今日のテーマトークは、サブスタンスです。はい、ではマリオンさん解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。バイオレンス映画リベンジなどを出かけてきたフランスの女性監督
コラリー・ファルジャが、ゴースト、ニューヨークの幻などで、1990年代にスター女優として活躍したデミ・ムーアを主演に向かえ
若さと美しさに執着した元人気女優の姿を描いた異色のホラーエンターテインメント。50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベスは、
容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気にやみ、若さと美しさと完璧な自分が得られるというサブスタンスという違法薬品に手を出すことに、
薬品を注射するや否や、エリザベスの背が裂け、スーという若い自分が現れる。若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、いわばエリザベスの上位互換ともいえる存在で、
たちまちスターダムを駆け上がっていく。エリザベスとスーには1週間ごとに入れ替わらなければならないという絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破り始め、
2024年第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞。第75回アカデミー賞では作品賞のほか、計5部門にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞。
エリザベス役を開演したデミ・ムーアはキャリア初となるゴールデングローブ賞の主演女優賞、ミュージカルコメディ部門にノミネート&受賞を果たし、アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされた。
共演は、哀れなる者たち、ワンスアポンアタイムインハリウッドなどの話題作で活躍するマーガレット・クアリー。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますのでネタバレ気にされる方がいたらぜひ見てから聞いていただけたと思います。
はい、では座りの感想、マリオンさんいかがでしたか?
はい、そうですね。
まあ、唖然とはしましたよね、ちょっと。
あまりにも過剰っていうか。
まずそのなんか強烈さに、まずはちょっとやられたっていうのがもう、ファーストインプレッションとしてはそういうのがやっぱりありましたね。
でまあちょっと1回こう、この映画どういう感じだったのかなって考えた時に、まあ見るからに、まあルッキズムとエイジズムの地獄の話をまあ描きたいというか、そこに対する風刺。
特にそのハリウッドに対する、なんというか、ハリウッドを徹底的にバカにしやるぞみたいな感じの作りにはなってるっていうのは、まあ物語からもそこはまあ一種の偶話として描けてるなとは思ったんですけど、
特になんか映画全体としてこう、視覚への訴求力がめっちゃすごいなと思っていて、映画って総合芸術ですけど、特になんかビジュアル面。
例えばサブスタンスの薬品についての説明文とかのあの紹介動画みたいな時の文字がドンと画面に出るみたいなのとか、
あのしょっぱなのあの卵の黄身と映像だったりとか、あとウォークオブフェイブとかのふだりとか、とにかくもう見るだけで何をやりたいかすぐわかるみたいな。
そこをめちゃくちゃ徹底してこだわってるなぁと思って、だからこそその見ることっていうのがめちゃくちゃ誇張されてて、
誇張に誇張を重ねていて、そこになんかもう最後の最後ドギモ抜かれるようななんか映像が次々と出てくるみたいな。
体験としてなんか、こちらが見ていて何かを、そこから何かを抱くっていうことの体感、体験っていうのが映画としてなんかそこにあって、
そこの体験をベースにやっぱりルッキズムとエイシズムの地獄っていうのを描いているのが、すごい映画的というか、ものすごい知的だなというふうにすごい思いました。
セリフでテーマ言っちゃうとかいうのではなく、やっぱビジュアルとその体験込みで、見る側の体験というか感覚込みでそのテーマをめっちゃしっかり描いてるっていうのが僕はすごいなというふうにすごい思いました。
はい、大井さんいかがでしたでしょうか。
まあ冒頭でも言ったんですけど、これ見た後にクラクラして、なんか熱あるかなと思って描いたらしっかり熱出てたんですけど、まあそんぐらい食らいました。
あれもなんか好きかって言われるとすごい難しくて、まあさっき真田さんも言ってた通り、四角絵の訴求力はものすごいですし、
なんていうかちょっとそれこそキューブリック的と言ってもいいぐらい、絵にはこだわりがめちゃくちゃあるタイプの映画だなと思ったんで、
その映像で見る意味みたいなのがすっごい感じたりもしたんですけど、なんかお話としてはよりも奇妙な物語。
トエルもなんかもう笑うセールスマンみたいな話だなっていう感じもして、楽しんでもいるんだけどすごい悪趣味だし、すごいドライだし、
ちょっと切なくもあるような話だなっていう感じで、まあ個人的にツボに入ってるというわけでもなんかあんまりないぐらいの熱量ではあるんですけど、
ただなんかこの物語一点ちょっと面白いなと思ったのが、普通にサブスタンス打ってデミムアの若い頃になるんだったらちょっとわかるなと思ってたんですけど、
全然別人の数が現れるじゃないですか。で、それはある種の理想でもあるのかもしれないんだけど、
ちょっと別の意味で娘にも見えるなって気がして。で、その息子と父っていう関係性において父殺しの話ってすごい古くから語られているし、
何度も何度も繰り返されているけど、これはいわば母殺しの話なんじゃないかっていう気もして、まあその上で殺せないって話だからより残酷なんですけど、
なんかそういうふうな、母と娘っていう女の人同士の際してか、母と娘の話としてなんかすごいこの話を象徴的にも見られるなーとかっていうのが出た後にふと気づいて、
なんかその父と息子の話との違いってどういうとこなんだろうなとかっていうのもちょっと考えながら書いたので、総合的にはいい映画体験だったかなと思ってます。
母娘の話っていうのは僕もすごい感じてましたね。
僕はですね、中盤まではやりたいことはわかるし、それに対してすごい的確な演出を選べている、すごい巧みな映画だと思いつつ、悪趣味が過ぎるなっていう思いで見てました。
で、終盤の展開はほんとやりすぎ、嫌いってなってました。
まあわかる、わかりますわかります。
ちょっとやりすぎだとは思ったんですけど、その終盤の展開の中のクライマックスで全部反転しまして、この映画好きになりましたね。
もうね、真側をざま見ろと思って本当に、てめえら全員、なんか目鼻のちょっとした並びとか姿、形がどうこうとか言って人間を語ってたけどさ、人間ってのはさ、血液と内臓なんだよバカ野郎って言って。
豪快ですよね、あそこね。
これが人間だ、喰らえって言って喰らわすから、なんて気持ちいいんだと思って、あそこで好きになりましたね。
ただ、この映画を好きって語るのは結構バランスが必要な映画だなぁと思ってて、結局そのエイジズムとルッキズムを皮肉っていることを喜んでも、そのエイジズムとルッキズムを楽しんでいる輪の中からそんなに外れたことにはならないよなっていうのは思っているので、
一体自分がこの映画を見て何を楽しんでて何が正しくないと思っているのかっていうのは結構整理しとかないと普通にダブルスタンダードやりかねないなっていうぐらいにはちょっと難しさというか、毒まんじゅうを含んでいる映画だなとは思ってはいます。
ちょっと整理しときたいなっていうのはありますかねっていう感じで、であと大石さんがおっしゃられてたように母娘の話でもあるし、あと僕はこれドラッグの話かなと思ってて、
その2つですね、1人の人間のドラッグ中毒の話か母娘の断絶の話かっていう2つとして見てます。
はい、そんな感じでではお便りをいただいてますので紹介させていただきます。大石さんお願いできますか。
はい、M原さんから頂きました。
テーマ映画のサブスタンス、個人的には今年ベスト級の作品です。深刻なテーマを取り扱った作品でありながらエンターテイメントとしてとにかく面白く、上映時間が140分を超えているとは思えないほど短く感じました。
テンポの良い編集、露骨すぎて笑うしかないカメラワーク、重厚な低音が特徴的なサウンド、褒めたい点は多岐にわたりますが本作を語るならば何といってもクライマックスシーンでしょうか。
エリザベスとスーの溜まりに溜まった鬱憤が爆発したかのような大流血には爽快感と興奮を覚えました。
またクライマックスシーンを彩るモンスター、エリザスーの造形も凄まじい。
鼻の位置におっぱいがあればいいのにな、などと劇中ふざけたことを言っていた男たちの勝手な欲望に応え、まさに記号の集合体である彼女。
その姿はとても儚く物悲しく、それでいて美しさも損なわれていないと自分には思いました。
今年どころか自分が見たホラー映画史上ベストまであるかなと思える本作を皆様がどう語られるか楽しみにしております。
ということです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
なんか序盤のテンポの良さとあと音と映像の演出の、なんか脳に直接くる感じはマジでなんか。
そうですよね、なんか全部直接的みたいな感じ。
けどすごくそれが何だろう、下品じゃないというか。
すごく整理されてて、すごいその何というか意図というか、見ているこちらが間違うことがないぐらい的確っていうか。
その巧みさはすごい感じましたよね。
そうなんですよね、なんかただ僕はもうちょっと正しすぎちゃって。
伝わるメッセージ性というか画面の中に映っているものがあまりにも余白がないって思っちゃったりしたんですけど。
それはそう。
それを求める映画ではないことも徐々にわかってるんですけど。
大石さんが本当さわりの感想で言われてたキューブリック的っていうか、そのギチギチ感はすごいよくわかるしますし。
ずっと僕もなんか見てて、なんか神経質な映画だなって思ってて。
もう僕、あのすごい精神を病んでいくような神経質な映画が大好きなので、非常に僕はその辺のギチギチがめちゃくちゃ好きって感じでしたけど。
露骨にキューブリック、たくさんありましたもんね。
廊下とか特にそうですよね。
シャイニングすぎる。
あそこシャイニングすぎるし、最後血も出るんかいと思って。
そこもシャイニングって思いましたし、
あとあれですよね、本当に最低な使い方で2001年宇宙の旅のあの有名なオーケストラの曲、何でしたっけあの曲。
あれ使ってくるところが本当に、やめてよって思いましたけど、意地悪が過ぎる。
ツラツストラですかね。
ツラツストラはカタリキですね。
いやー、あの、映画オマージュめっちゃ多くないですか。
めっちゃ多かった。
いやでもなんか面白いですよね、そうとわかるようにもなってるんだけど、とはいえこの映画オリジナリティのような、オリジナリティいいのかな、真似してますってじゃないというか。
うちの箱庭の中でしっかり遊んでますよって感じもしっかりあるから。
そうですね、まああの思い出される方が多いのはやっぱりクローネンバーグだと思うんですけど、
クローネンバーグの名前挙げて語ってる方も多いじゃないですか。
そうですね。
っていうのはまあ、まあわかるなっていうのがありましたね。
ボディホラーって言えばそうだよなっていう。
そうですね、でもあとあれかな、すごい最後に登場するそのモンストロエリザスに関しては、
有星からの物体Xかなとか、造形とかも思い出したりしました。
僕はあのロボコップの排液被ったやつ思い出しました。
なんかこの辺、人によってこう、何の映画の思い出すかっていうのはありますよね、この辺の。
そうですね。
あとなんか、エビ食べてるところでやたらハエがズズムになるところとか、
フライなんだろうなとか思ったりとか。
あー、めくばせエビだと。
そうそうそう、これザ・フライのこと言ってんだろうなとか思ったりとかしましたけど。
なんか映画オマージュ広い、さっき済ましときます。
確かにいいかもしれない。
その話ちょっと済ましときたいですね。
タイミング良すぎたのは、めまいの曲使われてるのめっちゃびっくりしましたけどね。
そうっすよね、確かに。
鏡見ながら多分おめかししてるとこですよね。
クレジット見て、あれ?めまいのサントラの曲の名前があるじゃんみたいな、マジかと思って。
タイミングがちょっと良すぎるって思いましたけど。
確かにめまいもある意味、容姿に関する話でもあったなっていうね。
嫌なシーンでその曲かけるじゃんって思いましたけど。
本当にそう。
あと、サブスタンスの商品の文字の扱い関係は、
見せ方そのものと言うより、メッセージの端的さがゼイリブやなって。
あー。
力強い本当でバーンって言い切られるのって、洗脳するためじゃないですかって。
そうですね。
ゼイリブみたいだなと思ったのと、あとはダフトパンクのテクノロジックっていう曲のMV、ちょっとそれも思い出してましたね。
なるほどな。
すごいな。ここに至るまでにキューブリックやジョン・カム・ペーターやら、クローネンバーグやら、
ヒッチコックやら。
そういうとこ撮ってきてますね、みたいな。
本当そうですよね。
ラストはね、キャリーですよね。
あー、そうかそうか。キャリーだ。
キャリーですよねって。
キャリー的ですよね。
確かに確かに。
あと、ここのシーンだけがとかじゃないんですけど、
編集のテンポっていう部分で、僕、ダーレン・アロノフスキーのレクイエム4ドリームを思い出してたんですけど、
あー。
で、ヘロイン売って、銅鉱が開いてっていうので、で、ラリ行って、ヘロイン売って、銅鉱が開いて、ラリ行ってっていうのを繰り返す、異常にテンポが異心がある映画で、
結構これ、レクイエム4ドリームのテンポ感じゃないかなと思ったのと、まあその切り口で見ると、やっぱあれドラッグの話やなと思って、サブスタンス自体が。
確かに確かに。
その栄光と承認っていうドラッグじゃないですか、あれ、あれ絶対やめれないですよ。
そう、まあしかもそれで50歳まで生きちゃった人の話だからなぁ。
そうなんですよね。なんか、そうですね、結局若い体を手に入れてやることが結局同じだったっていうところからしても、
彼女の依存っていうのはもうとんでもない、もうそこから逃れられないっていうのはまあ目に見えてるっていうか、そこが悲しくもあるんですがっていう。
あとあの、レクイエム4ドリーム主人公ジャレットレッドで、
まあヘロイン中毒者なんですけど、確かヘロインだったと思うんですけどね。
そのジャレットレッドのお母さんがもう老齢で家からあんま出なくなってるおばあさんなんですけど、
息子はヘロインにハマってる一方で、お母さんはいつか自分がテレビに出れるっていうのを待ちわびながらテレビを見続けてるおばあさんなんですけど、
この、これ、エリザベスの今やなって、今の方のエリザベスやなって。
うわ、そうなんだな。
確かにな。
うわ、ちょっと、うわ、めちゃくちゃ繋がってますね。
ちょっと僕、誰やらの好きでもレクイエム4ドリーム見てなくて、早く見なかな、もう。
はい。
なるほどな。
あとまあ何でしょうね、ハリウッド残酷者として、まあ結構よくあるモチーフではあると思うんですけど。
うん。
うん。
まあでも、そういう意味では、惜しげもなくハリウッドへの愛も同時に出してるというか、捧げてる映画でもあるってことですもんね。
もうめちゃくちゃね。
そうそう。
すっごい皮肉りながらでも大好きとも言ってるみたいな。
はい。
うん。
そうでしょうね、きっとね。
はい。
うん。
マージュ的な部分はこんなとこですかね。
うーん。
逆にテーマ的な部分に噛み合う作品がまた別で出てくるかもしれないですけど。
うんうんうんうん。
まあ一旦じゃあここら辺にしといて、まあ具体的に話し入っていきましょうか、我々から。
うん。
そうですね。
まずデミムがすごいなっていうのが。
いやー。
すさまじいっすね、ほんと今回は。
うん。
いや、よくやるなっていう。
うん。
はい。
こういう演じてる側もかなりストレス溜まるじゃないですか、たぶんこの話ってたぶんきっと。
はい。
その役になりきるっていうことで、なりきってる感はある意味その本当に精神的にヒリヒリした状態が続くはずなので。
うんうんうん。
いやこれかなりしんどいだろうなって思いますけど。
うん。
しかも彼女が演じるシーンってもうとにかく孤独なシーンばかりじゃないですか。
うんうんうん。
そのなんていうか辛さたるやというか、もちろんめちゃくちゃ体張ってるっていうのはあるんですけど大前提として。
うん。
その張った上でやることがその孤独になんていうかな、自分の虚無性というかと戦い続けるしかない日常をたらたら演じるって結構実生活に影響出そうなぐらいやばいんじゃないかなと思って。
うんうんうん。
そうですね。
実際劇中でも完全にそのエリザベスである瞬間っていうのは完全に日陰の暮らしであるっていうのを露骨に刻み込んでる感じはしましたけどね。
うんうんうん。
なんであのあんなに孤独なのかなっていうのはちょっと不思議に見てるところもあって。
うんうんうん。
あの家政婦さんとかも入れてないじゃないですか。
最初ちょっといましたけどそっちからいなくなりますもんね。
なんか一人になるようで不思議だなっていう、不思議というか孤独を描きたいからそうなるっていうのは必然なんでしょうけど。
なんか背景考えていくと独特なんですよね。
うんうんうんうん。
まずあの住んでるところあれマンションの一室ですよね。
そうですね。
でもしかしたら文章でもなくて賃貸なのかなっていう。
だってあの住んでる人変わったみたいなのがすんなり話として受け入れられてたから。
あー確かに。
あれ賃貸ってことなのっていう。
僕結構あのクラスの人って自分の肯定持ってるんじゃないかなって気がしたんで。
なんかあのちょっと不思議な設定だなと思って。
確かに。
まあでもなんか見た感じあれですよねでもウォークオブフェイムに名前も刻んであってなんかアカデミー賞も取ってるみたいな言われてた人だと思うんですけど。
まあ結果でもその人がまあ多分今のキャリア的にはテレビ泊ってことですよねきっとね。
演技でもないところで仕事。
仕事。
っていうところがまあその何が一番かっていうのとかは別にあの別に映画界でトップになることだけが全てではないと思うんですけど別にその。
けどまあ彼女にとってはある種頂点までまあ見てるというか人がまあそこまでじくじたる思いになってるっていう状態だと思うので。
まあ肯定も持てないみたいな状態になっている可能性はあるかなとは。
そうですね確かにまあ部屋自体は広いんですけど良いマンションの割には隣人との距離近いなぁと思って。
確かに。
結構騒音気にしないといけない距離感だったじゃないですか。
大人手さんめちゃ近かったですもんね。
しかもなんかめちゃくちゃクソみたいな続物らしい隣人。
めちゃくちゃ嫌だな。
お前露骨だなみたいなキャラクターでしたけど。
だから思ってるほどすっげー経済的に豊かなわけでもないのかもしれないですね。
まあわからないですけど。
まあなんかその辺り細かくリアリティがあるというより語りたいことのために逆算的に世界が作られているから語ってもしゃないなっていう部分もあるっちゃあるんですけど本作に関しては。
まあそれはそうですね。
そもそもなんかエクササイズ番組みたいなやつとかも今だったらちょっとなんか批判食らうじゃないですかみたいなのとか。
あえてやってるかなとは思いますけど。
あんまりリアルなものを描く気ないなっていうのは本当にずっと思ってたんですけど。
エクササイズ番組が今あるのかっていうレオタード来て80年代じゃあるはずっていうのもあるし。
しかもあれ朝の番組なんでしょ。
そうらしいですよね。
あの世界イカれてますよ。
いや嘘だろみたいなとか。
あとその本来放送されるはずであったであろうちゃんとしたその大晦日番組とか。
もうなんか後ろのバックダンサーの女性トップレスでしたよ。
そうでしたよね。
そんなことあるかみたいな。
あえて過剰にやってるんだろうなっていうか。
だってなんか背景に映るロサンゼルスなのかハリウッドなのか砂漠みたいな場所でしたよ。
そもそも今ってあんなにテレビ勢いないと思うんですよね。
そうですよね。
多分アメリカでもきっとそうのはずなんですけどね。
そもそも現在じゃないしそもそも現実じゃないなっていうのはなんとなく察せるんですけど。
今だとああいうもしかしたらインターネット上にそういう番組があったりはするのかもしれないですけど。
やっぱ国民的になるってテレビじゃないとなせないこと。
だからテレビなんだろうなっていうのは思ってたんですよね。
インターネットってどこまでどんなに有名でもある程度ニッチなものになるとは思うので。
世界丸ごと染め上げるみたいな世界観が存在しているのってやっぱりテレビ。
しかもまあ一昔前のテレビだと思うんで。
その世界観だと思うんですよね。
何故か知らないけど多分ブラウン管なんだろうなって思って見てました。
そうですね。
あと大石さんもさっきおっしゃられてたんですけど意味でギチギチの映画で本当に。
全部意味やんみたいな感じで作られてるから。
いやだから正直この映画見なくてもこの映画のテーマとか説明できるじゃないですか。
レベルでギチギチだと思います。
こんなにわかりやすいことないよってぐらいには。
めちゃくちゃわかりやすいですよね。
かつての20代の頃であろう自分の写真をどんと掲げてるのを見ながら過ごしているのと一方で、
その窓の外には今流行っているもののビルボードが掲げられてて、
そこには自分は掲げられてないわけですよね。
むしろ途中でビリッと剥がされるっていう。
あとボークオブフェイムの成り行きとかの見せ方とか、
すごい象徴的だなって思いましたし。
最後やりすぎてますからね。犬がおしっこするぐらいで終わるかなって思ったらね。
最後までやるそこで終わらすのってもうなんか、いじわるというか、効いてますねっていう。
しかもそれが最後にちょっとだけ反復してるみたいなものもまたいやらしいんだよなっていう。
もうエスプリが効きすぎる。
本当にそう。
すごいなって。
正直ちょっとこの意味でギチギチさは、見てて息苦しく感じかねないぐらいなんですけど、
むしろその息苦しさで押し切ってる映画というか、
見ながら音とか映像で動機激しくなってるぐらい分かります。
そうなんですよね。
その僕、息苦しさがすごく映画の見てる体験としてやっぱすごい良かったっていうのはあるので、
そのギチギチさ含めて僕はすごい好きですけど、
でも本当そうですよね。
僕は視覚的得意力が高いって言いましたけど、音もすごいですよね。
なんですかあの、ビートはみたいな。
過剰なんというか、そもそもやっぱエクササイド番組もビートをどんどん上がっていくようなタイプの番組というか音作りとかもそもそもしてるし、
なんかやっぱ自然と見てるこっちもなんか借り立てられるとかなんかしなきゃいけないんだみたいなことにめちゃくちゃ見てる間囚われちゃうみたいなのとかはすごい見てる体験としてはやっぱそこも作りとして上手いなとやっぱ思いますね。
それこそサブスタンスの説明動画のブワーンみたいな音とかも借り立てられますよね。
またいい声のナレーションで説明してくれるじゃないですか。
なんだこのかっこいいイメージ動画はみたいなというか。
本当すごいんだよな。なんかだから僕は逆にその強烈さが時計仕掛けのオレンジで主人公が目の前にこうモニターされてバーって見せられてる感じになってきてたんだ。
うどぎこ両方。
そうそうそうそう。むしろそのレベルなんじゃないかっていう。
ちょっとねなんか体調に影響を与えるぐらいにはその直接脳に働きかけてる映像君ではあったと思いますよ本当に。
いやー実際風邪っていうか熱出てますからねその後。38度まで行きましたよその後実際。
うなされてる。
ストレスかかって免疫落ちたんですね。
多分そうだと思う。
いやーそうだろうな。
まあでもわかりやすいが故にそのテーマについてしっかり考えるきっかけにすごくなるますよねやっぱり。
キズムエイシズムって詰まるところ誰が作ってるんでしたっけみたいなところまでやっぱ話の射程が見てみた後に届くというか。
なので僕はそれでも良いかと思ってるんですけど。
いやー元子供の気持ち悪い描写はまたこれも誇張されすぎてておもろすぎましたもんね。
すごいですよね。
しかもそのまあそれを一定になっているプロデューサー役の名前がハーヴェイっていうあたりの。
やりすぎやりすぎっていうね。
おいおいおいおいおいみたいな。
もうその名前で思いつくやつワインスタインだけやみたいな。
そこも意味になってるな。
まあ現実であったからしゃないんですけど
まあ現実はもっと狡猾にやってしまってるっていうのがまあ答えなんですけど
あんな露骨なやつ速攻でそれはもうはじかれると思うんですけど
まあでも現実にそういうことは起こっていたわけみたいな
だしやっぱりハリウッドにおいてはやっぱりその年を取れば取るほど役が回ってこないっていうのは状態化してるっていうのもあることだし
そうですね
まあよく言われるのが女性の俳優は年を取るとなんだっけ
母親か不幸な老人の役しか回ってこなくなるみたいな話
誰だったかなサンドウェラブロックだったかな誰かのインタビューか何かで見たんですけど
まあまあそれはうんその何か想像はつくかなっていうので
子供の物語になった時にまあ母親しか役がないとか
その中年とかあるいは高齢者の悩みを描く話もやっぱり男性の方が圧倒的に多いとは思うんですよね
なんかそのある一定以上の年齢の女性の複雑さを描く作品って多分だいぶ少ないというか
その女性向け作品として作られているものに偏ってると思うんですよね
そういう内容を描いている作品ってこの映画は女性向けですみたいになりがちかなって気はしてて
でその広く対象者が広いタイプの
間口が広い映画は主人公が男性でとかあるいはその女性はそんなに複雑さがなくてとか
ちょっとお前さん一個一個のケースを十分洗えてない状態で喋ってるんで解像度低いかもしれないんですけど
まあ多分そういうことはあるだろうなっていうのは想像はつくんですよね
それはルッキズムとかエイジズム外観のことであるとか年齢のことがその人の価値に紐づくことが
女性の方が男性よりより強い男性に全くないとは言わないですけど
女性の方が圧倒的にその割合は強いと思うんですよ
外観とか年齢によってその役を当てがわれるとかってことは多いとは思うので
そこが不均衡になっていることはあるだろうなっていうのはわかります
それこそじゃあなぜそういった物語が描かれてこないんだろうってなった時に
単純にターゲットになり得ないってことだと思うんですよね映画業界における
多くの世代の人たちは子育てをしている状態になっていると思うので
子供がいて子供のケアをしなきゃいけなくてそれで家を離れられないから映画館に来れないでしょ
じゃあ映画館来ないでしょっていう風にこれまでオミットされてきたんだろうなって気がすごいするんですよ
まさにそれが今それこそ少しずつ変わってきてるきつつあるような状況の中で
実際今年になってからもブラックワールドブラックビル私は私みたいに
これはハリウッドじゃないですけど
中年女性の初めての性体験を描くみたいな映画とかも出始めてきてるっていう意味で
今後はそういう部分が徐々になくなっていくっていうのはすごい期待はしてるところではあるんですけど
それこそ私は最悪とかもそうですよね
これもある意味ちょっとハリウッド映画ではないっていうのがまたあれなんですけどね
その何でしょうね女性の複雑さを描くのがちょっとまだ自分の中で整理しきれてないんだよなそのあたりが
女性の方がシンプルに描かれてきたっていうのはあるのかなとは思ってはいて
劇中でもありましたけどやっぱ美人は笑ってないとみたいなすごい厚のあるセリフがあって
あるもろこつに入れてくんなっていう女は愛嬌的な言説でよくあると思うんですね
それの世界中どこでもそれがあるんだなっていうところでだからその笑う女性はキュートな存在で
そうじゃない人はそういうのじゃないものみたいな極端なキャラ付けで描かれてきたで
あとそのなんだろうな恋愛が好きでとかあるいはその今期を急いでいてとか
そういうある程度物語を描く絵で省略されてきたことがいわゆるステレオタイプに描かれてきたことが多かったんだろうなっていう
その中の一つが美貌と年齢にこだわるっていう部分だと思うんですけど
その単純化の中でより女性の方が男性よりそれらに困らされてきたっていうのは多々あるだろうなとは思ってはいるんですけど
本当になんか結局このなんか映画でそのエリザベスとソウっていう存在が2つ出てきたり出てきて
それがやってることって結局なんか自分の中にある自己嫌悪が表出した感じなんだろうなと思いながら見てたんですけど
やっぱりなんか自分という存在がそのいわゆるロールモデルたる美しさとか年齢のみたいな若さとかっていうのから外れていくことによって
どんどんそこに対して自分はなんて醜いんだみたいなっていうことにどんどんこう自己嫌悪に陥っていくみたいな
っていうところはなんかすごく2人の存在がどんどんこう分裂ある種分裂していくみたいなのは
なんかそういった自分の中にあるそのネガティブさのなんか表出として描いてるのかなとかはすごく見ながら思ってて
特にあのかつての同級生のご飯誘っていざ出かけるぞって言ったとき何回も化粧とか直しちゃうみたいなところの
あの辺の何というか一体多しさというかもうめちゃくちゃ辛いなと思って
いろいろな感情が多分あそこなり混ぜになってると思うんですけど
なんかもう自分が何してもそこに美しさからかけ離れてるみたいな
感情におけるそのイラつきとか
あとはなんか一種をやっぱ高いとこまでの盛り詰めたがゆえのなんかプライドの高さみたいな
もしかも邪魔してるだろうしみたいなとかいろいろ考えるとあのシーン結構辛いなというふうに見ながら思えてましてね
窓の外に見える数の看板がこっちを見て出れなくなっちゃってねあれすごいシーンだなと思いましたね
結構僕本作のハクビのシーンだなと思ってるんですけど
その結構全体的に味付けが濃いビジュアルと音楽によって演出されてて
まあそこはもちろんかなりわかりやすいシーンではあるんですけど
ただそのいかにその内面の複雑さで危ういバランスでギリギリ保ってるかっていうのが
それが保てなくなってるっていうのがあのシーンですごいわかるようになってて
すごい結構本作でもハクビのシーンだなと思ってるんですけど
ただ僕はあの相手の男を会ってても本当に良かったかどうか微妙だなと思ってるんですよね
結構ね結構なんていうか神ですよね
そうあいつ泥水ついた神渡してくるような男ですから
決してあいつがなんというか彼女に救いというか
ある種の安らぎの場所になるとはとてもじゃないけど思えないっていうのはそれはそうなんですけど
その辺脚本好きねえなと思ったんですけど本当に
この物語で救われる道っていうのは本当にあの最後のとこしかないっていうのが
本当に辛いとこなんですが本当にそこは本当に良いシュートだなって本当に思いますし
あと僕ちょっと一個思ってたのがちょっと話ずれるかもしれないですけど
エリザベスからスーが生まれる時の話なんですけど
サブスタンスという薬品を打ってみたいなその辺の色々見ながら思ってたのは
手数が多いなって思ったんですよね
若いスーを生み出すまでの手順というか煩雑さ
でもそれって実際に置き換えるんだったら本当化粧する時って
女性の皆さんたぶんきっとあれぐらい時間とってやるわけじゃないですかっていうのとかも
ああいうことで描いてるのかなとか思って
美しさを保つためにめちゃくちゃそこに努力をするというか時間を取るみたいな
それが別に何というか取ること自体が悪いことではないと思うんですけどその捉え方によっては
自分のためにとか自分をより輝かせたいっていう
自分から馳せられるものとかであればそれは別にいいと思うんですけど
構造の作詞の中で捉われてるものだとしたら
それがすごくグロテスクなものになってしまうみたいなことにはなるので
その辺のことも込めてるのかなとかはちょっと思ったりしました
プロセスの煩雑さというか手数の多さが
一つの儀式として働いてるなと思ったんですよね
もっとわかりやすいSFにするんだったら
薬を飲んだらとかでも言っちゃいいわけですけど
そのプロセスの多さがある種のリアリティをもたらしてるなと
なんかそれっぽさあるじゃないですか
そういう機具を使ってどうこうするとかっていう
そのそれっぽさがそのままリアリズムになってて
なんかその肉体的な生々しさへの説得力を持たせてるなって思ったんですよね
この話は肉の話なんだっていう
だから全部痛そうですもんね
そうもう全部痛そう
全部痛そうほんとそうですよね
本当にどこまでも全部痛そう
背中の脊髄液吸うとこまで痛そうですからね
絶対痛いですよね
で同じとこ張り刺すからそこだけ変に腫れるじゃないですか
そこの腫れた場所からまた嫌な黒ずみ方するのよねみたいなところも含めて
嫌というか
そんなぶっとくなって長いの刺すのみたいなね
とか言うとそもそも背中からなんか出てきて
それをなんかあれを縫うわけでしょみたいなとか
やめてよみたいな感じですけど
僕あれね帝王石灰やなと思ったんですよ
僕もちょっとそれで連想しました
でその本作を母と娘として見た時に
全然ある話なんですよねこれ
だからそのこの事例を出すのあんまり良くないかもしれないんですけど
娘に幼い頃から何というか芸能界目指させるお母さんとかのちょっとイメージを重ねたとこがあって
自分はその世界に今はいないけれども
娘にその華やかな世界に行かせたいみたいなことって全然あり得るよなって思うし
そこに人生のリソースを全部注いだ結果
いつの間にか自分はもう年を生きてましたみたいなことあり得ると思うんですよ
それは娘に芸能界とかモデルになってほしいとかそういうのじゃないにしても
子供に何か立派なものになってほしいみたいな思いを
過剰な過剰って言うとこれも良くないんだけど
子供に強い思い入れを持って子育てした果てに
自分の若さは全てもう失われてましたみたいなことは全然あり得ることだと思うんですよね
それを数日か数ヶ月のうちにやり切ってる話だなと思って
気づいたら自分はもう何も残ってないですみたいなことは
まああり得るとは思うあんな極端ではないにしてもっていう
なんか感覚なんですけど
同性の親子において
父と息子の繋がり方と母と娘の繋がり方ってちょっと違いがあるなって感じてて
自分は妹がいて
なんでそれ両方のパターンを知ってるというか
両方のパターン見てるって見てるんですけど
なんとなくやっぱり母と娘って
二個一というか元は一つだったもの
まさに今回も元は一つであるっていう提示がずっと掲げられて
それがある種呪いにもなっていくわけですけど
なんか父と息子って元から二つのイメージなんですよね
どちらかというと
でお互い牽制し合いながらそれぞれの距離を測っていくみたいなところが
なんとなくあるなーって感じがしていて
それに対してやっぱり母と娘って
少し境界線が近いというか
バウンダリーがすごい曖昧なところからスタートしているようなイメージがあるんですよね
だからこそ引き剥がすというか
それが徐々に自我を持って離れていくっていうところに
少し痛みが感じないわけではないのかなっていうのは
見てて思うところではあって
自分の知り合いの女の子からの男の話を聞いてても
なんとなくやっぱ母との繋がりの近さって
男の子が感じるそれとは全然違う近さを持っているなーっていうのは
常に思ったりはするんですよ
そうですね
ちょっとこれ感覚的な物言いになっちゃうんですけど
父息子は縦に並んでて
母娘は横に並んでるっていう感覚
感覚ですけど
息子は父を乗り越えなければならないっていう感覚はあるんですよね
だからそれが多分いわゆる父殺しって
言われる物語が作られやすい土壌にある根本なのかなって思うんですけど
だから男性で言うと
自分が次のリーダーにならなければならないっていうので
その父を継がないといけないし
それよりより優れたものにならなければならないみたいな
なんかはあると思うんですよ
ある種過不調性由来の呪いの一つかもしれないやつですよね
それが縦に並んでるって感覚があって
それを上下に移動しなければならないって感覚はある気がしてるんですけど
女性は多分そんなに縦の感覚じゃない気がしてて
ちょっとこれ自分が当事者じゃないから感覚的に弱いんですけど根拠が
別に母殺しって必須じゃない気がしてて
なんて言ったらいいのかな
取り除かなければならないわけじゃないって言ったらいいというか
距離感の問題になるって言ったらいいのかな
ちょっとこれは爪が弱いんですけど
でも独立していくためには離れなきゃいけないっていうところに対して
父と息子は痛みをそこまで伴わないんだけど
母と娘はどちらかが
あるいはどちらも痛みを伴っているように見えることが多い
なっていうのは感覚的には思ってるし
物語の中でも結構そう描かれることはあるなと思ってるんですけど
はなれるなんですかね母娘は
超えるではなく離れるってそれは
なぜ離れることに痛みが生じるかといえばやっぱりもともと一つである
そのバウンダリーがすごく曖昧だからなんじゃないかなっていう
そんな気がしますけどね話を聞いてる
そう考えると本作はまさにその話のようにも見えるっていう
そうですね確かそれってやっぱりなんかあれなんですかねこの
エリザベスとスーっていうのが別の人格を持った人たちみたいなニュアンスから来る
って感じなんでしょうかねそれってでも間違いなくそうな気がしますね
僕は結局最初この2人別人格の話なのかなって思ってたんですけど
結果的にでもなんか僕の見方的にやっぱりその
個人の自己嫌悪が表出した話みたいな感じで捉えてたので
結果的に僕はあの2人って同じ人格っていうニュアンスで見てたので
だからあんまりこう母と娘の関係性みたいな
ところに結びついてなかったのかなっていうのを聞きながら思ってました
僕は結構途中からスーがスーのやりたいことをしていくし
エリザベスはエリザベスの方でスーにアンチテーゼみたいな感じで動いていくじゃないですか
それがある種その境界線を破ろうとしている
スー側ですけどどちらかというと
ようにも見える気がして
それをやはり許せない許さないエリザベスの姿が
ある種の母親それは小離れできない母親っていう
見た場合にも見えるなぁと思って
それは見えますね
だから途中さまざまにその2人で殴り合うシーンがあると思うんですけど
あそこでなんかしっかり母子になったなって気が僕は結構したんですよ
本来だったら内面の表出だけで終わったのが結局依存を断ち切れないがゆえに
本格的に具現化しちゃったみたいな感じですよね
あれをする前だったら確かに本当に一つの自我っていうのが成立できてたはずだったんだけど
あそこで完全に相対するじゃないですか
でまさにこの話そこの最終着点として母殺しをするんですよね
その母殺しが良い方向に転ばないっていうのも父殺しとはまた違う面白さがあるなと思って
なんかそこがまた何て言うんだろうこの父と息子と母と娘の違い
殺すではない離れ方をしなきゃいけないっていうことなのかなとかって思って
そうか確かになんか父にしろ母にしろ殺さないといけないのかみたいな
そもそもそうそもそもそうなんですけどね
っていうことにちょっと行き着いちゃいそうな気はしたんですけど
あのシーンのケンカちょっとエリザベスの側に体力ありすぎだろっていうのを見ながら思ってたんですけど
なんか僕てっきり別れた瞬間死ぬと思ってたんですよ浪水で
そうしたら結構その見た目は追いに追い切ってはいましたけど
体力的にはむしろ拡縮としているというか走れるんだみたいな
まあアドレナリンめっちゃ出てたんじゃないですか
あれは精神を欠けたって感じがするから
どうかなーみたいなのがありますけど
ちょっと膝伸ばせないといけない人ですからね
膝がーみたいな感じでしたけど
あのあたりもすごいまあ母娘の親子喧嘩になるような描かれ方しているなっていうのもあるし
そこに至るまでのその部屋が散らかってる理由の違いっていうのも非常にリアリティがありますよね
若い娘が男連れ込んで飲み食いして散らかしてたのを母が見て怒るっていうのと
もう年老いて体力なくなった母親が食い散らかして片付けしてないのを見て娘が怒るっていう対応になってるっていう
母親は認知機能も怪しくなってきてるからなんか壁にめっちゃ新聞みたいなの貼ってるとか
すごい生々しい家族像がそこにあるのではってちょっと思い浮かんだ
でもなんかこのちゃんとルールが守れてないからなみたいな完全になんか
自分をコントロールしろよみたいなのをお互いに言い合ってる感じがしたから
やっぱりすごいすごい自分の内面の2つの人格って感じがメッチしてたんですけど
だんだんそれが崩れていくことによって本当にその他者として
母と娘とみたいなぐらいの他者としての関係性としてなんかお互いを見ることによって
それがさらに依存を強めていくというかっていう感じはやっぱあったのかなーと思って
ぶつかれ合えばぶつかれ合うほどむしろ関係性深まってるようにも見えてくるのがまたちょっと面白いというかね
あとまあこれも思ってたことなんですけどめちゃめちゃエリザベス孤独じゃないですか
でそのまあスーともめちゃめちゃ圧力が生まれていくわけなんですけど
なんて言ったらいいのかな
僕の周りにいる女性って歳を取ってからの方が生きやすくなったって人が多いんですよ
なるほど
だからエリザベスとはだいぶ違う価値観の人が多いなと思ってて
むしろそのエリザベスの価値観をくぐり抜けてそうじゃない領域に来れた人たちなのかもしれないんですけど
例えばその女性同士で比較し合わなければならないとか
男性によく見えるように振る舞わなければならないとかをしなくていいようになった人が多いと思ってて周囲に
もちろんそうじゃない人もいると思うんですけど
僕の周りにはそういう人あんまいないですよね
エリザベスはその世界でどっぷり生きてきたからっていうのはあるんでしょうけど
老いが女性の孤独を加速させるものっていうわけではないよなっていうのは
ちょっとそこを一律に見なくていいとこかなっていうのはあって
もちろんエイジズムとかルッキズムは世の中にあるんですけど
その果てにむしろ楽になっていく人もいるっていうのは
ちょっとこれうまく整理しきれてないまま喋ってるんで
うまく伝えられてるかどうかわかんないんですけど
そこの単純化をしてる話というか芸能界の話だからっていうのがあるんですけど
ポジを取ると女性は苦しくなります不幸になりますっていうのは
全てが真じゃないっていうのは分かっとかんとダメだよなとは思ってて
だからすごい偶画化されてるんだけど一般界ではないなっていうのは
すごい見てて思ったことで
だから全ての女性にっていうのもそうだし
そもそも男性においてもおそらくそうだと思いますし
追えることが孤独ではなくたぶんこういう生き方をすることが孤独につながる
っていうことでしかないんだろうなって見てて思ったというか
要は自分の中にその社会の構造を内在化しちゃうことが
たぶん本来の問題なんだろうなっていうふうにすごい思って
その言い方すごいしっくりきますわ
そうですね
だからこそ部屋にあんなにデカデカと自分の若い頃の写真を飾ることでしか
自分のアイデンティティを保てないぐらいには
自分の自意識をそこに置いちゃってるわけですよね
それが本当に承認欲求というか
外からの目線での評価のみで自分を保とうとするがゆえにっていうことですよね
だから評価されることを自分の内面に落とし込んで
それで自分は保ててるんだって思うことの危険性みたいなものを描いてるように見えて
例えばそれって最近スポティファイでも再生数出るようになりましたけど
インプレッションで自分は大丈夫だって思うことってほぼ同義だと思うんですよね
例えばYouTubeとかでうちは再生数がたくさんあるから大丈夫だって思えてたら
それがなくなった時にじゃあどうするのっていう
なくなった時にじゃあよりそれが見えるようにいいこと言おうみたいな
いいことというか派手なことしようとかってなっていくでしょっていう
そういう世界から降りようよみたいな話にも見えるなと思って
そうですよねだからルッキーズムとかエイジズムっていうのは
比較的定量化して計測しやすい人の価値
もちろん見た目って数字化できないんですけど
なんとなく比較できるものとしてあるじゃないですか
こっちの方が美しいこっちの方が見にくいっていう
比較できるものとしてなんとなく目安があって
それによって人の価値って測られてるわけですけど
その数字による比較って別に他のところでもやってますよねっていう
収入のよる比較をやってたりであるとか
もちろんフォロワー数インプレッション数再生数っていう
数字によるバトルはどんどん我々推奨されていってるわけじゃないですか
そうしないと生きていけないですよっていう
それは結局エイジズムとかルッキーズムがどうとかじゃなくて
人と比べなければあなたは生きていく価値がないですよっていう
価値観そのものに対する戦いだとは思うんですよね
そのからそこまで視点を広げないと
ちょっとこの映画の捉え方違ったものになるなとは思ってて
結構僕この話他人事として見てる人
おそらく男性かなっていう人が多いなと思ってるんですけど
いやそんなことはないよっていう
その女性に適応されるエイジズムルッキーズムじゃないけれども
違う物差しによってあなたを図られていて
それによって下げすまれたりしているよっていうこと
全体に対する批評をしている映画だと思うので
なんかその自分が安全自体にいて今笑えてますみたいなのは
結構それはちょっと危うい見方じゃないかなって感覚はちょっとあるんですよね
だからそれの男性版描いてるのがアプレンティスなんじゃないですか
そうですよね
そうだわそうですもん
あのアプレンティスでロイコーンがどうなったよって話ですよ
ついでに言うんだったらノスプラトゥーもある意味そういう映画ですけどね
なるほどねロバートエーガスは確かにずっとそれですからね
ノスプラトゥーの場合は本当に自分を保っていなくなるっていうのは
女性からの調和を得られないことみたいなところなんですよね
やっぱそこも外部に求めてるっていうところがあって
それで本当にノスプラトゥーはネタバレも減ったくりもないですけど
身をバーンと滅ぼしてしまうわけなので
なのですごいある種鏡合わせって鏡合わせなんですけど
そうですね
だから結構僕本作を何だろう
滑稽に物事を描いてる映画なので笑っちゃうのは絶対そうだと思うんですよ
笑う映画として作ってるとは思うんですけど
その笑う自分が何かっていうのが結構危うい映画だよなっていうのを本当思ってはいるんですよね
ルッキズムとかエイジズムを皮肉ってますって言って
その皮肉ってるっていうことを楽しむ段階で止まると
全然まだ自分が爆発の対象範囲にいることになっちゃうというか
全然そこは安全じゃないです
あなた自分ごと爆発する地雷を今踏み抜いてますよみたいな感じがあって
だからその本当にこの映画から何かを感じて
この映画で描かれているような恐ろしい世界から自分を守るためには
この映画に笑った後のもう一個ちょっと違う視点を持っとかないといけないのかなって気がしてて
そのルッキズムとかエイジズムのもう一個先みたいな
そういうのも含めて人と比べてどうこうの世界そのものが
本作をだからもうその言い悪いとかを超えて
これに人生を捧げ切った人間の行き着く果てみたいな
行き切った人の解放ですよね
確かにもうそれずっとダーレン・アロノフスキーがやってることですわ
確かにそうだ
ブラックスワンもザ・ホエルもそうですわみたいな感じですけど
なんですけど同時にそれ大丈夫かなっていうのもあるんですよ
本作のデミムマジですごいと思うんですよ
確か62歳だったと思うんですけど
62歳で僕あの体型って本当に鬼ですよ
鬼じゃないとあんな体作れないと思うんです
本作本当にデミムは本当に敵役だと思うんですけど
ただこの映画を作れてるのって
彼女がその戦いの螺旋から降りてないから撮れてるわけじゃないですか
そうなんだよな
そうですね
彼女がその螺旋から降りてないから
あの体型を維持して本作に出れてるわけですよね
そうなんですよ
それって肯定していいの?みたいなのがあって
シュラですよシュラ
本作のデミムはシュラだなと思って
ただそのシュラとして生きるのってやばいですよねって言ってる映画を成立させるためには
シュラをやってる人が主役じゃないと無理って
この矛盾ってどうやったら解決するんですかねって思いながら見てたんですけど
それは確かに
そうなんだよな
あんまり今回のに関して確かに
ダーレン・アルノフスキー的な解放っていうのを
あんま感じなかったんですけど僕は見ながら
すごい悲しすぎるって思いましたけど僕は
そこしかなかったのかみたいな風には思っちゃったりはしたので
難しいなこれなんか
っていうのは見ながら思いますけど
レスラーのミッキー・ロークとか
あとザ・ホエールの
ブレンダー・フレイザー
ブレンダー・フレイザーとかは
本来持ってたキャリアから一回落ちて
あの作品でリバイバルしてるみたいなイメージだと思うんですよね
レスラーとかザ・ホエールとかで
かつてあのスターだった彼が今こうなってしまったけれども
レスラーを踏まえて今彼らはここにいるっていうのを
描いてる映画だったと思うんですけど
本作のデミムはなんていうかそのレールから
別に降りたわけではないというか
そのレールを井戸敷き続けながら走り続けてた果てに
この作品に出てるわけだと思うんですけど
違うのかな
ちょっと違う気がしてるんですよね
その是非ってどうなのかなっていうのは思わんくもないというか
本当にデミムはすげえと思うんですけど
突き詰めると勝利使い全体の
批評としてどうしても踏み込めない領域って感じがすごいします
まあまあそうですね
あまりにもやっぱりラストエスプリ効きすぎてるからなっていうのは
やっぱりちょっとあるんだよな
あの阿備教官をもう優越と感じてそのまま爆発したんしてるようにも見えるし
よかったですかみたいな
映画館出た後は最後もちょっと豪快だったなぐらいで帰れるんですけど
だんだんだんだんこれ気持ちよく終わったって考えていいのかなみたいな
ちょっと悲しさが募ってくる
どんどん悲しくなってくるんですよね
それは多分結局彼女の末路プラスその構造みたいなのが
今も普通にあるなっていうのをちゃんと実感できてるからこそ余計に思うのかも
だから近いこと感じたのは僕はプレンティス見た後と近いんですよこの落ち込み感
初戦じゃないけどレスラーとかって自己実現の果て感がやっぱ強いから
どうしても今回のってある種のその構造に飲まれた人感がやっぱ強いというか
本当に飲み込まれてしまった人という意味では確かにアプレンティスのドナルド・トランプもそういう人だったと思うし
2作品とも共通しているのは非アメリカ人によるアメリカ人悲傷映画でもあるっていう
そうですね
そこもねまたこう似てるとこですけどね
そうですねそういったのが今年のアカデミー賞のノミネーションにバッコバッコ入ってたんだなみたいなのがちょっと思いますけどね
そうですね
ちょっと難しいですね表面上わかりやすく直接的に面白い映画だと思うんですよ
とにかくむちゃくちゃなことが起こるのであと脳に直接刺激を与えるような映画なんで楽しんだなって感じにはなるんですけど
よくよく考えるとちょっと冷や汗出てくるんですよね
あと本作でデニムーアはこう自分の人生に決着をつけた映画にも見るんですけど
マーガレット・クァーリー今からこの世界に行くわけでしょ
そうなんだよなあの人大丈夫かな
マーガレット・クァーリーすごいなというかよくこれをまた役やろうと思えたなというか
でも露骨なまでにお尻とか胸とか強調されるじゃないですか
おそらくボディダブルとか使ってくれてると信じてるんですけどその辺とかは
そういうイメージがつきまとうそっから逃れろよっていうことかもしれないんですけどね見る側が
だって哀れみの山椒でもそんな役やってましたよね
哀れみの山椒だったっけそっか出てたか
もちろん哀れなる者たちの本も出てましたけど
そうだよね
哀れみの山椒で確か3章目かなで宗教の女神みたいな扱いで確か
ビーナスみたいな感じでこう選ばれて行くんだっけ
途中その運ばれてる途中で不幸な事故で亡くなっちゃう人だった気がするんですけど
最悪な終わり方する
最悪な終わり方するやつ
あの人そうか
こういう役選んでるってくらい多いなと思って
その世界にこれから入っていってどうやって防御とったらいいんでしょうね
もうなんかひたすら続悪に面白がるしかサバイブする手段が僕には思いつかないんですよ
確かにな
完全にマリリン・モンローとかそういうポジションというか
セックスシンボル役でしたもんね今回
本作で描かれてるほど今の賞美使いがえげつないとは思わないんですけど
確実に改善はされていってるんでしょうけど
まだ根本改善とは言えないとは思うんで
そんな中でこれをこの映画に入れてあの役をやったって結構すごいことだなぁと思いながらではいましたけどね
でも時々普通に出てめちゃくちゃ演技もいい演技される方ではあるので
そこはね
ドライブアウェイドールズとかすごい良いと思うので
あれ出てたんですね
おみそかの番組のとことかちょっと僕感情移入してすぎてやばかったですもんあそこ
ちょっとなんか一番の地獄やなってあのシーン
でもあれ夢ってたまに見ません?ああいうの
見ます見ます
僕最近もう悪夢しか見ないんで
ああいうこと結構夢の中でよく起きます
悪夢しか見ないんでっていう
それはそれで心配ですけど
どうしたんでしょうね
悪夢ってああですよね
いやああ
いやでも僕はそこでてっきり自殺するんだって思っちゃったんですよ
ああなるほどな
自分でも考えたくないですけど
自分でもなんか自殺しちゃいそうだなって思って
うわーってなりながら見てたんですけど
そしたらそれを超えてくるから
だからそこの生命力は僕結構良かったなと思ってるんですけど
いやそうですよね
もう本当に目の前でまだ増殖しますみたいな感じでしたけどね
むしろ生きる方に舵を切るというかね
なんかそこの生命力は本作良かったなと思ってます
確かに生命力は溢れてますねこの映画本当に
そうね生命力は溢れてるんですけど
そこに何とも言えない嫌悪感が伴うみたいなのが
そうで
まあそれがボディホラーかっていうね
確かに
だから増えることと食べることっていうのがこう
だいぶ気持ち悪く描いてる
うん
だから生きることのグロテスクさもしっかり描けてるっていう意味では
本当ボディホラーとしては100点満点ですよね
うーん
いやーね
お湯もこれでもかっていうぐらい
酷く描きますもんね
普通ここまでは追いないってっていう
ちょっとどうこした拭き方させられてるというか
ボディホラーとしてここまでやりますよみたいなことなんでしょうけど
背中どうなってんって思いましたもんずっと見てて
ねえ
形保てますかそれみたいなレベルで拭き込んでましたけど
逆に強固になってましたもんね
そうそうそうそう
なんか
ちょっと外骨格の生物になってましたからね
まさにエビみたいな感じになってましたからねちょっとだけ
いやーあとハリウッド残酷者って多いと思うんですけど
結構わかってやってんの怖ぇなってちょっと思って
まあ確かに
ハリウッド残酷者のすごい有名作品で
僕本作にもかなり重ねながら見てたんですけど
サンセット大通りっていう白黒時代の映画があるんですけど
1954年ぐらいだったかなの映画なんですけど
グロリアスワンソンっていうサイレント時代のスター女優が
トーキー時代になって全く売れなくなったっていう
なんかちょっとバビロンみたいな
時代的にはそのあたりなんですけど
その女優がカムバックを目指すっていう話なんですけど
それをすごい残酷に滑稽に描くんですよね
だから本作のデミブーはちょっと重ねて見てたんですよ
ちょっとその当て書きしてるじゃないですか
デミブーは本作に当て書きされてる感じあるじゃないですか
もうそのサイレント時にスターだった人が
トーキー時代に売れなくなった役を
その人にやらすんですよ
マジかなるほど
それをやってる映画が超名作として残ってるんですけど
周りにいる人たちも実際にサイレント時代に名を外せたけど
今は売れてない人とかいて
バスター・キートンとかが落ちぶれてポーカーやってる人とかって
バスター・キートンがこんなことあるのみたいな
すごいめちゃめちゃ残酷なんです本当に
売れなくなった人 売れなくなった人の役として出してる映画で
こんな残酷な映画あるんやみたいな
それを平然とやり続けてる業界って考えると
めちゃめちゃ怖いなと思って
レスラーも完全にその文脈というか
そこに強烈なドラマを覚えて感動して我々もまた残酷っていう
そうなんですよ 我々その因果から降りれてないんですよね
そうですね
それも踏まえてどう生きていくんですかみたいな