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2025-01-17 26:32

日常でやりたい取り組みに対して時間を投じれらるかどうか

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00:08
シゴクリラジオ
こんばんは。シゴクリラジオの大橋です。
今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマは、やる前の準備。
要は、本番とか試合とかじゃなくてもいいんですけど、
備えですね。準備大事だよねっていう話に重ねて、
結局、話していくんですけど、いろいろ行動を分解していくと、
一個一個と言いますか、準備的な前もって自律的に動くことが大事になるんじゃないのかなと。
大事になるんじゃないのかというか、大事なんですよねっていう話を共有していきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。
今回のテーマとしましては、やる前の準備とかが大事だよねという話です。
やる前って言ってもよく分からないと思うんで、
最近ですね、サッカー系の、スポーツの動画とかよく見てるんですけど、
プロ意識って言葉があるんですよね。
じゃあ、アマチュアの人がプロ意識ないかというと、それはないんですけど、
例えば、めちゃくちゃ事例として引っ張ってくると、練習がありますと。
普段練習しないとダメですよね。
サッカーって一人でできないんで、他のメンバーとか動き方を練習するわけですね。
戦術とかね、そういうのもあるだろうし、動き方の調整みたいなのもありますよね。
非常に大事なんですけど、スポーツを知らない人からすると、そうなんだぐらいかもしれませんよね。
そういうのは全然いいし、僕も別に詳しいわけじゃないんで、そんなに偉そうには言えないんですけど、
例えば練習をしましょうという時に、練習の時間にぴったりきて練習しますっていうのが、
いいかどうかというか、意識の問題なんですよね。
練習時間に来るのは当たり前だし、5分前集合、10分前集合、30分前集合、それは置いといて、
例えば十分にウォーミングアップしたりとか、練習の中でウォーミングアップの時間もあるのかどうか置いといて、
怪我をしない、したくない、みたいな意識があるとします。意識というかそういうことをしたい。
怪我をしないというのはどういうことかというと、サッカー選手において怪我をするということは不可避というか、
03:06
絶対無理かもしれないんですけど、頻度を下げたりね、重症化しないみたいなのはあるわけですね。
自力で鍛えるだけじゃなくて、ウォーミングアップをしっかりして体を温めると、
たぶん筋肉とか関節とかも柔軟になると思うので有効だと思うんですけど、
そういうことをやるかどうか、もしくはやるんだけどどの程度やるかみたいな話なんです。
もう一回言いますと、ウォーミングアップを丁寧にするということは怪我を防止できるから、
怪我を防止できるということはパフォーマンス、要は試合に出場する確率が増えるとか、
そういうことになっていくし、出ても怪我をしづらいので時間も長く出れるとか、
そういうことになっていくとは思うんですよね。
これって合理的に考えると当たり前なんですけど、
それが普段の練習の時に意識できるかどうかという話なんですよね。
まあよくある練習の時にできなかったら本番できないよっていう話でもあるんですけど、
これって結構難しいなと思ってまして、要は練習に参加する時に別に試合じゃないんですよね。
試合はまた未来になりますよね。
もし試合未経験者だったらそれはもうわからないんですけど、
試合経験がある人は試合でこういうことが求められるから練習でもこういうことをしようってふうになりますよね。
いわゆる逆算的なものっていうふうに今回は捉えられるかもしれませんが、
その面もありつつもどちらかというと、
普段の行動への意識みたいなものがここでは練習じゃなくて本番の試合ということですけど、
いうものに対して結びついているということなんですよね。
この四国レラジオでも言っているように短期的な視点だけじゃなく長期的な視点がないと、
枝端と言いますか、目の前のことをやればいい。
要は練習をもちろん一個一個こなすのはすごい大事なんだけど、
その練習をすればいいのだみたいなのってやっぱり違うわけですよね。
試合で勝てるとか試合で動けるようにするっていうのがなければ、
普段の一個一個の動作というか行動がずれちゃうんだろうなっていうことを感じました。
準備の話はこのウォーミングアップと一緒なんですけど、
普段アイデアを出していない人がアイデアを出せるかというときついわけですよね。
普段言語化していない人が言語化できるかとか、
普段コミュニケーションを取っている人がコミュニケーションできるか、
普段話していない人が話せるかみたいなことってありませんか。
要は大言壮語じゃないですけど、大きなこと言わなくてもいいんですけど、
06:06
何か言うってことは誰かに説明する説明…なんていうの?アカウンタビリティ?
ちょっと違いますけどね。説明責任みたいなのは別にないわけです。
僕は思うんですけどね。
何かやりたいならそのために何かやってますかっていうことを問われると僕は思ってるんですよね。
別にいいですよ。お酒を飲んで、だらだらゆるゆる、別に何かやりたいんだよねぐらいの話でね。
それのために何やってるんですかって詰めてくるっていうことをしたいんじゃなくて、
そういうことを言うからには本当に心からやりたいことがあるのであれば、
それがないという方もいらっしゃるかもしれませんが、
仮にちょっとやってみたいなでもいいんですけど、
そういうちょっとやってみたいな、夢だな、もしくは本当にやりたいな、
何かわかんないです。優先順位なのかわかりませんが、
何かあるとしたときに、いろいろやりたいことがあるときに、
ふわふわとね、やりたいことからいろんなものがあるときに、
それを言ったところで、言った瞬間に自分でどこまでそれを行動に落とし込めるか。
この行動に落とし込めるかってよく言われるかもしれませんが、
行動が大事とか言われるかもしれませんが、行動が大事というよりも、
その人なりに時間を投じて、毎日5分でもいいですが、
決めてやったからいいっていうわけじゃないんですよ。
決めてやったからいいんじゃないんだけど、決めてやれるかどうかなんですよね。
これがモチベーション、動機づけって言葉は好きじゃないんですけど、
そういうモチベーション的な話?やる気の話?
やる気とかじゃなくて、行動で見たいですよね。
仮に喋りたいみたいな人がいて、ポッドキャストやりたいでもいいんですけど、
何でもいいんですけど、野球でもいいし、本を書きたいでもいいんですけど、
何でもいいと思います。ダイエットしたいでもいいです。
英語を喋れるようになりたい。何でもいいんですよね。
そういったときにポッドキャストだったら、やり方がわからないみたいなのがあると。
英会話もどうやって勉強したらいいかわからない。
めちゃくちゃわかるんですけど、やれることってありますよね。
そのわからないなりに。
そのわからないなりにやれることは、調べたり誰かに聞くことが全くできないのであればいいんですけど、
AIも出てきちゃって、ポッドキャストもどうやってやるのって、
AIにつぶやくって話したら出てくるわけですよ。
それが不正解というか全然違うということもあり得るんですが、
09:04
多分ポッドキャストのやり方ってそんな変な答え出てこないんですよね。
一般会として。
別にGoogle検索でも一緒でしょうし、わからないです。
でもほぼほぼこうやってやればいいよって出てくる。
難しくないですけどね。
つまりどういうことかというと、
ポッドキャストをやるっていうのは別に話の内容とか質とか全部置いといて、
ポッドキャストをアプリを立ち上げて収録ボタンを押してしゃべれば、
あと閉じたら終わりですよね。
番組名、チャンネル名、番組名、自分の紹介をどうするかとか、
詰めていったら細かい部分はあるわけですよね。
続けられるかもね。
あるんですけど、そういうのはあるんですけど、
でも既に環境があるわけですよ。できるという。
スマートフォンを使ったことがないとか、アプリがわからないとか、
そのわからなさはわかりますけど、
もうそういう外掘りが埋まっているというか、
状態でやりますって聞いたときに、やるかどうかなんですよね。
やるかどうかっていうと精神論みたいになってくるんですけど、
そうやって外掘りが仮に埋まっていたときに、やるかどうかっていったときに、
仮にやらないっていう決定をするのもアリだと思うんですよ。
そこまでやる気じゃないって。
それもわかるんですよね。
じゃあわかりました。
じゃあ他の英会話とかダイエットとかやるんですかっていったときに、
その外掘りが埋まっていってもね、
チョコザップがいいかどうかわからないですけど、
別にあるからやればいいじゃないですかみたいなね。
いろいろあるからやってみたらどうじゃない?
どうですかみたいな話になってくるんじゃないかなって僕は思うんですよ。
それが今話している自分の時間を閉じる。
たくさん時間を使えるってことじゃなくて、
1分でも2分でもいいのでやるかどうかなんですよね。
そういうのは忙しいとか他のことで忘れてしまうんですよねみたいなのも、
わかるんですよ。
めちゃくちゃあると思うんですけど、
でもそれを言ったらおしまいみたいなのがあって、
さっきの話で戻すと、
アマチュアの人でやろうが何でやろうが、
意識みたいなのがあって、
そこでいうプロっていうのは、
お金を得て食べているからっていうことではなくて、
仕事もしくは活動に対して、
もしくは取り組みに対して、
どこまで高めていけるかっていうだけなんですよね。
高めるなんで別に低い高いはあるし、
人を比較していったら意味ないんですけど、
自分の中でどこまで高められるかみたいな話ですよね。
そういう時にさっきの話で、
1分1秒でも多く英語を喋ったらいいとか、
12:00
ホッドキャストで話したらいいとかっていうのは全く思わないんですけど、
普段意識してます、
普段やりますってことの意識づけとかができないです。
だったらリマインダーとかね、
自分が思い出すとか、
これやらなきゃいけないなってことを言う仕組みを作らなきゃいけないっていう感じがするんですよね。
自分をハックするみたいなことを僕は言ってますけど、
これって結局自分のことを考えてないとできないですよね。
自分がこうすると気持ちが動いてやれるっていうようなことを、
ちゃんと踏まえてやるんで、
それがおかしな空を見上げるとやる気が出るみたいなのがあるとして、
そしたらそれをやればいいんですよね。
他の人にどう思われようが良くて、
これやるといいんだよね、自分の調子がみたいな。
そういうのが伝わりますかね、伝わってますかね。
要は自分に集中して自分がどうすると行動したり、
時間を投じて何かできるかってことなんですよね。
それに対して努力という言葉を使うこともあると思うんですけど、
努力っていうよりもこれは来るべきに備えて何かをやるとか、
それをやっていると調子がいいことをやるとか、
そんな感じがしています。
ここも大事なんですけど、
そういう取り組みみたいな準備みたいなものを説明して何かやるかっていうのは、
割とこれは裏の話で、裏っていうのは表じゃないってことですね。
例えばプロならそれをショーとして見せるとか、
そのもの自体が全てなので、
私頑張ってますみたいなのを見せるのは違うなっていうのはすごく分かるんです。
職人が見せたくないとか、
こだわってるんですよねって当たり前すぎて、
何言ってんだってインタビュアーに言うってね。
ありませんか、そういうシーンね。
ちょっと抽象的に言ってますけど、
そういうの分かるんで、
要は何ていうんだろうな、
何か取り組みたいって時に、何かやりたいって時に、
結局毎日日常、
今日は17日ですけど、
今日はまた終わって明日になるみたいな時があって、
毎日が必ず平和になっていくかもしれない、
わけじゃないかもしれない中で、
じゃあ今日は何をやって何を取り組んで、
それは何に繋がっていくのかなっていう、
その中確実に保証されて安全な何かはもちろんないんでしょうけど、
僕も分かんないですよね。
分かんないんだけど、
でもその毎日でこうすることで何か変わっていくよね、
みたいなのがないと、
ちょっとできないですよね。
15:00
ちょっと膨大すぎて。
プロになるとかでもいいんですし、
何かやりたいとかもそうなんだけど、
結局目指すものに対して、
逆算って言われないですよ。
逆算だとちょっと違ってて、
分解して、
分解してその一部を今やれるか、
要は未来に対して今できることがどのぐらいあるかを考えてやるみたいなのって、
結構難しいんじゃないかなと思うんですよね。
簡単とは思ってなくて、
なぜなら人ってやっぱり目の前のことに持ってかれるんで、
さっきの話で言うと、練習やってるのに本番を意識しろってできます?
結構難しくないですか。
本番じゃないからこれ練習だよねって言っても、
困るのは自分というかチーム全体なんでしょうけど、
本番の想定のものをやっとかないと、
全然動きは違うわけですよね。
ゆるゆるやるというか、
分かりますよね。
だから、
人というか、
僕も自分のことを完璧にコントロールできてるわけでもないですし、
言ってるから、
普段何か、
分単位でスケジュール入れてるとかもないんですけど、
言ってる割には準備できてるわけでもないとかもありますから、
そこはもちろん言い訳として言っておくんですけど、
そんな完璧ではないんですけど、
ただ、
そういう中でも、
そんな中でも、
自分はこういうことをしていきたいんじゃないかな。
いろいろやったりとか、
いろいろダメだったとか、
いろいろうまくいかないとか、
もしくはうまくいったとか、
いろいろできたとか、
そういうの全部並べてしまってですね、一旦。
並べたときに、
やっぱこれやっときたいよねみたいなのが、
なんかあるんじゃないかなって。
もちろんなくてもいいんですけどね。
僕の場合なんか、
そういうのあったときに、
少しでも毎日やりたいな。
毎日できなかったら、
2日に1回でも3日に1回でも。
粘りですよね。
なんでかっていうと、
自分が時間をそれに投じてないとできないってことなんですよね。
そのあたりが伝えるのが難しい感じは今回はしてるんですけど、
要は自分が毎日、
時間がありますと。
時間があるというのは、
時間に取りがあるとかじゃなくて、
時間を使えるじゃないですか。
たぶん。
24時間あって、
寝るとかご飯食べるとか、
全部そういうものを除いたときに、
1分も時間がない人たぶんいないんだと思うんですよね。
他のことやってたりするとか、
行動としてね。
なんかスマホいじれるとかね。
わかんないですけど。
そういうときに、
自分が大事だと思っていることができるかどうかですよね。
18:02
とか取り組みたいと思っていることができる。
それたぶんできてるだけで、
かなり僕はですよ、
幸せなことなんじゃないかなと思ったりします。
幸せっていうとね、
ちょっとね、
なんか怪しいと思う人いるかもしれませんが、
逆にそこで幸せとか充足感が全くないのであれば、
なんか追い立てられるような感じであって、
なんか面白いのかなって僕は思っちゃうんですよね。
充足してそこで満たされる部分はあるんだけど、
要は満足するってことですね。
満足するんだけど、
満足だとそこで終わっちゃうんで、
それでも満たされない部分とか、
できてない部分がたぶんある。
できてたら目標を高めれば別にできてないから、
常に満たされないはずなんですよね。
その調整をうまくできている人は、
自分を高められ続けているんじゃないかなと思いますし、
全然ね、
スポーツの世界から違うものであれば、
またその上でやっていけるかなと思うんですよね。
つまりその抽象的な自分を高め続けるというかね、
取り組んでなんかやるっていうのは、
原理原則変わらないんじゃないかなって思ったっていう話ですね。
この話ではですね、
言語化、説明化するっていうのが、
実は遅いという話もあるんですけど、
ちょっとこれね、
今回また長くなっちゃうんでこの辺りにして、
終わりたいと思います。
今回まとめますと、
何か取り組みの前に準備をすることがすごい大事で、
その取り組み自体が、
サッカーで言えば試合と本番と練習するというときに、
練習と試合は違いじゃないですか。
試合に対して準備する練習というところで、
人はその練習をするときに、
試合ということをどこまで想定できるか、
問題が起きると思うんですよね。
何かわかりますかね。
夢でも何か本当にやりたいことでもいいんですけど。
でもその何か本当にやりたいことっていうのが、
いいタイミングで自分が思うようにやれないことがほとんどなので、
そのために前もって分解して、
パーツごとでもいいし、
今自分がやれることを考えてやるっていうしか、
ぶっちゃけなくても、
ないんじゃないかなって僕は思うんですよね。
練習のときに本番を意識してって言うけれど、
練習は練習じゃないですかっていうのが、
人間の脳処理じゃないかなと思ってて、
だから限定的に、
試合を意識するようなことをやるとか、
もしくはここだけやっとかなきゃいけないとかっていうのを、
3つぐらいかな、わかんないですけど、
意識してみるとか、そんなんじゃないとできないですよね。
それを本当にサッカーとかでフィジカルなものもあるんで、
何度も癖をつけていくっていうことになるかなと思います。
話したいとかって、ポッドキャストの話で言えば、
まず話してみるみたいなのがあって、
21:01
それが絶望的に自分のイメージと違うとか、
自分が話したいことが話せないであれば、
それこそ台本を用意してその通りに喋るとか、
いくらでもやり方があるわけですよね。
そこ結構面白いポイントで、
そこでアイデアが出ないからダメっていうよりも、
単にやってみたい気持ちだけじゃないんですけど、
やってみたいところがあるかどうかっていうのもありますし、
そこでシンプルに改善して、
もうちょっとこうしていったらよくなるからやりたいなと思えるかどうかとか、
それは本当に感情的なものなんで、
それがなければやらないですよね。
わざわざやらないですよね。
いきなりうまく喋れる人もいないですし、
何言ってるかわからないみたいなこともありますから、
聞き直してもいいですし、
やり方っていろいろあるんじゃないかなと思うんですよね。
一人で喋れないなら誰かと喋るようにするとか、
それが一人喋りをしたいというものでしかダメだというなら、
ダメですよ。
ダメなんだけど、
でもポッドキャストと番組として成立するには、
別に誰かと喋っていると成立しますから、
そこをどう捉えるかですよね。
定義というよりも、
自分でですね、
リスナーのあなたがもしそういうことをやりたいのであれば、
なんで例えばポッドキャストだったら、
ポッドキャストをやるっていうのはどういうことで、
理想でもいいし、もしくは今やれることでもいいし、
それを毎日、もしくは自分の時間です。
あなたの時間の中で通じないと、
やっぱり自分の物語というかね、
人生というと大げさですけど、
始まらないんじゃないかなって思ったりします。
なんでそんなことが言えるかというと、
僕の実感からして、
例えば企業でもいいし、
アイディアなんか特にそうなんですけど、
ビジネスアイディア、企業アイディア考えてますけど、
自分事という言葉も好きじゃないですけどね、
好きじゃないんだけど、
自分事という言葉がもし伝わりやすいのであれば、
自分のことなんだなって思えるからなんですよね、アイディアがね。
思えないんですよ。
思えないから、
一言だなって言ってやらない。
そのやらないっていうのは結局、
モチベーションの話というのもあるんですよけど、
その前に、それも含めて、
自分の時間を毎日とか何か入れられるかってことなんですよね。
考えるかとかやるか。
やらないんですよ。
本当にやらない。
だから、やらないからダメっていうよりも、
なんでやらないんだろうかねっていうことを
結構詰めて考えていかないと、
割と一生やらないんじゃないかなって思ったりします。
一生っていうのは、
24:00
やりたいことをやらないと幸せになれないみたいなことではなくて、
やりたいってことはそういうことになるんだよねっていう話なんですよね。
すごいシビアな話じゃなくて、
毎日の中に自分がやりたいことがあって、
ワクワクする気持ちとかね、
楽しいとか面白いっていうのがあって、
ワクワクだけじゃないんですけど、
興味深いのでもいいんですけど、
それがあると思うんですよ。
すごい小さいことでも全然よくて、
むしろ小さいことが大事で、
それが大事なんですよね。
そこに気づけないっていうのがあるというか、
毎日のすごい小さなことの気づきが、
要は未来とか自分がやりたいことに対するものに
前進しているとか、
すごい進んでいるんだよっていう実感ですかね。
要は毎日と未来との連動が断絶されていると言った方がいいかもしれないし、
わからなすぎてわからないのもありますから、
経験不足とかね。
あるんですけど、
でも、わからない何をやるっていうのはそうですし、
僕も毎日わからないことがあって、
知らないことを知っているんですけど、
知らないことを膨大だし、
それが全部基地で生まれることはないかなと思うんで、
ぜひ何かやろうと思う人で、
何かうまくいかないとか、
そういう方がいらっしゃるかもしれないんですけど、
それって自分の時間を投じてますかと。
ここで注意しとしては、
時間を何かかけたから絶対うまくいくとかいうことじゃなくて、
自分の時間を投じてやっているかが大事なんです。
もし仮に自分の時間を投じてやっていれば、
さっきの自分事みたいな言葉で、
体験として自分の中で経験として残るので、
こういう時はこうだったよねって言えるんですよね。
言えるということはやったということじゃないですか。
やったということは言えるから、
言えるということは、
そこで次に課題なり、
こうした方がいいとか、もしくはやらない方がいいとかってなるんで、
次に進めると思いませんか。
それがどんなに拙いこととか、
最初の一歩でも僕はいいなと思うので、
そういう人は全然挑戦ということで、
第一歩を押し出して、
ぜひやりたいことをやってくださいということになります。
なんで準備大事ですが、
結局何かの準備となると、
その準備の準備となって、
どこまで、どこで区切るかになるかなという話となります。
ちょっと長くなりましたが、以上となります。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、失礼いたします。
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