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2025-05-13 1:00:05

AIと人でアイデア出しをしあって統合していくのが良さげ

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サマリー

今回のエピソードでは、アイデア出しにおけるAIの活用方法や創造性について探求しています。特に、違和感をもとにした発想法やAIとの共同作業の重要性が考えられています。このエピソードは、AIと人間が共同でアイデアを出し合うプロセスに焦点を当てています。彼らの違和感の発見やアイデアの分析・抽象化について具体的なアプローチが論じられています。また、AIと人間のアイデア出しの統合プロセスについて深掘りしており、クリティカルシンキングやラテラルシンキングの重要性が強調されています。AIと人間が協力して新しいアイデアを生み出す方法を探っています。AIを利用したアイデア出しの可能性についても言及し、楽しんで使うことの重要性が語られています。さらに、人間が自ら考え、AIと共に創造的な思考を行う必要性が強調されています。AIと人の統合的なアイデア出しにおいて、学びの態度やマインドセットの重要性も強調されています。特に、AIを通じた効率的な学習方法についてのインプットや実体験の共有が求められています。

アイデア発想の方法
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回はですね、アイデア発想ですかね。 AIとアイデアというわけでですね。
アイデア出しはですね、このラジオでもずっと喋ってますが、そんな話かなと。
アイデア出しとか、創造ですね。クリエイティブの方で興味ある方はぜひ聞いてください。というわけで、今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマはですね、AIと創造ということで、アイデアか。
AIとアイデアということで、アイデア出しにおけるAIの活用方法みたいな感じですかね。
まだ数は少ないんですが、実践として今やっているのが違和感発想というのをやっています。
違和感発想というのはですね、初めて聞く方もいらっしゃると思いますが、日常の違和感を材料にしてそこからアイデアを発想していくというやり方ですと。
一応僕が言ってます。世の中に違和感から発想されている方とか、そもそも先輩特許でも全くなくて、アイデアを出している方はこういうのがあったよというところから出しているので何ともないんですが、
そういうやり方を知らないとか、トレーニングしていないとか、練習していなかったら何づらいホイットになると思うので、要は簡単に日常に気づいたことからアイデアを出しているよというシンプルに考えていただければ、
それだけというよりもね、それだけなんだけど、割と考えていくと複雑だったりする点もありますが、一旦そこは置いておいて、そうやって違和感から出していると。
そういうことをやっていて、一つ取り組みとして、発想は全然良くて、ただ人間がやるんじゃなくてAIが手伝ってくれる、もしくはサポート、もしくはできないかという話でアイデア出しをね。
AIとの共同作業
AIにアイデア出しというのは、このラジオでも取り扱っているはずですが、現状を整理すると、AIだけでアイデアを出すことは難しいし、出してきたものを評価するものはやっぱり人間なので、
いつまで経ってもどこまで行っても、95%AIだ、99%がAIだ、99.9%がAIでも残り0.1%人間が残る。じゃあその99%とか言っている割合は何だろうね、となっていくんですけど、
一つは、リスナーのあなたご自身も考えていただきたいのですが、自分がアイデアを出したってどういう関与ですかと。これは著作権とかもわかりやすいですよね。自分の考えた文章作品って何ですかというので、
ショートショートとかAIに書いてもらっているとかやっているんですけど、あと取り組みですよね。以前も共有しましたが、文章を書かせる、過剰書から文章を書かせるようなことをやっているんですが、これをやると一定程度まとめて話した甲斐があるので、聞いてもらったらいいんですけど、どこか忘れてしまったので。
簡単に言うと、やりすぎるとつまらないよねって話でした。確かに楽なんだけど、それ何?みたいな。全部AIの使い方にもよるんですけど、自分の過剰書きを元にした自然な文章生成ができるから、自分の過剰書きが自分のアイデアだったらそこまで違和感はないんですけど、
文体とか文章のリズムとか、あと書くことはやってないわけですよ。だから職業的に文章を書いている人、ライターの人とか、小説がちょっと違うか、文章を書くような人が書く時間がないとか書かなきゃいけないんだけど、ネタはあります、それをサポートするっていう意味では今はいい時代なんじゃないかなと思います。
しかもその文体というか、その人らしさを出さなきゃいけないとか、その人のものっていう時で、らしさって何?っていう時に視点とか考え方だったら、それで多分AIによって失われるものってそこまでないかもしれないです。
あと、それで終わり。あと、文章を書く技術とか、書いてないから、喋って書くみたいなことをやっていると、喋って書くっていう技術は身につくんでしょうね。
だけど、実際に打ちながら書くとか、メモしながら書くみたいなのが衰えていくかなと思います。漢字が書けないのと一緒ですよね、書いてないとね。打ち込んでると。
それで、自分の使命が書けないとかあったら致命的ですが、そうでなかったら通っちゃいません。今漢字を書かなきゃいけませんなんていう人ってなかなかいないですよね。いてもいたらごめんなさい。
だから、その要は、今書いてキーボードを打つとかスマホで入力するとかってところで、いわゆるまかり通りってことですね。通じてしまえばいらなくなるみたいなところがあるとは踏まえつつも、僕の中では改めてそればっかりやってて書かないと自分で。
自分に苛立ちというかつまんないなって思ったっていうのがありますから、僕はですよ。あくまで僕はなんで。それはですね、あなたご自身がということですが、どこまで使ったらいいか、もしくは失うのか。要はつまんなくなるかってことですね。
面白い部分とつまんなくなる部分と、いろいろあると思います。それだけじゃなくて、つまんなくなるんだけど楽とかね。つらいけど面白いとかあるじゃないですか。つらいけど面白いっていうのはちょっと一概に言いづらいんですけど、その物差しいろいろ違いますよね。
ところがありました。なんで僕なりにですね、文章を書かせたりとかアイディア出させたりっていうのがやっているのがありますと。最近だと謎かけみたいなので、謎かけ最近言ってないですけどね。画像生成とかで遊んでたんですけど、画像生成もいろいろできるなってことで。
これもですね、生成物が変わるんだけどAIで出させるってことには変わりがなくて、ただあとはどこまでやっぱり関与ですね。人側がアイディアを入れてどこまでやっているかかなと思います。
正直なところですね。AIと人とのアイディアってところでいくと、人が言っているとかもありますけど、僕の中でやってみたところですよね。自分の中でやってみたところでは、最初のアイディアの部分をどこまで譲るというか出すかかなと。自分がですよ。
でも、さらに突っ込んでしまってわかりづらくなるんですけど、自分が考えたアイディアというのは日常生活の気づきだ、みたいなことを言ったじゃないですか。仮にその違和感で気づいたものから発想したとしてもですよ。
それに気づくってことは、今までの蓄積とか経験とか、誰かから人から影響を受けたものがあるから何とも言えないんですよね。
それを如実にというか、あからさまにこれから取ってきたとか、いわゆるAIで、最近はもう聞かなくなってきましたけど、ジブリ風というね。
チャットGPTでの画像生成というのが、いわゆるスタジオジブリですね。のものをジブリ風と入れていいのかどうかみたいな風に著作権はあるのかどうかとかね。
いろいろあって、僕はやってないですけど、いっぱい上がってましたよね。ある種ミームみたいになって、インターネットミームみたいになってて、どうなんだとか思いますが、
一旦そこを置いておいて、あからさまに指摘するとかを置いておいて、ただじゃあどこまでが許されるというか、許すとかもないんですけど、
どこまで目くじらを立てないぐらいのレベルなのかなっていうのは正直わからない。誰もわからないと思いますよ。別に僕がわからないだけっていうだけじゃなくて、
誰かそれ答え出してる人は聞いたことないですし、答えなんかないですね。だから少なくとも自分が考えたのはこうですよねっていう風に言えるぐらいのものというか、なると。
ただこれ何度も言ってますが、アイデア発想におけるロジカル的なものっていうのは、この間のラテラルじゃないですが、半分ぐらいしか説明できなくて、
違和感から言いましたってことは言えるけど、でもそこから飛ぶジャンプして、その気づきからそこ行けるんだみたいなところのジャンプは説明が不可能なんですよね。
そう思いましたとか、閃きましたしか言えない。
だから説明、これもまた聞いたことないんですけど、あなたのアイデアの出し方を全部説明してくださいって説明できる人いない?
説明できるというのは、僕が言っているロジカルな部分は言えますよ。
違和感とかこういうのからね、発想でこうなったらいいなと思って。
思っての部分は言えるんだけど、その思う部分の細かい説明はできないわけですね。
飛んじゃってるってことです。
話戻していくと、そういうところでいろんなやり方とかあるんですが、AIと今の話をまとめると、
AIとアイデアを出していくところで、自分の人間側が数パーセントでもいいからアイデアをやっとかないと、
持ってかれるというか、AIに持ってかれるような感じがします。
最近の危惧としては、想像的でも何でもいいんだけど、考えることをサボらないかと、やめてしまわないのかってことでした。
低品質なコンテンツの問題
これは既有な部分もありますが、こんな風に言うと良くないんですけど、
考えて使う人は考えて使ってるんで、別にどうでもいいというか、ほっといてもいいんですよね。
それで人は、さっきのライターの話をしましたけど、文章を作れるならそれで出せば、考えなくていいじゃんって思うわけですよね。
僕もわかります。それで任せればいいじゃんって。
でも任せられないんですよね、本当は。だから見て判断しなきゃいけないですよね。
これは誰でもわかるというか、そのままです。文章をAIに書かせて、読まずにして、そのままペタッと貼り付けてしまう。
個人の方だと思いますが、Kindleとか見てるとそういう文章が出てくるわけですよね。
これはさすがにこのままだなって。
それで何も得られないので、これは全然違いますけど、中国とかだと低品質な、
いわゆる動画VTuberみたいなやつですけど、2D、3Dモデルのアバターがいて、
それでECコマースみたいなのをやって売ってるみたいなやつは低品質なので、
ずっと同じことを繰り返したりとか、パターンの動きしかできないので、
同じ音声を喋っててもね、怖いですけどね。
それは見たことないですけど、日本で。見たことある人いるかわかりませんが、
日本でもあるかもしれませんが、そういうの禁止してるらしいんですよね。
禁止して、やるなって。
だからたまに驚くんですが、AI生成で自動化してコンテンツ作れるみたいな。
例えば僕が言ってた過剰書きでAIで出させるみたいなのを素朴にやることはできますが、
素朴というのは手動で試して記事を書くことができますが、
AIにそれこそアイデアを投げて、それを自動で文章を書かせて、
ワードプレスみたいなやつでネットでブログを上げてみたいなことを、
もしかしてやってる人はいるんじゃないかなと思います。
あとサービスがあるとそういう。
それが悪くは思わないですが、まさに低品質なものが量産できるので、
本当にやめていただきたいという感じはします。
なんでやめていただきたいかというと、
低品質なものがインターネット上にできて、どんどん悪化していくわけですよね。
例えば自分がAIで調べたものがあったときに、
AIがAIで調べたものを出してきて、
言い方が悪いですけど、バカになっていくみたいな感じですよね。
そこにその人とか運営側のアイデアが入っていて、
それを記事化しているというぐらいだったらまだ全然アリかなと思うんですが、
そういうアイデアでもなく、
書かせているアイデアもインターネット上でAIで調べさせて書かせるみたいなやつで、
そうなると何が起きるかというと、
もはや人が介在しないんだけど、
よくわからないネタをずっと出し続ける怖い情報サイトになっていて、
それを搬送させられる。
そればっかりになっていくと思う。
ひどいことになっていく。
だからSNSがまだ人だから信頼できるみたいなことを言い始める人もいるかもしれませんが、
そのSNSでさえ自動化されていて、
自動販売機じゃないけど、
自動販売機を見てあなた人ですかって言わないじゃないですか。
じゃないんだけど、
今もそうですが、これは人が書いているときに、
2択になっていて疲れますよね。
だから何なんだろうなとは思ったりします。
ちょっと脱線しましたけど、
そういうところで、
今回はベストプラクティス、
最適ではないんだけど、
実践的なプラクティスというか、
これは当たり前かもしれませんが、
共有したかもしれないです。
何ですか?重要だと思うので、
何度も話していきましょうというところで、
違和感発動というのもやっています。
そのときに僕が違和感を
プラクティスしているときに、
その違和感発動というのを
プラクティスしているときに
僕が違和感を見つけます。
これはAIは多分難しいんじゃないかなと思います。
中国だとロボットマラソンみたいなのをやっていて、
すごいシュールですけど、
面白いなと思いますが、
AIがフィジカルなものを得たときでもいいんですけど、
それなんだろうなというのがあります。
ラボットみたいな、マスコットキャラロボ、
マスコットロボみたいな、
人間の心理というか、
存在はペットみたいなやつですね。
それでも学ばせたとしても、
主人とか家庭とかの環境、
違和感の重要性
家庭とか世帯か、
その状況によるので、結局
どこまで詰めていっても、フィジカル環境を
自分の周りとかどうしていくかということになっていくと思うんですが、
今自分の環境というか周りもそうで、
自分が何を見て聞いて学んでいくというところでしかないんですよね。
違和感もそうだので、
現状、違和感を、
日常から何か見つけてくる最初のところは、
人間でしょう。
これがAIに変わるというのも、多分難しいんだろうなと思います。
仮にフィジカルなロボットで
いけるでしょというのは、理屈ではそうなんですけど、
今言ったように、
そのロボットはどこで何を学習させるかになっていくだけなので、
要は工場で生産ロボットをさせた時に、
その工場の話とかロボットしかないから、
体験しかできないじゃないですか。
わかります?
ずっと通路Aを行き来していた体験しかなかったら、
それは豊かっていったら豊かじゃないじゃないですか。
それをさせないから、
結局人間のようにロボットを
連れ回して体験させなければいけない。
子育てみたいなものだと思うんですが、
そのロボットを育てるみたいなことが必要になってくるので、
多分そういう育てたロボットが、
どんどんいい値段で売れるとかになってくるんじゃないですか。
多分ね。
今はそうなっているかもしれませんが。
なので、結局人間がやるんでしょということは、
僕は変わらないと思います。
アイデア発想のプロセス
そこから違和感発想というのは、
細かく言うと5段階、簡単に言うと3段階ですね。
簡単にいきましょう。
その材料は必須です。
日常で違和感を築いたこととか、
面白いことを引っ張っていきます。
それは文章で綴れるレベルのものでいいです。
ブワッと書いてもらうと。
それを分析しますと、分析というのは切り口で、
ここでは抽象化ということを扱ってしまいますが、
キーワード化とかもいいと言ってますけど、
これってどういうことが言えるの?
ということを3つぐらいにしています。
3つも深い意味はないんですが、
それぐらいにしておかないと、
このやり方が説明しづらいのかなということで、
3つのキーワードをぐらいにしています。
違和感はそんなにないです。
もし聞いている方でもできるのであれば、
違和感発想は別に言わなくてもよくて、
もうやられているかなと。
これが新鮮に感じるという方は、
ぜひやっていただいたら面白いかなと思います。
でも、単純に具体的なものを抽象化する、
キーワード化するというところでつまずくか、
具体的なものでしか処理できない、
ほぼ一緒のことを言っていますが、
できない可能性が高いかもしれません。
これは練習ですね。
誰にでもすぐできると思っていませんし、
やったことない人は大変かもしれないですね。
ただ、慣れているとか、
そういうアイディアを出している人だったら、
全然やれると思っています。
最後に発想です。
自分のテーマですね。
こういうときどうしたらいいかということがあるはず、
もしくは今考えている何かがあるので、
それに対してその切り口が使えるかどうかというのをやる。
これがアイディア発想ですね。
この3つ目があります。
原材料である違和感は、
僕が見つけてきたものと一緒なので、
AIと人間の創造性
僕とAIは一緒です。
切り口化でまずAIと僕で違います。
最後のアイディア発想も僕もやるし、AIにもやります。
つまり整理すると、
僕が人間の主導で違和感発想を自分でやって、
違和感を持ってきて切り口化してアイディアを考えます。
こっちは人間ターンということで僕のほうでやります。
次にAIターンのほうは、
違和感があります、それを分析してください。
それは質問文というか投げかけているわけですね。
これを基にアイディアを、
キーワードで分析したりしてくださいとします。
AIもAI側でアイディアをそこから切り口で、
テーマを投げておかないといけないですね。
自分の今回、
例えば面白い本とかビジネスショーを作ってくださいみたいなところの
面白いビジネスショーは何かというテーマにしたら、
それは共有するわけですね。
なのでAIと人間で共有するところは、
違和感発想でこの発想の仕方においては、
違和感という原材料と考えるべきテーマであるアイディア、
テーマは共有します。
そうじゃないキーワード化とか、
キーワードが切り口か抽象化ですね。
その切り口を作るところと、
実際にアイディアとして出すものは別ということですね。
4つぐらいあるかもしれませんが、
分かりづらいと思うので、
一旦人間側で、
僕の方で考えます。1ですね。
2つ目にAIはAIで考えさせる。
ただ材料としては、僕の感じた違和感と
考えるべきテーマは投げているということです。
僕は僕でアイディアを考えましたと。
人間じゃない、AIはAIで考えましたと。
それで違いを今見ていっているんですけど、
指定の仕方ももちろんあるんですが、
感覚的にね、
AIを普段使っている方だったら気づいていると思うところですが、
普段使っていない人だったらちょっと説明していくんですけど、
AIの創造、クリエイティブですね。
創造と人間の創造というのは違うんですよね。
何でかというと、
やはりAIの仕組み的に、
それらしいものをやはり出してくる。
推論モデルと呼ばれている頑張っている子も、
推論が頑張っているというだけなので、
それを適切に使えているかは置いておいて、
創造ということでいくと、
何かずれちゃうんですよね。
創造の方向性も、指定ができなければ、
こういうところを切り口で考えてくださいということができなければ、
あまりピンとくるものがない。
なぜならそれはぼやけたような、
いわゆる若い男性向けに
ビジネスを作ってくださいとか、
僕は当たり前のことになってきて、
20代の男性は、キャリアアップで
新卒で入った人だったら、
まだ1ヶ月ですけど、
もう1ヶ月で会社がつまんないみたいな、
キャリアアップで転職したいみたいな人向けに
ビジネスを考えられないかみたいな、
新卒1ヶ月経ったあなたに届けるよみたいな、
というふうに絞っても、あまり刺さらないか、
もしくは、キャリアアップって何があるの?
ということをもっと深く
踏み込んでいけるような
体験とか視点がないと、
英会話を勉強しています、
英語を勉強すればいいとか、
ITを勉強すればいいとか、
それこそ会計、会計最近聞かないですね。
金融と聞きます?投資なのかな?
最近全然聞かないな。
一時期流行ったビジネステーマがあると思うんですが、
そういうところで出していく、
AIが出してくると思うんですが、
あまり刺さってこないというか、
人間側が見ても、僕側から見ても、
あまり面白くないんじゃないかというふうになるわけです。
そのままやるとね。
なので、そのAIにおける想像というのは、
人によるんですが、
平均点60点みたいなところで、
よくも悪くも60点で、
80点の90点にならない。
するには人間側が思考を入れて、視点を入れて、
よし何して仕上げていく必要があるということは、
AIを使っている人は多分ご理解いただけるし、
AIを使っていない人にとっては、
人が色々加工して編集してやらないとダメなんだというふうに
理解をしていただければいいかなと思います。
やっといてと言って、
適当に人に、
自分に指示されると思ってください。
人の指示の仕方だと思ってください。
あまり気持ちよく動けなかったり、
何をやっていいかわからないような指示をする方が、
もしかして上司とか同僚とかでもいるかもしれない。
あまり指示が良くないというか、
そういうものであれば、
AIもどうすればいいですかと聞いてくるので、
それに対して苛立っていたらできないし、
その指示が曖昧であれば曖昧なアウトプットが、
曖昧なものがしっかり返ってきます。
それをもって、
AIは自分の鏡だという考え方もあると思っていて、
それはあるなと思います。
実際に僕も使っていて、
もしくはそれをもっと創造的にしようとか、
クリエイティブにしようということができないわけです。
そのあたりがあるなというのを感じています。
だから創造ということで、
その絵をAIで作らせるとかも、
どういうふうに絵を作らせたらいいかという指示や、
もしくはチェックができないと、
あまりうまく使えないわけです。
それをAIが道具だと言っているわけですね。
例えば、
わからないですが、
リスナーのあなたがノコギリでいいですか、
ペンでもいいですか、渡されて、
どうしますって言われて、
筆でいいですか、絵筆みたいな、
鉛筆にしましょう、鉛筆にしましょう。
鉛筆渡されて絵を描いてくださいと言われても、
絵を描かない人は描けないじゃないですか。
AIに指示をしなきゃいけないです。
顔を描いてくださいと言っても、
どういう顔になりますか?
某人間みたいな顔だったら僕も描けますが、
アニメ調の顔なのか、
漫画風がいいのか、
しっかりした輪郭がしっかりした、
太い線がいいのか、細いタッチがいいのか、
そのパターンってあります?
絵が描けないとか興味ないとか、
やってない人は描いたことがないから指示できないし、
もしくは実際に絵を描いている人は描けるじゃないですか。
言語化できなくても。
そこがポイントだと思います。
言語化ができるってことは、
それなりの体験をしたりとか、
発言というか言葉でまとめることができるということで、
これは何度か言ってるんですが、
言語化できる人は今AIをテキスト型でどんどんやってますし、
音声もできますけど、
有意なんだろうなと思います。
AIの創造ってことになっていくと、
そのAIが自分が創造的ですよっていうところが、
AIに意思があるとは思いませんが、
僕は考え方に思いますが、
そのAIが出してくるものは、
やはりトンチンカンのものが多いわけですね。
つじつまが合わない。
つじつまが合わないんだけど、
それは人間側が判断して、
合わないけど、めちゃくちゃだけど、
そういうのもあるかもしれないね。
重力を無視したような物体ができるというか、
逆三角形のようなもので立っている、
何かオブジェクトができている。
そういうアートがあるかもしれませんけど、
三角形じゃなくてね。
でもまあいいじゃん、そういう逆三角形の端末があってもいいじゃん、
みたいなものをAIは出してくるわけですよ。
例えば文章でもそういうことがある。
文章もそういうのじゃなくて、
ショートショートみたいなのを書かせると、
何かよく分からないことを言ってきたりするんですよね。
だから、
簡単に言ってしまえば、
AIの想像と人間の想像は違う。
少なくとも僕の想像とは異なるものが多いよね。
そうです。
人間がAIに対して使えないと思うのは、
これはまさに機体の話で、
人間が想像している機体ですよね。
人間がいいと思っているアイディアを
AIに出させるからおかしくなるんですよね。
これは完全にできないわけじゃなくて、
今の僕の実践からすると、
少しできる。
少しできるのはあって、
全部はできないということですね。
しかも、さらに条件を言うと、
人間を介在するという条件ですよね。
人間が主導するという前提ですね。
これは何度も、
コーパイロットという、
AIと人間のアイデア出し
サポートする、アシスタントするという状況を、
文字通りに理解して、
その通りだなと思っていたら、
別に戸惑うこともないし、理解でいい。
その程度になるんですけど、
あくまでも人間は人間のアイディアを出し、
AIはAIでアイディアを出し、
それは人間とAIはアイディアで共通するのも、
もしかしたらあれかもしれないけど、
人間がアイディアを出している、もしくは考え方であろうということを
推測して出しているものであって、
僕は意思はないと思っていたりします。
そうやって喋っているだけ。
僕はそんな感じで見ています。
だからAIをある種のものとして見ていたりします。
人間が出すアイディアと、
AIが出すアイディアが一緒だったら、
違っていたら、
人間があくまで主導して取り込んで統合して考える。
そうすると、
ここでまだまだまとまっていないですけど、
人が考えている、
そういう意味では人間と一緒なんです。
つまり僕が考えているものと、
リスナーのあなたが考えているアイディアがあったときに、
僕がアイディアを考えますというのがAとしましょう。
リスナーのあなたが考えているものがBとしましょう。
AとBは多分違うし、もしくは同じ部分もあるんだけど、
Aを出します、Bを出しますというのをそれぞれやった上で、
AとBを足すのか掛け算するのか、
どちらでもいいんですが、掛け算して、
じゃあCという別のアイディアを生み出すというのが、
僕は創発、要は何か新しいものを
生み出していくようなことだと思っています。
それがまさに創造だと言ってもいいですよね。
仮に僕が出したAというものしか、
リスナーのあなたがBというものに含まれていなかったら、
別にそうなんだねと確認ぐらいでよくて、
もちろんそこで話していって何か思われることもあるかもしれないけど、
あくまでも成果物としてのアイディアがAとBであって、
同じようなものだったらAとBがそうなんだね。
逆もありますよね。
リスナーのあなたから見てBと出していて、
僕がAというのが言っているんだけど、
それは結局Bというアイディアと一緒だよね。
一緒だよねとなったら、あんまりですよね。
持ち寄って、さらに違うCを出していきましょうとなっていると、
違ってくると。
ブレインストーミングという、
ブレストと俗に言われていますが、
一緒にアイディアを考えて何か出しましょうというのの、
ブレインストーミングの挑戦
失敗する例というのが、まさにこのAとBを、
それぞれの参加者が考えずに、
まさに社会的手抜きと心理学では言っていた気がします。
社会心理学で言っていたと思いますが、
とにかく自分と相手の2人だったら、
考えなきゃいけないんだって圧があるかもしれないですし、
考えていきましょうねという状況として、
考えましょうねという状況で、
4人くらいいたときに、
みんな出すなら自分考えなくていいやっていうのがあるじゃないですか。
そういうのが起きるんですよね。
実際にアイディア考えてきてねと言って考えてくる人います?
というのが状況であって、
それをやらないと干されたり評価が下がったり、
どうなのって白い目で見られるっていうのがあっても、
別に罰ゲームを受けるためにやってるわけじゃないから、
非常に難しいところではあるんですけど、
そうやってサボるから、
結局ですね、4人でABCDというそれぞれのアイディアがあって、
それをさらに深めていきましょうということにならず、
Aさんという人がいっぱいアイディアを出すから、
Aさんのアイディアを出してそれでいきましょうというふうな、
合意するような感じになってしまうわけですよね。
このあたりね、慣れだと思いますね。
もしくは、
そのアイディアを出していいかどうかという話で、
そのあたりです。
出していいっていうふうな場合があったらそうなると。
このあたりがですね、
なかなか難しいデザインとか設計の話なんだろうなと思ったりします。
環境で。
そういうところで、人間は人間で考え、
AIはAIで考え、もしくは人は人で考えて、
別の人は考えて、それを統合していくというところで、
さらに違うアイディアを出すというのが、
ちょっと長くなりましたけど、
ベストプラクティスというか、実践での最適なものかなと思います。
ここが、そうやって最適だと言うんだけど、
難しいなと思っているんです、同時に。
なぜならまず、
自分で単独でアイディアを出し切るということをしなきゃいけない。
今回はAというアイディアを出して、
例えばビジネス賞の話をしましたが、
ビジネス賞を書くならどうかというテーマを違和感発想をして、
こうですよという自分の違和感から
具体的なものを消化させて、抽象化して、
それをやるということをやらなきゃいけない。
別に違和感発想じゃなくてもいいですよ。
こんなのどうかなと思ったのがある。
それをまず自分でやり切りなきゃいけない。
次にAIに出させるということで、
AIに出させるのは人に聞いてもいいんですけど、
そういう人がいなかったりするって聞いたことが多いので、
クリティカルシンキングの重要性
AIに聞けば別にやってくれると、こういう風に考えてくださいと言えばやってくれる。
だけど、そのAIの創造というのが、
一応その心身系のクリエイターみたいな指定をしているんですけど、
別にそうじゃなくても、
何でもいいんですが、
結局そのクリエイター視点とか何でもいいんだけど、
指定したところで、AIが出すものが全てであるし、
それをどう僕ですね、
支持する側、人間側が、
期待する側が何を期待しているかというだけになるので、
究極的には。
文字通り心身系のクリエイターの考え方だからいいよね、
なんていうことは思っていないわけですね。
それを思っていたらちょっとまずいですから、
それは批判的に見ないといけないわけです。
指定したものはちゃんと出てくるかということで、
ハレーションとか幻覚ですね、
AIがよくわからないことを言ってくる可能性もありますから、
それを見て考えると。
最後に投稿する。
最初にまず自分で出し切るというのが難しいんじゃないか。
次にAIにそれを支持できるかどうかという問題です。
どういうふうに言語化して、
AIに考えてもらうかというところが、
発想法というのも言語化が半分しかできないと言っていますが、
でもその半分のところはしっかり言語化して伝えなければいけない。
少なくとも、
リセラーのあなたがもしくは同じようなことをやるなら、
自分のアイデアの出し方というのはこういうふうにやっていますということが
説明できなければいけないんだけど、
これはアイデア出しにおいて手前ミスですが、
中級者以上、慣れていない人だとできないです。
慣れている人でも説明できない人がいらっしゃるので、
説明する必要はないですからね。
誰かにやり方を。
それを共有したかったり、誰かに仕事術として
高めたいとか、
他の人と共有したいという人がなければ、
言わなくていいなと思います。
だから別にみんなができるわけじゃない。
アイデアを出せる人がみんな説明できるわけじゃないということに気づくかなと思います。
つまりアイデア出しと言語化が必要。
さらにAIに支持するということで、
AIをある程度使ってないとできないですが、
言語化できて説明できる人だったら別にAIは使えますから、
別にAIのリテラシーの話は出てこない。
でもAIは使ってないといけない。
あとはそれを共有するメディアなり場なりがないといけない。
というのが統合されてやっと
ここのポーズガストでいっているという感じになります。
でもこれを一般の人にやってくださいというのは
しんどいかなと思ったりするので、
別にリサーナーのあたりそれをやれというわけではなく、
あくまでもエンタメ、もしくは学びとしてね、
そういうふうにAIを使っている人がいるんだというふうに気づいてもらってもいいですし、
アイデア出しにおけるそういう会話、
一つのやり方として自分で考えましょう。
AIにも考えてもらいましょう。
お互いを刺激して、
少なくともお互いという概念ではなくて、
自分にAIの刺激をもらってヒントにしてやると。
その期待値が
毎回絶対必ず出せるというのは
ちょっとコクだと僕は思っているので、
5回に1回かな。
2割、3割くらいで
いいのがあったらいいなというぐらいです。
逆に言うと、5回やって4回ハズレがあると。
別に普通だねというのがあってもいい。
これはどういうふうに
慣れていけばいいかというと、
AIを使っていって、そうなるよねというのを
対話というかやり取りしてやっていくしかない。
それは思います。
コミュニケーションというか分からないですけど、
人に対しても全く同様で、
何か言うじゃないですか。
それがすぐ分かりました、こうですねという人って
優秀な人だと思うんです。
なぜその人がすぐ分かっていけるかというと、
それを何万回やってきたり、
何度も違うやり方なんだけど同じようなことやってきたりして、
それを考えているからある種予習していたり、
すでに習得済みだから言えるわけですよね。
出ない人がそれはさすがにできないじゃないですか。
ということで何度も言って、
学習してもらうもしくは学んでもらうしかないかなというのは、
結局一緒なのかなと思います。人だろうがAIだろうがね。
ただAIは僕は別に人格とか認めてないというか
ないかなと思うので、
あったとしてもそれは錯覚かなというふうには
僕はあくまでも考えています。
というわけで今回はアイディア脱出というところで、
AIと人間でアイディア脱出していくというときに、
最近の危惧であった批判的思考、
クリティカルシンキングと言われるものとか、
この間のラテラルシンキングでもいいですが、
結局人が考える、
無駄なものであろうがそれは何?と思われるようなものであろうが、
人が一旦考えて受けて考えるということが
めちゃくちゃ大事で、
それを文章の話にもしましたが、
AIが書いてくれる、やってくれるからと言って、
怠けるわけですね。やらない。
その臨界点ということは良くないですか。
行き地みたいなのはまかり通ってしまう。
要は別に漢字書けなくても打てればいいよねみたいなので、
まかり通れば漢字書かなくなるみたいな話が一緒で、
僕は一緒だと思っていて、構造的に。
それが問題が起きなければいいやっていうところで、
AIで出してそれで問題が起きないからいいよねみたいなのが
起きてるんだろうなと思います。
むしろ、
ババ抜きじゃないんだけどトランプの。
問題ないよね。
問題ないでしょって通していく。
通しをしていくということで、
いいよね。
AI使ってそれで問題ないからいいよねってなっていった時に、
人の思考として考える量が減って、
批判的でもいいし、
本当かなっていうのをサボるわけです。
人間って別に僕が
みんな学ぼうとかって思ってるわけじゃなくて、
僕も含めて、僕もですよ。
サボろうとかやめようとかめんどくさいからやめようみたいな。
考えなくていいよみたいな。
AIに全部任せればいいじゃんみたいな。
感覚で本能的にサボりたいと。
でも面白いのかなみたいなのがあると。
僕の中に最後に残るのが面白いのかなってなって、
別にAI投げてそれで成立しちゃったら
別に自分が関与する余地ないから
なんかつまんないよねってなるわけですよね。
分かります?その感じ。
これは人によって全然違ってくると思うんですけど、
まさにそこで僕がアイデンティティというか、
AIとの関わり方
自分が関わるならこうしたいですよねみたいなのが
素朴に出てくるっていうだけです。
多分ねっていうところです。
その時に
自分が考えたものっていうか
人間が考える。僕が考えるってことですけど、
考えないとそれが黙ってくるだけですね。
漢字が書けなくなるのと一緒で黙ってきます。
今やってるってことは
それがやっぱり鍛えられてるってことなんで
大事なんですよね。
その影響がどこまであるか分かりませんが、
AIを使うことによって
より考えられるとかっていう人は
多分シンプルにより深く考えたり
何か学んだりすることが好きな人で
農営の使われとかはあるんだけど
楽しいんじゃないかなと思います。
楽しんでる人って今勝てないみたいなのありません?
勝ち負けないんですけど。無理にやってるとかね。
しんどくないですか。
僕はAIを楽しんで使ってると
ボリュームに張るんじゃないかなと思ってます。
でもAIを苦しんで使ってる人はいるかもしれませんよね。
つまんないなとか。
退屈だ。
違います。そうやって使ってないですよってことは
誤解がないようにお伝えしておきます。
人格ないからこき使えとか思わないですけど
フラットに使ってるって感じですかね。
ちゃんとありがとうございますってお礼も言いますし
お願いしますとか言ったりしますしね。
やれとか、そんな命令系でやってないですよ。
それは置いといて。
そうやって
楽しんで使うってことですけど
人間側が思考しなくなったりとか考えなくなるっていうのは
ある種の起因として言われていると思います。
起因というか考え方としてね。
でも起因でも全然なくて
創造性と人間の役割
あんまり考えなくて今までより考えなくて
まかり通ってしまう何かあれば厳しくなると思います。
でも多分これ構造的に難しいなと思ってて
要はみんなサボり始めるわけですよね。AIでできるってなると。
でもサボったところで他の人も同じようにサボるから
結局サボり合いみたいになってきて
前も話しましたけど、前もずっとやってますけど
サボるっていうか生まれた時間をどうするのかって言ったら
サボってるわけじゃないですか。
理屈で言うと。AIによって効率化されたり
やらなくて良くなったから自分が働かなくていい
その動かなくていい時間を
AIに任せてるわけじゃないですか。
浮きました。じゃあそれはあと休む。
そうするだけで全部できないから
無駄なこととか違うことやるじゃないですか。
その時に結局人は他のことを考えるってことになると
僕は思ってるんですけど、そうじゃなかったら
何やるんだろうなっていう話になってきて
結局人間とはないか。
なっていくんじゃないかなって思います。
ずっと言ってますけどね。答えないですよ。
そういう風になるんだけど、結局人が何で生きてるんですかとか
何で使命は何ですかとか
生きる意味は何ですかって言われた時に
生きる意味ないなんていうことじゃなくて
自分で見出すしかなくて
それはAIは絶対考えてくれないですよね。
自分が考えても答えも別にあるわけじゃないですよね。
自分がこれをやるために生きてますとか
これやりたいんだっていうのは全然自由意志ということで
ありですけど
本屋やらなきゃいけない理由があったとしても
あなたが生まれた瞬間から本屋やるって決まってるわけでもないし
別に花屋やってもいいわけですよね。
別に本屋とか花屋さんがどうってわけではない。
それは決まってないですからね。
っていうことを
哲学でこうなっちゃうんですけど
考えていくのかなっていう話です。
そこでサボれるからとか楽できるからとか
より考えられますっていう風になるのかなって
僕は結構怪しいなと思ってまして
アーダー講座言ってるんですけど
自分が
普段やっているところでAIが入ってきたから
こういうことができるようになりましたっていう
AIがあることでカウンセリングっていうところも
若干怪しい部分はあるんですけど
それによって気持ちが楽になったぐらいだったら全然いいですよね。
ただ結局
人の改善できる
要は道具なんですよね。
人生変わったって怪しいじゃないですか。
だから人生変わるって怪しいのは
それによっていきなり何か変わるわけじゃなくて
AIを使って
それでいろいろ試して
その試した結果を学んで
それを使いこなした結果でしかない。
わかります?
アイデア出しの実践
ゆえにその道具をうまく使いこなせない人もいるし
さっき言ったAIつまんないよねって言って
脱線というか離脱してったというか
こんなのどうやって使ったらいいんだっていう風になる人も
たぶんいらっしゃるし
その使い方もいろいろあっていいし
悪いことする人もいますけど
そういう結局使い方とかになってきて
最終的には
さっき言ったように人間はなんで生きるのか
みたいになっちゃうので
ゴールはないんですよね。
だから話としては
こうやって決めつけてるわけじゃないんだけど
AIが今入ってきて
AIがあるから何かができるっていうよりも
人間側のほうで社会として
もしくはその人が生きている中で
考えたいものがあるからAIを使ってより考えれるとか
アイデアを出したいからAIを使ってまた別のアイデアを出す
僕みたいなことをやろうとする人もいれば
なんか研究したい、マイプロジェクトじゃないけど
こういうことやってみたいから調べるものを女子として
アシスタントとしてやるとかね。
こんな話などもしてますが
自分がやりたいことがあって
それをAIがサポートしてくれるだけであって
AIにそれを言わなきゃ話が始まらないし
そういうなんかやりたいっすねっていうのはなければAIは上手く使えないし
なんかAIが言ってくれるからやりました
なんていうのもちょっと滑稽じゃないですかね
自分が消えていく感じがしますよね
まさにそれがそういう時代になっていくか知らないです
自分がやるんじゃなくてAIが言ったから正しいとか
AIが言ったからそうだっていう風に
AIが言ったからそうじゃなくて
AIが言ったことは何ですかってことは考えなきゃいけないですよね
っていう風になってて結局教育学びっていうのも繋がってきますけど
モチベーターとしてその人のやる気じゃないんだけど
なんで学ぶんだろう、なんでやるんだろうってことの
それこそ何度も言ってますが
その自分がまさにミスラーのあなたであるし
僕もなんで面白い、なんでつまんないの
っていうのを考えてより面白いことをやっていく
自分が面白いと思ったことを
信じるっていうのはちょっと変ですけど
面白いと思ったことをやってみるみたいなことを
結局やっていくしかないのかなっていう風に
AIとアイデアの話でも
たどり着くんですよね
自分が面白いと思ったことを考える、取り上げる
それをAIに投げてみるっていう
その返しでしかないかなっていう風に
改めて思ってます。この違和感発想と
AIで一緒に考えていくという取り組みで
毎回投げたもので
自分が考えたものとはない
自分とは違う視点のものを
AIは出してきますと
ことが多い、共通することもありますけどね
だけどそれも視点というか自分が投げかけるものとか
自分自体によって推論が難しいとか
他の人の視点として
AI的にどう考えられるか
難しいものはやっぱり難しいわけで
そのままですよね
全然違う体験というのを結びつけることも
できるはずだから
ネタはめちゃくちゃあるわけです
じゃあそのネタは誰が投げるのって言ったら
人間がまさに僕が
情報としてきたものとか
対話のチャット景色が出てくるものに対して
どう頑張っても興味ないですよ
なったら入ってこないわけです
学びにおける興味を開拓するということで
いくとなんか面白そうだなとか
なんだろうなこれっていうのはやっぱりないと
学ばないし得ようとしないじゃないですか
それは原理原則として僕の中であるので
いかに楽しそうだなとか面白そうだな
やってみたいなって思えるかがポイントになるんだな
っていうことが今のところ得られていますし
多分これは変わらないので
すごくざっくり整理しちゃうと
学ぶとかアイディアを出すとか
興味関心とか面白いってことをやるのが
すごい大事だし
人間のアイディアというか
創造ですねクリエイティブのところはやっぱり違うし
あくまでも手動は人間で
道具としてAIを使って出させるっていうね
別にコキ使うって感じじゃないんですけど
あくまでもそこは人間手動だよねっていうのと
それがあるからっていって
アイディアを出すところで人が
サボって何かできるかっていうと
多分普及していったらそれが普通になるから
キーボードであれインターネットであれ
スマートフォンと一緒って考えれば一緒で
みんな使ってたらそれをみんな使ってくるとなるんで
同じになるわけですよ全部使ってる条件はね
そうするとAIの今は差があるわけじゃないですか
リテラシーの差がある普及度利用度と知名度の差が
知名度というか普及度は認知度はあるけど
利用度とか普及ってことは使ってる人は
まだそんなにっていう
あと使い方もあるじゃないですか仕事で使う
フライブで使うみたいなのあるし
ってときにだいだんそこが慣れていったときに
結局人が面白いと思ったネタを投げて
それを使って作っていくみたいなところっていうのが
慣れるになってくるわけですね
つまり人間の興味関心みたいなのを開拓する
何が面白いのやりたいのっていう部分と
その2つぐらいしか残んないんじゃないかなって
僕は勝手に思ってます
だからそこができてる人はAIが今楽しいはず
っていう仮説がありますので
じゃあその今言ったようなアイデア出しも
なんていうんだろう
AIに投げてっていうことができるとかやるかっていうのは
自分の方でアイデアの出し方とかや作り方を
僕はできてるしやれるから楽しめるんですけど
それがない人にとっては
AIにアイデア出しっていうところで
別に仮名中とか全然できると思いますが
やり取りしてもやり取りにならないわけですよね
ラリーにならない会話にならないっていうやつですね
何かアイデア考えたいんだけどどうですかって言われて
じゃあこういうのやったらどうですかって言われるんだけど
それはインターネットにあるような冗談っていう話になるんですね
多分その人にとっては
それはそうですよ
その人が考えてなくて
考えてないですまさに
考えてないっていうのはどういうことかというと
また考えていきたいですけど
それを置いといて
自分のイメージしているものがあります
それは開示せずに相手に
自分の中で相手の言ってることとは違うよってやつですね
これは卑怯というと怒られるかもしれませんが
自分の考えていることを開示せずに
深まっていくわけないじゃないですか
それだけです
それがわからないかもしれない
レベルというか感覚だと
例えば楽してお金を稼ぎたいですと
でもですよ
どんな苦労も厭わないので副業でいいから
稼げるアイデアをしてくださいみたいに言っちゃう
返りがあるじゃないですか
上は自分にめちゃくちゃ嘘をついてますよね
それで求められても楽して稼ぎたいから
楽して稼げることではないですよね
みたいなことを思っちゃうわけですね
本音では
だけどそうじゃないものが出てこないって言って
使えないみたいなことを言う
そんなものじゃないかなと思ったりします
だからまさに鏡で
学びと態度の重要性
自分が考えることをしないと
AIに指示できないし対応にならないから
結局深まっていかないし
これはどういうことですか
これと関係あるんですか
統合できないし結びつけられないんですよね
僕はインプットはどうしてるのか
ぶっちゃけこれは普段の日常生活の
一日の蓄積というか学びとか
こういうことがあったああいうことがあった
入れてどうなんだってことを考えないと
何も本当に生まれないんですよ
本当に生まれない本当それだけです
種も仕掛けもございませんというところ
元も子もない言い方をすると
学びの態度とか人から学ぼうとかでもいいし
感覚を磨こうでもいいし
それこそ態度ですよね
マインドセットの話になってきて
どうしたらこれを楽しめるかとか
より面白くするにはどうしたらいいかとか
今このつまんない作業は
違うやり方をしたらいいんじゃないかとか
そういう態度に出てきちゃうんですよね
それを一朝一夕でパンタイ作れますとか
いうのは怪しいですから
愚直に日々積み重ねていくしかないというところになっていて
まさに今の状態でどうかを
というのが今までの過去の蓄積でしかないから
もちろん未来は全然違うんだけど
今というのは過去の蓄積でしかないという
感覚があります
いきなりプロ野球選手になりたいと思ったら
なれるわけじゃないじゃないですか
練習とか学ぶとか
学習遅延というかだいぶ差があるラグですよね
時差があるということを
タイパーコスパーの時代で早くなっていって
もうそこが分からなくなってるんじゃないかなという危惧が
僕の中ではあります
つまり教育とか学習とかは短縮できてるのかって話ですよね
多分できてない
人間の脳がそんなに発達しないからですよね
AIが入ってきて
習得が1年かかるものが1ヶ月になりますかというと
分かんないですね僕も
それがもしできている事例があったら全然教えてほしいのと
それは
すでにある学習を
効率化したということじゃなくて
デジタルネイティブみたいなもので
SNSとか常時繋がってるのが当たり前ですみたいな
ところでの
全員が習熟しているみたいな感覚
みたいな感じで
AIがまだ入ってきてないかなと思います
その要は1割2割の人がすごく使いこなした人が
普段やってるからできてるだけであって
普段やってない人でも全然できるとか
そういう事例をどんどん見ていかないといけないなと思っていて
それがなかなか事例としづらいのは
主観というか感覚が人間の感覚として
学びとかっていうところを
定期的に書いてどうやって上達していったか
いわゆる勉強ノートみたいな風にしていくのが
難しいからなんだろうなということも思っています
という意味では僕自身がやっている和感発想というのを
AIと自分と一緒にやっていくというのは
一つの改めて
学びという意味では試みなのかなと思います
ただこれはアイディアを出している自分がやっているだけなんで
アイディアを出しがこれから身につけましょうとか
いう人をAIでやるというわけでは全然ないから
ちょっと外してるときは外してる気がするんですよね
その辺りまだまだ
AIと学びということはですね
AIを仕事で効率化するというところは
別にやってもらえればいいし
どんどんこれからAIエージェントになっていくと思うんですが
AIと学びの方ですよね
この辺りを改めて探っていきたいなと思いました
もしですね
実体験の共有
こういう学びの事例があるよう
効率化というよりも
今っぽい学びですよね
学習したでもいいですね
よかったよ
実体験ですよね
実体験としてこういう風にやったらよかったですよ
もしあればコメント
レター等いただければ
ぜひもしよければ共有していきたいと思うので
よろしくお願いします
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました
ありがとうございました
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