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今日のテーマトークは、『アリスとテレスのまぼろし工場』です。
では、解説、大石さんお願いします。
はい、えーと、EGA.comより拝借いたします。
あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らないなどの脚本家で知られ、
さよならの朝に約束の花を飾ろうで監督デビューした岡田まり監督の第2作で、
呪術回戦のアニメーション制作会社、マッパとタッグを組んだオリジナル劇場アニメ。
製鉄所の爆発事故によって、すべての出口を閉ざされ、時まで止まってしまった町。
いつか元に戻れるように何も変えてはいけないというルールができた。
変化を禁じられた住民たちは鬱屈とした日々を過ごしている。
中学3年生の菊入雅宗は、謎めいた同級生、相模六美に導かれて、
足を踏み入れた製鉄所の第5航路で、野生の狼のような少女、五味と出会う。
呪術回戦のえぬきじゅんやが主人公、正宗。
私に天使が舞い降りた、の上田玲奈が同級生の六美。
リコリスリコイルのくのみさきが謎の少女、五味の声を担当。
制作人にも副監督の平松忠。
キャラクターデザイン、創作画監督の石井由理子。
美術監督のトウチカズオラ。
さよならの朝に約束の花を飾ろうのメインスタッフが再結集。
空の青さを知る人よ、の横山勝が音楽を手掛ける。
はい、それではここから内容に触れる話が入っていきますので、
まだ見ていない方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
はい、では最後の感想を。
マリオさんいかがでした?
はい、えっとそうですね。
岡田マリーは大好きなんですけど、
もうすっごい大好きなんですけどね、はい。
で、今回見て、もうすっげー大好きなんですけど、
もうすっごい本当に何にも隠す気ないなこの人みたいな。
びっくりするわってくらい、もうピロゲジャンみたいないろんなものがみたいな感じでちょっとびびりましたね、本当に。
なんかテレとかないのかみたいなレベルでちょっと全部出し切ってる感じがとにかくすごくて、
もう設定からして世界系的な文脈でも大好きなんですけど、
まあその変化の越してはならない世界で恋が、恋の力がその世界に亀裂を入れていきっていう話はまあすごく、
まあ世界系では結構ベタな話っちゃうか、まあよくある感じではあるんですけど、
岡田マリーがやるとなんでこんなにねじれてくるのかなっていうのが本当に面白くて、
もうすっごいねじれてるわ、ドロドロしてるわ、
なんか本当になんかただごとじゃないっていう風になるのが本当にいつもすごいなって思ってて、
最後とか本当にあのセリフよう書くなって思いましたし、
すげーなーって思いましたし、
あの傷シーンの長さは何なんだろうなーとか、本当にすごいなーっていう、
そうなんかすごい、本当に深海誠ってちゃんといろいろな方面にチューニングをしようとしている人なんだなってすごい思う、
相対的に思えるというか、っていうレベルで本当にもうそのままというかもう本当にすげー大傑作作ってくれたなっていう感じでした、はい。
03:02
やっぱ好きやろうなとは思ってました。
まあそうなんですよね、そうなんですよ、これもう僕用の話と言いますかね、感じがするのであんまり。
はい、では大石さんいかがでした?
そうですね、いやもう本当になんて言うんでしょうね、強烈な話見たなって感じがするんですけど、
世界系作品それこそ深海誠もそうですけどいろいろ、深海誠監督の作品もありますけど、
いろいろある中で岡田まりさんの作風というか特徴って何だろうなって考えた時に、
多分ちょっと生々しいさというか性愛だと思うんですよ、僕は。
岡田まりらしさって何かって考えた時に。
恋愛っていうところで世界と繋がるっていうことは結構深海誠監督とか他の作品でもあるんですけど、
なんか岡田まり作品にはそこにプラスアルファでちょっとよりリアリティのあるというか、
より生々しさのある性愛描写が来るなってイメージがなんとなくあって、
それはその空の青さを知る人よみたいな青春っていうものが真ん中にある作品でさえ、
そういう匂いがたまにするっていう感じがあるんですよ。
で、なんか本作は本当にそれ全力のっかりというか、なんて言うんですかね、
それがめちゃくちゃ前面に出てるのがまずびっくりしましたし、
なんていうかそんな政宗奪い合うみたいな展開になるとちょっと思ってなかったんで。
あーそっちに来ましたかっていうのもまずびっくりって感じでしたね。
あともう一個ちょっとびっくりしたのは幻側の話を描くんだとちょっと思って、
普通リアルな人がそっちの世界に行って帰ってくる話をすることが普通デフォルトだと思うんですけど、
消えていくあるいは存在しない側の話として描くんだっていうのはちょっと、
なるほどと思いつつびっくりもしたっていう感じですね。
なるほど。ちょっとあの作品っぽいなっていうのがあるんですけど、
触れたらネタバレになるんだよなみたいなのが。
僕もなんか思い浮かんだ作品があるんですけど、
ちょっとこれ言ったらネタバレになるか言えないっていう問題が本当はありますよね。
あーなるほど、なるほどそういうことか。
必要であればカットするので収録上は普通にしゃべりましょうか。
そうですね。
僕はですね、まずこの3人案件やなっていう感じがめちゃくちゃあって、
いわゆる案件やなって思いながら見てたんですけど、
あと同時に前さんいてほしかったなって気もしました。
ちょっと突っ込みを入れてほしいなって気もしてはいるんですけど、
逆にこの3人でやる以上はどっぷりの方でいってもいいかなとは思ってます。
ただ、本作僕正直むちゃくちゃやなと思います。
よくこんな自分勝手な話を。
自分勝手っていうのは話の内容が自分勝手ではなくて、
06:01
話の作りが自分勝手やなっていう風に思って、
説明もせんし、いろいろ置いてけぼりなんですけど、
だからこそ語られてることは確かにある話になってるかなとは思います。
ちょっとね、ただ気になるとこは多いなっていう気持ちはあって、
僕見てて思い出した感情が、
龍と蕎麦菓子の日々見たときの感情に近いなと思ってて、
最終的に語られるテーマはめちゃくちゃ好きなんですけど、
ところどころそれはよくなかろうみたいなことが多いっていうのは印象としてあります。
確かになっていう。
僕はそのスタンスで話できたらいいかなとは思ってますかね。
あとお便り3通いただいてますので、
順番に紹介させていただきます。
では、マリオさんお願いできますか。
ありがとうございました。
けんけんピンピンさんは、
この収録の前に映画の話しさすぎる場オンラインの方に参加いただいて、
みっちり話してきたんですけれども、
日の意見でめちゃめちゃ盛り上がりましたね。
けんけんピンピンさんってお便りいただくときって、
作品を素直に褒めていただいてるお便りが多いので、
でも珍しいですね。
たしかにアワワンがめちゃめちゃ強い作品だなとは思ってて、
世界系と言われるものの中でも結構際立って人を選ぶんじゃないかなって気がしてます。
その人を選ぶっていうのはやっぱり、
起きてることが正しいのかどうかよくわかんないっていう。
結論も正しいのかよくわかんないっていうところで、
わかりやすく主人公たちが正しくないことをするっていうのって、
話としてはシンプルになると思うんですけど、
それぞれの陣営が何をしたいのかもちょっとわかりにくいし、
09:00
結局何が正しいのかもよくわかんないから、
何に乗っかってみたらいいのかわかんないっていうのは、
めちゃめちゃ難しいなとは思ってたんですよね。
たしかにプライマックスって結構、
プライマックス世界が壊れそうになった時に、
3陣営ぐらい色々やろうとする陣営が出てくるじゃないですか。
主人公側と、あと相模っていう、
この世界を壊しゃならないっていう人と、
あとおじさん、主人公のおじさんの陣営が出てきますけど、
主人公のおじさんは一体何がしたかったんだっけって、
結構ちょっとキョトンとなるんですよね。
俺たちが何かしたきゃみたいな。
えっとこれ何かいるんやったっけみたいな。
ちょっとわかりづらくなってるなーみたいな、
ちょっと思ったんですけど。
描きたい感情をメインでことが進んでるかっていうのは、
前編に渡って続くのかなっていうのがあるせいで、
ちょっとその辺の道理がわかりづらいっていうのがあるのかな、
っていうふうにちょっと思ってたんですけど。
そうですね、やっぱ分かりにくさは強かったかなっていうのは、
感じましたかね。
確かにね、なんか新海誠、
例えば天気の恒例に挙げれば、
結構陣営はそんなには多くないというか、
まあ穂高側と大人側っていう、
すごいわかりやすい二項対立になってるっていうのもあるから、
確かに世界系的な作品を描く上で、
複数陣営に分かれるって割と、
世界自体複雑にしちゃうっていう。
世界系多分シンプルであればあるほど意味があると思うので、
そういう意味で確かに岡田丸作品って、
いつもなんか世界系を描くんだけどめちゃくちゃ複雑っていう、
やりたいことが世界系なのかファンタジーなのか、
ちょっと曖昧って感じがあって、
そこは確かにいつも思うとこではあります。
確かにやってる行為が、
世界と直結してるのはわかるんだけれども、
じゃあその世界側と個人側みたいな対立が、
よくわからないっていうか、
本作に関しては全員が世界を背負ってて、
全員が個人でもあるみたいな、
ぐちゃぐちゃやなって感じがあるんですよね。
全員がエゴというか、
その中でやっぱり主人公のスタンスは、
一番世界系的だとは思うんですけどね。
逸美を助けるためだったら、
世界が終わってもいいやっていう感じが最終的に至るのは、
彼が一番、いわゆる世界系的なマインドの行動原理だと思うんですけど、
他の人物たちもやっぱり、
今この瞬間が永続されるのであれば、
他はどうなってもいいであるとか、
自分が信じている物語が稼働し続けるのであれば、
他を何が所にしてもいいやみたいな、
分かりやすい世界と個人の対立ならずに、
全員が世界と紐づいた個人っていう感じの行動になってるっていうのが、
飲み込みづらいですよ。
全員正しくないわって思いながら見ちゃうから。
本当にそこがやっぱり岡田まりらしいところっていうか、
12:01
割り切れないカオスだしみたいなのが、
そのまま突っ走っていく感じっていうのがすごくあるなっていうのがあって、
憎たらしい人はいるんですけど、
悪い人はいないんだよな、この中にって感じがすごくするんですよね。
その人にはその人にある理由があるなみたいなのが、
すごく伝わってくるというか、
それはだいぶ陰謀論じゃめいた発言ばっかりしまくる、
相模に対してですらそう思えるっていうあたりが、
岡田まりの性格合わせ持った感じっていうのを、
両立に表してるのかなっていう感じがすごくしましたね。
相模に関してはちょっと僕、
肯定するの難しいなって気持ちがありますけどね。
やってることは本当にやべえやつなんですけど、
ちょっとだけですよ。
僕もアロス全然好きじゃないんですけど、
ちょっとだけねっていうぐらい。
彼が出てきたのを見て、
なんか最近陰謀論の話ばっかりしてるな、
みたいな気持ちになっちゃって。
そうですね。
確かに。
でも結構意図的に入れてる感じするというのは、
なんか…
と思います。
わざとやってる。
完全に今の日本の空気を入れようとしてるから、
ってことだと思うんですけど、
その辺多分通じるのが。
にしてもねっていうね。
新聞記事とかでも、
狙っとんなって感じはしました。
じゃあ次のお題でいきましょうか。
けんけんぴんびさんありがとうございました。
ありがとうございます。
はい、野良さんからいただきます。
皆様こんにちは、野良と申します。
この番組で、
アリスト・テレスの幻光場を特集すると聞きつけて、
お対応させていただいた次第です。
私がこの映画を見た素直な感想は、
この映画はアニメーションというジャンル自体への
批評性をはらんでいるのではないか、
ということです。
どういうことかというと、
時間が止まった軸で生きていかざるを得ない
主人公たちは恋愛感情を持つと、
心機能によって消されてしまうわけですが、
この設定に私はアニメーションというジャンル自体への
批評性を感じ取るのです。
実写映画というジャンルの場合、
俳優の微妙な変化はカメラで撮り続けることで、
理論的には映像に残すことは可能です。
例えば、俳優の日々の微妙な体重の変化や、
男性俳優における髭の変化など、
カメラを回し続けることで、
映像に残すことは可能です。
また、年齢の変化などは長期の撮影をもってすれば、
理論的には撮影可能です。
実写映画というジャンルでは、
俳優における微妙な変化を、
理論的には撮影可能なのです。
もちろん、実際はCGや特殊メイクなどで、
年齢を重ねたように見える役作りが
行われるのが一般的だと思います。
ですが、実写映画では撮影可能であった
俳優における微妙な変化を、
アニメーションや漫画といった
記号化された身体しか描き得ない手法では、
映像に残すことは不可能です。
なぜなら、漫画やアニメーションといった手法は、
アニメーションでは生じている微妙な変化を
遮施して、連続性を
遮施して、恣意的にパッケージ化している
にすぎないからです。アニメーションでは、
一度キャラクターデザインというものを決めたら、
基本的にはそのデザインから外れるようなデザインは
行われません。もちろん、そのキャラクターが
15:00
ヒゲを伸ばしたり、歳を取ったりすれば、
キャラデザインに変更を加えることは可能ですが、
特には実写映画には可能であった連続性は、
遮施されてしまいます。
このような前提に立ったとき、
アリスとテレスの幻光場は、
別の総合をあらわにします。
この映画における時間の流れが停止した時空とは、
キャラクターにおける微妙な変化を
遮施して、連続性を遮施して、
恣意的に分節化して、
パッケージ化されたアニメーションという
ジャンル自体のことを
偶意していると考えられはしないでしょうか。
その上で、物語に即して言えば、
マサムネとモツミの娘である
イツミは、結局現実に帰って
失恋を味わうわけですが、
ここにアリスとテレスの幻光場における
重要なポイントがあるように思います。
その重要なポイントとは、
記号化された身体しか
用いぬアニメキャラクターにも
恋愛感情や失恋を感じる
心が備わっているということです。
記号化されて微妙な変化を得ることが
不可能なキャラクターへの心は
備わっているのだということを
費用的に描いた点で、本作は
傑作だと思います。
岡田真理の脚本作品である
キズナイーバーにおいても、
恋愛感情イコール身体的痛みという
本作と共通するモチーフが使われていますが、
アニメーションというジャンルに対する
費用性を獲得している点で、
キズナイーバーよりも進化しているのではないでしょうか。
ただ、本作には
キーワード差があることは認めないわけにはいけません。
それは相模というキャラクターについてです。
相模は
娘の母を捨てた非異性愛者
つまり同性愛者であることが
語られていることを見逃してはいけないと思います。
細かい話になりますが、相模が
正宗の父である菊入り
秋宗に執着していたのはそのためでしょう。
相模は時が停止した時空を維持しようとして
現実に戻ることを拒否していますが、
そのような人物に
同性愛者という属性を付与することに
疑問を私は抱いてしまいました。
相模は現実に戻ろうとする
生産的な行動は一切しませんが、
そのような人物に同性愛者という属性を付与することは
あまりにあよいと感じてしまいました。
大変お便りが長くなってしまったので、
このあたりで文章を閉じさせてください。
これからも番組の配信を
心待ちにしております。
皆様が素敵な映画ライフを送れますようにと。
ありがとうございます。
作中の世界が
フィクションのメタファーである
ということ、
その変化が生じないということ
そのものに対する批評である
という面白い視点だなと
思いました。
フィクション、
現実においても
感情があるという視点、
確かに本作で描かれていること
そのものかなと思うんですけど、
この視点でいうと
思い出した作品があって
ネタバレになりますので
カットするかどうか考えますけど
グリッドマンというアニメ作品が
あるんですね。
この構造なんですよね。
あれは
もともと
電光超人グリッドマンという
特撮ヒーロードラマだったんですけど
あれってグリッドマンというヒーローは
電脳世界に存在していて
電脳世界に現れる
電脳怪獣みたいな
現れる電脳怪獣みたいな
18:00
のをやっつけに行く
アニメのグリッドマンは
仮想の世界側の
人間の物語になっていて
それが
じゃあ彼らがなぜ仮想の存在なのか
彼らは何のために
存在しているのかっていうのが
物語の主軸になっていくんですよね。
ふんふんふんふん
確かに確かに似てますね。
構造的には似てるんですけど
ただグリッドマンはシンプルで
グリッドマンの
あの世界を成立させているのって
現実世界側の一人の人間の
一つの感情に
残ってるんですよ。
だからあの世界がどういうルールか
っていうのが理解しやすい。なぜなら
その人物が
望むことが反映されているから
っていうのがあるんですけど
本作アイスとテイスの方の難しさは
そこが別に
何かの心情にひも付いている
わけではなくて、あれはあくまで
現象っていうのが
すごく本作を理解しにくい
ものにしているっていう
だから描かれてる変わらない
日常に対する倦怠感
とかはそういう精神的な
ものを描いているものにはなってるんですけど
現象としてはSF的な
ギミックになってるっていうのが
グリッドマンとか
そういう一人の人間の心情が世界に
反映しているような物語だと
その世界の問題を解決していくこと
イコールその人の
心の問題を解決していくことに
繋がるんですけど
本作ってそういうわけじゃないんですよね
その
この世界で起きている問題の解決と
個々人の問題
っていうのは別問題というか
個人の捉え方になってるので
これがすっごい本作の
飲み込みづらさというか
わかりにくさになってるとは思うんですよね
なんかこれをやることで
別に何も解決しないよな
って感じはしちゃうっていうか
特に終盤の
擦ったもんだとか
何をしてるんだろうっていうのが
思っちゃうんですけど
それに関しては
本作は
やってることが無意味だからこそ
意味がある話でもあるかなって
気はしてるので
無造無造の無意味な行動の
数々だからこそっていう感じ
かなっていう
だから
フィクションでしかないので
別に影響与えない
直接的には
ただ何かが超えてくるよね
っていう
それは心かもねっていうのが
本作のテーマだとは思うんですけど
ただ
それを描く工夫が
複雑すぎて
ちょっとめちゃめちゃわかりにくいなっていうのは
あるかなとは思いました
野良さんのおっしゃってる
アニメーションの批評っていうのは
めちゃめちゃ視点として面白いなとは
思いますね
本作ね
登場人物コテコテというか
うまく言えないんですけど
人昔前感ないですか
ちょっとね
2000年序盤のアニメ
21:00
あるいはゲームから発した作品感
というか
そうですね
ぶっちゃけて言えばすごい
ストーリー性のあるエロゲーみたいな感じだと思うんですけど
それはそう
感はすごくするっていう
のはあるんですけど
結構始まり方とか
古風な始まり方するじゃないですか
クレジットの出し方が
めっちゃ昔の日本映画みたいな感じとか
縦書きの
クレジットなんですよね
ああいうのとかを見て
世界観とか話の感じは
2000年代ぐらいの
アニメとかそういうのに
連想するんですけど
感情の質感はすごく
昔の方画とかに見たような
気がするみたいなものを感じる
時があるみたいなのがちょっと面白い
バランスだなあというのはちょっと思ったりはしましたけど
不思議なバランスだな
っていうのはめっちゃ思いましたね
さなみの描写なんですけど
むつみの母を
捨てたっていうのがあって
非性愛者
っていう描かれ方
って言ってましたけど
母とは限らない気もするんですよね
アセクシャルとか
お可能性もあるかな
とは思うんですけど
彼一体は
セクシャリティがどうこうというよりも
やっぱこじらせっていう
部分を見てた感じ
なんですよね
同性愛者だから主人公の
父親に執着してる
というよりも
なんというかあの田舎の町で
偏屈な人間を
やってる彼を理解してくれた
数少ない人間だったから
こその執着みたいな
そういう
ホモセクシャルというよりも
ホモソーシャル的なものには感じたんですけど
僕は
そこは結構そっち派ですね
かまってくれたのが
お父さんしかいなかったぐらいのレベルなのかな
と思って
描き方としては確かに
そうなるんかなっていう
恋愛というよりかは
ホモソーシャルのほうが近いのかもしれないけど
けど岡田真理自身は
あれを恋愛として描いてそうな気もするんだよなっていう
はすごくするというか
僕ですら思ったんですけど
あまりにも恋恋しすぎやっていう
恋が言動力すぎる
って思ったんですよさすがに
本作全体的に
ですか
さすがにちょっと
僕ですらちょっと低くぐらいのレベル
恋の話してるなって思ったんですよ
恋が世界を壊すっていう話好きですけど
あまりにも恋の言動力
強すぎるみたいなっていう感じは
めちゃくちゃそっとしたので
だからあれも岡田真理的には
恋愛の一種と思っているのではないか
っていう気がするっていう
それはありそうだな
あの世界には本当に
恋愛しかないっていう
レベルで恋愛の話しかしないので
24:00
だから本当に
スペシャルとかアロマンティックの
方がこの話を見たら本当に
もう地獄のような感じになるんじゃないかな
って思うんですけど
恋以外ないのかみたいな気持ちになるっていう
それぐらいのレベルで
恋の話しかしてないなって思ったので
今回
まあすごいなっていう
恋とか愛の話
だと思うんですけどあまりにもちょっと
すごい勢いでやってるなって
思ったところですよね
なるほどね
世界系って恋愛と
相性がいいっていうのはまず
ありますけどね
本作の中でも
ラジオDJになりたい男の子
とかは出てきたけど
別にその感情は
物語の主軸にはならない
と思うんですよ
なぜなら世界系って
個人と世界の直結を描く
物語だと思うんですけど
職業的な目標ってどうしても
社会を減るじゃないですか
確かに確かに
だから世界系を描くものとして
ちょっと難しくなるというか
恋愛って僕と君での
完結をさせることが可能なので
すごく世界系的だと思うんですよね
そもそもが
だからこそやっぱり世界系の原能力って
恋愛になるんだろうなっていうのがあって
だとしたらまあどうしても
恋愛の話ばっかりになるっていうのが
あるというか
もしかしたら僕が逆なんじゃないかなって
気がしてて
恋愛がよく描かれるんじゃなくて
恋愛物の語り方の一つが
世界系だけなんじゃないかなって気がして
そもそも恋愛物なんじゃないかなって
本作が
それは僕も同意です
確かに
完全に恋愛物って感じだと思う
ですよね
恋愛史上主義的なものに
見えるなっていうのは
あるなって気はします
さすがに思ったよっていう
こういう話好きですけど
さすがに思ったっていう
言っといた方がいいなって思ったので
あと
閉じ込められた
田舎町での
波風立つのが男女の
色恋だけっていうのはある意味
リアル感があるかなって気がして
あーまあ
なるほどね
ちょっと近作で福田村事件でも
なんかそんな話ありましたけど
確かにね
なんかちょっと嫌なリアリティですけど
そっか
それはそう
そうですね確かに
すごい熱量のあるお便り
ありがとうございます
ありがとうございます
では3通目
じゃあ僕が読ませてもらいますね
アチさんから頂きました
店長メンバーの皆様はいつもお世話になっております
アリスとテレスの幻工場を見ました
監督の前作が想像したよりずっと遠くに
届くような作品で
顎が痛くなるぐらい泣いた記憶があり
本作の刺さる人の絵の異常な刺さり方に
ジョーカーみたいな空気を感じ
かなり期待していました
冒頭いきなり80年代門川絵画よろしく
黒字に白文字縦書きのクレジット
27:00
からゼロ年代の
ストーリー重視エロゲーのような
ドラマ剣
これは一体と困惑しました
監督自身がそういうものを摂取してきた
というのは分かりますが
そこに感傷と性的なノスタルジー以外のものを
生み出すのが難しかったです
中島みゆきのいかにもな中島みゆき
新曲をエンディングに選ぶなど
全体的なセンスに対して
今この新作を作る意味とは
と感じました
また世の中は変わらないが
一歩前に踏み出そうというような事情を
推進し
結果地元の子と結ばれた子にも
愛されるという結果的な
保守度本流落ちに
流れつくのは怖かったです
個人的でエモーショナルな物語は
それと狙わずとも
保守思想と相性がいいので
優しくも力のある作り手は
その辺に最新の注意を
持って欲しいというのが正直なところです
はい ありがとうございます
ありがとうございます
さっき話してた内容に冒頭で
触れていただいてますね
ゼロ年代のストーリー
重視エロゲー
あの頃って本当にノベルゲーが
すっげー流行ってて
サブカルチャーの
一番ホットな部分みたいな
空気感あったと思うんですけど
やっぱなんか
主人公とヒロインには
その空気感を感じるとこあるというか
やっぱ本作
自体がその世代
ドンズバサってる世代
向けに作られてる気がするんですよね
まず90年代
前半に中学生で
多分今40後半
ぐらいだと思うんですよね
主人公が現実の年齢に
すると
その世代って
2000年代のノベルゲー文化
通ってきてる世代だと思うんですよ
だからこの主人公が
本来至ってるはずの年齢が
その本作の
文脈を一番拾える
年齢層なんじゃないかなって
気がするんですけど
僕のちょっと上ぐらいの世代なんですけどね
その空気感
2000年代ノベルゲーの空気感が
なんかあって
そこに性的なノスタルジーは
そうだとは
思いますね
そこは分かってやってるんかな
って気はしてますそこは
もしかしたらなんですけど
結構
僕ぐらいの世代の人でも
刺さりうる可能性はあるなと思っていて
というのも
その頃に発売されたエロゲーのアニメ化が
僕らの世代で結構起こったんですよね
あーそうだ
なので割と
もちろん性的要素みたいなもの
完全にお見通されるんですけど
でもストーリー的なところは結構
摂取してる人も割と
この世代は多くて
なので割と今20代後半から
30代前半の人も
割となんか来るものはあるかもな
っていう気はしました
確かにエロゲー自体はプレイしたことないんですけど
その原作となった
アニメは結構見てたなっていうのは
30:00
めちゃくちゃ思い出しましたね
ニトルバスターズとか見てたなっていう
ああいう感じのとか見てたな
っていうのを今思い出しました
あと多分僕らの世代はフェイトステイナイトとかもそうですし
ああフェイト
そうですね
この2000年代って
ノベルゲーとかとライトノベル
ですよね流星してた時代で
やっぱりその時代って
世界系がめちゃめちゃ
流星した時代でもあると思うんですよね
そこを
引っ張ってきてるのはめちゃめちゃあるかな
って気はしてますかね
でオチが
保守土本流に至るっていうのは
そういう話に
見えるはするんですけど
ただ
閉じ込められた田舎の人たちの物語として
そこを脱出しない
っていうのは
それを結論にしちゃうのが
良くないっていうのは分かるんですけど
その人たちの人生が否定される
だけなのかっていう気持ちも
ちょっとあるので
僕は少し難しいなって気持ちはあります
そうですね
確かにハチさんの言ってることは
ごもっともんな感じはするんですけど
そこに残らざるを得ない人って
たくさんいるよな
と思うんですよね
田舎町とか
地方都市とかで
そこからずっと出ることなく
人生が完結する人ってたぶん
いっぱいいると思うんですけど
そこから出ていくっていうのも
結構大変じゃないですか
相当な覚悟がないとやっぱり
出ていくってことにならないと思うんですよね
そういう人もいるっていうのは
ちょっと忘れたらいけないことではあるので
誰もがみんな
上京すりゃいいってもんじゃないっていう
そういう人の人生って
たくさんあるよなっていうのは
ちょっと念頭にあるような気は
ちょっとするんですよね
ちょっとその
世界設定の構造上
離れたら消えるという
割となんていうか
それは救いがないなって落とし方もあるので
なんか
本作においては
残るしかないって
世界構造というかある種の
彼らは現象ですけど
現象としてとどまることしか
許されてないっていう
設定になってるから
あの落とし方しかなかったんじゃないかな
というのも一つ思うとこではありますけどね
そうですね本作においては
救ったこともそうするしかない
っていうのがあるので
そこが本作の
すごい語りづらいとこなんですけど
何かになぞらえようとすると
そもそもそういう現象じゃないから
っていう風になって
読み解きにくい
ですよね
そもそも制約がかかってるから
それは無理なんです出ていけないんです
出ていくんじゃなくて消えるだけだから
っていうのが
あってそこがね
メタファーにもしにくい
人たちが
そうなんですよね
シンプルな内製の世界
とは言えないんですもんねあの世界って
どっちかっていうと結構
呪縛霊というか
33:00
そういう類のものなのかなみたいな
土地の記憶みたいなもんですよね
あれってたぶんね
残影ですね
だからちょっとだから
雀の閉じまり感もちょっとあるような
気がするんですよね
とか君の名とかの
手守城とかでもいいですけど
ああいう感じですよね近い
社会的な
何かのメタファーとしてみると
もう絶対にそれができない
ものとして描かれてるから
それは読み解こうとすると
どっかで不可能になっちゃう
感じがしてて
魔法作って記憶の
話
あるいはその時間的な
絶対的な断絶の話
現実と記憶って絶対に
触れ合うことができない
分断があったり
過去と未来って絶対に触れ合えない
分断があってて
それでもそこを超えるものって何かっていう
それって心なんじゃないか
っていう話かなとは
思うので
社会的メタファーが埋め込まれつつ
それを読み解けないっていう
難しさというか
もどかしさがある話やなっていう
確かに
ありがとうございました
ありがとうございます
じゃあ我々で話
していこうと思うんですけれども
どっからいきましょうかね
冒頭見たときの印象
おしゃべりしてもらいたいんですけど
フリクリやなって思って
確かに確かに
フリクリも思い出した
山に囲まれた地方
の町の
真ん中に煙を
もうもうと吹き出す巨大な
工場があって
っていう
フリクリの舞台そのものなんですよね
見ながら思い出しましたやっぱり
フリクリ
めっちゃフリクリやなと思って
ただフリクリと本作大きく異なってるのが
フリクリは
SFギミックに理由が説明されない
っていう
ひたすら不条理な話なんですけど
本作は少なくとも理由付けはされてるんですよね
フリクリはその理由がないことによって
あの世界を
主人公の少年の
心の反映として見ることができる
ようにはなってて
それは意味がないからなんですよ
説明がされないこそ
それが可能になってるんですけど
本作は筋道が立ってるので
なぜああいう現象が起きたか
っていうことは少なくとも
説明はされるし
そしてあそこから出ていけない
っていうこともロジカルに
確定してる
のがあって
心の問題として見たときに
さっきも何度も言ってる通り
なぞらえることが
難しい
そういうふうにできてないから
っていう完全にあくまで
簡潔しているもの
何かとして読み解きにくいもの
36:00
にはなってて
読み解きというよりも
見て何を感じたかというところに
期待することしかできない話なのかなって
気がしてるんですよね
そうじゃないと無理が寝ちゃうというか
やっぱり感情優先
っていう感じなんだろうなっていう
のはすごくしますね
それこそ岡田まり作品に
ちょっとそれ近いとこ感じたのは
泣きたい私は猫をかぶるって作品
脚本で岡田まりさんが
携わってるんですけど
ありましたね あれも
世界を説明しすぎたせいで
どこに乗っかればいいか分かんなくなる
っていうタイプの作品だったなっていうのを記憶にしてて
確かに
ちょっとなんかあれ?ってなったんだよな
そうなんですよ
なんとなくなんですけどちょっと岡田まりさん
たまに説明方な時があるときがしてて
で前作のさよならの朝に約束の花を飾ろうに関しては
その説明方がうまく動いてた
っていう気がちょっとするんですよ
説明方であるがゆえに
エモーショナルな展開が
訪れるのであの作品においてはかなり
岡田まりさんと多分相性が
良かったというか
設定の相性がすごく良かったんだろうなと思うんですけど
本作とかあと泣き猫に関しては
ちょっともうちょっと
こっちに自由を許してくれてもいいのでは
っていう感じがするというか
そうですね
解釈することで幅が広がるみたいな
余地があんまりないんですよね
だからもうこういう風に
決まってるからっていうのが多くて
そこが本作すごい難しいな
っていうのがありましたね
なのである意味作家性として
岡田さん自身が
そういう解釈をされたい人ではないのかもな
っていうのはちょっと最近思い始めたところではある
そういう風に
楽しんでほしいっていうタイプの
作家ではないのかもしれないっていう
明確に
一本道を
通ってほしい
なるほど
どこ行こうか
個人的には結構
声優さんの話をしちゃうとあれなんですけど
個人的に結構
上田玲奈さんが好きなんですよ
声質的にも
やられる役的にも
アニメとか見てても
上田玲奈さんの役だって結構目が行っちゃうんですけど
本作は上田玲奈だなって
思いながら
むつみめちゃくちゃ上田玲奈っぽくていいな
って思いながら見てたんですけど
僕は知ってる限り
でもグリッドマンのアカネとか
機動戦士ガンダム
閃光の鋏のヒロインとかも
やってるんですけど
あの感じなんですよね
あの感じですよね
女優医から見たとき
特に男子から見たときに
理解できない女子っていう演技が
めちゃめちゃ上手い
そうですね
たしかになんか
ファムファタールみたいなニュアンスが
花粉に含まれる感じの
演技っていう感じがしますよね
上手いですねそういう役が
たしかに
結構やっぱり感情乗るっていうか
そこに感情乗せる形が
やっぱ上手い方だな
39:00
と思うので
でかつちょっとやっぱり陰の要素というか
地面としたところをこの人は
すごい上手く表現されるなと思ってた
方だったので
やっぱり後半のサムネとの
恋愛に行くのか行かないのかみたいな
そういう湿気感みたいなもの
はすごく
味わい深いな途中からは
ほぼそれを楽しみにしてたところがちょっとあるっていう感じですね
自分は
またしかも
岡田まり独特のセリフ回し
とかが合わさると
余計にそれが強く感じるっていうのは
あるんですけど
すごいセリフ書くなって毎回思うんですけど
この人
てめえオスかよみたいなとか
おーなんか言い寄るみたいな
あれーめ
てめえオスかよみたいな
おーすげえ
すげえ言い回しだなとか
思うんですけど
いっぱいあるんですけど
最後とか
話がちょっといいや
話が飛びそうなのでいいや
あーちょっとね確かに
悪が強すぎて
飲み込みづらいセリフ多かった気がします
それはそう
聞いてるだけ
ゾワッとするんですよね
リアルではないんですけど
けど
どっかしらなんかの感情に
逆撫でさせたりとか
ちょっと身に覚えのあるものだけを浮かび上がってくる
みたいな言い回しするんですよね
それはセリフ回しもだして
やり取りもだったんですけど
オイスさんがちょっと
最初の方に言ってたの
性愛がちょっとにじみ出てくるって感じも絶対
出てくるのとかもそういうのも
一環だと思うんですけど
必ずなんかちょっとそういう
誰かの心とか
感情を逆撫でするけどそれがなんか
なんで逆撫でされるかっていうのは
全くありえないだろ
っていうイメージのことじゃなくて
なんかしら引っかかってる
なんか知ってるようなものがあるからこそ
引っかかるものがあるっていう感じがすごくするんですよね
どの作品見ても
そういったのをめちゃくちゃ
逆撫でされるのが
本当に僕見ながらもうゾクゾクして
大好きっていう
感じなんですよね
本当に
僕はいいけど
見る人によっては本当に
何に付き合わされてるんだって気持ちになっても
しょうがないんですけど
これが本当に魅力だと僕は思ってますね
この性愛が混じってる
っていう部分で
一番濃いな
と思ったとこ
キスシーンなんですけど
ここ数年
こんな情熱的なキスシーン
見たことないなって思いました
むさぼるような
そうですよね
またセリフが
止まんねんみたいなこと言うから
照れては
笑っちゃってる
僕もちょっとね
気恥ずかしかったですよ
42:00
全部気恥ずかしいんですけど
それがすっごい好きなんですよね
あれはちょっとなんか
見ちゃいけないもの見てるなって感じが
あったというか
全体的に
人間の見ちゃいけない感じを見てる感じしますよね
そこに限らず
本音が
ダダ漏れって感じなんですよね毎回
隠さないのみたいなのが
大体ないんですよね
めっちゃ見えるなその辺みたいな
バレバレなぐらい見えちゃうみたいな
見えるがゆえにめっちゃ圧力が生まれる
みたいなところは結構あるなっていう
どんなあの花にしろ
ここ先にしろ
そういうのはすごく感じるんですよね
ちょっと味付け濃いな
と思いつつ
アニメだったら義理成立してるなっていう感じは
あるなと思って
これ実写にしたら僕は無理ですね
これは
実写では成立しえない
会話が
軸の話だとは思うので
話の流れというよりも
会話を
もしこれ再現実写でしようものなら
もうちょっと多分
お腹壊すやろなって気はします
だから
アニメだからこそ
やっていいバランスというか
現実じゃないからこそ
実写じゃないからこそ
やって言っていいバランスで
義理成立してるかな
っていう
感覚ですね
でも義理でしたけどね
キツシは
義理というか
アニメですらその辺のバランスは
取る方だと思うんですけど
それこそオリジナルの
アニメ映画作品と
名が付くのであれば
多少そういうのって調整が入ると思うんですよ
深海誠にしろ
そうだマモルも
調整は入っているのか
入っていると思うんですけど
入ってると思うんですけど
今作に関してはまるで調整が入ってないように思える
っていうのがすごいバランスだなっていう
なんかね
パンフレット見たら200%出してるみたいな
本人がそう
おっしゃってましたよね
塊の200%を出してくださいみたいな
確かに200%出てるわ
って思ったんだっていう
すごい
だから完全にあれですよね
もともとこの企画って
小説を書くってところから
確かスタートされてるらしいって
インタビュー等で読んだんですけど
小説書いてる途中から
やっぱ映像じゃなきゃ思い浮かばない
ってなってきて
そこでマッポの大塚さんからじゃあうちでやんない
今度はちょっと全部出していいから
みたいなことを言われて
制作人が完全に岡田さんに
委ねたというか
が故にこのノード
になったんだな
っていうのは思いつつ
すごい
バランスが
逆に次はないっていう
あれですけど逆にこれは
これで貴重なんじゃないかみたいな
45:00
と思うレベルではありましたね
そうですね
この話戻したいんですけど
本作の飲み込みづらさ
の原因
結構な数の人が
降り落とされると思うんですよね
いくつか要因あると思うんですけど
まず起きてることの
飲み込みづらさがあるとは思うんですけど
さっき
バーで話してた時も
話になったんですけど
まず置いていかれるっていう話があって
それ
やっぱり
人工たちは何かが起きてから
30年あそこで過ごした
精神状態から始まるっていう
ののギャップがめちゃめちゃでかいな
と思って
本当に冒頭で何かよく分からない
自然現象が起きてってなるじゃないですか
で
時間が流れなくなってるっていう
風になるんですけど
その後普通に学校行く
とかっていうシーンが入って
僕らからしたら
日常は連続してるように見えるけど
あそこ大体30年ぐらい
時間飛んでるはずなんですよね
で
登場人物たちは30年かけて
起きた異常な事態
非日常
非常識を30年かけて受け入れて
日常であり常識の
状態まで飲み込んだ
とこから始まるから
こっちがそこの気持ちの
順番に飲み下していく
過程を経ないまま始まるから
全然追っつかないんですよね
気持ちが
こんな異常なこと起きてるのに
平然と普通のこととして
受け入れてて
どういうことみたいなのか
思うんですけど
実は同じ日常を繰り返してて
何年も何十年もやってるから
自分たちはもう受け入れてるんだ
それを変わらないように
維持してるんだって話があるんですけど
こっちは説明で
それを飲み込むことになるから
登場人物との
間の精神的な
立ち位置がずっと
ずれてる感じがあって
だから登場人物たちは
日常に飲み切ってるんだっていう
かつも現状を
受け入れてるんだっていう
そこを理解できないまま
結構見続けちゃって
日常に退屈してるから
窒息ゲームみたいなこともするんだ
みたいに言ってたじゃないですか
危ないことをしちゃうんだ
中学生普通に危ないことをするからな
自分たちはもう生きてないから
そういう性を実感するために危ないことを
するんだみたいな説明が
なされるけど別にそれって
普通の中学生も退屈への
刺激を求めてそういうことをするから
そこの説明も
ずれてるなって僕思って
普通の中学生もやることを
30年間中学生やってる人が
30年中学生やってるから
それからこそそれをやっちゃうんだ
みたいに言われてもいや普通にするぞ
みたいな
作中の認識とこっちがずっとずれてる感覚が
48:00
あって
そこがねずっと椅子の
座り心地が悪い感覚はあったんですよね
もちろんそこは
そういう物語として描いてるから
それがおかしいとかではないんですけど
このずれてる感覚
っていうのを引きずっちゃうと
割と最後までよく
飲み込めないままいっちゃうんじゃないかな
って気はしたですね
それこそさっき似てる作品として
SSSSグリッドマンをあげて
くださいましたけど
あのアニメ作品ってこの世界が作り物だってことが
ある意味一個のカタルシスになってる
と思うんですよね
そこで結構お客さんも
あと登場人物も一緒にびっくりする
あそっかそういうことなのか
っていうことに気がつく何かおかしいとは思っていたけど
で本作でも
途中世界の構造が
わかるというか
こっち側が幻なのねって分かるシーンはあるってあるんですけど
それ当たり前として
受け入れてくださいねっていう
すごくこっちにリテラシー求めてくれる形で
投げかけられた後なので
あんまり驚けないんですよね
まあそうやろうなっていう
お役所仕事みたいな感じで
そうそうそうそう
そういうしてくださいねっていう風にされるから
すごい飲み込みづらい
だっていう
そこ順を追ってやってもらった方が
もちろんお客さんとしても
こちらとしてもそういうものだって
思っていってはいますけど
でもやっぱりそこはしっかり
登場人物と一緒に感情を動かしやすかったんじゃないかな
ってのは僕も結構思うとこでは
ありますね
確かにな
もう何かしらの
内政的な世界って割り切ればいいんですけど
そういう割り切り方もできないからな
っていう世界観
設定的に
それがどうしても邪魔をしてしまうところはありますよね
大人であり子供でもあるみたいな感じになるわけですよね
中学生たちって
そうですね
その感覚がやっぱりちょっと
不思議な感情を出すというか
大人っぽく
時間が経って擦れてるとこもあるけど
根っこはめっちゃ中学生っぽいみたいなの
っていうのが
なんかちょっと歪というか
なんてことないシーンですけど
中学生が車の運転してるとか
っていうとこにもちょっとそういう歪が出てるような
気もするんですけど
なんかああいうちょっとしたシーンですけど
あの歪さっていうのが
なんていうのかな
中学生当事者としての話として見てもいいし
大人が見ても
なんていうんですかね
大人だって大人じゃないぞ
みたいな部分に刺さるところはあるかな
という風にはちょっと見ておいたんですけど
自分の中のインナーチャイルド的な
そうそうですね
そういうのとかはやっぱり
あるというか
大人らしい大人って何さってわからないまま
僕たちは大人になってきてるはずなんだけどな
っていうところにも
ちょっと関係してくるのかな
みたいな風にはちょっと思っておいたんですけど
大人になれない
存在の大人
っていうものの
象徴っていう感じ
それをなんか入れ込んでいるような
ちょっと気はするんですけど
51:00
まあいいように撮ってくれって感じですよね
その辺は
どっちがだいぶこういう風に撮ってる
みたいなところもあるかもしれないですけど
車運転してるシーン
初め見たとき
法が遵守されなくても警察に
注意されないぐらい
なあなあの田舎だっていう描写かと思って
まあなんかねありますよね
田舎やったら軽トラぐらい運転してる中学生とか
なんかいそうっていう
イメージありますよ
土地がでかいから自分の仕打ち内だったら
大丈夫みたいなやつですね
そういうやつ
後作の
イメージがずれ続けっていうのは
その部分
彼らは大人が中学生の
ロールプレイをし続けている
30年間存在っていうところ
でもそのことにめっちゃ飽きてる
っていうのが
わかりにくいところ
だから中学生が
3年間の日曜に飽きてるのとは
意味が違うはずなんですけど
じゃあこの話の
感情移入はどの形の
感情移入をしたらいいのかっていうのを
むちゃくちゃ考えてしまったんですよね
本当に
マリオさんがさっき言ってた
大人になれない大人
であるっていうのは
すごいあるなと思ったし
別に今僕たちも
何か役割を
演じてそれに空いてるとこって
あると思うんですよね
そういうものとして感情移入することが
できるのかなとは思いつつ
ちょっと作中の事例が
特殊すぎて
その感情移入の仕方が正しいのかも
確証を持てないっていう
持てないなっていうのは確か
だから彼らが
消えていく理由って
何なのかなってすごい考えちゃって
お便りの中だと恋愛感情
ゆえに消えるみたいなお話あったと思うんですけど
皆さんどう
見てました?なぜ消えるのかっていう
何がきっかけなのかって
なんか結構
曖昧?という感じがするんですよね
ラジオDJになりたいって夢を持った子が
消えたりとかっていう話とか
あれ恋の話と関係ないじゃん
っていうのもあるし
今にも
自分の思いが漏れそう
っていう人っていうのは主人公たちのことなんですけど
一瞬にしてバレて
捕まると思うんですけどっていうのは
主人公だからしょうがないじゃん
って言われたらしょうがないんですけど
主人公に告白して
フラれちゃった女の子が消えちゃうみたいな話が
ありましたけど
あんなレベルじゃないぐらいに察知されて消えそうなんだけどな
っていうぐらい
なったりとかはしましたし
僕はうまく
読み込めづらいかった気はするんですけど
そこの部分に関しても
ただギリギリこうなのかなって思ったのは
さっき言った通りみんな個人が世界と繋がってるじゃないですか
そういう意味で
消えたいって思ったら消えるんじゃないかな
って思って
例えば失恋して恥ずかしくて消えたい
だとか
54:00
あるいはこの世界で生きていくのが
辛いから消えたいだとか
そういう僕らが日常の中で思う
軽く思う死にてえな
みたいなようなことというか
そういう感情みたいなものに世界が
応募してるってことなんかな
みたいなことは結構思ったりはしました
確かにそれだと結構
筋が通るんですよね
初めに消えた女の子
失恋というか
失恋の恥をみんなに見られた
みたいな感じで
晒されてるみたいな雰囲気になって
ここにいたくない
みたいな感じ
ここにいたくないっていうのが多分
トリガーな感じは見てて受けて
だから
何かになりたいと思ってるけど
ここにいたらずっとなれないしな
みたいになったら消えちゃうとか
子供がいるお母さんが
消えるとことかもありましたよね
ありましたね
リアルやなと思って
ずっと母親やるの?
私ずっと母親なの?
っていう
あれ多分消えたい度
かなり高いと思うんですよ
同じ恋愛感情でも
主人公たちは
燃えるような情熱的な恋愛感情を
持ってるから
消えないんですよね
ついに通じ合いましたからね
世界を変えようとする力というよりかは
この世界が消えたいという思いのほうが
ある意味作用するんだなみたいな
確かにそうだな
それこそ多分さっき
話で思いましたけど
本作が珍しいと思うのは
世界が個人化っていう世界系作品なのに
主人公たちの恋愛は世界には一切
関連しないという
そうですね
主人公たちがいかに
もちろんその結果逸美が反応するために
世界が壊れそうになるんですけど
でも彼らがいくら恋しようと
いくら愛し合おうと
世界は何にも反応しないんですよ
だし彼らを
話そうとも世界はしないんですよ
勝手にやれば的な感じなんですよ
それで結構世界系の中では
割と珍しいというか
恋愛寄りなのかなという
気持ちとしましたけど
確かに彼らの力って
何も物語側が保証してない
というか別に
何も特殊な存在
なんかじゃないって別にそれは
意味的には珍しくないのか
ただ世界の中心でもないですよね
そうそう
関係ないっていう
そこは確かに面白いですね
なるほどな
すごい突っ込みたい部分の話を
したいんですけど
蜃気楼ってあるじゃないですか
登場人物がずっと狼狼って
言ってるんですけど
あれ竜でしょ
竜でしょどう見ても
口が大きく開いてて
足が生えてるわけじゃないし
長い尾を引きながら空から降りてくる物って
竜でしょそれ
僕ずっと思ってて
これ竜だろうと思って
しかも作中での神的な
57:00
モチーフって神道ベースなわけじゃないですか
神道ベースで
神的なパワーを持っている
物ってそれ竜でしょ
ってずっと思ってたんですけど
ああ
あれが竜って呼ばれてたら
この話僕もっと飲み込みやすかった
気がしてるんですけど
もうなんか蜃気楼って
言いたいだけなのでは
ある意味その
逸美が狼少女というか
狼に育てられた少女的なモチーフじゃないですか
そこを
引っ張ってんじゃないかなと思うんですけど
まあ
でも無理はあります
あの形態で無理はある
なんかあれですね
竜と蕎麦麻に蜃気楼に出てくる竜が
狼にしか見えなくね問題に
似たようなものを感じますけど
本当だ逆にしよ
逆にしよ
逆なんだよなお互いどっちも逆なんだけど
っていう
確かに
あの時もめっちゃ混乱したもんな
ずっと竜って呼ばれてるのに
急にビーストって呼ばれて
肩前に出たんやんか
とか
同じものを感じました
確かに
まさかそんなとこまで繋がるとは思ってやがった
あとちょっとやっぱり
最後びっくりしたんですけど
結局母と娘の
なんか話になるのが
あの
そうだこの人こういう人やったわっていうのを
岡田真理ってこういう人やったなっていうのを
思い出すなっていうのをめちゃくちゃ思ったんですけど
ただの
ただのというかその男の子と女の子の
恋の話かと思ったらなんか
母と娘が父輪を
取って巡る三角関係の話だったみたいになっていくのが
あの
これは一体何を見ているんだろうみたいな
気になるというか
ここでねじれていくんだよなみたいな感じが
すごいなっていう
ここが本当に
よくある世界系じゃないっていう感じが
めちゃくちゃしたところではあるんですけど
なんかやっぱそういう母として
母と娘の関係とか
なんかそういう親子関係の話
結構やっぱ
岡田真理作品多いですもんね
さよならの朝にももちろんそういう話
近いのもあるしニュアンスが
そこがやっぱり今回
そこのえぐみというか
そこでこうツイストがかかってくるときが
本当に
岡田真理の作品を見ているなっていう
気持ちにすごくさせられて
すごいですね
あなたには未来がたくさんあるけど
彼のここは私のもんだもんね
って言って出ていくっていうの
すげえなっていう
そうなんだけどすげえなっていう
あの感じはちょっとね
痺れましたいろんな意味で
いつみとむつみの関係が
むちゃくちゃ飲み込みにくくて
飲み込みにくい
母と娘の関係ではあるけど
それは実際にそうなのではなくて
自分でない
1:00:00
自分が母親の娘
っていう
ねじれた関係であるっていう
ただその同じ
世界に入れられたときにどうしても
母と娘の役割になってしまうっていう
むつみの
母親っていう役割だけ与えられたけど
精神的に母親になってない
人感がすごい強くて
もう実質
虐待してるじゃないですかあれって
虐待しちゃってるし
ただ面倒は見てるけど
っていうところ
娘と
相手が絡んでたら
押すかよみたいな
抵抗するし
ただちゃんと
よりよく会ってほしいっていう行動も
取ったりはするけど最後の最後に
でもあの人は私のだからね
みたいな当てつけみたいな
ことを言うっていうの
あそこってもっと母親的に
言い方を選ぶことはできた
と思うんですよ
娘が将来私お父さんと
結婚するとかっていうのに対して
お父さんは私のだから
あなたは別のいい人見つけてね
っていう会話をすることはできるじゃないですか
それはきっちりと
母親としての上層が育ってる母親は
そういうことが言えるんですけど
彼女はそういう母親としての
上層が育ってないから
役割だけ与えられた母親だから
すごいもう破壊的な
言い方をするというのが
本当に一人の
女としてなんか話してるな
みたいな感じになるじゃないですか
母と娘の関係性どこ行った
みたいになるじゃないですか
あそこが本当にねじれてんな
って思って
めちゃめちゃ怖いというか
いつ見て実質虐待サバイバー
みたいな存在になるから
もうめちゃめちゃ怖い
けどその娘を
決して否定的に描いてない
っていうのはもう一つアリなのかな
って気はして
彼女はやっぱあの世界の箱の中で
その役割を与えられただけの
人だから
そこをさばいてないって感じは
僕はアリかなとは思ったんですけど
ラストの話をしたいんですけど
ラストというかエピローグですね
あのエピローグを見て
本作をもう
全面肯定したくなったというか
まず彼女が何者かって
正直よく分からない
それはあの
仮初めの世界を抜け出した
いつみが現実世界に戻ってきて
成長した後の姿のかもしれないし
あるいはその仮初めの世界を
抜け出したいつみも
あの後すぐ消滅したかもしれなくて
あのラストの人は
そもそも現実世界で
成長していったいつみなのかもしれない
彼女が何者かって
分かんないなと思って
ただ彼女は
工場がある町に成長してから
行ってもう閉鎖された
工場の中に入って
落書きのようなものを
見るわけじゃないですか
1:03:00
それはかつて自分が
いた世界の記憶なのかもしれないし
あるいは誰かの空想なのかもしれない
あれが何かも分からない
そもそも現実世界にはあの落書きが
生じるはずがないから
あれはありえないはずのものなんですけど
確かにあの世界に存在してて
それに今彼女は
彼女はそれに触れることができている
っていう
あの仮初めの世界ってもう
この世界に残った呪いというか
情報みたいなもの
そういう記憶の情報でしかなくって
それが自分から
消えたいと思ったそのデータ自体が
消えちゃうようなものでしかなくって
あの世界から現実世界にアプローチすることは
不可能そもそも
ないものなのだからっていう
ただあの世界が
存在してたかもしれない
あるいは過去に存在してて
それを今自分が思い出すことができる
それは現実と仮想世界の
絶対的な断絶の壁であるとか
過去とか今
現在の絶対的な断絶の壁
もう絶対に触れることができない
永遠の隔たりを経た
ものだけれども今
ただそれを思い返すことで自分はその
世界に触れられた気がする
心だけがそこを
超えられた気がするっていう
ことを感じているっていう
ラストその断絶を超えられる
ものがあるんだっていう
のを描いてるラスト
になっててだから
あのエピローグ以前の話って
そもそもないんですよあんなもの
ないんですよ
現実世界から見たらあれはもう全部ないんです
でも
今あったと思っているエピローグの
シーンでは彼女はその世界があったと
信じているそれを感じている
っていうそこの断絶
を超える何かっていうもの
に期待している話だなと思って
むっちゃくちゃ
いいやんとあのラスト
エピローグでそれは
本編中の世界金染めの
世界に意味がなければない
方がいいんですよねあの世界を出ていくこと
なんてできないとなぜなら過去と
現在っていうものは連続的に
繋がっているものなんかじゃなくて
過去はその瞬間瞬間
現在から切り離されて絶対触れない
ものとして存在してて
そこから現実に戻ってくることは
できないそれは仮想の
世界も同じで仮想の世界っていうものが
一度生まれてしまった現実に
触れることはできないそこを超えることが
できる可能性があるものは心だけ
なんだっていうでもその心が
あってそこが断絶の壁を
超えるかもねっていうことだけは
信じているっていう
最高なんですよね
あのラストが
だからもうその本編が無意味で
あれば無意味であるほど
ラストのエピローグが良いんですよ
って思ったんですけど
いやなるほどだっていう
エピローグは味わい深くすごく良かったんですけど
ここまで熱いと思ってなかった
っていう感じですかね
でもだからちょっと話を聞いて
若干違うかもしれないんですけど
心だけは断絶した過去と
1:06:00
通じ合えるところはすごくアフターサンにも
似てるなと思って
断絶は確かにそう
確かにねそれは
まさにその心っていうところに
こそ重視してきた
岡田真理さんならではの終わり方ではあるし
かつ多分あの話が
あの少女の妄想であってもいいわけですよね
だから
もしかしたらもうないどころか
彼女の中での物語
ストーリーあれば空想
なのかもしれないんだけどそれでも
仮にそうであったとしても
心っていうのは通じ合うそれは多分
岡田真理さん自身が物語を書いてる
っていう事自体にも繋がってくるとは思っていて
物語を書くっていうのは
多分彼女にとってみたら
物語の中の人から話しかけられたり
とか物語の中の人から
こう心で訴えかけられて
いるような多分作業なのかもしれなくて
であるとしたら
その仮想であるっていうことと
現実であるってことに
あんまりそこの差異がない
っていうのをすごい彼女たぶん
岡田さんはすごいお文字でやってる気がするんですよね
だから
あえて分かりやすくしないんだろうな
と思って
よく作家さんの中で物語の中で勝手に
登場人物が動き出すみたいな
ことをおっしゃる人もいますけど
多分岡田真理さんはわりとそれを意識的に
やってるというかそういうタイプの
作家さんなのかなって気がして
だから各人各人がそれぞれの目的を
持って勝手に動き出すし
話としてはつかみづらくなるんだけど
でもその中の登場人物たちは
彼女の中では生きているから生きてる人の
思いを優先したら
結果的にはそういうバラバラな動きになって
でもそれでいいって思ってるみたいな
そういうことなのかなとはちょっと思ったりも
しました
なるほど
バラバラだからこそめちゃくちゃ摩擦も
起こるしみたいな
全くきれいじゃないっていう
心のきびの内面すらも
なんか全てがごちゃ混ぜで
ぐちゃぐちゃしちゃってもう
好きか嫌いかの話をするときに
めちゃくちゃなんか嫌いって言いながら好き
って言うみたいな感情がめちゃくちゃ
入っていると思うんですけど今作
すっごい汚い部分が
あった果てにきれいなものがある
みたいななんかその
混ぜ一体な感じっていうのも
そのまま本当にあの中で入って
いたのかなってちょっと話を
聞きながら思ったので
やっぱすごかったなそういう
作家ってすごいしんどい
職業だなって聞いてて思って
物語を
作るたびに世界を
生み出してはその世界は
もう触れることができない
ものとしてどんどん生み落とされ
続けるわけじゃないですか
でその世界に心を
預けてれば
預けてるほどしんどいと思うん
ですよね
無責任に世界を増やす系でも
それには全く
相互に関与することが
できないっていうそれを考えると
すごいしんどい職業なんだろうな
って思いつつも
それでも心だけはそこを超える
かもねっていうのも同時に
信じることができるのであれば
ちょっとだけそこに救いがある
1:09:00
というか
ある意味それを信じてなかったらきっと
物語を出すっていうことも
しないのかもなとは思って
もちろん人によっては多分明確に
人にコミュニケーションをする言葉として
物語を描く人もいると思うんですよ
そういう方の作家は多分すごくストレートだし
分かりやすさを重視するなと思うんですけど
岡田さんはなんか
見てるとやっぱり物語の中の人と
会話しながらこの人作ってれそうだな
って気がする気がして
それこそ
いつみのポジションにも似てるというか
物語の中の人を自分が作ってたら
その人のことをすごく好きになるんだけど
自分はその人に愛は伝えられないみたいな
ある意味いつみは
作家としての岡田真理さん本人の
作品を作ってる時の
状態なのかもしれないなみたいな
話してて思い至りました
フィクションに恋愛するとか普通ですもんね
うんうんうんうん
じゃあちょっと時間もかかってるので
そんな感じで
アイスとテレスの幻工場の
話はとこうかなと思います
はい
次回都知事会
マイナス案不在になるので
ちょっと我々本位で
作品というかテーマ選んでもいいかな
と思ってるんですけど
そうですね
何がありますかね
まず来週ですか
来週
公開作品でいうと
なんか見に行こうと決めてるやつとかってあります?
ちょっと気になってるのは
コカインベアですけど
コカインベアは前田さんいてほしいからなっていう
うんうんうん
確かにコカインベアはなんかいてほしいなっていう
ありますけど
あとピギーも絶対前田さん案件だなと思ってるんですけど
うん
意外となんか喋れそうなやつ
ないのか
バットランズもね気にはなってるんですけどね
うん
上には行きますよ
上映中作
なんか配信で見たんですけど
ちょうど配信の中で見て
今週それこそリマスター公開されてるっていうので
台風クラブ見たんですよ
ほうほうほう
前知事監督の
ただちょっと自分だけでもこれまだ消化しきれてなくて
台風クラブ
台風クラブ
割ともし見られた方がいたら
これは感想聞きたかったなって思ってはいた作品ではあります
気になってはいるんですけどね
台風クラブ
見たことないんですけども
有名ですよね
映画バーとかに来られる方とか
台風クラブ大好きな方とか
西野さんとかいらっしゃる
確かそういうことをおっしゃってたと思うんですけど
せっかくやしじゃあ
行ってみます?
せっかく3人だからこそみたいな
感じなテーマを
新作でもいいし旧作でもいいしみたいな感じで
選べたらいいですよね
じゃあ台風クラブ
行っちゃいましょうか一回
わかりました
はい行っちゃいましょう
自治会なんですけど
アンダーカレントがあるんですよね
ただ
今泉作品は
僕前田さん必須やと思ってて
なので
1:12:00
前田さん復帰後にもしやる機会があるようであれば
アンダーカレントやりたい気持ちが
あるんですけど
はいはいはい
ちょっと公開作品とは
別でやってもいいかなって思ってたんですが
お便りを
軸に話してみるのどうだろうって
思ってて
お便りいただいたことについて
話すっていう
なので自治会までの
ちょっとタイムスパンを長めに
設けていただいたお便りについて
喋りますっていう
いわゆるお便り会ってやつですか
どうかなっていう
なんか簡単に
普通のお便り
はいはいはい
テーマとかを軽く設けてもいいのかな
と思うんですけど
お便りを送りやすさっていう意味で言うと
あの作品に関して
喋ってよ
あーリクエストってことですね
リクエスト
この映画について喋ってほしかったなとか
聞きたいとかってことですよね
リクエストあるいはおすすめみたいな感じ
ですよね
確かにそれいいですね
時間募集してやってみますか
もし来なかったら
フリートークですね
そうですね
自治会が公開された時に
フリートークになってたら
来なかったんだなっていう風に
察してもらえたら
全然
構わないですって感じですね
もしよろしければ
ぜひお便りいただけたらと思います
はいではそんな感じで
いきたいと思います
ではお知らせになります
10月も映画の話し
スタスギルバーを開催予定です
場所は大阪の南銘森町
週刊周り
日時はまだ未定ですので
10月も開催するということだけ
覚えておいていただけたらと思います
さらに週刊マガニの
10周年イベント
劇場版マガニも参加予定です
場所は大阪の重曹にあるキャバレー
グランドサロン重曹
10月9日祝日16時開始
終了の予定です
我々以外にも多数の週刊マガニの
イベントが出展されますので
ぜひ遊びに来てください
さらにさらに第2回の
映画の話しスタスギルバーの関東開催が
決定しました
日時は12月16日土曜日
場所がイベントバー
エデン横浜オープン時間等
はまた後日
お知らせいたします
加えてこの日は
バーイベントの前に
公開収録を開催します
場所は横浜にある
トークライブハウス
ネイキッドロフト
日時等はまた後日お知らせいたしますので
バーと公開収録
合わせて楽しみにしていただけたら
と思います
またこの番組ではお便りを募集中です
番組全体や次回テーマの感想など
ご自由にお送りください
バーの最新情報番組次回テーマは
xツイッターにて告知しておりますので
ぜひフォローをお願いいたします
1:15:01
答えや受付先、フィックスアカウント
番組グッズやディスコードサーバー参加
申し込みなど各ご案内を
番組説明文に記載しておりますので
ご確認くださいませ
それでは映画の話し親すぎラジオ
第135回
アリースとテリスの幻行女の回を
終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら