目の前の人を動かすテーマ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマは、目の前の人を動かせられるか。感動というと、ちょっと違う面もありますが、
実際に動かすというのは、その人が話をしたときに動いてくれる、もしくは気づいてくれるとかですか。
わかりませんけど、そういうですね、人が、心が動く、もしくは体が動くということ。
このラジオでもよく言っているんですが、その伝わるかどうかみたいな話ですね。伝わってますか?
というわけでですね、今回目の前の人を動かせられるか、目の前の人を感動させられるかの方がスムーズかな?
わかりませんか?そんな話をしていきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマは目の前の人を動かせられるか、感動させられるかです。
ラジオは目の前ではないですか、耳を聞いているあなた、リスナーのあなたということになりますね。
それは良いとして、今回ですね、例えばシゴクリ的な話でもありますが、
企業ではないのですが、何かしたい、ビジネスしたい、また目の前のネタということで、
一応Kindleがあるんですが、Kindleを作るというのは難しそうなので、
電子書籍で面白いものを見つけたと。本がですね、電子書籍本ですね。
電子書籍本で、電子書籍でいいのか、見つけたのでそれを紹介して、
稼ぎたいというとちょっと微妙な雰囲気かもしれませんが、それで商売にしたいと。
なので、どこかで聞いたことがあるかもしれませんが、
おすすめの本を電子書籍Kindle縛りで紹介するというのを作りたいというアイデアがあったとします。
実際あなたもしかしたらそういうアイデアを考えられたか、初めて聞くという方もいらっしゃるかもしれませんが、
何か考えつきそうじゃないですか。要は自分の興味があるものを、
もしくは自分が体験した、体験したと、経験したことからこれを誰かに届けたい、全然いいと思います。
じゃあそういう相談が来たら僕がどうするかというと、いいんじゃないですか、やってくださいとなっちゃうんですけど、
でもまあそうじゃないですか、何をいじる必要がありますか、そこに何があるんですかという。
その解像度というかですね、見えている部分はその人が一番最も詳しい、世界一詳しいんじゃないかという。
その客観的にはね、物差しはないですよ、物差しはないです。
例えとしてそれぐらいの気持ちがあってもいいよね、なきゃダメとは言わないですが、あってもいいよね、
それが熱量、言語化しづらいやつですけどね、精神論にはなります。そのあたりは精神論的な話ですね、マインドセットとか。
その時にですね、じゃあそのKindleとか電子書籍をお勧めしようという時に、その人が要はやるかどうかです。
わかりましたと、やるかどうか、やりたいんですと、そういう話をしてやると。
電子書籍を紹介する、電子書籍アフィリエイトでもいいけど、そういう授業というか、メディアですか、ウェブメディアという感じですか。
運営します、宣言します、やります。
一時期ですね、ちょっと脱線しますが、宣言する、これはコミットメントですね。
電子書籍本を紹介して、紹介するメディア、ウェブメディアをやる、ウェブサイトをやりますという宣言が一応流行ってた気がするんですけど、そうやってコミットメントするのはね。
これって結局宣言したところで、やれるかどうかはまた別なんですよね。
この宣言すると自分がやらなきゃいけないなという風になってやれるという人は当然やれますよ。
だけど宣言したことすら忘れているというか、宣言すればいいわけでもない。
結局そのピアープレッシャーというやつで、ある程度いい感じで、あれってどうだったのという風に言われないとやらなくないですか。
はありますよね。もちろんこの四国ラジオ自体も、他の小脇内じゃないけどやってることもあれどうなりましたって言われたら言いますけど、言われない限り静かになって、何もしてないかのような感じになりますよね。
そこは置いといて、話し戻して電子書籍の紹介サイトをやりますというところですね。
言いました。もしこの方がいたときに、じゃあやってくださいということで、もしくはやってみますということで、何をやるかになると思うんですね。
何をやるかというと、難しい話じゃなくて、他のサイトを研究というか見て、自分はこういうサイトがいいなという風にイメージを固める。
見てくださいよということですね。そこでこのサイトはいくつか見てくださいとか、誰かに言われないとやらないみたいなものは、
言い方は良くないかもしれないですけど、やる気ないよねってなりませんか?
実際のあなたはそういうのはどう思いますか?と聞きたいですね。自分はやりたいと言ってるんだけど、やりたい行動もあまりしないから、言われないとやらないみたいな。
行動を促す方法
その感じって僕からすると、高校生とか大学生とかで、形はお金を出して学費を支払って学びに来てるのに、言われないとやらないっていうね。
嫌だとか、あまり得意じゃないからやりたくないっていう。仕事というか勉強は後回しにするっていうのはもちろんわかりますよ。
わかるんですけど、全部は全部完璧にやるとは言わないんですけど、それが主っていうのはどうなの?っていう話ですね。
これ真面目な話かもしれませんが、かなり様々なことに影響しているというか関係してくるんじゃないかなと思います。
つまり自分がやりたいとかやろうとしていることに対して、コミットメントと言ってもコミットメントが効かない場合があるから、言い方を変えるとそれをやれるかどうかということになるんですね。
目の前の人を動かせられるかというのは何かというと、そういう行動をしていった時にシンプルに僕が、この場合、
何か言ってくれたらこういうことやりますよみたいな。手伝うっていうかね。もしくはそのサイト見たら感想ぐらいは言えますよとかそういう感じ。
それぐらいは全然やるんですけど、言われたらね。言われなかったらやらないです。おせっかいじゃないですか。
そういうふうに、知らない人でも知っている人でもいいんですけど、どちらでもいいんですけど、この人のためにやろうかなというふうに動くかどうか。
もしくは、なんちゃらメディアサイトですよね。電子書籍、Kindleとかの紹介サイトみたいなのを見たときにこれいいよねとか、もしくはこういうサイトなんだなというふうに思うかどうか。
というときに、ものすごく絞りに絞って、友人というか知り合いがいて、友人も話を聞いてくれるという関係性ができているということにしておきましょう。
その人に、自分はこんなサイトを作りたい。もしくはこういうので、企業というか副業でもなんでもいいんだけど、とりあえず授業をやりたいんだと。
収益とかお金を得る方法とかわかんないんだけど、広告をつけたらなんとかなるんじゃないかなと思っているみたいだね。
もちろんそれでたくさんお金を稼ぐとかはないんだけど、でも何かこれをきっかけにどんどんやっていきたいみたいなことを言われたりするじゃないですか。もしくは僕が聞いたりするじゃないですか。
そのときに、「いいね。この人はやろうとしていることっていいよね。」というふうに気持ちが伝えられるか、気持ちが伝わっているか。
最近よく思います。
要は、ここではポッドキャストという形でラジオで話をしています。
なんで直接ダイレクトに伝わっているかどうかはわかりませんが、文章とか本もそうで、その人の考えとか世界観とかをなんらか表現して伝えているわけじゃないですか。
それがすごく贅沢と言ったら怒られますが、今後より贅沢というか触れられない。
例えばAIがたくさんあって触れられなくなるときですね。
これは前に言ったんですが、人、AI、AI、人という構図としてですよ。
作り手、書き手から書き手をサポートするAI、読み手をサポートするAIが入り、そして読み手があるというときにAIが入っちゃうんですよ。
そうすると、AIが入っていない部分のところとか、人が直接見るとかやり取りするというのがリアルとか、人同士の壁打ちみたいなものとか対話とか、
そういったものが非常に重要になってくるということは、僕も何度も思いますし、そういうことが言われているんじゃないかなというふうに解釈して生きています。
他にもいっぱいあると思うんですよ。そういう授業、アイディアとかやりたい人っていると思います。少ないながら。
そのときに何でやれないかとか、何で行動に移せないかといったときに、それは理屈じゃないんですよね。
そんなにやりたくないとか、もしくはそんなにやりたくないのもあります。
あと、やりたさよりも、僕があるのは面倒臭いとか、手間とか、リスクの方ですよね。
失敗したらどうしようとか、恥をかくとか、その感覚がわからないですよ。
それはその人が考えるリスクであり感覚なのでわからないですけど、
そういうのも全部無しにしろということはできないと思います。
絶対何でもありますから、リスクリターンはあります。
そういうのを少なくすることはできますよね、そのリスクをね。
そういうのも全部カッコというか、トパラなかったらカッコに入れて一旦保留して、
じゃあ目の前の人、もしくは目の前のその人がいたとして、僕が話を聞くときに、
こういうのをやりたいんだけど、力を貸してもらえませんか?
もしくはこういうことをやっているので、この部分は何か意見をもらえませんか?
というような話が来たら、それは具体的じゃないですか。
それを無下にするということはあまりないですよね。
何で無下にしていないかというと、無視するとか、そういうことは多分しないと思うんですけど、
何でかと言ったら、その人が正体ですよね。
目の前の人を動かす重要性
ちゃんと向き合って話をしてくれているわけですし、その気持ちが動いている。
もしくはその人の気持ちが伝わったらいいんですね、というふうに思うこと。
もしくはその人からしたら思われること。
リスナーのあなたがそういうふうな意見というか考え方があって、アイディアがあって、
授業としてやりたいとか、もしくは活動としてこういうことをやりたいというときに、
目の前の人を動かすことができるかという、本当に一人でいいんですよね。
それが非常に重要なんだろうなということで、重要だよねって言って終わりじゃなくて、
実際にそれで動かしていかなきゃいけないよね、というところを最近感じますね。
最近の話ですね。
その目の前の人を動かせられないと何が起きるかというと、
そうじゃなかったら、もう多分目の前の人を動かせられないのであれば、
知らない遠くの人とかはまず動かなくて、ボールが届かないという感じが近いんですよね。
もちろんですよ、ここには自分が想定していなかったこととか、物がメッセージが届くこともありますが、
それは僕は偶発性でうんだと思うので、コントロールできないんです。
偶発性をコントロールするって結構難しくて、アイディア出しとかもそういう面はあるんですけど、
ただそれは、あえて狙うという、常に狙うものでもなく、余白とか余地の遊びの問題だと思うんですよね。
遊びの問題というか、それをメインにしない方がいいという感じですか。
要は偶発性とか偶然性みたいなものだけで頼らず、手前というのもちょっと違うんですけど、
必然とか必ず自分でできるような部分をまず増やしていこうというときの、その2つあるとするじゃないですか。
相当の確率でできることと、あまりの確率でできないこと、もしくはコントロールしやすいこととしにくいこと。
ときにコントロールしやすいことでの話として、目の前の人のことを動かすということを言ってますね。
偶発性、偶然性ということで、たまたまメッセージが届くということはもちろんあった方がいいんでしょうけど、
それって自分でやろうとしてもできないことじゃないですか。
コミュニケーションにおいて誤解もありますよね。自分が思っていたことじゃないものが伝わるとかもありますよね。
ポジティブな方だと自分が想定していなかった人に届くとかそういうのもあるじゃないですか。
でもそれを願って目の前の人をおろそかにして、おろそかあってます?
適切に伝えなかったり、もしくは適当にしてサボってしまうみたいなことがあって、
そうすると結局届かないみたいなのがある。
結局届かないというのは目の前の人にも届かないし、偶然で起きるべき人にも届かないということがあるんじゃないのかなっていう話ですね。
実践することの必要性
なのですごく簡単にまとめてしまうと、目の前の人とか読んでくれている人とか伝えている人とか、
その目の前に、まさに今目の前にっていう時にどう伝えているかやっているかってことなんですよね。
その目の前の人が明らかに反応が弱いとか鈍いとかいうのであれば、
やっぱり改善したりやり方を変えなきゃいけないんだろうなということは思います。
それが僕は全然マスターで、達人で、全部やられているとかそういうことは全く思っていないんですけど、
そういうことを忘れてしまった時こそ、目の前のことがやられていない、集中できていないとかそういうことに近いんですけど、
目の前の人に伝えられていないみたいなことが積み重なるとフワフワしてくるんだよなっていう話になります。
だからこそ、逆に自分の目の前の人に伝えられているとか、その人が動いたりするっていうことをちゃんと確認していたり、
もしくはそれを感じられているんであれば大丈夫というかね、安心。
それだったらいいよね、全部がうまくいくってことじゃないんですけど、
少なくとも土台とか足元っていうのがぐらつくことはないんじゃないのかなとは思ったりしました。
なので、全てがうまくいって理想通りにワーッとやっているかどうかは、
理想のあなたがどのような生活をしているとか仕事をしているか分かりませんが、
自分でやりたいことのイメージ、今回は企業ではないですけど、自分でやりたい事業というかプロジェクトみたいなもの、
電子書籍を紹介して、それで収益化してみたいな話でしたけど、それを仮にやりたい。
実際に考えていったら広告収益って結構大変なんですよね。
もちろんそれがやれるような仕組みとか、もしくは広告じゃない違う仕組みを考えられたら全然いいんですけど、
もし仮にそういうのをやろうとしたときに、でも、じゃあやりたいんですよねって言ってやる。
何を言った人がやるかどうかですよね。やる部分と同時にそれを誰かに伝えて動いてもらう。
それがサービスとしてはお客さんでもいいし、一緒にやる仲間として、事業者側だったらパートナーというか仲間としてもいいですし、
やっぱり一人一人、悪い意味はないんですが、駆読、要は思いを伝えて動いてもらうということは、
手抜いてはいけないような気がしますね。それを手抜いてちょろまかすだけで行こうとすると、何かいろいろまずいことになる。
だから、そんなことはしないんですよと。自分は目の前のものとかを丁寧にやってて、一人一人を動かしてますよという、
まさにその実感、肌触り?肌感覚?わかりませんけど、それを得ているのであれば、僕は大丈夫だなと思います。
これは多分感覚的な話ですけどね。そうやってないなって思うとか、僕もそういう感じがあったんで、まさに時間を込めて言ってるんですけど、
そういう感じがするなら、何かやれてないなとか、動かせてないんじゃないかとか、届いてるか、手応えがないかもしれないなと思った方は、
ぜひそれを振り返っていただいて、どうなんだろうと、機会にしてもらえればいいかなと、上からの目線ではありませんが、思いました。
というわけで、今回は以上となります。シゴクリードラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、失礼いたします。