1. シゴクリラジオ!
  2. 思考は効率化するものではなさ..
2025-12-19 1:02:14

思考は効率化するものではなさそう

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https://www.businessinsider.jp/article/2512-ai-making-workers-feel-smarter-but-worse-at-their-jobs/
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サマリー

このエピソードでは、AIの効率化と人間の思考の非効率性について考察しています。特に、プログラミングの学習や実務におけるAIの影響について、初心者と経験者の違いに焦点を当てています。また、AIの利用が思考の効率化にどう影響するかについても考察し、文章を書く過程がどれほど非効率的であるか、そしてAIによる効率化が思考の質にどのように影響するのかが議論されています。さらに、AIの思考効率化の可能性について考え、書く行為が思考そのものであり、思考には一定の非効率が伴うことに触れています。また、違和感発想に基づくアイディアの生成やその効率化の限界にも言及しています。このエピソードでは、効率化と非効率化の思考プロセスについて考察し、AIの利用による教育や学びの効率化の限界、思考の非効率性が重要である理由に焦点を当てています。最後に、思考は効率化できないという観点から、試行やアイデア発想の重要性や効率と非効率のバランス、日常の観察の必要性について語られています。

AIと人間の思考の違い
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマはAIネタということで、新しいAIとかじゃなくて、ある記事でAIに言及をしていました。
これはビジネスインサイダージャパン、全部見えてないんですけど、タイトルだけでも十分に学びになるというかがありまして、それも文中にあったので見てたんですけど、
要は人間の思考は、プロセスは非効率なんだけど、非常に健全だと。逆に言えばAIは、思考プロセスは効率的なんだけど、不健全とは言わないけど、よろしくないと。
主観というか部分もあると思いますけど、これはリスナーの方もぜひ考えていただければ、特にAIを使っている人が特にですけど、考えていただけると面白いんじゃないかなと思いまして、今回ちょっと考えていきたいと思います。
話としては、AI自体にどう向き合っていくというか。AIに向き合うというよりも、人に向き合う感じですね。自分に向き合うとか、人間社会に向き合うとか、そういうストイックではないんだけど、そんな話をしていければいいかなと思います。
今回フォロワーの方、ひとたまさんですから、紹介ということで、ひとたまさんフォローありがとうございます。このポッドキャストが面白いかどうかわかりませんが、なるべく初めての方向けにも、この概念とか考え方は当たり前だよねっていうふうにはなるべくせずに、
初めての方が聞いても、何だろうな、都度都度再確認を込めて、もしくは僕の言っていることがずれていることもありますから、もしくはアップデートするということもあります。例えばですね、仕事クリポイント的にとか何かいうことを言いますが、仕事クリポイントというのはですね、仕事クリエイター、仕事クリと言ってますが、
ビジネスしたり、自分で商売する、ここでお金だけじゃなくて、自分で何か新しいプロジェクト取り組みをしていく、活動していく、非営利ビジネス、NPOでも全然問題ないというか、何でもいいんですけどね。そういうところで何かやるときに結局ですね、両者、要はビジネス的な資本主義まみれと言ったら怒られますが、逆で社会主義じゃないんだけど、福祉というか公平というか公平というかね、
まあ行政じゃないんだけど、社会のために何かやりたいみたいなところって、ちょっと反対というかね、反することがよくあるわけです。別に反対でもないと思うんですけどね。だけどお金っていうところだけ見ちゃうとそうなると。
そういうときに、僕としては両者に共通するものがいっぱいあるし、どちらかに偏ることが適応というかね、いわゆる中央思想ということですけど、バランスをとって何かいい点というか、お互い学べるし面白いんじゃないかっていうのが一応根本思想なんですよね。
仕事クリーポイントというのは、別にビジネスだろうがビジネスじゃなかろうが関係なく、よく言っているのが、自分が価値を認識していない、自分が得意とか思っていない、むしろ苦手ぐらいで思っているというものが他人から評価されて、それがいいんだと。
つまり自分、自己認識じゃない得意とかね、やっていることを評価いただくときって、それってやっぱり生かした方がいいっていう話ですね。もちろん僕であればプログラミング得意ではないんですが、でもプログラミングしてたんですよね。仕事でね。
というときにそれを生かすということもできるし、バランスですよね。やりたいのと求められてやるのと、自分がやっていきたいんだけど苦手なのみたいな。これもね、2つ並べるとどっちにしたらいいってなるんですけど、どっちも正解というかね。
ぶっちゃけどっちでもいいというか。要は苦手で自分がやりたい方をやるのだと、すごい最初はそのなんか燃費悪いなと思うんだけど、でも面白いですよね。その一個一個が成長に繋がるような感じがしますよね。やりたいからね。苦手っていうかうまくいかないかもしれないけどね。得意だけどそこまでやりたくないんだと飽きちゃいますよね。
だからそこのところはないまぜというかごちゃまぜにしてもしなくてもいいんですけど、バランスをとっていくということが言えそうです。
はい、すみません。そういうふうにですね。至極理ポイントみたいなところに行った時も、なるべくですね。全部は無理なんですが、なるべくその解説と言いますか、こういうことを言いたいんですよってことは説明しつつ、だからだんだん長くなるんですが、まあまあいいでしょう。というわけでフォローいただいた方、最近聞いたよとかフォローしてないけど聞いているよっていう方ももしかしたらいるかもしれませんが、はい。
ちょっと把握できないですけどね。はい、よろしくお願いしますと。はい、改めてよろしくお願いしますというわけで、引き続き聞いてみてください。今回のテーマというわけで、もう一回言いますと、AIと人間の思考の違い、特に思考の効率化ですよね。
プログラミングとAIの利用
効率化っていうのは、要は人間の思考っていうのは、僕の僕の考えもそうですが、効率的とかという評価とか指標じゃないんですよね。はい、その点について少し一緒に考えていければいいかなと思います。引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、四国理ラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。記事ですね、リンク貼っておくんでよかったら見てみてください。そうですね、この記事はですね、僕も全部見てるわけじゃないんで、さらっというところで、要はAIを労働者といいますか、一般の働いてる人が使ったときに、いろいろリスクがあるんじゃないか。
要はAIを使うことで生産性が上がったっていうふうに喜んでる人ももちろんいるし、それを別に無邪気に喜ぶ人を否定して、そんな意味がないとか、そういう冷水浴びせたいわけじゃなくて。
ここで僕が読み取った解釈というところではまず、やっぱりですね、いわゆるエントリーレベルといいますか、エントリーレベルは別にレベルが低いってことじゃなくて、経験値が浅いとか、初心者といいますか、例えば新卒で社会に出て会社で働いてますとか、別に会社じゃなくてもいいんですけど、
その時に、例えばプログラミングをしていると、プログラマーも何万人なんだ、200万人くらいなんですか、前調べると130万人とかだから、意外に多くないと思ったんですが、もちろんそうなんですよね。
ITシステムだけで動いていなくて、ITシステムを使う人の方が多いわけですよね。ITシステムを作る人のようにね。
そのプログラミングというのは、知らない方には簡単にざっくりになるんですが、そのプログラミング言語というのを学んでいる人がありますし、そのプログラミング言語、PythonとかRubyとかJavaScript JS、今だとNode.jsとかJSでもいろいろあるわけなんですが、さまざまなプログラミング言語というものがあります。
自然言語というのが、いわゆる我々が話しているような日本語ネイティブの人が多いかもしれませんが、日本語とか英語とか中国語とかスペイン語とか、いろいろありますが、そんな風に言語があるんですよね。
その言語自体の互換性というのはあったりなかったりで、基本的な支持の仕方というのはAIよろしく、要は一緒の部分、共通の部分もあるわけですね。
例えば、もしボタンが押されたらこういう動きをしますと。ボタンを押すんだけどチェックボックスにチェックが入っていたら実行する。もしくは入っていなかったら実行しないとかね。
そんなシンプルなものがあるとしたときに、その記述自体はそんなに変わらないです。ただ内部構造とかフレームワークみたいな記述の仕方というか統一のルールみたいな、それも効率化するルールで、それこそ人によってあまりムラが出ないような仕掛けというか仕組みがあったりします。
そういうプログラミングを書くことをコーディングとかね、コードを書くというような表現をしたりします。当然、大学だとか学校とかもしくは自分で勉強をしている人がプログラミングを全く知らない人がやるというケースはあまりないかもしれませんが、
未経験でもどこかのスクールとか本とか、今だと学ぶ機会があるので動画とかね、YouTubeでもいい。そういうのを学んで入っていくわけじゃないですか。でも実際にお客さんに仕事としてシステムを提供する、もしくはプログラミングするということはやったことがない人がほとんどだと思うんですよね。
まれにそういうことをやった人がいると思いますけど、そういう多くの人にとって未経験なわけですよ。プログラミングを勉強しててもね。ときに会社に入ったとして、リツラーのあなたが新卒で会社員になってプログラマーですというふうになったときに、今はソフトウェアエンジニアとかITエンジニアとかということもありますが、一緒ですプログラミングとしてはね。
ときに、AIを使うわけですよ。使ってしまうというか。もしくは会社からそういう推奨されているかもしれないし、推奨されていないかもしれないけど、使うじゃないですか。
ときに、じゃあこういうシステムを作りたいですって言ったら、もうAIがコーディングしてくれるんですよ。AIがコーディングしてくれるというのは、クロードとかが先ほど言っているのがわかりませんが、クロードコードとか、Chad GPTもコードXでしたっけ、何かあったり、コーパイロットっていうような、あ、ごめんなさい、コーパイロットはGitHubか。
GitHubというのはそういうエンジニアが使うサービスというか、ものがありまして、そういうのがあったりして、そういうのがどんどん連携してくるわけですね。AIを使わざるを得ない、もしくはAIを使うのが前提みたいになりつつある、特にIT業界はあったと思います。
だから、いわゆる生成AIでChad GPTでリサーチするとか、企画書作るとか、アイデア出すとか、文章作るとか、そういうこともやっているかもしれませんが、ITエンジニアにとってのメインの仕事って、コードを書くとか、コードを直すとか、コードを修正するとか、コードをメンテナンスするとか、プログラミングをする、もしくはシステム全体を設計する方もいっぱいありますが、そういうふうにAIを使うわけですね。
経験値とAIの影響
ここで想像していただきたいのが、プログラミングをするときにAIを使います。でも、さっき言ったとおりに経験という意味ではあまりないです。お客さんにシステムを触ったり、作ったりすることはない。
なので、こういうことはやってはいけないんだ、もしくはこういうことをやっていったほうがいいんだというのは、AIにコードを書いてもらうと、なかなかそれがわからないわけです。実際に勉強というか学びという意味では、あまり機械に学びになりづらい。
もちろんこれは矛盾という意味では、だけどAIを使って書いていくということが普通になっていくことも普通にあるわけです。この記事でも言ってるんだけど、
ペテランというか、今すでに何年もやってきた、3年とか5年くらいやっている人にとっては、同じことをコードで書くんだったら、AIに作らせてしまったり、もしくはAIに作らせたものを見る方というのが大事な仕事にできるわけです。
なぜなら、それが動くか動かないかの判断が自分の中にあるからです。知識と経験であるからです。エントリーレベル、新卒とか社会人が出ているとか、その教科に未経験という人がこれからやっていくときには、それがないわけです。
このあたりは何度もどこかで言われたりするかもしれませんが、改めてそういう状況があると。そういうときにAIを使う、だから要はベテラン勢とニュービーというか新入りとか新人みたいな人たちが使うと、AIを使うと、AIは使ってるんだけど、それを例えば出てきたものを判断できないじゃないですか。
そういう問題が起きて、できないがゆえにベテラン勢が今までやってきた、要はAIがなかった時代にコツコツやってきたような模写するとか、サンプルを作ってみるとかいじってみるとか、自分でアプリを作ってみるとか、そういうことをやっているかもしれませんが、それもAIに任せてしまうと、そもそもコードを書くという感覚がわからなかったり、
AIが出してくるものがどれぐらいコースがかかっているとか、それを例えばチェックしてどうするとか、そもそも何が悪いかというのはわかりづらいので、もっと勉強や学びが必要なんです。
最初の経験が、基礎みたいなものが失われる、もしくは体験できないことによってが良くないんじゃないかということは言われているわけです。それはプログラミングの話じゃなくて、どんなものでも一緒ということですね。
ちょっとその話が長くなりましたけど、そういうところがあるので、どうするのということなんです。冒頭で今回話していたように、人の思考が非効率というプロセスの話がめちゃくちゃいいなと思いまして、それを言語化されたということで、僕はすごく価値があるなと思いました。
つまり、AIを使えばそのITのコーディングに関しては効率が上がる。例えば文章を作成するときに、僕もこのラジオやポドキャストでも話はしましたけど、過剰書きを10個ぐらい入れて、これを文章を3段落にして、例えばノートで記事を書くから、よしなり仕上げてといえば書いてくれるんですよ。
ここで明確に僕が感じたことを、主観ベースですよね。ほとんど主観ですけどね。述べるとすると、楽なんですよ。つまり過剰書きを10個書きます。1個、2個だとするとAIが勝手に生成してくる部分もあるんですけど、その10個の中をポイントを押さえて、いい感じにまとめてくれたらいいよと。
それを書いて生成してくれるから、それを見るだけと。あとはノートに整形して貼り付ければ、ノートの記事にはなるわけです。
つまり、僕が1分100文字だったかな、例えば1000文字ぐらいの記事を10分で書きますと。見直したとしても15分ぐらいで書くというものの記事を、過剰書きの時間と生成する1分100文字はなく、それを見直す時間という風に当てられるので、
実質半分とか10分の1はないんだけど、6割とか7割ぐらいに全然減らせるわけですよ。書くからね。ここで問題なのは、単発でそれで1回こっきりで終わりましたって言ったら、そういうこともあるかなと思います。
要はAI使ってやればいいと。ここが主観なんですが、それが面白いかどうかなんですよね。つまり、主観でメモした過剰書き、自分が築いたメモ、書いてほしいメモを過剰書きで10個書いた、自分はやるので変わらないわけですね。
もしくは、自分で書く時も過剰書きがあるかないかに限らず、どういうテーマで書くかとか、そういう構成は無意識にやっているのである。だけど、タイピングする時間はガッと下げられるわけですね。最後にチェックするというのはあまり変わらない。
自分が書いたものを見直すのと、AIが書いたものを見直すのはあまり変わらない。実際はちょっと違うんですけど、自分が書いたものじゃないからね。AIに書かせたものだから。それを繰り返していくわけですよ。2回、3回。一定程度繰り返したんですけど、ノートではやってないですね。別のブログでやってたんですけど、それやると面白くないですよ。
何が面白くないかというのは、前に少し話したんですけど、簡単に言えば自分が書いている漢字にならないですね。文章を自分が喋っていないっていうんですか、もっと言えば。AIに原稿を読ませて、それで僕が喋っているようにするみたいな。そうすると何が失われるかというと、書いている漢字がしないし、実際に書いていないからですよね。当たり前ですよね。
AIに書かせているということは、自分は書いていないですよね。それは明確にしたいです。もちろんAIに書かせることがダメだとか言ってないですよ。書かせてもいいと思います。僕も使ってましたけど、それをばっかりやって、それだけになると、今度、自分で書くということを忘れるんですね。もしくはわからなくなる。
これをさらに発展させれば、人間がタイピングして何か書くってこと自体が古いよね、みたいなのもわかるんですよ。でも、待て待てと。ここでさっき出てきた効率化っていうのがあるんですね。
確かに1本書くのに、5分から10分になりました。5割6割ぐらい減った。15分書いたものが5分になった。それだけではちょっとインパクトないかもしれないけど、8時間もしライターの人が書き続けているとしたら、それが4時間になるからすごいインパクトになるわけです。
文章作成のプロセス
めちゃくちゃすごくないですか。それだけでも。でも、失われるものがあるんですね。つまりAIによって効率化できましたと。AIはそれを効率化できるわけです。多分。
効率って言ってるのは、なぜ多分って言ってるのかというと、それによって人間の思考というものが失われる。つまり、どういうことかというと、文章を書くときって書くじゃないですか。表現がいいかなでもいいし、これ何か書いたけど、こういう伝え方じゃダメだなみたいな。
例えば、僕がラジオでも話してますけど、こういう人がいて、その人のセリフみたいな。これは違うよとか、会話調にするとか、全体じゃなくて、文章の中でこういうセリフがあってとか、もしくは平列の仕方なりなりとなりなりとなりなりみたいなものをもうちょっと一個ずつにして、箇条書きに開くというか、
分かりやすくした方がいいよなとか、ここはタイトルにしておいた方がいいよなとか、ここは太字にした方がいいよなとか、見やすさはもうそうだけど、そのリズムなんですよね。つまり、しゃべるっていうことでいくと、すいませんね、僕はわりと早口になってしまうんですけど、
その展開するスピード、もしくは止まる、ここで一旦止まる、叩頭点ってやつですね、点とか円回るってやつですけど、止める。もしくは開業して、ちょっと満を置いて、暖楽で、これは違う話ですよってことを示す。
そういうメッセージがあるわけですよ、テキストというか文章には。その時にまさに、熱がこもるとやっぱりそのキーワードに対して説明したいし、それがどんどん長くなってくるんですよ。
それが一行を、一文40文字とかっていうふうに、もし思われている人がいるかもしれません。そういうメールのネジケットみたいなのがあったら、40文字ぐらいがいいと思うんですよね。
それが100文字とか200文字になると、悪文というか、「で、何が言いたいの?」みたいになっちゃうわけですよ。なんでかというと、言葉が何にかかっていくかがわからないんですね。
何に優勝したんですかというのが、前回の大会なのか、今回の大会なのか、それをしかも目指しているのかとか、それにどの言葉がかかっているかがわからなくなるんですよね。聞いてないんで。そういうことが容易というか、置きまくってわからなくなる。
文章もそうですし、しゃべりもそうですけど、言いたいことが伝わっていなかったら、半分意味ないじゃないですか。いや、半分というかだいぶ意味ないですよね。誤解されて、自分が伝えたいことじゃない方に行くのもまた問題じゃないですか。そういうのもあるんですが、あるので、そういう短く切るというのがポイントではありますよね。
短く切るのはわかっているんだけど、ついつい熱がこもって長くなるとか、文章が長くなるとか、同じことをキーワードということで繰り返すということはあるわけですよ。で、伝わります。というのがAIには難しいというか、AIがそれができたら、逆で感情を持っていることになるわけですよ。
私が言いたいのは、この部分だからもっと繰り返して言うと。たぶん、感がいい人は、じゃあそうやって人間っぽくAIに書かせればいいじゃん。もしくは自分の風に書かせればいいじゃんというのはありなんですよ。AI○○みたいな感じでやるの。
いいんですけど、それやると少なくともその時点ではOKなんですよね。アパレル業界だとAIモデルみたいなやつとか、モデルに着させてみたいなところで、本当にそういうビジネスがあるアバターですけどね。それはまあまあ悪くないのかもしれないですね。それぐらいだったら。
それぐらいなんじゃないかなって思ってまして、限界が。限界というか、それ以上やると今度、人間が考えることに対しての侵略というと、ちょっと大げさですけど、非効率なんですよね。さっき言ってたように。つまり、今話を聞いていただいただけでわかるんですけど、文章を書く。それがある種の思考ですと考えて。
まさに文章を書くことで、書くことに関してそんなにあまり詳しくないというか知らない方はちょっとわからないかもしれないですけど、僕が明確に主観で何かを書くとき、書いてます。1分100文字書くときに、その中で脳の頭の中に何かいろいろ動いて、こういうふうに表現してこうやって書いていこうというのがぐるぐるぐるぐる動くわけです。
しゃべっても一緒ですね。その時にまさに考えたり施行するということで、リニアと言いますが直線的に右肩上がりにガッと、直線で上がるんじゃなくてガッとね、行ったり来たりしてね。右行ったり左行ったり上行ったりであっちかなこっちかなみたいなことがあって、こっちかなあっちかなってやってやっと迷路の探索じゃないけど出口が見つかるというか、出口が見つかるというかそっちかなみたいな感じなんです。
思考の本質
つまり迷路探索というものを置き換えてもらったら、ぐちゃぐちゃに行ったり来たりして跡が残るわけです。というのが施行で非効率だと思いません。それがないのが直線でルートが全部わかってて、こうですと言って一瞬でゴールにとどり着くというのがAI。
ここで考えていただきたいのが、施行というものはそもそも非効率なんです。だけどそんなことは考えもしなかったと。AIがある前はね。だけどこの記事で僕も記事なんですけど、AIが入ることでプログラミングという作業とストライルならばそれが効率化される。
同様に僕が、やや乱暴ではありますが文章というものを書くということが施行だと前提とした上でそれをやると。そうすると簡単に書く時間は短くなります。これを無邪気にですよね。それを批判するわけじゃないですよ。無邪気にやったところでそれは確かに短くなりましたね。作業はね。効率化されましたよね。
前からずっと言っているのが、打ち合う時間は何をするの?という話なのと、あとその効率化したところでその施行自体、非効率な作業、施行が失われているわけです。
非効率なものを失われるのは素朴な疑問でということで、多分こういう方もいらっしゃると思います。おかしな施行が非効率じゃなくなり効率化されるから、いいんじゃないですか?効率っていいことなんじゃないですか?という人がいると思うんですよ。
効率化というのは確かに何か目的があって、玉ねぎが100個植えなきゃいけなくて、一個一個やっていったら大変だからトラクター植える機みたいなのがありますよね。植えるマシンがあって、それで玉ねぎをバンバンやっていったら、玉ねぎをバンバン植えてきますよね。取るのでもいいですけどね。そういうのができますよね。それが効率化じゃないですか。
で、ある作業においてやるっていうのはいいんですよ。そんなことしてなかったら一生玉ねぎを手で取らなきゃいけないとか、あとそれこそ安倍工房さんですか、箱男とかのタイプライター、ワープロが出たときの逸話というか本当なんでしょうけど、それをワープロで書いた方らしいんですよね。
ワープロというのはご存じない方がいらっしゃるかもしれませんけど、ワードプロセッサーといって、僕もワープロを使ってたことがありますけど、タイプライターに行っちゃおうかな。画面というのはあまりないんで、要は文章をキーボードみたいなのがあって、そこにプリンターみたいになっていて、紙をセットして打つとそのタイプができると。
ミスったらまた一回やらない大変ではありますけど、そういうので書いたら魂がこもってないと言われたらしいですよね。
今キーボードを打って、もしくはこのラジオをデジタルで撮っているわけですよ。スタウンドFMというものを撮っていますけど、それを撮ったから、大笠さんの伝えたいことは魂がこもってないと言われたら侵害ですし、なんやねんと言われます。
これを確かにわざとボイスチェンジャーみたいに変えて変な風にしたらちょっとおかしくなるかもしれないけど、同じものを手書きにしましたとか、そうすると魂がこもりましたってなるかというと、ちょっとおかしいじゃないですか。
本質じゃないよねって話なんですね。つまりAIが思考をするっていうのはテクニカルなので置いておくんですけど、僕は思考してないと思ってますけど、AIが人間の思考を効率化するってことはないんじゃないかなと思ってます。
考えをまとめるって意味での効率化はもちろんあるんだけど、考えをまとめるって多分最終段階のような気がするし、もしくはその考えをまとめるところに人間が思考するまさにその非効率というか、ああでもないこうでもないっていうのを探索模索した上で出てくるのが思考の醍醐味であるし面白さだと思うんですね。
だから話を戻していくと、書くっていう行為を僕は思考することだと思ってるんだけど、それを1分100時でバババッタイミングしているものだっていう単に効率化すべきもので短くしていった方がいいよねみたいな風にすると、僕の脳内での思考時間がなくなる、もしくは激減する。
さっき戻ってきましたけど、だから面白くないんですね。思考というのは、そんなことがあるんだとか発見したり、それは違うよねっていう批判したり、ツッコミを入れたり問いかけたり連想したり、それがまさに思考なんです。
これを効率化してやるっていう考え方が怒られないでしょう。愚かと、愚の骨頂だと、そこまで言ってしまっていいでしょうじゃないかなと思いました。もちろんですよ。これにおいて、じゃあ考えるのは私は好きじゃありませんし、それでも難しいから任せしたいですという人にとっては何を言ってるかわからないし伝わらないとはもちろん思うんですよね。
発想法と違和感
だから、ライターの人とか書く人とか文章作る人とか、画像でも何でもいいんだけど、全ての人はAIを使ってはいけないとは全く思わないです。適宜、うまく使った方がいいです。だけど、僕がやった感覚でさえ過剰書きを書いて書かせるということが、確かに作業は効率化されるんですね。
だけど、自分の思考というのは効率化できないんですよ。非効率なんですよ。何かわかります?言ってくること。つまり、1分100時でというのは僕のたまたま目安なんだけど、それをさらに高めるとか、早く打つとかっていうのはあんまり意味がなくて、やってもいいんですよ。
やってもいいんだけど、あんまり意味がなくなってきて、結局自分のその思考スピードとか、思考して何か思いついたりみたいなところの、その連想するとかっていうのは効率ではないんですよね。だから効率じゃない手法というのは、あんまりいい指標をここで言うことはできないんですけど、ちょっと考えていただくからいいかなと思いますね。
もっと言えば、僕が言えることは発想法というのは、アイディアの思考法だということを言ってます。つまり、違和感発想というものを僕が一応提唱してるんですけど、違和感を基にして、日常の違和感を基にして、それをアイディアの切り口にして自分で考えてみませんかっていうのを言ってるんですよね。
これ、いろんな人にやってもらってるし、僕もやってるんですけど、まさに思考なんですよね。つまり、自分の感情をどうだったかっていうのを見直したり、それを言葉として表現したり伝えたり、自分でも分かるようにですね。
分からないものが出てきたり、テーマをついて考えると、そこまで自分のテンションが上がらないというのも思考の一つだと思いますし、これは面白いなって思ったらどんどん考えていけばいいと。そういうものがあるわけですね。その違和感発想がある。
その発想、違和感発想どうでもいいんで発想法というのがアイディアの思考法だとしたときに、このやり方を効率的にやるアイディアの思考っていうのを効率化する方法って僕はないと思うんですよね。これはかなり一線行ってるというか、多分そうなんじゃないかなと思ってます。
効率ってことができないのは、アイディア自体もそうなんですけど、例えば何を言いたいかというと、例えば何か解決しなきゃいけない、工夫しなきゃいけないっていうのがあったときに、じゃあわかりました、考えてみますって言って、じゃあ1ヶ月考えたりしましょう。
1ヶ月考えたのって、当たり前ですけど、1ヶ月の方が時間かかってるじゃないですか。時間かかってるんだとして、1ヶ月もどうしようもわからないですけど、160時間くらいしておきましょうか。
1時間で進んだ。同じアイディアが出てくる。もしくは1時間で考えた方がいいアイディアのこともあるわけです。それは何か伝わりますか。つまりアイディア自体が時間をかけたらいいものになるなんてことはないんですよ。
ここからトリッキーなんですけど、じゃあ1時間で考えればいいアイディアが出るかって言ったら、それはわかんないです。160時間かけてやっと1時間で出した人のものに指摘するものになるだけかもしれないし、160時間考えても到達してないかもしれない。
つまりその評価が多分できないんです。適切な評価って多分できなくて。なんか悲しい話かもしれないし、残念な話かもしれないですけど、でもそういうものなんです。
で、ひらめくっていうのはどういうことかって言ったら、このラジオでも何度も言ってるんですけど、何か情報を得たり知識を得たり体験を得たりして、気づくことですよね。違和感とか面白いこととか、自分がこれなんだろうなって思うことがなくして、解決策とかこういうものが課題だなってことにならなくないですか。
これは哲学の話というよりも人間の認知機能の話なんですよね。気づけないみたいなね。だからもっと抽象化すれば社会におけるその認知っていうのがどれだけするかっていうのがインプットかなと思います。
それがないのに、例えば雨降ってきて傘を売れば売れるぞとか、雨降っているのに雨降っているのに気づかなかったら、そんな雑調がないじゃないですか。ちょっと例が良くないですけど。
例えば焼肉屋で肉を食べたら肉の匂いとかタレが飛んでくるので、焼肉のエプロンみたいなのがあるじゃないですか。焼肉じゃなくてもいいですけど、カレーとかでもいいですけど、名古屋と味噌煮込みうどんとかは飛んでくる可能性があるので紙のエプロンつけた方がいいと思いますけど、出してくれるところも多いと思いますけど、そういうのが課題に対して解決じゃないですか。
服が汚れる紙エプロンで解決する。でも自分が汚れていることを気づかなかったり、汚れてもいいんだっていう人にはその紙エプロンいらないんじゃないですか。だから気づかないといけないんですよね。だからそのアイディアにおいて、これはあんまり言ってないですけど、この僕の主語くりではね。観察しなきゃいけないんですよね。観察っていうとちょっとハードルが上がるんだけど、シンプルで今日常生活で生きてるじゃないですか。
死んでる人は聞いてないから。生きてるってことは何か気づいてるんですよ。気づいてるんだけど、それを誰かと話したり気づきを書いたりっていうことをしないじゃないですか。多くの人って。
でも話せる人っていうのは話のネタがあったり話すことがあるんだけど、それを聞いてくれる人がいなかったり、同じレベルで話をしたりとか深めていったりする人がいないとしないじゃないですか。それだけですね。詰まるところそこです。
それをSNSでやろうが、紙の手帳に書こうが、誰かに話し続けようが、なんでもいいんですけど、それやってるかどうかかなと思います。それやってる人は発想とかいらなくて、ネタはあるよね、こんなのあるよねっていうのが割とポンポン出てくるはずなんですよ。なぜならやってるからですね。
やってる人は、それのためにはこういうことを考えなきゃいけないよねってなるんで、スタート地点みたいな話になるんだけど、日常で気づいたり学んだりってことをやっていかないとアイディアって出てこないんですよ。
ちょっと遠回りしましたけど、そういうアイディアを出す時にも一緒で、日々の営みみたいなものを、日々ニュース見たり、日々誰かと話したり、本読むのもいいし、なんでもいいんですけど、それって効率化できますってことなんですよ。
じゃあ1時間かかるのを5分でやれるようにしましたみたいなのは、なんか良さそうじゃないですか。あとようやくを見て、時間かかるのでそれだけやってみます。それが時間がない人がやるのはダメとは言わないし、そういうやり方もあるんだけど、
じゃあ例えばですよ。シンプルにようやくしたものを見て、それで気になるんですか?とか。ようやくって結局まとまっているから、そのようやくした部分でしか評価していなくないですか。言ってることはわかります?
そのようやくされた、3行でようやくみたいなのをたまに見かけますけど、記事で。その3行をようやく読んでわかるんですか?って。ようやくがわかっただけで、そこからようやくされたものっていうのは抽象化じゃないんですけどまとまっているから故に細かい部分がわかんないわけですよ。
もうちょっと言えば、3行でようやくした記事が例えば100行くらいあって、でもその100行読まなくても3行でだいたいわかるっていうことになるわけですよ。それは効率化されているんですけど、でもじゃあ100行読んだものと3行読んだものの脳の動き、まさに思考ですけど、が違うんじゃないかって話ですね。
違うから3行でスマースしたらダメとか100行を読まなきゃいけないっていう主張ではなくて、その違いにまず注目する必要があるし、それは効率化って意味だと100行を3行にようやくしたものが効率化されてるからいいっていうふうに、最初の、あ、ごめんなさい、さっきね、効率化っていいじゃないですかっていう質問をしましたけど、いいというのはそれが時間が短くなるからいいっていうだけなんですよね。
で、時間が短くなりました。それこそ100行読む時間が3行で読みました。で、何がわかるんですかっていうことなんです。はい。で、これは効率では測れない。つまり、ここではあえて批判的に言うんですけど、効率化っていうのがその指標として時間が短縮された、100時間が、ごめんなさい、10時間が、もしくは1時間が5分になったら12分の1になるじゃないですか、60分の1。
いいと思うんじゃないですか。でも12分の1になったら、頭が、頭の話ですよ、思考として12分の1しか動いていない可能性があるわけです。そんなことはないでしょって僕も思うんだけど、ここでさらに細かくしていくと、多分ですけど脳内の動きとしてようやく3行読むのと100行の長文読むのは多分違うんですよ。
多分ね。刺激されるというのが違う。で、脳の負荷として抽象化されたものを読む場合、ようやく読めた場合、その読んだものに対して背景情報ですよね。会社の経営者とかがやってるかもしれないけど、部下の報告を簡単にまとめさせてやると。
だけどそれってあくまでようやくだから、6割とか7割とか分かんないです、その間隔がね。3割なのか分かりませんが、全体の流れを把握する程度、傾向であって、その詳細の細かい部分は分かんないわけです。そうじゃないですか。分かります?だから小説みたいなのがあったときにあらすじ読んで、小説読んだってならないですよね。
だから小説をあらすじ読んで、もし分かったっていうね、情報だけだから、ここで言ってるのは情報の記事とかそういうことですけど、分かったってなるには、そのようやくされたものの前後にある背景、もしくは今までの蓄積知見とかがあって、やっとある程度共有されて限定されたとこだったら分かるというわけですね。
効率化の影響
だから変化がないと言ってもいいでしょうね。そんなこと言ったら怒られますけど、例えば製造業をやってます、メーカーです。お菓子のメーカーですみたいな。お菓子のメーカーの中でも、しかも一般消費者向けじゃなくて法人向けのお菓子みたいなのがあって、法人向けのお菓子って何かって言ったらみたいな話で、ギフト用で、ギフト用で今こういう状況だからこういう風に工場を回してやってますみたいな状況をかなり共有してる中で、
それ100行説明しなくてもいいじゃないですか。知ってるから。だからそういう意味でショートカットしてるわけですよ。全部100行が全部知らない人に伝えるなら100行かかりますみたいな。もしくは知ってる人でも100行かかります。だけど3行でまとめても言いたいことは伝わります。もしくは言いたいことをそこで整えてほしい。何が問題なのかみたいな。問題がないならいい。でも課題はこれだみたいな。
上司が上司に報告するのはその把握したいものを書いておくべきだと思いますが、それはコミュニケーションになってくるのでちょっと置いておいて、やっぱりその抽象化された、要約されたものとそうじゃない平の具体的なものは違うわけですよね。違うからこそ抽象化されたものは抽象化のまま受け取れず、その抽象化メッセージを見た、要約を見た人がそれを具体的に起こしていく必要があるわけです。100行とは言いませんが。
3行を見てこれはこういうことが言えそうだなっていうのがあれば伝わるわけですよね。だからそれは効率的なんだけど実際に起きているのは相手の脳に負荷をかけてそれを開くってことでもありますよね。
だけどじゃあそれがダメってわけでもなく、いいってわけでもなく、じゃあ100行を相手に伝えたら100行読んでくださいってことになるから、それもまた違うわけですよ。だから効率化っていうことの特徴は時間を短くできるんだけど、その思考の部分がやっぱりまとめられるがゆえに相手にやっぱり委ねられる部分があるんですよ。
抽象化というのは曖昧というよりもそのメッセージが抽象度が高くなる。つまりより具体的じゃないので、相手にその具体的なものを考えてもらう必要性が出てくるってことなんです。
思考というのは効率とかではなくてグルグルグルグル探索していってたどり着いたり出てくるようなものなんで、効率的がいいという価値観しかない人だと全然伝わってないと思うんですけど、今回非効率なんで悪いと思う人はいると思うんですよ。
思考が。そうじゃないんですよって。思考っていうのはそもそもそういう性質だから、非効率じゃないと多分それは思考じゃないと言ってもいいわけなんです。効率化だけ考えると全部AIに考えさせてしまう。
それがさっき言ってきたエントリーレベルとか、これから経験しなきゃいけない人の経験の機会を奪うみたいな話になっちゃうってことになっちゃうんですよね。
その非効率ってものを魂とはもちろん言わないんですけど、僕の文章を書くってことで言ってしまえばやっぱりリズムなんですよね。
リズムがAIでは統一化されたりぐちゃぐちゃにしても多分人間が噛んでるリズムにはならないんじゃないかなと思います。なんかぎこちないとか。
まあでもそんな風に一応批判的に言ってるんだけど、画像が生成AIで画像を作ったり、そういうのがどんどんこなれてきてしまうと気づかなくなっていってしれっと入ってきてしまうってことはあると思います。
思考と学び
人間、要は人が気づかなくなるからそれで通るということになっていくと。
そうすると、どんどん人間が考える非効率的な思考というのは、なんでそんなことやってるのみたいになるんですけど、これ究極的なことを言うと学び自体がそもそも効率的じゃないわけですよ。
アイデア出しもそうですけど、仕事の成長もそうですけど、直線的にこれやったらすぐ次に行ってこれになったら次っていうのは、すごい今の社会で刺さりそうな気がするんですよ。
めちゃくちゃ分かるんですよ。すぐ5分で分かる何々とか、本でもありますよね。1時間で大学4年間分が学べるとか、そんなことあるわけない。
そんなことあるわけがないと思って出してるわけですよね。でもすごいキャッチーじゃないですか。病で1億稼ぐとかでいいし、そんなんと一緒です。そんなのあるわけないんです。
なんでかというと人間の頭脳というか脳というか思考とか体験というか学びというのが急速に上がることはないわけですよね。
だから何か効かなくないですか。僕は把握できてないかもしれないですけど、AIによって、AIを道具として教育もしくは先生として使うことで人間の学ぶスピードが上がった。
それがあり得るのは、学ぶ人がすごくAIをうまく使って自分ができないことを繰り返していったって言うんだったらあるんですけど、それは種ではないわけです。
学校の先生とか塾とか教材とか何かがあって学びながらAIを補足的に使ってるっていう意味では成り立つんですけど、AIのみでっていうのはなかなか難しいんじゃないかなと思うんです。
AIが言ってたこととかが嘘というかハルシネーションってありますが、幻覚かどうかが初心者もしくは未経験とかエントリーのレベルの人だとわからないわけです。
これは別にエントリーレベルが僕がエントリーじゃないって言ってるわけじゃなくて、例えば科学式みたいなのが出たときに僕はわからなかったり、数式学とか数学とか全然わからないので、それを出されても紛争なんだって通っちゃうんでめちゃくちゃ怪しいわけです。
その部分ってまだ未開拓というかできてないわけですよね。たぶんここの記事でも書かれてるのは賢くなったような気がするとか、わかった気になるみたいなのが若干書かれてて、そっちの方が怖いんですよね。
AIの役割
AIを使って何かできたから、これができたってことになったからできたんだよって言います言えますっていうそのまさに細かい話かもしれないけどめちゃくちゃそこが大事だと思います。自分がAIを使ってから出しました、でもそれは作ったことになるんですかって話になるんですよね。
ならない可能性は高いですね。もちろん僕はそれをAI使わずに言ってるわけじゃなくて、AI使って毎日のようにアプリとか作ってるんですけど、これ自分が作ったことになるっていうのの担保というか保証の部分は、自分が最初にアイデアを考えて入れた部分はなるし、それを工夫していくことは一応あり得るよねっていうぐらいですよね。
自分でコーディングをしてるわけじゃないから、バイブコーディングって言われますが、AIで何か作らせることですね。だけど、プログラミングとかアプリを作らせることはバイブコーディングって言いますから、それが本当にプログラミングと同等の値する思考をしてるかというとしてないと思います。
これはさっきの対比で言えば、AIに文章を書かせるのも一緒です。最初に自分の書かせたい文章のあらすじというか構成を与えてそれを書かせるのも、書かせてはないと思います。それが許されるというか、別に強引かの話じゃないんだけど、ベテランとかすでにやってきた人はAIがない中でやってやれる人がやるのは良いんですよ。
これはこの記事にも書かれてましたね。だけど、それをやってない人がやると自分がやれたつもりになるし、書けたつもりになるんだけど、なってないってことですね。だけど、僕からするとそれはそんなことないんじゃないかと思ってまして、要は数学わかんないので数学を聞いてそういうことなんだってなっても、それは何なんだろうねっていうのが常につきまとうわけです。
それって例えば漫画に書かれていたもので、それはそういうのがあったよねっていうのが本当かどうかもわかんないわけで、どうだったら確認していくしかないじゃないですか。知識とか経験とかもそうですけど、実際に自分でやって学んで失敗して何かやってって獲得していくんで、この作業自体の効率って上がると思います?ないんですよね。
でも誰かに学ぶためにわざわざ北海道から沖縄まで行かなきゃいけないから、効率が悪いから沖縄に住んでその師匠のところで学ぶっていうのは効率が上がるし学ぶこともできますよね。インターネット回線が遅くてラグがあるから、環境が悪いからそれを改善するとかは意味はあるし効率化ができるんですけど、経験とか体験みたいなものとかを効率化することはできない。
まさに経験や体験って言ってるのが書く体験とか書いているプログラミングをしているとか、しゃべるとかもそうですけど、それ自体を効率化するってことは僕はやっぱり愚かっていうか違うなと思うんですよね。
それをもちろん古典的趣味みたいな考えて非効率的なことやってるのは大幅差だけですよみたいな世界になっていくかもしれないんですけど、わかんないです。本当かなーと思ってます。
僕は直感的につまらないなと思ってます。だから何度も言ってますけど、シンプルに例えば記事を見るときにその人が書いた記事を読みたい。その人が考えたことを読みたいんですよね。AIがまとめて書いてくれたものっていうのは情報的なものとか、物によるんですけどね。情報的なものはバーって読みづらいからAIにまとめてもらいましたっていうのはありかもしれないですけど、
AIにまとめるのが問題はリズムが一緒になるから、その人がまとめたものがいいですね。理想は。ごめんなさい話が止めましたけど、まとめるのが自分でまとめるのに時間がかかりますっていうのでいいんですよ。
だけど、これがもっと気になるのが、まとめる時間がないからってことでまとめさせるじゃないですか。そうすると日々の気づきとかは増えるんですか。さっき言った結局AIによって、思考でも何でもいいんだけど、作業が効率化すると時間が浮きますよね。浮いた時間何するのってことに結局ここがないというか、なかなか話されない。
もしくは、最近見かけた記事では本質的なものっていうのは増えない。もしくはサービスの価値が高まるわけではないっていう考え方もあって、単に作業が効率化されるだけで残りは別に遊ぶって言ったら怒られますけど、作業しない。もしくは違うことをして、別に届けたいものが変わるわけじゃない。
故にこの主語くり的に言えば、何か新しい仕事が浮いた時間AIで浮いた時間5割、浮いたら5割分、新しい仕事が生まれてくる気配ってします?って言ったらしないか、頑張っても5割を埋めるような仕事はない故に、結局新しいものっていうのがどんどん減っていくんじゃないか。減ってるっていうのは今までAIがなかった時の方が生み出せたかもしれない。
これだとAIがない方がいいみたいに言われるんですけど、それは多分違うんですよ。使い方の話なんで、AIをうまく使うにはその思考ってものを効率化できるなんていうような考え方ではなく、この話は分からない方もいるし分かる方もいらっしゃると思うんで、それは分からないんですけど、
自分で何か考えて実行するっていうことしかもうはやないんですよね。学ぶとかね。結局最終的にはね。脳をサボるというか手抜くってことがどうなの?っていうことは僕は言いたいし、そこが結局なっていくと思います。つまりプロ野球選手になりたいんだったらバットを握りますよね。野球の試合とか野球やりませんか?
極端な話ですけど、野球ゲームをやってプロ野球選手になりたいとか、実際に外で野球をせずにバッターボックス立たずにボールを持たずに野球選手になりたいっていうぐらい愚かというか滑稽なんですよ。何もやらずにその何かを学ぼうとか、気づこうとか、得ようというのはさすがにちょっとヤバないですか?っていう、そこですね。
っていうふうにAIを使えば何かっていうふうになっていくと、使ったところで出てきたものはどうするの?使ったところで今言った今回の記事でも書かれてたように、体験とか経験というのは何なの?これはですね、いろんな人が言っていると思います。
AIと効率化の検討
それはご自身でAIを使ってみてどうなのか?もしくはAIを使わなくてどうなのか?これ比較してみるのがいいんじゃないかなと思います。僕だったらライターではないですが、書くってことに関してはAIに任せて書くっていうのは、決められたものを何度も書くっていうんだったらプログラミング感覚でやってもらった方がいいかなと思います。
だけど、最初の日常の気づきをメモしないとか、自分の人間が学んだり気づいたりするってところをやめてしまうっていうのは効率が悪いとか、やめてしまったら人間としての意味みたいなのがそがれてしまうような気がしたんですね。
これは誰かに提供するわけじゃなくて、誰かに言ってるわけじゃなくて、僕がつまらない。自分が書いてないのにAIにアイディア投げて書かせて、自分の記事ですっていうのがつまらないなと思ったんですよね。別に偽りではないわけですよね。自分が元ネタを出してるし書かしてるけど、これなんか自分っぽくないなし、自分らしい風にしてもつまらないなっていう。
やっぱりその他はリズムなんですね。リズムっていうのはやっぱりセンス、感性なんで、どこで伝えるものが熱量が出るか、もしくは冷静に溜めておいて最後にこういう結論で返すかとか、もしくはそんなことじゃなくて、自分の宿泊と言いますか試行錯誤していった中で出てくる文章、言葉を紡ぐ。
それってその人の感情や体験やまさに人生や全部が出てくるわけなんで、そこを表現する。表現って言ったら小説とか創作になるかもしれないんですけど、そうじゃなくてよくて、それを書いた方がいいよね、伝えた方がいいよねみたいな。
それないと人とのやりとりっていうところが面白くないというか、AIで全部いいやみたいになっちゃうんですよね。極論ね。すみません、ちょっと長くなりましたけど。
そういうわけで、試行ですよね。人間の試行するっていう、アイデア発想法とかも全部そうなんですけど、アイデアを出すのもそうなんだけど、効率化はできないです。できないと思います。やってみたい人はぜひやってみてください。
こうやってやるといいアイデアが出るよなっていうようなやり方を研究するっていうのはいいと思います。それは効率じゃないなと思いますけどね。研究されるのはいいと思います。だけど、試行っていうのはそもそもいろんなところに巡っていったり、違うことに応用できないかとかっていうことを考える行為そのものなんで、
効率っていう問い、効率化できるかっていう問いがまず違ってるんじゃないかなって思うんですよね。試行としてね。定量化できない。だから、アイデアの例でも言いましたけど、1時間考えたのと1ヶ月とか考えたもので、別にどっちが優れてるかって言ったら分かんない。もしくは1時間で、もしくは1秒で出たものがいいかともある。
だけど、そういうものを得るには、ここがもどかしいんですが、短期的にすぐ単発でそれで終わらせるようなことだったらいい。それでも終わりだからいいんだけど、世の中や物事っていうのは単発で一発で終わるようなことばかりじゃなくて、そういうことは少なくて、だいたい複数回長期的中長期的に見るわけですよね。
アイデア試行法ってどっちでもいいんですけど、考える試行というものをぐるぐる迷路みたいに例えたときに、探索してどんどん迷子じゃないけど、めぐらせた上で出てくる出口っていうのは、めぐったからこそすごくわかったし、いろんなもの見れたし、価値があったなって言えるわけじゃないですか。
だけど、Googleマップを見て、例えばフランスパリがあって、写真でストリートビュー見たら、そこを旅行したとはさすがに言えないじゃないですか。情報が少なすぎるっていうのと、全然探索してないですよね。
効率的にめぐることを美とする人もいるから、ダンガンツアーじゃないけど、決めといてそこに行くんだ、行く。それは旅行というよりも旅行とか学びとか気づきみたいな方じゃなく、そこに行って見て消化するというか、何か買うとか、何か見るとか、消費の仕方をしてるじゃないですか。
だからそれが絶対ダメとは思わないし、そういうのあってもいいんだけど、本当にそれだけじゃきつくないですか。両方いるって話です。効率でもいいけど、だけど思考を効率化するって多分ちょっと無理がある、無理筋かなっていう感じです。
効率化できるのは作業ベースのものだったら、目的があるんだったらいいよね。同じことを繰り返すやつだったらやればいいよね。だけど、書くときに考えて何かを生み出してくるものとか、プログラミングでもいいんですけど、何かやろうとして出てくる思い巡らすようなこととか、そういうのって僕は価値があると思うんで、無くならないような気がします。
それ無くなると人間自体は思考しなくていいことになるんで、どうなっていくかってことですよね。そうすると人間社会におけるものを誰がAIが勝手に修正して何かやっていくっていう風になるかもしれないんですけど、そうするとだいぶ脳がやられていって、認知症とかがバンバン出ていって、まずいような気がする。効率脳みたいになっていって、大丈夫かってなっていくと思います。
日常の観察と創造
でも社会そんな僕は悲観的に見ていなくて、なぜかというとコスパタイパーとかっていう人っていうのはそんなに僕の周りにいないんですけど、そういうのをやったところで結局リラクゼーションだとか言って、ヨガとか自然に帰ってキャンプするとか、そういうことでやり始めたり、ランダム性とかガチャとか偶発性を期待したりとか、そっちで戻しているような気がするんですよね。
だからコスパとかタイパーとか効率化っていう風なものが聞こえてきたら逆真逆で、哲学とか答えがないこととか、雑談とか、一般的にコスパタイパーっていう意味では非効率だし、全然得られるものがないとか、それこそ基礎研究みたいにそれ何やってるの、社会に役立つの、何が役立つのみたいな風なものっていうものを注目した方がいいんじゃないかなと思います。
僕はそう思ってるわけですよ。だからそのバランスがあまりにも偏りすぎるとちょっと居心地が悪かったり、なんかつまんないなってなるんで、そこをどう取り付けていくかっていうのも一つの主国理なんじゃないかなと思います。
だから主国理っていうところで言えば、これをやれば効率化できますよねって言って終わらずに、効率化できるってことはこういうことが非効率なことにも時間を使いますよね。
AIによって作業効率が上がることで、今までできなかった芝生で何か敷いて寝て、そこで30分休める、それだけで全然違ってきませんみたいな。そこで寝そべって小説読んでとかもいいし、そういう使い方がいいと思うんですよね。
多分僕はそういうふうに世の中になってきてるんじゃないかっていう妄想をしてるんですが、リスナーの方はどうでしょうかと。ちょっと喋り続けてちょっと疲れましたけど、なんで思考ですね。考えるって大事だよねって話でした。
そこに効率っていうのはあまり筋が良くないんだろうなっていう話でもありました。だから指標っていうのはないんですけど、考えたからすごいとか考えてないからダメとかもないんですけど、多分その思考するとか無駄というかなんだろうなって思うようなことが、
まとまるかわかりませんが、多分ですけど直感的には僕だったらアイディア、もしくは日常の観察ですよね。こうしたらいいとかこういう課題があるってことに繋がっていくんじゃないかなと思います。それをしてないと本当に気づけないんですよ。本当に例えば毎日が同じで本当に毎日全部一緒でどこ切り取っても同じ風になっている人は、
たぶん毎日とか生きることに飽き始めますよね。それはちょっと重症だからクリニックとか専門家にかかった方がいいと思いますけど、飽きないですからね。そういうものを見つけてる人はね。毎日違うし違うじゃないですか。
ポッドキャストって毎回同じようなこと言ってるようで違うじゃないですか。言ってることは違うんですけど、共通するテーマは一緒で、仕事作りとかワクワクするとか、自分のやりたいことを創作というかクリエイティブしていくとか、そういう方向性は変わらないんだと思うんで、聞いていただける方がいらっしゃって感謝感謝感謝歓迎なんですけど、そこを今後もやっていきたいと思います。
考えましょうって言うとちょっと偉そうですけど、AIでは、AIの効率的な思考みたいなやつっていうのは毎日場で何か思考してないよなぐらいで眺めてみてはいいんじゃないかなと。そういう意味で付き合い方っていうのを激しくAIで使ってる人はちょっとわかんないんですけど、うまく付き合うっていうのはちょっとありきたりな着地になりますが、言えそうかなと思いました。
少しでもヒントになれば幸いです。リンクも良かったら見てみてください。今回は以上となります。四国理ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。
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