AI面接官の導入
はい、シゴクリラジオの大橋です。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
最初、リズム取りづらいですね。もうちょっと、改善していきたいと思います。今回のテーマはですね、AI、ちょっとAIネタですが、AIにしてほしい、もしくはされたい?わからないですけど。
ギャップですよね。AIを使った方がいいと、僕も言ってますけど、されたら嫌だとか言うことはないか。
パッと思いつく方は、AIを使っている方かもしれませんし、あとAIに出てきたものでどうかっていうのがあるかなと思います。ちょっと話をしていけばいいかなと思います。
あと最近ですね、書くこと、AIに書かせてて腹立ってきたみたいな話は何度もしてるんですけど、別に自分で書けばいいんですけど、書くのが好きなんだと。
というところで、ただ文章を書くって何ですかねっていうのもあるんで、この辺りちょっとAIの活用みたいなところでの話で、ちょっと深掘りじゃないですけど、共有していきたいと思います。
今回緩めかなと思いますが、よかったらAIネタ、気になる人は聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
今回テーマとしては、AIを使っていて感じることで、AIを使うだけじゃなくて、AIにされるというか、自分がAIを使うのではなく、AIアウトプットにまさにリスナーのあなたが触れたときにどう思うかってやつです。
具体的にはちょっと考えていきましょう。
あと、こちらも半分ぐらい入ると思うんですが、AIを使って書くということをトピックというか取り上げてみたいかなと思います。
久しぶりにAIネタのような気がしますが、AIの話してましたっけってことですかね。
追ってますよ。使ってますよ。使ってますがっていうことですかね。
まず、AIのされたいというところでいくと、まずAI面接感みたいなのがあると。僕はちょっと遭遇したことはないんですが、サービスとしてあるという認知があります。
使った方がいたらぜひ感想を教えてください。
何かっていうと、転職とか就職において、面接というのが非常に大事なものですと。
非常に大事なものというか、会社側からしても就職、希望者、志望者、就職したい人ですよね。側からしても大事じゃないですか。
どういう人が働いているか、どういう会社なんだろうということを聞けるのでね。
面接感は特に最小ですよね。エントリーシートとか職務経歴書が送って、転職側が新卒側ということで、学生さんが応募したときに面接感が出てくると。
でもその面接感はAIで人っぽくて、あなたの志望動機を教えてください。ちょっとわざと言ってますよ。
AI風にわざと言ってますよ。だけどもちろん流暢なんでしょう。ただAIですと。
AI面接感って言っているのかどうかもありますよね。その志望動機を教えてください。
私はと言って、あなたの長所とか質問はダメなのかなと言わされていってアピールしていくんですが、
それはAIとやっているんですよね。その場に当然面接感はいない。
これをあるアンケートかなんかでチラッと見たので、多分あんまりいい気がしないと。
レスラーのあなたはどうですか。僕も多分これを受けて、何だろうねっていう。儀式みたいな形式的な。
なんかありません?ちょっとイラっとした話ではないですけど、形式的なやり取りで質問事項を読み上げるやつで本当にやめてほしいですよねって思うんですけど、不安なんでしょうね。
スキルがないとか、スキルがないって言い過ぎですけど、経験がなくて初めてやるからちょっと形式的にやらせてくださいとか、
5個ある質問を1個1個上から順にやらせてくださいっていうのはものすごくわかりますよ。だから別に全然協力するんですけどその場合。
そうでもないのにとか、もしくは、何て言うんだろうな。
そういうふうに言われ、それを5個読み上げて、1個ずつね。質問事項を読み上げて相手に言ってもらうのが仕事だと。
仕事のレベルが低いと思うんですよね。高くはないですよね。波以下みたいな感じに捉えてます。
だから勝手に何かやっていけばいいっていう意味ではないですけど、それで結局何したいかっていうことが考えられているかどうかなんでしょうね。
話は戻しまして、そのAI面接館みたいなのが来たときにどう思います?行けたいですか?っていう話なんですよね。
AIなんか嫌だよねって言ってても、仮にそういうサービスが広がっていったときに、その謎のやりとりがAIと話すってことになると。
そこで気持ちよく話してくれないと通りませんってなると、今度はそのAI面接館対策みたいになって、
なんかあんまり気は乗らないけど、なんか笑顔で話をして、楽しいですみたいな感じを演出しなきゃいけないわけじゃないんだけど、
縦前じゃなくて本音を言ってますよみたいな、演技力みたいな謎のスキルが必要になってて、その力は何に使えるんだろうなっていう。
というか何なんだろうっていう。
今度は企業側の話でAI面接館を使うことで効率化できるわけですよね。
たくさんの人を受け入れることができるけど、みたいな話で。
結局何なんですかねって話。
それは人事担当者とかが一個一個面接を受けるということを省くことができるんだけど、
それって面接はするわけじゃないですか。
だからその面接をするまでの振り落としというと、ちょっと言い方が悪いかもしれないですけど、
まず最初に受けてみるみたいなところを話をするってことになるから、書かせて何か誤魔化したりとかねことはできずに、
そこでの即興というか対応力というか。
求職者の心理
少なくとも動画PRメッセージだったら作り込まれててわからないけど、
そのAI面接館の時に動画じゃなくてそのリアルタイムの応答を見るっていう意味ではありだと思いますよね。
確かにねと。
だけどそれは何を見てるかっていう話と、
そのAIにやらせているっていうところで、やっぱり人じゃないから、
なんかAIなんだなっていう風になりませんか。
例えば瞳孔を開いてない気がするというか。
目の黒い部分ですが開かないですよね多分。
嬉しくならなくないですか。
なんかちょっとAIなんだみたいな。
AIと喋らされてるんだみたいな。
だから何だろうな。
それが人形とかでもいいわけですよ。
人形はダメなのかわからないですけど。
それAI動画にして人物っぽくする意味って何なんだろうなってことは激しく疑問に思ってますね。
だから本質は何なんだろうなってことですよね。
別に審査部とかやるのはいいんですけど、
やったところでそれ何になるのかなっていう感じ?
着地するのは何かなっていう。
つまり就職しようとしている応募者側からすると不評に終わり、
なんかやりたくないってことで、
企業の受入れ体制というか採用環境を疑問視される可能性もあるのかなと思って、
一方で企業側もそれやってみたんだけど、
結局よくわかんないよねみたいなこともなりそうですよね。
批判的にいうとね。
もちろん逆もあって、メリットですよね。
応募できてちょっと話してチャンスが生まれるっていう人もいれば、
ちゃんと見てくれてる。
AIだろうが何だろうが見てくれてるよね。
あと担当側ですよね。人事側だと企業側だと、
今まで何だっけ、あるんですよ。
だからAI面接官のプラスの意味で、知らないですよ。確率とか知らないですよ。
だけど今まで人間が採用するとそれに俗人的になるから、
てか俗人的じゃないですかって思うんですけどね。
ちょっとそこら辺は置いておいて、
その人に採用されない、人事の担当者の好みとかに
採用されない人が入ってくるということになることもあるわけですね。
AI面接官。いいかな、そこでいいかなってところの
バランスになるんでしょうかね、企業側。
ここで冒頭に話したAI面接ということでいくと、
それされたいですかっていう話と、
企業側にはしたいですかって話なんです。
企業側は効率化できるからしたい。
あとプラスに採用を普段できていない人ができるかもしれないってことですね。
あと効率化って言ってるけど楽にできるからってことですね、シンプルに。
あと就職する学生側だとなんか嫌だなと思う。
で、ここで学生側の立場で気になってるのが、
エントリーシートとか履歴書とかをAI使うことには
ほとんど10代、20代の人って抵抗がないんですよね、多分ね。
データ的にはもう普段から利用している。
慣れてるわけですね、AIネイティブになりつつある。
という時に、自分は使うのはいいんだけど、
使われると嫌みたいな構造に若干なってるわけですね。
ちょっと乱暴ですけどね。
だからAIと思わなければいいのかって話、
思わされなければいいのかってことで非常に難しいですよね。
ここどう折り合いをつけていくかっていうんですよね。
何回言ったかもしれないですけど、
AIの活用に関する議論
AIを自分は使っていいが他の人が使うのはいかんっていうのは
あまりにもフェアじゃないですよね、公平さから言うと。
おかしいですよね。
使い方みたいな話もなってくるけど、
これも別にどう使うかってなかなか難しいところがあって、
社会的には使ってほしくないですけど、
ダメですよね、それはね。
だから何なんだろうなと思ってますね。
っていうところがあります。
もう一個だけ言うと、
AIが書いた文章に違和感があると。
それは単語とか区切り方とかっていうところなんですけど、
頑張って指示してこだれたふうにするってことはできるかもしれないです。
だけど、やっぱりボロがあるというかね。
頑張るからこそボロがあるとそこのミスが目立つって感じがしませんか。
これはよく文章読んでる人だったらわかるかなと思いますし、
慣れてる人だったらわかるっていう話で、
そのリズムが非常に最近大事だなと思ってます。
話すのもそうですし、
文章自体がね。文章を読むときに文章のリズムがないとずっと一定なんですよね。
AIじゃなくても退屈な文章っていうのは典型的なやつを言うと、
何て言うんだっけ。
思います。何だろうと思います。何だろう思います。何だろう思います。
思いますっていう表現を使うんだってことじゃなくて、
思いますを連続で使うとリズムが一定になるわけですね。
特に文末が。
で、それは語彙力とか表現力がないんですっていう話をする人はいそうですが、
どっちかというとリズムの問題で、
思いますを仮に3回同じ風に使ってもリズムを変えたら違って聞こえるわけです。
要は予定調和というかリズムが同じだと、
眠くなるというか入ってこないですよね。
そこの部分をどうするか。
だから思いますって言わずに思いますとか思いますとか思います。
そんな風に切ったら文章というかその言葉の思いますの意味が違ってくるんでダメなんですが、
思いますをいじらずに思いますのままでいじることは可能だと思っています。
つまり一文の中にどういう風な入れ方をするかで、
同じ言葉を使っているんだけどリズムを変えることができるような気がします。
多分できますよね。
文脈というか音楽と一緒です。リズムだから。
同じリズムを奏でているんだけど、同じパターンというかなんだけど、
ちょっとずつ前前後が変わると変わって聞こえるってありますよね。
ちょっと説明が難しい部分があるんですが、あると思っています。
なんでAIに書かせた場合に頑張ってこなさせても何か違うがわかっちゃうわけですよね。
もちろん気づかないかもしれないですね。
ここで問題は気づかなかったら別に人間が書いたんだなと思うんですけど、
気づくとただ原点されるというか、AIが書いたんだなって。
AIが書いたからダメとは僕は思わないんですけど、
その人が考えたのかなっていうのがだいぶ前から言われていると思いますが、
サボったんじゃないかって思っちゃうわけですね。
AIが書いたってことはね。
実際にめちゃくちゃ考えてAIに書かせてたとしても、そこなんでしょうね。
それが仮に払拭されても、そこまでいくのにさらに時間がかかると思うんですが、
何なんだろうねっていう風になると。
つまり、さっきの話に戻すと、自分はAIを使って書いてもいいけど、
AIで書かせられたものを読みたくないっていう。
ちょっとジャイアンみたいな。
俺だけはAI使っていいみたいになっちゃうわけですね。
ジャイアン、AIで読んで。
読んでもいいし、読まなくてもいいですけど。
それはね、どうなんだろうねって思ったりしてます。
これが1個目のトピックというか投げかけですね。
リスナーのあなたはどうお考えですか。
AIによる文章生成の影響
AIを面接感とかね、いいか悪いか。
ちょっと嫌だなとか、気持ち悪いとか、便利だとか。
いろいろ意見あると思いますが、
AIで書かれた文章みたいなところからだともうちょっと違ってくると思うんですけど、
面白ければいいよっていう人もいれば、
なんかそんなわけなくて、
ちょっとぎこちないとか気持ち悪いというか、
慣れてない文章がいっぱい出てくるわけですね。
人間が書く文章のリズムの無さとか、
文章があんまり上手くないみたいなところで、
技量として未熟であるとか初心者であるっていうのは全然あると思うんですけど、
それはそれでいいじゃないですか。
そういうあんまり上手くない人が書いたと。
だけど、AIが生成してくるものって、
そういうものが大量に出てくるわけですね。
AI文章。
それ何なんだろうなと思って。
ちょっとそこで怖いなと思ったんです。
生成された文章がいっぱいあったところで、
人間のね、これ何度も言われてますが、
情報量がいっぱい増えたけど、処理できるものは増えないですよね。
だから効率化だ、コスパだ、タイパーだみたいになってると思うんですけど、
そんなに情報って追わなくても、
いいんじゃないみたいなこと思っちゃいますよね。
50歩100歩とかどんぐりの性比べと言ったら怒られますが、
いろんな情報に当たるんだったら、
情報に当たらずに自分でやってみたらみたいな。
AIってどうなんだって、
もしかしたら思っている人はいると思うんですけど、
AIがどうかっていうのを思うんだって、
自分で使ってみたらいいじゃないですか。
無料版でもあるから。
そういうのに気づけるかって、
効率とかの概念だけで見ると、
ちょっとよくわからない。
効率の情報を追うってことだけしか見てないと、
外してしまってるという感じがしますね。
人間の文章の独自性
ちょっとトピックが変わるんですけど、
AIで書くこと。
これは以前、初めて聞く方もいらっしゃると思うんですが、
僕が書いた箇条書きがある。
アイディアとしてそれを投げて、
指示するように構成で書いてくださいってことをやったんですよね。
それを数ヶ月からやってて、
3ヶ月か4ヶ月かね、やめたんですよね。
留意というか注意点として、
別にそれだけしか書いてないわけじゃなくて、
僕は普段メモしたり書いたりしてるんで、
別に自分の考えを書くことは全然やってますし、
それだけじゃないですってことですね。
その中でそういうAIにアイディアを投げて書かせるってことをやると、
書くことがつまらなくなるんですよね。
つまらないっていうのは、
自分がまさに書いてるときに、
このPodcastで話すっていうのもかなり近いんですけど、
書くことで自分の思考が整理されたり、
もしくは曖昧な部分があったり、
もしくは新しいアイディアに気づいたり、
こういう問いかけや仮説が生まれるんじゃないかが生まれてくると思ってるんですよ。
そういうものじゃないと面白くないよねって思ってるんですよ。
もしくはそういう過程があるから書くのが面白いとも言える。
それをですね、
奪ってるわけじゃないですよ。
AIが奪ったわけじゃないけど、
AIに託すことで、
その機会が少なくなるなと思ったんです。
言ってること分かりますかね。
だから書くってことを苦手な人がいてね、
書くのが苦手で、
そのAIに書かせてすごい楽になりましたっていうのは、
全然いい事例だと思うんですけど、
だからといって、
人間が考えるとか、
なんかやるときに書くが結構強いというかね、
やらなきゃいけないなと思ってまして、
それを話すでやる場合、
結構それも大変かなと思ったりします。
話しながらやるってことなんだけど、
それはそれでまた、
読んだり書いたりっていうのとか、
やってる人がやればいいんですけど、
じゃなくて話すだけだと結構しんどい気がします。
別にね、
書かずにね、
話すだけでやるってやり方もあると思うんですが、
それは別にやり方を否定するわけじゃなくて、
なんか僕はちょっと大変かなって思ってるだけぐらいです。
ただ、
結局話を戻すと、
AIにアイディアを投げて書かせるってことで、
書くっていう行為があって、
それで何か、
何て言うんだろう、
恩恵を得てるっていうのはおかしいですけど、
自分は書くことでこういうのを得てたんだなっていう風に、
病気じゃないですけど、
病気したり何かやって健康のありがたさとか、
失って初めてわかるものみたいなのがあると思うんですけど、
別に病気じゃなくてもいいですけどね。
それを感じましたね。
書くこと好きだなって思いました。
そういう意味で。
もちろん本当に時間がないですとか、
これはもうAIに書かせてパパパッと話したいですって言ったら、
それでもありだと思うんですけど、
AIと人間の役割
なんか面白くないですね。
全然面白くない。
で、
トピックとしてのAIに書かせるってことは何か。
特にお金をいただいて書くっていうことを、
実は、
あなたがね、
やられてるかわかりませんけど、
仕事みたいなところですよね。
仕事みたいなところっていうか仕事なんですけど、
そういうのってどうなるかな。
要はライターの方とかいらっしゃるかもしれませんし、
文章を書く仕事をやってみたいっていう人がね、
もしかしたらいるかもしれませんが、
このAI時代において、
文字が出てくる文章があるってことが、
あんまり価値がなくなってますよね。
ただそれは、
成果物見える形の文章だけの話なんで、
別にね、
意味不明な落書きみたいなのを書くことは、
多分誰だってできますよね。
っていうのが思います。
だからその質は止まらなかったらできます。
だけど、
当たり前ですけど、
生成AIが書いたものを呼びたいですか。
これは何度も言ってますが、
アイディアがないわけですよね。
アイディアは人間が入れなきゃいけない。
入れなきゃいけないですよね。
どういうものを書いてほしいか。
それも全部ランダムに決めて、
ヨシナリ、ヨシナリみたいな。
ヨシナリっていうのは、
時々に応じて、
書かせましたってことですけど、
そうすると単に、
真理を読むわけじゃないけど、
AI的にはね、
こういうことを人間側ですよね。
例えば僕がプロンプトで支持してたら、
こういうことを考えてるんじゃないかってことを、
想定して確率論とかね、
もしかしたら確率が低いものも入れつつ、
やってくるだけなんですよね。
ランダムジェネレーターみたいなのに近いというか、
乱数の生成に近い。
っていうのがあったときに、
読みますってことなんですよね。
多分そこに、
読んでもらうためには、
読者となる人っていうのを想定したり、
その人が考えてることをトレースというかね、
思い浮かべたり、
こういうことが感情的にあるよなとか、
こちらのやつはちょっと違うなとか、
ちょっとこれ言い過ぎたり、
これ違うなっていうようなことを、
考えることがないと、
考えてるからその人間が書くものは、
多分心が動きやすいのかなと思います。
もちろん全くAIが書いた小説が、
つまんないとか心が動かないっていうことじゃないんですけど、
読みたいか読みたくないかっていったときに、
AIってシンプルに僕は別に人間ではもちろんないと思ってますし、
主観がないから、
そういう意味ではつまんないなと思ってます。
だからここで重要なことは、
主観を持っている人間がいて、
主観って何かって言われたら、
その人らしさってことなんで説明してないんですけど、
その主観を持っている人間が、
主観を持っていないAIっていう手段を使って、
アウトプットをできるってことで、
僕もメガネかけてますが、
視力強制器であるメガネを使ってるから、
メガネかけてずるいなんていうのはないわけですよね。
言ってる人いるかもしれない。
裸眼で勝負だみたいなね。
でもスポーツとかやりたいですけどね。
そういう時に、主観はあくまでも人間だし、
メインは人間って思った方がいいかなと。
思ってないとやってられないっていうのもありますよね。
AIはその手段として、
あくまでも発的、自律的じゃなくて、
エージェントなんかあってどうなっていくか、
まだ様子見ではありますが、
これもどうなっていくか見ていきたいところですが、
そこは置いといて。
人間があくまでもアイディアを持っていて、
それを保管するように形にしていくってことに、
これずっと言われていることだと思うんですけど、
なってるなと。
で、そこの文章の価値って何かって言ったら、
結局その主観がどの程度入ってるか。
だから8割9割主観で、
ですと俺の意見を聞けみたいになっちゃいますし、
読者想定がなければ、
何て言うんだろうな。
なんか言ってやったぞみたいなね。
なんか言いっぱなしになっちゃうんでしょうね、きっとね。
で、そうじゃなくて予知として、
これはこういう人に読んでほしいよっていう風にあれば、
その人に向けた、
ラブレターというとちょっと大げさですが、
その人に向けたメッセージになるんで、
その人に届きやすくなると。
よくあると思うんですが、
そうやって設定すると他の人に届かないよねっていう人がいますが、
それはちょっと欲張りなのと、
そういうことを言う人は、
多くはあんまり書くというかね、
その技術というか、
体験とか経験が少ない人なんじゃないかなと思ったりします。
でも手慣れの人がそれ言うときは、
設定が違うぐらいかなと思います。
この辺りちょっと難しいところでありますが。
なんでその味付けではないんですけど、
自分の持ち味をそこに出すことでしか、
もう保てないんじゃないかなと思いました。
書くことにね。
特に仕事とか。
ただその仕事の話じゃなくても、
自分の文章を書くってことは、
結局、
この四国ラジオのポッドキャストでずっと言い続けているんですが、
もしかしたら初めて聞いた方もいらっしゃると思うので、
説明しておくと、
これは僕AIじゃないですからね。
AIじゃないです。
で、喋っていくことが、
もちろんね、
意味がないよとか、
そんなの誰も聞いてないよとかね、
そんなの誰も聞いてないのはちょっと乱暴ですけど、
聞いてる方にしてですが、
こういう人いるんだよねってことを、
ちょっと残していくっていう、
ログでもあります。
だから、今後ですね、
たぶん、
別にポッドキャストをやってないと、
ダメだってことは全然ないんですが、
その人らしさって何?みたいな風になっていくわけですよ、きっと。
で、
AIもこれはちょっと、
下手すると怖いですけど、
AIをどう、
AIを使ってどうっていうのもあるんですけど、
AIでのアウトプットを見てっていうわけじゃなくて、
その人がどうAIを使ってるかで、
その人の考え方とかが結構分かったり、
指示の仕方が分かっちゃうわけです。
って思いません?
仕事のアウトプットを見ても、
分かんない。
例えば大学生であるいは、
レポートとかね、
をちょろまかしてね、
そういう人が少ないと思っちゃうんですが、
そういう人もいると。
でもそのアウトプットを見ても分かんないわけですよね。
分かることもあるけどね。
プロが見たら分かるっていうことですが、
で、
どうなんだっけ。
実際には、
仮定をね、
AIの役割と人間の焦点
見ればより分かる。
仮定を見るってことは、
コストが前はかかってたわけじゃないですか。
つまりAIでアウトプットを、
AIで人が、
AIなしで人が、
レポートを出したものを見て、
学生が書いたレポートを見て
評価するっていうことしかできなかったのが、
レポートはまあ、
なるほどいいよと。
その上でその人にあったコメントとかをするのが、
教育者というか指導者側じゃないですか。
それがお金をね、
もらってやっていると、
教育者の立場だと思うんですが、
そっちに集中できるわけじゃないですか。
それはプラスですよね。
だから、
仮定を見ていくっていうふうになるのは、
えっと、
全然プラスなんじゃないかなと思うんですよね。
で、仮定ってじゃあどう見るの?
っていったときに、
エビデンスがないわけですね。
エビデンスがないっていうのは、
書かれたものとか書いたものがなければ、
一から全部説明しなきゃいけないわけですね。
もちろんそれはある程度、
説明面とかね、
状況によっては説明するし、
言うんだけど、
それを全部言ってたら大変じゃないですか。
あとアップデートも入るから。
ってなっていくと、
普段書いたり、
喋ったりしている人のログは、
僕は強くなっていくようになっていくことになります。
ただ単純にその、
垂れ流しではどうかなのかなと思うんで、
このポッドキャストもね、
垂れ流しもあるんですが、
それを流すんじゃなくて、
それだとフローじゃないですか。
ストックとして溜まっていくのが確実にあるので、
そういうのを、
わかりやすく言うと、
記事を書くときに、
過去の記事を参照できるかどうかっていうのを、
過去記事参照力みたいなのがあると思ってます。
それは抽象化したり、
トピック立てたり、
こういうことを言ってたよなっていうことを、
言えるかどうかなんですが、
別にこれ難しい能力、
すごい優れた能力っていうふうに思ってなくて、
それは喋り続けていったら、
同じことを言ってるなってことで、
同じことを言っていることでもあるんですよ。
だから、
変わってないっていうふうにも言えるし、
それは変わらない、
どちらかというと変わってないというとちょっとネガティブですが、
変わらなかった部分があるっていう感じがします。
だから思い出すし、
何度も何度も、
脳科学じゃないですけど、
会話がありますが、
それを展望するんですね。
手名付ける意味でも何度も何度も言っていって、
それが重要であると、
脳的に思ってもらわないと、
そういう参照はできないような気がします。
明らかにですね、
僕の主張はAIに任せて、
自分でやりたいことをやろうみたいな、
そんな主張はしていなくて、
じゃあそのやりたいことって何ですかとか、
空いた時間は何ですかということを、
追求しているわけですよ。
そうすると、
AIとかデジタルとかテクノロジーの話をしているんだけど、
結局人間は何をやりたいんですか、
手遣いの話になるんですよね。
これは多分避けられないと思います。
よくある話としては、
そのAIに仕事を奪われたら、
人間は何をやるのか、
もしくはAIが全部やってくれたら、
労働家が解放されたら何になるのか、
労働の概念が変わるという風になるのが、
一番しっくりくる気がします。
明るいか面白いかはありませんが、
今回簡単にまとめますと、
AIにしてほしい、
されたいみたいなところで、
AI面接観とか、
あとAIの書いたものを、
どう読みとむか、
自分が使っていいけど、
相手が使うなというのは、
無理でしょう。
自分は使われてもいいけど、
AIに使われてもいいけど、
というのはちょっと違いますね。
AIのアウトプットを見てもいいけど、
自分は使ってもいいけど、
相手はダメじゃなくて、
自分は使わないけど、
相手は使っていい。
人間の主観と社会への影響
その人はいるかわからないですけど、
どう思うかということでしたね。
もう一個が、
主観というか、
人が書くものって何だろうかな、
という話でした。
結局、
どちらにも
共通するテーマかは
わかりませんけど、
人間の主観がめちゃめちゃ大事だと
思っています。
主観がない人はいないんですよ。
いないんだけど、問題は、
感じたことを
話すとか、
言語化って言いますけど、
言語化が色々ありすぎて
複雑なんですが、
推理とか推論する、相手が何を
言おうとしているかとか、
空気を読むとはまた違うんですが、
文脈、どういう状況かとか、
様々なものがありすぎる。
それは結局、社会性とか
いろんな人と話したり、触れたり、
考えたりしているかが
出ちゃうなと思っています。
というのを、
さっきの面接の話だったら、
そういうのを読み取ってくれたり
したらいいんだけど、
そうじゃなかったら、
AI面接かはいらないなって
思っちゃったりしますしね。
これは難しいところですね。
企業は企業のロジックがあるんでしょう。
ちょっとわからないですけど。
だから、
主観ですよね。
主観を、
主観なんか価値ないよって
言う人はほとんどいない。
そんな人は、
かなり乱暴だと思うんですが、
AIが出してくるのって
何ですかってときに、
主観でも客観でもないような、
ちょっとよくわからない。
それを面白いねって言って、
データなり、
どういう風に見ていくかってことになるかなと思います。
これは、
それですごい高度な
感じもしますよね。
何なんだろうなっていうね。
感じです。
ちょっとね、
切り口じゃないです。
着地はあんまりよろしくないんですが、
今回はですね、
AIの絡めた、
最近気づいた話みたいな、
フワッとした話をしてみました。
こんな会があってもいいんじゃないでしょうか。
というわけでですね、
AIはぜひ、使っていない方は使ってみてください。
使っている方はですね、
何だろうねって、
たまに問いかけたりしつつ、
たまに問いかけたりしつつ、
問いかけたりしつつですね。
使っていくと。
あとは結局、
影響ですよね。
自分の仕事への影響とか、
仕事だけじゃなくて自分の生活への影響とか、
社会が変わっていく、
テクノロジーがどんどん、
AIが変わっていく中で、
どう感じていくかは、
日々というかね、
常々というかね、
考えていった方がいいんだろうな、
とは思いました。
今回は以上となりました。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきまして、ありがとうございました。
以上、失礼いたします。