今日のテーマトークは、〝今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は〟です。 はい、ではマリオンさん、解説をお願いできますでしょうか。
はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。 お笑いコンビジャルジャルの福徳周介が2020年に発表した恋愛小説
〝今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は〟を、〝勝手に震えてろ、私を食い止めて〟の大久垣子監督が映画化。
大学生の小西徹は、思い描いていたキャンパスライフとは程遠い、冴えない毎日を送っていた。 そんなある日、お団子頭の女子大生、桜田花の凛々しい姿に目を奪われた小西は、思い切って彼女に声をかける。
いろいろな偶然も重なり、瞬く間に意気投合する二人。 会話が尽きない中、〝毎日楽しいって思いたい〟〝今日の空が一番好きって思いたい〟と桜田が何気なく口にした言葉が小西の胸を刺す。
その言葉は小西が大好きだった、今は亡き祖母の言葉と同じだった。 桜田と出会えたことに喜ぶ小西だったが、そんな矢先にある出来事が二人を襲う。
主人公の小西徹を演じるのは、映画化もされたドラマ〝美しい彼〟シリーズなどで人気を集める萩原理久。
ドラマ〝不適切にも程がある〟や映画〝ナミビアの砂漠〟などで、若手実力派としてブレイクした
かわいいユミがヒロインの桜田花に噴した。 2024年第37回東京国際映画祭コンペティション文を出品。
ではここから内容に触れる話が入っていきますので、データバレ気にされる方がいたらぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、最後の感想をマリオンさんいかがでしたでしょうか。
はい、そうですね。僕もちょっと今回のテーマトーク話すということで2回目見てきたんですけど、
1回目見た時はやっぱただただ動揺してて、
オープニングトークでも喋りましたけど、全然まとまってなかったなと。
っていうぐらい。もうちょっとただただ衝撃にやられてるみたいな状態だったんですけど、
なんか2回目見てようやくちょっと冷静になれたかなというような感じですね。
たぶんやりたかったことというか、たぶん目指していることっていうのはおそらくその、いわゆる爽やかな恋愛映画へのアンチテーゼを含んだ爽やかな恋愛映画をやりたかったっていうことかなというか、構造としては。
っていうのが2回目にしてようやくそこがこう見えたというか、っていう感じでした。
っていうぐらいもうちょっとダメージが強いっていうか、
ちゃんとそこに対して傷つけよって言われてるような映画だと思うんですよね。
でそのやっぱ劇中の登場人物たちがそれぞれ抱えているものって、ある種の繊細さとその臆病を含んだ身勝手さだと思うんですけど、
なんかそこがやっぱりすごく痛々しくて、でもやっぱり愛おしいみたいな。ところがやっぱこの作品の魅力であり、
あと多くアキコ監督作品らしい魅力でもあるのかなというふうにすごい見れて思いました。
でもどうしても僕さっちゃんのことが好きなので、やっぱラストはめちゃくちゃ怒りがめちゃくちゃ湧き上がってくるっていうのはちょっと正直あるんですけども。
いやでも本当にすごい映画だなというふうに思いました。ちょっとこれは忘れられない一本というか。
まさに大傑作だなというふうに思っています。
はい、大井さんいかがでしょうか。
いろいろな人の話も聞かせて、お二人の感想とかも聞いてたので、ただの映画じゃないんだろうと。
ただの恋愛映画、ポスターから想像される爽やかな恋愛映画じゃないんだろう。まあ多くアキコ監督らしいって思ってみたんですけど。
まあなんだろう、お二人は言ってた、好きで嫌いって言ったことがよくわかるなっていう。
なんか両方の感情が同時に成立し得る映画だなと思ったのは確かにその通りだなって思って帰りました。
まあとにかく主人公のことは嫌いなんですけど、なぜ嫌いかって、
自分にもあるからって言ったら免罪婦になるのかっていう、なんか今自分の声が聞こえましたけど、
自分にもその部分があるからだと思うんですよ。
っていうか、全然やってきたしっていう、やられてきたしっていう、なんかそこ、なんていうかな、恋愛の加害性も描いてる話だなと思うんですよね。
恋愛をするというのは誰かを選ぶということである。つまりそれは選ばれないっていう存在もいるということである。
そこにもフォーカスを当ててるっていうのがこの映画の誠実さだと思っていて、むしろそこにこそ意味があるというか、
そこに視点が置かれていることにこの映画の一番の意味があると言ってもいいというか、明らかにそれは自覚的にやってる映画だなと思ったので。
ストーリーラインだけを追うと、まるでダメな主人公、男の子主人公が許されていく話っぽく見えるんですけど、そうじゃないディテールで、それを完全否定してるというか。
背負うしかない罪を描いてるようにも見えるっていう。で、なんかそこがすごい作り手たちの誠実さを感じたし、
いろんなレイヤーで見れる作品だなっていう。中に入ってこういうこと自分もあったなっていうふうにも見えるし、
そもそも恋愛ってそんなキラキラしてるもんじゃなくない?だけじゃなくない?っていうふうにも見えるけど、とはいえ輝かしいもののようにも捉えようとすれば捉えられるみたいな。
なんかそういう両面性を詰め込んで、その受け手側にそれを委ねてる作品だなと思って。なんかすごい興味深いバランスの映画だなっていうふうに思いましたね。
いやー特に中盤のさっちゃんの長ゼルフシーンは、ちょっと演出含めてすごくて。
あそこはちょっとやばかったですね、ほんとに。
いやー、伊藤葵さんすげえって、まあだから3人ともすごいんですけど、特に伊藤葵さんはちょっとベストアクトだなっていう。
ほんとにちょっと心打たれちゃいましたね、あそこは。凄まじかったっす。
はい、僕もですね、マリオンさん同様に2回目見てきまして、1回目はものすごい好きで、ものすごい苦手な映画っていう感覚だったんですね。
で、みわっと冷静になると、ちょっとあまりに人工的すぎて、得意じゃない映画かもしれないなっていう思いが強まっていってたんですけど、2回目見直してかなり冷静に見れましたね。
むしろかなり、人工的な話ではあるんですけど、初回見たときみたいな感情に無理やり直接成分を打ち込むようなというよりは、割とロジカルな話にも見えたかなと思って。
で、思ってたのが、この主人公小西って結構嫌な奴に見えると思うんですよね。
無自覚に人を傷つけてるように描かれてるんですけど、結構彼に対して意地悪な作劇でもあるなと思って、彼が悪く見えるように作られてるっていう。
他人に対する無関心とかって別にそんなに特殊なことじゃないというか、ありふれてると思うんですよ。
相手が与えてくれる誠意に対して自分がそれと等しい熱量の誠意を返せないことなんて、世の中にいくらでもあると思うんですけど、
それって量の多い少ないでしかないと思うんですけど、この描かれ方をすると彼のやってることがマイナスに見えるんですよね。
量が少ないだけのものがマイナスに見えるような描かれ方になってて、それがすごい、そこに本作の作意があるっていう、ある種のズルさがあると思うんですけど、
相手を知ってしまうことでそこに罪性が後から生まれてくるっていう、その構造に対するちょっと興味があるなとは思ったんですよね。
1回目見た時は恋愛の罪性を描いた話だなと思ってたんですけど、いや、彼のやったことってそこまで罪かなっていう。
で、2回目見て、その、誠意の非対称性が生み出す悲しみの話だなってちょっと思ったんですね。
一対一の関係性の中で同じ誠意を交換し合わない関係性になった時に、ちょっと悲しいことが起きますよねっていう。
でも、それって絶対生じるし、それの組み合わせで社会が成り立っているとも思うので、まあその上でどうやって生きていこうみたいな風なものを最終的に僕は受け取ってます。
あと、前も話したんですけど、関西ローカルであることに根差した感情移入がすごくて、
東京の次第ものではわからなかった感情移入ができたんですよね。
え、これをやってるっていうことはそういう意味だよねっていうものが地理的な条件によって描かれるのがわかるみたいなのがあって。
それはちょっと後で触れ入れたらなと思います。
では、そんな感じでお便り紹介させていただきます。大石さんお願いできますか。
はい、グッドウォッチメント大石さんから頂きました。
トークテーマ、今日の空が一番好きとまだ言えない僕は、を鑑賞したので感想を送らせていただきます。
僕は地方出身なのですが、関西大学と同社大学に入学した友人がそれぞれいまして、何回かキャンパスの中に入ったこともあるので、非当事者ながら大学校内の雰囲気を懐かしく感じる不思議な映画体験でした。
もちろん映画自体はとても面白かったです。キレキレで手数が多い演出もさることながら、あれを言うまでの物語としてもとても筋が通っていると感じました。
日本の先週恋愛映画でよく用いられる悲劇的で都合の良い展開をなぞりながらも、こんな状況でもあれを言おうとする主人公を描いたことにどこか誠実さを感じています。
主人公の小西は褒められた人物ではありませんが、自分の悪性を自覚した上であれを伝えることに、とても大きな意味があったのではないでしょうか。
議論が過激気になりそうなタイプの作品なので、お三方のお話もとても楽しみにしております。これからもご活躍を応援しております。とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
関西大学と同社大学に入学した友人がいるって、あれですね。
なんか、あいつの彼女みたいな立ち位置じゃないですか。
確かに。本当ですね。
そうですね、確かに。
結構、当事者性ありますね。
うん、うん、うん、うん、うん、うん、確かにな。
まあ、小西、褒められた人物ではない。
小西っていう人間をどこまでは良くない人間として捉えるかって、結構難しいような気もしてはいるんですけど。
まあ、身勝手ではあると思うんですけど、あの程度の身勝手さ、割と普遍的というか平均レベルな気がせんではないかなって僕はちょっと思ってたりはするんですけど。
そうですね。
いや、そうだなって思いながら見てたんですけど、やっぱり。
なんか、本当に3人とみんなそれぞれざっと感想を言ったときにも、まあちょっと出てましたけど、
なんかやっぱり、どうしても全ての人に同じリソースを捧げるわけじゃないじゃないですかみたいなところ。
っていうのはやっぱりどうしても発生するし、まあその時の興味だったりとか関心とか好意とかってやっぱり変わるから、
どうしても発生するしなーっていうのは、それはやっぱり思います。
本作において彼がすごい不誠実な人間に見えるようになっているのって、
伊藤あおいさん演じるさっちゃんがあまりに好ましい人物として描かれてるからっていうのがどうしてもあると思うんですよね。
まあまあ、それはそうだと思いますよ。
完全に僕がその、やっぱりイカってるのってやっぱり、僕さっちゃんがやっぱり素晴らしいからだと思ってるからなんだなっていう。
だから、もうこちらあみ子の時の感情移入の仕方ほぼ一緒なんですけど。
作品として好きだが嫌いだみたいなぐらいの気持ちを本当に1回目の時は書き立てられたんですけど。
作り手側もまあ自覚的にさっちゃんにフォーカスを当ててますからね。
いやそうなんですよ。絶対してるなって思ってたら、ちゃんとあのパンフレットのインタビュー見たらやっぱそうだったっていう。
ちゃんと小西に傷ついてほしいみたいなところにめちゃくちゃ気を置いてるっていう。
だからそういう意味ではすごく監督のその描き方というか、その思考性とすごい固い握手を結べたというか、そうだよねって思ったっていうか。
いやでも、きつくないですか?それ言われたら。告白されたら答えないと悪になるのきつくないですか?それ。
いやきついっすよ。
そこも実は加害性があるって話でもあると思うんですよ。
そうなんですよね。そこも彼女もやはり身勝手であるっていうこともやっぱ同時に含んでるからこその物語だなとは思います。
だってあのシーン呪いかけに来てるじゃないですか。
あれ呪いですよね。とんでもねえ呪いですよ。
であれが本当に呪いになったのってその後もう会うことがなくなったからじゃないですか。
それによってなんかまあ、ある種のお互い様として時間が解決していくものが解決しなくなって呪いとして残り続けることになるっていうことだと思うんですけど。
すごい怖いですよね。あの、描かれ方というかこの切り抜き方されたらだってコニシ悪に見えますもんねって思ってたんですけど。
でも僕これ男女反転したらむちゃくちゃ怖いんですよ。同じバイトであのそんなに興味ない男の子がなんか告白してきて、あの告白されたら、あの自分が女の子でそれ告白される立場やったらめちゃめちゃ怖いと思うんですよあれ。
やっぱり女の子でかつ好ましい人物だからなんか ok になってるけど、あの何とか一方的な圧は読み解き方によってはすごい暴力的とさえ思えるものだとは僕は思ったんで。
そうですね。
見るものの感情すら、僕をすごく逆撫でするっていうのが、やっぱり見事だなと思います、本当に。
いや、僕見てて本当、なんか全員のやることがちょっと嫌さを感じる部分がすごいあるんですよね。
ありますよね。
こにしだけとかじゃなくって。
そうですよね。
花も花でちょっとどうなのって思うところがあったりとか。
理想化されたキャラクターがあまりいないって言い方でいいのかな。
それぞれみんな繊細な部分あると思うんですけど、
その繊細さって実はすごい身勝手さから来るものだったりするよねみたいな。
っていうのをみんなちょっとずつ持ってるみたいな感じ。
それは、性欲の回の時に、みんなそれぞれちょっと持ってるマイノリティ性みたいなものに、
シンパシーをあの映画で抱くみたいな話があったと思うんですけど。
なんか僕は、この映画こそそういう映画じゃんって思ったんですけど。
性欲というテーマであれをやられるとすごいハッって思うんですけど、
今作だったらアリだなって思えたんで。
なんかそういう繊細さの陰に隠れて、それはすごい臆病さから来る大変身勝手なことですよみたいな。
のをしっかり各キャラクターがそこにそういった文脈が載ってるみたいな。
っていうのをすごくちゃんと描いた映画だなっていうふうに思ってました。
そうですね。なんかその、ほぼ全員が自意識から来る暴行行動を取ってる。
うん、そうなんですよね。
それが、あんまり生理的な部分に根差してない感じがするんですよね。
まず、小西が日傘を指すのって、僕は初め、光が苦手とかそういうのがあるのかなっていう。
光の刺激が苦手とか、あるいはその紫外線に肌が弱いとか、そういう身体的な理由によるものなのかなって思ってたら、
むしろ精神的な防御行動としてはそれをやってるっていうのがわかってくると思うんですよね。
実際、満ち足りると日傘ささなくなるんですよね、彼。
そうですね。
厳禁なんですよ、そこら辺が。
基本、大学外出たらあいつ日傘締めるからなみたいなところがありますね。
いや、そこがね、もう他人事とは思えんのですよ。大学時代の自分と。
いやー、そうなんだよなー。
繊細さという言葉を借りて、すごい防御行動をとってるだけなのではないかって、めっちゃあるわって思っちゃったんですけど、正直。
主人公たちが大学生なのが、自分の大学生時代と重なりすぎてリアルなダメージを払うんだよな。
大学生なんだよな、あの行動たちみんな。
そうなんですよ。山手の口癖とかも、やっぱ防御行動のひとつかなとは思うんですよね。
確かに。
それが、もう8歳した喫茶店のマスターでさえその防御行動をやってるっていうのが、僕は結構。
あー、そうだな、確かに。
確かに確かに。
だから、そのこじらせって治んないっていう。
そう、そうですね。
大学生の時の方がひどいんですよ、症状は。
まあね。
大学生の時僕、下駄履いてたんですよ。
おー。
で、髪の毛坊主だったんですよ。
おー。
で、12月まで半袖のTシャツ着てたんですよ。
なかなかに強い防御を着てますね。
で、一人称がウチだったんですよ。
ほー。
ほー。
もう今の話聞いてたらすごいヤマネっぽいなって思いますけど、裏付けという意味では。
本当にあの、全部防御行動です、それ。
いや、うん、うん、うん、うん、うん、うん。
なんかそうですね、まあそれで言うと僕だったらもうひたすら一人で映画を見ることが防御行動だったと思うし、それは。
あー、うんうんうん。
もうなんかとにかく一人でやる趣味ばっかりやってたんですよね、大学の頃って。
やっぱりそのニコニコ動画ばっか見てたのにしてもそうだし、あとゲーセンでひたすらクイズゲームばっかやってたりとか、なんかそういうことばっかり思い出すんですよね。
なんかそれこそが他の人とは違うことをやってる感みたいな。
そこでなんかすごく自分の盾として使ってるところは絶対あったなっていうのはありますね。
うんうん。
思い出したくないなぁ。
言わなくてもいいと思います、これは。
いやもう明確にもう絵として浮かんでるし、この前友達にも言われたんですけど、大学時代の友達ですね。
うちの学科ってみんなで合宿に行くんですよ、合宿というかまあ課外実習みたいな。
夏休みに一週間ぐらい海辺の研究所に行ってテーマを持ってみんなでグループで研究するみたいなやつがあるんですけど、
あんなと遠いんで寮に泊まるんですよね。
で、もうコミュニティが築けてる子たちは、その寮の中で友達と毎晩飲み明かすわけですよ。
で、僕はその頃そのコミュニティを築けてなかった人間だったんで、
同室の友達っていうか、まあ後に友達になるけど当時は他人の人たちが、
もう車で一人が来てたんで、その車に乗って完全ドライブに行っちゃって、
で、一人その部屋に残されて、大昼間に行くまでもなく、
ただただ印刷してきたネイチャーの論文をずっと英語も読めないのに眺めてるっていう、
時間があったなって思って。
あの時の夕暮れと蝉の鳴き声が今すごいリアルに頭に残りました。
この暴力行動の話ちょっとだけ続けていいですか?
いやもういいですよ。
大学の時に雪降ったんですよね。
はいはい。
で、僕はもうすでに大学生活をドロップアウトしかけてたんですよ。
もう3回ぐらいの時で、もう全然授業もついていけてないしで、
ギリギリ大学にいられてるだけの落台生だったんですよ。
ただ、なんか自分だけは他の大学生よりイノセントだなっていう、
魂だけが無垢さを残しているっていうことを感じたくて、
雪が降った日に大学の隣の公園行って雪だるま作ってたんですよ。
その同級生に見つかるまで作ってたんですよ。
なるほどなるほど。
それを観測されないと自分の無垢さが人に証明できないから、
すごくドキドキしてました。
いやー、なんか2人のエピソードが強すぎてな。
僕のボケ行動マジちっぽけだなみたいな。
いや、そんなことはない。そんなことはないですよ。
そんなことはないでいいのか分かんないですけど。
あとまぁ、所詮やっぱ食堂は一人だよな、基本な。
食堂一人ですね。
一人ザルそば女って言われてる感じわかるぞみたいな。
僕もそうだったけどみたいな感じですかね。
あと犬かまうのとかそれやなって思って。
あー、もうやめて。
人間の友達いないから犬にかまっちゃうとか、
大人とコミュニケーション取れないから親戚の子供をかまうとか、
むちゃくちゃ心当たりあって。
やめて、なんか自分に勝ってます今それ。
僕に勝ってるんで。
僕はリアルで関係をあんまりちゃんと気づけなかったから、
僕ネットに逃げ込んだんですけどみたいな。
一人で雨の日に動物園とか行ったりしてました。
はい。
前編割とそれなんですよね、本作って。
授業途中から堂々と入ってきて、
授業途中で堂々と出ていくのとかも、
僕大学生自意識やと思うんですけど、
こんなことやれちゃうみたいなの。
めっちゃあるなと思って。
結構声でかいじゃないですか、あれ喋ってんの。
いや、そうっすよね。
あれ僕、作劇場の都合というよりも、
授業中に喋れる私たちみたいな、
あれが働いてるなってちょっとすごい思ってて。
キラキラしたキャンパスライフを送れている私、俺みたいな自意識っていうか。
しかもそれは多分、他の人は知らないであろうっていう、
ちょっと見下した視点もしっかり持ってるというかね。
そうなんだよな。
あの二人シャラ臭いんですよね。
キラキラ大学生は下の人工芝で寝てるけど、
私たちは本物の芝生で寝れますみたいな。
おー出た出たーみたいな。
ライブの音がちょうどいいっていうわけですよね。
自分だけは他とは違うんだぜみたいな感じ?
いやもう、ありますあります、ありましたありましたみたいな。
ムズムズしますね、本当に。
嫌なやつとか褒められた人物じゃないって思うんですけど、全然。
小西とか花のことを。
それってやっぱり過去の自分を見てるというか、
途中、とある事件が起こったときに古田新田がキレるじゃないですか。
小西に対して。
本当にそうって思って。
多分今の自分でもそうキレるだろうなと思って。
いやそうそうそう。
そのキレ方をしないと、当時の自分は分かんなかったし、
そこで負った痛みというか、閉じこもることで守られるものって、
自意識だけで、それ以上に開かれなきゃいけないことを、
全然見えなかったなっていう反省しかないので。
やっぱ彼らを見てずっとそこがムズムズするんですよね。
外見てみろよって言いたくなっちゃうんですよね、多分。
本当に、あ、世界が狭いっていうことを、
しっかり自覚的にやってるなって思ったし、
あとやっぱちょっと、結構不思議なバランスで入れてると思ったのは、
関西大学の博物館で初めての女学生だった方のところに行くみたいな。
とか、あとデモとかのシーンがありますよね。
そういうのをあえて入れてるのも、
世界ってもっと広いし、いろんなことが起こってるしみたいなことを、
それと長く入れてるのかなっていう。
そこに触れようと彼らもしてるんだけど、まだ全然、実は本質的には気づけてないみたいな。
っていう感じの描き方?というか入れ込み方なのかな?みたいなのはちょっと見ながら思ってましたね。
僕もそこの2ヶ所はすごい印象に残ってて、
結構この本作の中でも、ちょっと異質な、ポリティカルな意味合いのあるくだりになってるんですよね。
で、初めの博物館のところで、
だから本当に素晴らしいなと思いました。
そして、さっきのある種の政治性をアピールというか、外に出すというか、言葉として表現するって、
それもある種の加害性を払う行為だから、ある種の告白でもあるんだなと思ったんですよね。
そうですね。
もしかしたら対立する可能性のある、あるいは人を傷つけてしまう可能性のあることをそれでも言うっていう。
だから本作って、もちろん恋愛の加害性とか恋愛というものの罪性みたいなものも描きつつ、
最近僕らが忘れかけている加害性を背負うっていうことを描いてるような気がして。
僕らはもっと加害性を背負った方がいいんじゃないかっていうことを描こうとしているようにも見えたんですよね。
そこのバランスがメッセージ性というか、軸ががっちりしてるからこそ、何もそこに突然入っていることに違和感がないというか、
自然と入ってくる感じが良かったなと思っていたりもしてますね。
ポリシー全般とか、あるいはあなたのことが好きですとかっていうものも、
それを言うことも言われることも、加害性を帯びる可能性があるっていう。
そこに目が行ってる話だなっていうのは思うんですよね。
その僕、何というか伝えることの加害性っていう部分で言うと、
さっちゃんが死んだって銭湯で聞かされるときに、
あの順番で言うって僕思ったんですよ。
そうですね。
さっちゃんが死んだって後で交通事故でっていう順番で出すじゃないですか。
確かに。
でもそれってものすごい思いやりがない情報開示の順番だと思うんですよ。
だってものすごい動揺するし、なんでっていうそこにいろんな思いを作装するから、
あそこで小西がああいう可能性だって全然あるわけですよ。
だってこういう関係があった中で、もちろんそこで何か仲互いみたいなのがあったのが、
もしかしたらみたいな感じる可能性もあるわけだから、
あそこってさっちゃんが交通事故で亡くなったっていうふうな伝え方をしないといけないとこなんですよ、あれは。
それを死んだって言って交通事故でっていう。
わざわざ小西が手前勝手な独白をするためにあの御順になってるから、
あれも大概、先頭の古田新田の大概な思いやりのないあれだと思うんですよ、僕はあれは。
本作の古田新田まじで舞台装置ですからね。
いやそうだなーって思いますし、
本当にラストの母禅というか家に訪問する時とかの、
突然イヤイヤーみたいな叫び出すとか、
どうかしてますよっていう。
しかもどこ行ったその後っていうね。
ほったらかしで帰ってますからね。
帰ってんのか知りませんけど本当になんか、
あの辺急にイヤイヤーっていうのも本当にすごいどうかと思うし、
クソがって言うよみたいな。
最悪って言ったらクソがじゃないな。
最悪って言うのもそりゃそうよっていう。
あそこ飲み込みにくいっすよねーあそこ。
てかそうなんすよね。
やっぱ一番飲み込みにくいシーンの連続なんだよなー。
まずね、家開けたらかわいい女が出てくるところから飲み込みづらいですからね。
からのその、今じゃないって言ってハァーみたいな。
そのワードチョイスもハァーだしみたいな。
なんかあそこから急に言葉選ばなくなってくるんですよね、本作。
言葉も選ばないし振る舞いも選ばないし。
途中なんか犬になりきってワシャワシャするみたいなシーンって一番乗れないんですけど。
いやいやいやいや、どういう気持ちになれとみたいな。
どういう用語も仕切らないんですけど、あそこに関しては僕。
そこかねー。
なんか本作の人工的なところが噛み合っているところと噛み合ってないところってあると思うんですけど。
なんか最終盤で急に打率下がるなって思って。
そこまで結構打率維持してたのに急に空振りの数一気に増えるから。
前半のバランス感覚持ってた人が急にここでこんなに空振り連発するもんなんですかねぐらいには。
ちょっと急にバランス感覚変わるんですよね、昇降に行ったところから。
なんなんでしょうかみたいな。ちょっとあんまり意図がわかんないっていう感じなんですけど。
絶対あんなとっぴなことするってことはすごい意図があるじゃないですか。
ちょっと僕はあんまりわからなかったですっていう。
僕の中で昇降に行ったシーンから、完成度っていう意味では評価下がるんですよ、やっぱり。
なんか人間の言葉じゃなくなるんですよね、あのあたりから。
ちょっとエキセントリックなね。
そう、何やったらコントにあるんですよ、リアリティラインが。
なんかね、要所要所いいじゃないですか、やっぱりその2人のそれぞれの長ゼリフとかもすごいいいし、
あとこう庭の向こうで2人がギター、父親とさっちゃんがね、ギター。
あのあれですよね、ドビッシーですよね、月の光でしたっけあれ。
月の光ですね。
そこで急にバーンって曲がバツッと切れるみたいなショッキングとかさもすごくいいなって思ってたんですけど。
けど本当に乗れないんだけどみたいなとこも多すぎるっていう。
多くは結構監督作品で時々その飛躍があるのも確かに事実って事実になってますね、過去作も。
あそこも考えて、苦味じゃないんだけど、なんかマザさ含めての味な気がするというか。
なんかうまいものにしようとしてないっていう逸脱なんだろうなって僕は思えて。
あそこで綺麗なラインにまとめちゃったら綺麗な話になっちゃうじゃんってことを全力で拒否してるムーブなんだろうなーって気がちょっとするんですよね。
だからここで下手に感動なんかしてくれないよっていう感じと言えばいいのか。
そこに対する違和感を持って帰ってくれみたいな。
そうそうそうそうそうそう。
だから良かった良かったって帰ってくれんじゃねーぞっていう感じがすごいするんですよ。
だから違和感を持って正解というか、不快感を持って正解なんだと思うんですけど多分。
ちょっと本当に時々すごい変な演出を入れてくる人ではありますよね。
キッチュというか。
確かにそれでちょっと乗れないなって気持ちに、特に私を食い止めてる時はちょっと思った覚えがあったんですけど。
はいはいはいはい。
勝手に震えてるのときは結構しっかり最後まで飲み込めたというか、すごい話としてすごいうわーっていう気持ちになりながら最後まで走り抜けた感じがあったんですけど。
私を食い止めた結構果てみたいな瞬間も結構ある映画だった記憶があって。
だから多分わざとというかその込みでやっぱりやってるんだなってことですね。
急にズームするシーンもむちゃくちゃ引っかかるんですよね。
はいはいはいはいはい。びっくりしますよねあそこね。
なんだってなって。
で、そういう急に人工的な映像の撮り方になる演出の話をオールドジョイの時もしたじゃないですか。
夜の焚き火というか、エアガンか何か撃ってる時に急にカメラがグッて動くシーンがあって。
大ちゃんさんと一緒に話した時はそれが結構夜の至近した空気の中で意図的な演出が入ることで緊張感を取り戻すみたいな話をしてたと思うんですけど。
本作そこが元々緊張感のある場面だから過剰になるんですよね。緊張感が。
元々すでに緊張しながら見てるのにさらにこうすごい人工的な演出が急なズーム口元によるみたいなのはやるから。
いやいやその今この瞬間に意味があるのはもう分かってるけどみたいな。
カメラに言われんくても分かってますよっていう今が大事なのはみたいなのはねすごい感じちゃって。
それはもうなんかどういう意図でやってるか僕わかんなくってなんかもうわざと壊しに来てる感じに見えるんですよねそこは。
なんかやっぱりそこは緊張感の上にさらに緊張感を乗せるぐらいの何て言うんですかね過剰な不快感と言ってもいいのかわかんないですけど。
そうじゃない不快感はさせてきてますよね絶対に。
多分そうだと思うんですよだからこの映画のことがすごい嫌いって言ってる人は多分作り手の思い通りに嫌ってるんだろうなって気もして。
確かに。
そうですね確かに。
結構やっぱ音の演出がやっぱすごい結構やっぱノイズだなぁみたいなあえてやってると思うんですよね雨の音がやけに強調されてるとか。
音を上げていくみたいな確かに急にテレビの音ぐんぐん上がってってすごい嫌な気分になるじゃないですか。
そういうのとかもあえてやってるよなぁみたいなとかやっぱり思ったりしたので。
さっきの音急にブツンと切れるみたいなとこもそうですけどそういったところでやっぱこう傷跡を残そうとしている。
見るものにみたいな感じはあるのかもしれないですね。
フォーク監督の多分味でもありちょっとジャルジャルチェックでもあるところかなって気もして。
彼らのコントyoutubeで時々見るんですけどそれこそあのこの映画が公開されたのかわいゆみがゲストで出てる花屋のコントがあって僕そのコントめっちゃ好きなんですけど。
ずっと中身のない福徳さんがお客さんとして来てかわいゆみに接客してもらうんだけど彼女に花束をあげたいって言うんだけどその具体的な像が全然なくて一緒に選んでやってずっと言い続けるんだけど。
だからどういう彼女さんなんですか人からとか教えてくださいいやだから一般的にはどういうのがいいんですかみたいなそういう噛み合わなさというか不快感。
両方とも悪気があるわけじゃないけどその不快感がずっとずれてんなーって感じで続いていく感じとかはなんかこの映画全体にも通じてるところはある気もするというか。
言葉選びセリフ選びにもある気はするんで。その味もしっかり残してるような映画ではあるかなと思うんですよね。
ちょっとそのジャルジャルとの相性の良さを感じてます?大塚監督の作品作風とジャルジャル的なるものとの相性の良さ。
あと全体的にコント主との相性が良いって感じなのかなって思ってたんですけど。
それこそ南文館のそれこそ子孫の二郎が脚本してみたいな映画もありますよね。
そうですねここ最近ずっと笑い芸人の方と組んでる映画が多いですもんね。
結構組んでる作品多い人ではあるから。
親和性高いんでしょうね。
もともと人力者のペン芸人さんですしね。
なるほどなるほど。
ちょっと人工的な感じがコントのリアリティラインと相性の良さを感じます。
ちょっと糸が挟まることがストーリーテリングに入り込んでるというか。
あとコントって全体的に不快感が面白さだと思うんですよ。
不快感だったりディスコミュニケーションが面白いなって思ってて。
キングコムコント見る度にいつもどういう不快感を面白として評価するかっていう大会だなあれって思ってみてるんですけど。
だからそこを面白がるじゃないけど映画っていうテイストになった時に面白がるよりもより食らわせる方に舵を切るっていう。
ちょっと多分それを少しコメディに振ればきっと面白になるんですけど。
そうじゃないと割と結構狂気にもなるっていう。
でもその起点というかそこを見出してる視点、物は見方は同じというか何を強調するかはきっと同じなんだろうなとは思って。
その辺は多分映画作りと通じてるんだろうなと思いますよ。
なるほどな。
さっちゃんの通学ルート問題にちょっと切り込みたいと思ってるんですけど。
はい。
彼女は同社大学の今寺川キャンパスに通ってるんですよね。
うんうんうん。
そうですねー。
だからその小西の嫌なやつ加減って情報開示の程度によってコントロールされてるなと僕は思ってるんですよ。
はーなるほどー。
だからあの後その小西に寝る前に呼び出されて終電で銭湯まで手伝いに来て、あの後歩いて帰ってるシーンなんて入ったらもう小西悪魔に見えると思うんですよ。
貴様ってなると思うんですけど。
そうですね。
だからそこまでは悪としては描いてないと思うんですよね小西のことを。
確かに。
でもそのシーンはあったはずなんですよ。絶対に。
うんうんうん。
わーなるほどな。これがあれですね。関西次第周辺の物語の良さというか。
分かってれば分かっているほどちょっとこう解像度上がるポイントみたいな。
そうですねこれね。なるほどなー。
うんそうそう。あといろいろ想像するになんですけど、これはもう完全に僕の妄想が入り始めるんですけど、
その同志社大学の今ではキャンパスに通う人が家の近くでもない、わざわざ駅に乗って行かないといけない寒大前の銭湯でバイトするっていうのがどういう意味なのかなってちょっと考えちゃったんですよ。
だって絶対バイトするんだったら同志社の近くか家の近くのどっちかな方がいいと思うんですよ。
そうですね。それはもちろん。
だからあの多分慶恩部だと思うんですけど、慶恩部終わった後走って帰って銭湯のバイト来てたんですよ。
なんでそんな不便なバイトに行き続けてるかってもう小西に会いたいからしかないと思うんですよね僕本当に。
いやそうですよね。そうでしょうね。それしかないですよ。
これも完全に僕の妄想なんですけど、高校があの辺りだったんじゃないかなと思って、寒大前辺りで。
その時から銭湯でバイトしてて、その流れでずっと働いてて大学入ったタイミングで小西が来て、
この人いいなって思って、もうちょっとその銭湯のバイトにも縁があるし、小西君もバイトしてるから続けちゃおって思って、
同社大学、軽いながら銭湯のバイト続けてたんじゃないかなと思うんですよ。
あーそれは。
そりゃ銭湯のみんなも公認で応援するわな。
そうですね。
さっちゃんはほんま英語やーって言いますよそれ。
それは言いますわな。
言うし、それは松本尊賀もね、さっちゃんによかったねって言うよ。
うんうんうん。
あとはあの、通学ルートネタまだ続くんですけどね。
そうです、もう言うちょうだい。
もうぜひぜひ。
その阪急京都線に乗って京都に向かうわけなんですけど、同社大学の今出川キャンパスに行くんだったら、
からすまっていう駅で降りて、京都の地下鉄のからすま線っていうのを乗って今出川で降りるのが早いんですよ。
うんうんうん。
でも彼女はおそらくですけど、わざわざ阪急の終点である河原町まで行って、そこから京阪に乗って出町柳まで行って、
その鴨川デルタを渡って同社大学に行ってると思われるんですね、ルート的に。
確かに確かに。
いやそれは、そうですね、絶対出町柳だなって思いましたし、鴨川デルタですね、そこははいわかりました。
鴨川デルタって京都の名称を映画の中に収めたいっていう、そういう作り手の目的によってそのシーンが入ってるのかもしれないんですけど、
これも僕の妄想ですが、わざわざ毎日鴨川デルタを渡って大学に行くっていうことを選んでるっていう、
彼女がいかに大学生活を謳歌しているかっていう描写に僕は見えるんですよね。
確かに僕そんな別に京都とか関西の次第の会話ってあんま詳しいわけじゃないので、もともと関西に住んでたわけじゃないので、
けどなんか出町柳で鴨川デルタ通ってすると、すっげえキラキラした大学生活送ってんだなって思います。
わかるわかる。
そうなんですよ。鴨川デルタってもう兄弟と同事者の間ぐらいにあるから、
なんかすっごい青春の場所なんですよ。大学生の青春の場所なんですよ。鴨川デルタって。
あそこを毎日行き来しているさっちゃんは本当に京都で学生をやるっていうことをめちゃくちゃ楽しんでるんですよね。絶対に。
いやーそうだなー。
そうだな。
その町が好きっていう感じが出てるんだな。わかるなそれ。
だから全然背景じゃないというか、描くべきところを本当に的確に描いてますよね。
しかもさらっとね。
さらっと。
昔前だったらリア充と言われるようなタイプの学生だと思うんですけど、それに対しては姉と小西の非リア充っぷりがこの対比として面白いなって思うんですけど、
ただやっぱり小西にとって思い人として大事なのって、相手が自分をどれくらいの熱量で思ってくれてるかというより、いかに自分と感覚を共有してるかっていう部分がものすごい重要視してたと思うんですよね。
いやもう大学ほんと会わなくてって言ってる花にめちゃくちゃ共感してるわけじゃないですか。
なんかそれもわかるしっていうのもあるんですよね。
そんな同社大学に毎日キラキラしながら行ってる子がまさか自分のこと好きとか思わないし、それで自分が相手にその同様の熱量で思いを返せるとは思えないと思うんですよ。
いや俺大学好きじゃないけどみたいな。
うーん確かにな。
階層度が上がれば上がるほど不幸なすれ違いの話に見えてきた。
よりちょっと土地感がちょっとそこに乗るとね、やっぱね。
今ちょっとここに乗ってしまったが故に余計にちょっと次見るのが辛い。
次を見る機会がいつになるかわかりませんけど。
しかもその鴨川デルタという青春を選んでることにより実行に合うわけですからね。
そうなんですよね。
わざわざ事故になる手前までのシーン描いてますからね、数学。
そう。
なんかね、わざとね、描かないし意味あり気に入れるじゃないですか。
最初に雨のシーンバーっと入れておくとかのあたりのすれ違いとかも。
いじわるというか。
なんか本当に序盤のリア充全開シーンというか、あたりって。
2回目見てると本当に思うんですけど、絶妙に今後の嫌な展開のための伏線が地味に張られてるみたいな感じなんですよね。
一個一個の言動とかが、これ全部跳ね返ってくるやんみたいなことになってて。
だから本当に2回目見ると結構いいと思います、僕は。
気づかされることがたくさんあるっていう。
2回目見るとすごい冷静になれたんですよね。
本当になれますよね。
悪いのは小西じゃなくて、小西を悪く見せようとしてる作り手だなっていうのがなんかわかってくるんですよ。
圧倒的に今回いじわるに描いてやろうとしてやってるっていう。
好きじゃない相手のすべての言動に責任なんか持てないっすよっていう。
でもそれで相手のことがわかってしまうと、それがゼロじゃなくてマイナスだったっていう風になっちゃうんですよね。
で、我は関係者も彼の加害性とか悪性とかって彼が悪いことを前提で話しちゃうんですけど、普通なんですよ。
世の中には無関心なんて無限にあるから。
その中の一つが蓋を開けてみたら悲しい結末だって言われても、それが悪いかって結構すごい意図的なものだと思うんですよね。
視点をどう置くかというかね。
ただそれは加害性がないわけじゃなくて、自分が知らないだけで何かを踏み潰してる可能性ってありますよねっていうことでもあると思うんですよ。
その責任があるかどうかではなく、結果的に加害してしまっている可能性はあるっていう。
あなたは知らないかもしれないけどっていう。
今回はその一つが明らかになってしまって彼は呪われるわけですけど、
ただその加害性があるとしても、その言葉は口に出さなければならないですよねっていうところに至るっていうのは、
ちょっと僕はかっこいいなと思ってしまっています、それを。
最後の小西ちょっとそうなんですよ。
そう。やっぱ最後の小西の告白って結局エゴまっしぐらじゃないですか。
やっぱそこに僕らテンションが上がる場面では絶対あるから。
だからやっぱり最後よかったなぁみたいな部分にはやっぱりたどり着けるというか。
しかも映画の作り手として結局その彼を称賛もしないじゃないですか。
そうですね。
そのすぐ後のカメラワークとかエンドロールに流れていくあの感じとか、
どう考えても称賛してないっていう。
だけどそれでもそれを引き受けて生きていくしかないっていうのが、
なんていうんですかね、人間としての覚悟だなって思って。
僕らはそう生きていくしかないんだっていう。
そうなんですよね。だからその、
可愛いユミに対して告白したことの加害性は隠されてるわけですよね。
その罪性とかっていう。
もしかしたらそれは悲劇につながるかもしれないですけど、
そこの意味はこの映画上では与えられてなくて、
だからそのエンドロールの主題歌ないのちょっとクールすぎるなと僕は思って。
その主題歌って絶対意味を与えると思うんですよね、ラストに。
それがハッピーエンドだろうが、バッドエンドであろうが、
何がしかの意味を与えて、
こういう意味を持って帰ってくださいって言って帰ることになるんですけど、
最後の選択に対して意味を与えてくれないんですよね、歌がないから。
すごいクールな終わり方だなと思って、あそこ。
その前はあんだけ初恋クレージー流しといてですよみたいなね。
そうそうそうそう。
あくまでその劇中で流れた歌ですってことですよね、初恋クレージー。
そうそうそうそう。
でも本当映画史上一番のスピッツの使い方だと思いますけど、
これまでの間違いなく。
間違いなく。
切れ味凄まじかったなと思って。
他に流れる音楽もすごい印象的なものばかりでしたし、
すごい良い選曲ばかりでしたもんね。
ほぼ劇場にないですからね、なんならね。
すいません、実は時間が来てしまいまして。
全然まだ話せますけどね。
全然触れなかったけど、人からのレコメンド問題とかいう話をしたかったんですけど。
うーやめて。苦しい。
苦しいでしょあれは。
基本レコメンドは拾われない前提でレコメンドする覚悟がいるなって僕は思いました。
いやそうなんですよ。
自分の時はそうなんだけど、他人からされた時にねっていう。
そう、この辺の折り合いの付け方ってみんなどうかなっていうのを話したかったんですけど、まあまあいいやっていう。
はい、ではそんな感じで。
今日の空が一番好きとまだ言えない僕はの話を終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話したすぎれば次回開催日は4月5日土曜日です。
通常は月末土曜日に開催してるんですけども、今回は7月初秋土曜日の開催となりますのでご注意ください。
場所は大阪南森町週刊曲がり19条文23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体や特定作品向けてご自由にお送りくださいませ。
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