AIと人間の思考
はい、こんばんは。シゴクリラジオの大橋です。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマとしては、AIで思考は衰えるのか、わからないんですけど、最近ちょっと見かけたネタ、軽めですが、今回、AIと思考、思考というのは人が考える、僕にとっては死活問題。死活問題というのは、本当に生きるか死ぬかをかけている。
考えたいわけですね。いろいろ考えていきましょう。というわけで、今回はそんなテーマで、興味あれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回テーマは、AIで思考は衰えるのか、です。結論的にはですね、衰えるのは人次第、AIの使い方次第かなと思います。
何回もこすってますけど、僕自身が記事ですね、ブログとか文章を書くときに、箇条書きだけで文章のアイディアを書いて、それをAIに書かせて、それっぽく仕上げると、アウトプットを仕上げていく。
3段落ぐらいでとか、1000文字でとか、誰向けでとか入れてもいいですけど、まあまあそれはどこまで書くかを置いておいて、やるじゃないですか。それを続けていくと、文章を考えないなって思いました。つまり、箇条書きだけ書く人になります。
これは僕の感覚ですよ。実はあなたが別にそうしろって言ってるわけでもないんですが、人によって変わると思いますけど、僕は書きたいので、自分で考えて書きたいので、箇条書きじゃなくて、だいたい僕が話しているネタっていうのは、メモ、一行とか、キーワードはないですよ、フレーズが多いですよね。
問いかけとかにしておいて、それをメモして、それから話してるんですけど、そんな感じで文章とかもやってます。なので、問いかけが浅いとか、関連するものが全然出てこないと、弱いというかね、文章としてはあんまり伝わらないというか、ボリュームが出ないし、伝えきれないような気がします。
だからそもそも問いかけが何か誤ってたらダメかもしれないですよね。あとメモとかもあります。で、その時にまさにその箇条書きを書いて、そこから文章を組み立てていく、もしくは自分の考えていることをああでもない、こうでもないというふうに伝えたり、伝えられなかったりするんですけど、相手を想定して表現してどうですかっていうことをやっていくわけですね。
話そうが文章を書こうが、結局コミュニケーションなんで、やり方は大きく変わっているわけじゃないと思います。何かアウトプットする作法とかルール、マナーがあるのかなというのがあるのかなと思います。
で、それが話戻すと結局箇条書き書いて終わりになるからつまらないよねってなったんですよね、僕はね。でも人によっては箇条書きでAIが書いてくれるならそれでいいじゃんっていう人がいると思うんですよ。どうです?実際のあなたはどうですか?正解とか不正解はないんで意見なんですが、そこでじゃあAIに箇条書きを書いたら書いてくれるならそれでいいじゃないですかっていう。
おかしなそれでいいじゃないですかっていう人もいると思うんですよ。まあまあまあまあありかもしれないです。例えばそういう方は文章が書きたくないとか書くのが苦手で出てこないからってことなんですけど、でもこれはもう薄々気づいている方が多いし、そのAIを使っていくってことで見えてきているのが、その文章は何なんですかっていう。
ある種の、端的に言えばですよ、ありていに言えばってことですが、気持ち悪いんじゃないかっていう。気持ち悪さないですか?ない。ある。どちらでもない。僕は気持ち悪いなと思っています。
これはね、前も言ったんですけど、人がAIに入れて、AIが出すと。だけど見る側も読む側も今度はリツラーのあなたってことですから、もしくは誰かが読むときにAIを通して、要はAIのものをあなたが読むわけですね。AI読んでも人が読むわけ。他人が読む。気持ち悪くないですか。つまりAIが書いたものを読ませられているわけですね。
その出力したのは誰かってときに、今の解釈だとAIに支持した人が書かせたってことだから、一応その責任問題みたいなところでいくと、例えばシステムとかだったらやらせた人が責任を取るというかね。責任っていうのはちょっとよくわかんないんだけど、が書いたものって風になりますよね。
でもAIに書かせて、それこそさっきの話で文章を書くのが苦手な人は、その書かせた文章が良い悪いはあんまりわからなくて、何か読んだときに別にそんなに悪くないんじゃないっていうことでやると。
伝わったかどうか。でもそれは自分がどこまでコントロールしたとか改ざんしたかっていうことが正直わからないわけですよね。特に文章が苦手な人っていうのは組み立てるのにも慣れてないから。
自分がAIが作ったものに、仮に100%だったら自分が自分で書いたら100%するじゃないですか。例えばね。AIに書かせたらそれが60%くらいだと。だから40%はAIだと思ってしますよね。
それを人に読んでもらった。もしくは人に伝えた。文章としてチャットでもいいしメールでもいいしね。伝えたりするじゃないですか。そうしたら相手の反応が来たときに、それは自分が考えたというよりもAIが考えてるからそれに対して何も言えないなっていうことが起きるんじゃないのかなっていう。
分かります?だからその推考ってやつですけど、推考っていうのはちょっと言い方が微妙ですけど、相手にとってどう伝わるかみたいなことを考える必要がある。または自分がそれを書いたことで相手にどう思われるかを考える必要がある。伝わってます?
そこに仮に60%分かれてなかったら半分だとして、半分がAIで自分は5割しか書いてなかったらすると、突っ込まれても自分は5割しか書いてないからそんなこと言われてもなって思うんじゃないんですかね。そんなことないですか。僕はそこは分かってないんですけど。つまり自分で100%書いてないから突っ込まれても自分じゃないものとして扱ってしまう。
もちろんですよ。良くないか分かりませんが、自分がやった仕事に対して、例えば僕が出したアイディアが良くないからアイディアが良くないだけであって、僕のことを攻撃することって良くないんだと思うんですよ。これ逆もありますよね。誰かがやった仕事があんまり良くなかったからその人を責めてもしょうがないわけですね。
その人の性格とか人格を攻撃しても良くなくて、その仕事が良くなかったらどうやってやっていったら改善できるかっていうふうに精算的にお話をしないと誰も聞いてくれないですよね。言い方の問題でもあるんですけど、その人を攻撃しても意味ないわけですね。伝え方が重要になるというか。分かります?
だからそれもAIって言いたい放題できるじゃないですか。それも危ないなっていうふうに僕は思ったりします。ちなみにそのAIを使うとか、AI否定的ではないんです。使ってもいいけどなんだろうねっていうような感覚があると。
そういうようなものを例えば文章をAIに書かせるってことでなんとなくフワフワしたものが伝わってたら幸いです。つまり自分で書かないとAIにそこを任せてるから書くってことが鍛えられないんじゃないかっていう仮説ですね。
もしかしたら聞いてる方もいらっしゃるかもしれませんが、そういったことを専門としたり詳しい方いらっしゃるかもしれませんが、割と第一人者というか結構偉いというか業界長い方が文章を書いててへーと思って読んでたんですけど、かなり分かりやすいわけですよ文章が。
その方の文章の中にボソッと書いてあったのが、AIを使うことで考えるとか思考が衰えてきたような感じがするって書いてあって、おっしゃるとおりじゃないかなと思ったんです。
つまり自分で書かないから、普段走ってないから走る感覚がわからないってことと一緒で、普段アイディア出してないとアイディアってどうやって出すんですかってなるし、普段人と話してないと話し方ってどうでしたっけとか、それこそ初対面の人とかどうやって話すんでしたっけとかね。
AIの利点とリスク
なりますマジで。分かります?この感じ。だからずっとやっとけってことでもなく、自分で考えるとか書くってことはやっぱり衰えるんですよ。やらないと。
AIを使ってもいいんですよ。使ってもいいんだけど、結局スマホの話じゃないですけど一緒で、スマホ便利じゃないですか。便利だから使えばいい。だけどスマホだけ使ってたらあかんじゃないですかみたいな話と一緒ですかね。
例えば辞書の話も最近したか忘れましたけど、紙の辞書いいなって思うんだけど、紙の辞書だけだと素早く引きたい時できなかったり、あと持ち運びがあるわけじゃないですか。辞書をいっぱいね、調べたい人で国語辞典、漢字辞典、英語辞典とかね、いろいろ持ってたら大変じゃないですか。
だから電子辞書でとかスマホでとかって持ち運んでって便利じゃないですか。いいじゃないですか。っていうことはいいけど、紙の辞書も使ってた方がいいんじゃないですかねっていう。わかります?紙の本もいいし、Kindleもいいし、デジタルのやつと読むのもいいしってことで、いろいろあればいいんじゃないのかなっていう感じを言ってます。
だからAIに書かせて効率化させるのはいいんですよ。だけどそれは普段書いててもうこれ以上は書けないなっていう時に、それこそ一部AIで書かせてっていうのはありなんだろうなと思います。でもそういうぐらいしか使えないかなと思います。
これ何を言ってるかっていうと、文章を書いている文章、小説家、作家というかライターの人とかね、取材する人は多分すごい恩恵を得てるんじゃないですか。多分ね。だけどそれって書かなくなることではないわけですよね。わかります?
例えば運転手と言われてる人がいて、自動運転になってた時に運転の仕方わからんでは困るわけですよね。何で自動運転って名ものない程度に自動運転を切ってやるみたいなのが確かあったはずなんです。運転って。そんな感じです。
だからその道のプロとかその道の何かいわゆる一般の人に比べてより仕事だったり専門家としてやっている人たちってことですね。はAIをそれを使うことはいいんじゃないかなと思います。だがしかしそれは訓練というよりもその普段やっている量がある程度あって、
ある程度質があって専門的である人がAIというものに任せてそれを調整してコントロールしていわゆる支配かと言った方がいいんですが、置いた上で使うならアリですっていうかなり限定されるような気がしました。
これは逆に言うと素人というか一般の人で苦手な人が使うことで一時的には確かに短期的には楽になるような感じがするんですけど、結局苦手なものをそのままにしていくんで難しいかなと思ったりしました。
ここでメガネと一緒でという話なんですけど、僕は視力が弱いのでメガネをかけているんですけど、このメガネと一緒で視力が弱いならあなたもいけませんという、裸眼でしかいけませんというのは社会通念的に今はないと思うんですけど、仮に会った時に困るわけですよね。
だからAIを使うなとは言わないし、文章が苦手な人が文章をAIに書かせることをするなとは絶対言わないんですが、それをすることで支障がないレベルでやっていったらいいんじゃないかなって話です。
僕の場合はメガネをかけることで生活に支障がなくなるんですが、仮にメガネでは見えないものがあるとか、AIを使っているとわからないものがあるとか、AIでは伝わらないものがあるとか、そういう領域になった時に困るというかわからなくなるという感じの話です。
ここ難しいんですよね。だからどういう状況でよくなくなるかが正直わからないです。今のところ言えるそうなのは、多分AIに頼ると考えずに箇条書きでAIにだけ書かせていると、僕は確実に衰えるんじゃないかなって思いました。書くことに関してね。
その思考も書いて考えていくので、衰えていくんじゃないかなと思ったりしました。それこそ英会話とかアプリで話して得意になるかを置いておいて、それによって心理的ハードルが下がり、人と話すとか喋ってみることができたりすることで器用になる。
AIの影響と人間の思考
初めて器用できるんですが、それで十分だよっていう風になるとまた話が違ってきませんか。つまりAIと話すことで、今回話して会話を練習することでそれでうまくなるっていうことはある種錯覚で、そこから人とか本当のAIじゃない人間と接するってことに持っていかないと、いわゆる多言葉かというかあんまり意味がないんじゃないかなと。
なんか伝わりますか?大丈夫ですか?だからAIって思考は衰えていくっていうのは僕は衰えるんじゃないかなと思います。AIだけを使っていたら。
だから本を読んだり記事を読んだり、人と接して思考とか考えとかそういうのを磨いていかないと良くないなと思いました。だから僕はそれは多分、これは僕の話ですよ。僕が嫌なんで、適度にAIって、なんていうんだろうな、AIだなって思いながら使ってますし、
昨日も別に使ってますし、毎日毎日使ってるんですけど、それは結局自分が考えるためのヒントとか材料とかそういうのであれば全然問題ないと思います。スマホもそうじゃないですか。自分のやりたいことを支援というかサポートしてくれるならありですよね。
でもそういうことなんじゃないかな、手段というのはそういう意味ですね。AIアジェントっていうのは、僕は最近GPTのアジェントを使って、ひどいもんだなと思いながら使ってたんですけど、良い部分もあるかもしれないが、総合評価は低いと。その上で評価が低い人が結構多くて、確かになって思ってたんですけど、なんなんだろうなっていうことなんですよね。
だから自分で、もちろん良いイメージでシンゲラリティだとか、AIが人間を超えるとか言ったり、自律的に動くとか言うんだけど、本当かなっていうのがすごく思ったりします。
今のところ僕の突き詰めているところでは、主観がないから感情を得るにはどうしたらいいかってことなんですけど、感情を持たせたら危ないんじゃないかと思いますし、感情を持たせることは可能かっていうところで、僕の解釈としては厳しいんじゃないかなっていう。
持たせたらそれは何なのかはちょっと見てみたいですけど、今のときちょっと気持ち悪いですよね。だからなんちゃらロボーとかっていうね、調理ロボーとかペットロボーとかで使ってる人を別に否定するわけでも全然なく、便利だからいいんじゃないって思うんですけど、主観はさすがに良いって思いますよね。
であるからこそそのAIと接しているっていう部分がなくならないかなと。感情っていうのを人間が持っていて、そしてAIが人間、ファーストペンギンとかね、飛び込みたくて飛び込んでないっていう話らしいんですけどね、あれね。
別にね、行こうぜって言って、そんな勇敢でもなく、いじめとは言わないけど、やらせられた、落とされたみたいな感じでしょうがなく行くっていう、死にたくねえよっていう。
そういうもんなんじゃないかなと思うんですけど、それを見て人間が勝手に勇敢だなって思ってるだけというふうに見ると、要はAIに対して、AIは何もないんだけど、ちょっと左行って右行ったら困ってるように見えるっていう。
それは困っているという感情だっていうふうに言えるわけです。人間はね。人間はですよ。でもそれを鳥というかわかんないですけど、この生物が見たときに困っているとは思わないんじゃない?ただ右と左見てるっていうだけなんじゃないかとかね。
少なくともAIがそのAIを見たときに何か右左って言いますねっていうだけ。で当然それを右左見るとかなんかキョロキョロするのを困ってるんだよっていうふうに学習させても、それをうまく社会的というか手がかりを見て状況を判断してやるのは非常に難しいというか。
右左っていうのは困ってるんじゃなくて、単に確認しただけなんだよっていうね。わかります?だからそれは人間が勝手に思い込んでるだけなんじゃないですかっていう話です。
そしてそういうふうに解釈できるからAIペットみたいなものっていうのね。アイボシカーリー、最近だとロボホムシカーリー、モフモフしたやつとか、モフリン?モフリンじゃないか。
こともわかりませんけど、いろいろニクシーのやつを出してますよね。だからそれをロボットか、ロボットはありますね。そうやって思うから成立してるのがあって、それは別に全然否定してないし別にいいんじゃないですかって僕は思うんですよ。
だけどそれは人間側がそう思ってるだけで、AIが何かを思うことは僕はないんじゃないかなと思ってますし、それをやってる人もそうやって使ってるんじゃないかなと思います。
AIの利用とその課題
それは難しくて、犬とか猫とかにもどこまでそれを求めるかによるかなと思ったりします。
ここで一つポイントは、そうやって感情があるよねって思った方が楽しいですよね。感情として見るとね。
例えば犬が可愛いだけじゃなくて、可愛い主が寝込んでたら持ってきてくれたっていう方が可愛いじゃないですか。感情があった方が。
でもそうじゃなくて単に遊んでほしいだけかもしれないですよね。
だからわかんなくて、そういう時にそれは自分の都合のいいように解釈した方がいいんじゃないですかって。
これはまさに都合がいいように解釈した方がいいってことですけど、確かにそれはそれで気持ち良さもあると思います。
あるんだけど、実際どうなんですかねって時になっていくと正直わかんない。
僕はやっぱりAI側には主観とか感情はなくて、人間側が感情を持って判断してるだけなんで、
それにおいて釣られてAIも感情を持っているように思う人もいるのかもしれないなっていう話ですね。
例えば最近GPTでは学習モードみたいなのがあって、これ使えるのかどうかわかんないなっていう教育関係の人から話を聞きたいですけど、
答えを言わなかったりするとか、答えを考えるようにするってことらしいんですけど、
別に学習モードを使わずにも賢いというか、学びたい人はそういうふうに答えは言うなって言って使ってると思うんで、
人次第だなって思うわけですよね。難しい。
AIが使えないっていう人が、それは人間が自分が使えないやり方をしてるだけなんだっていう主張もあると思うんで、
わからんでもないです。ただそれを言うと、AIが使えないっていうと、その人があんまり頭が賢くないみたいなふうになるってあると思ってて、
なんかちょっとめんどくさいなみたいなのもありますよね。
なんで、学習モードじゃない、ごめんなさい。あとAI、GPTエージェントとかですよね。
あと修正する、要は生成AI時代を修正して、要は相手を褒めすぎないとか、
それは自分でやってくださいじゃないけど、あんまり求めすぎないとか、いろいろある技術の調整ができると。
結局それ人間が作ってるじゃんってことで、あんまりAIをやってなんかやりたいっていう人に対してけなすわけじゃもちろんないんですけど、
夢を見すぎなくてもいいかなっていうのは思いますよね。
同時に最近僕は思うのが、人間が書いた文章を読みたかったりするし、人の癖が別にいいと思うんですよ、いい悪いあって。
僕も別に悪いところもいっぱいあるし、逆に言えば優々とかもいっぱいあるかもしれないけど、
どう見るかじゃないですか。わざわざ悪いところを見てあげだしとって、なんか言うのってどっかって思いません?
もちろんそれが気になるならコミュニケーションできなかったりしますし、そこはそれであると思うんですけど、
あえて言わなくてもいいじゃんみたいなのってあるわけですよね。
それ結局言いたくなるか言いたくならないかって、その人の生き方でご機嫌とか気分がいい人だったら、
そんなあんまり言わないですよね、ネガティブなことね。
っていうふうに思うんで、いい生き方しろよみたいな謎の終わりになるんですよ。
結論的には今回AIで思考は多分衰えます。AIに頼ると。
AIに頼って思考が衰えないっていう人の条件を言うと、それ以上に思考してたり書いたり話したり、
いろんなことやってる人は多分別にAIを使ってもそれはごく一部だから全然影響はないかと思います。
むしろその一部使うことで、今回人に話してられなかったようなことをAIで対話して見つかるってことができる人なんで、
それは逆でAIによって思考がはかどるんじゃないかってプラスですよね。掛け算とかプラスまであります。
一方でそんなに思考してなかったり考えてない人がAIを使うと、それにひも付いてしまってあんまり考えなくて、
変な話ですよ。スマホじゃなくてもインターネット検索と一緒だと僕は思うんですけど、そこに調べればわかるよって。
調べたら出てくるから。でも調べたらわかるって言うけど、調べてきたものが適切かどうかとか、正しい正しくないって何で見るんですか。
フェイクニュース、AIのものがいっぱい今出てて、詐欺みたいな芸能人の人がフェイク動画みたいなのをあげてるんですけど、
気持ち悪くてしょうがなくて、何やってんだと思いますね、Google。見抜けないんじゃないですか、広告主が。
もしくは見抜く前に何か投了に何かやってる。ひどいもんですよ。
これはメタフェイスブックとかも叩かれたと思うんですけど、改善してないんじゃないですか。
今度はYouTubeとか様々なメディア、プラットフォームを波及してるような気がしますけど、どうなんでしょうね。
なんでそういうところでAIでもそうですけど、ネットでもそうですけど、それこそ出てくると思うんですよ。
AIが言ったから正しいとかね。AIが言ってますっていう。
AIが言ってみたらそれでっていうツッコミはちゃんとしてあげて。
例えば僕がそうやって言ってましたって言っても、それでってなりません?誰ですかっていう。
そこで信頼できたり、大笠さんが言うならいいですよねっていう。もしあるならそれは信頼じゃないですか。
それは嬉しいんですけど、間違ってることいっぱいありますから。
全部言ってることは正しいでもなく、ただ意見を言ってるんで。
違いますよと。AIを使って自分は思考が促進されてるし、そういう人がいっぱいいる方は全然パチパチパチだと思います。
逆で使ってたら考えてないんじゃないとかね。
そういう風になっていったらそれは良くないですよね。
それもチェックというかライフハックじゃないですけど、
例えば本を読む量が減ったとか、長文読めなくなっているとかはちょっと良くないなと思います。
僕はむしろ逆で長文とかでもどんどん読みたいし、それこそ人の癖とかその人がどうっていう
属性とかあんまりどうでもよくて、どういう風に思考、そこそこ思考ロジックとか価値観っていうね。
前回話しましたけど、気になるんですよね。
そういうのが面白いんで、だからそういうのを面白いと思えるってことは多分人が好きなんですよねっていう風に
もしかしたらお聞きのリスナーのあなたがカテゴライズいただいているかは分かりませんが、
別に人を分類していって、MBTIとか診断とかありますよね。
別に好きでもなくて、何なんですかねって。
逆で血液型診断とかで分類することでバイアスかけて、何が面白いんですかねっていう方向に思う方が多いです。
それを、そうじゃなくて、それを用いることでよりコミュニケーションしやすいよね。
適切なものをやっていきたいよねっていうのはありだと思います。
でもそれってかなりメタ認知ができる人じゃないと、そうやって使えないから、あんまり効かないんじゃないかなって思ったりしますね。
むしろそれだったら、そんなパターンでどうするんだったら、人によってパターンで分けていったんだったら、
相手が何を考えているかを都度と考えて、そこでじゃあこういう風にしたらどうかなっていう風に
対話していく方が僕は使えるんじゃないか、抽象化できて持ち運びできる概念じゃないかなと思ったりしてますね。
AIも結局使うことがなければ、使わなくてもいいですし、無理に使うこともないですけど、何なんだろうねっていう。
僕としては仕事クリエイターっていうところでやっている限り、何か面白いものとか新しいサービスがあったらそれ何なんですか、
AIの影響と考察
それ使ってどうなるんですかっていうことを追求するというか試してみたくなるわけですよね。
その上で話をしていたりします。
現時点の仮説は多分AIを使うと、すなわちバカになるとかね、頭悪くなるとかそれはないですよ。
ないんですが、AIだけ使って、それこそ他の自分が今までやってきたような行動を減らすことで、それは影響はあるんじゃないですか。
本を読まないとかニュースを読まなくなるとか、調べるときも、それこそ検索してた方がキーワードで頭動いてたんじゃないかとかね。
文章で入れて雑な文章でも通ってしまったら、AIに伝える力が失われるとか、それは同時に人に伝える力も失われる。
もしくはそれに慣れると人間側が全然いいものを出してこないから、AIが優れていると思ってしまう。
でもそれは分かるんですよ。だけどAIが優れているというのは解釈が難しくて、結局それでAIが動いてくれるわけじゃなくて、人が動いてくれるわけだから、
結局最終的には人、AI、人で人とのコミュニケーションになる。人にいる社会に生きているから、AIだけでは関係していないんですよね。
ということの原理原則があると思っているので、なかったらAIだけで終わりになるんですけど、そういうのもあるので、なかなかAIで仕事が消えるとか全部消えるとかはなかなかないんでしょうね。
でも起きてるし、水面下で起きてて気づいてないだけかもしれないですね。どうなるかは今後また考えていければいいかなと思います。
ぜひAIを使ってみて、別にAIに指示したら考えなくなるとかそんな怖いものではないです。
ただ、それに慣れてしまって、自分が今まで考えていたようなこととか、自分が今までやってたなということがなくなったり代替されたりした時に変わると思いません?
変化があるということですね。自分の変化に何かがある。自分が何か変わったよねということに気づいて、もしくはそれを聞いてみることができれば、それって何なんだろうねって考えることですよね。
何も考えないと、AIを使っていて楽だよねって言ってやってたら、ある日突然、それ考えてないからもうちょっと考えてって言われて、考え方がわからないんですね。
これは何度か言ってるんですけど、考え方がわからない。あと、やりたいことがわからない。やりたいこともAIに聞いちゃう。
でもAIのやりたいことって別に主観でもなんでもないから、それこそあなたが、人間が言わなきゃ始まらないけど、その最初の始まりがわからない。
それって結構末期じゃないですか。ディストピアってやつですね。地獄とは言いませんが、絶望の世界ですが、全く笑えないっていう、それがね、なるかもしれません。
何ですか?やりたいこととか、やりたくないこととか、やってみたいことは何ですか?って言った時に、それを伝えられます?教えられます?めちゃくちゃ難しくないですか。
で、なるから仕事をクリエイトも仕事作りもそうですけど、本当に両手を上に上げている。どうぞってことなんですけど、
ご自身がやりたいことをやってみて、好きだとか好みだとか、心が動いたなっていう、本当に感情ですよね。
AIには僕がないと思っている感情を大事にしていただいて、そこからそれを全部出せってことじゃなくて、そこから何かやってみてはどうでしょうかっていう話になっていくんですよね。
この話は分かっている方にはすごく普通のように思うんですけど、そうでもないのかな?みたいなことを思ったりします。
そうでもないのかな?分かんないです。
結局このテーマは次なりです。AIと思考。思考っていうのは僕にとっては放棄して、もう考えないとかはないので、ずっとあるものなんですよね。
じゃあそこにAIが入ってきた時に、思考っぽいことしてるけど何ですか?っていうところが現状のところでした。
ちょっとくどいですけど、AIを全然否定してるわけでもないし、AIが人間のように振られるわけないとか、そういう感じでもないんですけど、
AIはAIなりの何かがあるだけであって、人を全部代替することは多分ないかなって。
頑張っても最近言ってますけど、5割もいかないですかね。3割、2割ぐらいかな。
そうですね。そんな感じです。だけどAIの2割、3割が人間の8割ぐらいだったら変わっちゃいますよね。社会への影響が強すぎるからってことですね。
うまく使えばいいとは思いますが、結局使われてしまったら良くないですよね。
っていうような着地になるかなと思います。
なんかちょっとモサッとしましたけど、AIと考えるってことについて考えるヒントになれば幸いです。
今回は以上となります。諸国理ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
というわけで、以上失礼いたします。