1. シゴクリラジオ!
  2. AIに対する批判的思考をしてい..
2025-04-30 36:38

AIに対する批判的思考をしていくのがいいかも

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サマリー

今回のエピソードでは、AIと批判的思考について考察が行われており、頭を使わないことのリスクや批判的思考の重要性が言及されています。また、具体例としてラムネ菓子のサイズ変更やAIを活用したディスカッションの可能性が取り上げられています。AIに対する批判的思考の重要性が論じられ、AIのアウトプットを吟味することが求められています。特に、Google検索やAI検索を利用する際に生じる思考の減少にも触れられています。このエピソードでは、AIによる創作の現状とその影響についても語られています。著作権問題と人間の感性との統合に関する難しさが強調され、批判的思考の重要性が再認識されています。また、AIを道具として使用することの重要性が語られ、人間とAIの関係性についての批判的思考が促されています。特に、AIの能力と人間の学びの違いに焦点を当て、その使い方についての意識が必要であることが強調されています。

AIと批判的思考の重要性
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回はですね、AIと批判的思考みたいな話ですね。何度も言っていますが、要はですね、考えないと馬鹿になるとなかなかインパクトがありますが、そんなような話です。
馬鹿になるとは、頭を使わなくなる。つまり人がですね、頭を働かせなくなることで、最終的にはAIに頼ってしまうと。
それはですね、リスク面、デメリット面、マイナス面、ネガティブ面なんですが、もちろんそれ以上に上回るものがあれば回避されるし、社会に受け入れられてそれがまかり通ると。
そのあたりどこまで予測できるかわかりませんが、そのあたりですね、少し共有できればいいかなと思います。今回もよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしてはAIと批判的思考ですね。人間の考える力かな。
批判的思考と言うとですね、若干何か申し上げているかもしれませんが、誰かを誹謗中傷するとか、非難する、ダメ出しをするということ、批判ということがあんまり良いふうに使われない感じがします。
実際はですね、批判というのは要は相手の考え方が違うよねと。なんでかというと、理由も示す必要がもちろんありますし、ある程度ロジカルに示さないといけない。感情的になるのとはまた違うという感じですね。
それがですね、これは僕なりの見方というか僕の見方ですが、割と建設的で、攻撃して相手を貶めるという意図は批判じゃなくて非難かなと思っていて、ただ行為としてですね、相手のやり方が違うとか考え方が違うというと、慣れていないとですね、論戦みたいになって言い争っているふうに思う。
例えば今ここにですね、ラムネ菓子があります。これは森永ですかね、ラムネ菓子というのが。ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、ブドウ糖が入っているコンビニ等でもスーパー等でも買えるお菓子ですが、これですね、最近大粒化してまして、買ってない人は全然わからない話なので、しょうもない話かもしれませんが、しょうもない話だと思って聞いてください。
この大粒化してるんだけど、じゃあ前の小粒ってかなり小さい。小粒はですね、ラムネビーンの形を模した獲物が、これは昔からあるような気がするので、もしかしたら知っている方がいるかもしれませんが、今のですね、グミとか飴とかが入っている小型のパウチっていうんですか、包装パッチみたいな、パックか、ビニール状のね、ラムネ菓子型は小さなプラスチックの容器に入っているっていうものだったりします。
でですね、このラムネ菓子が大粒になるのはけしからんと、理由は各々しかじが出ていて、いやそうじゃないよね、大型化する方がいいじゃんって、なんかディベートみたいな感じですね。
それを楽しんでいる人がいて、そうじゃない、ある種のゲームだとしてですね、ディベートゲームだとしてください、やってるんだけど、それを外から見た人が言い争ってるみたいで怖いみたいなね、のはあるような気がします。
もちろんゲームとしてやっているかを置いといて、その中にいないとわからないっていうのは、文脈の共有とかっていうことで、よくあるんじゃないのかなと思います。
例えば笑い芸人さんとかじゃなくてもいいんですが、いじりってありますよね。このいじりが非常に難しくて、いじり具合が強すぎると、今のご時世と言いますか、感覚ではですね、それは良くないんじゃないかってなって、すぐ炎上してしまうというようなこともあったりすると。
非常に難しいなと思います。その人の関係性においてそういうのが当たり前であったら、全然咎められないようなことが、もちろんそれ咎められることもあるんですけどね。非常にそこが難しい。だから僕も結論を持っていなくて、正解はないなと思ったりしてますね。
話戻すと、そういうですね、リベートなり、そういう論争っていうか、議論を展開するっていうんですか、話すっていうのは割と批判的思考みたいなのが強い、ある種のスポーツなのかもしれません。
そういうのは知的好奇心が高い人とか、考え方が好きな人、まさに僕なんかそうなんですけど、割と好きなところだったりします。でも別にそれを好き好んで見てどうこう言うっていうのでもないですけどね。
だけど考え方という、考えというパッケージというかですね、いろんなものがあって並んでてそれを楽しむっていうのはあるかなと思います。僕の中でね。それがどうってことでもなく、リスナーのあなたもですね、エンタメを見に行く、エンタメを楽しみっていう感じでもいいし、自分の興味があることだからチェックしに行くみたいな、そんな感覚かなと思ったりします。
ちょっと共有できるかわかりませんが、そのあたりの感覚をお伝えしました。で、批判的思考っていうのがですね、AI等ってことで、いくつかたまたま見かけたのもあるんですが、AI等で出してもらった研究レポートみたいなのもありまして、ちゃんとは見てないですが、多分信頼できるんじゃないかなぐらいの定義です。
ラムネのお菓子を例にした議論
で、それですね、最近ですね、ノートブックLMはGoogleのサービスですが、これですね、面白くてですね、ポッドキャストみたいに会話ができるんですね。つい最近というか今日かな、見かけて日本語でもできるようになったんで、ポッドキャストみたいに話してくれるんですよ。男性のパーソナリティがしゃべりたいと、女性のパーソナリティが受け答えをしている。
で、どちらが主か受けかみたいなのはわかんないですけど、男性が話して女性がツッコミを入れるみたいなのがあったりします。これなんでそうなってるかはちょっとわかんないし、設定も変えられるかどうかはちょっとわかんないですけど、そういうふうにポッドキャスト風に読んでくれたりします。つまり、2人で対話をするような形にしてくれるってことで、前からあったんですけど、英語版しかないので、ちょっとニッチかなっていう感じでは日本ではあったと思いますが、これからだいぶ広がっていくんじゃないかなと思います。
で、批判的思考っていうのを、GPTのディープリサーチをかけたものがありまして、それについて簡単に5本くらいかな、詳細のレポートをまとめてくれたんですね。5本分くらいですね。で、その文章が長いわけです。
という意味で、一つ感じたのは、音声で聞かせてくれると耳から入ってくるんで、作業しながらもできるかもしれないです。ただ、長らギギになりますけどね。このラジオを長らギギしてる方が多いかなと思ってますが、その長らギギみたいな感じで耐えうるかどうかっていう。
あとは多少の違和感はありますが、流暢な日本語を使ってて、「えーと、そうですね。」とか、「んーと。」とかはありますね。ただ、「ふむふむ。」っていう女性の方が言ってて、「ふむふむ。」があんまり言わないかなみたいな感じで、テイストを選べたらいいかもしれないなと思いながら、「なるほど。」と言ったり、質問をしてるんだけどその質問に対して答えてなかったりとか、結構雑な部分がありますから。
完璧ではもちろんないんですけど、素晴らしいなと。それがですね、資料をコピーペーストとかテキストとかPDFとか、あとURLですね。指定してくれるだけでやってくれる。これはかなり衝撃的なんじゃないかなと思ってますが、もうかなり使っている方がいて、ただ、ノートブックLMのポッドキャスト化する日本語っていうのは本当に強とかなので、気になる方はぜひ調べてね、使ってみてください。
無料版でも全然使えますし、僕も無料版で使ってます。そういった中でですね、読み解いてポッドキャストというか資料として提示したのが批判的趣向だったんですよね。簡単に言うと、AIを使います。仕事で使います。そうすると、えっと、なんて言うんだろうな。じゃあ、今言ってたラムネの話でいくと、ラムネが大粒か小粒かどっちがいいなんて、ぶっちゃけしょうもない人もいれば、いやいやいやそのね、
この森永を責めてるわけじゃないですけど、商品開発とかでお菓子を作っている人にとってはめちゃくちゃ重要な話だわけですよね。だから、全員に配慮したってことはなかなか言えないんですけど、そういうのを思いつつも、じゃあ、ある人にとってはどうでもいい、ある人にとってはどうでもよくないっていうところも、AIに回答させることで、自分にとってどうなのかっていうことを考えなければ、
例えばですよ、ラムネ菓子が大型かつ大粒化するっていうのはどういうことですかって聞くじゃないですか、AIにね。聞いたとします。リスナーのあなたも考えてみてください。実際に聞いてもいいですよ。聞いてみてください。そうした時の答えっていうか、正解はもちろんないと、ここですよ。ここ大事なんですけど、正解がないと、僕も思ってるし、リスナーのあなたも思っている。なんだけど、聞くじゃないですか。
大粒、ラムネが大粒化することは良いことですかとか、どういうことですか、何でもいいですよね。聞くじゃないですか。そうすると何か返ってくるわけですね。AIっていうのは何か返してくれる。もしくは何か返してくれる設計やデザインがある。聞いた人を無限にしない。なぜならって言われた時に、それが商売だからって言われたら、もうやらしいかなと思うかもしれませんけど、商売だからと思います。一つの会話。
僕が、例えば道案内じゃなくて、問い合わせとかいただいてありがたいなと思うんですが、そういう時に誰かれも平等に必ず対応するということをすると思いますかってことをまず聞いてみましょう。もしくは、ごめんなさい。リスナーのあなたに聞くのはおかしいですよね。僕がそう思うかってことなんですけど、そうは思わなくて、要は誰でも平等に対応はしないわけですよ。
それが行政とかになっていくと、そういう原理原則みたいなのがあって、市民である以上を対応しなきゃいけないとか、対応の仕方とか、受け付けましたっていうだけとかもあるんで、対応っていうのが何かっていうのはもちろん違ってくると思いますが、対応って何だろうなと思いながらも、どのようにコミュニケーションするかってところです。
もしくはその機会があるかどうか、もしくは提供するかどうかっていうのもありますが、みんながみんなと同じように、僕が皆さんそのやつに対応するかは正直やらないですよね。っていうのが割と自然だと思ってますが、その通りでAIのサービス側の提供者から見ると、お客さんを気持ちよくさせた方がいいわけですよね。
シンプルに。それをなかなか否定できる人はいなくて、もしくはそう願ってなくてもそのようになっていくっていうのがまず構造というか設計としてあるんじゃないかなってことはやっぱり頭に入っておきたいですよね。
ちょっと脱線しましたけど戻すと、ラムネの大粒かどうかって聞いたときにAIが出してくる答えがあって、その答えというかアウトプットを見た人がどうするかということです。
例えばですよ、小粒よりも大型化の方が時代の流れですよとか言ってくれて、ハレーションという幻想というふうに言われますが、AIが全く関係ないでっち上げたストーリーを言ってくると。
例えば隣にあるチョコ菓子があるんですが、そういうチョコもどんどん大型化していると知らないですよ。だからこれはお菓子業界における一般的な見解です。
そういうことを冗談として、もしくは偽りで明らかに分かるとして行うのがある種の笑いであり冗談でありジョークである。
それが通じない状況もあるわけです。
AIはそれを一旦置いといて、ハレーションという形でもしれっと提供できるので。
AIのアウトプットを吟味する
最初にもう一回くどいですけど、あなたも私も僕もAIが正しいことを言ってくれるとは思ってないし、そんなふうに捉えてないんです。
捉えてないんだけど、そうやって出すと何か出してくれるわけですね。
出してくれたものに対して、チョコとか他のお菓子でもラムネじゃなくてもそういう傾向があるかもなと。
これ危険ですけどね。
思ってしまったらもうある種の最後というか、0か1以下でいい悪いじゃないですけど、もうだいぶやられているって感じがあるわけですね。
そうかじゃなくて本当かなと。そこでいやソースは何だろうな、ないですって言ったらないんかいっていうツッコミをできるかどうか。
もしくはソースがあったとしても、そのソースをたまに見ると全然関係ないことが書かれたりするわけですよね。
例えばラムネとチョコっていう原型がそもそもなかったり、お菓子すらないんだけど全然違うような、
例えば海外の全然違う事例を持ってきて、だけどしかも違っているようなものっていうのはまあまああるんじゃないかなと思います。
それはプロンプトとか指定の仕方ももちろんありますけど、
日本国内を想定しているのに全然違う全世界を対象として考えていたら、なかなか話が定まっていかないと思うんで、
そういうことはよくあるかなと思います。普段使っている方は感じているんじゃないかなと思いますし、
使っていない方はそういう使う中での違和感というのがしっかりあることを確認する方がいいんだろうなとは思っています。
これがまず1回目というかラムネの話をするじゃないですか。
見てそうじゃないんだよなぁとか思いながらやり取りしていって、
ここで批判的思考ができるっていう人を一つだけ言えば、さっき言ったツッコミですね。
本当かいなとかそうじゃないよねとか違うよねっていうふうに思える方は全然できてるんでご心配なくって思います。
ただただですよ、そうやって批判的思考が今できてるし考えられるんだと、
自信がある人、特に自信がある人に対して言うと、
だからこそこれをAIを使って問いかけて返ってくるアウトプットをしっかり吟味しなきゃいけないということですね。
思考の減少とその影響
全部は全部吟味しなくてもいいと思いますけどね。
言葉の意味調べて全然違うやつもあると思うんで、
さすがに辞書から学習してて、ただその場合辞書から学習してどうなんだということになりますから、
非常にここらへん怪しくなってきますよね。
そこは置いといて、そういう批判的思考というのがこれを繰り返すことで、
AIが入ってて繰り返すことになります。
要は日常的に入ってくることで繰り返すことになっていく。
でもこれはご存知というか、Google検索とかもそうですし、
そもそもインターネット検索をしていることで人間、人は考えたくなるかっていうところを
そこまで取り上げたのかなどうかはわかりません。
結局それは端的に言ってしまえば、あり程に言ってしまえばというところですが、
率直に言うと考える人は考えながらGoogle検索を使っているし、
AIも使っているわけです。
考えない人がGoogle検索を使ったり、AI検索を使うと何が起きるかというと、
Google検索をして結果になかったら世の中にはないですよねみたいな乱暴なことになるわけです。
このあたりは何か掴んでいただけるかと思います。
AI検索も同時です。
AI検索とかもしくはAIに問いかけることでどうかって言ったときに
AIが言ってないからそれが世界の真実だと。
そこまで思ってなくても思うようになるというところが今回の僕の解釈というかポイントだなと思います。
そうやって問答というか慣れていってカジュアルに聞いていくことで出てこなかったらないんだなと思う。
それはある種委ねているってことでは自分よりAIの知識や検索能力があるからってことで
ある種プラスではあると思います。拡張されたっていうことでプラスかと思います。
もしくは自分が知らない分野だといいかもしれません。
ただ自分の知らない分野の難しいところは自分が知らないがゆえに
ハレーションというか幻想が見せられていてもわからないわけです。
だからこれがディープリサーチ等でも多分言われるというかわかる通りで
わかる方もいると思いますが、使っててね、研修してる方もいらっしゃると思いますが
使ってるのに出してくるんだけどディープリサーチしっかり調べてくれるんだけど
それ自体が良いか悪いかを判断できないっていうですね
自己の拡張としてのAI利用
まさに科学習と言いますか人間の科学習ですね。
詰め込みすぎてわからない。もしくは判断できなかったらあまり使えないってなるんで
ディープリサーチってそういう意味では使えるっていう人は
普段そういう考えたりアドプトしたりしている人において使えるっていう話だと思います。
そうじゃない人を別にダメだとか思ってないんですけど
使ってるとか機会がなかったら全然使いづらかったりするんで
何が意味があるのっていうことになるかなと思います。
だからここでも知的好奇心が高かったりそういう考え方とか好きだったり
批判的思考ができたりそういった研究論文レポートとか読み解く人とか
そういう仕事をしていたり研究者とかそうですよね。
すごく恩恵を得られているっていうのがまず実態としてあるんじゃないかなと思います。
そうじゃない人にとってはなかなか得がたい部分かなと思います。
それが良いかどうかを置いておいてなかなかっていう感じです。
だからそこにおいて何を何がしていくかというと
非研究者でおいても研究者じゃない人でも使えてある程度のアウトプットができる
ということが証明されていたりできればいいんですけど
結局その出てきたものを確認するのは非研究者というのを素人とするならば
素人的にも何かやらないと行動して何かやっていかないと
勉強しないといけないしということになっていくんで
結局勉強とかは必須になるし考えるというのは必須なんですよね。
そこが手抜けないというのがポイントだと思っています。
すみませんちょっと前後していますが一つ戻すと
批判的思考というのは何だよそれというふうに突っ込みをするということで
端的な定義をしておくんですが
そういった考え方がまさにAIを使っていくことによって時間が取られるわけですね。
取られるというのはなくなるわけですね。つまり突っ込む時間がなくなる。
もしくはAIが出してきたものをさらに要悪させたり
そういったのが取られることでより考えなくなるという方向もできるし
その材料があることでより考えようと深めていくというのもあるんです。
その考えようとするかもしくは考えなくていいやって思うかの分数例といいますか
ある種それがAIというとの使い方というのを問われている資金石というかですね。
石が金になる石が資金石という石があったと思うんですが
それはちょっと置いておいて試されるという立場にはあるかなと思います。
そうやってAIとのやり取りを通じて
人がAIに対してそれなんだろうねというふうに突っ込みが減っていくということです。
突っ込みが減っていったり突っ込まなくなる。
あとAIが楽しいんじゃないかってなっていくと
まさにこれがそれ自体が危険というよりも
それがまずステップ1として批判的思考の時間や頻度の回数の減少ということになるわけですね。
それが減少することで次に2番目に考えるということがもう分からなくなってくるわけですね。
AIに聞いたらいいみたいな感じになってくる。
考えるのがめんどくさかったりAIに聞いたら出してくれよってなると
それ考えないじゃないですか。
さっきのバカバカしいと思ったラムネが大粒化するというのもバカバカしいというか
多分AIが誰かが積極的に扱うような話題じゃないと思います。
もちろん商品開発研究者でラムネが作っている人は大真面目に考えると思いますし
それは全然否定するわけじゃないですよ。
そこが駆動いいかもしれないですけど一応言っておきます。
そういった話題が一般的にバカバカしいと
僕も別にすごい話だと思っていない
バカバカしい取り留めもない話だと
雑談として聞いていただければいいんですけど
そういうラムネ菓子が大粒化するかどうかの是非を
真面目にすることって結構滑稽で面白いと思うんですよね。
一方でそれを考えることで
もしかしたら他のお菓子の話もあるかもしれないし
逆で大粒化じゃなくて小粒化したものはないのかと
今って時代的には単身の人が多いっていう時代だから
少なくなっていくっていうのもあるわけですよね。
一人用でいい。まさにコンビニって単身者向けって感じもしますが
そういうのもあって
大粒から小粒化するっていうものもないんだろうかと
経験もしくは減量だかですね。
減量費の高騰化とか
いうのじゃないものの影響でないのかなと
そういうのも考えてもいいですし
そもそもそんなことを考えるのは無駄なんだよね
っていうような展開でも全然いいと思います。
そういうのを考えていけるかどうかっていうところがポイントだと思っていて
取り留めのないことを
大真面目に考えろっていうのが趣旨じゃないです。
今回は言いたいのは
このような大粒なラムネ化していくのは何かみたいなことを
仮にリスナーのあなたもそうですし
どんなものでもいいので
テーマとして取り上げたとするじゃないですか
例えばコーヒーの
コーヒー屋さんで提供されるコーヒーの温度は適温かどうかとかね
何でもいいです。
ご自身が思ったものでもいいですね。
時に
そういうのを考えますかって話じゃないですかね
で、その批判的思考ってものを多分やっていかないと
批判的思考すること自体も忘れますし
全部AIでいいのかなというのは極端ですが
これは結構一緒ですね。
AIじゃなくても人でも一緒ですよね。
人に対して先生に気が分かるから
自分で考えないで
これちょっと良くないじゃないですか。
先生はあくまでも自分で考えるという力を
提供してくれている
ある種の練習するパートナーですよね。
鍛えるためのパートナーであるので
その立場はあるんですが
年配者の人が多いですよね。
その学習者よりね。
でも逆でもいいですよね。
年齢関係ないですよね。
というところがあって
それでその誰かに頼ればいいやっていうのは
さすがにちょっと甘えがあるってことですね。
一方でここは間違えてほしくないのが
じゃあAIを僕が使うなんて言ってるわけじゃなくて
自分が拡張したいところはどんどん使えばいいわけですね。
そういう意味で今日面白かったみたいなのが
AIと創作の関係
あるアーティストというか絵を描いている人がいて
SSAIからヒントを得て
それを元に描いているってことですね。
SSAIを出したものっていうのは
ここではやや批判的に扱いましたが
AIが想像するっていうのは
人間には理解できないような
よくわかんない組み合わせになって
ある種の気持ち悪さもあるわけですね。
気持ち悪さもあるんだけど
想定できないっていう意味の気持ち良さもある
みたいなところがある。
人間は人間でそのアーティストの人は
自分で考える部分はもちろんあるんだけど
両方やってるわけですね。
自分で考えて思いついたものは自分で作るし
そうじゃないものっていうのは
SSAIから出させるってことでやると。
それを統合することもあれば
もしくはそのままAIのものを
活かすってこともあるかもしれないし
自分の考えたものは自分で完結させる
っていうのもあるかもしれない。
今の時代の創作とか想像っていうのは
このハイブリッド感じゃないかなって
僕は思ってまして
まさに自分がショートショートみたいなのを
書いてやってるんですけど
ほとんどAIに書かせてるんだけど
でもそれが自分の作品ですよって
言い切れる点はどこなのかっていうところが
今ポイントとしてあるんですよね。
これが全部
手打ちしたらいいのかっていったときに
そのアイディアを
人のものから組み合わせて作っていったときに
結局ここって著作権問題で
そのパクリかどうかみたいなのが
よく言われるんですが
結局リスペクトをしてその世界観
というのを踏まえた上で
自分の独自の解釈をどれだけ入れられるか
著作権問題と評価
問題だと思ってまして
ここも非常に難しいというか
誰も決めきれない
っていうところがあると。
状況があるんですよね。
作り手側の感覚ですよね。
これを自分が作ったと言っていいかどうか
もしくは言えるかどうか
それは社会的な評価とかも
もちろんあるんですが
社会的な評価とかも置いといて
自分がどうかっていう主観的な
自分が創作したかどうかっていうところは
正直僕も今分かってなくて
どこまでいったらいいのか
ダメなのか
探り探りっていうところが現状だと思います。
ただ一つやっぱ言えるのは
AIがやるものと創作と
創作がやっぱ違っていて
その統合は
人間を超える創造みたいな風に
AIをポジティブに見るなら
人間を超える創造が
AIを組み合わせることにあるかもしれないし
AIだけではできないものが人間が
付与することで創造ができるかもしれない
ってことなんですが
もうちょっと引いてみると
結局社会というのは
人間社会ってことなんで
人が主体的になるっていうですね
要は人が病む社会を
AIが活躍する社会っていうのが
やっぱりできないわけですよね
それがですね
ある種の資源みたいな
戦争みたいな考え方なんで物騒ですけど
そのほそAI開発センターを
牛耳るとかね
独占するとか
そういうことで
一部の人しかAIが使えないみたいな
文脈であったら
これはですねもう各社として言われているかもしれませんが
もう問題になってきますよね
でもなかなかそうはなってない
僕でも使えるという状況ではあるので
そこはどう使っていくかってところが
まだ試される状況だから
いいのかもしれません
ディストピアみたいなことを言ってしまうと
ディストピアっていうのは
ユートピアじゃない理想郷じゃない
あんまり良くない
地獄みたいになってたら嫌ですけど
話になるんで
適当に言っておきますけど
要は例えばそのAIが支配をして
人間を支配するような社会とかね
考えられるわけですよね
それをどう捉えるかも
人によって様々
出てくるかなと思ったりしてます
話を戻していくと
そうやってAIを使うことは全然いいんだけど
それを使うことによって
やり取りをするときに
ツッコミ 批判的思考みたいなものっていうのを
できる環境が少なくなっていくと
やはりですね
なまっていくっていうのがあるかなと思います
そのなまったぞと
考えないぞっていうところでも
考えなくても
できてしまうという状況があれば
それが社会的に曲がり通るのであれば
もしくはその人が
病的なストレスがかかるとか
そういうことがなければ
これは通ってしまうような世界観かと思ってます
つまりここで言っているような
批判的思考が
とか言っている考え方が
そもそも古いということも考えられるわけですね
リスナーの方はどうお考えかな
というのはぜひ興味があれば
聞いてみたいんですが
そういう時に
まさに
自分の考え方が正しいんだみたいな
論争というか論点を展開しておくと
あっという間に
埋もれてしまうような気もします
あっという間に埋もれるというよりも
正しいと思っている人が
保守するというのがあるわけですね
実際にね
批判的思考で
それこそ飯を食べて食っている人たちがいたとして
その人たちはすごい守りますよね
防衛しますよね
それを淘汰してもいいよね
関係ないよねという人はどんどんやってきますよね
だからイラストとかもそうじゃないですか
映画にイラストを作らせて
これで淘汰できるかということですけど
正直なところなかなか難しいのが
現状ですよね
あと著作権の問題みたいなのが常にあって
どういう風に扱うか
これはですね
何にも言われていないかなと思います
言われていても結局
AIが出した著作権がどう
AIが出したものの著作物がどうという問題ではなく
人間が出した著作物的なものも
それが誰かに被ってしまったら
というところで結局
キリがつかないというか
だから
誰もができるようなものって
著作物というよりも
独自の解釈がないというのが
僕の著作権法の理解なんで
独自の解釈がされるようなものって
かなり公表して
かつ
批判的思考の重要性
この人ってこのやり方だよね
というくらい結構やり続けないといけなくて
それって
短縮できるのかなというのは正直ありますよね
1年2年でできるのかって
要は世に広めていくということもありますし
多分
副業とかだからダメというわけじゃなくて
SNSで
バズるというのも
結局忘れられるじゃないですか
それが
誰かのテイストに似たときに
よくあるのが
自分はそれ前からやってたんだけど
バズってないからめちゃくちゃ似てるんだけど
バズってないからみたいな
泣きに入るとはもちろん思わないですけど
そういう人も多いんじゃないかなと思います
実際にね
じゃあそれを発信したところで取り上げてもらえなかったら
裸足にならないっていうね
それがいいかどうかは分からないですけど
比較的よくあることなのかなと思います
つまり目立ったらいいし
目立たなかったらダメみたいなのが
すごく念の図に出ているときに
その状況を
一旦置いておいて
そういう社会ですね
そういうデザインされた社会ですよね
目立てばいいっていうのは
さすがに僕はどうかなと思うので
このあたりですね
いい社会設計というか
いいデザインできたらなと思うんですけど
なかなかいいものは
これっていうのは正直言っておきながら
出てこないです
いい感じにはしたいなというふうには
社会人として
思ったりしています
そういうふうに
批判的思考というのが
回数が少なくなっていって
衰えていってAIでいいやってなっていって
AIに依存するってそんなことはありますか
っていう人はもちろんいると思います
そう思わない人は
普段考えていて突っ込んでいる人かなと思います
一方で突っ込んでなくて
AIに出したものとか
誰かが言ったことをそのままやったり
もしくは鵜呑みにする傾向があるという方が
職業ラジオを聞いているとは
あまり思わないですけど
もしそういう方がいたら
突っ込みをしてください
そんなこと言ったんだけど
本当かなって
自分に自分に突っ込める人っていうのは
多分結構しない方だと思っていまして
ごめんなさいみたいな感じで
そういうこと言ってたんですね
こともあると思うんで
自分に言ったことを
ちゃんと突っ込める人は
批判ができるかなという証かなと思います
前が取り上げたのは
想像的思考の方だと思います
批判と想像的思考というのは
僕は綿密に絡んでいるとは思いますが
批判的だとロジカルな感じ
論理的な感じで取り上げるので
想像の感覚的なものとか
感性っぽいものとは
相性が悪そうな気がしますが
それはあんまりなくて
統合することは多分できると思いますし
感覚だけで
できないというのは
アイディア出しの話も何度もしてますが
やはりアート的な感覚的なものがないと
その興味
やってみようというのは最初できないし
やらないし
でもやったところで表現したところで
それを続け的に
論理的に分析したり評価したり
ということが必要なので
両方必要かなと思います
1個しかないなとか片方しかないな
という感覚がもし覚える人であれば
それは多分片方が足りていないので
トレーニングということは
アイディアを出して何か作ってやるだけでも
非常に
鍛えられるんじゃないかなと思ったりします
今の時代は
AIを使えば様々なことが
あっという間にプロタイプが
できてしまう時代でもあるので
そこはプラスなんだと思います
だからあとは
さっき言ってたしつこいですが
AIの使用法と人間の役割
批判的指向みたいな感じで
AIに任せていいよね
これで終わるよねということじゃなくて
AIを
GPTとか初期の頃から使っている人も
そうだし以前のAI研究みたいなことから
携わっていた人も
多分言ってそうなんですが
結局AIをどう使うかだし
それを使って
自分のやりたいこととかを拡張していく
ということにおいてはプラスなんです
でもここで確実に言えるのは
人間が主もしくは
リスナーのあなたが主で
発動するというかトリガーを引いているのは
自分でコントロールしているのは
あなたなんですよね
ということを明確にしておく必要がある
学びとAIの関係
という人がAIを使う
道具として使うで拡張していく
ある種の
飛び箱に置ける踏み台みたいなやつで
踏み台を使うと飛べる
ジャンプ台ですね
ジャンプ台を外しても
自分で飛べるという感覚からするとOKですけど
ジャンプ台でしか飛べないということになっていくと
やっぱり飛べないわけですね
ランダムに
そこが非常にポイントなんじゃないかな
と思ったりしています
考えましょうということでもあるんですが
AIがどんどん
入っていく中で
それこそ自分が何なのかということを
感覚的に問われて
それを何度も感じる機会が
もしかしたら増えているかもしれないです
自分のやっていることは何なんだろう
知識とか仕事ですね
やっていることは何なんだろう
AIで簡単にできてしまったときに
見たときに恐ろしいなと思うわけですよ
ただそこはちょっと
安心していただきたいのが僕の中でですよ
それをやれるのが短い
ということができたとしても
例えば1ヶ月でかかることが
1日でできたとしても
もしくは1日でできることが5分でできたとしても
それってそれがいいかどうか
という評価を
あなたがですよもしくは僕がしているわけじゃないですか
出てきたもの
その評価という感覚もしくは学習したり
経験したりというのが得られるのが
時間がかかると思います
もしくは10年かかったことが
自分が10年かかって学んだことを
AIが1日でやってくれるというのは
衝撃的じゃないですか
ただそれは本当に1日で学べるかといったら
学べないわけですね
AIができることは人間が学べるわけじゃないんで
AIができることと
人間が学べるというのは
一緒にしていないほうが
ヘルシーというか健康的なんじゃないのかな
と思ったりします
というのは
一旦投げかけて
おきたいと思います
そもそもAIと人は違いますよね
ということがないと
AIと戦うみたいな話になるんですよね
僕が言っている脱AIみたいな考え方って
人の
耐えるとか人の感覚っていうのを
おろそかにしたり
ないかしらにするっていうことにおいては
やりすぎかなと思いますから
その考え方ですよね
AIと人を対等というよりも
もしくは道具でもいいんですけど
うまく使うっていうところに
行くためには
ある種のAIと
友達になるみたいな話で
AIは知っていく必要があるし
それは使っていかなきゃいけないんですよね
それをやった上で
使っていくか
だからAIを使わずしてAIの話もできないんですし
AIを使ったからといって
別にAI支持者で
あるっていうことでもないと思うんで
それこそまさに批判的なんじゃないかなと
批判的思考じゃないかなと思っています
アリスあなたも
ぜひ批判的に
AIを使っていただくと
いいんじゃないかなと思います
ただいいんじゃないかなぐらいで結局
こういった批判的思考自体も
到達されていくこともありますし
これもある種の意見だということで
考えるきっかけにしてもらえれば幸いです
今回は以上となります
四国にラジオ大橋でした
ここまでお聞きいただきまして
ありがとうございました
以上失礼いたします
36:38

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