AIの労働強度とは
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
えーと、今回からですね、ちょっとですね、番組のイントロとかですが、これね、始めていきたいと思いますって言ってやってますけど、
えー、シゴクリラジオで何?っていうのがあると思うんで、これはですね、ちょいちょい冒頭か、ちょっと今迷ってるんですけど、冒頭か始まってからね、入れるかと思いますけど、
まあ始まってからですかね、入れていこうかなと思いますので、また少し伝え方が変わりますが、引き続きよろしくお願いします。
というわけで、今回テーマとしては、AIの労働強度ですね。労働は働くの労働ですね。
ん?いたばるに動く?あれ?労働の動き?いや、人間が働くですね。強度は強さ、度合いですね。
労働強度というわけで、それについて話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。シゴクリラジオ、この番組はですね、仕事づくりをテーマにした番組となっています。
仕事づくりに関するアイディア、ビジネスニュース、仕事づくりの考え方、ヒントなどを提供している番組です。
キャリアとかっていうとね、ちょっと重たいんですけど、どうですか?重たいですよね。
もうちょっと軽くね、仕事づくりってもっと日常にありますよ、もですし、ビジネスって言葉の定義もなかなか難しいんですが、
商売とかですね、身の丈、スモールビジネスなんでもいいんですけど、自分に合ったとか、自分が楽しい仕事とか、
わかんないですけどね、人によって違うんですけど、そういうのを探る活動と言ってもいいかもしれません。仕事づくり、シゴクリ。
なんかもっとですね、楽しく仕事もですし、少なくとも目の前のやってることがつまらないとか、嫌々っていうところが仕事だと思いたくないし、
そうじゃないやり方ないのかなってことを、人生かけてというちょっと大げさですが、僕の中では割と楽しくやれないか不思議じゃないかっていうね、
この間1000回一時遅延のライターじゃないけどね、話しましたけど、そういうの扱っていく番組です。
そういうことってあれですよ。一時遅延の話ずっとしてるわけじゃないですけど。
で、スタウンドFMで配信はしてるんですが、スタウンドFMって別にスタウンドFMで聞けってわけじゃなくて、
スタウンドFM、あとはListenというサービスもありますし、あと当然ながらSpotify、Apple Podcastにも配信してますのでそちらでも聞けます。
聞いてる人はほとんどいないんじゃないかなと思いますが、Spotifyでも別にコメントでもできますし、
いろんなところでコメントしてもらっても拾えないんで、どうしようかなとか思ってます。
そんなにコメント来てないんで全然心配するところじゃないですけど。
とりあえずListenとかでもいいですし、リスナーのあなたが聞きやすいメディアで聞いてもらえるといいかなと思います。
ちょっとこれ長いんで、これはちょっと短くしつつ、あと概要欄にSpotifyとか、ListenのURLも書いてますけど、
スタウンドFMしかやってないのかなって思われてる人もいると思うので、そういうのはちょっと出していこうかなと。
出し存ってやつですね、は思いました。
ちょっと冒頭長くなりましたが、これね、撮り終わったら編集してやるんで、ちょっとメモっとかなきゃいけないなっていうか、
ちょっとメモらせてください。メモりながらやってるよみたいな。
画面があるから忘れないですけどね、SpotifyとApple Podcast。
Apple Podcast全然僕は聞いてないんでわかんないですけど、最近Spotify結構聞いてるんで、見てるんですけど全然僕のラジオ出てこないんで、
全然Spotifyおすすめレコメンドシステムに乗っかってこないんだろうなみたいな。
別にハックしようとか思ってないんですけど、どうすると出るんだろうなみたいな、なんだろうなみたいな。
それぐらい余談というか、四国理ラジオの話でしたね。
今回のテーマはAIの強度、労働強度ですね。
これですね、友人と話しまして、実はこの友人もですね、PodcastをスタンドFMでやっているという情報を得てまして、
今度ゲストに呼んで話をしていこうと思います。
このゲストワンも書きながら、雑屈精神でやってますけどゲストワン。
AIと人間の関係
なかなか付き合いの長い友人なんで、面白い話ができると思います。
AIかな、AIと考えるかなとかぐらいかな。
AIと考える仕事ぐらいのテーマで考えてます。
企画もできましたね、ありがたい。
もしですね、AIと仕事、もしくはAIとか、何でもいいんですが、もし聞いてみたいことがあれば、
僕というよりも友人に含めて言っておいてもらえれば、ちょっと切り口にヒントさせてもらうと思います。
この友人と話していたところで、労働強度という言葉がありまして、
僕の方でも少し調べてみると西尾さんという方がですね、
Twitterにあげていたので、それも後であげておこうと思います。
やっぱりそういうですね、使っている人ですね。
やっぱり同じようなことを考えられているんだなと思いました。
どこからいくかというと、まず使えるという話ですかね。
AI使ってますかということで、実はあなたがどれくらいAIを使っているかによるんですが、
僕の感覚でいくと、ディープリサーチとかというのが出てきました。
ディープリサーチというのは何かというと、AI側に指示を出すと、
バババッと様々な論文もそうだし、インターネット上のこともそうですが、調べてくれて、
そのテーマにしたかったレポートを仕上げてくれるようなイメージです。
いわゆる優秀な秘書みたいな感じですか。
それはですね、30秒とか1分じゃなくて、時間をかけて10分とか、
もしくは放置しておいて後で返ってくるようなものです。
なので、無料版とかでも、僕はちゃんとGPT有料版を使っているんですが、
でも回数制限がありまして、月に何回か20回とか、そういう感じの回数です。
なので、Googleとか他のクロードとかパワープレキシティとか色々ありますが、
有料だとだいぶ使えるけど、無料だと1日1回とか数回しか使えなかった気がします。
パワープレキシティとかも使っているんですが、1日3回とかだったかな。
ちょっと分かりませんが、そんな感じの機能があります。
これ、例えば僕がですね、想像線に関して、想像力と散歩に関しての研究を教えてください、
みたいなことをやるじゃないですか。
リスナーのあなたがもし分からなかったりするし、僕も分からないときに、
AIが調べてくれてそれを返してくれるわけですよね。
しかも割とまとめていると。
ただですね、問題も色々ありまして、インターネット上のかなり特定の企業のイベントとか考察を参考にしてたりして、
これって客観性が弱くないか、みたいなのも当然普通に入ってくるわけですね。
論文に絞ってくださいと言えばもっと論文に絞るので、またいいかもしれませんが、
それが正しく取れているかは、つまり僕が指示した側が見なきゃいけない。
これはもう鉄則で変わらないわけですよね。
AIを使っている人ならそうですよねという話ではあるんですけど、
AIをあまり使っていない人はそれを見なきゃいけないんだねと思うかもしれません。
このペースですよね。
それが1日に3回ぐらいで、論文のペースも5000とか10000字ぐらいだったら別にそこまで見て判断するんだったらいいんですけど、
これがさらに2倍3倍になっていって、1時間に1本必ず見てそれをやらなきゃいけないとか、
もっと回数が増えていったときに何が起きると思いますかというと、
人間が使わないんですよね。
少なくとも僕がディープリサーチをかけて読むときに、読むのがめんどくさいなと思っちゃったんです。
何万字もあるやつとか。
当然ですよ、簡潔にしてくださいと言えば簡潔にしてくれますが、
簡潔にすると抜けるわけじゃないですか。
どういうことかというと、その創造性と散歩についての研究がどういうタイトルかを知りたい。
その研究タイトルの実際どういう検証をしてテストをしたのかを知りたい。
まず結果だけざっと見たいとか、いろいろ要望があるじゃないですか、見たいものがね。
要は自分の当て勘というか探求とか考えるときの材料をどう見ていくかみたいなところの根拠とかソースとかわかりませんけど、
少なくともスポットライトを当てたい部分が常に変わっていくわけじゃないですか。
だからこそ全体を見たいわけですよね。
詳細も見たい。
当たり前ですけど要は要約を400字を読んでもそれは何も読んだことにならないわけですね。
じゃあ要約がダメなんじゃなくて、要約されたものを見てこれは面白そうだなという当たりをつけて、
当たりをつけたらその元を見に行かなきゃいけないじゃないですか。
当然だから有限というか人の時間は有限ですし、ここに来て、
負荷としては例えば8時間動いたとして、
それを8時間繰り返すのかといったら多分死ぬというかもう頭がついていけないですよね。
その論文というかレポートを見るだけでもまあまあ疲れるわけですよね。
僕は周りとは慣れているとは思うんだけどそれでも全然疲れるし、
それをずっとやってくださいと言ったら多分感覚の話ですけど脳があまり動いていなくて、
頭動いていないです。動いていなくて情報が目が滑っていく感じで入ってこない。
もしくはスクロールしたなみたいな感じです。
ダメじゃないですか。
もちろんそれは情報としてとか重視すべきことがないもので、
見た感じ別にそこまでかなって思ったら別に捨てていいですよね。
だけど捨てていいかどうかの判断の前にその前にいわゆるちゃんと見て理解しないといけないわけですよね。
そのちゃんと見て理解するということはもう気づくかもしれませんが限界があるというか、
1日数時間、1、2時間とかで限界なんじゃないかなと思ったりしました。
それぐらい人間の脳の処理能力って少なくとも僕はですね、
僕の処理能力ってその高くないなっていう話でもあります。
僕の処理能力を参照というか標準にしなくてもいいんですけど、
仮にそれを標準とした場合、仮に僕のAIの使い方が標準というかよく分からないですけど、
にしてもAIのスコボルというか、10倍と比較するまでは10倍、100倍ぐらいめちゃくちゃ速いわけですね。
そもそも書けないでいいですよね、まとめて調べてね。もう無理じゃないですか。
それをやって抜けるのがAIなわけですね。
そのAIのペースについていくと何が起きるかというと、
いわゆる労働強度ということで、その時間あたりにアウトプットするような
パフォーマンスみたいなものが、見て読んで聞いて書いてこれですよね、
資料まとめてみたいなことでもいいんですけど、何でもいいんですけど、
それが強すぎるわけですね。高すぎると言った方がいいですよ。
だからこの労働強度という観点からすると、AIの労働強度が高いが、
あまりに人間がそれについていこうとすると、少なくとも人間といってはここでは僕ですけど、
労働強度がついていくと疲れてしまう。むしろやりすぎなわけですよね。
だから分かりやすく言えば、1日16時間働いているみたいな感じになると思います。
1日16時間働いている人もしかしているかもしれませんが、病気になりますよね。
死にますよね。という笑い話じゃなくて、全然お勧めしないというか、やめてくださいと。
逆に4時間働いている人が死ぬとかはあまりなくて、
厳選した4時間とか、4時間でできるようなことをやっているというわけですよね。
だから世の中的に4時間だけ働けという方向にしていった方が、僕は極端ですけど、
二択だったら絶対そっちがいいなと思うわけです。
AIは当然ながら、16時間働きましょうというツールではないですよね。
4時間働きましょうというツールですよね。
社会がそうなっていくかは非常に怪しいし、そうならないとは思うんですけど、
簡単に言えば社会がそうなっていかないということなんですけど、
それを置いておいて、そういう労働強度に付き合う必要性はないんじゃないですかね、という話なんです。
AI利用のすすめ
ただ、西尾さんという方も書かれていたと思うんですが、
問題は1時間ぐらいでゆるゆるとAIと、1時間がダメじゃないです。
30分とか1時間とかぐらいで仮にして、AIと付き合って、
別にこんなのでいいよ、はいはいやっておいて、みたいな。
いわゆる今まで人間がやってきたことがあって、
しかもそれがExcelポチポチとか、ネットポチポチみたいな、
Aがやられてしまうようなことが、単純な自動化だけじゃなくて、
AをBにしてくださいとか、テキストを変換してくださいとか、
これを画像を変えてくださいみたいな、そういう単純作業なんてできてしまうんじゃないですか。
かつ、ここから大事な論点を上げてください、みたいなものもできつつあるわけじゃないですか。
もうできている。ほぼできている。
だから、論点が確かにずれているハレーション、幻覚を起こすというのはあるんだけど、
見てチェックしていったら、そこまでおかしくはない。
少なくともAIがまとめましたみたいなのを見たときに、
人間がチェックしてそこそこ修正をかけていたら、
割とまかり通っている感があります。というか、まかり通っている。
と思います。言いませんか。
というか、僕は思っていて、だからそのままAI全部出したやつはダメだけど、
修正かけて変更して、人間が見たらそこそこ使えるものになる。
当然人間がディレクションしなきゃいけないから、
友人も言ってましたけど、中華管理職だとか、ディレクションとか、
要は上司みたいな、マネジメントみたいな、
AIマネジメントするAI部下に指示するという感覚になってきているんですよね。きっとね。
だからその上司である、あなたもしくは僕が指示が悪ければ、
AI従業員というかAI部下が変なパフォーマンスを出してくるので、
そこは修正してくださいよ、ということで、
AIを使うことが求められるし、そうならざるを得なくなっちゃうんですよね。
AIがポンコツで全然ダメだというかね、
例えば資料を作ってって言ったら、なんかよくわかんない感じで、
資料という文字を書き始めたら、それはギャグではいいですけど、困るじゃないですか。
さすがにそれはもうなくて、
AIを全然使っていない人は驚くべきことなんでしょうが、
使っている人にとっては、この辺りはかなりリアリティを持って共有できている感じかなと思います。
この辺りは全然興味持ったらぜひ使ってくださいということで、
強いるわけじゃないですね。
そうなっていった時に、
例えばインターネット広告を出しています、毎月レポートを出してくださいみたいなやつも、
ほとんどAIでできちゃうわけですよね。
そうすると、月に1本クライアントに何十本あって、それを毎月出していたけど、
クライアント側も理解してきて、なぜならクライアント側もAIで使うわけですよね。
そうすると、あそこから送ってくるレポートがあるけど、見ていなかったり、見ても解釈するときに、
参考にならないから、もうこれAIで変えようかということで、
レポートでお金を取っていたら、レポートだけで費用を請求できるかとか、
そこは置いておいて、その分、広告代理店側が運用しているところはやらなくてよくなるわけですよ。
多分ね。
そうなると、その分お金が減るか、報酬が減るか、労働が減るって感じですよね。
そうすると広告代理店側が違う仕事をやらなきゃいけなくなるはずです。
でもそんな単純にいかなくて、クライアント側も、
いや、使っているんだけどよくわからないってことになってきて、
結局何を見てどうしていいかってことが、
AIが出すアウトプットをしても、有用なプロンプトを入れてよって言ってもやっても、
わからなくなるわけですね。
結局、人間の体験とか経験とかが問われていくってことで、
ますます人間の教育とかスキルとかっていうことに対して、
通じるようになるっていうのが僕の見立てですし、社会的にもそうなっていくはずなんですが、
全然教育ってことに対して価値がありますよねっていうふうに、
あんまり言ってる人がいないっていうのはちょっと怖い部分がありますよね。
むしろ、そんなこと以上に、人間が教育すると大事だよなんて言ってる以上に、
AIの方の進化と労働強度が高すぎるんで、
人間側がもう考えなくていいってよく言うじゃないですか。
考えなくてもいいから、もうAIが全部やってくれみたいな。
だけど、もともと考えたり考え方とかうまくいかなかったりとかっていうのがやっぱりあるわけで、
そうなると、僕は前回言ったと思うんですけど、
AIが社会を作ってるわけじゃないんで、人間が社会を作るんで、
そこは主導権を取ってバシッとやらないと、
別に力強いリーダーシップがいいなんていう意味じゃなくて、
単純に乗っ取られるというか、AIは乗っ取ってないんですよ。
AIは乗っ取ってないんだけど、人間が乗っ取ってほしいみたいな感覚があるから、
そうなってくってだけですよね。
社会って多数の方に寄ってくから、そういう考え方が起きればそうなってきますよね。
だから、僕みたいなことを言っている、
人間で学ぼう、人間で学ぶぞみたいなことを言っているのが、
すごいトンチンカというかですね、勘違いというか、
少数派にもしかしたらなるかもしれません。
まあ、なってもいいんですけど、考え変わっているかもしれませんけど、
とりあえず今はそんな風に思っています。
だから労働強度を高めたら疲れますし、大変だから調整してくださいと。
やりすぎは禁物です。1日16時間働くような感覚で、
AIに8時間ずっと付き合ってやるというのはお勧めしませんし、
クライアントとの関係性とレポート作成
やめた方がいいと思います。
で、仮に8時間使っているよという人がいても、
それが学びとか負荷についてでこられるなら全然いいと思います。
それだけです。
だからその負荷具合が人によって違うし、求めるのが違うから、
一概に言えないということですね。
多分これもいろんなケースが出てきてまとめられていったら、
もっとわかるかもしれません。
だがしかし最適なものがいきなりわからないので、
AIを使ってやって、上でそういうものが生きるということにしかならないです。
それはもう何でもそうです。
次に労働強度が低い場合、弱い場合、そんなにAIを使っていないよみたいな感じで、
たまにさっき言った広告の運用画面を見てポチポチとやって、
AIに任せてはい終わりという風にして、AIで出して終わり。
今までやってたことがやらなくなって楽だなという人は、
これは今度は逆に学んでなかったり成長ということが弱いので、
スキルにならなかったり、要はただ代替されていくという風になっちゃうんですよね。
これは別に煽っているわけじゃなくて、
要はずっとルーティンでやっていることがあって、
ルーティンというのはAIができるようなことというのも入っています。
自分しかできないルーティンというよりも、
AIができるようなことが、要はルーティンの方に侵食することができるので、
毎朝何か出してくださいとか、毎日こういうのをやってくださいと言って、
AIができてしまうことは原理的にはできるわけじゃないですか。
それに気づくかどうかみたいな話で、
人間がみんな気づき始めるかどうかを置いておいて、
早い人は気づいてそれをやって、
AIができることを自分がやったことかのように見せるというテクニックで
しのぐこともできますが、
多分これはちょっとずる賢いとか賢い人はできるかもしれません。
ただそれも結局は社会は馬鹿じゃないので、
全然賢い人もいますし、あとAIも賢いので気づいていくわけですよね。
社会的に気づいていく。みんなが気づいていく。
なるとバレるので、それも無価値化するという感じもします。
つまり、AIに疎い人を騙すじゃないけど、
恥ずかしい自分が考えたかのようにAIのアウトプットを使うなんてことが、
もしかしたらわかり通っているかもしれませんが、
これはすぐ駆逐されるというか、消えていくでしょう。
淘汰されると思うので、そんなに心配していない。
むしろどちらかというと、
強度が低い中でAIをあまり使っていないみたいなところの中で、
それがAIを使うことがあまりできなかったら、
全然それで別に高めていくし、それはそれでいいんですが、
だからといってAIを使わないから、
労働強度が高くあり続けるかというと、
またそれはどうかわからないわけですよね。
労働強度も、何をどんな仕事をして、どんなアウトプットをするかによるので、
一概に労働強度は全部言えるわけではないんですけど、
少なくともプログラミングとかITの世界だったら、
僕はそこに使っているわけではないので、
間接的な言い方になっちゃうし、客観的な見方になるんですけど、
確かにプログラミングとかシステムを作っていくときに、
一個一個のプログラムをやっといて、組み合わせて積んでいったほうが早いし、
それなりにもできるわけですよね。
それはもう2倍とか3倍じゃなくてものすごい、
それをどれだけAI部下を支持できるかというスキルになっているから、
全然ゲームというか労働の仕方が全くプログラミングが変わってきちゃうってことですよね。
それを良しとするかどうかは置いておいて、
それを仮に一人の企業、もしくは一企業とか企業の中の誰かがやっていったときに、
できてしまった場合ということです。
できてしまうケースがある。
できてしまったらそれに準じて、できるんじゃないか。
オリンピック選手じゃないけど、
その10秒ですよね。
100m走10秒の壁って破れないと思ったけど、
破れたら結構みんな破ってくるみたいなやつで、
やってみたら結構できるってことがあるんですよね。
精神論みたいな話ですし、ザ精神論なんですけど、
そんな感じでAIもやってみたら結構できるじゃんってことが結構あって、
それを開いてしまったがあまり開くなってことは思わなくて、
開くから開くし、やるし、でできてしまうっていう話です。
そうなると、AI強度低くてあんまり使わないっていう人でもやらざるを得ないし、
低いと今度は、
みんながみんなAI部下を持っていてマネジメントしている中で、
自分は単発一人、人間一人だけでやっていくから、
AI前提のパフォーマンスを求められるときにしんどくなるわけですね。
AI活用の未来と労働市場
それを比較されるとね。
だから感覚的な話になりますが、
全然自分はAIを使わずでもできるパフォーマンスというかアウトプットがあり、
それはAIで無理ですっていうのが確立されていてあれば、
認識されていたらそれは全然いいんです。
かつ、贅沢ではないんですけどもっと言うなら、
それが学びとか、同じことやってて飽きているとか、
全然つまらないよねっていうふうに生きているみたいなことじゃなかったらいいと思いますが、
なかなか厳しいと思います。
だからもっと言えば会社員とかの人で、
多くの人の働き方が会社員っていうのがあったりするわけじゃないですか。
自営業少ない。
そういう時に、別に会社員自営業の対立じゃないんだけど、
自分でやるっていう感覚っていうことを、
AIを持って試してやるとかっていうふうに、
要は自分の未知なことをAIをパートナーにしてやるっていうふうに、
ポジティブに使える人もいれば、
ネガティブな意味で会社員で会社に勤めてて、
AI使えって言われたからもう嫌々使ってるみたいな人もいると思うんですよ。
多分ね。
多くの人がそうなんじゃないかなと思ってて、
その場合、全然ポジティブじゃなくて、
自分に情報漏洩がするとか、リスクがあるとか、
使い方がわからんみたいなふうになってて、
ものすごく保守的なわけですよね。
なんでかって言ったら、
別にこの保守性とか会社員の人をかばうっていう立場にもなく、
別に攻める立場は僕はないんですけど、
単にすごくシンプルで、
使ったところで生産性が上がりました、
はいってなって自分の給料上がらないですよねっていう。
本当にね。
みんながみんな思ってないかもしれないけど、
それでプラスになるかって言ったら、
新しいことを覚えなきゃならないし、
なんか間違って使ったら怒られるし、
かつてそれを使わないと、
給料上がるわけじゃないからせっかく使わないけど、
もう渋々使ってると。
渋々使うと確かに生産性が上がった2倍に上がりました。
ただ自分の就業時間がかからないし、
今新卒は給料上がってるけど、
そうじゃない中堅どころとか給料上がってないですよね。
多分ね。
だからもう中堅どころでかつ、
AIを使えるみたいなところの人って、
もう不満たらたらなんじゃないかなってことですよね。
何にもいいことはない。
社会がどんどん変わっていって、
いろいろやれるっていうことがあるのに、
なんかいわゆる、
ITがいいって言われてるけど、
AI時代の仕事作り
ITなんか入れる余地ないよみたいなことで、
ひたすらこうなんて言うんだろう、
パソコン使わずに紙に書いてるみたいな感じ。
うちは業界は違いますからみたいな人って感じですよね。
まあまあそういう方もいらっしゃるし、
そういう業界もあるから、
別に全部AI入れろ、
全部AIあれってことではないんですけど、
その流れがある中で、
どこまでやってみるかっていうところで、
ポイントになってくるかなと思います。
もちろん僕は答え持ってなくて、
正解ももちろん持ってないです。
わかんないです。
で、駆逐されて、
アイデア出しもしっかり、
企画を作ることもしっかり、
リサーチすることもしっかり、
全部消えていって、
AIにやられて、
もう終わったみたいな。
時代も来るか、
時代というか、
その時がもはやもっと早く来るかもしれません。
仕事クリエイター、
仕事づくりって何するの?ってことで、
その中でもひたすら探していこうと思います。
例えばAIの使い方わからないっていう人も
いらっしゃるじゃないですか。
教えますよ。
これが仕事づくりってやつですね。
簡単にはなかなか死なないというか、
死不足サバイバルしていこうかなと思います。
仕事づくりってそんな感じです。
サバイブする感じです。
生き残るためのものです。
AIの喋り方、
例えば、
notebook11、
Googleのサービスありますが、
ポッドキャスト風に喋ってくれるんですよね。
面白いんですけど、
聞いてると飽きてくるわけですよ。
いろんな人の喋り方があって、
癖があって、
なんかフィラーとかね、
このえーとかあーとか
僕言いまくってますけど、
えーとかあーとかまあとか、
そうですねとか言いまくっていいんで、
いいんですよ、言って。
その人の個性でいいじゃないですか。
それをドーンとぶつけていくようなこと。
だからそういうnotebook11みたいなアウトプットを聞いて、
それに対してコメントして、
こういう風に修正した方がいいですよっていう人は、
AIアナウンサーではできなかったりするし、
もしくは、
AIアナウンサーが言うとAIみたいになっちゃうから、
あのアナウンサーとかが、
人間の感覚や社会の感覚を持って、
変なマナー行使にならないようにね。
ズームで退出するのは最後です、みたいな。
そういう変なマナーを作らずに、
まともというか、
本質をついたものができる方だったら、
それは仕事になりますよね。
だから、
アナウンスするとかね、
話すっていう仕事も、
全然変わってくると思うんですよね。
だからAIポッドキャストみたいなやつは、
ちょっと気持ち悪いなっていうのがあると思うんですけど、
AIポッドキャストが気持ち悪くなくなってきて、
僕とね、
寸卓なく、
変わりなくね、やれたら、
ここで喋ってる人、
AIとの喋りを楽しんでくれる人もいるかもしれませんが、
なんかちょっと怖い、
気持ち悪いですよね。
やってる人いるかもしれないんで、
ごめんなさい。
まあまあまあ。
で、
なんで仕事作りって、
別に時代がAI時代だとか、
AI強度が強いとか、
労働強度が強いとか、
低いとか知らなくて、
AIみんな使ってるとかなんだろうが、
AI時代に合わせて仕事作りをするから、
仕事はなくならないような気がします。
仕事作りっていうのは、
別にその、
なんていうんだろうな、
今しかできないこれとかっていうような、
そういう意味でもなく、
その時代時代に合わせて、
こういうのが価値あるんじゃないかとか、
こういうことで困ってる人がいるんじゃないか、
じゃあこれやってみたらどうだろうか、
もしくはこういうの楽しそうだから自分からやってみないか、
っていうようなことを指してます。
こういう話で少しでも伝わっていくと思うんで、
AIと仕事、
要は人間が問われるわけですよね、
結果的にね。
僕もだから最後まで、
しゃべり続けて立ってられるのか、
もうあなたの話、
AIに話したほうがいいよって言われたら、
もう悲しいですけど、
でもそういう時代になりつつあるんじゃないかと思います。
でもそういうところを含めて、
僕らしいとか人間らしいとか、
いろんなラジオ、ポッドキャストもあるし、
いろんな仕事をやってる人いる中で、
その人の癖を愛するじゃないけど、
人の癖をいいなって思えないと、
もう人付き合いやめちゃいますよね、
そういうこと言ったら。
一方で人ってやっぱり人との話とか、
付き合うってことがすごく大事だから、
僕はそれだからこそ前も話してきましたし、
今後やっていくところで、
今やりつつあるんですが、
その職域スペースってことで場を作っていって、
そこにまずいろんな、
僕を起点に、
僕を入口にして興味を持ってもらう人を出してきて、
そこで話をしていこうかなと思います。
別に世の中に対するレジスタンスみたいな活動みたいな、
抵抗するわけじゃないですけど、
何て言うんだろうな、
人と話していくって一応大事かなと思います。
だからみんなね、
万人オッケーみたいな感じで全然もちろんないので、
僕も全然人を選びますが、
一方で聞いてる方もね、
僕という人を選んでくれたらそれなりに対応したいっていう、
なんか偉そうな感じになってますけど、
別にそういうこともなくて対等なんで、
一緒にAIなり仕事なり、
もしくは仕事作り自体を楽しんでいければいいかなと思います。
今回はAIの労働共同というところの話でした。
人間らしさとコミュニケーション
労働共同が高ければいいわけでもないし、
疲れますし、
人間で自分がダメになったら意味がないですから、
AIメンタルサービスとかもね、
程々にって感じはします。
どうしても辛かったからやったらいいと思いますが、
しょっちゅう話してどうかっていうのは、
またどうなのかなと思ったりします。
分かんないです。
それが救いになる人もいるんで、
一概にどうかは言えないですけど、
一方で使わない、
全く使わないっていうのもまたどうかなっていう話で、
使ってみてどういうところが使えるかを探っていくのは、
今後の、
いわゆるインターネットでメールができるとか、
インターネットでやり取りできるとか、
パソコンを少し触れるとか使えるみたいな話の、
AIっていうのがスキルとか言わずに、
一つの人が使える、
仕事をする人が使えるみたいな感じになっていくのかなと思います。
でも、そんなこと言っても仕事ってなんだろうなってなるんで、
すごいふわっとした定義ですけど、
一緒に考えていければいいかなと思います。
今回は以上となります。
視聴送りラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。