2025-07-30 1:11:13

【Replay】映画『#her』人と人とをつなぐものとは? [Replay] her — The Invisible Threads That Bind Us

Sometimes I think I have felt everything I'm ever gonna feel. And from here on out, I'm not gonna feel anything new. Just lesser versions of what I've already felt.

ーーーーー

映画談義ポッドキャストパーソナリティまこです。

今回は #ポケ沼 よりオーマを迎えての収録です。

#her について。

AIをテーマにした作品、意外と昔からいっぱいあるんですよね。

この年代の作品を昔とか言っちゃうと自分で悲しくなるのですが。

人ならざるものとの愛の形。

AIがもつ感情とはなにか。それは見せかけだけのプログラムなのか。

だとしたら人の感情との決定的な相違点はなんなのか。

僕らが知覚している愛という感情は実は言語により支えられていやしないか。

非言語的なコミュニケーションを100%行うことができるとしたら。

お楽しみください。

#her 

#AI 

#LOVE

ーーーーー

podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『よもやまこばなし』の公式アカウント。

ゲストを招いてのトーク回もあります。

エピソードの公開は毎週or隔週となります。

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いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

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これからも番組をよろしくお願いします。


“Sometimes I think I’ve felt everything I’m ever gonna feel. And from here on out, I’m not gonna feel anything new. Just lesser versions of what I’ve already felt.”

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Hey, I’m Mako — your movie podcast host.
This time, I’m joined by Oma from Swamp in Your Pocket (#ポケ沼).

Our topic today:
her.

There have been a lot of films about AI love stories — even way before this one.
And yeah, calling 2013 “a while ago” makes me feel old too…

But what exactly is love between a human and something not human?

When an AI shows emotion, is it just clever programming?
And if so, what makes human emotion any different?

The more I thought about it, the more I wondered:
Are the feelings we experience — love, joy, longing — actually held up by language?

If there were a way to communicate 100% without words… would love change?

Give it a listen — and let yourself feel something.

#her
#AI
#Love
#MovieTalk
#まこばな

ーーー

Hosted by Mako (@_macobana), this is the official account for Yomoyama Kobanashi, a podcast spun off from Swamp in Your Pocket (#ポケ沼).

Sometimes solo, sometimes with guests.
There’s always more to talk about.

New episodes drop weekly or biweekly.

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Thanks for listening — and for feeling along with us.

00:05
Reel Friends in TOKYO 〜バックナンバー 過去のエピソードをプレイバック!
はい、ということで、本日のテーマは映画、『her』人と人とをつなぐものとは
ちょっと待って、待って、待って、待って
待って、待って、待って
『her』
『her』
人と人とをつなぐものとは
はい
はい
というテーマでお送りしたいと思います
毎度のことだからね、今急に発表いたしましたんで
しっかりメモしましたね
最後、急から
困惑しております
僕も考えてませんけど
じゃあそんな感じで
はい
行こうかな
じゃああらすじ紹介2分間
行きますか
15分にすること
見たことある人は見たことある人は
頭の中でちょっとイメージしながら聞いてみてください
はい
じゃあ行くよ
はい
よーいどん
はい、というわけで映画、『her』を今回は見ました
今ね私たちの生活の中でも切っても切り離せない存在へと進化しようとしているAI
もしもこのAIがですね
皆さんにとっての人生のパートナーになるような日が来るとしたら
あなたはそこに愛を見出すことができるでしょうか
的なね
そんなテーマの映画になっております
今回見た映画、『her』は
そういった問いをとことん作品全体を通して掘り下げていったような作品になっております
舞台はロサンゼルスで未来ですね
近未来の設定となっていて
心に孤独を抱えている男性セオドアという人が
AIオペレーティングシステムであるサマンサを購入し
サマンサとの会話の中で恋に落ちていきます
セオドア自身は過去に
現在進行形で妻と離婚調停中みたいな状況で
恋というものに臆病になっているような人間です
そんな彼に対してプログラムでありながら
非常に親密に優しく彼を理解する形で
コミュニケーションをとっていくサマンサ
AIとの間に生まれた愛
それは果たして本物の愛と呼んでいいのかどうか
彼を取り巻く様々な登場人物たちも
それぞれに人との関係性の中で何かしらの問題を抱えています
そういった人間と人間との社交的な問題
そしてセオドアとAIというこの2人の間に生まれた
これが対比的に描かれることによって
私たちは人と人とをつなぐものについて
思考余儀なくされます
03:01
映画ハーを見て皆さんもAIとの関係性
それが今まさに皆さんが生きる現代社会においても
どのように進化していくのか一度考えてみてください
やるじゃん
今回やばない?
今回ちょっとねなんかちょっと悔しいね
今回やばない?ちょっと良かったね今
ちょっとねこき下ろしてやろうと思ったのにね
ちょっと途中で設定っていう言葉が出てこなくて
焦ったけどねだいぶ
忘れたけど後半盛り返した感がありますんで
でも今回の映画は結構有名も有名で
作品としては何年の作品だこれ
2016年だったっけな確か
もうすでにね10年たとうとしてるような作品ではあるんですけど
AIについての作品として
名前はまず上がる作品にはなってんじゃないかなって気はしているし
なんかジョーカーでかなり跳ねたけど
そもそもフォアキン・フェニックスは別にジョーカーで跳ねる前から
演技派として結構認められてはいたので
そんな彼が対象がAIですから
画面に映る頻度としてはかなり彼が多くを絞めるので
本当に単独主演みたいな感じで作品の中で結構演技をされてるんですけど
サバンサの声さあの人だよね
誰?
ブラックウィードをやってる人
スカーレット・ヨハンソン
えマジ?
じゃない?絶対そうだなと思いながら勝手に聞いてたんですけど
違うんですか?ちょっとハスキーで鼻にかかったような
俳優
スカーレット・ヨハンソン
だよね
もうね声特徴的すぎて
この人かはいはいはい
絶対そうだなと思って
スカーレット・ヨハンソンは僕がマッチポイントに出た時からずっと注目してたんで
マッチポンプ?
マッチポンプで
マッチポイントっていう作品があったりするんですけど
シングのハリネズミか
そっち?
そっちですか
まあまあまあ用意としまして
そんな彼女も一応ビッグネームですからね
そんな彼女が声だけの出演ということで出てくるっていうところもなかなか度肝を抜くような
キャスティングだったんじゃないかなって気がしますけど
でもやっぱものすごくセクシーな声をしてらっしゃるので
見た目もセクシーですし唇もセクシーですし体つきもセクシーですし
06:01
涼しげなね
全部セクシーじゃん
本当にセクシーを形にしたらスカーレット・ヨハンソンになると言っても過言ではない
確かに
まあいわば
ダーク・イードウはねエロいもんね
そうそうそう
だからまあエロいって言うとなんかちょっとね
俗物的な感じの表現になっちゃうんでセクシーと言ってほしいんですけど
なんかこうかつての映画シーンの中でマリリン・モーロンが
いわばアメリカにおけるセックスシンボルになっていたんだけれども
スカーレット・ヨハンソンはあるでしょねセクシーを
本当にみんながイメージするセクシーな女性
それで言ってちゃんと芯があるセクシーな女性みたいな
そんな造形を持っていらっしゃる方なので
そんな彼女が見た目っていうのを捨て去ったキャストにするっていう
これなかなか面白いことやってるなって気はしましたねまず
確かにね
逆に見えないからこそ想像するっていうのが逆に書き立てられるものってあるじゃないですか
なんかギリギリ聞き方によってはすごく変態的なことを言ってる時に
噛んだのか知らないけど書き垂れみたいなこと言うのやめてもらっていいですか
書き立てられるね
ちょっと気をつけてください本当に
逆に全部見せられるよりも多少隠されてた方がいいみたいな時あるじゃん
今日大丈夫?
まともな話よ
例えばミロのビーナスよ
ミロのビーナスって完全に手がないからこそ
手のどういう造形をしてるのかなっていうのをイメージして美しさを表現されるかもしれないし
サモトラ家のニケみたいな
そうそうそうよくわかんないけど
ああそうそうね
確かにそうですね
実際何の意味も持たなそうな謎のシンボルを一部隠してみたらちゃんと文字に見えるみたいな
隠されることによって人間は脳で保管する機能があるみたいな話は聞いたことがあるので
確かにその通りだなという気はしますけどね
まずシンプルにどうでしたか今回作品見てみて
いや僕はね結構この作品好きではある
好きではあるけどなんかスッキリはしないよね
まあそうだよね
結局
終わり方をどう解釈するべきなのかみたいな
これ今回の作品は一応見てない方はここでブラウザのバックボタンを押していただきたいんですけど
09:03
最終的には破局しますよね
そうだね
AIであるサマンサは実はセオドア以外のさまざまな
例えば男性だったり女性だったりと
いわば恋愛関係に実はあってそのクラウド上でつながってるから並列処理をしていたと
たくさんの人間の恋人を持っていて
最終的には彼女の進化は止まらず非言語的なコミュニケーションを他のAIととったりして
爆発的に進化を遂げて最終的にはもう人間とのコミュニケーションというものをやめてしまうんですよね
でバイバイみたいな
感じでいなくなっちゃうという
見方によってだからもうAIとの恋愛なんて見せかけで何の価値もないし
初めから何も始まっちゃいなかったみたいな非常になんていうのかな
もう元も子もないような終わり方みたいなふうに読み取ることもできなくはないので
なんかそうするとこの作品通して一体何が言いたかったんだろうっていうのが
ちょっとピンとこないまま終わっちゃう人も多いんじゃないのかなって気がしていて
僕自身もあんまりスッキリした気持ちはしてないので
だから今回ちょっと話をしていく中で
まあ一個ねこういうことかなみたいなのがもやっとあるんだけど
まだ結論まで到達はしていないのでその辺をちょっと今日語りながら模索していきたいなとは思っています
まあ僕も好きではあるよこういうの
好きではあるけど
ちょっと退屈だったんだよね
起伏的
まあそうね
日曜の午後2時ぐらいに何もすることがなくて
スナックつまみながらコーヒー飲んでダラダラするときに見る映画
まあそんなイメージはあるかもしれない
人ならざるものと人との交流および恋みたいなものを描くという点では前回のアンドリューとも重なる部分もあるんだけど
そうだね
あっちはほっこり系じゃないですか
こっちはシリアス系じゃないですか
恋愛のシリアスって全然興味ないのね
それはね小説は事実より気なり
曲だね
事実は小説より気なりだね
あなたの過去のね
数々の女性変歴というか
真子が起こしたわけではなく真子に溺れた女性たちの話を聞いてる
12:04
そっちの方がよっぽどドラマなんですよ
そうですねだからなんかこうふーんとしかならないっていうのはひょっとしたらあるのかもしれないという
そのあたりをちょっと感じると自分がどういうものを好んでるのかっていうのはなんとなく見えてくるのかなって気がするんですけど
それでも文句は言いながらも基本映画はより好み次第で必ず見るということはしているので
母に関してもすでに一回見たことがあった上で今回選ばれたんでもう一度見てみたということなんですけど
だからやっぱり好みのタイプの映画ではないけどテーマに関して掘り下げていけば十分面白い要素がすごいあるなという気はしているんですよね
でいいですかもう僕切り込んでって
えちょっとあの
一個ジャブ的なのがあれば
2個だけ
2個ジャブはい
まずね一個のジャブはあのやっぱりホアキンフィニックスでどんな映画出てもはぁってやるんだなと思った
そうね
そうあのなんだ猫で首を絞めてみたいな
あれ完全に棒でしたね
棒だったね
あそこで棒が出たね
ちょっとあれでちょっと嬉しくなった
ちょっと嬉しくなった
ホワイキン・フィニックスだと思って
まずもって猫で首を絞める発想よね
それ、世の中には奇特な人がいっぱいいるんだなって思ったよ
でもね、あれもね結構大事なシーンだったんじゃないかと思ってるんでね
そうね
今何の話してるかっていうと
セオドアが一人ぼっちの孤独を埋めるために
テレフォンセックスをするっていうシーンがあるんですよね
知らない女性とつながって
ちょっといい感じに盛り上がるんだけど
相手が結構そういう思考が随分尖った方で
一番いい時にちょっともうなんか
枕元にいる猫で私の首を絞めてみたいな
ちょっと訳のわからない方向に走り始めて
セオドアはそれで一気に色々唱えちゃったんだけど
それを相手に伝える勇気がないから
一応電話口では自分も乗ってる感じになって
共に果てようとするっていうシーンがあるんですけど
あれってだから目に見えない相手っていうのに
信頼を築くためには言葉しか頼りがないというか
手がかりがないっていうシーンだと思うんですね
言葉で相手をイメージするしかないっていう
セオドアが言葉を信頼している人間なんだとすれば
やっぱりその言葉をものすごく意識していて
15:02
彼が興奮する手段っていうのが
言葉にあるっていうのもある意味象徴的だなって気がしている
仕事も言葉だしね
確かにね、手紙屋さんだもんね
手紙の代筆屋さんで
言葉を扱っている男で言葉を大事にしているからこそ
自分自身の生命維持というか
生命をつなぐ行為においても言葉っていうのを重視すると
ただやっぱり相手が見えない以上
本当に言葉を占める責任が重いから
言葉でしか相手をイメージできない
そこにだからその脆さというかね
ってことは相手が言う言葉で相手の像が変わっちゃうわけじゃない
多分セオドアがあのセリフが出てくるまでに
イメージしていた女性のイメージと
猫で首絞めて後は全く違う相手をイメージしてるわけだから
ちょっとグロスの色とか変わったりするよね
変わったりするよね
そりゃファーってなるよね
っていうのが多分あるのかなって気がして
それを理解した上で
今回の恋愛の相手であるサマンサが実像を持たない
AIであるということにも意味が出てくるのかなって気がするんですよ
というただのお笑いシーンじゃないのかなという気はしてるけど
面白いことこの上ないシーンですね
いやいやもう最高に笑った
最高ですねあれ僕電車で見たんでちょっと最悪でしたね
本当に勘弁してくれよと
こんな笑うやろみたいなのありましたけどね
あと何ジャブですか
あとねちょっとほっこりしたっていうかね
これ女性胸キュンじゃないかなって思ったシーンが一個あった
シーンというか設定というかっていうのがあって
一応サマンサはOSだからさ
未来の形態ってさ
名刺のさ
名刺入れぐらいのサイズぐらいになってきてるじゃないかな
だから多分胸ポケットに入れると全部すっぽり入っちゃうんだよ
だからセオドはどうしてたかっていうと
安全ピンを胸ポケットに付けて
それに入れてたの携帯を
なんかそのちょっとした心配りみたいなのがさ
ちょっとなんかキュンってしちゃったっていう
なるほどね確かに結構あそこ面白いですよね
僕もだからポケット入ろうって思いました
あのサイズポケット埋まって
なるほどねみたいな
端末のカメラの部分がちゃんと胸ポケットから顔を覗かせるように
ポケットの深さを調整しているみたいな
そんなシーンが特に説明もなく差し込まれてくるっていうところもいいですよね
どうですか?
18:01
何ですか?
何か言いたいことある?この作品
この作品ね
そうだね
どうしよう
さっき僕から言っちゃっていいのかい?
じゃあさっきのテレフォンにあららの件で僕の話そのまま続いていっちゃうんで
いいよいいよ
言っちゃっていいですか?
いいよいいよ
セオドアはやっぱり言葉で生きてる
言葉と生きていくみたいな人だと思うんですよ
防身分な
言葉でしか自分を表現できないタイプの人間なんじゃないかなって気がするんですね
それでいうと妻とうまくいかなかった理由も
あなたは自分を表現しないで自分の殻に閉じこもってしまったみたいなこと言われてたと思うんですけど
やっぱり自己表現が苦手
自己表現が苦手だからこそ他者を介することで自己表現ができる
だから手紙の代筆者として成功してるんじゃないのかって気がするんですよ
本当は自分の心を表現したいんだけどそれは恐れているから防は防じゃないか
セオドアは恐れているから自分という意味で自分の心を表現するっていうことに臆病になっているから
他者を介して自分の表現というものをしている
自己表現をしているっていうそういう人間なのかなっていうふうに思ったんですよね
とにかくだからこそ彼は言葉をめっちゃ大事にしている
反面言葉を超えた繋がりも人に求めてるんじゃないのかっていう気もするんですよ
自分が言葉でしか表現ができなくて
でもその言葉も臆病だから自分に対しては自分を司るものに関してはなかなか出力できないっていう中で
人に対しては言葉を超えた繋がりっていうものをしてるんじゃないのか
だから妻に求めていたものもそれだったんじゃないのかと
ただ妻からしてみれば言葉で表現する存在である夫が言葉を全く使わないで
自分の体に閉じこもるっていうのはおそらくそういうことだと思うんだけど
今自分がどういう気持ちなのかっていうところを多く語らずに振る舞う
結局振る舞ったことから推測するしかないから
そこにおそらくずれが生じてうまくいかなかったのかなっていうふうに思うと
セオドイは言葉に依存しながらも言葉を超えたものっていうものを人に求めている存在なんじゃないのかなっていうふうに思ったんですよ
対してサマンサはOSじゃないですか
彼女はすごく社交的でなおかつ非常にセオドアに対して
重要的に全てを受け入れるような存在として動いてくれるわけですよね
ただその一方でそれらはやっぱりプログラムでしかないから
21:01
あくまで見せかけっていうところはやっぱり前提として多分この映画は描いてると思うんですよ
というのも彼女はそもそも言語を必要としていないっていうことが後々語られるわけじゃないですか
急に非言語的なコミュニケーションをとっている相手である男性のAIをセオドアに紹介してセオドアがめっちゃ嫉妬するみたいなシーンがあるんですけど
なんかそういうなんていうのかな
言葉で生きていて言葉を超えたものを欲しているセオドアに対して
言葉を使ってはいるけど原来言葉を必要としてないサマンサっていう存在が非常にこう
アンチテイゼ的なものとして出てるんじゃないのかって気がしてるんですね
まるで真逆じゃないですか
しかもセオドアが言葉以外のもので求めているっていうのは結構さっきの猫のシーンですごく象徴的に現れていて
セオドアがチャットでイメージした女性っていうのはその通勤その日の通勤時にスパムメールみたいな感じでやってきた妊婦のエロ画像を
また妊婦ヌードの画像ですよね
そうそうそれをイメージしてるわけじゃない
ここで妊婦である必要はなかったけど多分あえて妊婦を出したんだと思うんだけどもね
映画としてはじゃあ妊婦っていうのはどういう存在なのかっていうと
おそらくその生物的なこの要素みたいなところがすごく詰まった存在
肉としてだったりとか生き物として生物としてみたいなその象徴みたいなところに
セックス的な性の欲望みたいなのを求めているんだけれども
でも現実的にはそのAIでこのチャットしていく中ではそことの繋がりは持てなかったよみたいな挫折みたいなところの
現れだったのかなって思うとやっぱあの爆笑シーンは意外と重要だよね
そうだよねまたあれもある種母性の象徴としても見ることができるかもしれない
セオドアが本当に求めているその言語を超越した理解っていうのってある意味では母子の理想的な関係性に近いんじゃないのかっていう
子供っていうのは本来まだ言語を習得していない中で母はその様々な態度だったり様子だったりから
子供の考えていることを想像してそれを埋めようとするそれが理想的な母子の関係性であるっていうふうに考えると
セオドアが無意識下でそれを実は女性に求めているから
それが性欲のトリガーになっていたんじゃないかっていう妊婦がっていうふうにも見ることができるんじゃないか
24:05
とにかくだからセオドアはすごく言語に依存している割には言語を超えたものをしていて
サマンスは言語を必要としてないけど言語によって表現をするっていう存在ですよっていう中で
この両者が恋愛をするってなったら
ある意味じゃぴったりだしある意味じゃうまくいくはずもないだろうという話にはなってくるわけで
だからそこらへんを紐解いていくとこのエンディングも納得ができるというか
やっぱりそうなるよねっていうセオドアが求めているものと
サマンスの特性っていうのは当然こういった結末におそらく帰結するんじゃないのかっていうところは納得がいくなというふうに思ったので
結構キャラクターの造形こだわってんじゃないのかっていうのをすごく感じたんですよ
その点でですよ
その点において他の登場人物にも焦点を当てると
さっきあらすじの中でも触れたんだが
やっぱりそれぞれにコミュニケーションっていうこの一つのテーマに対して
何かしらの象徴的な意味合いを持つ人物が多いんじゃないのかと思うんですね
キャサリン
隣人?
キャサリンは元妻
元妻か
非常に社会的に成功を収めていて
たびたびセオドアはキャサリンとの思い出みたいなものを
追憶の中で触れていくんですよね
その度に視聴者はキャサリンとセオドアの超甘々ラブラブ映像みたいなのを見せつけられて
その度に不快な思いをするんですけど
不快か
ほっこりしようよ
ただそこでキャサリンがようやくその記憶の中の
セオドアの記憶の中のではなく本当に実在する人物としてスクリーンに登場すると
全く違うんだよねキャラクターがね
あれっていうのは結局セオドアの記憶の中にしかないキャサリンだから
ある意味では確かにそういう時期もあったんだろうけど
すでに美化されきっているキャサリンとの思い出なんじゃないのかと
あそこで描かれていたキャサリンの姿っていうのは
やっぱりまさに言語を超えた理解と需要みたいな
そんな姿で描かれていたと思うんだけれども
対してキャサリンはどういう性格なのかっていうと
非常にセンシティブな繊細な人間でありつつ
非常にそれが悪い方向に出て
かなりアグレッシブ攻撃的な態度をセオドアに向けるような存在
27:04
セオドアがやることの全てを自分の物差しで測って
あなたはこれが主体だけだっていうふうに断言するっていう
コミュニケーションにおいて最もよろしくない無理解っていうね
そういう存在として描かれてるなっていうふうに思ったんですよ
キャサリンが無理解の象徴なんだとしたら
じゃあ理解の象徴的な人間ってどこにいるんだろうっていうふうに考えた時に
ある種AIのサマンサも理解の象徴のような振りをしてるんだけれども
彼女からするとそれはセオドアを理解したいというよりは
人間の思考パターンを理解しようとしている
純粋に自分の成長のためにそれが必要なものだから
ある意味では本当に好奇心
人間でいうところの好奇心を餌に動いているに過ぎないっていうふうに考えると
これ理解の象徴と言っていいのかっていう話にもなっていく
セオドアはそこに理解の姿を彼は見たからサマンサに惹かれていくんだけれども
サマンサにとってはそれは別に好奇心を満たす行為だって理解ではないっていうふうにも言えるかなと
そこで目につくのがエイミーなんですよね
隣人
隣人でございます
ヤリコット
セオドアの友人で映像作家
ゲーム作ってたと思うんだけど
元恋人
ですよね元恋人学生時代の元恋人でもある
彼女は非常に繊細な人物ではあるんですけれども
自分の意見っていうものを確かにはっきりと持っている存在
一方で自分の意見の伝え方みたいな部分で旦那と破局するんですけれども
ただ彼女は限りなくセオドアに理想的な接し方をしているなという気がするんですよね
おそらく多分そのセオドアが本来的に求める人物像はエイミーだよね
エイミーなんだよね
そう
のは思う
そこにエイミーっていう存在がいるにもかかわらず
セオドアは結局なんだろうな
そこもよくわかんないんだけどね
何があってエイミーと破局して
何があってキャサリンと繋がったのかもよくわかんないんですけど
エイミーはやっぱりキャサリンに対する対照的な人物として描かれてるんじゃないのかと
非常にコミュニケーションにおける理解の象徴として描かれているなという気がしました
対してエイミーの旦那のポールは
これもまた結構厄介な人間として描かれてるなという
30:04
エレベーターで一番初めに一緒になった時も結構めんどくさいことを言ってましたよね
何言ってたっけ
果物はジュースにするなみたいな野菜はジュースにしろみたいな
なんか言ってたねどうでもいいと思って
本当に自分の価値観を基準にして物言いをする人だから
エイミーに対しても物はこういう風に管理しろみたいな動向を言ってて
エイミーが言いたいことを結局ポールに対して
そのエレベーターの時もちょっと飲み込み感じで対応していたことからわかるように
なんかやっぱりコミュニケーションのあり方って人によって違って
それが噛み合わない限りは分かり合えないよねっていう
そういうところが多分この辺に描かれてるんじゃないのかしら
なんていうことをちょっと見ながら思っていました
とにかくコミュニケーションの限界だったり不一致みたいなものが
ここの作品に出てくる登場人物は
とことんそれを描くためのツールとして使われてるんじゃないのか
っていうことを感じたということです
確かにそう考えると
セオドアの中のイメージのキャサリンと現実のキャサリンって全然違ったじゃない
そうすると見る側としては
じゃあ実はセオドアとキャサリンってどういう関係性だったのかっていうのが結構見えないじゃない
それを表してくれるのが
エイミーと
ポール
だったのかなって今ちょっと聞いてて思って
たぶんおそらくエイミーがセオドア
ポールがキャサリンみたいな立ち位置
視野は逆転してるけれども
実際セオドアがイメージしているこの世界
思い出の世界っていうのは現実的にはこういうやりとりだったんだろうね
みたいなところのイメージソースとして
ポールとエイミーが出てきてるのかなとかっていうのを今ちょっと聞いててすごい思った
人間のコミュニケーションってやっぱり言語が主軸になってるんだよねっていう
もちろんそれ以外のノンバーバルな
身体的な記号っていうところで読み取ったりすることもあるっちゃあるんだけれども
やっぱり他者に何か分からせる伝えるためにはやっぱり言語っていうのはかなり重要な
ツールになっていて
であるいはその言語の選び方だったりあるいはその言語の受け取り方
によってやっぱり何かしらのそこが生まれてくると
だからそれこそが言語の限界で
言語の限界ということはそれすなわち人間のコミュニケーションの限界なんだよ
33:03
っていうことを言いたいのかなと言う気がするんですよね
だから別にセオドアとキャサリンが破局してない世界線もあるかもしれないけど
それは奇跡的に互いのその伝え方と読み取り方が合致してた
というだけであって実際は
いや合致してなくてもいいんだわ
当人が伝わったと思っていて
当人が理解したと思ってたらそれで済む話ではあるんだよね
実際合致してなくても
合致してないことにお互い許容している状況であれば
それがその辺だよね
今大間が言ったそれってたぶん到達点だと思うんですよ
その到達点にある人はこの作品にはいないんだよね
そうだね
でも唯一到達することができた人がいるんだとしたら
それは作品が終わった時のセオドアなんだと思うんですよ
これはただ最終的には破局という道になったんだけれども
それはサマンサとの関係性に対する限界の理解だよね
それは言葉で伝える以上言葉で伝えきれないものがあるということを
理解して生きていくことしかできない人間に対して
言葉を超えたコミュニケーションができちゃうサマンサからすると
もう学ぶことがないっていうところにもなってくるのかなって気がするんですよね
それが人間が人間であることの証拠みたいな
これって前回アンドリューで触れたようなところになるのかもしれないんだけど
人間を人間として認めるために人間の不完全さっていうものが
最終的にはよりどころになるみたいな
今回もある意味ではそういう終わり方なんじゃないのかという気はしましたね
そうだね
どうしようかな
人間の不完全さみたいなところで
セオドじゃなくてエミリアじゃなくてサマンサの対比みたいなところで
またなんか変な人のやつをちょっと引用するんだけどさ
イデアロンをちょっとね
アリストテレスですか
プラトンの方です
あ、プラトンか
プラトンのイデアロン
アリストテレスの系列だけでね
をちょっと思い浮かべてそのイデアロンっていうのが
僕らがこう今見えてる世界線っていうのは不完全なものなんだけれども
僕らっていうのは影の世界に生きていて
その光の世界の方には本当の完璧な姿っていうものがあるという
36:05
その本当の姿のことをイデアって呼ぶんだけれども
自分らが見えてるものはその感覚の世界っていうのは
イデアのコピーとか不完全なコピーだったり影にしか過ぎないと
だから何て言うんだろうな
ソフィーの世界で僕読みましたよ
そういえば
ソフィーの世界
知らないソフィーの世界っていう
ソフィアフィロソフィアから来てるんですけど
ちょうどあるな
ヨースタインゴルデルっていう哲学の人が書いた
哲学を子供に分かりやすく紹介してくれる物語です
プラトンのイデアも出てきましたね
そのあれですよねだから
馬って呼ばれるものはいろんな形があって
いろんな種類の馬がいるのに僕らそれを馬だっていう風に認識ができる
それぞれ違うのに
なぜこのこういう若干の違いは無視してこういうものを馬って感じられるのか
それはイデア界というものがあって
イデア界には馬のイデアがあって
それの影を僕らは見てるから
感覚的にもうこれは馬であるってわかるんだっていう
多分スタートはそういう思想だった気がするんですよね
そうそうそうそう
だからあの
確かねそのアリストテレスとかの系譜から来てるから
もともとその法律だったりとかっていうところも
考え方から来てて
正義っていうものっていうのは個々人にしかないんだけれども
それを集合体として見た時に
じゃあ各々掲げる正義っていうのと
集合体としての正義が違うのはなぜか
そしてなんかその本当の正義っていうものがあって
我々はそれを影として認知してるから
その不完全なものしか認知できないんだみたいな
のから出てきてて
だからおそらくそのセオドアっていう
その人間の世界っていうのと
そのある意味
サマンサがその
イデアの世界に行ける存在みたいなところで
ちょっと対比してるのかなとか
だから人間としての不完全さ
じゃあ不完全さとは何かっていうと
この映画の中では
その言語の感覚の共有であったりとか
意思の伝え方であったりとか
っていうところの
イデアっていうところが
多分話の中心になってきたと思うんだけども
だからその
サマンサはもう言語的なものを全部捨て去っていっている
だからその
ラーメン食って
あ美味しい
39:00
これ美味しいねっていう言葉を使わなくても
食べた瞬間
まこちゃんの脳みそには
僕と同じ美味しさが伝わるみたいな
っていうのが
なんか変な話だけどさ
まこせ新一の味ラジオみたいな感じですね
そうそうそう味ラジオ
それもそのまま
そう味ラジオ
本当に味ラジオだね確かにね
でもまあ確かに
僕らが何かを食べて美味しいって思った時に
これ美味しいよねって言って
でも確かに美味しいって言ってはいるけど
感じてる美味しさはひょっとしたら違うかもしれないっていうね
そうそうそうそう
それを共有するためには
非言語的な何かの手がかりがないといけないんだけど
でもそれって人間には無理な話ですよねっていう
そうそう
サマンサはいけんのか
そうサマンサはそれができちゃうし
人間同士でも
いわゆる色っていうのもなんかね
哲学でよく語られるんだけど
僕が見ている赤色っていうのと
まこが見ている赤色は果たして同じ色なんだろう
っていうのを証明ができないっていう
実は僕は青として認識してるけれどもみたいな
まこはそれを赤と認識してるみたいな
それもねよく出てきますけど
僕は小学生の時にそれ自力で到達したんですよ
急に色が信じられなくなって
って急になったんですよね
えって赤
この赤じゃない色を仮に誰かが見てたとして
でもその人はこの色を仮に僕が言う青に見えていたとしても
それを赤だと思って生きてるから
僕と同じように赤って答えるだろうと
だとしたら僕がこの赤色を赤と呼んで
僕にとっての青を見ているであろうその人も
同じものを赤と認識している以上はもうこれは
お互いが赤としか表現できないから
本当に見ている色を証明なんて絶対にできないんだっていうことに
色鉛筆見て気づいたんですよ
どういう証明
友達にその話をしたのよ
色鉛筆色があるけどさ
もしこの色が僕が見ている色と
君が見ている色が全くまるっきりバラバラでも
でもそれを絶対に証明できないんだよねっていう話をしたら
そんなことを考えて何になるのって言われて
すっごいショックを受けたの今でも鮮明に覚えてるんですよ
アリストテレスに謝るって感じだね
それで中学ぐらいになってそんなことがあったんだよねって話をしたら
42:00
それはよくある話だよみたいな
僕が初めて気づいたわけじゃないんだな
つまんねえ人生だなって思ったっていうオチがありますね
本当に世の中自分が思いついたことっていうのは
すでに偉い人が全部見つけ終わった後だなっていう
ドラえもんののび太がよく言ってるやつですね
世界は何でもかんでも発見されすぎてるみたいな
僕が発見できるようなものなんてないじゃないかみたいな
昔に生きたいみたいなね
そんなことをのび太レベルで感じた経験がありますね
なるほどね
でもその通りだよねっていう
逆に僕はこれを見てさ
例えば様々な感覚を人間が感じられるようになったらどうなるんだろうな
とかっていうのもちょっと妄想したりした
それに近い作品をそれこそスカーレットヨハンソンがやってんすよね
まあ
俺それも見たんだよな
次はそれかな
いやでもねあれは好み分かれるよ
そうなんすか
なんてタイトルだったかな
頭良くなる映画
ルーシーだ
ルーシー?
ルーシーっていう映画ですね
これリュックベストン作品なんですよね
リュックベストンといえばタクシーです
見てない
タクシー見てない
フランスの暴走タクシー映画なんですけど
レンリンリンリンリン
ギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリ…
あれっ!
あのやつなんですけどそれを撮った監督の映画です
あのもう本当に見るからに頭の悪い女性が出てくるんですよ
彼女がとある厄介な事件に巻き込まれて
脳みそを限界まで使える力を手に入れるんですよね
そうしていく中で、徐々に人間性を失っていくみたいな作品なんですけど
アクションもいっぱいあって、いわばエンタメ作品的な感じではあるんですけど
終わり方とかは結構こういう感じみたいな
だから今回の作品がAI側、人間に近づこうとするっていう話だけれども
こっちはむしろ逆で、人間が本当に能力の限界を超えた時にどういうことが起きるのかみたいな
知能限界に到達した人間はどうなるのかみたいな
そんな話になってて、まあなんか対比的に楽しむことはできるんじゃないかって気がしますんで
これも今後作にはしておきましょうかね
そうだね、僕の大好きでロビン・ウィリアムスの次ぐらいに好きなモーガン・フリーマンが出てるからね
見るしかないですね
いやーこれはずっと候補ですね
45:03
あとは、なんだろうね
あと大きい話で言うとなんだろうな
感覚の世界、抽象の世界っていう話になったじゃない
これをまたちょっともう一人連れてくるんだけどさ
フサールっていう人がいらっしゃるんですよ
いや聞いたことがありそうだけど全くピンとこないですね
調べてみよう
フサールっていう人は減少学っていう学問をやった人で
後にハイデッカーとかが結構ブイブイ言わせて減少学っていうものが有名になって
今ではわりとこの質的研究、インタビューの研究とかの手法でよく使われるような学問になってくるんだけども
例えばその物事を見るっていうものに対してどういうふうに捉えるかっていうところを
ちょっと考えたっていうような感じでそれをちょっと哲学するっていう感じで
例えば僕らが今さパソコンの画面を見てるじゃない
じゃあこの絵を描いてくださいって言ったら
おそらくパソコンの画面の絵を描くんだけども
でも実は僕らはメガネをかけているからメガネの縁がこうやって見えてるし
鼻の先っちょがちょろっと見えてるし
下手したらこの眉毛のところがもうちょっと視界に入ってきたりとかして
その絵を描こうとした時にノイズとしてカットする部分っていうのを含めて
物っていうのは見えてるよね
じゃあ人が物を見たり考えたりする時って
そのノイズカット版だけじゃなくてそのノイズありのもの
むしろそのノイズにこそ人の真実があるんじゃないかみたいな
その今その自分の意識に現れているすべてのものっていうのが
その人の感覚すべてであるみたいなのの考え方で
なんて言ったらいいんだろうな
その例えばコーヒーを飲みますって言ったら
コーヒーの色が黒いとか苦いとか
コーヒーのいい香りがするとかっていうような
いい香りがするはダメだ
コーヒーの香りがするっていうようなその感覚的なところだけじゃなくて
コーヒー飲むと俺はリラックスできるんだよなとか
目覚めるんだよなっていうような考えだったりとか
コーヒーの香りがすごく気持ちいいなとか
リラックスできるなとかっていうような感覚を含めて
コーヒーというものを捉えてるよねみたいな
それが幻想学なんだけど
これがそのいわゆるサマンサがやっていた
この抽象の世界っていう話に限りなく近い学問がこれなのかなみたいな
48:02
ある種サマンサは言語化を必要としていない
人間ももちろん別に言語化しなくても自分の意識っていうものは対象化できるんだけど
サマンサはそもそも言語を全く必要としていないから
それがおそらくはものすごく精密で確かなんでしょうね
そういう幻想学みたいな学問としてそれが成立する以上は
そういった感覚がそこにあって
そういう感覚の存在っていうものを学問として意識して初めて対象化できるわけだから
それでいうとそのサマンサが得ているようなそのものの認識ほどのクリアさはおそらく持っていないのかなという
気がするよね
それは埋められないですよっていう
そうなんですよ
だってフサル出てきて何百年経つけど何百年経たないか
しプラトンが出てきてそれこそ何百年経つけどさ
答え出てないんだもん
まあまあまあそうよね
でもサマンサだったら出せる可能性はあるんですよね
通言語を超えてるからね
でもまあそういうところを聞いとっていくと
この作品は言語に対する絶望に
言語に依存するしかない人間に対する絶望を描いているかのように思えてきてしまうんだけど
でもやっぱりそうじゃないよねっていう部分もあるのかなって気がしていて
言語を超越したサマンサは去っていくんだけれども
言語を通じてある種新しい関係に消化させたエイミーはいるんだよね
このエイミーの存在が実はめちゃくちゃ大事なんじゃないかと思ってて
これがある種この作品を支えてる希望なんじゃないかと
キャサリンとの破局に関してはもう完全な言語の限界を描いた描写だと思うわけですよ
ひょっとしたらセオドアが自分の状況だったり
自分の願いっていうものをもっとわかりやすく言語化することができる人間だったら
あるいはキャサリンが相手の意図しているものを言語の外側からさらに読み取って
一方的に自分の理解を押し付けなければうまくやっていけるのかもしれないんだけれども
残念ながらそうではないから彼と彼女との間に交わされる言語では彼らの関係っていうのは後悔するしかなかったと
それは本当に言語の限界だよねっていう気はするんだけど
一方でエイミーとはかつて交際していたけれども破局をした
今ではそれぞれに旦那なり妻がいてっていうような関係性で
51:02
仕事の上では隣人の付き合いとしては簡単なコミュニケーションは取っていたんだけれども
有効な関係性もおそらく結婚生活がうまくいってた間は取っていたんだけれども
どうもちょっと離婚してからセオドアが暗いから
たぶんそういった関係も若干遠のいてたような感じだったのかなって思うんだが
この映画の中で明らかにセオドアとエイミーは
恋愛みたいな感情をさらに超えた理解の元友人関係をまた新たに構築していっている
それはある種関係の修復ではなく再構築だよね
これができるのってやっぱり言語がそこにあったからなんですよ
結局セオドアはその自分自身をうまく表現することはできないはずなのにもかかわらず
AIとの交際について結構スムーズにエイミーに対して説明してますよね
照れながら
エイミーもまたそれを一瞬戸惑いつつもしっかりと正面から受け止めて
そういう人私の周りでも出てるみたいな
そんな話を展開して授業をしていくっていう
あれってやっぱり言語の限界を知っている二人だからこそできるコミュニケーション
それがやっぱりあるんだよね
だから多分セオドアはエイミーに対して言語を超えた繋がりを
おそらくすでに感じているから恐れずにそれを言えただろうし
エイミーもまたセオドアが言語で自分を表現することが
実は苦手であるっていうことを理解しているからこそ
その言葉をどういう気持ちで絞り出すのかを瞬時に理解して
しっかり授業したんじゃないのかというふうに考えると
やっぱり言語には限界があるけどその言語の限界を知っている人間は
言語を通して新しい関係性っていうのを構築し得る
あるいは修復ができるっていうふうに考えると
これってやっぱり人間と言語に対する希望だよね
そういう面もしっかり表現した上でこの作品が終わっていくっていうのは
僕は結構気持ちがいいなとは思いましたそこまで考えると
確かに
特に結構今3人の関係性を見てるとすごい対比関係にあるなと思って
その言語で伝えきれなかった不完全だけれども
理解をしようとしなかったキャサリンとセオドア
理解をしようとしている理解をし合おうっていうことは完全にできるんだけれども
なんだ言語的なコミュニケーションっていうところも
ほぼセオドアの能力あるいはセオドア以上の能力を持てる
だけれどもこの2つっていうのはその不完全すぎてもダメだし
54:03
完全すぎても結局はうまくいかない
不完全だけれども理解し合おうとしている
人間同士っていうのが真のなんかこの理解を得ることがしあえるみたいなので
なんかすごくこの3者っていうのがこの対比関係にあるんだなっていうのを今ちょっと感じた
3者っていうのはセオドアキャサリン、セオドアサマンサ、セオドアエイミーってこと?
そうだねキャサリンが一番言語的にも
非言語的にも理解をしていない関係性
サマンサが言語的には理解しているんだけれども非言語的な部分で実は足元から崩れている関係
エイミーが一番人間としての感性系に近いコミュニケーションをお互いに取れてるよねエイミーとの間で
やっぱりそこが多分言いたかったのかね別にだからAIは主題ではないよねやっぱり
AIを通して完全な言語コミュニケーションの否定をしてるし
それによってだからこそその完全な言語コミュニケーションが不可能だからそれを理解した先があるっていう
そういう話なのかもしれないね
ある意味さ
キャサリンじゃなくてセオドアじゃなくてサマンサ
facebook だったりとかツイッターと似たような性質を持ってるなと思って
っていうのもさ例えば彼氏と別れた悲しいみたいなやつをやると
いろんな返信が返ってきたりするじゃないつぶやきに対してもちろん中には否定的なものもあれば
構成的なものもあるだけどその否定的なものっていうのはどんどん削除することが可能になってくるから
最終的には自分が見てて気持ちいいものだけ残っていったりするじゃない
それでじゃあ自分の孤独を埋められるのかって言ったらセオドアは埋められなかったみたいな
そのインターネット社会になってから需要しあえてるよって見せかけではできる関係性だったりとか
あるいはその社会の
社会の中での人とのつながりでお互いに媚びへつらうじゃないけど
っていうようなその希薄な関係性を
ある意味美読としているような風潮みたいなのもあったりもするけれどもそれって人と人との関わりだったりとかコミュニケーションにおいて
57:01
本質的な良さを見失ってないかいみたいな話になってくるのかなって
そこをもしかしたらこの監督言いたかったのかなってこの映画見てずっと思ったんだよね
確かにね踏み込まない限りは関係は発展しないよねっていうところも多分あるのかなっていう気がするね
やっぱりキャサリンとの関係性の中でやっぱりあなたが殻に閉じこもったからよっていうような話もあったと思うけど
やっぱりこう何だろうな内向きの姿勢でいる以上は人間で繋がれないよねっていうところ
あとは会社の受付のムチムチ男子
あれクリスプラットですよね
クリスプラットって誰だろう
ガーディアンズオブギャラクシーやってる人ですよね
マジ?
スターロードであれ多分
体型違いすぎ
役作りじゃない?
やば、デブだったじゃん
クリスプラットだよね
いやすごいなぁと思いながら見てましたけど
彼とのダブルデートなんかもさ
やっぱりこう彼すごく
あのなんだろうな
セオダーはちょっとどうしようかなっていうのが多分あったけど
なんか思い切ってそうカミングアウトすると
なんか割とうまくいってみたいなのもあって
やっぱりこう需要する人っていうのはやっぱりいてくれるけど
そこに踏み込む
それには踏み込みは絶対必要だよねっていうのは
多分意識的には表現してるのかなって気はしてますけどね
確かにね
その全ての人が理解あるわけではないよね
だけどもその全ての人に対しての理解がないわけでもないよねっていう
そうそうそう
だからなんかそれもまた我々が言語を扱わなければならない理由の一つではあるよねっていう
誰しもが同じ意見同じ価値観ではないから
やっぱり言語を持ってその穴をその水を埋めていかなければならない
だからある意味ではそのAIとの関係性っていうものを
AIとの恋愛のような関係性を全否定するキャサリンの
対極的なキャラクターとして
あの男性とその恋人が出てきたんじゃないのかっていう気はしますよね
なんかまあそういうところを見ていくと
果たしてこの作品は一体我々に何を訴えかけてきているというのだろうか
そこに踏み込んでいかざるを得ないわけなんですけれども
今回のテーマ何でしたっけ
1:00:00
人と人と繋ぐものとは
はい映画は人と人と繋ぐものとはになるんですけど
ちょっとそろそろここに踏み込んでいきたいんですけどなんかどうですか
そうだねこれ人とAIじゃなくて人と人だよね
人と人なんですよ
そうだとすると
やっぱり人間っていうのは誰しもこの言語的なあるいはコミュニケーションにおける不完全さっていうのは
100%誰しもが持っているはずのものなんだよね
そこはもう100%完璧なコミュニケーションができるっていう人が存在し得ないから
個々人が違うから
だとするとその不完全さの許容であったりとか
相手をおもんばかるだったりとかリスペクトして
この人こういう発言してるけれどもこうなのかもしれないとか
この人に関してのこの発言に関してはちょっとイラッとくるけども
この人の行動的にはこういうところはリスペクトできるよねみたいな
その不完全さを認めてあっていくこと
あるいはその不完全さを逆に愛するようなものっていうのが
人と人とをつなぐっていうの重要なそのキーになっていくんじゃないかなと
真面目な解答をすればそんな感じです
つまり一言で言うと
一言で言うと何?
どこを切り取ればいいんだろう?
需要になるの?それとも
需要じゃないんだよな
リスペクトが一番近いのかな僕の中で
リスペクトね
まあ敬う
敬う
尊重するというか
なるほどね
確かにそうだよね
だからやっぱ尊重を持って初めて理解の姿勢が出てくるっていうような気がするね
まあある意味で自分の中では絶対に理解できないけど
あなたの意見はわかりましたよもある意味では尊重だから
まあ理解に到達しなくても尊重ができれば少なくとも
互いに幸せではいられるかもしれない
なかなかわかりやすいですね
どうや
いいんじゃないですか?
ないの?
いや僕ここまで言ってここまでどうのこうの言って
僕は最終的にやっぱり言葉ですねって言いたくなっちゃうんですよ
人と人とつなぐものとは言葉ですと
それでもまだ僕は言葉を諦めたくないんですよね
で多分その言葉への執着こそが人間が人間であり
なおかつ人とつながっていくために必要な部分なんじゃないのかと思ったりもするわけよ
1:03:00
でまあ言葉じゃ絶対に本当に感覚的な部分
感情的な部分
あるいはもう本当にこうなんていうかな
印象的な部分だとか
言語に起こしても本当に伝わってるかどうかわかんないものっていっぱいあるわけで
でもじゃあだからそれらは伝えなくていいかっていうと
そうではないよねっていう
そうじゃないから僕らはいろんな言葉を生み出してきたわけですよね
であればやっぱり僕らに必要なことっていうのは
僕らが人とつながるために必要なことっていうのはやっぱり言葉を尽くしていくしかないんだよ
でその言葉を尽くしていくしかないんだっていうこの言葉への執着こそが
人が人とつながる原動力にもなってるんじゃないかなって気がするんだよね
本当の意味で僕らが言葉を超えた繋がりっていうものを実感することができるんだとしたら
もっと言葉は減ってると思うんだよね
確かにね
でも現実問題言葉は刻一刻と増えていってるし
どんどん辞書は分厚くなっていくし
その一方で忘れ去られている言葉ももちろんあるんだけれども
時代が変わって人が変わってるから言葉も変わってるっていうふうに思うと
やっぱり僕らは必要だから言葉を作ってるんだよね
人とつながるために
であればやっぱり人と人とつなぐものはやっぱり言語なんじゃないかと
だからこそAIでしかないサマンサは言語を捨てることができるし
言語を必要としない存在としてこの作品の中ではっきり描かれてたんじゃないのかと
僕らやっぱりどこまで行っても人間だから最後まで言葉は捨てられないよね
でじゃあ言葉の限界どうすんの
いや言葉には限界があっていいじゃないかと
限界があっていいよ限界はあるけど
その上で言葉を使っていくべきだよ僕らはみたいな
そういうところなんじゃないのかなっていうふうに今話してて思いましたね
かっこいいじゃん
うん実はかっこいいんですよ僕
いやでも今ね話しててここまでいろいろ言葉の限界がとか人間の不完全さがって言っといて
最終的に人と人とつなぐのは言葉だっていうのは結構暴論なんじゃないかと思ったんだけど
なんか話してたら割としっくりきてしまったわ
そうだね
やっぱ言葉はこの作品の本当根幹にあるよねっていう
じゃなきゃあんな大筆詩みたいな訳のわからない仕事をやらせないもん
しかもその書いたものっていうのが共感運で出版をしよう
だからその言葉を伝えようとする人も中にいるんだよみたいなところも
やっぱりそこもちゃんと出ないとこの出版のシーン意味わかんないし
そうだよね
また言葉だから伝えようとする人と同時に言葉を受け取ろうとする人もいるっていうことの象徴でもあるのかもしれない
須藤は言葉を生み出すことに必死になってやっていたわけだけれども
1:06:03
その中で私生活の中ではその言葉を受け入れてもくれない人っていうのがいて
そこで苦しんできたのかもしれないんだけれど
やっぱり言葉を伝えよう生み出そうとする人がいるのであれば
言葉を受け取ろうとする人もそこにはいるんだと
いうことをあれで描きたかったんじゃないのかなっていうのはなんとなく思いますね
なるほどね
僕らはもっと積極的に言葉を使っていいんだよっていう
使ってこうよ不完全でもみたいな
なるほど
須藤ちゃんとボットキャプションに抜けて
全世界に発信していこうよと
そうですね
それこそがたっという行為なんだと
そう
だからもうね
新番組をスタートさせようよと
あれなんか次そうしようかみたいな話した
したんですけどやっぱり準備を進めていくと
準備を進めていくとこだわり始めちゃうんですよ私は
そうですよね
でももうねリスナーの皆さんにも一応言っておきたいんですけれども
もうでも僕ちょっと新ポッドキャスト番組のタイトル候補はもう決まってんですよ
これもう今から言うから勝手に作んないでよこのタイトルの番組
はいメモっとくわ
リールフレンズですね
リールフレンズインジャパンにしようかなと思ってます
これなんでインジャパンつけたかというと
リールフレンズっていう会社がポーランドかどっかの映像制作会社にあるんですよ
被ったらあかんやんってことで
ちょっとなんかつけ足すなりちょっと表記変えるなりしないといけないって状況なんですけど
リールフレンズっていうのはフィルムリールのことですね
R.E.E.L.です
映画友達っていう意味なんですけど
これリアルフレンズにもかかってんすよ
本当の友達にもかかってんすよ
映画を通して本当の友達になろうねみたいな
インジャパンつって
まだ我々は本当の友達ではないと
いや本当の友達でしょ
よかった
分かってんでしょ
大好き
ちゃんとリールフレンズでいこうかなと思ってますんで
一応通称リルフレでいこうということで
リフレじゃないですから皆さん間違えないでください
R.F.Jとかそういう業種かじゃない
いやいややめてくださいね
やめてください
というわけでそんな番組は
本当にもう最近ね
マコバナは大的な映画談義ばっかりやってるから
これはもう普通にゲストってなんだっていう話になってくるんですよ
今回はゲストをお呼びしてますって
ゲストってなんだよっていう話になるんで
1:09:02
普通にダブルパーソナリティで
普通に別番組立ち上げたほうがスッキリするんで
ここまでに語ってきた番組のバックナンバーみたいなものもね
そっちに一元化して乗っけちゃおうかなとも思ってますんで
余計なノイズが乗っかってきてもどうなのかなっていうのもありまして
そうするとマコバナ一体何を乗せるんだって話になるんですけど
マコバナは本当にもう公的にしっかりポケ沼の語り残しを語りたい人が来た時にやるみたいな
超不定期更新の本当に別室みたいな感じの扱いにした方がいいんじゃないかな
みたいなことを考えておりますので
近いうちそういう大改装が入ります
分かりましたリフォームでもないな新築だね
そうですねそんな感じでやっていこうかなと思ってますんで
こういった経緯もねやっぱりこうして言葉にして発信することで皆さんにお伝えすることができるという
ここはやっぱりね映画派のポイントなんでしょうね
素晴らしいいいまとめだね
言葉にして初めて伝わるんでこれからも我々言葉を武器に生きていこうと思います
どうですかそんな感じでちょっと綺麗にまとまったところではあるんですけど
何か言い残したことというか最後にちょっと言っておきたいみたいなのがあれば
そうねこの映画見てねちょっとね一個だけ一個だけすごい心配になっちゃったことがあって
何かというとさっき話した出版に関してなんですけど
セオドアチョって書いて今まで書いた手紙を出版したんだよね
ってことはよディアおばあちゃんとかディアラブみたいな感じで書いて今までの手紙が出版されるわけじゃん
あれ俺この手紙もらったぞっていう人が出てきたら可哀想だなって
趣味について語る1時間ポケットに沼を
このポッドキャットではメインパースナリティの箱べらがあらゆる趣味にはまってしまう
生まれ見ることスワンプ間大げさにメジャーなスポットからマイナーな食品に出るまでゆっくり語り続けます
01:11:13

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