映画の感想とテーマ
始まりました映画の話したすぎるラジオ第232回になります。この番組は、大阪で映画トークバイベント映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーらによる映画トーク番組です。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。マリオンです。大石です。よろしくお願いします。よろしくお願いします。お願いします。
では、近況の話に入っていきたいと思います。マリオンさん、いかがされていましたか?
そうですね。今週は2本喋ろうかなと思うんですけど、1本目は、前回大石さんがめちゃめちゃお勧めしてた普通の子供を見てきまして、
大石さんがかなりガッツリ喋ってくれてるので、あんまり僕は喋ることそんなないかなと思ってたんですけど、
確かにおっしゃる通り、本当に子供が、本当に子供っぽい。ちゃんと子供がいるなっていう感じがすごい伝わる映画で、そこは本当に確かに見事だなって思いました。
で、あとちゃんとクライムムービーだなっていうか、めちゃくちゃ悪いですね。しっかり悪いことしてるみたい。
本当にそこの子供のバータリティというか、無鉄砲というか、無邪気というか、そういった子供らしさというか、パワフルさみたいなのがすごい描きたいんだろうなっていうのはすごい思って、
そこはすごい達成されてるのかなって思ったんですけど、僕はちょっとでも、結局環境問題の向き合い方ってこれで良かったのか?みたいなことはちょっと気になってはしまったんですけど。
まずちょっと、しょうがないのかもしれないんですけど、フレタ・トゥーンベリの演説のパロディーみたいなのが出てきますけど、劇中。
ちょっとなんかあれ、ロワク入ってませんか?みたいな。ちょっと意地悪な使い方してないかなってめちゃくちゃ思っちゃって。
うーん、なんだかなーみたいな。ちょっとしたいところなんですけど、そういうのが一個一個気になってくるみたいなのがちょっと気になっちゃって。
なんかすごく彼らが向き合う環境問題というか、そういう複雑な問題みたいなものを向き合っていくときの、結局複雑だよねーみたいなとこに、あんま向き合わずに終わっちゃうなーっていうのが、ちょっと引っかかるなーみたいな。
感覚はちょっと僕は拭いきれなくて、面白かったけどなんかなーっていう感じでした。正直。
ほうほうほう。なるほど。結構個人的には、あの扱い方は確か最初結構ロワクかなーと思ったんですよ。
そのシーン見たときに。ただ、ラスト見て、あーそれだけじゃないんだなっていうのも結構わかったというか。
まあ、あるキャラクターがブツブツとそれを捉えるシーンがあるんですけど、なんかそこの言い方のシーンに極まる感じとかは結構良かったなと思ってて。
そう、なんかなんか、その子にとっては本気なんだっていうところがすごい伝わるところがあるんで、それも多分グレタさんにも通じるところなんだろうなーと思っていて。
僕は結構そこでロワクだけじゃないというか、大人からしたらある意味それをロワク的に捉えたい。
捉えて安心したいんだけど、いやいや当人たちからしたらそうじゃないですよっていう、なんかそういうところにも少し視点を入れてるのかなって僕は思ったりはしました。
あーなるほど。そういう見方なのか。なるほど、わかりました。
まあ、ラストのシーンでちょっとそれ以上にね、なんていうか印象に残るキャラクターが出過ぎるんで。
そうですね、ちょっとまあ最後の方というかね、どんどんやっぱ大人が持っていくというか感じもちょっとあるし、まあしょうがないんですけど、どうしても親って存在出てくる当たり前なのでと思ったのと、あと本当の本当の最後のオチ、まあそうだけどさーみたいな感じすごいしちゃったんですよね。
なんかなんとなくですけど、確かにマリオンさん好きじゃないかもな、あのオチとは思ってたんですよ。っていうのは、あの僕のオキサマの時も似たようなオチに対して結構疑問符を投げかけてたのは覚えてて。
そうですね、そこふわっと終わらせんなよみたいな感じ。
でも最初のきっかけからしてまあそうだよねというのはわかるんですけど、ならもうちょっとその問題の複雑さって、なんかちゃんと彼らがもっと複雑だったんだこれみたいなことを知った上でそれでもみたいなんだったらまだわかるんですけど。
僕割とそこ結構描けてるなって思ってたんですよ、むしろ。そのラストのさっき言ったシーンもあるんですけど、プラスアルファーで彼らがやっていく、まあ犯罪って言っていいのかわかんないですけど、いたずらがあるじゃないですか。
そのいたずらの当事者の人たちがテレビでちょっとずつこう、いやいやっていう風に言っていくじゃないですか。僕たちって考えてはいるんですよっていう。
で、それを100%受け取れてなくても多分受け取ってんじゃないかなっていう気がしていて。
なんかそこ複雑だよねっていうのが劇中では出てくるのはわかるんですけど、じゃあもうちょっとそこ考えて、むずいなみたいなところまで行ってほしいなって。
それはキャラクターの年齢的に僕どうかなって思っちゃいますけどね。それちょっとリアリティなくなる気がするなっていう。
だからすごい、めっちゃその見方自体が僕からしてもそれ大人の視点かなとは思ったんですけど、うーん、でもなんか作ってんの大人らしいなーとかね、思うと、みたいなこと考えるとうーん、みたいなことも思ったりとかして、ちょっとのれなさも半分みたいな感じでしたね。
あー、なるほどー。
でも確かに、たぶんちゃんとこれ、お題とかで取り上げたらいろいろこう、三者三様でたぶん捉え方とか見方も違っててこう、もう今すでに違ってるのでみたいなところも含めてですけど。
でもすごい見てはよかったですし、いろいろ考えましたね、これ見てて。
で、もう1本がテレビの中に入りたいなんですけど、これちょっとやばかったですね。
ちょっとなんか刺さりすぎてしまっているというか、うーん、なんとか自分もそうだったなみたいな時期のことを思い出しちゃうみたいな感じがまああって、
なんかほんと孤独感とか疎外感みたいなのにこう、自分が押しつぶされそうだった時期のことだったりとか、でなんかそういったとこから何とか逃げようとして映画とか見てたなーみたいなのとやっぱなんかちょっと劇中重なっちゃうみたいなのはあって、
なんかすごくちょっと、まあもっとこの映画のテーマ的に誰に向けてとかもっと刺さるべき人がいるんだけど、なんか自分ごとに刺さっちゃったっていう映画でしたね、これに関しては。
ちょっとまだ自分の中でも整理できてないんですけど、ほんとなんか見た時になんかもうずっと大人になってだいぶもう忘れかけてたものを思い出させやがってみたいな感じもあるし、
感情の葛藤と監督の視点
なんかちょっと心のかさぶた剥がされたなーみたいな感覚をすごい感想として受けたなーっていう感じでした。
なんかちょっと最近こういう映画多いなっていう感覚があって、まあ今年年初のアイライクムービーズとかこの系譜なのかなーと思いつつ、
あれは結構最終的に割と客観視しているし、相対感もしてたと思うんですよね、あれは。
こっちは結構どっぷりって感じなんかなーって聞いてる限り思ったんですけど。
そうですね、かなりどっぷりなので、真剣に喰らう人が本当にいるなって思いますね、これは。
僕は結構つらかったなーっていう、僕ですら思うので、当事者はもっとつらいと思うし、
なんかこれを自分の映画だってめちゃくちゃ絶対言いたくなるだろうなとも思うみたいな映画でしたね。
監督さんがジェーン・シェーン・ブルーンさん、彼女はトランスジェンダー女性で、その自分自身のトランスジェンダーである自分としての偶和として本作を作ってるっていうのがあるので、
やっぱりクイアな感性というか、そういうのを持っているような方々にとっては結構もっとこれ切実だと思うんですけど、
でもそれが結構やっぱり、誰かしらの何かしらあるこう、自分ちょっとマイノリティーだなーみたいな部分にも訴えかけるような普遍性も持っているというか、
っていうのはやっぱすごいあって、本当なんか、僕はどこ見ても地獄っていうかつらいなって僕は思っちゃったというか。
テレビの中に入ったとしてもだし、入らなかったとしてもってなことを思うというか、
もうなんか彼らの生きている世界が現実じゃなくて、なんか架空の何かだったらどんなに良かったかなーみたいなって思っちゃう映画でしたね。
あんまり別にストーリーを今回説明してないんですけど、なんかもう気持ち先行でこう、すごかったみたいなことが言いたくなるみたいな映画でしたね。
心当たり自体はあるっちゃあるんですよね。そのテレビに飲み込まれる感じというか、
僕大学時代に深夜テレビ見るのすごい苦手なんですけど、ずっとテレビつけてたんですよね。
深夜のテレビ番組って独特の孤独感があって、なんかこのまま夜に飲み込まれるんじゃないかみたいな感覚があったんですよね。
でもそれをつけなかったら本当の孤独だから、一層具現化した孤独の方が本物の孤独よりまだマシだっていう感覚でテレビはつけてたんですけど、
これがこう、応急処置でしかないことは分かってるんだって、これを消した瞬間真の闇が迫ってくるぞっていう、
自分が今、疑問に満ちるためにテレビをつけてるっていうのは分かってるから、それ自体がすごい怖くてテレビを見ている状態っていうのが、
その寄りどころにしちゃう感覚自体は分かるかなっていう、その意味合いはもちろん違うと思うんですけど、
なんか世界からはみ出しちゃったなっていうのの慰めとして、何か流れ込んでくる情報に身を預けたいみたいなのはあったなっていうのを今なんとなく思い出してました。
そうなんですよね。だからね、僕もすごい気持ち分かるなというか、僕はすごいやっぱり映画を見てる時の自分みたいなのをやっぱりすごい思い出したりしましたし、
確かに深夜のテレビもよく見てたなっていうのはありますね。
でもなんかそういう何かこう、逃避として何か、別の世界を覗ける何かにこう夢中になるみたいな経験がある人は、
多分何かしら思うとこある映画なんじゃないかなと絶対思うんですけどね。
ドラマ「それでも俺は、妻としたい」
今週はこんな感じです。
はい、では大井さんいかがでしょうか。
そうですね、今週はちょっと劇場で映画見れてないんですけど、
作品というかドラマを1本ちょうど今週見ていたので、その話をしようかなと思っていて、
今年の1月にテレビ大阪で放映されていた、それでも俺は妻としたいっていうドラマ、
22分くらいの結構短い短話10話ぐらいのドラマなんですけど、これが思いのほうが良かったのでちょっと話したいなと思っているんですけど、
監督は足立新監督っていう方のもう半分詩小説みたいな作品を原作にしているんですけど、
足立新監督、脚本家として結構有名で、100円の恋とか、
はいはいはいはい。
あと喜劇愛妻物語だと監督やってたかな。
うん。
あとアンダードックだと原作脚本やってたはずですね。
はいはいはいはい。
とかまあそういう作品を撮ってきた人。
うんうん。
ある意味負け犬映画を撮らせたら多分今日本で身に出るものはいないというか、そういう作品を撮っている人っていう印象は僕はあるんですけど、
あ、そうか、最近のあれですね、ブギウギの脚本をやってましたね、足立のね。
ほうほうほう。
っていうのが多分一番メジャーどころでは有名っていうところだと思うんですけど、
で、それでも俺は妻としたいってもうタイトル通り、もうとにかくセックスを妻としたいっていう男性とそれを拒否し続ける妻って、
現代の家族の葛藤
その間に息子がいるっていう、その3人家族の話なんですけど、
その夫側は脚本家なんですけども、かなり伸び悩んでいて、再現ドラマの脚本すら書けないようなダメ夫とよく言われてしまうんですけど、
で、仕事がほとんどなくて、どちらかというと妻が稼ぐ形の家庭ではあると。
で、夫は基本的に家事とか子育てとかを全部引き受けてるんですけど、なんかそれだけでは満たされないっていう、
そうで、面白いなと思ったのが、そこはすごい現代的なんだよなっていうか、
その男性が家庭の家事をしたりとか子育てをするっていうところはある種現代的なんだけど、
そこに関わっていくってことは全然いいこととして描かれるのに、それをしても結局男性社会から逃れられないっていう男を描いてるなって気がめちゃくちゃしたんですよね。
それこそ家庭内では妻からお前は仕事を取ってこいっていうのをすごい迫られていくし、
その夫は夫側で、結局何もできてない自分に不甲斐なさを覚え続けてるっていう、
その家庭で、もちろん家庭の中のそのケアというかを一手に引き受けているっていう自覚はあるにも関わらず、
それで自尊心はなんていうか、自尊心を保つことはできないっていう、
なんかこう、男性社会では競争社会から降りるっていうことのできなさを描いてるなっていうのを見ててすごい思ったんですよ。
なんかそこの、個人としてそれが理想的だったりとか、あるいはその方が適正があるとかってことはあるとは思うんですけど、
なんかそういうことを社会が許してくれないんだなっていうのを、割と結構辛辣に描いているように見えるし、
特にめぐみさんが演じてるその妻のバリ像文が本当にすごいんですよね。
これ実際らしいんですけど、かなり本当にそうらしいんですけど。
実感のこもった悪口というか、悪口というか罵倒というか。
まだ何ていうか、マシにした方みたいなインタビューで言いましたけどね。
凄まじいんですよ、とにかく。何かのハラスメントなんじゃないかってぐらいの傷つけることを的確に言ってくるんで。
ちょっと笑えるんだけど、笑えなくなってくるぐらいのレベルなんですよね、それがね。
で、なんでじゃあそこで、例えば妻側がめちゃくちゃそこで稼ぐって仕事を選んで、
完全に夫は社会からというか家庭に入るっていう形を取ればいいのかなと思うんですけど、
そうさせないのには理由があってって話にはなっていくんですけど、
そこのバランスの描き方とかが絶妙だなと思って。
タイトルだけで言うと本当にセックスしてくれっていうことを夫が言い続けるのが結構主題になるってなるんですけど、
それ以上の何ていうか、実行肯定と言えばいいのか、あるいは他者承認を得るということというか、
さらに言うと結局家族になることでそれぞれが何になりたかったのかっていう大人青春映画としても結構しっかりできてる。
まあ映画とかドラマーか、としてもすごいしっかり出来上がってるっていう意味で、
これ原作から監督まで全部足立新監督自分で務めてらっしゃいますし、
あと撮影してる撮影場所がスタジオとかじゃなくて本当にご実家なんです。ご実家ってか自分の家らしいんですよね。
なんでもう本当に実感がこもったドラマというか、っていうのも含めてめちゃくちゃ良かったなっていうのと、
ついでに何でこれ見たかっていうと、普通の子供で舞台挨拶の映像を見てる時に、普通の子供で先生岡山俊介が演じてるんですけど、
社会的成功の影響
その先生とその主人公のテッタ、ユイシっていう子を演じたテッタっていう男の子がいて、この2人がそもそも共演してるっていう話をしてて、
あ、そんなのあるんだって調べてみた時に出てきたのがこのドラマなんですけど、
主人公のテッタの、主人公っていうかその息子役であるテッタの動き方も含めて、
まあ絶妙に良いドラマになってたので、これはすごいお勧めしたいなと思いました。
いやー内蔵出てますね。内蔵が出てますね、ずいぶん。
さらけ出しすぎですよね。 自分の家で撮影してっていうところを聞いた時、ちょっとやりすぎやろみたいな感じですけど。
あの聞いてて、僕はあの、解消っていう言葉が頭に浮かんできてたんですけど、
その男性を評価する時に一番シンプルな評価軸って僕解消っていう概念かなって気がしてて、
それってまあ社会的成功であるとか経済力であるとか、あるいは性的能力とか、
あるいはその本人の精神的な器の大きさとか責任感であるとか、いろんなものを含んだ上で解消っていう概念があって、
それがあの人は解消があるよねとか、あるいは解消なしとかっていう罵倒語になったりとかっていうのがあると思うんですよね。
その解消っていう概念が女性に比べて男性の浮気に対して社会が許容しがちな傾向の要因にもなってるんじゃないかなと思うんですよ。
なるほど、なるほど。
まあ浮気する人は解消あるからねみたいな、ちょっとその授業的になるじゃないですか、男性の浮気に対してその概念があることによって。
でもこれがね、この解消っていうものを持ってる持ってないにずいぶん我々振り回されてるなっていうのはすごいあると思うんですよ。
うんうんうんうんうん。
その解消っていうのが何かっていうのはその時々にもよって、だからまあ自分あんまり成功できてないなとか儲け入れてないなとか。
うんうんうん。
で、それの比較対象としてやっぱり配偶者っていうのがものすごい強力な物差しなんですよね。やっぱり。
妻より儲けときたいっていうのは多分世の中の男性はむちゃくちゃあると思います。
まあもちろんね、全時代的であることはもう承知の上でですからね。
もう重々承知の上で、でもまあそっちの方がいいよねっていう感覚はうっすらある。
100%じゃないにしてもうっすらあるって。
いやそうですね、確かに。
あともう一つやっぱりその性的な能力っていうところの評価っていう。
まあ本作のタイトルってまさにそこに書けられてる。
俺は性的に妻を満足させられるんだっていう。
そこもまたその自分が怪称ある存在として評価されたいっていう承認欲求の裏返しなんだろうなっていうのはあるよなと思って。
なんかその怪称のあるなしと我々は本当に向き合えていないなっていう。
それを自分の中の物差しとして持てずに配偶者と比べたり隣の同僚と比べたりとか。
あるいはすれ違っただけの誰かと比べたりとかし続けてますよねっていうのは、まあね、だるいっすよね。
だから結局その男性性の苦しみというか、そのまあ良くないよねって言われる男性社会というかそういったものって結局内面的に持ってるものなんだなっていう。
結局そこから物理的に仮に離れたとて、そこからは離れられない何かがあるんだなっていうのも非常に感じられる地獄みたいなドラマだったんで。
なんかちょっと話聞いてて、ベイビーガールの時のアントニオ・ヴァンテランスのことを思い出しましたけど、今話聞いてて。
彼もね、そこにこうなんでだよって結局なるじゃないですかみたいなところとかも思い出しましたけどね、なんか聞いてて。
そう、だからなんすかね、ここ最近そういう作品結構出会って刺さってるんですけど、
ある種現代的に生きようとする男性の多くが抱えてる悩みだったりするのかなっていうのはちょっと思ったりはして。
うん。
逃れられないのかなって。
ぶち当たっちゃうのかな、その壁みたいな。
どうしても現代的で言いますけど、どうしてもマジョリティーはどちらかというと解消のある方がいいよねっていう方だと思うので、
男性の承認欲求
そこ間違いないと思うので、なかなかその競争から俺は降りるって相当ムズいんだなってことを、このドラマを見てるとすごい僕は実感しながら見てました。
いやすごいですね、そこまで腹かっさばいてる物語、あんま見たことないかもしれない。
多分このレベル僕もあんまないと思います、ほんと。よくここまでやるなっていう。
ちなみにちょっとだけドラマ中面白かったのが、テッタくん演じる息子がずっとドブロックが好きで、ドブロックの歌が劇中永遠と流れ続けて、エンディングもなんとドブロックなんですけど、
この作品でこのテーマでドブロックなんだっていう。
すごいな。
すごいですね、それ。いいのかそれは。
ギリギリ本人が言ってるからもういいかみたいな感じなんですけど。
いやー、まあ分からいでもないかなっていう。
ただその本編の中の一人ヨーガリサーをそのまま引き継いでる主題歌っていう扱いになるから、それはなんというか結構文脈が高度じゃないかとは。
そうなんですよ。
主題歌で相対化するっていうことはやった方が分かりやすくなると思うんですよ。
本編中ではこう言ってたけど、主題歌がこれっていうことは本当はこれが言いたいんだなみたいなことが、まあ表現しやすくなるんですけど、もの一緒やと思うんですよね。
あのドブロックのその男性視点での女性をエロで満たさみたいなものを、その完全主観でしか歌ってなさって、かなりこのなんていうか、読み解くのムズいっすよね。
だからある意味ドブロックを笑ってる構造って、そういう男性ってしょうもないよねっていう笑いだと思ってるんですけど、ある意味そう見せるような形にはなってるのかもしれない。
そのドラマの主題歌も完全に内側に入ってることで、逆にこっちは聞いてみれるというか、これはドブロックはお笑いでやってるから、笑っていいんだよっていうふうに言ってるようにも見えるなと思って。
いやー、ちょっとハイコンテックストーリー。
ちなみに、うちの妻ドブロックめっちゃ嫌いなんですよ。
ああ、はいはい。
ああ、そうですね。
もしかしてだけどって歌あるじゃないですか。
はい、ありますね。
あれってストーカーする男性の価値観の歌だぞって言ってて、だから勝手にこの子俺好きって言ってるっていう妄想を膨らませてる歌だから怖いって言ってて。
いや、それはそうですよね。
もうおっしゃる通りだわと思って。
全うです。
それがギャグになってること自体がたぶんめっちゃ嫌なんですよ、うちの妻。
ああ、なるほどなるほど。
だから、それでも多くの人はドブロックギャグのまま終わらせられるじゃないですか。
うんうんうんうん。
そこがちょっと本作をむっちゃムズくしているなっていう。
そうですね、確かに。
いやー、怖いなそれ。
なんかちょっとその主題歌ハイコンテキストじゃね?みたいなの言うと、これ違うかもしれないですけど、宮本から君への曲もそうじゃね?ってちょっと思いましたけどね。
あの話見た後にあの曲聴いてもそうか?みたいなというかって思った覚えがあったんですけど、ちょっと違うかな。
何でしたっけ?
宮本浩二のですよね、あの曲。
なんか、え?え?ん?みたいな思った覚えがあるんですけど。
うんうんうん。
いや、合ってるけど、これをゼとしてよかったんだけ?みたいな感じ?
あのドラマというかあの映画は突き抜けることをもはやゼとせざるを得ないみたいな、こいつにとってはゼであるみたいな。
なんか、完全に個人に帰着するラストだったからっていうのもあるかな?とは思いますけど。
いや、それありますよね。
映画の皮肉な要素
ちょっとね、やっぱあれ見てて男らしさってやっぱ良くね?というかツレキチーってなるからっていう視点で見てるとあの曲、え?みたいな。
いや、そう?そう?うん、まあうん、そうか?みたいな。
っていう感じでちょっと読み込みにくいみたいな感覚になったなってちょっと思い出したんですけど。
いやー、むずいっすね。あの、ドナルド・トランプがブルース・スプリングスティーンのBorn in the USA流すのとちょっと近いものを感じちゃうというか。
だからなんかこう、表面上パッと合ってると、なんかあれ?これって皮肉なんだっけ?ってどっちなんだっけ?どっちなんだっけ?っていうこの、こっちが自信なくなっちゃう感じが。
ある、あるありますね。本気なのか皮肉なのか分かんないってやつありますね。
すごいっすね。
はい、こっちそんな感じです。
はい、えー、僕はですね、ブラックバックを見まして。
で、スティーブン・ソダーバーグ監督なんですけれども、僕、スティーブン・ソダーバーグ監督は全く通ってきておりませんでして、オーシャンズイレブンも見てないんですよ。
今回初ソダーバーグだったんですね。で、まあ、うっすらと知ってる範囲だとやっぱりオーシャンズイレブンとセックスと嘘とビデオテープだと思うんですよね。
で、まあそのなんとなくふわっとしたイメージで見に行ったんですね。で、中身がイギリスの諜報部の話なんですよ。
で、主人公がマイケル・ハスベンダーで、妻がケイト・ブランシュット。で、2人とも諜報部なんですよ。
で、ストーリーとしては、マイケル・ハスベンダーが呼び出されて、なんかすっげーやばい秘密のなんか、どうやらこの同僚の中でそれを奪おうとしてる人がいるらしいと。
で、候補者が5人いるんですけど、そのうちの1人がケイト・ブランシュットなんですよ。疑われてるその1人が。
で、そのケイト・ブランシュット含めたあと4人を呼んで、家で食事会をして、罠を仕掛けて、じゃあ誰が裏切ったんだっていうのを図っていくんですけど、
その主人公夫婦とは別に、家に呼ばれる2人もそれぞれがカップルなんですよ。
だからそのメインに出てくるその6人が3組のカップルの話なんですよね。
で、誰が裏切ったかっていう種を蒔くんですけど、その種っていうのが男女の揉め事なんですよね。
なんかこう、お前浮気してるだろうみたいなのを会話の中でほのかに忍ばせながら、お互いゲスグイスしていく中で、
この誰が裏切ったかっていうのを探していくんですけど、
え、これって、セックスと嘘とビデオテープってこういう話なんじゃなかったっけっていう、
ちょっと想像通りすぎて、ちょっとなんかびっくりしちゃって、まさか本当にオーシャンズイレブンとセックスと嘘とビデオテープ、
足し算されたような映画がお出しされると思ってなかったから。
で、見ていくんですけど、で、その主人公夫婦以外の4人は互いにむちゃくちゃひねくれた男女関係の中にあるんですよね。
で、それぞれがもう本当にちょっとした会話の中でギスギスしながらっていう。
で、あともう一つその主人公にとってやっぱり、最も追求すべきは妻が裏切ってるか裏切ってないかどうかなんで、
ケイト・ブラッシェットの動向をメインでたどっていくんですけど、
そのサブの4人はギスギスしているんですけど、その主人公夫婦自体がむちゃくちゃ仲がいいんですよ。
あなたたち夫婦お互いのためだったら、他どうなってもいいと思ってますよねっていうのを周りみんなが思ってるみたいな異常な人間関係で、
冒頭でその主人公マイケル・ハスベンダーに、誰か裏切ってるって話を持ってくるやつも、そいつもなんか浮気してるんですよ。
で、俺たちの職業にとって浮気するなんてヘでもないし、むしろ普通だからって。だからお前らが一番フラチだよみたいなこと言われるんですよ。
夫婦仲が良すぎることが逆にこの家業としては異常みたいなことを言われてて、今何を見せられるんだろうみたいになるんですけど。
ただこれ、この映画ね本当にその最終的にそのマイケル・ハスベンダーとケイト・ブラッシェットのスパイ合戦が結果的に夫婦のイチャコラとして全てを飲み込んでいくっていう映画になってるんですよね。
映画のテーマの探求
結局お前らの会議みたいなのになるっていう、なんかすごい映画なんですよこれ本当に。
えー気になるなー。
あのこれ僕も、これ僕も見たんですけど、めちゃくちゃ面白かったですよねこれ。もうめちゃくちゃ面白いですこれ。
しかもこれ、上位時間94分という素晴らしい時間で完結しますんでね。
本当にちわ喧嘩だったなっていうのがありましたね本当に。
でもあとやっぱ、嘘をつくなら見られてると思いながらやれみたいな映画だなって思いましたけど。
ついてもいいけど見られてると思えよみたいな。
その意識をなくしたらしっぺ返し喰らいますよみたいな映画だったなってこの時にすごい思いました。
スパイ合戦のなんか展末とか展開とかはようわからんのですけど、アルファベット3文字ぐらいの単語がいっぱい出てくるとかよくわかんないんですけど正直。
ちわを喧嘩の流れだけ追ってればだいたい話わかるんで、これ。
へー。 そうなんですよ。
あとマイケルファスベンダーが、まあちょっとポカするんですけど、ポカというかね。
ちょっとミスっちゃって、その時の顔がめっちゃ顔に出てるのが面白かったんですよ。
劇中本当にマイケルファスベンダーっていうのは優秀なんですよ。
相手の嘘を見抜くことに長けてるみたいな感じなんですよね。
最初の食事会とかすごいことやってましたけど、そういうことをやるようなすごい人なんだなってわかるだけに、
あるポカやらかした後の、その時のファスベンダーの顔がバレバレの顔してるって。
こいつですよー!みたいな顔してて。
今です!この顔を見てください!みたいな顔してるのがめちゃくちゃ面白いです。
へー。 すごいですよね、あの展開。
本当に絶対に取り返しがつかないミスをするんですよ。
本当にもう絶対許されないミスをするんですけど。 あー叱ったー!みたいなね。
ただ、そのミスは挽回できるんですけど、なぜ挽回できるかっていう、またその展開もすごいんですよね。
へー。
そっちかって言われますね。
マイケルファスベンダーが大ポカをやらかす映画という意味で、ザ・キラーに続きますからね。
はいはいはいはい。
そういう意味でも味わい深いと言いますか。
あといちいち行動がおかしいっていうか、登場人物のキャラクターが。
食事会であることになっちゃうとか。
何してんのって思いましたし。
職場恋愛でそんなことすんなよみたいな感じですよね、みたいなこと思いますよね。
あれダメですよね。職場機関の職員があんなに職場恋愛しまくって、それが原因でいろんなことがガタガタになってるじゃないですか。
そうそうそう。この組織解体した方がいいですよみたいなね。
っていうツッコミどころあるんですけど、それがめちゃくちゃ面白いです。
面白いです。
もうね、マイケル・ハスベンダーの妻に対する感情のネッチョリ具合すごくて。
いいですよね、いいですよね。わかる。
いやで、なんかこう癖がめっちゃある映画で存在してる。
癖がありすぎるんですけど、なんかすごい変なもの見たなっていう満足感はあるかなっていう。
そう、めっちゃくちゃ満足度ありましたね。
なるほどなるほど。
映画のスリリングってこういうことなんだなーって。
はいはい。
ソダー・バーグが男女の映画とスパイ映画の両輪で名前売ってるの、なんかわかったなと思って。
得意分野なんですね。
結局やること一緒なんやなと思って。
嘘ついたりそれを暴こうとしたりみたいな。一緒なんやなって。
そうですね。そういう意味で是非サイドエフェクトなんかもお勧めですけどね。
ソダー・バーグだったら。
そうなんですね。
で、僕今回このブラックバッグ見て、これってセックスと嘘とビデオテープなんじゃね?と思ったんで、セックスと嘘とビデオテープを見たんですよ。
こっちすごいです、本当に。すごいです。
で、さっきまで話してた男性の解消の話にも入ってくるんですよね。
うん。
で、主人公は女性かつちょっと精神的にかなり不安定な状態になってて、カウンセリングを受けてたりする人で、結構その潔癖症な感じだし、あと男性嫌悪もある。
で、夫婦仲も今セックスレスの状態になってて、で、夫はゴリゴリに性好意欲のある弁護士、かつ妻の妹と不倫しているっていう。
これ、ブラックバッグ見てたら笑っちゃうんですけどね、ここ。
笑っちゃいましたね。
で、そこに夫は勝手に昔の友達を家に呼んで泊めたりするので、妻はイライラしてるんですけど、それを呼ぶ相手っていうのが大学時代の友達で、久しぶりに会った友人で、家に来て話してみたら、あれなんか夫のキャラと違うタイプの人だぞ、意外とってなって、
で、その相手に関心を持っていくんですよね。で、ただよくよく話していくと、そいつがどうやら男性機能が不能であるっていう話を聞かされるんですよ。
で、その代わりにやってることっていうのが、いろんな女性からセックスに関するインタビューを行って、それをビデオに収めるっていうことをしてるんですよ。
初めての性的な体験はとかって、そういうインタビューをしてるビデオをいっぱい集めてるんですよね。それを見て主人公をドン引きするんですけど、ただ、その内面を開放するってこと、内面を開放したいっていう欲求との綱引きみたいな話になっていくんですよね。
で、そこに妹も絡んでくるし、夫も絡んでくるんですけど、で、女性側の性的な欲求あるいは欲圧に対して妹はむしろ本邦なタイプなんで、だからこそ妹と仲が悪いんですけど、そこで男女のややこしい関係が生まれていくんですけど、
ブラックバックの主人公夫婦を除いて4人の面倒くさいことが起きてるみたいなことが起きてるんですよ。4人の中で。ただ、ちょっと本作が面白いのがやっぱりこのビデオテープっていう存在なんですよね。
男性側が女性の性的な話を収めて、それは直接的に性欲の表れとしてやってるっていう側面もあるし、俺は女性をわかってるっていう欲望の荒れみたいなものとしてもまた描かれてるように僕は感じたんですよね。
女性の性に関する話をインタビューしてそれを収めて、それを見れてる俺みたいなものがそこに現れてるような気がして。で、その女性側は内面を発したい。で、それを誰かに見せたいっていう欲求がもしかしたらあるかもしれないっていうのと同時に、その男性側の見たいあるいは知りたいっていう欲望もちょっと互いに相対化していくような感じがあって。
で、最終的に僕がこれ見てて、そのビデオを撮ってた男性側の話に焦点が当たっていくんですけど、これ見て僕思い出したのが何度も名前出しますけどパリテキサスだったんですけど。
なるほど。
パリテキサスって超有名なクライマックスのシーンで、マジックミラー越しに男女が話するシーンがあって、もう超名シーンなんですけど、あれって男性側だけが見えてる状態でかがしてるんですよ。
映画への興味
で、その何かを俺は悟って語れているっていう男性がそのスタンスをとっている。で、自分だけが相手のことを見通せているっていうあのシチュエーション自体を結構セックスと嘘とビデオテープはそれを壊してるなと思って。
お前は見てる側じゃねえぞっていう。見通せてる側じゃねえ。悟れてる側じゃねえぞっていう。そんな場合じゃねえぞっていう風になってるように僕は感じて。
ちょっとそのパリテキサスの次だなっていう風に感じたかなっていう。
で、もうその男性2人ともそれぞれが、さっき話したような男性の解消とはみたいなのに呪われている2人でもあるので、そういう意味でも結構このメンバーで見てみても面白い一作かなとは思いました。
確かにすごい興味ありますね。
そうですね。僕も実は見たことなくて、ちょっと偶然興味が湧いてきたというか。ソダーバーグの映画何本か見てるんですけど、王者の城とか見てるし、好きな映画もあるんですけど、
僕ソダーバーグって人があんまりよくわかってなくてっていうのが正直あって。いろんな映画通り過ぎててよくわかんない人なんですよね、僕の中で。
で、だいたいうまいっていう感じなんで、ちょっとその視点での、で、あんまり王って今まであんまりなったこと実はなかったので、サイドエフェクトを上げましたけど、別にまあなんか見たときはほーんみたいな感じだったんですけど、
ちょっとブラックバックがあまりにもなんかおかしすぎて面白すぎたんで、ちょっとそういう意味ではもう1回サイドエフェクトとか見返したいし、ちょっとセックスとそのビデオテープ見たくなりました。
本当にこのインディー映画みたいなのの、こう起こりみたいな作品なんで、やっぱりちょっとあの見にくさはあるというか、結構渋いんですよね。やっぱり話の運び自体は。
あの少ししんどい部分はありました、僕見てて。ただあの語ろうとしていることはめちゃめちゃ興味深かったなぁとは思いましたね。結構あのようやく見たって感じでありますけど、見てよかったなぁとは思いましたかね。
ただあのブラックバックのあの変さはちょっとなんか現在進行形の映画として楽しんでほしさはあります。
それもちょっとやっぱり気に入りましたね。いいですよ。ブラックバックはマジでいいですと思う。なんかね、本当満足度が違いますよね。映画の満足度っていうか。
はい、そんな感じで近況の話は終わっておきまして、テーマトーク入っていきたいと思います。