1. シゴクリラジオ!
  2. 場を温めていく話すという行為..
2025-01-10 33:05

場を温めていく話すという行為が面白い

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シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回は、場を温めるというイベントとかで話をしていって、こういう雰囲気でしたい。
もしくは、楽譜とか、舞台とか、イベントでもいいですよね。講義とかセミナーでもいいですけど、
視聴者もしくは参加者の人に前のめりになってもらうというか、そういう雰囲気を作るみたいな意味で場を温めると言っているんですが、
そういうのって結構好きというかね、それを別に仕事にしているわけではないんですけど、好きだなあと思いまして、そのあたり話していきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回のテーマは場を温めるということで、
場を温めるって改めて確認しますと、冬で寒いので気温を上げるっていう、暖房器具とかで温まるっていうね、
そういうことではなく、会話とか気持ちを高めるとか、前座じゃないけど、次の人に備えて話をして、ちょっとウォーミングアップ、気持ちを和らげたりリラックスしたり、
整えるって感じですかね。その辺は伝わってますかね。そういう場を温めるという作業というか行為があるかなと思うんですよね。
この話をするときに一番直近ではない、だいぶ前なんですが、思い出したのはあるイベントでホールみたいなことをやったんですけど、話をしていきますと。
スタートアップイベントでもないんですけど、そういうセミナーとかの中でディスカッションというかトークテーマがあり、例えば今だったらAI、PCでもいいですけど、AIって何みたいなところをモデレーターとか司会、進行、ファシリテーターの人がいて、
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参加者、ゲストがいて、2,3人。それで話して、それぞれどういうことをやってたり、もしくはどういう考え方があるか。もしくは会場というか場にいる人に振って聞いて、あと質問とかしてみたいなのがあるかなと思うんですが、
そういうセッションみたいな、それが1セッションというかセッションだとして、それが1時間、2時間もないかな。1時間とか1時間とかやって、その舞台から終わったらパチパチパチと終わって、また次の人があって。
セッションのリレーじゃないんだけど、そういうの結構好きなんですよね。で、なんでかなというときに参加者として、別にそういうイベントにも僕は登壇しなくても話すことはないんですけど、参加者として見てたときに、テレビを見ているようではないんですけど、ショーでもないですよね。
見せ物でもないですから、本質はそこで行われた会話とか、もしくはニュアンスですよね。そんなきつい言葉でどうとかっていう場でもないので、あと別にディベートでもないわけじゃないですか。
AだBだって言って、相手を打ち負かすみたいなものでもないわけなんで、矛盾してるとか、論パーみたいな。そういうのではないんで、話ししてって深めていくみたいな。対話ですね、ダイアログみたいなのがあるというのを参加者視点で見ていくと、それが舞台上で変わっていくわけですよね。
1回だったら普通のイベントじゃないですか。そういうディスカッションイベント。でも、2回3回して4回とか1日中とかやってるとそうですよね。3回。午前からやっても2時間だと休憩入れても3回とか4回くらい回転できますよね。夜とかまでやったら5回。何日もやったらさらに変わってくる。そういうのが面白いなって思います。
あとは近いのは文化会とかですかね。メインのセッションがあってもサブでそのテーマで分かれて話をしていくみたいな。そういうのに近いのだとワークショップみたいなので、もしかしたら参加されたことがない方はちょっと分かりづらいかもしれませんが、あるテーマに基づいて会場の同じ部屋でもいいですけど、参加者が分かれて。
グループ、机を囲んでこのテーマとしてはこちらに来てくださいみたいな。そのテーマについて話す。それが会場のあちこちで何グループも何テーマもあるというようなものって結構好きなんですよね。
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なぜだろうなと思ったときに、もちろん内容とか質とかは置いておいて、そういう形式が結構好きだなって改めて思ったんです。それが場を温めるというか、その感じだと思ってまして。
カフェとかが、カフェの空間が好きとか嫌いとかちょっと僕はあんまり分かってないんですけど、その話をする場所って嫌いじゃないわけです。話をする場所が場所ですね。これは本当にリアルの場所っていう感じもあるし、散々場作りということで来ているんですが、
いわゆるリアルの場所じゃなくて、オンラインで繋がる関係性みたいなのも場だと思うので、そういうのも含めてそこは全然区別なく喋っていくんですけど、そういう意味で場をね、話す場ですね。
だからこのポッドキャストラジオとかは、聞くのも好きですし話すのも好きなんですよね。今は聞くという参加者視点もあるんですけど、自分が話すっていうことでその場が温まったり貢献するというとちょっと言い過ぎなんですが、その場になっていくわけですよ。
このポッドキャストラジオ、四国レラジオもですね、別にスタンドFMっていうアプリの中の1チャンネルに過ぎず、かつ喋ってる人も別にね、素人と言いますか、別にその姿勢の人、姿勢というのは1っていうか実姿勢ですが、一般の人なわけです。
僕がこの日本社会を代表するわけは全くなく、一般の人としてやらせてもらってますし、特に気負ってね。このためにとかはない。このためにやってるんだっていう。そういうのはないんですけど、なんかその話、ゲイとしてのトークを楽しむみたいなのはレベルが高すぎてちょっとしんどいですが、
会話を楽しむとか、今言ってるようなカフェみたいな話す場所でいいよなみたいな感じです。わかりますかね。で、カフェって昔考えたんですけど、カフェっていいなって、別にカフェやりたいとかないんですけど、カフェっていいなって思ったときに、評価するときに、なんでかって言ったら、友人と喋ってるわけですよね。
で、喋るというか語るというかね、対話しててどういうことを思ったんだろうとかね、どういう風になるんだって。で、もちろん隣というかカフェの大きさにもよるんでしょうけど、全然違うところでは全く同じことを話してなくて、その人たちの関係性での話題があって、全然それはいいわけじゃないですか。
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だから、なんていうんだろう、この今ね、四国ラジオを聞いていただいているリスナーのあなたも、この僕の話が面白いかどうか置いといて、選んでいただいて聞いているのでありがたい、ありがとうございますということなんですけど、その会話を聞いているその瞬間にも、他の人も他で話をしているし、もしくはポッドキャストを聞いているかもしれないし、
谷川俊太郎さんでしたか、朝のリレーなんていう詩があると思いますけど、なんかそういう、なんですかね、自分が話したことっていうのが、別に社会に還元されるっていうのは大げさなんですけど、誰かに届いたり、誰かというのはまさにリスナーのあなたなんですが、その方から聞いてどう思ったかを誰かに話す。
もしくは逆で、僕がラジオ、ポッドキャストを聞いたものを影響を受けるというよりも、あ、そうなんだねって思う。影響を受けるって大きいんですが、影響を受けているんですけどね、それでもね、聞いて話でこんな話あったよって言う。
それってなんか一昔前であれば、週刊少年ジャンプを見たとか、テレビドラマを見たとかね、今もあるかわかりませんが、見て学校とか話題にしたり、同級生とか友達と話したりみたいな感覚かなと思います。
ただそれをみんな共通したものとかなくても、こういうことを言っている人がいたよねっていうような感じって結構好きですね、僕ね。結構好きだなって今日思ったんですよね。
カフェで話したところで、別にそのカフェで僕とか友人がいて話しているから、そのカフェの価値が高まるってことはもしかしたら全くないかもしれません。ただ厳密に言えば、合理的にも言っても、雰囲気が悪いカフェで話したくないわけですよね。
コーヒーだとかスイーツフードとかがおいしいとか景色がいいとか雰囲気がおしゃれとか、店員さんの接客がどうとかっていう、そういうのはもちろんあるわけですよ。
冬で寒いとか夏で暑いとかってあるけど、快適な空間みたいなのがあって、例えばそういうのだけでもいいとか、そういうのがないと来ないとかもありますが、そこで話すっていうことができる。
要は安心・安全みたいなものですよね。物理的に安心・安全で別に喋って注意を受けるとか、こういうことはしないでくださいみたいな。邪魔なことをやってたらダメですけど。
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すごい大声で喋るとか、うるさいぐらいの声で喋ってしまうと厳しいけど、そういう感じでカフェ空間みたいなとこがある空間があったときに、そこで何かを話したり語ったり対話したりするっていうことをするじゃないですか。
当然ですけど、それって僕の考えですよ。スピリチュアルな感じはするかもしれないんですけど、やっぱりその空間に寄与するというか、空間に対して何か残るんじゃないかな。
それが、全然知らない人が、僕らというか友人と喋った後、去った後の席が温もりみたいなのがあってお尻が温かいとか、ちょっと気持ち悪いかもしれませんが、人がいたんだなっていう感じ?
別にそれを確かめているとかそういうことじゃないんですけど、話したよね、語ったよねみたいな空気感っていうのは、ミラーニューロンというか、人は人の動作を真似していく。
ちょっとわからないですけど、共感を真似ているかわかりませんけど、手を挙げたっていうか、運動し始めたら運動し始めたくなるみたいな話で、あくびとか爪切りとか、寝るとかもそうじゃないですか。同じことを行動したくなるときやりませんか。爪切りとかそうですよ。
本当に爪切りだけなりますけど、何なんだろうなみたいな。そういうなんか出てるんじゃないかなって思ってるんですよね。科学的なやつは知らないですよ。物質的な何かが飛び出すというかね。だから話すことで対話とか会話ってことをすることで、その形はどのようなものでもいいんですけど、
本当に無人島みたいなところでやってたら何も人に影響がないかもしれないけど、好か不好か永遠社会っていうところにいる中で話したり、もしくは動くことで、それは巡り巡って社会ですよね。
集団、自分が所属している公正集団、難しく言えばわかりませんけど、影響を与えるんじゃないのかなみたいなことは昔から考えてたりします。影響を与えたいとかじゃなくて、影響をしあっているって感じですかね。お互いに。
それが面白いんじゃないかなと思うんです。だから話をして戻しますと、何か物質が生成される、それは科学的に証明できないし、もしかしたら一生できないかもしれないんだけど、ミラーニューロンじゃないんだけど、
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わかりやすいかもしれないですけど、これも説明できないんですけど、面白そうなことをやっている人の話を聞くと自分もワクワクしてきません。自分が全然やっていなくてもね。あと自分がやれないことでもね。
結局そこって伝わるんじゃないのかなって話なんですよね。
そこが。
それは理屈で合理的にロジカルで、ロジカル的にAだからBだからCとか、こういう状況だからこうした方がいいですよねっていうのの真逆なんですよね。
ロジカルを否定しているわけじゃなくて、ロジカルにするってことは全部均一性が同じになるし、誰が考えてもロジカルっていうのを100%じゅんと詰めていくと一緒なんですよね。
それは人間らしくないからダメっていうこともないんですけど、人間らしくはないなって思うんですよ。面白くないってことですね、シンプルに。想像性があまりないっていうロジカルって。
ロジカルとか合理に何か想像性、クリエイティブの方が宿るっていうことを別に言ってもいいんですけど、矛盾するようですけど。
でも最近やっぱり思うのは、最終的に結果的にというか直近に自分が選ぶ選択って何か。例えば僕ラジオで喋るし、こういうことをやったらどうですかって人に提案したりとかしてるんですけど、
するしないってどう判断してるのって。僕がですよ。じゃあ今思いついたアイデアがあるんで、例えば今の話だったらカフェ空間みたいなところでひたすら対話する24時間の対話。面白いですけどね。
そういうイベントでやってもいいんじゃないかなと思いますけど、それはありかなと思いました。24時間チャレンジ。すごい若さを感じますが、別に手伝うってことじゃなくて、いろんな人から話していくと。
1時間ずつ話していって24人で回すとか。みんないろいろ違ってみんないいみたいな感じ?みたいなものがあったとするじゃないですか。面白いねっていうのも自由だし、聞いてる方もそれが何が面白いかわからないという方もいらっしゃると思いますから、そこは全然いいんですけど。
でも僕の中でこれを面白いと思いかつこれやりませんかっていう判断基準みたいなやつがあるとしたらそれは何かっていうことなんですけど、ぶっちゃけわからないですよね。
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わからないというか、合理的に言ったら後付けで結果的な理屈みたいなもので言えるかもしれませんが、やっぱり後付けかなと思います。なんか面白そうだからぐらいの感じですかね。きっかけってそんなもんかなって思いました。
特に自分も何かいろいろ言ってるときに、でもきっかけは面白いからとか。ただ、ここは言語化の話は大事でして、それに対して言語化せずになんとなく面白いからとか、なんとなくこれでいこうってなっていくと、
自分が想像性とかクリエイティビティもしくは面白いなという活動に対して、その人が面白いと思っていることを主観全開でやるっていう事に対しては全然OKなんですよ。
ただ、アートとか自分の表現を出して、あとはわかってくれる人がいればいいみたいなのもありなんですよ。で、僕もそれは別に否定しないです。ただ、僕がですよ、僕はそれ全開でやるかっていうと、さすがにそれは厳しいなというか、
これ僕の考え方なんで、別にアーティストとかアート家族を否定してるわけじゃなくて、自分の言ったことをわかってくれる人がいればいいっていうのは、なんかダメじゃないんだけど、もうちょっと伝えるというか、
先回の話、知るとか伝えるだったような気がするんですけど、知ってもらうっていうことに関していくと、自分はこうですっていうのは言っていいなと思う。一方で、それが誰かから相手からどう思われるかみたいな部分ってやっぱりある程度必要ある程度ですよ。
それ100%にするとおかしくなるんで、誰かのために生きてるみたいな風になっていく感じですよね。それで全然生きるなら僕も問題ないと思うんですけど、それだとなんか主従というか主客が逆転していって、生かされてるみたいな感じでの、生かされて生きて生かされるみたいな、やっぱりやりとりが欲しいですよね。
なので、そこもバランスにはなるんだけど、知ってもらうためにやっぱりこういう風に伝えた方が、要は言語化して何か言葉にしたり、見えるものにしていくっていうことをやっぱりしないと伝わらないんですよね。
っていうか伝えたいんだろうなと思います。そういうところ。何でかっていうと、共有したいわけですよ。自分が面白いと思っている話とか、自分が面白いと感じたことを伝える、面白くないですかっていうのを、もちろん知っている人と関係性がある友達、友人、パートナーとか、近くの人と楽しむのはもちろんOKだしアリだし、
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それでもいいと思いますよね。それは別にそれでいいと。
なんかそういうところがあった時に、カフェの話とかね、イベントのセッションですね、ディスカッションとかそういうトークテーマ、トークテストみたいなものですよね。
僕が純粋に好きなんだと思います。もちろんテーマによってはね、話のテーマによっては別にそこが興味ないっていうのもあるんですけど、形式とか話すっていうこと自体はやっぱり好きでして、ラジオの話を聞くでもいいし、人からインタビュー的に話を聞くのもいいし、雑談というかテーマがない中であだこだ話すのもいいし、振り返り会とかもやってるんですけど、振り返りをしてね。
何だったんだろうなって思いながら話を深めていくとかね。要は話すのが好きなんでしょうね。今更かよっていうツッコミあるかもしれないですけど、なんだかんだ言ってこのラジオもね、まだ2年じゃない油断できないんですけど、
1月19日で2年になりますので、自分で自分を、お祝いってこともないんですけど、だいぶ変わってきたんじゃないかなと思います。僕自身が当初、これでちょっと今回も終わりにしていきたいと思うんですけど、
自分は話してたほうがいいなっていう。これもね、選択と判断という意味で直感なんで、なんかね、話したくなるんですよ。誰かと話して、だから別に普段喋ってないわけじゃなくて、喋ってるんですけど、足りないのかわからないです。
足りないというよりも、喋ってて、ラジオやろうとかそういう時って、なんか喋っていったほうがいいなみたいなことを思うわけです。
もしくは、なんかないですか、なんか自分が最近やってないけど久しぶりにやりたいなみたいな、食べたいなとかでもいいんですけど、なんかそういう久しぶりにやりたいな欲求みたいな枠に近いですよね。話すって。
あとは本を読むとかもそうかもしれない。全然読んでないと読みたくなるなみたいな、そういう感じ。活字というか何か入れるというか。
あと、なんか新しい人と出会ってなかったら出会いたいなとか、刺激というかね。なんかそういうのに近いかもしれないですね。なんか、1日に必要なカロリー、もしくは栄養成分みたいなのがあるとした時に、それってなんかやっぱ大事で、人との会話とか、もしくは自分、僕全体で話すことでしか得られない成分っていうのは、もちろん他になんかあるかもしれませんよね。
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人っ気みたいなのがあるかなと思います。このポッドキャスト、人っ気ってやっぱあるかなと思って。人、人の気配とかですね。人っ気、人気、人気か。
人気があるっていうのは、人気だと本当に人の気配ですけど、人気って僕が言ってるのは、同じですけど、なんかこう、何だろう、なんか作業してるとかもそうですけど、音楽かけるのも全然いいんですが、人が話している雰囲気を聞きながら作業するみたいなのは、ある程度やっていらっしゃる方もいるし、
もしかしたら今話してることをもう既にやられてて、ポッドキャストいろんなものを聞いて、それでなんかこう、自分なりのライブラリというか、話しての人たちっていうかね、話してて、ただ話してるっていう人たちのことを総称して言ってるってわけですけど、プロとかね、アマチュアとか問わず、そういうふうなことですよね、僕。
だからそれでもう全然いいなと思いまして、その話している感っていうのがあると非常に面白いんじゃないかなっていうところにはなります。
なんで、ポッドキャストの話、やりたくなるっていう、だから2年前ですよね、ちょうど2年前とか話してないなみたいなノリで始めて、1日5分くらい話してたら面白いかなっていうふうになってたんですよね。
なってたというか、そうやって話していくことが、話さないと死ぬというか、話さないとしんどいとかね、そういうことじゃないんですけど、別に話さなくてもいいかもしれないんだけど、話していったほうが自分はリズムがつくみたいなルーチに近いですかね、このニュアンスが結構伝わりづらいんですが、
人によっては全然話さなくても聞く側のほうがいい人もいろいろいらっしゃるけど、それはそれを否定するわけじゃなくて、自分の調子を上げるとかご機嫌の話とかしたかもしれないですけど、自分の気分を上げる意味でのルーチ、作業、タスク、ライフハック、ライフハックが近いかな、
馴染みのない方がいらっしゃるかもしれませんが、自分の整える意味で、調子が悪かったら話す量を減らしたり、もしくは休むとかもして怒られるとかは多分ないと思うんですけど、調子が上がるならもうちょっと上げるとか、それはもう自由じゃないですか。
そこを調整できる裁量がなければ僕はストレスになるので勝手にやらせてもらっているんですけど、それが究極的すぎてついていけないとか、説明不足だとかもあったりなかったりするかもしれませんが、そこはなんとなく踏まえつつも自分が裁量を持ってやっていくというところを大事にしていこうかなと思って、
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まだまだここのがありますけど、ゆっくり2年間を味わいながらやっていきたいなと思っています。結局やっていることは変わらなくて、話していくことが自分にとっては調子を上げるようなメソッドというか、そんな感じするんで。
一方で、あとは聞いてくださる方とか、ポッドキャストだとリスナーの方になるんですが、これはポッドキャストという番組というか枠の話じゃないですか。じゃなくて、これが場作りとか、他の人と話すとか、お客さんとのコミュニケーションとか、いろいろあるわけですよ。
言語化するとか、そういうのを考えていたときに、僕が思うのは、結局言語化とか話すとか言葉とかコミュニケーションとか話すとか、結局ぐるぐる同じところを使っているという感じ。あと企画もそうですよね。
なので、そういうのを踏まえていくと、結局そのコミュニケーションだよねとか、当たり前かもしれないし当然かもしれないけど、話すとか、シンプルなところに戻っていくようなアイディアということを今年はあまり言わないかもしれない。話すとかね。
ちょっとフィジカルな感じで、どうですか。リザーのあなたがどういう感じか分かりませんが、例えばアイディアを出して形にするとか、授業をするとか、ビジネスをするとか、やっぱり遠いじゃないですか。遠いじゃないですか。
やってない方が多いし、もしくはやるとしても、それはビジネスなの?商売なの?企業なの?副業なの?みたいな。やたらとの定義警察みたいな。警察はいないんですけどね。定義警察って多分いないんですけど概念としてあると思っていて、要はそれが発動しちゃうんですよね。
そうやって何か、儲かるの?とかね。そういうこと。で、儲からなかったら別に、じゃあ儲かったら別に何やってもいいわけじゃないじゃないですか。ってことは倫理警察みたいなのが出てきて、たくさんの警察官が出てくるみたいな。警察って何で言ってるかって言ったら、取り締まるっていう、あとは判断基準っていうぐらいのスラングみたいな意味で、あまり深い意味はないですけど。
そういう感じで、自分がやってることが綺麗ですぐにうまくいってみたいなところとか、あとアイディアっていうものを形にするってことは、一旦アイディアとか構想を出して企画というか形にしていくってことになるんですけど、そうやって結構概念の作業っぽいなと思ってるんですよね、僕はね。
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最近よくそれ思います。だから、企画って何ですかって伝えるのが結構難しいんじゃないかなと思ってまして、言葉にできるんですけど、していったところで、それを習得するってやっぱり企画に限らずですけどね。
何かを習得するってやっぱり一長一短ですよね。では、いかないかなと。すぐに身につくことができないからこそを考えてやっていくというときの、言うのところで言っているところですよ。よくあるかわかりませんが、繰り返しずっと同じことでもいいので、手をかえしなおかえじゃないけど、同じことを違う視点で言ってみるということですよね。
それを僕は話すということで、書くでもいいし、そこにどれかにこだわるとかないんですけど、何かしらコミュニケーションして伝えていくということをやり続けていくし、やっていこうかなというのも感じました。
あとは、さっき何度も話していますけど、自分が楽しい、ある程度楽しいというか、整理されたりね。これはよく話していて、飽きないとか飽きないのかということは全く言われたことはないですけど、大笠さんの中で喋っているんですねぐらいの感じかもしれませんが、
同じで、自分にとっても話しながらアイデアを出たり整理したりということも仲間交えながらやっているので、楽しんでやっているかなと思います。それはリスナーのあなたにも伝わっていると信じてやっております。今回もありがとうございました。
というわけで、今回は場を温めたりする、あとは会話コミュニケーションですね。最後は何で話しているか、何でそういう話す空間とか、話す様式とかですね、トークセッションとか。話した後の余韻とかね、そういう感じもありますけど。
物質っていろいろ言ってますけど、要は相手の人の心が動くってことは、僕が話して何か聞いた人がいいなと一瞬でも思っていただけたらそれでOKかなっていうぐらいです。逆で僕も聞いてて、これいいよなっていうのが一つ二つっていうか、欲張らずに一個でもあればすごい良いことかなっていうふうに生きているので。
話すって改めて面白いなと思いました。今回は以上となります。四国にラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。
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