沢明の夢?
え?夢って作品知らない?
知らないというか見てない
まああれみたいな感じかな
メインのストーリーはあるんだけど
基本的になんかもう
ぐっちゃぐちゃな感じ
見ます
まあいずれでいいと思いますよ
有名な作品だけど
面白いかどうかって言われたら
僕は有名だから見ただけで面白くはなかった
まあでも面白いですね
黒沢自身が見た夢を元にした
個人的題材の映画って書かれてますから
ちょっと通じる部分があるんじゃないのかな
なんていうふうに思いますね
確かに
なんでしょうね
とにかく展開としても理不尽というか
説明不足なことが非常に多いし
起きた出来事を一個ずつ説明していったところで
ポッドキャストの尺を食うだけ食って
結局何も伝わらない可能性が高いので
ちょっとなんとも言えないですよね
なんかね
見てみてくださいとしか言いようがないというか
母を探して下の世界に来るんだけれども
最終的にはちょっとなんかよくわからないですよね
彼も目的が何なのかよくわかんなくなってきますよね
だから多分元々のやつ
そのストーリーのベースに関しては
あれは多分蘇りの夜持平久坂とか
あの辺の内容をちょっとベースにしつつ
っていう感じなんだけど
なんかねだからその辺は説明していっても
どうしましょうって感じになるので
まあとりあえずね
ジャブ的なところでいくつか言わせてもらいますけど
初見の感想としては
楽しませる気ねえなっていう
正直思いました
楽しませる気はさらさらないんだなと
それがある意味では
最大のメッセージじゃないのかと
いうふうに思ったんですね
僕はこの作品作りをしていく上で
人を楽しませるか楽しませないかっていうところにおいては
全くもってそのスタンスは取ってませんっていう感じ
アートと呼べば
アート作品と呼べばアート作品ってことになるのかな
っていうふうに思うんだけれども
商業に載せるなら円溜めであってくれよっていうふうに
思ってしまう自分もどこかにいるので
そういった意味で僕はちょっとアート作品って
相当何かしらこうバシンって
最後揺さぶられるものがない限りは
あんまり好きな作品っていうふうに言わないんですよ
それで言うとちょっと今回のこの作品に関しては
あんまり好きじゃないですね
はっきり言いますすいません
あのもうね宮崎駿監督みたいな
本当レジェンドの方が作られる映画に対して
何か言うの恐れ多いみたいな空気あるかもしれないんですけども
いやもう作品に対して何を思うか個人の自由ですから
はっきり言いますけど僕は好きじゃない作品でした
でこれは好きじゃないで断ずる上では
ちゃんと理由を説明しないといけないと思うので
理由をいくつか言いますけど
正直ストーリーの分かりづらさに関しては
なんかこう観客不在な感じがしてしまうんですよね
正直要するに象徴的なものメタファーとお墓式何かが
ひたすら描かれていき読解するチャンスがない
でチャンスがあるとしたら何遍も何遍も見て
で仮説を立ててこうじゃないかあじゃないかっていうふうに考えていって
みたいな形になるんだよねこの作品って本当にもう多層構造になってるから
だから一回見ただけでは何を伝えたいのかっていうこと自体が伝わりづらい
ひょっとしたら何も伝えたくないんじゃないのかとすら思ってしまう
観客がすごく置いてけぼりになる構図だなーなんていうふうに思っていて
実際その海外メディアでも彼の作品の中で特に難解で理解されにくい作品である
みたいなことを研究しているものもあったりするんですね
それはもう僕は大いに同意をしてしまうし
あとはまあ個人的なこれも結構複大に書きましたけど
詩小説的な文脈で作られてるんじゃないのかと
非常に監督本人が日頃から見ている世界っていうものが
描かれてるんじゃないのかなっていう気はするんですけれども
それは結局本人が理解できる世界の構築に走っていて
観客がどうそれを見るのかそれを見た時にどんなリアクションをすると想定して作っているのか
みたいなところがなんとなく見えてこない
世界は美しく描かれているのかもしれないんだけれども
それが結局観客に対してどういう反応を引き出したいっていうふうに思ってるのかなって考えてみると
あんまりそこを意識してないんじゃないのか
だとすると結局それって自分のための作品作りであって
誰かに影響を与えたいっていう思いがこのタイトルほど感じられないっていうのが僕はちょっと悔しく思ったんですね
タイトルは観客に問いかけているのにいざ見てみると一体何を問われているのかっていうところが見えにくいんですよ
結局観客は何をしに来たのか自分が一番わからなくなってしまう
そんな気がしてしまいました
あとはまあビジュアルの良さですね
非常に表現の面白さは大いにあったんですけど
ジブリの底力じゃないですけどね
色彩感覚とか独特な照りがある
驚く驚しさだったりだとか
ものものすごく感じるところはあるんですけれども
結局その内側が見えてこない
ストーリーラインが難解で何言いたいかわかんないから
そういう側の美しさが帰って
なんか空っぽに見えてしまう気がしてしまうのね
そこがなんかちょっと歪に見えてしまって
一体俺は何を見たくてこれを見始めたのかもわからないし
最終的に何を見させられたのかも理解できないまま終わった
っていう風な印象がどうしてもあって
ちょっとなーっていうふうには思ってしまいました
小説なんか特にそうだけれども文学研究ではそういう路線があったわけだ
そこから今度テクスト論っていうのが出てきて
あらゆる背景にあるものその作品が仕上げられてくるに至った背景っていうものを
複合的に見ていくみたいな
テクストっていうのは世に出した時点で作者から切り離されるっていうふうな考え方なんですね
一方でやっぱり作者との結びつきでもって楽しむ作品っていうのもあっていいわけで
そういう視点で言うとこの作品もそうなんだろうなと思うんですけど
ただそれでしか楽しめない作品は違うだろうと思う自分もいるわけ
これ早尾監督が何を伝えたかったのかとか早尾監督自身のこれまでのアニメーター人生だったりだとか
なんか諸々そういうことをですね考えずにこれを見た時に
一体これ何が残るんだろうっていうそれがすごく僕は嫌なのよ
なんていうのかなこれまでいろいろ当人の表現者は自分の持ってる信念だったり
その時描きたいものを表現するわけでそれに合わせるべきこうするべきっていうこと自体がナンセンスなのは分かってるんだけど
ただこれまで僕が楽しませてもらってきた宮崎早尾監督の作品って
まあ変な話ですねこう難しいことなんて考えなくてもちゃんと楽しかったんです
作品がすんと落ちるというかストーリーラインは明確でそれぞれが何をしたいかも明確だった
だからこそ最後終わった時に良かったなとかなんか心に染みるなだとか
何かしらこういわゆる本で言うところの独語感みたいな
感傷後の書館みたいなものがしっかり残って終わっていった感じがあったんですけど
今回に関してはその裏側に描かれているものが何なのかみたいなことを諸々考えないと
結局なんやねんこれっていう感じで終わってしまうと
そうなってきた時に僕が一体宮崎早尾監督の作品の何に魅力を感じてきたかっていうと
非常にこの二面性を楽しんできた部分があったと思うんですね
子供が見て楽しいそして大人が見ると二度三度楽しいと
つまりはその深い読解力を持たずしてみても子供の目線で楽しめる何かが描き込まれている
そのストーリーラインからさらにその背景となっている何がしかのテーマ性だったり
あるいはメッセージだったりだとかあるいは監督の信念だったりみたいなものがこういうところに描かれてるんだよみたいなことが
読解を持ってして少しずつ見えてきた時にそういう意味もあったんだっていう風な楽しみ方が僕の中でのジブリだったんだよね
それを今回僕は全く感じなかったので
なんかこうアカデミー賞を取ったっていう話を聞いた時も
何を理解してどういうつもりで賞をあげたのかが僕には分からないっていう
そうねそこに関してはね僕もちょっと同意で
千と千尋の神隠しは
まさに多分そのアカデミー賞を取るべくして作った作品なんだろうなって
しかも多分狙って作ったんだろうなっていうのはすごく感じるわけよ
世界中で受けやすい家族っていうものをテーマにして
そこの自分の成長であったりとか家族の大切さであったりとか
自己のアイデンティティの確立みたいなところのすごくわかりやすい一本線があって
さらに細かいところを見ていくと
ああこういうことかっていう深掘りができる余地もいっぱいあって
さらに映像が美しく流れているから
何も考えないでポンって見た時にも全然楽しめるみたいなすごくあったし
モチーフもザ・ニホンみたいな矢をよろずの神みたいな
そういう外国人がちょっと興味を持ちそうなジャポニズム的なね
雰囲気感があって非常に意識的に海外マーケティングも考えて作られたのかなっていう気はするのは俺も思う
そうで風立ちぬになるとそのマーケティングの部分をごっそり抜き取った上で
シンプルなストーリーラインっていうところプラス早尾のこの内面的な
こうなんとかみたいなところを書いたのが多分風立ちぬで
で今回の作品に至ってはもうシンプルなストーリーラインも全部ごっそり抜かって
俺がやりたいことを書く
うぜえ!書くな!っていうもうそこだけになっちゃったから
だから僕はすごく好きだし多分この後の人生で多分
ナウシカぐらいの回数を多分これ見重ねていくんじゃないかなと思う作品なんではあるんだけれども
じゃあこれが流行るかって言ったら多分流行んねえだろうなみたいな
いうのは正直には感じる
そうなんかね面白い書き込みがあってねネットで
君たちはどう生きるかってどんな作品なのかわかんないですみたいなしょうもない質問に対してですね
これはジブリオタがこういう意味だっていうのをお互いに押し付け合って生きりあう
そういう作品でですって
だからこのタイトルは本来は君たちはどう生きるかっていう
それが本当のタイトルですみたいなこと言ってる人がいて
まあネタとしては面白いと思いましたんで
我々も今日はちょっとお互いに生きり合わないといけないみたいですよ
しかもあの、まあいいやジャブ的にちょっと言っちゃうけど
そういうジブリオタの気持ち悪さも描いたよね
そうなんだよそこが面白いよね
てかそこが一番露骨だったよね
露骨に、お前らこういう風な姿してるやってるけど
いや地味猛虜の一部にしか感じてねえぞぐらいのことをさ
言うしそれを引き入れるやつもやつでみたいな
まあでも、明らかに辞める辞める詐欺を繰り返した宮崎駿ですけども
もう多分もうやんない
そうだねこれをやって、これをやって次に何か普通にエンタメに寄った作品を撮るはずもなければ
アート的なアプローチでももうやりたいことはやりきってんじゃないのっていうぐらいのものを感じましたね今回ね
しもう多分これ以上は多分、エンタメはもしかしたらやるかもしれない
でもショートショートでやると思うんだよね
おそらく長編としては多分もう絶対といってもやんないと思うし
多分やるとしても本当にあの薄っ
トトロは深読みがあるけれどもその深読みの部分をごっそり抜き取った
本当に子供向けのトトロみたいなとかもうコナンとかさ
そういう感じの作品だったら作るかもしれないなと思ったけれども
もう内面世界を世に出すっていうのはやめると思う
そうね
まあなんかまあとりあえず行っちゃいますかねもう今回ね
そうねなんかこうどうしようもないのよ結局だから
その表番組のですねポケ沼の方でもすいくんがね
この作品公開日に見てきてその日の夜にあの紹介するっていう収録をしたんですけど
はっきり言ってポカーンですよねちょっと何言ってるかわかんねえっていう感じで終始茶化して終わったんですけど
まあそうもなるわっていう感じで取り留めもない話がひたすら進んでいくんですよね
でいろんなことが起きるけど何のこっちゃわからないと
でそういった中で我々ができることは何かっていうと
ジブリオータがよくやるですね一体どれが何のメタファーなのかということを読み取るということなんですね
ただ一応大前提として非常にこれやっぱ多層構造になってる気がしていて
一つの偶像に対して一つのメタファーが当てがわれるっていうふうなワンバイワンみたいな構造にはなってないと思うんですね
場面ごとにおそらくまた違うメタファーとして同じモチーフが使われるみたいなこともおそらくあったろうし
それが本人が意図しない形で何かを多層構造的に重ね合わせてしまったみたいなことも多分あったと思うんですね
なんでそんなことを言うかっていうと宮崎駿自身がですねよくわかんないと思いますと
私でもよくわからないところがありましたみたいなこと言ってるんですよね
作ったお前がわからんのかいって思うんですけど多分そういうことだと思うんです
本人が意図してないところで結局心象風景をおそらく作品化していく中で
自分がわからないうちにその作品に何かをあてがってしまった
あてがってしまったからそのモチーフが勝手に動き始めるっていうことだと思うんです
だからこれから切るのは一つの説であってそれは僕から見たものあるいは大間から見たもの
どんな切り口でも必ず多層構造である以上は必ずほころびは出てくると思うので
だから矛盾してるじゃないかみたいなナンセンスなことは言わないでくださいと
少なくともこの画面で見たらこう感じるよっていう話ですね
これ作るのに6年かかってるんですよ
これまた手書きでやったんですよね
だからもう本当に1秒15日とかそれぐらいかかっちゃうもんだから
夏子の顔とか初期で描いてた頃の顔と中期で描いてた頃の顔と最後の顔と全然変わってるし
表現方法も全然変わってるからだから多分6年の間に宮崎駿が最初はこういうふうにスタートしてやりたかったことっていうところと
多分作ってるうちにどんどん重ねたくなっちゃったものっていうものと
多分なんか最初のうちはこう思ってたけどなんかちょっとやっぱ違ぇやみたいなところのエンディングの部分だったりとかっていうところと
多分いろいろあるから多分ねこれはいろんななんかね
某なんかふくよかなメガネのおっさんとかさ
いろんな人が嫌いの嫌いの言ってると思うけども多分全部あるんじゃないっていう見方が多分一番面白いと思うよっていうのを
いろんなの見てああなるほどそういう見方もあるねそれも面白いねっていうのが多分これの一番の楽しみ方だと思う
まあそんな感じで行きましょうかねどっちから行きますまあ今回はあのちょっと待って
僕から先に言わせてください
一個だけ言います
一個だけねあのスイ君が前回の収録っていうか
ポケ沼の方で
ポケ沼の方で語ってたところで全然答えないんだよねって言ってたところの
僕なりの考えを一個だけちょっと話してからもう全体像に行きたいんだけど
スイ君の疑問が何かっていうと君たちはどう生きるかで明らかに多くの鳥が出現してるんだけど何で鳥なんだろうっていうところ
で
これ言ってしまうと今までの宮崎駿監督作品だったら
絶対に豚をはじめとした動物が出てくるはずなんだよ
で今回鳥にしてるじゃない
だから割ともう
もう
いいよお前ら何言ってもわかんねえだろうっていうある意味突き放しにも僕は感じたのね
でその鳥のね
なんかこう存在としてなんかまあ宮崎駿がところどころで語ってる内容としては鳥は自由に羽ばたく存在で世界を飛ぶ存在なんだ
で世界を跨ぐ存在だっていうことを言ってるんだけれども
まあ今回そんな鳥のことを結構ベタボメしてる宮崎駿が鳥をこき下ろしてるんだよね
今回ものすごくでさらに言うとペリカンが途中で言ってるようになんか飛ぶことをどんどん忘れてってんだとか
伊津玉はもう飛べないみたいなことも言ってるしこれあの物のけ姫で言うオッコトヌシが同じようなセリフを吐いて
どんどん言葉を忘れていって馬鹿になるこのままでいらねえみたいな
ちょっとクオリティ高い
人口を返さなくなって体も小さくなっていったっていう話ですね
っていうのと多分重ねていってて
やっぱりこの豚だっていうのがそのやっぱり霊族だったりとか社会に飲まれた存在っていう風にある意味こう
だけどもちょっとチャーミングで面白い存在でもあるよねっていうところで豚をずっと使っていた
だから紅の豚だったりとかその千と千尋でも豚を使ったりとかっていうのがあったんだけども
人間らしい愚かさとかっていうところを今回全部排除して鳥にしたっていうのはもう茶化すことすらしなくて
もういいよお前好きにしないよ
俺はもう知らんぞっていうようなところも言いたかったのかなと
でそれぞれの鳥が何のメタファーかっていうのはこの後に言うので
とりあえずそこから多分なんで鳥なんだろうっていうスイクの疑問に関しては僕の視点だと
もう宮崎駿は茶化す気がありませんっていうそこなんだと思う
分かりましたじゃあ僕で僕ちょっともう行きますよ
僕はジブリファンでもなければジブリオタクでもないので僕なりに考えたことをいくつかお話ししたいと思います
役割とか登場人物とあとメタ視点の象徴的な意味っていうところをちょっと整理まずしていかないとなというふうに思ったんですね
今回下の世界みたいなよくわからないところに潜り込んでいくんですけども
王子と呼ばれる人間がいてそいつが一応この世界の主君みたいな
殿様みたいな感じの立ち位置にいるわけですよね
やっぱり多くの人がこの王子は宮崎駿自身だと言っているように
そういうことなんだろうというふうに創造者設計者で
それを積み上げてきた人物であるとその創造力という遺産を誰に残すべきかみたいなことを悩んでいるみたいな
宮崎駿がスタジオジブリをどうしようと思ってるのかみたいなことがそこに当てがれてるんじゃないのか
みたいなことを言う人が多いと思うんですね
僕自身そういうことなのかなっていうふうに軽く考えました
そこはあんまり深めても楽しくなかったのでむしろそれ以外それがじゃあ仮に宮崎駿自身だとしたら
それ以外が一体何になるのかなっていうことを考えていくと面白いんだろうなということで
真人ですね主人公真人これ一体誰なのか
シンプルに宮崎駿氏の意思を継ぎうる人間であるというふうに考えると
ポストジブリ世代とでも言いましょうかジブリを見て育ったですらないというか
これからアニメ界をさらに背負って立つようなジブリの影響家にない人間っていうふうに考えても面白いのかなと
少なくとも若き表現者を目指す人間であるというふうに考えたいんですね
なんでそういうふうな話になるかというと彼は結局母を求め続けるんですよね
母って一体何の記号なのかなっていうふうに考えると
やっぱりね今回その父と母とそして母の後に来た5歳の夏子も妊娠をしていて
つわりに苦しむみたいな描写があるやっぱり母っていう記号は物を生み出すことができるわけじゃないですか
これはまさにそれに伴うつわりなんかもそうだけれども産む苦しみを知っている
物を生み出す力のことを指してるんじゃないのかというふうに考えると
人がひたすら母を探して求め続けるっていうのは物を生み出す力が自分自身にも欲しいという
表現者として何かを生み出したいっていうふうな欲求のメタファーなんじゃないのか
みたいなふうにちょっと思うと人がジブリ世界に迷い込んでいく
宮崎駿が積み上げてきた王国に迷い込んでいくっていうのは
自らも表現者を目指していくうちにそのスタジオジブリが築いてきた遺産みたいなものに触れていくっていうふうな過程を描いているのかな
なんてことをちょっと思った
そんな人にやたらと突っかかってくるのがインコですよね
これはもう多分余計に何かしらのことを考えなくても厄介なジブリファンにしか見えないんですよ
本当にこのジブリが積み上げた空想世界の中に住み着いてそして何もかも食べ尽くすんですね
彼らは結局その世界を愛してやまないわけですよ
だからこそその世界が自分たちの思い通りのままでいてほしいし
そこにあるものをひたすら食い続けて膨れ上がっていく
創作をただ消費する存在として描かれてるんですね
これってまさしく厄介なジブリオタニーしか見えないんですよ
結局何も生み出すことはない
何も生み出さないけど消費するものだことに関しては他に出るものはない
ジブリが作り上げた世界のすべてを食べ尽くそうとする
その上でこれからのジブリっていうものをどうするかみたいなことを
この世界の創造主であり経営者でもある大王子が何か決断をしようとすると
消費者でしかないのに物を言ってくるし
姉妹には自らそれを奪い取ろうとしてくるっていうこの傲慢さ
相当宮崎監督はインコ嫌いだなっていう
あえてインコって言いましたけど相当インコ嫌いだなーっていうのが伝わってきました
さらにそこに加えるとするとさ
青崎が扇動してる恋のあのシーンとか
カエルがこうわちゃわちゃやってくるっていうのは
ジブリオタクたちがこうだって言ってるのも
まだジブリオタクたちは多少は考えて物を言ってるけれども
そうだそうだ行こう行こう行こう行こう
みたいな感じでただ単に繰り返して
言ってるこのなんだ
うぞうむぞうたちみたいなのを表してるようで
これ通列に批判してきたなって
すごいね
なんかこうジブリオタっていうものが生み出されてきたわけなんだけれども
だからこうジブリファンを指してるわけじゃないと思うんですよ
ジブリ作品を愛し
そしてその作品に何かこう触発されて何かを作り出してきた人たちに対する
多分愛はあると思うんですね
めんどくさいのはその自分自身がこの作品を作り上げているにもかかわらず
そこにただ楽しむだけの存在が食ってかかってくるっていうことに
やっぱりものすごい嫌悪感があるんじゃないのか
みたいなことをちょっと感じましたよということが一つ
あとはですね老女ですね老婆の皆さん
あれは一体何だったのかちょっと僕にはよくわかんなくて
スタジオジブリを支えてきた職人たちなんじゃないのかと
いうふうになんとなく思いました
その後彼女たちが地下世界ではお守りになってたりするし
なんか結界みたいなものを張ってるわけですよね
しかも人をずっと見守り続けているわけで
後継者を見守るというかこれから表現の世界に歩み出そうとする人を
守ってくれる先立つみたいな感じでちょっと僕は感じました
ここから僕が特に言いたいことなんです
僕はやっぱりねこのわらわらとペリガンっていう
ここすごい僕は気になっちゃって
わらわらは一体何だったのか
でわらわらっていうなんか変な白いポップキャラが出てくるんですよね
隅っこ暮らしみたいな 楊 そうそうそう
でこいつらがなんかよくわかんないけど
すいすい泳いでたりしてでなんかこう魚を食うんですよ
気持ち悪い魚ね腹股がパンパンに詰まった気持ち悪い魚を食べて
で大きくなったらなんかこう空へと上がっていくと
でまぁ死者の魂なんじゃないのかみたいなこと言ってる人もいたんですけど
僕はねなんかあれがその大王子が作り上げた創造の国であり
それが宮崎駿監督が作り上げてきたジブリの世界のメタファーなんだとしたら
だとしたらねだとしたらわらわらはこれから世に生まれいずるアイディアの元なんじゃないのかと
スタジオジブリによって育まれた栄養分を取り入れて
それが世の中へと上の世界へと生み出されていく
ところがペリカンがそれを食べていくんですよね
ペリカンはじゃあ一体何だったんだろうなっていうふうに考えた時に
僕はですねこれあのアニメーションの黎明期から復興ですよね
それを支えてきたクリエイターたちの成れの果てなんじゃないのかというふうに思ったんです
これ一体何なのかっていうと結局アニメって本当に僕らね
アニメの進化というかアニメが社会的にどんどん広がっていくのを見てきた世代でもあるわけじゃないですか
もちろんね遡れば手塚治虫の鉄板アトムテレビ放送会社あたりから
アニメっていうのはバーって広がっていくわけなんですけれども
結局アニメ産業っていうものをより大きくよりメインなカルチャーにしていくためにですね
必死にこう創作活動に取り組んできた偉大な先輩方のアニメーターたちがいるわけですよ
当然その中にはですねなんかすごいボーって音したね
ごめん今お湯を沸かしてる
もうさあ生活感よ
まあまあまあいいとしてね
まあね早尾監督以外にもいろんなアニメーターたちがアニメをメインカルチャーにするために必死に頑張ってきたわけだ
その創作活動に頑張り続けるってことはとてもいいことなんだけれども
やがてそれが消費社会の中でかえってね
その消費社会に支配されるようになったらどうなるのかと
やがて飛ぶこともできなくなる
宮崎駿監督やっぱ空が好きなんですよ
これまでの作品でもひたすら空が出てくるし
空想機械によって空をひたすら冒険し続けたし
やっぱり空っていうものに対する憧れがあるから
ある意味では空に飛ぶっていうことは
やっぱ自由な空へと想像力を広げていくイメージが多分あると思うんだよね
だからペリカンたちも当然アニメーターたちのメタファーなんだとしたら
初めのうちは飛ぶことを覚えていたわけだよね
ところが結局消費社会の中でいかにね
次の作品を作らなきゃ次の作品を作らなきゃ
売れる作品を作らなきゃ
見てもらえる作品を作らなきゃ
出資してもらえるようなアイデアを組まなきゃ
みたいな風に消費社会の中で本来自分たちが作りたかったもの
つまり自分の想像力を広げて作り出す作品ではなく
よそから頼まれて作られるような作品
よりマネタイズできるような作品っていうものに
だんだんと取り込まれていってしまって
その中で自らの中の想像性っていうものを失っていってしまう
そうすると結局魂なき作品を作らざるを得なくなってしまうね
そんな彼らにとってはこの想像力の世界っていうのは地獄でしかないんですよ
ペリカン自身が言ってるわけですよね
結局どんどん空も飛べなくなっていく
そしてまさに地獄でしかないと
わらわらを食べるしかない
誰かが作り上げたアイデア
お魚が少ない
そういうことなんですよ
だから創作の元になるね
お魚を獲るような意欲はない
結局このわらわらっていうものを横取りするわけですよね
世の中に出ていこうとするようなアイデアを横取りしてなんとか食いつないでいく
そしてそんなペリカンがですね
墓場に群がるシーンがあるじゃないですか
あの墓場には一体何が葬ってあるんだろうみたいなことをちょっとやっぱり想像するわけですよ
それがですね
もし仮にですね
スタジオジブリ世界における墓だとしたら
僕はそこに詰まっているのは
役目を終えたキャラクターたちだと思うんですよ
もうすでに作品として描かれて
その作品でもって何がしかの評価を得て
そしてスタジオジブリとしては
お墓に綺麗にしまってあるような作品なわけですね
そこに群がっていくペリカンを見ると
結局役目を得たキャラクターたちを資産として
ノッサルジーリサイクルに賭けようとする
そして使い潰そうとするという
まさにねターミネーターシリーズを思わせる構図が見えてくるんですね
なんかそういうふうに見ていくと
ペリカンって結構象徴的な
やっぱりお前も想像するクリエイターなんだろうと
お前も作り手なんだろうとだったら
この消費社会の中で自分が作りたいもの
自由な空に羽ばたくことを忘れたらあかんやろ
っていうのを言いたいのかもなーなんてことを思いました
そしてわらわらがペリカン食べるときに
ヒミが出てきて
火の魔法使いみたいのが出てきて
火でペリカンを退離するんですね
それに流れ玉でわらわらも死ぬっていう
それを見てマキマヒト君がドン引きするっていうシーンがあるんですけど
わらわらも燃えてるやん
わらわらも燃えているみたいな
みたいなことを言ってんだけど
あれも結局のところ
消費社会の中でアイディアが食いつぶされていくのを止めるためには
いくつかアイディアも切り捨てないといけなくなるよねっていう
だから消費社会の食い物にされるぐらいならこのアイディアは使いませんみたいな
そういうドライな判断もしてきたんだぜ俺はみたいなのが
なんとなく僕は感じましたよ
最後ジブリ王国が崩壊していくわけじゃないですか
増長したジブリオーターであるインコ将軍みたいなやつによって
壊されるわけなんですけれども
俺にだってできるみたいなことバーってやって
いやお前にはできねえだろみたいな感じでね
結局増長したジブリオーターたちは最終的にインコたちですね
もう壊れた世界にはいられなくなって現実世界に出てくると
一般的に知られるインコサイズになっちゃうわけですよ
空想の世界では偉そうにめちゃくちゃでかい存在であるかのように振る舞えるけど
お前ら現実世界に戻ったらたわいもない小鳥に過ぎないんだぞと
しかも俺そこでさすっごいこれ皮肉だなと思ったんだけど
必ず鳥が飛ぶシーンで
多分これリアリティも意識してるってところなんだけど
必ず糞をしてるんですよ
必ずインコをびっちゃびちゃにするのね
お前らはもう賄賞なインコでしかないし
もう糞尿を撒き散らして生きてる汚ねえ
しょうもない奴らなんだぞっていう
そういうすごい通列なメッセージに感じてしまうんだよね
なんかすごいなっていうのを感じました
あとは本当に僕が言えることって少ないのも全部言っちゃいますけど
そうなってくるとやっぱ気になるのが青鷺ですよね
青鷺のあいつ名前なんて言うんだっけ
青鷺でいいか
あるいは愛称としては君行きバード
君行きバードね
あれは一体何だったんだっていう感じがしまして
僕なりにじゃあ一個答えを出しておこうと思って
青鷺は映画というフレームそのものだったんじゃないのかと
いうふうに見ます
まず一つとしては青鷺が結局異世界の門へと導いていくわけじゃないですか
青鷺なくして作品は始まっていかないわけですよね
現実にいる人を空想世界である下の世界へと導いていく呼び水として青鷺は機能しているわけで
これって結局映画っていう異世界に我々を招き入れる
映画館というフレームがまさにぴったり来るんじゃないのかなと思うわけですね
なおかつ語りの主体になるわけじゃないですか
何か行くたびにここは何とかがどこだみたいなことを言うわけですよ
一貫して自分が誰かっていうことは語らないのにもかかわらず
物語の中では骨子をすごい説明してくれる存在
だからこれは映画っていう媒体が物語の内側だったりあるいは外側っていうものを構築して
それを我々観客に近くさせるっていうそういう機能を持っていることを考えると
映画のフレーム感があるなと
さらに3つ目ですね
映画の終焉とともに姿を消していくわけですよね
私は取り戻るよみたいなよくわかんないこと言って
もう何だっけ最後何だっけ
どうせすぐ忘れるぞ甘えよ
って言ってなんか飛んでいくよね
ちょっとよくわかんないんですけどあいつ本当に何が言いたいのかなみたいな
ただでも語りが終わって物語が終わったら結局姿を消していくわけじゃないですか
映画としての役目は終わるわけですよねっていう
さらにどうせすぐ忘れるっていうのも
言うなればこの作品で描かれたことなんて観客はすぐ忘れるだろうと
君らが作品に対してなんかどうこう言うけれども
所詮はすぐ忘れて消費していくだけだろうみたいなことを言った上で姿を消していく
映画っていうその枠組みで物事を語ることの限界を
宮崎駿が言ってるのかなみたいな気がしてきたんですね
そうすると宮崎駿はこの作品で語ることの限界っていうものを
この青鷺を通して表現したのかななんていうふうに思って
王子はですね党の経営を誰かに委ねようとしている
その上で青鷺はもうどうせすぐ忘れると言いながらそのまま退場していくっていうふうに考えると
ジブリが今まで積み上げてきた映画を通して物事をメッセージに載せて
人々に届けるっていうこの構図は
宮崎駿はもうやめますっていう宣言になんとなく感じられてしまう
映画には限界がある映画でどんなに語ったって君たちは変わらないだろうとどうせすぐ忘れる
そういうことをこれから先続けていく気はもうありませんよと
じゃあ一体どうするか君たちはどう生きるんだ
君たちすなわちこれから表現をしていくであろうクリエイターを目指すお前はどう生きるんだと
この映画は宮崎駿の映画の中ですごく異質な作品であるっていうのは
多分冒頭にも言ったけども
もう一つ異質な作品であるっていう面があって
今までの作品すべてって社会がどうあろうとお前の選択をどうするか
お前の考え方はどうなのっていうことしか歌ってなかったんですよ
だから社会はどうやっても変わんないから
お前が変われっていうあるいはお前が気づけっていうような作品のことを言ってたんだけども
今回の君たちはどう生きるかは
集団に対して物事を語りかけてるんだよね
君たちはっていうタイトリングもそうだし
最終的にマヒトが答えを出したのも
友達を作ります
そして何とか何とかしていきますみたいな
私がどうするかじゃなくて
私とその集団によってどうするみたいなことを言っていて
だから今まで宮崎駿がこの世の中ちょっとやべえんじゃないのそういうのってとか
惰性で動いてる人間たちの現代人ってもうクソだみたいなことを
言い方悪いけども説教をずっと作品を通してしてた部分があったんだけど
今回の作品でもういいよお前ら好きに生きなよ
多分俺らのやってたことって
多分君らの時代には通用しない考え方だったんだっていう
着地点に行ったんじゃないかなと思うんだよね
どっから行こうかな
始まってなかったんだ
始まってなかったの?
まだ序章も序章なんだけど
まずどうしようかな
宮崎駿がまず
ポテチ食うわ
食べながら聞くわ
最初のマヒトが
行こうって世界に誘われたところ
これっていうのが多分世の中に進出していくっていうところで
そのインコの世界その社会に飲まれていった中で自分がどう生きていくか
さらに積み木を積み上げなさい
3日に1個でゆっくり積み上げなさいよ
結局はその積み上げるっていうことも放棄して
その石はもう自分には汚れているから触れない
だから自分は自分の生き方を原生でやっていきますよみたいなところを言って
エンディングっていうところだったんだけど
やっぱりこのマヒトが
どういうふうな選択をしたかっていうところが
多分今までの宮崎駿作品だったら
マヒトが個人的な選択をしてどうするかっていうところだったんだけども
今回の作品だと
マヒトを含めた新しい人材たちっていうのがどうしていくのっていうところを描いていて
多分だけども王子が作った世界っていうのが
今現代社会でいう
今の日本を動かしていたりとか
社会を作っているある程度の年齢層の人たちの
旧世界って言った方が正しいかな
っていうのが
インコたちの世界鳥たちの世界っていうのがあって
それとは別それを支えるために
王子みたいなおじいちゃんが
あんな歪なの絶対にいつでも崩れるだろうっていう積み木を
しかも王子も本をいっぱい読んで勉強して
ものすごく頭のいい人だったって言ってるんだけれども
そのめちゃめちゃ頭のいい人ですら
あんなに別の組み方しかできない積み木っていう
だからそのいろんな人が集合し
頑張って頑張って頑張って積み上げていったものなんだけれども
今の社会そこはそんなに
用事でもわかるじゃない
どう積み木を積んだら安定した積み木になるかみたいな
あんな四角の上に丸を置いてさ
そのぐらいに四角なんか積んだら
それは崩れるだろうバカでもっていうのを
あの王子がやってるっていうことは
もう多分今の社会ってのは
そういう積み木を鉛筆でトゥンってしたら
すぐ崩壊してしまうぐらいの危ういものになってきてるんだよ
だからやっぱり一から積み重ねなきゃいけない
これは無くなる石を集めてきたから
って言ってるんだけども
でも
一つは真人の選択で
その傷をちゃんと自分で認めたっていうこと
自分っていうのは清廉潔白な人間ではありません
だからそういう後ろめたい部分暗い部分っていうのは
自分の中に内包しているものなんです
でそこも一緒に生きるんだよ
っていうところのメッセージを与えたっていうのが一つ
あともう一つは
友達を作りますとか
あばよ友達みたいな感じで
この青崎が言ったセリフと
あと真人が自分自身で言ったセリフ
これからの社会を
多分自分ら真人を投影した
この観客たちっていう
新しい世代っていうところになってくると思うんだけども
その人たちが積み上げていくときにどうすればいいか
もう個人の力じゃどうにもならないよね
だから友達つまり
自分と同じ意思を持った仲間たちを見つけて
仲間たちと一緒に社会を構築していくっていう風なことを
していきなさいよっていう
多分大きく分けてこの二つを
宮崎駿が言ってたんじゃないかなと思うんだよね
だからこそ観客を真人に投影させると
青崎が宮崎駿自身になっていくんだよね
こっちの世界
だから旧社会の方いいじゃん
来いよって言っといて
最終的には離れていかなきゃいけない存在
だからその旧社会に乗っ取った
下の世界たちっていうのは
それをそれで素晴らしい世界を作れていったんだけれども
今現実に起きようとしているところの
現実ラインで生きようとしたときに
もうその旧社会っていうのは
もう今の現実っていうところと
理想と現実ぐらい
全部対極してきちゃってる
だから宮崎駿自身はその旧社会の中で生きてきたから
その旧社会の素晴らしさも知ってるし
力強さも知ってるし
いいところっていうのはいっぱいあるんだけども
いやでもごめんけど今の世の中になったときに
その昔の良さだったりとかっていうのは
引き継ぐことはもう無理だよと
そこがビビッドなカラーでわちゃわちゃやって
なんかあっこでも僕かなりホラー味が強かったと思うんだよね
インコあの可愛いんだけどさ
最初にマヒトが鍛冶屋で会った時にもさ
マヒトを連れて歩く時にも後ろに包丁だのさ
ステーキの使う
なんていうの?二股のステーキのあれ
フォークでいいんじゃない?
日本のフォークね
持ってたりとかさ
僕はすごく大好きであっこのシーン何個も繰り返したんだけど
大叔父がさ
それでこそお前が継承者だ
みたいなこと言った直後にさ出てくる包丁研いでるインコ
あれ可愛すぎて僕大好きなんだけどさ
舌ペロッと出して
ああいうのとかを見るとすごいホラーテイストにすごい作ってきたし
よほどやっぱりインコ社会っていうのの恐ろしさを
割とわかりやすく見せたかったんじゃないかなっていうのがすごく感じるんだよね
インコが一番記号化されててわかりやすい気がしましたね
でもコミカルでしたね
背中に包丁とか隠しながら案内するシーンとかさ
そういう意味では
子供に見せる映画だっていう視点は宮崎駿を捨ててなかったなっていう気がする
多分そのストーリーラインとか
中学生以上とか高校生以上ある程度物事を自分で考えて
物事を自分で行動していく世代っていうところになっていくと
しっかりこの映画を咀嚼しないと
面白くもなければなんだこれっていう感じになるけれども
幼児が見たらインコがいるかわいい
ポコンって殴ったみたいな
そういう映像としてのキャッチーさみたいなところの
やっぱり子供向け映画を作ってきた人っていうところが
視点は絶対崩してなくて逆にそのキャッチーさを持って
この映画を小さい頃から何回も見ていく
何回もって言っても宮崎駿自身が
ジブリ作品なんか年一回でいいんだみたいなことを言ってるから
多分何年間に一回ぐらい
そういえばあんな作品あったなって見返していったときに
少しずつこの作品を通して
世の中への生き方だったり考え方だったりとか
っていうのを自分の実態として
身につけられるようにしていけるように
したっていう面ももしかしたらあるかもしれないなって思う
ただトトロみたいにはならないよこの作品は
どう考えてもどう考えても
トトロには勝てないなっていうふうに思いますね
作品の性質が違うって言ったらそれまでなんですけど
物を作るということは非常に難しいことだし
やっぱりそこには苦しみが伴うんでしょうね
それは宮崎監督が何よりも感じてきたことだと思うし
それをもっと正面から捉えろと
形から入るなと
己の本質から入れよというようなことを
この作品を通して言いたかったのだとしたらですね
研修で流してほしいですね
全国の映画館じゃなくて
ジブリの研修でね
ジブリに限らずですよアニメーター全体にね
研修動画としてこれをあなたどう見ましたかっていうのを
書かせるとかさ
それでいいんじゃないのかなとか思っちゃったりしますけど
映像美は健在だったので非常に面白かったし
アカデミー賞取ったっていうことでね
こういう作品を見てみて
こういうアニメもあっていいんだみたいな
多分広がりをもたらしてくれるような作品にもなるのかなって気がするんですよね
象徴的な描き方が多くて
一方でですね
僕は多分もう見ないので
見ないの?
もう見ないです僕は
もうDVD予約しちゃったよ
僕はもう見ないですね命かけていいですね
多分見ることは二度とないと思いますので
真子ちゃんが僕ん家来たらこれずっとエンドレス流すわ
全然いいですけどね
BGVとしてただ流されてるだけになりますけど
本当にちょっとやっぱ苦手だなと思っちゃいました
もののけ姫が恋しいです
あの辺が一番僕の中でバランスが取れてたなって思っちゃいますね
こういう素人の意見もですね
大事にしていただきたいんですよ正直
本当に
ただやっぱり早尾監督自身がやりたかったことをやったわけであって
そこに何を思うかも僕の自由ですから
ただやっぱりだからこれはダメだ
もっとこういう作品を作れやれ
俺でもできるって言い出したらインコになっちゃうんで
そこまで求めることはなく
僕はあくまで独りよがりにこの作品はそんなに好きじゃないと言い続けるというお話でございます
僕これ大好きだったけどな
そう思えない全く
ワクワクしないんだもん
僕はさ恋とかカエルだからさ
あるいはインコだからさ
宮崎駿の中で
王子に叱りつけられたわけよ
人に正論ぶちまけられたらいいっていう
ドM精神でこの作品を見に行ってるからさ
だからいくらでもこう
ああそうですよね先生みたいな気持ちになれるけど
そうじゃないと多分ね見りも面白くない
そうなんだよねだからやっぱ難しいよ
だからやっぱり宮崎早尾監督ジブリというよりも
宮崎早尾監督に興味がある人が見ると
宮崎早尾監督に興味がある人が見る作品なんだろうなっていうところに落ち着きますね結局ね
ある意味アニメの作品だよね
そう考えると
この作品に出てくる全てのキャラクターが
宮崎早尾監督のオルターエゴなんじゃないのか説っていう
本人の心象風景を描いてるんだから出てくるのは全員宮崎早尾なんですよ
っていう風に考えたら逆にそれもそれで面白い読みになるんじゃないかって気がしていて
スタジオジブリ作品に誘っていく青さぎとしての宮崎早尾がそこにいるし
そして自分の創作の源流にあったこの熱意が
象徴として母親という姿で出てくるし
そして常に新しいものを探求し続けるさ
若き日のこの
突き動かされるままのオルターエゴとしての巻き間人がいたりとか
っていう風に考えるとそれはそれで面白い読みになるかもしれないですよね
自分の邪念をかぶらやで払おうとするみたいな
自分の本当に心象風景の中での様々な攻め合いが
そのまま作品になっているのかもしれないし
っていう風に考えていくといくらでもいろんな読みができてしまうわけで
そういうプロセスをひたすら宮崎早尾という題材で
やり続ける覚悟がある人は見てくださいっていう話だ
それはもうみんなやろう
楽しいから
そういうことですね詩小説としてのジブリアニメなわけですね
ここはね
全く持っていても
正直やっぱりこのキャラクターたち
その因果で表現したっていうこともそうだし
ここまで分かりにくい作り方をしたっていうのもそうですけど
宮崎早尾は割と多分ずっとうんざりし続けてきている人でもあるんですよ
作品を作ってはこの世の中の考え方がどうなんとか
現代社会における人の堕落だみたいなことをずっと言い続けてきている人
もう何言ってもお前ら分かんねえじゃん
もう助けにしろよみたいな
そういうところも伝える気は多分妄当ないんだよ
これを見てちゃんと理解できた人だけ理解すればいいし
別にこれを見て分かるやつが詩小だとも思ってないし
俺はこういう考え持ってて
これ読み取れたらそれはそれでいいし
それはもう読み取れなくてもそれはそれでいいし
もう助けにしろよって
俺はもう引退するからっていう
大きい手紙ですね
大きい手紙ですね
そんな感じがしました
定調に読んで多分読み返すことはないので
僕はもう以上です
僕はもう以上です
もう以上ですか
まだ語りたかったらいいですけど
何かありますか
最後の一言ってやつ
最後の一言でいいなら振っちゃうけど
もうちょっと語りたければ語ってもいいですよね
ごめん何か
何か言ってほしい
何か言ってほしい
語りたければ語ってもいいですよね
音声だけが飛んだ
音声だけが飛んだ