1. シゴクリラジオ!
  2. 考えるとか学ぶとかって面白く..
2025-07-24 46:03

考えるとか学ぶとかって面白くないの?、いや面白いよね

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山田ズーニーさんの本はこちら。
https://amzn.to/438AUWG
はじめにだけでいいのでぜひ・・(笑)
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サマリー

このエピソードでは、考える行為の価値を掘り下げており、学びの過程とその成果を評価することの重要性について語っています。また、レポート作成における思考の深さと感想との違いにも触れています。筆者は考えることや学ぶことの面白さについて述べながら、教育やコミュニケーションツールの影響について考察しています。さらに、AI技術が文章作成に与える影響にも言及しています。学ぶことや考えることの魅力についても語られ、特に教育や自己成長への意識の欠如が問題視されています。学びを面白く感じる重要性や、社会における教育環境の改善の必要性についても触れられています。また、考えることや学ぶことの楽しさについて探求し、学びのプロセスが人間同士のコミュニケーションにどのように影響を与えるかについて考察しています。

考えることの価値
はい、シゴクリラジオの大橋です。 このシゴクリラジオは、パーソナリティーである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっております。
今回のテーマとしては、シゴクリというよりもですね、僕自身が衝撃を受けた、衝撃というよりですね、シゴクリでも何度も言ってますね。
初めての方向けに言うと、自分が普通だよと、もしくは大したことないよ、何とかしているだけですよというような認知しているものが、他の人にとってはいいですねとか、素晴らしいまで言わなくてもいいけど、詳しいですねとか、そういう意味で価値を感じてもらえる。
そのギャップというシゴクリ、まさにシゴクリポイントというふうに明記していいんじゃないかと思うんですが、それはですね、考えることです。
考えるって何か、非常に難しい脳活動の一種。知見、体験や知見を統合すること、よくわからないですけど、考えると何かの結論は特にないまではないんですが、
この考えることって何だろうねということを思ったのがありまして、考えるを深めたい、もしくは客観視したい、もしくは自分にとって考えるということが好きな方はぜひ一緒にね、好きじゃなくてもいいんですけどね、考えるテーマで聞いてもらえればいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
今回のテーマはですね、考えるとは何か、もしくは考えるって面白くないんですか?っていう単語ですね。
いや、面白いですよ。面白いと思ってますよっていうことを言いたいですと言いたいですし、言いたいですって僕もそう思ってます。考えるって面白いことなんだ。
あんまり細かく言うと怒られるかもしれないんで、ぼかしていくんですが、内容はもちろん言わないですけどね、抽象化してます。
あるですね、e-learningみたいなのをやってるんですけど、無料でできますね。簡易登録が必要ですから無料でできます。
そこでですね、いろんな講義があるんですが、レポートを出すと、レポートって何かっていうと、ご存じない方もいるかもしれません。
レポートというのはですね、大学とかである形式ですが、大学じゃなくてもいいんですけど、なんか講座とか講義があって、それを受けましたと。
あなたは学びました。学んだことから何を学んだかを書いてくださいとか、何を学んだかというのは、講義からであったことを基本的には出して、それについて学びました。
例えば法律の講座があって、AIと法律みたいな講座があるとするじゃないですか。そこで抱え上げられた講義のことじゃなくて、ポテトチップスがうまかったからポテトチップスをもっと食べることに決めましたみたいなレポートを書いたら、それはダメじゃないです。0点ですよね。何も関係ない。
その程度の文脈把握、学ぶとか、何か知識を入れて表現するということは、あるという前提でお話はさせてもらっています。
AIの法律の話とポテトチップスを結びつけてもいいんだけど、結びつけられるのはいいですよ。じゃなくて全然関係ないことを書いていたらダメですよね。
そこから学んだこととか得たことを書く。だから画期的な発見じゃなくて良くて、レポートを採点する側の教授とか教育者の立場だったら、その人が何を学んだ、それを学んだんだ、いいねっていう。
知らなかったことを知ったって言うといいですし、選手権をやっているわけじゃなくて、その人が学んだことを書けばいいんですよね。書けないとダメですよ。
総合評価というのが面白くて、なかなか総合採点とか総合評価はできないと思うんですが、総合評価システムというのが、僕の中ではだいぶ昔になりますが、そういうアイデアを評価するのがあったりしました。
そういうのもありましたけど、なかなかアイデアの評価は難しいですよね。難しい。何?っていう。既にあるよみたいな。わかります?言いたいこと。既にあるから新規性がないってことなんですけど、そうなると色々なことを知っている人にとって評価は厳しくなるじゃないですか。
話し技を置いておいて、そのレポートですね。AIについての学習とかでも大丈夫です。仮想のテーマがあるとしてください。
ここでですね、内容が酷いという話なんですけど、レポートの。何が酷いかというと、まずこれは山田隼さんの本の紹介しましたっけ?してないかな。
どちらかというと文章の書き方の話なんだけど、文章術とか書き方のやつってありますよね。別にそれを読めとか見ろってことじゃないんですが、山田さんの本で一番僕が衝撃を受けたことだけ言っておくと、
要は自分が考えていることが多分あるんだが、それを示すことができないっていう。なんとなくそう思うみたいな。なんとなくみたいな話です。
これ四国放送聴いてる方はなんとなくあんまりないんじゃないかなと。なんとなくだとちょっとしんどいですよね。このラジオね。自分で思って聴いたら思うな。
この人何言ってんだなってときになんとなくは聞きづらいな。なんとなくても別にながらでもいいですけどね。というのがあったんですよ。それは高校生の小論文指導だったかな。
そういう添削。はじめにが一番良かったような。そうやって言うと怒られるかもしれないですけど、山田隼さんの本が良かったので。これちょっとリンクを貼っておきますね。もう一回出しておく。
それもそうなんですけど、文章の書き方っていうか、論点というかその本の明確で書きたいことがあります。論点ですね。それに対して理由とか根拠、論拠ってやつですね。こうだからです。自分の思っていることでいいですよ。
相手にそれが伝わるか。伝えなければ、そこまでは書いてないけど、その文章意味ないですよね。だからさっきのAIと法律の講座があったときにポテトチップスがうまかったからコンビニ買いに行きましたとかね。そんなこと言ったら、それなんで書いたんですか?
で、それが冗談でもなくふざけてるわけだったらそれでいいですよ。ふざけたんだね。じゃなくて本当に学んでやっててなんかだったらそこに紐付けられればいいですけど、多分その学びのレベルって結構高いような気がしてて、何かに紐付けるっていうのはね。連想させてね。
だから別にそこまで熟達してないというかわからなかったら、別に僕が熟達してるわけではなく、AIと法律について書かれたことで面白かったことを取り上げて、それについて話してください。問いかけの仕方はいろいろあるけど、別にそういうのは割と普通なわけですよ。
というか僕は普通だと思ってます。そういうレポートとしての問いとしてね。話戻すとまずひどいというか、まず感想とレポートの違いですよね。リスナーのあなたは分かりますか?分かるというかね、考えたことがありますか?
レポートというのは考えを出す。学んだこととかその講義について言われたこととかを出す。レポートを求めることによっては、言われたことだけをまとめ直すだけで良いという人もいますね。でもそれがまとめられてなかったら目についてないねってなるわけですね。
感想と論点の違い
それにさらにこういうことが言えますっていうのを求める人もいます。それはもう採点者というか教育側の講師側の感覚というかどういうふうにやりたいかって次第ですね。ここでまず問題がありますと、感想というのは思ったってことなんですね。思うのは自由なんです。面白かったとかね。
なんで面白かったのかを書かなきゃいけないわけですね。それは知らなかったことだからとかね。それは自分も知ってたんだけどそういう人はなかったとかね。それはパターンがあるかもしれないけど、別にそのパターンに応じて書けっていう意味ではなくて、なんでだろうねっていうのを考えてないと書けないわけですよ。
こう伝わりますかね。感想は思ったことであって、それを思いましたって言えばいいですね。面白かったですって言えばいい。ここが面白かったですって言えばいい。でもレポートだとそれはなんで面白かったのか。それを論点というか根拠を挙げてその抗議に関わることでこうだったとかね。
この視点は違うなと思ったってなったらそれをなぜかを書けばいいわけですね。それはもちろん論文みたいにですね。ここにソースがありますとかまでは示せたら最高ですけど、そこまでは求めてない。そこまでは求めてない。ただなんとなく思いましただから違いますみたいなのはやっぱり感想ですよね。
あと意見になっちゃう。レポートっていうのは論じる、簡単であれば論じる必要があるので、自分の主張したいこと、学びになったなら学びだし、学びにならなかったならなぜ学びにならなかったかを書けばいいわけですね。
学びにならなかったと思うから学びにならなかったなと感想とですね。学びにならなかったと思うと言っても学びにならなかったなぜならこの理由があります、3つあります。その3つのうち1つはこうでしたと言えばいいですけど、それを求めてないのであればそういうね、それはダメですよ。
だから何を求められているかまず読み取る必要があります。それが読み解けてないというか、読み取れなかったら書けないですよね。伝わってますかね。だから少なくとも感想とレポートって言ってますけど、これは感想を求めてるわけじゃなくてレポートなんで、あなたが何を感じたか、考えたかを書いてくださいっていうことっていう話です。
そこで違ってきますってことですね。これはやっぱりある程度訓練はいるのかなとは思いました。その上でさっき言った講義の中で出てきたことっていうのはあるわけですが、それを今度は別の問題が起きててAIでできちゃうんですね。
だからAIっぽいやつが出てきてて驚きましたね。こういう人がいるんだなと。わかんないですよ、本当にAIで書いたら。でもこれは明らかにAIだなと思いました。使ってるんで僕もAIをね。この出し方AIだなみたいな。
何か言ってそうで何も言ってないというか、まとめてるだけっていうのですね。であればそれっぽいから通るかもしれませんが、僕の採点は著しく低い評価にしてます。これは知らないです、他の人がどう評価するか。
感想はもう評価低いですね。感想求められてないはずなので。あと他に進めると論点不明っていうのがあるんですね。論点不明っていうのは何を言ってるかがわからない。
でこれはブーメランのように返ってくる話ですが、僕が言ってることもしくは僕が書いている記事が何を言ってるかわからないってことはあると思います。一応方言かけておきます。たださすがにこれひどいなっていうわけですね。
どういうひどさかというと、例えばリスナーのあなたがコンビニに行かれるかわかりませんが、コンビニに行って最新のポテトチップス食べられるかわかりませんが、何でもいいでしょう商品買いました。アイテムね。ポテチ買いました。何かいろんな味あるじゃないですか。
買いました。食べました。美味しかったです。っていう時に、誰かに話そうとします。どう話すかはいろいろありますよね。話の組み立て方なんていうことまで細かくは言いません。ただコンビニに行ってポテトチップス食べたら美味しかったよねっていうぐらいの話はするんじゃないかなと思ってます。
世の中の人の会話の仕方の全部まで僕はわかりません。想像してるだけです。ポテトチップスの話をしてると思ったら、いきなり子育ての話をしだして、この間コンビニ行ったんだけどポテトチップス美味しかったよ。
ポテトチップス美味しかったよ。子育て大変なんだけどさ。いきなり来る。そこでポテトチップスの話はどうでもよくて、最初に話をしてそっちを言いたかったっていう人もいるじゃないですか。心理としてね。わかりますよ。わかるんですが唐突じゃないですか。
さらに世の中なんか間違ってるよねって。どうしたのってなりますよね。僕だったらどうしたのって聞きますね。なぜならどうしたのはその人を知ってたりするからですよね。知らなかったらどうするか。ちょっとこの人やばいなみたいになりますよね。なりませんか。
そんな感じのものがある。つまり何を言いたいかがわからないわけです。ポテトチップスが美味い子育てで大変。世の中間違ってる。それは文脈として並べていったらある程度収まるというか、この人はこっちの方向に行きたいんだなっていうのは何となくはわかります。全くゼロじゃない。ただそれが非常に弱い。
文章とコミュニケーションの重要性
これはたまに友人と話しますが、こちらが考えることじゃなくて提出する筆者が考えなきゃいけないことを説明できてないわけです。つまり読み手が汲み取ってこうかなって考えてる時点でちょっと弱いわけです。ここかなり大事かもしれないです。あんまりそういうこと言ってくれる人いないような気がします。
つまり文章があって、文章じゃなくてもいいですよ。発言でもいいですけど、ホロラジオでもいいですけど、話しててその話したい内容があまりない。伝わってこないという時に、多分その筆者とか話してる人の話っていうのが弱いわけです。相対的にですよ。
世界ナンバーワンみたいな話じゃなくて。その聞く側、読み取りする側は、読んでる読者側は読むんだけど、それが曖昧だったりあまりフワフワしてると読み取らなきゃいけない。これは何を言いたいのかな。この人は何を言おうとしてるのかってなる。
それができる人は読み取るから、こういうこと言いたいんですかっていうふうに整理したり、相手に補足するから話を進めていくことができますよね。それはそれで全然ありがたいんだけど、でも求められてるのはこういうレポートとか学んだことっていう状況であれば、その人、書いた人、筆者の能力を鍛えたり、もしくは学びを促進するってことにためにやってますからね。
それじゃなかったら何のためになるだろう。読み取る人の読み取り能力を上げるためじゃないですよね。教育者である人がその立場として、より自分の力を上げるためにやってるわけじゃないですよね。
それはサブではあると思いますよね。いろんな人に対応していったら、いろんな学生さんがいて、いろんな教えられる側がいて、お互いに学んでいくとは思うんですが、それで鍛えられることはもちろんあるんだけれども、それは第一義的には一旦ないかなと思うわけですね。
要は筆者なり学生なり生徒側が学ぶということが一番じゃないですかって僕は感じてますし考えてます。だから立場が逆というか、それを筆者であるあなたが考えて出さないと意味ないですよね。
伝わってないですよね。転作されるとか伝わるとか伝わってないとか、そういうことが圧倒的に少なければ、こういう文章になるかなとは思いました。要は冒頭に話したように、慣れていない、トレーニングしていない、訓練していないとそうなる。
でもですよ、ここで思うのはSNSで前世SNS図柄もあったり、コミュニケーションですよね。SNSじゃなくてもコミュニケーションでLINEとか様々なITツール、コミュニケーションツールを使ってチャットラインがバンバンしているから、そこに長けているのかなと思うんですが、
レポートってなると、全然違う能力を使いそうな話で、自分の主張をまとめたり考えたり出したりする。それについて論理的に構成する。論理的に構成するというのは何かというと、結局相手に伝えたいものはこれで、3つあるんだけど、3つ全部平たくというよりも1番目伝えたいですとかね。
3つあるんだけど、全体的にそこまで強調したくなくて、3つ全部均等に築いたとかね。3つもなくて1つだけでしたとか。どちらかというと、AとBってあって、Aってことは言われてたけどどちらかというと自分はBでした。だからB寄りでこういう話をしたいですとかね。
これは論理とか組み立て方によるんですが、パターンを知ってるか知らないかはもちろんありますし、そういう記事を読むか文章を読むかどうかもあると思います。あるんで、わかんないですけど、読んでるんじゃないかなと思ってね。だからよくありますね。これは当たり前ですけど、漫画を読んでいる人の方が漫画を書く人より多いはずなんですよ。
たぶんね。ポッドキャストを配信する人よりは配信を聞く人の方が多いはず。わかんないですよ。一緒だったりして。そこで発信するというかね、発信する側に慣れとかっていう話はしてないんですけど、漫画を読んでいる、僕も漫画を読んでいるんですけど、読んでいるから漫画を書けないですよね。
だから人のアウトプットに触れたからといって、勝手にアウトプット能力が、インプットしたからといってアウトプット能力が勝手に磨かれることはないんでしょうね。知っている人が参考にしてこうかなと思って初めて聞いてくるのかなと思ったりします。
話はそれぐらいになりそうですけど、思った以上に、そこで僕が感じたのは感想、要は求めているものではないとか、要は問いかけに応じていない。論点が増えているのは、すごいそのレベルなんだっていうぐらいのひどさ。これはちょっとひどいよな。
だから本当にAIに書かせて、ちょろまかすみたいな感じになってたっていう。たまたまそういうのもあるっていうか、別の動画でこういうことをやったことあるんですけど、そこまでひどいのもなかったから、たまたまかなーっていうのは思いつつも、ひどいの来たなみたいな。ひどいの連続で来たなっていう。たまたま引いちゃったなっていう感じも受けましたね。
受けましたねって話です。この時にまさにそれこそ考える何かっていうね、冒頭の時に話しましたけど、考えるって何でしょうねっていうところで、わからないですね。僕の渾身の考えるってところの脳を動かすならば、考えるってことは思考とかじゃないですか。
それは結局ですけど、思うっていう感想も入るわけです。感想が入るんだけど、そこに根拠であるとか、こういう原因、もしくはこういう変数というか根拠、何でもいいんですけど、自分が根拠と思っていることにひも付けられるか、論理立てて説明できるかみたいなことなのかなと。
思いました。思考。だから再現性はありますよね。例えば発想法になりますけど違和感発想法だとか、今ね今回も掲げてます。まさにこれはメタ認知になりますが、今何の話ししてるかというと構造的には、
総合採点とかリーラーニングで動画を受けてレポートっていうところを総合採点するところのひどさというか、こんな感じなんだみたいなことを今話してますよ。結局もうちょっと抽象化というか引いてみると、考えるって何だろうねって僕は思ったっていうのと、
同時に冒頭でも話した通り、思考繰りっていう視点からすると、僕にとっては考えるってことは普段やっていることではあるわけですが、考えているだけとか文章にしているだけとか、まとめているだけみたいな大したことをやっている意識はないんですよね。ないんですよ本当に。
これはもちろんリスナーの方とか文章を読んだ人がすごいな、もしくは大したことないなとか、そんな日極に分からないと思いますが、いろいろあると思います。あると思うんですけど、それで文章を書いてお金をいただくとか、アイデアを出してお金をもらうというのもありますが、そういうところでリサーチしてアドバイスとして活用してもらうというのもありますけど、そういうところで自分にとってはそんなにすごいことをやっているつもりはない。
だがしかし他の人にとっては価値になりますよね、というところが評価されるということが思考繰りの一つの切り口として有効じゃないかということを始めていく方もいらっしゃるかもしれませんが、ずっと主張しているわけですね。
自分が大したことじゃないんだけどと思っているものを他の人が評価するならそれを多分仕事にするかどうかを置いておいて、仕事にしていく方が多分いいよ。なぜならそれは継続しているし、自分も多分好きと言ってないだけで好きだし、好きというよりも継続できるし、学び続けられるし、やり続けられるよということなんです。
だから後で価値にしてお金にしていくというのはまた別に考えて、考えることが好きだから哲学者になろうとかそういう安易な話じゃなくて、別に哲学者じゃなくても考えてますからね。
スポーツ選手だって考えるし、例えばアルバイトの店員さんでも別に考えてますからね。だからどういうところに持っていくかという話になってくるので、そこはまた別です。
AIと文章作成の影響
ただすごく参考になるというか、軸レベルになるものかなと僕は考えてます。というふうに構造がいくつかあるわけですよね。
具体的なエピソードとしての今回の総合祭典での気づいた話と、自分にとっての主国理的な考えるということと、主国理ポイントとしての自分には大したことないけど人にとっては評価されるようなこと。
というのがあるのかなというのはちょっとリンクしているという話なんですよね。それが伝わってないというか、ポテトチップスうまいですよねという話を入れましたけど、それを拾ってその話をしてますよねと言われたらさすが論外と言ったら論外じゃなくて侵害ですよね。
何を主張したいかということがあって、その主張をしているかどうかわかりませんが、しているつもりなんだけど相手に伝わってないならやっぱりその主張は外しているので、そこは修正しておきたいし、学んで訓練してトレーニングしていくしかないかなと思ったりします。
主考って考えるのは何かなというときに一つ考えることではない。考えることって何かという話じゃないんですけど、これは冒頭に話しましたけど、僕は面白いと思っているんですよ。心から。
例えば人と全然違う考え方があったときに、なんでこういう風に考えるんだとか、この考え方全然わかんないみたいなのが普通にありますときに考えます。要は自分が間違っているとか正しいとかということじゃなくて、この人はなんでそういう風な考え方、結論になっているのか。
それにめちゃくちゃ歪んでないとか、さすがに曲解じゃないとか、曲げているとか、乱暴というか言い過ぎじゃない。もちろんその人にぶつけることは稀ですよ。なので考える材料にさせてもらって考えたりします。
そういうのが面白いですね。いろんな人いるなあっていう。それは違いを楽しむのもありますし、自分もその違いを出しているということでいいかなと思いますし、いろんな人の違いを知ることが楽しいという感じが強いですね。人が違う。
でもそのビーサーというか、微妙な違いがあるじゃないですか。それも面白いですよね。という風に感じているんだよ。心からね。非常に強調しますよ。心から思っているので。面白いと思っているんですよ。
というところに、ここで気づく方もいらっしゃると思うんですが、さっき言った話で、全然よくわからないレポートというか文章を書く人って何なんだろうな。文章がわからない、下手っていうのは別にスキルの話とか、今までそういう教育機会がなかったとかってことで、
評価は悪いけど、別にその人を攻撃するというよりも、別に学びたいなら学べばいいし、こういう評価ですよっていうだけじゃないですか。そこをドライというよりも、別にその人を責める意味はなくて、何だろうねっていうのがあるわけですよ。
ただ、ここはちょっと許せないという意味ではなくて、別に僕が警察とかそんな仕事をしているわけではないので、正義マンでもないので、ただ僕がわからないのは、チャットGPとかAIに任せて、それを任す方ですよね。
だから序列をつける意味ないんですけど、何でもいいから、感想でも何でもいいから出すっていう人が、何も出さないよりはまだマシですよね。ゼロよりは。だけど、ゼロで何も出さなかった人がちゃんと考えている可能性もありますけどね。
知らない。もうそこまで言ったら知らない。とりあえず出したものだけであるんです。感想よりも論点不明の方がまだいい。だけど感想と変わらなかったら似たようなものかなっていうね。50歩8歩というかね。道具の性比べみたいな感じには受けますよね。違いがないってことですね。
だけどもう一個全然違う軸に、AIでちょろまかすケースです。もちろんAIを何度も話しますけど、AIを使うなとかって話じゃないですよ。僕も使ってますよ。だけどAIを使って、それこそ貴重だと思うんですよ。
僕の考えを述べるとか、意見を伝える。もしくは一定の学習をして。この動画も何十時間ではないですけど、数時間は絶対かかる。早送りしてもいいけど、早送りしてやること意味あるのかな。
たぶん修了証みたいなのもらえるから、そういうコレクターの人かなっていうのもありますけど、でもレポートの点数が0点でも修了証はもらえるみたいな仕組みなんで、まあまあそこはいいでしょう。いいんですよ、そこら辺あたり。修了証を狙ってたらそれになるかもしれないですね。
学ぶことの意義
だから学びたいんじゃなくて修了証が欲しい人だったらあるかもしれない。だから自分では考えたり学んだりここに気づいたりってことを面白いと思ってないんだなと思うわけです。そこが僕にとっての絶望というか、まあ絶望ではいかないですけど、ショックですよね。
だから考えると学ぶと思う。ほぼ同時で。学ぶってことは考えてるし、考えてるから学ぶというか、両方あってもいいし、同時に起きるか起きないかいいんですけど、え、これ面白いじゃんって。講義自体で見てて面白かったんですよ、僕ね。面白いし別に他の人が面白くなきゃいけないわけじゃないですよ。他の人がつまんなかったかもしれないですね。だからやっつけて出したかもしれないけど、まあそれはそれでいいじゃないですか。
だけどそこでも感想とか論点不明でも自分で書くんじゃなくて、もうそこはAIに任せてっていうところでもう考え放棄してるじゃないですか。考え放棄してるんだけど修了証だけは欲しいとか。考えなくてもいいと。学んだものを明らかにしなくてもいいと。
それって学んでないですよね。本来あるべき姿という理想ではないですよ。理想ではなくて、誰かに義務教育で強制されて、もしくは会社とか組織でこの動画を見ないとなんかおりませんよみたいな、そういう状況でもないと思うんですよね。
一応自由意志のもと登録して講義を受けてみてやるっていうことだと思うんで、それなりに内発的道具付けというかモチベーションが高くて自分の中で学ぼうとしている方が多いのかなと。勝手に思ってたんですけど、なかなかそれを一発で覆すような行為なわけですよ。だからショックっていうことですよね。
例えば教育者になりたいですとか、教育ってすごいですよねとか、自分もそういうのやりたいですっていう人が全然学ぶ気がないっていう人嫌じゃないですか。嫌というかおかしくない?ってなりません?そういうことです。感覚としては。
だから学ぶのが面白くなかったのかな?今回は面白くなかったのかな?外れだったのかな?ぐらいで捉えることもできるんですけど、それにしてもね、その態度だと結局何でも一緒じゃないかな?って言ってること分かります?
動画ではチョロまかして誤魔化したよっていうふうにしてもいいんですよ。でもその人にとっては、それは他のやつもチョロまかすのかな?とか、本気になったやつは本気でやるのかな?って言うで、いらんごせやだと思うんですけど、考えるわけですよね。
僕の考え方だと、チョロまかすことはするなとは言いません。そういうのがあってもいい。でもそれはごくごく一部か例外規定ぐらいの話で、少なくとも僕にとってはそこでサボってしまうともう終わりのような気がします。積むぐらいあります。
別に追い込んでるわけじゃないんですけど、そんな面白い、要はスイーツとかデザートとかおいしい料理があるのに食べずに捨てているようなものっていうかね。だから食わず嫌いとは言いませんが、そういうふうに僕は見えるわけですね。ああ、もったいないなっていう、そういう感覚です。
その人を見つけ出して説教するとかはできないし、しないですけど、わざわざ知らない人にね。自分が関わるんだったら別ですよ。自分が本当に動画企画側でやって学びにつながっていなかったんだなってなったら、話は全然別だから関与してきますよね。
もちろん求められることによるので、モチベーションを高めていくっていうのがいいでしょうね。だから学ぶことって面白いですよねっていうことを、そういうことをやっちゃうと言われなかったんですかね。
そういう人がいなかったのかなって思っちゃいますね。これはあくまでも学ぶっていう状況が結構モチベーションが高いっていうところでの話なんで、なんでそうなっちゃったんだろうねっていうことになるわけですね。
つまらないとかね。今は違うっていうのもありますけどね。ありますけど、最低限のことはやってほしいかなっていうね。
特異な環境じゃないですか。特異っていうのは特別コトラってことですね。ということは学習環境って、そこで社会人とか仕事を始めるとインプットっていうのが限られるじゃないですか。時間も限られてね。
もちろんインプットっていうのはその仕事をいろんな人としていく中で得ることもあるし、いわゆる仕事じゃないプライベートと一般的に言われるところで感じたことで学ぶとかね。
自ら何かやるってことはありますよね。で、時に形式的なね、こういうね、それこそ動画eラーニング的なもので学んで何かやるってすごく特殊じゃないですか。だからこそ貴重かなと僕は思ってるんですけど、そうでもなかったっていう感じ。
で、仮にそこでこれもさらに突っ込むと、もうおしつこいかもしれないんでこれぐらいにしとくんですけど、ちょろまかして得た修了証なんて使えないわけで、何かないですか。暗記して得てやったけど結局忘れちゃったって。
ありますよね。僕も全然あります。だからそれを悪いというか否定を全部してその人がダメってことはならないんですけど、それだけだとしんどいよなっていうことは改めて思ったって話ですね。
社会への提言
だから丸暗記をしてそれが学習だとか、暗記できなかったからダメだなんてことをもしかしたら思っている方いらっしゃるかもしれませんが、暗記はさすがにね、なんかしんどいかなって。
覚えてね、勝手に覚えていくっていうのは全然いいんですけど、覚えられないっていうかね、外部のコンピューターの記憶の方が強いわけなんで。
なんでそうなっていくかっていうようなものを考えるために最低限の覚えておくものはありますが、記憶力勝負なんていうものじゃないですからね、世界。
っていうところですかね。なんで学ぶのって面白いから、その学ぶのところをデザートというかね、おいしいステーキというかわかりませんけどを食べないんだというか、むしろそれはなんかまずいですと。
いやむしろゴミって言ったら怒られますけど、そんな扱いされるんだと思って、なんか悲しいんですよね、そういう意味でね。
もっと言えばこれは僕だけの趣向、好みってことじゃなくて、人間とか社会ってそういう学ぶとか、成長するっていうとちょっと気持ち悪い人はいるかもしれませんけど、成長ですよね。
力をつける、スキルつけるとか、そういうの好きなんじゃないですかね。変われるって面白くないですか?自分が今までできないことができるって、めちゃくちゃ面白いと思うし。
今までなかった視点を得て、考えると余裕が持てる。自分も今までこうやって決めつけてきたんだけど、実はこういう視点があるんじゃないかと思うと余裕が持てる。
これめちゃくちゃすごくないですか?って思うんですけど僕はね。そういうのじゃないんだっていう。
他人に興味がないとか社会に全く興味がないみたいなことにもなっていくんじゃないか。
苦言みたいになっちゃってますけど、そこまで言うかって思う人はいるかもしれませんが、そこまで言いますね。
それぐらい、リスナーのあなたにとって受け、どうやって学びに変えてもいただくなら、それぐらい僕にとっては、学ぶとか考える。
アイディア出すもそうなんですけど、大事なことなんだなっていうことを改めて気づきました。
人の文章を採点するって、そういう意味では面白いですよね。
そういうのって構成だとかなり大変というか、事実関係とかやらなきゃいけないからそんなことはできないですけど、
意見として伝わるのとか適切なのかっていうのは、結構鍛えないと身につかないものかなと思いました。
鍛えるというのはやっていかないとダメですからね、結局。
言われて、そうか、それでは伝わらないなっていうふうに失敗というか、それはフィードバックですよね。
最初から上手い人じゃないですから。
ということを繰り返してやっていくしかないのかなと改めて感じました。
そして僕の処遇ポイントである考えるとか思考するとか、意見があります、伝えますっていうことって、
確かに全然わからないっていうことってなくなっていくんですよね、全然ですよ。半分ぐらいしかわからないとかもあります。
あともちろん相手の状況もありますよね、今じゃないとかね。
あと前提がちょっとないから、ちょっといろいろ言われてわかんないっていうのはわかります。
だから別に僕も全部わかってもらうとかはなくて、
今回だったら、そんな学びに関して厚く言う人いるんだなとかでもいいし、
あっちでもいいですよね、そういうひどいものを出してくる人いるんだなでもいいし、
聞く人によっての捉え方があると思うんで、それはもうしょうがないと思います。
だけど、僕が言いたいことはそこで割と完結してて、
そういうのを学びとして考えることって面白いですよねっていうことを、ややネガティブな事象ですが、そこから感じました。
だからそれがですね、世の中の人が嫌じゃないですか、
例えば、防犯カメラを置いて無人店舗がありますときに、ほとんどの人が万引きしてたら嫌じゃないですか。
そんな社会にいたくないってね、泣いちゃうんですけど。
でも、いやわかりますよ、苦労してたり、明日食べれなくなったらそれやるかもしれんし、
あと仕事がないとかね、やることないんだと、仕事がないというよりも、
必要とされてない感じがあるとかね、もうめちゃくちゃ問題だらけだと思いますね、これから。
日本社会がね、課題先進国なんてね、よく言っている方がいましたが、
いろいろやることありますね。
考えて、学んで、こうじゃないかって言ったり、ああじゃないかって。
違いを楽しんだり、また学んで、それを繰り返していくと。
繰り返していくことで何が生まれるかというと、さらなる学びもありますし、
人に優しくなるとか、ストレスとかも軽減されるんじゃないかと思いますよね。
余裕があんまりない、さっき言ったと思うんですけど、
この人はなんでこんなこと言ってくるんだろうなって時に、
言葉足らずの人はその前提を飛ばしたり、もしくは、
こちらが知っていると思っていたりとかが、そこまで考えない方もいらっしゃるので、
わかりますよ、そこまでできない人もいるのがわかるから、そこをどうしていくか。
それは別にみんなコミュニケーションで、和術者になれとかね、そういうことじゃなくて、
こちらができる部分はやればいいし、そこは補え合えばいいじゃないですか。
だから別に、ひどい感想とか、ひどい論点不明な人に、
作家になれとか、そういうことを言っているわけじゃないです。
ただ、そこでは得点は低いから、向いていないかもしれないなというのと、
同時に教育とか、いわゆる社会環境ですね。
改善してきて何かやりたいのであれば、それをやっていくという方向にしていって、
やっていったらいいんじゃないですかねという話なので、そこは全然別なんですよね。
そこでうまくいかないから諦めろということじゃなくて、
そこからどうしていけるのかというのが一つの価値だし、
僕は先にずっと言っていますけど、遺伝とかDNAみたいなものがあって、
いわゆる先天的に決まっているものがあったとしても、それは半分までにしましょう、最大に。
3割とか4割、でも後はご本人の環境とか努力というと分かりづらいかもしれませんが、
継続的にやれるような仕組みを見つけたり、こういうふうにしていったらいいんじゃないかというふうに、
折れないとかね、最近聞かなくなりましたが、グリッドというやり遂げる力って流行りましたけど、
そういうものだとか、レジリネスとかね、忍耐じゃないけど、粘りとかね、
もう全然先に聞かなくなりましたけど、定着したんですかね、分かりませんが、
そういう方は社会性なんで、いろんな人にどこに行ったり考えてやっていった結果なんで、
その本人とか、もしくはその周りの環境というのの構築能力、いわゆる後から好転的にできる、
自分の遺伝的なものとか先天的な才能みたいなものじゃなくて、
考えることの意味
後から学んでやられる方が5割以上、だからそっちの方が多いと思っているんです。
があるからそっちに期待したい必要があるっていうのが、ポジティブに言えばなるので、
何だろうな、面白いですよって、学ぶの面白いですよ、考えるの面白いですよってことを言って、
一つね、そういう現場じゃないですけど、感じたことをアウトプットしてみました。
リスナーのあなたにとって考えるとか、文章を書くでもいいし、伝えるとは何かでもいいし、
感想と思考の違い、もしくは感想とレポートの違いでもいいですね。
いくつもの論点、テーマはあると思いますが、少しでもヒントになれば幸いです。
だから、たまに前も言ったかもしれませんけど、このAIができる、アウトプットらしきものが出せる時代に必要なのって、
勉強とか学ぶっていうものを何でやるんだろうねっていう、心理的な部分ですね。
何で学ぶのかっていうところと、人間同士のコミュニケーションってことで伝わるかどうか。
AIだったら伝わるよねとか、AIだったら何でもいいよねみたいなのじゃダメですから、必要なんでね。
人に伝わりやすいようにしなきゃいけないですよね。
そういうところが教育とか指導する人にはより求められるし、そういう立場やそういう役割をやる人も、そこがポイントになってくるんでしょうね。
ということを改めて感じました。
そういう仕事もどんどん考えるっていう、全部活かすというよりも、考えるものを活かしながら、
教育や指導をするってこともタイミングやオリオン見つけてやっていきたいなと改めて感じました。
今回は以上となります。四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
46:03

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