で、2本目なんですけど、ベイビーガールを見てきたんですけど、これお互いともご覧になられてますよね。
見てます。
見てますよね。もうなんか多分みんな話したいだろうなっていうタイプの映画ではあったんですけど。
確かにすごい喋りたくなるぐらいやっぱ出来栄えすごく良い映画だし、ちょっとなんかいろんなことについて考えてみたくなるみたいな映画ではすごいありましたよね。
簡単にね一応ラス字だけ言っとくと、主人公がいわゆる女性CEOみたいな、すごいバリバリのキャリアウーマンというか。
家族がいてみたいな女性なんですけど、ある日自分の会社に来たインターンとちょっとエロティックな関係になっていくみたいな。
しかもそのエロティックな関係がだいぶちょっとねじれていてみたいなっていうような簡単なあらすじになるんですけど。
まずこういうエロティックスリラーみたいなものを、監督が女性、ハリナラインでしたよね名前ねっていう人がやってるんですけど、
やっぱすごいこうなんて言うんでしょうね、これエマニュエルを見た時に思ったんですけど、やっぱめちゃくちゃ安心感を持って見れるなっていうのがちょっとやっぱまずありましたね。
男性から見た、男性の欲望が押し付けられた映画では全然なかったなぁと思って。
てかまあそれ今までそういう作品たくさんありましたけど、それのまああえて反転をやってるみたいな映画ではあったのかなというふうにはすごい思いました。
本当にそのインターンを演じてたハリス・ディキンソンが演じてますけど、もう完全にあれ、もう完全に欲望の権下ですよねあれはなんか。
欲望の具現家だと思うんですけど、もう彼女の主人公がなんか本当はうちに秘めている欲望を叶えてくれるファンタジーのやつみたいな感じだなって思って正直。
まあそれ多分あえてやってるのかなーってちょっと思ったりとかしたりしました。
でもすごいテーマもやっぱりすごい滝に渡ると思うんですけど、まずなんかちょっと表の自分とそのうちに秘めている自分みたいなのの、その2つの自我みたいなのが折り合いどんどんつかなくなってくる話かなーって僕思ったんですけど。
そこのなんかバランスの取れなさみたいなのが結構これ深刻かなーと思って。
ちょっとネタバレっぽくなりますけど、ある種今回の映画って一応丸く収まりはするじゃないですか。
一応。
丸く収まらないパターンだった場合もあるよなこれみたいな。
考えたらこれ結構深刻な問題だよなーみたいなふうにすごいちょっと僕は思っちゃって、結構切実だなーというふうにちょっと思って見てましたね。
なんかもう結構隣で見てた人ちょっとクスクス笑ってたりもしたんですよ。
なんか映画見てる時に。
まあなんか確かにちょっと笑えたちょっと不思議なというかねおかしい描写みたいなのありますけど、なんかあんま僕笑えなくて、いや切実じゃんみたいなってちょっと思っちゃって。
人のセックスを笑うなじゃないですけどみたいな気持ちになったみたいな。
っていう感じをちょっと見ながら思いました。
であとプレッシャーとかも、人一倍なんかその主人公にかけられてるプレッシャーの多さみたいなのがすごいなんか感じられもして余計にちょっと、うーんみたいな気持ちにもすごいなりましたし、
夫も夫でちょっといろいろこうあらねばならぬみたいなプレッシャーをちょっと抱えてそうでもあるなーみたいな。
男らしさみたいなものを抱えてそうでもあるなーとかもちょっと思ったりとかして。
いろいろちょっと考えてしまうことがすごいたくさんあったなというか多分僕が今言ったこともなんというかそうかなみたいな。
多分お二人から多分出る気はするんで、僕はちょっとこんなことを考えたけどみたいな。
できるぐらい多分いろいろ幅がある映画かなっていうふうにすごい思いました。
見てるんで、ちょっとこの流れで僕話挟ませてもらおうかなと思うんですけど、まず僕この映画当初見る気なかったんですよ。
でもここで喋るために見ました。
ここで喋るために。
なるほど。
で、本作の予告が僕すっごい苦手だったんですよね。
で、予告の作りの味付けの濃さというか、
こういう社会的に成功した女でも本当は男に支配されたいと思ってるんでしょうみたいな感じを僕は受け取ってもう嫌やわと思ったのと、
あとまあその権力を持ってる側が女性になった、で若い異性を性的にどうこうしようとする話。
これ今まで世の中にいくらでもあったものの反転ではあるじゃないですか。
で結局それで男も女も結局一緒でしょみたいなことを言いたいんだとしても嫌だなって思ってたんですね。
どっちにしても嫌だなと思ってたんですけど、
結論言うとどっちに対してもめくばせが効いてる作品だったんじゃないかなとは思ってて、
まずその女は男に支配されたいみたいなことではなく、
女性の側の、女性だけでのその性の欲望の話がまずありき、
でその男性との関わりはあくまでその手段というかまあ結果的にそうなるけど、
あくまで女性のものとしての欲望っていう話になってたかなっていうのと、
あとその権力を持ってる側が男女反転してるっていうのももちろんそれはあるんですけど、
ただ男女反転しても完全なミラーリングにはならないっていうのも描かれてたと思うんですね。
やっぱりそこで微妙に女性の方が不利を被ってるっていうことも描かれてたと思うんですよね。
でさっきマリオンさんがおっしゃってたことで、
今回は何とか収まったけどそうならないケースってあるよねっていう、
そこの自分の心の内側と社会の折り合いがつかない矛盾が収めるところに収められないケースっていくらでもあるよねっていう話で、
男性の方が多分その矛盾を解決する手段が割と社会の中にある気がするんですよね。
女性の側のその内面と外の矛盾っていうものを解決する手段ってあんまり社会にない気がするんですよ。
男性のその矛盾した欲望はこの社会の中に解決するものが、
例えばそういうビジネスとしてあったりとか、
あるいはその世の中のそういう規範として男ってこういうことしてもいいですよねみたいなのがある気がするんですけど、
女性のそれってないよねっていう、
じゃあその矛盾って自分の中で抱え込むしかないよねって打ち上げても結局受け入れてくれないじゃないですかみたいな、
そういう話になってたかなと思って、
なんか僕が当初懸念してたようなことを言ってる映画ではなかったかなと思ったので、
見てよかったなと思いました本当に。
っていう感じです。
僕もちょっとこの流れで話していいですか。
どうですか。
割と僕この映画傑作だと思っていて、
結構社会性に対する個人性の葛藤の話だなって思って見てたんですよね。
ゆえに、最初は山口さんおっしゃる通り、社会的な女性っていうジェンダー的な立ち位置とか論点から見る、
もちろんこういう目配さが必ずある作品でもあるんですけど、
すごいそれよりもより主人公というか、性欲の個人化をしてるというか、
一切抽象化をどんどんどんどん這いでいく話だなっていうのを見てて思ったんですよ。
もちろん男性の理想化はすごく行われている作品でもあるとは思うんですけど、
最初そういういわゆるホムファタールの逆なのに、
ホムファタール系の系譜を踏んでいくのかなっていう流れから、
徐々に徐々にその人個人の、個人史みたいな話にどんどんなっていくっていうのがすごい僕は面白くてこの映画。
だから最後の最後に夫に対してインターンで入ってきた男の子が、
あなたの考え方は古いっていうシーンあるじゃないですか。
あそこめちゃくちゃ印象的で、
夫の考え方っていうのはいわゆる社会的な考え方って、いわゆるフェミニストの考え方だと思うんですよね。
女性にM機質というかそういうものを見出すのが男性の理想なんだっていう。
いわゆるそれはそれでステレオタイプっていう形。
それに対していやいや目の前の妻のことあんた見てないでしょ。
その個人のこと見てないでしょっていう風に彼は言うわけですけど、
そこがすごい僕はそこに落としてくれたのがめちゃくちゃこの映画好きなというか傑作だなって思ったポイントで、
結局性欲ってどこまでいっても個人に紐づくものだなっていう風に思ってるんですよ。
それでまさにアサイ・リョウ原作の映画化もされた正しい欲とか性欲の話にもすごい近いと思うんですけど、
その形がいかに社会性を帯びてなかろうと、とはいえその個人に紐づいてしまったものなんだったらそれは励ないし、
そことどう向き合っていくかがパートナーシップなんじゃないのかっていうことを問うてる映画のように思えて、
そこがめちゃくちゃ面白かったんですよね。
だからそのエロティックスリラーっていうそのある種の型を踏みながら、
結構真正面から性欲のことを描いているとこの映画と思って。
こんなに性欲のこと真正面から描ける、しかもそのいわゆるちょっとポルノ的な、
あるいは何かの抽象性や理想的なところに陥らずに真面目に性欲のことを考えているな、この映画ってすごい思って。
それはまさにその社会性みたいなものというか、コミュニティっていうものが徐々に剥奪されていって、
コミュニティのトップなんだけど結局個人でもあるっていう、
人がそれぞれもう個人化している社会に今なっているからこそ、それをどう個人として支えていくかというか、
個人として向き合っていくかっていう時代になってきたってことでもあるんだよなっていうふうに思って。
そういう意味ですごい、この時代だから描ける映画っていう感じが僕はすごいして、めちゃくちゃ面白かったです。
もう既に滝に渡ってるみたいな、この3人の話で。
すごいな、本当に面白かったですし。
これは同時に僕、お題にしなくてよかったなっていう気持ちもあって、
これ以上体重かけたら火傷するなっていう感覚があるんですよ。
そうですよ。
これ確かにちょっと普段の1時間ぐらいの感じで喋ってたらちょっと足りないことになりそうな気もするし、
ちょっと火傷しそうでもあるしみたいなのはやっぱりちょっとありますね。
結局僕らがあの夫の領域を出れるかどうかって言われたら結構難しい気もするというか、
あくまでこういうもんでしょっていう頭の中で考えたことを言ってる範疇から僕たちがどこまで出れるのかなって結構もしかしたら難しいのかなって気もして。
それこそもう映画の登場人物、主人公になるニコル・キッドマン演じてる彼女に対してそんなに親身というか、子と子として向き合えるかっていう話だと思うんですよね。
僕ら鑑賞者側が。そんな気分もそもそもないわけですけど。
そこを受け入れるか受けられないかの話になっていくわけですよね、結局。
で、なった時に誰も傷つけない語りができるかって言ったら多分難しいですし。
ただただだから多分夫が言ってたようなことしか言えないのが、ここで社会として語る限界なんだろうなとも思うんですよね。
そうですね。確かに。
いや、そうっすね。性の話って本当に肌割ったら誰かが傷つくものかもしれないです、それは。
だからこそ僕すごい思ったの。この映画は社会に問いかけられてるというよりも個々人に問いかけられてるから、
観客個々人がそれぞれ1対1でも見て、それぞれの感想を持って帰るしかない映画だなと思って。
なるほど。確かに。
なるほどな。
僕もマリオさんがさっき笑える切実さがあるなっていうふうにおっしゃってたんですけど、
僕はずっと最後までヒヤヒヤしてどう落ちるんだろうっていう怖さを抱えながら見てたっていう感じでしたね。
そうですね。切実さだけですけど。僕は笑ったりとかしてないですよ。隣の人が笑ってるんですよ。
そうそう。
ちょっとベイビーガールの話はこれくらいしときますか。すみませんね。
ちょっとハリス・ディキンソンの話だけでもちょっと掘り下げたくなるんですけどね。
うん、めちゃくちゃ掘り下げられる。
いや、いいな。そうなんだよな。いろいろ言ったことあるんだよな。もういいやいいや。
もうまだ見てない方はぜひ見てください。
もう一見の価値ありというかね。ぜひ自分の中で考えていただきたいですけどっていう。
あとすみません、もう一本だけちょっとお話したいんですけど、フェムっていう映画を見ました。
で、これ何の映画かっていうと、主人公がゲイでドラッグクイーンをやってるっていう、ゲイのダンサーというかっていう感じかな、が主人公なんですけど、
ある日、コンビニで買い物してるときにすっごいギャングみたいな人に絡まれてボコボコにされてしまうっていう事件に遭いまして、
結構ちょっとそれがかなりトラウマになってるみたいな状態になってるんですけど。
で、ある日、いわゆるゲイの溜まり場みたいなサウナに主人公行ったときに、
なんとそこに自分をボコボコにした男がやってきてっていう。
で、どうやら彼もゲイらしいっていうことから、そこから二人が繋がっていくんですけどっていう話になって。
で、ボコボコにされた側としてはもうめちゃくちゃ恨めしいわけですよ。
なので、ボコボコにした彼は普段ゲイであることを隠してる人なんですよね。
ギャング連中にそういうのを悟られたくないっていうのも、ギャング仲間とそういうのがあるので。
で、ボコボコにされてもすごい恨めしい気持ちの主人公は隠し撮りして、
イベンジポルノじゃないですけど、そういうことをしてやろうみたいなことを考え出す。
そういう映画になってて。
ちょっとそういうサスペンスものという感じなんですけど。
まずそういうテーマとしてこういうのを入れ込んだサスペンスがあるんだっていうのが今までなかったなっていうことがやっぱりフレッシュな作品だなって思って。
その主人公ボコボコにしてしまったギャングみたいなのは、いわゆる内面化されたホモフォビアっていうのを抱えた人物であり、
で、一方主人公がリベンジポルノ的なことをしようとするわけですけど、
それって本当に本人の同意のないアウディングみたいなことに近いことをやろうとしてみたいな。
ちょっとなかなか触れづらいテーマだと思うんですけど、それをこう見事に映画に落とし込んでテーマとして成立させてるっていうのがすごいなって思って。
本当に見てる瞬間ハラハラもするし、でもまだこれも切実な問題だなって思ってしまうところはあって、最後とかちょっとなんてことっていう感じがすごいしましたね。
あまりにもちょっと苦しいなというか。
ちょっとこれもなんというか、ベイビーガールを見た瞬間にこういう同じようなことを考えるみたいな感じになっちゃったなみたいなところはちょっとあったかもなっていうのはちょっと思いまして。
僕もちょっとフェム見てるんですけど、なんていうか、すごい複雑なラストに向かっていく映画だなって思ったんですよ。
本当そうですよね。
愛対する感情が両方ともそれぞれの当事人物の中に存在している状態というか、そもそも不良で暴力を振るう彼の側もちょっとしたホモフォビアと一緒にある憧れみたいな感情も多分あるじゃないですか。
そうですね。めちゃくちゃありますね。自由にオープンに自分がゲイであることをどんなに言えたらよかったかみたいなことをやっぱりすごい願ってる人ですよ。
だからそのなんていうか、矛盾した感情がめちゃくちゃそれぞれの中にあるのが見てておもろいなと思って。
しかもそれがなんて言うんだろう、未消化のまま終わるじゃないですか、この映画。ある意味。
そうなんですよね。ある意味ぶちまけて終わっているところはありますよね。ある意味そのままギャーっていう状態になりますけど本当に。
そうなんです。だからこの2人がある意味理解し合うっていうエンディングも多分できるかなって思うんですけど、そうしないというか、その矛盾をお互いに突きつけ合って終わる感じ。
そうですね。決して愛に分かり合えたねとは言ってくれなかったんですよね本当に。
かなりうわーっていう気持ちになりましたよね。あれは最後のあれとかあれとかみたいな。
それがなんか本当にリアリズムというか人間を描くってこういうことだなというか。
これも僕もすごい面白かったです。
ちょっとこれビビりましたね。
ちなみにそのギャング役というか、が1917の主人公の人ですよね。
そうですね。見たことある顔だなと思って。
そう、彼なんですよね。
なんかちょっとイメージと、僕はあんまりイメージを知らないだけなのかもしれないですけど、すごいハマリ役というか。
ギャングな感じも合うんだっていうちょっと思いますね。
気になってるんですよ。
ベイビーガールの延長というか、ちょっとより複雑なことにチャレンジしてるような感じもあるんで、興味深いなと思ってるんですけど。
ちょっとタイミングが合えば行ってみようかと。
これもオススメって感じですね。
そうですね。ぜひぜひ。
はい、というちょっと3本です。
すみません、なかなかお話ししゃべってしまいました。
はい、では大井さんいかがでしょうか。
僕はさっきマリオンさんのターンで話したんで大丈夫です。
ベイビーガールの編でございました。
かぶっちゃいますよね。
ミッキーセブンティーンとかにしとけばよかったですか?
僕もミッキーセブンティーン見たかったんですけど、ちょっと日付の都合上1日しか見れなくて、
でも1日に3本、今回の課題作が含めて詰め込んだんですよ。
盛りだくさですね。
もう本当過密中の過密のスケジュールで朝ベイビーガール見て、ちょっと別の用事果たしてフェム見て、
そのまま10分の間に別の劇場に移動して、今作ベターマン見るみたいな。
大変でしたね。
そうなんですよ。朝8時50分から18時まで映画館にいるみたいなことしたんで。
なので僕は大丈夫です。
僕は課題作以外だとベイビーガールは話したので、あと14歳のしおりを見ました。
お二人ご覧になってますかね?
タイトルだけ知ってるんですけどまだ見れてないんですよね。
僕も実は見てないです。
内容は中学2年生の一つのクラスの様子を日常映像として捉えた、ドキュメンタリーって言ったらいいですかね。
なんかドキュメンタリーとはまた違う気がするんですけど、
クラス確か35人いる一人一人に全員にフォーカスして、ちょっとずつそれぞれの子たちを撮っていくんですけど、物語がストーリーがあるとかじゃなく、
それぞれのちょっとした風景とか日常とか、質問に対して答えてもらったのを撮ってたりとか、
そういう本当に14歳のひとときの時間を切り取ったみたいな映画で、
これ、昨今のSNS事情を加味して配信とかDVDにならない、劇場でしか流さないと言われている作品で、なかなか見る機会もなかったので行ってきてですね。
ちょっとこの映画は僕の映画鑑賞スタイルとあまり相性が良くないタイプの作品だったかなと思ったんですけど、
まず冒頭で、彼らは実際にいる中学生ですと、彼らの何気ない日常を撮ってますと、
個々の彼らは実際にいる人物なんだけど、その彼らの中に観客の皆さんも同じものを見出すかもしれないですね、みたいなナレーションみたいなのが入るんですね。
僕、それが無理だったんですよ。
現実にいる人にそれをするっていうのが無理だったなと思って、
僕、普段こうやって映画を見て共感したりとか考察したりとかあるいは解釈したりとかしてるんですけど、
共感とかましてや彼らの人生を解釈するなんて許されるのかなっていう気持ちがあって、
彼らの人生は彼らのものじゃないですか。それに対して僕が何かを持つっていうのができなかったですね。
僕、いわゆる青春ものみたいなのも好きって見てますけど、それができるのってそれがフィクションだからだということに気付かされたなと思ったんですね。
それがフィクションだからこそある種のファンタジーとして、実際にはこの世には存在しないはずの青春なんていうファンタジーに端的することができてるんだと思うんですけど、
それを実際の人を切り取った瞬間にそれは無理だとなったっていうのが実感かなっていうところでしたね。
多分これは本当に僕がストーリー史上主義者であり、フィクション史上主義者なのかもしれないなとは思いました。
フィクションだからその物語はもう見たこっちのものなんだっていうのを強く割り切った上で映画を見ることができるって言ってるんだけど、
そこに映ってる人の人生が明らかにそこにあるっていうものを考えながら、それをこっちが受け取ってこっち用に作り変えるみたいなことができないなっていうのがあったなっていうふうに思いましたね。
実際の事件を撮ったドキュメンタリーとかはありますけど、それって作り手の意図みたいなのは明確にあるじゃないですか。
こういうことが言いたいです、こういうことを描きたいですっていう意図があるから、そのドキュメンタリーとかって見れたりはするんですけど、
ただその人そのものみたいな何か作り手の意図がどうこうというより、そのままの姿を撮りたいんですみたいになった時に、
じゃあこっちが意図を持ってそれを摂取しに行かないといけないっていう、その意図がもはやよくないものに感じちゃうみたいな。
なるほど。物語化することの暴力性というか。
しないんですけどね、別にしないんだけど、じゃあもう触れることさえできないっていう感覚がありましたね、僕は。
なんか作詞書に言ったナレーションなんですかね、
彼らの人生の中に何か見出すものがあるかもしれませんね、的なことを言うみたいな、言ってたと思うんですけど、
それがバリバリ意図だなっていう感じがすごいして、もう自分解釈してくださいみたいな。
まずそれを言ってくんなって感じがするっていう。
まず。
厳しい。
言ってこないでくれっていう感じがめちゃくちゃあったんで、たぶんその時点で、あー、いやーってなりそうだなってちょっと思ったりして。
そうなんですよ、本当の本当の冒頭って、動物の映像から始まるんですよ。
鹿が生まれて1匹の子鹿が立ち上がって群れと一緒に歩き出すところから始まって、じゃあ人間はどうですかみたいな展開なんですけど、そこの意味でかいじゃないですか、それ。
そこ意図しかないですね。
でもそれってやっていいんだっけみたいな。
あー、なんか違うかもしれないんですけど、その無理やり動物の行動を人間化して解釈する罪性みたいなのに近い感じがあるかもってちょっと思ったりしました。
ちょっとそれあるかもしれない。
僕今鹿に例えながら喋ってて、今それに感づいていきました。
動物に人間のナレーションがついてるタイプの映像を見てる時のやつなのかもしれないなーみたいなことをちょっと思って。
確かに確かにあれちょっと、あ?みたいな、勝手に解釈してんなーみたいな感じね、ありますし。
そうですね、僕も青春映画好きな人ですけど、結構それに、僕それフィクションでも、結構バリバリに意図があるなーみたいな感じがある。
そこやっぱ覚めがちみたいなのはあるので、青春映画、フィクションでも。
なんか多分見てないのであれですけど、ちょっと今回の14歳の視聴率もそういうとこがあるのかもしれないなーみたいなのはちょっと山口さんの話を聞いてちょっと思いました。
なんか少し連想したのは、SNSがあるから上映というか配信はしないっていうその方針もある。
そこは個人のプライバシーを守るためってことだと思うんですけど。
一方でめちゃくちゃSNS的な映画でもあるなと思ったんですよね、14歳の視聴率という映画自体が。
タイムラインに流れるクラスの全員のタイムラインを見て、その人の人生とかを勝手に思うみたいな感じって、それってもうツイッターそのものじゃないですか。
その人が今こうしてるんだとか、この人今こういうことやってるんだとか、こういうこと思ってるんだとか、それってめちゃくちゃタイムラインだなって思ったんですよ、聞いてて。
しかもそれを聞いて勝手にわかるとか共感してくれ、いいね押してくれみたいなもんじゃないですか、それって。
だからなんだろう、SNSとかの形にならない形でSNSをやってる映画なんだろうなって気がすごくして。
それは吉谷氏はあるかなと思ったんですけど、たぶん確かにそこを勝手にこちらで共感して解釈することが、
この現代において果たしていいことかっていうのもすごい考えたくなる映画でもあるのかなっていうのは話聞いてて思いました。
そうですね、実際には象徴化されちゃってますからね、映画になった時点で。
それはSNSでたぶん呟くという行為もおそらくそういうことだしっていう。
そうですね、あと僕青春ってフィクションだと思ってて、ファンタジーだし、広告代理店が使ってるマーケティング用語だし、
なるほど。
ノッティングヒルの恋人を見ました。リバイバルやってるので。
見たことないんですよね。
そうなんですよ。僕もロマコメって見たことないなと思って。
ロマコメといえばの一作として、ノッティングヒルの恋人、今リバイバルやってるので見てきて。
ハリウッドスターのジェレラ・ロバーツがイギリスのロンドンのノッティングヒルに住んでる冴えないキューグラウンドのところにあって、恋愛になりますみたいな。
めちゃくちゃマリーミーだなと思いました。
めちゃくちゃマリーミーですね。
めちゃくちゃマリーミーというか、マリーミーがノッティングヒルの恋人をやってるんやなっていうのは改めて思った。
ジェレラ・ロバーツがいいのはもちろんのこととして、キューグラウンドがいいんですよね本当に。
キューグラウンドの体型。
当てましたね。
あんまり体型綺麗じゃないと思うんですよ、キューグラウンドって。
シュッとはしてないと思うんですよ。
なんか普通の体型だな、中肉中脂だなっていう普通の。
そこがいいんですよね。
なるほど。
それはラブアクチュアリーの時も思いましたけど、このリアルな体型が良さだなっていう。
顔もやっぱりすごいキュートなセクシーな顔してるけど、なんか超絶イケメンとかではないと思うんですよ。
これちょっとそうじゃないっていう人がいたら申し訳ないんですけど。
全部のバランスがむちゃくちゃちょうど可愛いんですよ、キューグラウンドが。
それが良くって、あと本作の主役はズバリノッティングヒルっていう街そのものだと思いました。
あそこに行きたくなるなっていう感じかなって思って。
あと今見ると古いなって思う部分はあります、さすがに。
特にそのスターの描き方とか、大スターだからみんなチヤホヤしてますみたいな感じでも、やっぱりそこってマリーミーとの差があったと思うんですよね。
マリーミーって、その時をどうその周りの人が受け止めるかみたいな感じがあったじゃないですか。
スターなのに普通に発表会行ってますみたいな感じだったと思うんですけど、
ヒューグラウンドの友達も全員スター扱いするから、なんかこいつらのとこ行ってもあんま心休まらないんじゃないかなと思って。
確かにな。
だからそこってやっぱりそのスターのプライベートな部分との境界線の描き方みたいなのって多分今って全然変わってきてると思うので、
そこはやっぱり時代性なのか、あるいはまあ単に作品の特性なのかわかんないですけど、ちょっと古くは感じたところではありました。でも面白かったですね。
あとその流れでプリティ・ウーマンを見ました。
勢いでジュリア・ロバーツの波に乗ろうと思ってプリティ・ウーマンを見たんですけど、
これもね、めっちゃアノーラを思い出しましたね。
そうか、確かになるほどな。
横編でもなんかありましたよね、アノーラの。プリティ・ウーマンがかわいく見えるみたいな感じの音で書いてましたよね。
話としては、そのジュリア・ロバーツが演じてる勝負のところにゴリゴリのビジネスパーソンのリチャード・ギアが来て、
ビジネスのパートナー的にちょっと食事の席出てやみたいな感じで、いい服を着せたりとか礼儀差を教えたりとかして、
レディに育て上げていくっていう、マイフェア・レディの現代版みたいな言われ方もしてたと思うんですけど、
そういう話としてあって、1990年の映画なんで男女の描き方本当に門切り型だとは思いました。
でも、今思うと古い時代の中で、でもその時代の中だからこそ、描ける範疇で女性の自立みたいなのは、
描こうとしてるとは思います。今見たらこんなの描けてねーよっていうぐらいのバランスなのかもしれないんですけど、
当時としては、それはそれでちょっと新しいものを描こうとしてたバランスだったんじゃないかなっていうふうに、
まあ、今日見た感想としては感じましたかね。
あと、当時なりのアンチシンデレラをやってるので、
結構プリテンマってシンデレラストーリーの例の一つとしてよく上がると思うんですけど、
劇中でもなんか、ファッキンシンデレラみたいな台詞出てくるんですよね。
だから結局、金持ちの男に見つめられてハッピーエンドですみたいな、そんなものはねーっていうのは言及してるんですよ。
まあそれでも着地はまあまあまあまあみたいな感じではあるんですけど、やっぱり結局シンデレラストーリーなんて嘘ですよね。
そんな甘い話は女のところに降っては来ないですよねみたいな、そういう心持ちもちゃんと詰まってる映画ではあるとは思うんです。
でも、みたいな感じにはなるんですけど。
だから当時としては結構やってるんじゃないかなっていう風な感じで見てました。
ちょっとまああくまで主観としてですけど、でもプリティウーマンも面白かったですね。
話聞いたことあるのは当時リチャードギア、相手役になったリチャードギアが、この役を演じたくないって結構ダダコネたことがあるっていうのを聞いてて。
結構嫌なやつに見えますからね。
だからやっぱりそれを良しとする価値観は当時その役者の間ではなかったんだなっていうのはそれを見て思ったんですよね。
起きてる事象だけ取り上げていったら、物事を知らない癒やしい女にいろんなことを男が学ばせてあげるっていう話ではあるんで、アウトラインだけなぞるとね。
なんでいい?みたいになる部分はそれはあると思います。
あとあのむちゃくちゃ嫌なビジネスパーソンなんですよ本当に。
嫌っていうのは性格が悪いんじゃなくてやり口がエグいんですよ。
なるほどな。
鬼のビジネスパーソンなんです本当に。
吐き放ってるタイプのね。
仕事に感情を持ち込まないですよみたいな、そういうタイプで。
なるほど。
本作のリチャード・ギアは損する側の役だとは思います。
なるほどな。そういう経緯だったのか。はいはいはい、なるほど。
でも面白かったですね。
っていう感じでした。
では、そんなところでテーマトーク入っていきたいと思います。