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シゴクリラジオ
こんばんは。
シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。今回ですねテーマはAIと一緒に書くですね。今回はAIと一緒に書いてみましょうということで
書いてみましょうって提案じゃないんですけどね。書いてみました。 さあどうなるか
っていう話で、AI、HAT-GPT等様々なSSAIが日々使われている人もいれば使っていない人もいる。その頻度は人によって違うと思いますし、仕事などでも変わってくると思いますが
そういう中ですね、自分が使いながらどういう感覚でいるのか少しだけ共有していければいいかなと思います。今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、AIとのコラボレーション、もしくはAIで一緒に書く、漆筆ですかね。一緒に書くと。
AIの話は最近してないような気がしますが、日々使っています。これも仕方ないんですが仕事とか普段やっていることを
AIを使って何かできないかみたいな観点が入るかと、そういう見方をすることができるか、しようとしているかということですね。今意識みたいな話になります。
と、実際にそれができるかどうか、例えばポピーライターみたいな人がいて、キャッチコピーいっぱい書いてもらうって
多分できるんですよね。キャッチコピーをAIに書いてもらうと。だけど、その書いてもらったものを交互にはするんだけど
これがいいよね、悪いよね、もしくはなんでそういうコピーを書いたのかと
それをAIに書かせてるんだけど、最終的には人であるコピーライターが判断しなきゃいけない
っていうだけなんですよね。そこが変えられないわけですよ。
これはもう、異論はあんまりないんじゃないかなと思っているんですけど
そういうものだと。要は簡単に言えばAIに叩き台とか簡単なものを出せるんだけども、アイディアは出せるんだけど
選ぶのは人だと。僕はアイディアを扱うってことをやってるんで、ここが一つだけ言いたいのは
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アイディアを出させるって言うんだけど、種ですよね。最初のネタ元を人間が持っておかないと
なんて言うんだろうな、変わらないです、言い方が。AIに投げかけるプロンプト、質問文によると
もしくは、あとはAIのランダム性っていうんですか、毎回全く同じものが出ないわけですよね。
なるべく似せてもね。似てるんだけど毎回違う。ランダムっていうか、変動幅みたいなものですよね。
ボラティリティとは言わないかもしれませんが、変動の幅があるわけですね。毎回10じゃないと
5とか20みたいな感じで動くとね。そういう時にたまたま良いものが出ることもあるので、運に近いですよね。
偶然っていうのもある。だけどその偶然を頼ってはいけないと思いますから、人間が操作できるのって何かっていうと、
LLMって言いますか、AI側がどういう風に出してくるかとか、その癖を把握して手段として使う。
大きいのがこのプロンプトですよね、その入れ方。
キャッチコピーも例えば神社とカフェの飲食店では使うものは違いますとか、そういうことで。
例えばそのキャッチコピーをどういう風に使いますかを具体的に入れることで、想定されるものは全然変わってくるわけですよね。
ここで具体的に言うことが良いとはもちろん言われていますが、ここで若干問題になるのは、今具体的に言っているのは、
キャッチコピーにおいては、もしくはキャッチコピーライトとして作る人にとっては、神社に来る人は新人深いではないんですけど、
ちょっと違いますからね、宗教というよりも神道とかいろいろあるんで、ちょっと違う、民間信仰か、いろいろありますが、
なんかそのカテゴリー、神社っていうのはこういうもんだよねっていうところから外した、むしろカフェみたいな神社みたいな方が面白い可能性はありますよね。
だからその意図とかどこを視点として切り出すか、もしくは強調するかでまた変わってくるので、そこのアイディアがまさに、それは僕はアイディアと言っているんですが、人ですよね。
それに気づいて、もしくはそれを人が作り出す、想像するってことは必須、必須と言うか、そこをやらなきゃいけないんだろうなと思います。
その視点とかをAIに導通させるのは結構難しいんだろうなというか、あんまり向いていないっていうのが、この話はずっとしてるんですけど、やってて変わらないところです。
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なので正確にいくと、そのAI側とか人側というよりも、まず最初に人がザッとね、AIに指示すると。その前後でいいんですが、もしくは人がアイディアが何か持っていれば、それをそっと出してみると。
そうすると、AIが載せてくるので、そこに広がることもあれば、冷静に見返して、人が大したことないなって思うかもしれないので、今回はキャッチコピーを作り上げていく、みたいなことになっていくかなと思っています。
そういう状況というかそういう中で、最近やってるのが、文章をAIに書いてもらうと。この言い方をすると、全部AIに任せるみたいな風に聞こえるんですが、それは全然なくて、今やってるのは、コッシーですね。
過剰書きでいいんですが、過剰書きにして自分っぽくですね。幸いというか、結構文章を放り込んで、アイキャッチとか、もしくは文章を書いてどうかということを、チャットGPTですね、やり取りしていることが多いので、全部を学習してももちろんないですよ。
ただ、ポジティブな感じとか、もしくは決めつけない感じとかっていうのは、僕っぽいらしいので、それを生かして、そういう風に書いてくださいと。
ネタとしては、さっきアイキャッチコピーの話も言いましたけど、これがありますみたいな感じで、過剰書きでこういうことを言いたいですということを、5から10個か、行じゃないですけどね、書いていく。
それを元に、見出しとか文章自体を説明してくださいということをやっているんです。
これをやり始めてから1週間くらいですか、そんなにめちゃくちゃ経っていません。
デジタルツインではないんですけど、大橋AIですよね。自分が僕を書くということを試しているという感じでやっています。
そういうのはもしやられている方がいたら、そういうのは面白いですよね。
そういうのはちょっと気持ち悪いという方もいらっしゃると思うんですけど、わからんでもないです。
ただ、僕自身が自立して人格が動き始めてとかはあまり期待していないので、コントロール制御化にあれば別にいいかなみたいな、ちょっと怖いところですよね、その辺りね。
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ここからが本題になってしまうので、ちょっと短めに今回も、最近長くなっているので短くしたいんですけど、
そういう上で僕のAIというか、僕っぽくAIで書いてくれるときに、やっているのは出しますよね。
文章を出したら、もちろん修正して見直して、こういう感じかなというので仕上げているんですけど、
確かに若干自分が書いたものとは違うので手を入れなきゃいけないんだけど、
1から、多分文章があまり得意じゃない人とか特にそうなんですけど、自分が0から書くより早いかもしれないです。
ただ、その機微っていうんですか、微妙な違いみたいなのを自分で気づき、かつ修正するかってなると、
ちょっとこれまた問題が別のような気がしてくるので、クオリティが一旦めちゃくちゃ高い自分らしいものではない。
ただ自分が書くより自分の書くスキルがそんなに高くないのであれば、AIの方が高いんじゃないかみたいなことも思うんですよ。
ここでAIと人とバーサスとか対決しようとする人もいるかもしれませんが、あまり意味はなくて使えばいいだけなんです。
なので自分の強化する意味で、自分の力はこれぐらいあります。
人と比較する必要はなくて、自分とAI。自分はこれぐらいあるので、AIにそこを強化してもらうっていうのがいい使い方。
弱いところだったら強化してもらって、伸ばしたいところだったらより伸ばすっていうふうにうまく使うことが前提だと思っています。
そういうAIのアウトプット、AIで書いた文章を見てもらうというか、気づく人もいるかもしれませんが、もしかしたら気づかないかもしれないという中で、
気づかないものは、今書いてある文章がAIかどうかということを言わなければわからない世界になっていくんですよね。
それを最近聞かないですけど、大学生がレポートで全部使っちゃうと。それは多分ダメなんですよ。倫理的にも教育的にも。
なんだけど、やろうとする気持ちは分かる。別にやれって言ってないですよ。気持ちは分かる。楽ですしね。
でもそれは学びって意味では意味がないですよね。ここで学びって軽く言ってるつもりじゃなくて、めちゃくちゃ重要で、
その学び自体を人がしていなければ、いくらAIに投げかけてもいいものは作れない。
なぜなら、人とかAIとかが単独で成立するわけではなくて、自分、人というのがいて、それが成長があって、
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AIもそれを強化するし、推進できるというだけなんですよね。ここがすごい重要で、要は学べってことなんです。
学んだり遊んだりしよう。要は人をもうちょっと高めるってことを、よりできるようなツールだよなってことを思ってるんですよね。
結論的には。なぜかというと、自分が出したさっきのAI文章、自分が0から書いたわけじゃない。
だけど、AIに自分が書きたいものをこれって書かせて、自分っぽく仕上げたものっていうのも、僕は全然アリだと思うし、
AI文章と一般、形式的には呼ぶんですけど、今ね。でもそれは僕の文章になるわけです。
僕が一応書いたっていうし、僕がこの内容で別にいいと。表現、機微というか細かな違いは若干違いがあるけども、
そこまで気になるものではないとかね。もしくは、ここはさすがにこんな言葉は使わないし、こういうふうな書き方はしないから、
そこは変えますというところでも、もしかしたら気づかない方もいらっしゃるかもしれないです。
ちなみにこのポッドキャスターは僕が肉性ですね。自分で普通に喋ってますから、これも変わる可能性がありますが、
変わっていくともしかしたら気づかない方もいらっしゃるかもしれませんが、どうでしょうかと。
で、その文章を今度は僕だけで完結してなくて、人が見るわけです。僕の文章を人が見る。
人が評価するというかね。評価って別に点数をつけるわけじゃなくて、感想とかね、出くわすわけですよね、文章。
そうしたときにもしリスナーのあなたがですね、僕の文章を見て、この人、もしかしたらこれを書いた人って、
面白いね、もしくは、えーって思って、いいよねって、もしかしたら引用、記事として引用するかもしれないです。
声が上がりましたけど、記事としてその印象を引用するとかもするかもしれないです。
そのときの意識として、リスナーのあなたご自身がですね、えー、書いた文章だよね、なんていうふうには多分思わないと思うんですよね。
僕の署名というか、僕が書いたという状況であるので。で、僕は別に嘘はついてませんし、えーって言ってない。
だからこのAIユーズというかね、AIを使いましたみたいなことを、これからどこまで言うか言わないか問題は非常にこう、なんだろう、えー、課題というかね、あって、
使っているというとなんかその、なんかサボってるダメみたいなね、えー、ことを覚える方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、まあそれはちょっと短絡的かなと思いますし、
使ってないからいいというのも、ちょっとそれはまたあの、なんていうんですかね、あの、前時代的というか、あの、保守的というかね、うーん、ものもありますよね。
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ここ難しいところで結論はないですが、まあ使えないものもあるでしょうし、使えるものもあるかもしれない。
で、その、えーと、話戻りますと、そうやって自分の中ではAIで、AIが一緒に書いたものを文章として出していくときに、それが評価されると、要は別に悪くないですよと、
で、その、なんだろう、例えばリスナーの中でも見て、別にこの人が書いたものいいじゃん、でも実はそれは僕がAIで書いている、AIと一緒に書いている。
AIに欠かせて全部自分の考えじゃないことはないから、AIを借りて書いている、まあメガネみたいなものです。
白く、えー、僕もその、あの、よくないんでメガネを書いてますけど、そういう強制器具みたいなものに近いわけですよね。
わかりますかね。だから、えー、ここで言えるというか、えー、重要なことは、これで、あの、自分が書くよりも、自分が0から1から書くよりも、
AIと一緒に書いたほうが、えー、仮にですよ、評価が変わらない、えー、評価が変わらない、もしくは下がる、もしくは上がる。
まあ、これ3つのパターンがあるんかなと思います。あとは、なんか自分の気持ちもありますよね。なんか、書いてて楽しい。
で、少なくとも、あの、今、感覚的に思うのは、えーっと、文章を自分で書いていって楽しいと思うのは、
自分で1から書いていったほうが、絶対的に楽しいと思います。要は、創作性というか創造性が、えー、そこに出てくるし、
いじれるというかね、細かい点で、えー、書き分けられるわけですよ。で、この細かい点で書き分けられるという、もしかしたら、
あの、想像しがたい方がいらっしゃるかもしれませんが、まあ、そのタイトルの込み出しの付け方とか、えー、なんて言ったら、その、
開業の入れ方でもいいですし、文章、言い回しですよね。えー、何度も同じことを言ったりする。で、
Aが書いた文章が、なんかちょっと違和感があるっていう人がいるのは、そのリズムがですね、まあ、非常に良くない。リズムが一定で、まあ、眠気を誘うというかですね、
ずーっとこう、ドゥッドゥッドゥッドゥッって、まあ、悪くてもなんでもいいんですが、ドゥッドゥッドゥッって、なんかずっと、
あの、同じリズムで、なんかこう、パーン、パーン、パーン、パーン、パーンって流れてたら、寝ません?うーん、多分そんな感じだと思うんですよね。あの、寝ちゃう。
人でもそうですね。同じずっとリズムで話されて続けると、まあ、このラジオもしかしたら、寝る前に聴いてて、寝てる方もいらっしゃるかもしれない。
うーん、まあ、15分超えてくると寝るかもしれませんけど、まあ、そういうのもありますよね。だから、そのリズムが違うようにすると。
最初は、えー、なんだろうな、その、なんかこう、テンポを速めて、後でゆっくりにして、最後またテンポを速めて、みたいなの。
そういうリズム感っていうのは、まあ、結構、まあ、指示すればできるんでしょうけど、多分それも指示しないといけないんですよね。
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自分で、えー、指示する前に作り出したりして、作りながら調整するとか、まあ、その、そういう調整ができないってことですよね。
AIではなかなか、人が、技術がある人がやった方が当然早いのはあるので、そこは。
で、その、まあ、要は自分が従来やってきたものを、そのAIと一緒にやることで、何も評価が変わらなければ、あとは何かっていうと、
その、さっき言った、まあ、えー、釣り出す時間みたいなやつ、まあ、とかね、リソースですね、お金とかもあるかもしれない。
もしかしたら、あと、あ、そうそう、で、自分の気持ちですよね。創作欲みたいなところがあると。
まあ、その辺はなんとなく表みたいにできるような気がしますよね。
つまり、自分が、なんか、えー、書、書いて楽し、書くことが楽しいみたいな人は、自分で書いたほうがいいんですけど、
それは0から1からやるから、あの、結構大変で、やっぱり時間かかるんですよね。
でも、楽しいみたいな。この、これは多分どんな分野でもなくならないと思います。
AIに任せることで、あの、書くってことじゃなくても、まあ、音楽でもいいですし、その、画像をね、写真を編集するとかもいいですし、
なんでも変わらないような気がします。はい。で、えー、何でしたっけ、変わらない。
その、評価が変わらない。自分がやっても変わらないし、AIと一緒にやっても変わらない場合、まあ、これ効率化とかね、そういう部分で、えー、何だろうな。
もし、自分がやってる時間よりも、AIに任せたほうが時間が早いのかな。
まあ、今回の僕が文章を言ったらこれに近いですよね。変わらなかったら、まあ、それでいいかな。
あと、重要度もあります。自分がどこまでそれをやりたいかっていう。
それは分かりますかね。なんか、その、どういう、その、例えば、何に見せるか、どういうアウトプットをするか、どういう人に読んでもらいたいかによって、
書き分ける、自分を使い分けるってわけですね。
つまり、僕が、えー、自分の、自分で書いて届けたいとか、えー、のが強ければ、自分で書けばいいわけですし、
そこまでじゃないかなっていうのは、AIに任せて、えー、いやごめんなさい、AIと一緒に書けばいいわけです。
これは、重要度をこちらでコントロールできるってことですし、えー、なんか、なんか、全部もう、はい、AIに書かせてくださいとかね、
そういう話じゃ、まあ、全然ないわけですよね。でも、今後どうなってるかはわかんないですね。
で、あと、最後に評価が低いというか、やったものがなんか微妙ではねっていう場合、これは、あの、そもそも採用されなくないですか。
これはさすがに使えんみたいなものは出さないですよね。で、出した場合、さっきの、何でしたっけ、その大学生がレポートを、えー、なんかね、書かせて出しちゃうと、
AIに書かせたままだけ出しちゃうっていうのがあるわけで、これが、バッド評価というかダメな場合ですよね。
で、まあ、何を言ってるかというと、まあ、その、AI、AI使うに関わらず、えー、その、アウトプットをですね、見た、出してきたものをまあ、人は評価すると。
ってことなんですよね。で、それが、まあ、いい、もしくは、並というか普通、今までのものであるということであれば、もう、わからないんですよね。
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わからない。で、えー、悪かったらどうなの?ってなってくって話ですね。
で、問題、まあ、教育分野で問題はそれが、そこそこイケてたり、あの、並以上で、もしかしたら人間が書くよりもいいんじゃないか、みたいになっていったときに、あの、ここで問題が起きるわけですね。
つまり、僕も少し感じていることで言えば、まあ、これで終わらせるんですけど、今回は。
自分がゼロから書いた、1から書くよりも、AIと一緒に書いたほうが、あの、読みやすいですね、とか。
わかります?えー、なんか、論点がはっきりしていますとか、あ、あの、コンパクトで読みやすかったです、なんていうのを、別に僕が受けたわけじゃないんですけど、あり得るんですよね。
なぜなら、自分が書く文章って、なかなかその、なんて言うの、分けたり、客観が入らないんですよね。
要は、僕もすごく思うのは、自分が書いた文章を従来の書き方で書き上げると、なかなかその客観的に見直してっていうのが、
仮にやったとしても仕事的にね、えー、結構、えー、分かりづらいっていうか、やりづらいです。
それを仮に誰かにお金を出してやってもらっても、えー、なんかそのチェックとしては入るんだけど、あの、そのなんだろうな、まあ、文章の本質って多分その人っぽさというか個性が入らないと、
まあ、仮に文章のね、なんか言葉の使い方がおかしいとか、あのー、ちょっと違和感があるっていうのも、全然ありだと思うんですよね。
その人が使う意味があるということですよね。分かりますかね。その、例えば何がいいんだろうな。
例えばその、えー、お茶みたいなものでも、なんかそれってお茶っぽいですよね、みたいなね。
それお茶、お茶、お茶のような感じですねって時に、そのお茶って言ってもその人が言うお茶だから、あのー、なんていうんだ、この文章の中で生きるわけで、
そのお茶について全然知らない人がお茶って言っても、まあ、あんまり響かないわけですよね。
まあ、そういうこともあるんで、あの、添削する側からしたらその人の文章とかその人が伝えたいこととか、まあ要はその人の個性とかね、
生かしたほうが、まあ、面白いとは思います。で、ただその面白さを生かすのも、その、なんかエッセイだとかコラムだとか、そういうのはありなんですけど、
そうじゃないマニュアルとか、その、なんなんですか、その、支持書みたいなものに対して個性で出したらいかんじゃないですかってなるんで、
この辺りが、まあ、文章、何、文章術じゃないんですけど、何を伝えて何をどうしていったいかによるっていうね、まあ、要はケースバイケースになっちゃうっていう話になるんですけど、
えー、になっていくかなと感じています。で、だから僕の今の感覚では、まあその、えー、自分がやっぱり力入れて書き、書くのが楽しいみたいなのはやっぱり、
AIはまあほんのちょっと入れるかもしくは入れないでいいかなと思ったりします。全部やると多分おかしくなるんじゃないかなと僕は思います。で、そこまでじゃないものは使ってもいいんじゃないかなって思ったりします。
要はサポートですね。やっぱりどこまでいっても。で、その分量が仮に8対2とか2対8とかもうなんでもいいんですよ。その人間がやる時間なのかなんかその感覚なのか意識なのかわかりませんけど、なんか別に測れるますよね、時間もね。
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で、その時にじゃあ8割だから人が8割、人が2割みたいな時にどちらでもいいんですけど、えー、なんだろう、その人がそこに関わることの意義っていうことがやっぱりそこにやっぱりなってくるんですよね。
AIによって仕事が奪われるみたいな話がありますが、そのAIが直接なんか脅しに来るっていうわけじゃなくて、その奪われる感覚っていうのはなんかもっとこう見えないところで抜本的にもしくは根本的にしれっとね、消えていくみたいな感じが多分強いっていうのが実際かと思います。
明治的に脅されるわけじゃないってやつですよね。そっちのほうが怖いような僕は気がしますけど、で、そういうふうに、まあ、なんだろうな、AIと一緒になんかやっていった時に結局、自分の話を戻しますと、人が何かを作るってのは何ですかみたいな想像、創作、イマジネーションじゃなくてクリエイティブの方ですけど、両方または含むってことですけど、
それが何なのかっていうことになるんじゃないのかなっていう話になります。自動運転とか近いかなと思います。例えば電車とか、バスは違いますけど、どんどん自動運転がいわゆるレベル5でしたっけ、自律的に動くのね。レベルがどんどん高くなってるわけですよね、その1から5まで。
で、その3とか4とかになってくるとだいぶ楽になってくる。で、その時に運転手さんが何者を運転する時に、車でもいいですよね、ドライバーがいる必要性があるのかと。今は必要ですよ、でも自動で運転しますよみたいになりつつあるわけですけど、そういう時に運転をしたい人っていうのがいるわけですよね。運転楽しい。その人から奪うのはどうかって思うわけじゃないですか。運転楽しい人ね、別に。
で、運転別にそこまでしたくないよっていう人は任せればいい、もしくは補助してもらえばいいじゃないですか。で、ここからは教授といいますか、人生の考え方、戦略になるんですけど、自分にとって運転とは何かみたいな話で、譲っていいって。
要は全部の、全自称全物事を譲らないわけじゃないですよね。例えば料理される方がいれば、お米を炊く炊飯器っていうのは割とポピュラーな料理器具だと思うんですけど、お釜がありましてね、一応説明しますとお釜があって、そこにお米とかいろんな料理をするっていうのもありますけど、
お米を入れて、お米を研いで、水を入れて、分量を測ってくださいね。スイッチ、釜を入れて、閉じて、蓋をして押すと、そうするとお米が炊き上がる。何て便利なものなんでしょうと改めて思いますけど、それをやらなければ別に鍋で炊くとかはもちろん蒸すというかね、炊き上げることはできるわけですね、火を通してね。
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だから炊飯器を使うやつは料理、お米を愛してない、言い過ぎですよね。愛してないよ、おかしいな、心がこもってないって言います?そういう炊飯器使ったら。なかなか仮に思っても言えなくないですか。
AIが作った文章には心がこもってないっていうこととここでは一緒ですかね。そういうことを聞きます?もしかしたら言われているかもしれないですけど、そのAIが書いた文章には心がこもってないんだよみたいな。
AIが心がとか、AIと話すということでその心がこもってない感はすごくありますけど、そのAIと直接話しているわけでもないし、AIのアウトプットを直接だけで触っているわけではないので、人間がそこに介在している時点で心がないっていうのはちょっと危ないというかね、言い過ぎになるわけですよ。
多分そういうことかなと思います。つまり書かれた文章を見てこれは心がこもってないかみたいな話になってきて、こもってたらいいと。
こもってるんだけど、それはAIが補助して書いたっていう。もしくは悪いというか悪く使う人っていうのはそこで心がこもったように見せかけるAIライティングとかっていうところに走っていくんですよ。
これは間違ってるというか、間違ってると言ったらおかしいですけど、僕は好きじゃないし、なんか違いますよね。そうじゃなくて、より心をこめるためにAIを使ってくださいよっていうふうに思うので、でも結果は心がこもった文章を書けるAI術には一緒なんですよ。
一緒なんで、なかなかこういうのが理解されなかった、前提とか考え方。僕は書くってことが好きなので、自分で書きたいし、書くことをやめるとか、もう書くのはいいやとかね。
AIが書いたほうがうまいからもういいやっていうには全然ならないんですけど、ならないですよね。あとは自分の振り返りとかね。話すものでどんどんAIが話すようになってきたら変わってくると思いますけど、自分が手放したくない、もしくは自分がそれによって振り返ることができるということでいくと、そこって結局僕は学びとか成長みたいなことになると思うんですよ。
それがいらないですっていうふうになって、もしくは短期的に見たらAIが出すほうがうまいから自分はいいやっていうふうにしていくと、いわゆる自己肯定感だったり自分がなくなっていって人がやることがなくなっていくみたいなふうになるんですよね。
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これは何度も言われているかもしれませんが、人間って何だろう、自分って何だろう、何をしたいかどうしたいかみたいなことがより便利がゆえに作ってくれるがゆえになっていくということになります。
なので使い分けっていう、僕から提示できるのは使い分けをしましょうというのと、よくわからないという方もいらっしゃると思うんですけど、それ使ってみるとですね、やっぱりどういうのでもいいんで、AIってものを一回何でもいいから触れてみると、こういうことをこの人が言いたかったんだろうな、僕がおかしくてこういうことを言っているんだよなってことがもしかしたら何かヒントとして伝わるかもしれません。
なのでAIはもちろんバンバン使っていくんですが、使っているから人の心が失ったとか、それはないですけど、むしろより人の心を理解するようになるんじゃないかなと思うんですよね。
その理由は、AIに書かせることで、要は自分が出したいアイディアがよりアウトプットに出てくる。要は造形でいう、例えば彫刻みたいなものをイメージしてもらって、石像でもいいですけどね、木像でもいいですけど、それをある程度掘り出してくれると。
だからより掘り出されたものがうまくいっているかを見ればいいわけですね。これ何でもそうじゃないですか。新技術、新しい技術によって簡単にプログラミングもそうですよね。簡単にAIに書かせてやってやるっていうのが主流になるのかどうかを置いておいて。
プログラミングを自我打ちできなくてもできるっていうことは多分出てくるわけですよ。細かいものとかクオリティももちろんありますよね。ウェブサイトもそうじゃないですか。
簡単なものだったら任せて作れる。もしくはセルフ型で自分でいじれるものであれば、見た目をいじって触れるようなものが結構ありますよね。
それってウェブデザイナーの人とか専門家とかいらないかって言ったらいりますよね。それで難しい。
結局全部をそれに任せることはできないし、一部のプロは残るし、趣味というか古典的というか感情的というか、自分はそれが職人的に好きだよとかいうのも残るし。
今まで作業的に書かなきゃいけなくて、書いてたし見てたけど、人間がそれもいらないんじゃないかっていうのがどんどん省力化されるから、これだけAIが普及する。もしくは話題になるっていうことでもありますよね。
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あとは、リスナーの方が気にしていただきたいのは、このポッドキャストがどこまで僕がしゃべり続けられるか。肉性がね。
流石に行かれたらバレると思いますけど、まず僕の声っていうのを読み込ませるかの、声はあんまり抵抗感あるんですけど、やらせるのは人によると思います。文章を嫌だっていう人もいれば、どうしよう。
そのあたり感覚次第ですが、うまくね。AIは道具、手段、パートナーですかね。付き合っていければいいかなと思います。今回は以上となります。
四国にラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。