1. シゴクリラジオ!
  2. しゃべると脳が動き考えやすく..
2025-04-24 27:17

しゃべると脳が動き考えやすくなるかも

spotify apple_podcasts

---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/618b94773db982af52639b7a

サマリー

このエピソードでは、話すことが脳の活動に与える影響や、それがアイデアを生み出すプロセスにどのように貢献するかを探求しています。リスナーとのコミュニケーションを通じて、思考力を鍛える重要性が強調されています。また、相手とのコミュニケーションに対する不安についても触れ、攻めと待ちの選択肢を考察しています。さらに、会話や思考を通じて脳を刺激することが重要であることについても述べられています。

しゃべることの意義
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。 今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、しゃべることをですね、話をする。 話し自体というよりも話していくこと。
ポードキャスト自体、この今ね、お話ししているリスナーのあなたにお伝えしていることもそうですが、
しゃべることですね、何だろうかというところで、 まさにですね、しゃべること自体が考えながら、脳ですよね。
頭を使うというか、脳を動かしながら考えを整理し、それを伝えていく。 もしくはアイデアを得て、それを常に伝えていくと。
確かに頭の回転みたいなのがあるのかもしれませんが、 この話すことについて、結構慣れというかね、何でもそうですが。
訓練というか慣れていくと、いろいろできることが増えていくんじゃないかということで、
今度はしゃべることについてですね、 少ししゃべることとアイデアについて話していきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリーラジオの大橋です。今回ですね、しゃべることとアイデアですね。
アイデアを出すことかな、もしくはアイデアが生まれること。
よく雑談をします、アイデアが生まれますみたいなことを、 ここで言っているかわかりませんが、生まれますよねと。
そういう前提になっているんですが、そのあたりリスナーのあなたはどうお感じでしょうか。
誰かと話していて、最近でいいんですが、アイデアがこんなの生まれたとか、解決したよとか、
もしくはアドバイス、もしくはヒントを得たよとか、 気づきを得るなんてことはあるかもしれませんが、
それも一つのアイデアかなと思います。
例えば、わかりやすい事例かわかりませんが、話すことと脳、もしくは頭が動いているかどうかという相関というのは、
話している人の方が考えているように映ると。
僕が話すことは好きなのですが、ただ話すことが好きというと、誰でもいいみたいなのもあるわけじゃないですか。
誰がいても、話が好きというのはいろんな意味合いがあって、
とりあえず誰でもいいので、話を聞いてもらえればいいみたいな人も、
話すというのはおしゃべりですよね。行為が好きという。
それはどちらかというと、話してスッキリする、ある種カラオケではないですが、
声を発してスッキリするという要素が強いのかなという感じがします。
であれば、自分が考えていることを話して、それが全く無意味なことで、
特に取り留めもないことがダメというわけじゃないですよ。
であったら独り言でもあるかなと思います。
ただ、独り言をずっと言っていてもしょうがないというかね、
メリハリというかね、手応えがないので誰かに聞いてもらいたいんでしょうね。
そういう若干ネガティブな意味合いもあれば、
話を言語化とよく言われますが、状況であるとか伝えたいことを言葉にして、
それを相手に理解してもらうように伝えること。
これが多分言語化というところに近いと思いますが、
何でも言語化できるわけじゃないんですよね。
逆張りというか、言語化というのが通用しないというか、あまり意味がないのは、
例えばアートとか創作表現みたいなもので、
この作品いいよねという時に、何がいいかをもちろん説明して、
共有して伝えていくことは大事ですが、それはクリエイターというか創作者ですよね。
例えば小説であれば作家の人が、
こういう世界観を伝えたいと思いましたというのはもちろん、
言ってもいいし言えるんだと思うんですよね。
だけど、それを言語化するという時の言語化の手段は、
あくまでも小説という文章を読んでいったりして、
そこの世界にはまるというか、読者を引きずり込むというよくないですが、
誘ってそこに入っていくと、まさにその行為、没入じゃないですけど、
それがまさに小説の読書感というか、読み応えというか、ものなわけですよね。
だから似ているものももしかしたらあるかもしれませんが、
やはり文章自体というか、表現、作家の表現とか、経験からですね、
伝え方が違ってくるわけで、そこで違いが出てくるわけです。
話を戻しますと、小説家とか作家の人が、
自分が出したい世界観というのはこれなんだよね、と仮に言えたとしても、
それを表現するのが小説であるので、
この小説はこうですというコンセプトを言うのがね、
もちろん言えないと作れないとは思うんですが、
それを表現するのが上手いというのを小説家という人に求めるものでもないのかなと僕は思ったりします。
だから創作して表現できればいいわけなんで。
だけど全く伝えたいことが言語化というか、全くわからなかったらやっぱり作れないので、
ある程度いるというちょっとぼやっとぼかした言い方にはなるかなと思います。
またさらに話を戻しまして、話していたら考えているかというとそうでもないと。
逆ですよね。ただ言葉を羅列しているだけだったら、
怒られるというか意味ないですもんね。つまらないですよね。
逆に黙っていたら、口数が少ない人の方がいいかという話もあるじゃないですか。
確かに喋っていなくて鋭いことを言うという、演技じゃないけど役割もあるし、
そういう状況があってもいいと思うんですよね。
なかなか喋りづらいけど、頑張って走ったことがそこで会議じゃないけど、
話の中で転換するものとか刺激を与えるようなことが起きるということもあるわけですね。
話の数が少ないから考えているというね。
考えているように思うけど、これも別に話せばいいじゃないですか。
話すということが、そこまで僕も言語ができていないんですけど、
得意不得意もあるじゃないですか。支出というか先天的なものもあるし、
後天的なもので話していると少しずつ喜ばれたというか、
いい反応が得られたので喋っていくというのもあるかなと思うんですよね。
僕自身は喋るとか話すことに対してポジティブなので、
毎日平日ですかお話しすることができますが、
なかなかそれが厳しい方もいらっしゃるし、
みんながみんな喋れということも思わないですよね。
その人に会ったような喋り方、話し方、伝え方というのはもちろんあるんだけど、
結局求められるというか、アイデアを出していくというところでいくと、
喋りながら考えながら話すというのは、割と鍛えないと結構難しいんじゃないかな
ということを思ったというのがあります。
話すことの疲労感
よく話をしていて、話がついていけない、もしくは2人で話していて、
1対1で話していて、相手が言っていることに対してついていけない場合があるとします。
その場合、相手に展開のスピードを落としてもらうとか、話の展開スピードですね。
小説とか文章であれば、読むスピードというか、1行目から2行目にいくスピードとか、
1行にある文字数みたいなのをイメージしてもらえればいいかもしれませんし、
映画とかであれば、まさに早送りのようなスピード感だと、
その人が言っているセリフを聞きたいよとか、じっくり聞きたいよとか、
もしくは背景とか情景は飛ばしてください。
背景とかね、わざわざ撮影しているんでしょうけど、飛ばされてね。
会話の部分だけでかいつまんでいる。
小説であれば、いわゆる字の文というやつですね。
会話文じゃないもののストーリーとか、背景とか、状況を書いたりする。
もしくは、主人公、登場人物の心情とかね、心象風景というんですか。
なんでそのように考えたかを書くとか。
それは色々あっていいかなと思いますが、
そういうののスピードを緩めるとか、伝え方を変えるというのはありますよね。
その時についていけないから、緩めます。
緩めて一緒に考えていきますということで、
そこで明らかなのはですね、話をしていて、相手がいる場合はですよ。
相手がいる場合、このポッドキャストの相手が、リスナーのあなたがいらっしゃいますけど、
その人の個々のスピードにね、一人一人のスピードには合わせられないので、
僕のペースでは話すことになるんですが、
それがあまりにも展開が早い、もしくは展開が遅いと、
やっぱりちょっとイラっとするというか、ストレスになるわけですよね。
とはいえ、人って理解度というか、理解のスピードがやっぱり全員違いますし、
別に僕が早いとか遅いとかそういうことでもなく、ちょっと分からないんですけど、
その分野とかね、知っていることであれば、記事のことでは早いかもしれないし、
知らないことであれば、もっと遅いかもしれないなと。
そういう中で話しながら考えていくということは、
もしくは考えているということは、話をするんだけど、
まさにアイディア出しなどにおけるインプットをして、相手の話を聞き、
それを自分はどういうことが思い出すか、もしくは問いかけとして、
この人は何を言っているのか、もしくはさっき言ったキャパオーバーで、
相手の話についていけないので一旦ちょっとストップさせてください、
整理するとこうですか、というようなことをやり取りする。
それを何回かやり取りしていったら、さすがに相手も気づいて、
もしくは相手に求めて、もうちょっと展開スピードを遅くしてくださいとかね、
いろいろ言えるかもしれません。まさにそれがコミュニケーションだと思うんですが、
そういう話しながら考えているということがまさに結構頭をね、
僕が言うのも何ですかと思うんですが、考えているという気がまさにしています。
これ何かというと疲れるんですよね。頭の物質というかエネルギーとか燃料というか、
分かりませんけど使う気がします。
なので話していて、理解される方、リスナーのあなたも疲れるかもしれません。
ながら作業しながら、でも何か面白いことを言っているなとか、
もしくは面白くないことを言っているなということで、処理をされていると思うので、
その時に、今まさに疲れているかどうか分かりませんが、聞いていて疲れる疲れないとか、
話すことの重要性
もしくはそこまででもないとか、知っていることだったら流して聞いて、
知らないことだけピックアップするとか、その耳というか聞いてどう処理するかというところがあるので、
聞いていたら全く疲れないことはないんだけど、よりそれを理解しようとした時に、
知らないことだらけだとやっぱり疲れるし、
知っていることだったらあまり疲れないのかもしれないですよね。
さっきの話に戻っていくと、話すから考えているわけでもないけど、話さないから考えているわけでもないというか、
要は話す量とか、量とか質とかって言ったら乱暴なんですけど、量が多いから話して考えているわけでもないし、
ただ、ではないわけですよね。とはいえそのまで踏まえた上で、話をしていかないと自分のアウトプットですね、
自分の考え方とか考えていることがやっぱりわからないかなと思ったりします。
だから書くこととか話すこと、何でもいいんですけど、自分の頭の中とか自分の中でとどめておくことを良しとすると、
別に全部出さなくていいですよ。全部出さなくていいんだけど、
共有したいこととか伝えたいことっていうのをやっぱり伝えていかないとですね、
頭が動きづらくなる、縄る感じはします。
ということは思ったりしませんか。実際のあなたはいかがでしょうかっていうのを振りながら、
考える力の向上
自分の中でアイディアを出すことでもいいですし、何か考えることでもいいですけど、
そういうのってやらないと、逆なんですよね。やってるから鍛えられるし、
同時性というか即時性というかわかりませんけど、双方向性ですよね。
自分が発するから考えるし、考えるから発せられるみたいなのが、
同時に起きてるんじゃないかなと思ったりしています。
だからいろいろ刺激になるんでしょうね、話すってことで。
いろいろ使われるっていうのも、いい意味でも使われるんですよね。
なのでフォトキャストすごくおすすめです。
ただいきなりですね、完璧というかうまくしゃべろうとか、
4月後半に入ってますけど、新しいことをもしかしてやりたいという方がいて、
どういうことを話したらいいか、フォトキャストをやったらいいかわからないという方も
いらっしゃるかもしれませんが、何でもいいんですよね。
自分が話したいことを話していって、面白いかどうかっていうのは、
話をしてみて自分の中で気づきを得たりとか整理できたりするとか、
僕の中では自分の中で今回の回だと話をしながら整理して、
これが得られたかなみたいな感じでやってたりするんで、
かなり気楽なものですけど、そういう感じで自分が楽しんで続けていけるのを
いきなりは難しいんだけど、やっていくうちに少しずつ見つけていくっていうのが
一応ベターなのかなと思ったりします。
だから一緒に仲間がいたらもっといいですよね。
一緒にやる人でもいいし、一緒に聞き合うとかでもいいかもしれないですかね。
そんな感じで喋ること、話すことで考えること。
だから最近話してるのは偶発性とかもそうですけど、
アイデアを出すときの感覚として、待ってたり追いかけるっていう行動、
そういう行動だけで即得られるっていうとか、もしくは見つける、探すとか
あるっていうものではなくて、何でかというと脳というか
頭を働かせなきゃいけないわけですよね、アイデアを出すときって。
それがインプットであろうが、アウトプットであろうが、
思考するというか考えるというときであろうが、何でもいいんですけど、
結局脳が動かないと。
眠いとか眠くないとかそういうのもあると思うんですけど、
コンディションが割と良くて、睡眠も取れてて、
ご飯というかカロリーもしっかりとってて、カロリーだけじゃないと思いますけど、
栄養をとってて、話すことができるという、いわゆる健康的な状態であったとして、
そのときに脳が動くかどうかということですね。
そうするとやっぱり精神とか心身という話で、興味がある興味がないとか、
継続することの意義
モチベーションですね、いわゆる動機、何か伝えたいものがあるんだとか、
あとは自分の夢というか、揺るぎない何かだったり、やっていきたいこととかね。
中長期的な話とか。
というのもあるんだけど、結局決意とかそういうこととか、
やる気みたいな話でかっこいいことではなくて、
自分の脳が動いたり、もしくは体が動いてやれるかということになっていくと、
もう割とルーティンというか、日々やっていることとか、
日々考えていることがそのまま出てしまうという感じもします。
だから普段考えていない人が、はい、この時間を考えてくださいと言われたら、
すごく脳に負荷がかかって、もうあまりやりたくないだろうし、
例えばアイデア出しもそうですね。
アイデアを普段出していない人に、アイデア出してくださいと言ったら、
もうすごくストレスなわけですよね。
しかもそのアイデアというのも、どういうものかわからないし、
こんなこと言っていいのかという不安になったりね。
すごい相手が、それなるほどいいですねって言ってもらえるものを
求められているのではないかと言って、プレッシャーをまさに勝手にかけているんですけど、
それは伝え方が悪いとそうなるんですけど、
そういうようなものになるから、なかなか出せないわけですね。
だから普段話していない人も話せないわけです。
僕がそうやって話すことができているというこの状況が、
まさに普段話しているからということで、話していたらいいわけでももちろんないですよ。
話していたら、これもね、今回の内容が全然微妙かとかは置いておいて、
話してから考えているわけでもない。
それは聞く側もしくはコミュニケーションをとる相手次第だし、
もしくは会話をしているんだけど、よくあるというかたまにあるのが、
話をしているんだけど全然話が進んでいかない、論理展開もいいし、
内容が深まっていかないという時ってないですか。
僕はたまにある気がするんですけど、
そればっかりだとストレスになってくるので、
なんで展開していかないのか、なんで深まっていかないのか、
もしくは永遠と、
今日の天気ですね、今日はあったかいですねとかいう話を永遠にしていたら、
その時にちょっと嫌になるわけですよね。
だからそれができるかどうかというのは結構考えるとか、
頭を使うというところに入っていくんじゃないかなという風には感じました。
だから喋ることになれるということで、
慣れはかなり大事だと思っています。
当然僕がオギャワと生まれた時から喋って、
ずっと喋っているわけではもちろんないですし、
はい、始めてくださいって言ってすぐできるものでもないですし、
慣れですよね。
ストックであり経験であり、身体制ですよね、普段の慣れがある。
普段喋っているし、普段伝えているし、
喋らなくても書いていたりするので、
書くことも別に僕は全然同じくらい好きなので、
書くでも話してもいいということで、
そういうね、なんだろうな、
簡単にまとめると最後になりますが、
やっぱり普段慣れ親しんだこととか慣れたことをどんどんやると。
話すこともいいし、書くこともいいし、
別にね、話すの苦手だなという人が無理にやらなくてもいいんですけど、
何か話していきたいとか書きたいとか何でもいいですね。
だったらそれを磨くというと意識が高いなと思われるかもしれませんが、
意識が高いとかどうでもいいので、
自分がやりたいな磨きたいなということを
やっぱり普段からやっておくと。
普段からそういうのやっておくと、
芸は身を助けるではないですけど、
やっぱりいいことあるんですよね。
いいことあるというか、
いざとなった時の瞬発的な動きって、
やっぱりそこで発揮されるというか気がします。
だから何か話してていいことあるんですかみたいな、
何ていうんだろうな、実用とか意味。
有意義というと変ですが、
人によって変わるんだけども、
話してていいことがなかったという人がいるじゃないですか。
例えば口が滑った、もしくは言わないことを言ってしまった、
もしくは自分としてはそこまで悪いと思ってないんだけど、
相手を傷つけてしまったみたいな。
そんなのしょっちゅうありますよ。
あるんだけど、そういうのを失敗として、
もしくは失敗というか経験として捉えていったら、
どんどん改善されていくし、
もしくは難しいのもあるかもしれないです。
改善が難しいのもあるかもしれないんだけど、
まあまあいろいろやって試して、
上手くいかなかったことを楽しみながら、
面白がりながらやると続くし、やっていけるんじゃないかな。
そんな話でしたというか、
そんな話としてみたいと思います。
くどいですけど、何度も言いますけど、
いきなり喋れるとか、いきなりアイディアが出せるとか、
いきなり書けるとか、いきなり何か自分の意見が持って、
いきなり喋れるとか、いきなり言えるようになるということはないです。
これは残念というよりも、逆にポジティブに考えてほしいんですけど、
少しでもいいので考えたことを話す。
もしくはこういうことがあるんじゃないですかと、
アイディアというよりも思ったことを言ってみる。
それって友達作りみたいな話じゃないんですけど、
初対面の人とか、あまり話をしていない人に対して、
自分を自己介入して、自分はこういうものでって言って伝えていくって、
勇気がいるというよりも恥ずかしいとか不安ですよね。
コミュニケーションの選択肢
相手に認められなかったり、もしくは相手に無視されたらどうしようとかね。
そういうことを考える。
というのは確かに不安じゃないですか。
それはわかります。
だけど言っていかないと、そこで局面というのは打開というか変わっていかなかったりする。
局面で結構、自分が介入するか介入しないかみたいな、
選択肢があるかなと思ってまして、大きくね。
いわゆる攻めか待ちかということですけど、
それだけじゃなくて、攻めながら待つか待ちながら攻めるとか、
何もしないニュートラルとかそういう、
善じゃないけど、あるかもしれないですけど、
結局待ってるってことは相手が来たときに対応するってことですし、
こちらが攻めてくってか仕掛けるってことは、
相手がもしかしたら待ってるかもしれないみたいなね。
これは僕にとっては都合がいいという考え方でしかないので、
別に誰かにそう考えるってことはいらないんですが、
僕はどちらかといえば、待ってるにも仕掛けたほうが面白いかなってぐらいです。
とはいえ、じゃあ待たないかっていったら、
迷惑営業じゃないけど、
ピンポンピンポンピンポンって何度も来たら警察呼ばれますから、
そういう迷惑をかけるのはやりすぎですよね。
だからその塩梅もありますし、
いい加減ってやつですね。
適当というよりも、適当っていい意味ですけど、
いい加減で話していきたい。
でもそれはですね、
ある人にとっては話しすぎたし、
ある人にとっては話さなさすぎだろうし、
ある人にとっては考えすぎでしょうし、
ある人にとっては考えなさすぎでしょうし、
そんなのはもう分からないわけですね。
適切なところなんていうのは、
点じゃなくてエリアとか範囲で捉えつつ、
楽しんでいただくということになっていくかなと思います。
いきなりできないので、
だからこそトレーニングというか量ですね、
話してみる、繰り返ってみる、もしくは書いてみる、
振り返ってみる、
もう本当地道なんですね。地味な繰り返し。
そういう地味でできていると言ってもいいし、
そういうのでいいなと僕は思っています。
別に開き直っているということでも全然なくて、
そういうものなんじゃないのかなと。
何度も言っているんですけど、繰り返すと、
水面下の見えない活動とか、
さっき言った小説とか映画であれば、
会話とか見える部分の華やかというか、
分かりやすいところじゃない字の文ですね、
説明とか状況とか、
そういうのがあって、それが見えないんだけど、
それがあって初めて水面上ですよね。
見えるところが出てくるわけですね。
でも見えないじゃないですか。
リスナーのあなたも僕が、
今の話すネタのために、
どれだけの時間を収集、何かを見たりとか、
もしくは考えたりとか、
もしくは何かをして、
自分がラジオをやっているか分からないじゃないですか。
それが分かる視聴性というか、
それがあるから一生懸命やっているので、
聞いてくださいとか、そういうことはないんですけど、
ただ単に現象としては分からないわけですね。
見えないですね。僕自身もそうなんです。
YouTubeをしっかりコンテンツを見るとか、
視聴したり、もしくは聞いたり、
見たり聞いたりという時に、
このコンテンツすごい時間かかっているな、
すごい頑張っているなというふうに思うことは、
もちろんいくつかあったとしても、それを評価するんじゃなくて、
まさにそれを見たときに面白いなと思えるかどうか、
聞きたいと思えるかどうかということだけなんですよね。
それが刺さらなかったら、それはそれでよくて、
刺さるようにしていくしかないという、
本当にやりながら考えていく、
もしくはまさに今回で言えば話しながら考えていく、
その刺激を待っていてもしょうがないので、
脳に自分で刺激を与えるためには、
もしかしたら書いてみて、それを自分で読んでみるとか、
そういう声に出してみることって意外にというか、
かなり刺激を与えるんじゃないかなと思いました。
なので、今聞いている方がいたら、
自分の感想をコメントする人はないんですが、
こういうことをこの人言っているのかなとか、
自分もあるあると思うなという、
僕と喋りたいかどうかを置いておいて、
気が向いたら話してね、
あいまりどうですかって、
リスナーのあたりに問いかけるので、
そうやって聞いていただくのをイメージしながら、
ずっとやっているわけではないですけど、
そんなトーンとかまでやっていきたいなというふうに、
改めて思いました。
ぜひ話すとか喋るとか、
そんなことを気が向いたら意識してみてください。
特に脳が動かないときに話してみて、
脳を動かすために
それでごまかすというか、
脳を動かさせるっていいんじゃないかなという話となります。
今回は以上となります。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
27:17

コメント

スクロール