1. シゴクリラジオ!
  2. 効率的にやりたいことは探せる..
2025-08-22 1:06:08

効率的にやりたいことは探せるか?いや、それはない

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参考にしていた、藤原さんのインタビュー記事。面白いのでぜひ。
https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m006168.html
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https://stand.fm/channels/618b94773db982af52639b7a

サマリー

今回のエピソードでは、効率的にやりたいことを探すことの難しさについて議論されています。「暇」というテーマに基づき、個人のアイデアや欲求を見つけるプロセスの重要性が述べられ、無駄な行動が新たな発見につながる可能性が示唆されています。効率的にやりたいことを見つけることは難しく、既存の業務の効率化と新しい発見が根本的に異なることが強調されています。また、観察やコミュニケーションの価値についても触れられ、価値に基づいたアプローチの重要性が語られています。このエピソードでは、効率的な行動が無駄を排除しようとする心理と、実際には無駄な経験が新しい発見や興味につながる可能性が探求されています。特に、興味や意味を見出すことが効率と相反する概念であるとの点が強調されています。また、効率的にやりたいことを見つけることが難しい現実に焦点を当て、自分の価値観や生き方が選択にどう影響するのかを考察されています。無駄と思われる行動から新たな価値が生まれる可能性についても言及されています。さらに、AIが普及した社会における人々の心の満足や趣味の重要性が探求され、効率性を追求することが必ずしも人生の豊かさに繋がらないという考えが強調され、自分の心が満足する活動の意義が示されています。

暇というテーマについて
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もよろしくお願いします。このシゴクリラジオはパーソナリティである私、大橋、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
最近は、精神論やマインドセットなどの気づきを述べることが多いですが、これは多分シゴクリなんだと思っています。
全然関係ないことは喋っているつもりはないです。別に何か言われたわけでもないですけど、ちょっと話しすぎたかなと思ったので、今回はちょっと短めにしたいんですが。
今回のテーマは、「暇」。人によっては、暇という言葉を好きじゃない人もいらっしゃるでしょうし、僕も好きではないんですが、言葉の良し悪しは一旦置いておいて、時間があるというような状況があると。
一つここで考えてみたいのが、ちょっと結構考えたところがありまして、そのテーマがやりたいことですよね。
このシゴクリラジオで言っている仕事とは、自分がやりたいこととか、自分がやってみたいこととか、これいいんじゃないと言われたから誰かに役立つとか、社会に役立つからやっていく。
絶対的にそれでお金を得る、マネーを得るということをしなきゃいけないとも思っていないんですけど、マネーを得ていくという方向性があるとして、
ただ最初の起点は、なんであれアイディア大事ですけど、アイディアも大事なんだけど、めちゃくちゃアイディアも大事なんだけど、自分がどんなしょぼいというか良くないなというアイディアでもやってみることが大事じゃないですか。
ここまでは割と賛同いただけるんじゃないかなと思うんですけど、ここまで賛同できない方は聞いていないと思うんですけど、長くなってすみませんね。
ここから、何やっていったらいいの、アイディアなりやってみたいこと、これいいから試してみようかなという時にやろうとする、まさにその時です。
それっていいの、役に立つ、役に立つというか、うまくいくのと言ってもいいですよね、この場合ね、役に立つのかなという思いついたことがね、分かります?役に立つ何かというのもあるから、非常に話が込み入って難しいんですけど、そこにフォーカスを当ててぶれないようにしていきたいなと思います。
問いかけとしてはですね、無駄なことをせずに、あまり意味がないということをやらずに、自分が思わずに、それこそ効率的に、生産的に、有益にという、めちゃくちゃ嫌いな言葉なんですけど、有益って最近。
別に有益で使ったらダメなんじゃないですけど、何だろうなという文脈前後が気になるんですけど、面白いことをやる、もしくはやりたいことを見つける、やりたいことをやっていくことってできますか?という問いかけなんですよ。もう一回言いますよ、無駄なことをせずに効率的に生産的に有益に、面白いこととかやりたいことって見つかったりやれたりしますか?ということなんですよ。
まだ始まってないんですけど、結論は無理だと思います。そんな分かっているという方は、話はここで終わりにしておいて、後は補足みたいなものです。
そうなの?という方はぜひご一緒に。ただ、これはもう価値観の問題にもなってくるので、例えばですよ、考え方としてね、ピーマンが苦手な人、ピーマン嫌いな方がいらっしゃるとして、あなたがピーマン嫌いだとして、ピーマンおいしいって僕が言っても、いやー苦いじゃん、うまくないじゃんってなりません?
そういう程度って言ったら怒られるかもしれませんけど、でもそういう程度なんじゃないかなと僕は思ったんですよ。共有はできないですよね、この考え方が。共有するつもりもないですよ。ただ、そういう考え方がしてて、やりたいことを見つけていくしかないのかなと僕は思っているという話で、うまく捉えていただいて、というところを話していきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
見つかっているところじゃなくて、そういうものがある、だけど今は見つかっていないみたいな。ただ、そこだけ補足しておくと、別にどこかに何か転がっているわけじゃないので、見出すしかないですよね、というのもまた同時に言います。
何もないと寂しいかなというわけじゃないんですけど、無駄作りということをされている藤原麻里奈さんですか、という方はもしかしたらご存知かもしれませんが、昔何か著書を読んだ気がします。
細胞図式という細胞図者がオンエンドメディアをやっていて、その記事が面白かったので、これは共有というか貼っておきたいと思うので、気になる方はぜひ、かなり参考にしているので読んでみてください。
ここをすごく簡潔に言うと、藤原さんという方が無駄作りという活動をされていましたし、今もされているんだと思います。すみません、チェックしないので。
その無駄作りというのは何かといったら、一見すると無駄っぽいやつですね。
ツイッターとかで見ていたのでは、例えばノートパソコンで出席、会議に出るのを離脱するボタンとかあったかな。
間違っていたらごめんなさい。そういうようにボタンを押したらすぐ、例えば上から吉本新劇場じゃないけど、金だれみたいなのが落ちてきて、
すみません、吉本新劇場とかわからない方いらっしゃるかもしれませんが、要はそういう、上から物理的に金だれが落ちてきて、たらいに当たったので、ちょっと欠席しますとかね。
そのバカバカしさはわかりますか。というのも込みで、無駄だなと、別にいいと。でもそれを作ることで、面白いねという方がいるし、僕も全然面白いと思っています、その無駄作り。
ということをやっていた、ある種の無駄のプロと言ってもいい人が、たぶんメンタルとか体調崩されたのかなというところもありつつも、別に復活されているのですが、
そういったところを、暇な時間とか退屈、退屈はちょっと言うか、暇な時間を怖くないかみたいなテーマで話しているので、今回の話とほぼほぼ一緒というかところになります。
効率の問題
まずこの問いかけですよね。冒頭でも話したんですけど、答えというかこの問いかけは若干おかしいんですが、一応問いかけしておかないと脳が動かないかなと思って問いかけにしてみました。
要は無駄なことをせずに、効率的にですね、有益に何でもいいです。面白いことってやれますか?ということですね。できないです。
もう一回言いとくと、無駄なことをせずに、夢でもいいしやりたいこと見つかりますか?無理です。
そんなことないでしょう。洗脳されてるんじゃないですか?おかしさん洗脳されてるんじゃないですか?と言われたら、そうかもしれないですね。
いろいろ言っていくんですけど、別に汗水流して何かやらなきゃダメとは言わないけど、汗水じゃなくて体を必ず動かしてとかね、そういう意味だと。
でも動かした方がいいんじゃないかと思いますし、無駄にね、めちゃくちゃこの暑い中で走り回れとかね、そんなことは思わないですよ。
いろいろそういう補足になっていくんですけど、なんで見つからないのか?なんで効率的に見つけられないのかと言ったら、トートロジーと言いますか、循環しているんですよ。
何を言いたいかというと、まずこのリスナーのあなたとぜひ考えたいんで、考えながら料理されたりしてもいいし、他事しながらちょっときついかもしれないですけど、タイピングとかね、本読みながらきついと思いますけど、
お邪魔しますと。まずこの疑問に対して、この問いかけおかしいと思いませんか?ってところなんですよ。これ思うならもう別に正常とは言いませんよね。異常とか正常ってことは申し訳ない。言い方がきついし、それは言い過ぎだと思うんですよね。
僕が異常なこともありますし、異常かもしれませんからね。少なくともマイノリティな感じはしないかもしれないし、分かんないです。別にマイノリティなのも持ってないし、別にいいじゃん。そういうことは構わないです。
これおかしいと思う方は、自分で何かされてていろいろ考えてやってきた方だし、今もそれをやろうとしている方だからそう思うのかなという感じがします。おかしくないよね、いや効率的に探せるよね、面白いことって思っている方は本当にそれがあって、自分は効率的に探したよっていう。
手間を省いて何かやったよっていう。もしかしたらそういう語形言があるかもしれないから、別におかしくない。そういうのもあるかもしれませんよね。絶対否定しないですよ。何度も繰り返すけど、効率的には何かで、面白いこととか何かっていうのはフワフワしてて定義しづらいっていうのはあるんですけど、多分定義ができないんですよ、フワフワしすぎて。
ルードっていうんですか、言葉の示す範囲も違うし、大きさも違うし、価値が違うじゃないですか。効率ってそこに求めないよっていう人から、めっちゃ大事じゃんっていう人から、面白いことに価値を求める人がいたり、僕は求めますが、求めない人もいませんか。そういうところがあると。物によって変わるから、ますます分かるんですよ。
で、これはおかしいと思うんですよね。おかしいというのは、効率的には探せない。要は非効率、つまり無駄が前提なんですよ。
もう一回言うと、面白いこととかやりたいことを得るには、もしくはやりたいことを見つけるには、無駄なことをやらなきゃいけないと言ってもいいでしょう。ちょっと強めに言うとね。やらなきゃいけないってないんですけどね。もしくは、やっていくことで見つかる確率が高まるぐらいですか。
でも、9割?95%ぐらいの感じですけどね。見つかる確率が95%じゃないですよ。やっていく割合として95%で、無駄なことをやられないと。
そもそも効率的って何ですか?というのも若干触れておくと、何か仕事なり、やっている作業があって、例えばわかりやすいのが、ITとかAIが入れたらいいかわからないですけど、今までレジを手打ちでやってたんですが、それをラベルをピッて通すことでいい。
さすがにそれはもう、手打ちで売ってる人います?ってことになりますけど、あまりないですよね。
さらにユニクロとかだと、前提簿が入っているかわからないですけど、カゴを持って行ったら、服を入れたらもうそれで判断してくれるというのがあると。
セルフレジーですよね。それはもうかなり効率化しているじゃないですか。
店員さんは服を畳んだりとか、ワークホード読み取るという作業すらなくなるので、レジで不正というか万引きしないかとか監視するとか、操作がわからない人をサポートするという仕事になりますよね。
そこまでいろいろないですよね。
レジに、経営的な意味になるんですが、レジにスタッフを置いてというのが10人いたのが、私は1人とか2人になると。
当然万引き云々とか、いろいろ総合的に見てどうかは置いておいて、ただ局所的に見てレジをする時間が減りますよね。
だから今までレジが業務8時間、8時間もないかもしれないですけど、8時間あったとして働いている人がいて、レジ入りが4時間だったのがもうゼロになりました。
で、当たり前ですけど、じゃあその残り4時間はレジの監視したり、他のバックアウトとか商品の服が畳み直しとか、業務の名前わかんないですけどね。
名前があると思いますが、畳み直したりとかね。
お客さんが商品の案内を進めたり、やっぱりそういうことは在庫から品出しをして、空の棚を入れとかないとお客様が商品を選べないので、それとか。
あといろいろあるよね。掃除するとかね。
ロボが走ってたりするから、そのロボを直すとか。
そうですよね。
で、そんな感じじゃないですか。他にもあると思いますけど。
アパレル、ユニクロの業務のイメージを勝手に想像してるんですけど、そういうのがありますよね。
そういう時間になっていきますよと。
で、効率っていう意味では、その局所的にレジ業務というのがITとかAIによって減りましたよね。
要は、異論はあるかもしれないけど、時間がかかっていたものが、4時間かかっているものが0時間になると。
例えば、その業務をやらなくてよくなる。
もしくは、業務の時間が著しく減る。
もしくは、業務の時間が1割でもいいから減るっていうことが効率的だっていう話じゃないですか。
ここも異論はないかもしれない。
だけど、効率的にっていうのは、ここはトリックでもなんでもないんですけど、
既にレジ業務というのがあって、それを動向するってことなんですね。
要は既存の業務を動向するかが効率化なんですよね。
わかります?
ことはどういうことかっていうと、多分なんですけど、例外とか違うのもあるかもしれないけど、
既にあるものを動向するのが効率化なんですよね。
だから、問題解決みたいな感じに近いですよね。
課題とかでもいいですけど。
問題発見、課題発見っていうのがあって、それを動向するのが問題解決とか効率化みたいな話をしたときに、
発見と解決っていうところでいくと、課題の発見じゃないですよね。問題の発見じゃないですよね、多分。
効率化の概念
で、見つかった問題を動向するのが効率化なんですよね。
例えばファミリーレストランとかで、じゃなくてもあるかもしれませんが、配膳ロボみたいなのがあるわけですよね。
配膳ロボはオーダーをしたら、店員さんという人が来るのではなく、人が給食というかスープを持ってくるとかハンバーグを持ってくるとか、
そういう料理を持ってくる、皿を持ってくるわけじゃなく、ロボが運んでくる時代なわけですよね。
それを体験されていない方は想像しづらいかもしれないですけど、実は本当にロボにトレートが付いていて、何段かになっていて、
お取りくださいみたいなので、来るわけですね。
で、店員さんは配膳ですよね。
テーブルに出ていってやる時間がなくなるので、調理に集中できたり、もしくは、さっきの話じゃないですけど、
店内を掃除したり、お客さんの案内に集中できるわけですよね。
もちろん当然、ロボが対応できなかったり、イレギュラーなことには人が対応するから、人が完全にいなくなることはないと思いますが、
それでその業務が効率化されましたと。
これも業務が既にあったものを効率化、なくしたり、軽減していますよね。
価値の創出
この時に別のパターンとして、同じように、どうしたら効率化できるかみたいな話をしましょう。
それだったら結構分かりやすくて、分かんないなってなって、既にある業務を動向するのはできるけど、
これをやったら良くなる。
問いかけを送るんですね。効率化ではなく、どうやったら店の価値が高まるかってどうですか。
お客さんによく来てもらえるようにするか、みたいな問いかけっていうことでどうですか。
それは結局、冒頭の問いかけとは違うんですけど、面白いことをやるとかとは違うんですけど、
お客さんにとって価値があるとか、お客さんが楽しいと思えることとほぼ同義だと思います。
ほぼ同義というのは、面白いとか感覚とかに訴えるっていう意味では一緒かなと思います。
対象が自分とか、自分の人生とキャリアとかっていうことだけじゃないってことですね。
じゃあ、お客さんにとって価値があるとか、有意義とか、お店に来たくなるような仕掛けはどう考えますか。
どうやって見つけますか。
それこそリスナーのあなたに問いかけたときに、それは既にある業務から見つけてもいいんですけど、既にある業務から効率化するとは全然違うじゃないですか。
わかります。
それこそ、例えばですよ。
勘の言い方は、お客さんを配膳ロボで送っている間に観察しようと。
そうしたら、お客さんがロボを見たときに、仏頂空という表現が通じるかわかりませんが、あまり濃面とは言いませんけど、
わー来たーという感じがせずに、表情が動かないというか、来たねという感じで、結構ドライな感じになっている。
それを店員さんが見ていて、なんかドライだよねということで、これは別にどこからやっているか知らないですよ。
例えば本当にアイディアとして、ロボに頭に被せ物をしたりとか、鼻をつけたり、何々ちゃんって名前をつけたりすると。
でもルンバーしかり、そういうロボに名前をつけたりするなんて別にいいと思うし、やっていったらいいんですけど。
つけて、何々ちゃんでも何々くんでもいいですけど、そうやってつけたことでお客さんがクスッと笑ったとするじゃないですか。
やります?という。
だから、そういうアイディアを思いついた、もしくは見て気づいたに、前に観察しなきゃいけないじゃないですか。
観察していたときに、スタッフとか店長からお前何やってるんだって言って怒られて、そんな意味ないだろうと。
観察するなって言われたら、もう話終了ですよね。
その店長が無駄なことをするなと言ったら、話は終わりません。
だけど、そうじゃなかったとして観察していって、お客さんとのロボットのやりとりがないから、
ツッコミどころとしてもいいし、お面でもいいし、ニット帽みたいなの被せてもいいし、手足とかどこでもいいですよ。
あとは名前の名札を貼って、何々ちゃんですよろしくみたいなことを書いてあったりすると、
面白いね、この間のことは違うんだね、みたいなことになっていく。
もしかしたら、そのスタッフさん、人間がこの子はよく頑張ってくれていますと、
一番お兄さんですとかお姉さんです、前から導入されたロボットのたとえですよ、
というふうに言って会話をするようになるかもしれませんね。
もちろんそれが煩わしいお客さんもいるから、ファミレスに行って店員さんと話すというのが価値ではない人はいらっしゃると思うし、
それがファミレスの価値だとは思っているわけじゃないですよ、絶対に。
でもそういうことをやると、もしかしたら出てくるかもしれないなと僕は思っているんですよ。
コミュニケーションには価値があると僕は思っているので。
だからそうなってくると店の提供する価値が変わりますよね。
話を戻すと、そこでハイゼンロボットを観察するスタッフさんの行動、
それを見出す前に、今は結果論というか話が通ってトントン拍子がうまくいったわけですけど、
お面とか名札とか名前つけてお客さんに楽しんでもらうというのが全然無駄というか意味がなかったとするじゃないですか。
何も反応が生まれなかったからやめようとしたときに話が出てくるわけですよ。
それは無駄じゃないですか。
なんだけど、それをやらないと確認できないじゃないですか。
これは何度も言っているんですけど、やってみないとわからないわけですよ。
行動の重要性
やってみないとわからないときにやってみるか、あまり効果を発揮していなかったこと、
ここでは無駄、意味なかったということを言うんですけど、意味なかったことがあるから、
じゃあここでその冒頭の話に戻って、効率的にそういう価値が見出せることってできますかっていう、
それが自分に向いたらやりたいこと見つかりますかという話だと思うんですよ。
できないと思いますね。
それを否定してしまっているから、つまり何かをやる、行動する、時間をとる、
全然違うことをやるということが無駄というふうに提起をしているわけです。
というだけなんですよね。
だけというかその通りなんで、特に結論は変わらないんですけど、
そうやって、僕の考え方が変わることがあるかもしれないけど、
少なくともこの今の話の中では、無駄なことをせずに、
要は効率的に探すことはできないのだという話ですね。
そこでニュアンスというかツッコミとして、
いきなり観察したスタッフさんは素晴らしいけど、
分かんないから、
闇雲に何かやっても確かにダメかもしれないですよね。
闇雲というのは、
例えば、ちょっと違うんだけど、
他のファミレスではこうやったらよかったからそれを真似しようと。
それをいろいろ集めていったら100個ぐらいあったから、
1個ずつそれをしらみつぶしみたいにしてやっていくと。
それはさすがにちょっと微妙かもしれないけど、
策がなかったらそうやるしかないからしょうがないですよね。
だけど、さすがに100は無理だから、
ちょっと離して絞り込んでやろうは効率的っぽいですけど、
ここでそこまで重視する話じゃないですよね。
そこのやり方って思いますけど。
言いたいことは結局、何かしら行動する、
何かやってみるってことが価値がない、意味がない、
無駄であるっていうことを極度に恐れるってことです。
極度に不安になるとその行動できなくないですか。
で、なると次の行動がさらに不安になると。
不安がどんどん高まってくるんですよね。
これ慣れだと思うんですけどね。
慣れとか、あと行動量ってことですよね。
一緒のことです。
慣れてないので、そういうことをしたら何か見つかるよねっていう感覚が
マジでないとしんどくないですか。
これは意味があるんだろう、価値があるんだろう、
役に立たないんじゃないかみたいなことを思ってしまうわけですよね。
その参考にしている記事はそんな話になっているんですよね。
藤原さんという方が言われているのは、
意味がないというか、無駄だなと思うことも
やってみて、それがまさに自分が面白いと思うことですよね。
自分が楽しいと思うこと。
例えばですね、僕が最近やっているのは国語辞典を引くと
分からない言葉とか書いていて、
これ何だったっけなってことを国語辞典を引いているんですよね。
紙の辞典をね。
これは人からすると何で引いているの、そんな意味ないんじゃないとか
ネットとかサクサクっと調べたらいいじゃんっていうのも
全然分かるんですよ。
それだけやってるわけじゃないですよ。
やってるんですけど。
じゃなくて、調べていく中で、
本屋さんとAmazonと違いと一緒で、
調べていく中で家庭で見つかるものとか、
そういう表現があるんだが、
他の言葉に出会ったりするんで、面白いわけですよ。
僕は。
辞書を引くのは好きなんですよね。
そういうのが好きなんだと思うんですけど、
全員が全員とは言いませんよ。
っていうのが、
例えばリスナーのあなたから、
よく分からんなと。
自分はやったことないとか、もしくはそこまでやるつもりがないんだったら、
あまり意味とか価値とかを見出しづらいじゃないですか。
だから意味を、
僕が国語辞書を引くこと、
言葉のことを調べる、紙の辞書を引くことに対して
意味を見出せっていう話じゃないですよ。
僕のことを理解しろってことじゃないですよ、そこにおいては。
じゃなくて、リスナーのあなたにとっても、
そういう僕が紙の辞書を引いて面白いよねみたいな風に
思っているような、自分が面白いよねって思うこと、
楽しいと思うよねってこと、
なんかワクワクするとか、
もっとやってみたいとか、気になるなとか、
最近やってなかったけどもう一回やってみようとか、
なんか人の話聞いたらやりたくなったなと思うこととか、
なんでもいいんですけど、
まさにそれなんです。
それをやりましょうってことなんですよね。
だから主張は変わらないです。
だから自分が楽しいことやりたいことをやりましょうというわけなんです。
今回の問いが、やりたいこととかを効率的に、
面白いと思えることを効率的に見つけることができますか?
という問いかけなんですけど、
これが笑えなくなっている状況がもしかしたらあるんじゃないか?
という意味でちょっと話してみたということになります。
で、それが笑えないというのは、
おかしさに気づかないということですね。
そういうふうに見つけられると思っているからというわけですね。
例えば、ちょっとわからないですけど、
効率的に探す方法みたいなので、
これがウケるかどうかを置いておいて、
例えばYouTubeを今見ます。
自分がYouTubeを見ていない人がいないという乱暴な前提として見ます。
面白いと思ったもののチャンネルとかをピックアップします。
そこから共通的なものを引っ張り出して、
自分は魚釣りの魚とか工場見学みたいなのが好きだったので、
そういうのが好きなんだなとわかります。
そういうのは別にいいじゃないですか。
自己分析みたいな感じで。
で、工場見学のやつを見ていて楽しいから、
自分は工場見学にコンテンツを作るとか、
もしかしたらそういう工場の現場で働きたいとか、
そういうビジネスをやりたいとか、知らないですよそれはね。
というふうにもしかしたら思う人がいるかもしれないですね。
それが効率的かどうかわかんないですよ。
だけど、そこにありそうなのは、
じゃあ100本YouTubeを見て気になるやつを10本上げてくださいって言って、
で、上げたところで、もしくはそこの10本上げるところで
まずこれ意味あるのかなって思うんじゃないですか。
で、10本上げて、その中で自分がさらに刺さるものはって考えたときに、
無駄の意味
さらにそこで何の意味があるのかなって思っちゃうんじゃないですか。
で、それでさっき言ったように工場見学のやつ面白かったよねっていうのも、
面白いって何だろうねっていうね。
自分で、魚が捌かれてどんどんカゾブシみたいな感じで、
どんどん魚からカゾブシになってくるの面白いよねって。
僕も見てて面白いと思いますけど、見てて、で何だろうねっていう。
わかります?これ何が意味あるんだろうねってなるわけですよ。
で、意味って多分ないんですよ。
意味がないっていうのは価値として、
例えば正確に言えばあなたが魚がカゾブシになっていく過程を
工場見学みたいな動画をYouTubeで見て、
それで得られる何か、成分、要素、感情の機微、変化っていうのは
価値があるのか意味があるのかっていうのは多分ないんですよ。
だから梅田さん、見るなとかってことじゃないですよ。
価値がないっていうのは他の人からどう言われても意味がないよねっていう。
わかります?あなた自身がリスナーのあなたが面白いよねっていうことしかないというか。
面白いよねっていうのはカゾブシってそうやってなってくんだな、面白いな、
もっと調べてみようとか、自分の食べているカゾブシがちょっと違うなとか、
もっといいカゾブシ食べてみたいとか、そういう興味関心ですね。
もっと調べてみたいっていうのがその動画を見て別にそこまでないなら、
そこまで興味ないんじゃないですかっていう話ですよ。
伝わってますか。
それで、じゃあ効率的にそれを見ていって、
眺めて自分がやりたいこと、好きなこととか得意なこととかっていうのに
重ねていってできるかっていうと、そこでまだくどいですけど
無駄なことをしなきゃいけないですよね。
無駄っていうのは最初から無駄として決めてるんじゃなくて、
何も名前がないような、これやってみたいなと思うことでも
一緒なんですよ、言ってることと一緒です。
これやってみたいなと思うことが、多分効率的なものを重視しすぎるが
あまりに効率というか何もないものに対して全部非効率とか意味がないっていう
ある種のラベリングを張ってしまっている状態があるんだと思います。
何度も言ってますけど、既にあるものを何か改善していくのが効率化だとしたら
ないものとかこれから生み出そうとするものは分からないもの、
効率と意味の相反
正体不明なもの、名前がないものは全部意味がないし価値がない
みたいなラベル付けを待っているような状態なわけですよ、その人から見ると。
リスナーのあなたがそうとは言ってないですよ。
仮にそういう考え方の人がいたらそうなっているんじゃないかと思います。
やっぱり意味ないよね、価値ないよね、意味ないよね。
もしくは、お母さんが言っていることは分かるんだけど、
でもそれをやろうとするときに不安だという人はもう乗り越えるというか
なんていうんだろうな、そこまでして嫌ならやらなくていいって感じなんですよ。
無理に無駄なことをやれなんて言っていなくて、意味がないことをやれと
すごい言っているわけじゃなくて、自分がやりたいことをやっているわけですよ。
やりたいことをやっているんだけど、何か知らないけど、
効率が重視される世界からすると意味がないという世界なわけですよ。
逆に言うと、逆の立場から言うと、効率じゃないところで
面白いとかやりたいこととかっていう立場から見ていると、
その効率というのは物差しの一つにしか次いないわけですよ。
だから効率とか考える人って、効率じゃないものを叩くというかね、
なんか厳しく当たるんだけど、別にこっちの意味がある、これ意味ある、面白いねという人にとっては
何ら気にならないというか、そういう物差しの味方の一つって感じはするんですよね。
多分ね。それは効率というのはちょっと悪く言い過ぎているかもしれませんが、
一つは物差しが一つしかない人にとって複数の物差しがある人を評価することはできないし、
評価としてもミセリードする、誤解してしまうような感じがしますよね。
でも物差しがたくさん持っている人にとっては、そういう物差しの味方もあるかなってことで、
まさに一興という、一つの興味というかね、そういうものもあるよねっていう風になるという感じはしています。
少なくとも効率っていう人は効率しかないんだけど、
無駄がある人は無駄と効率の両方を選んでいるわけですね。
これでもちろん無駄しかやってないっていう人ですよね。
無駄のみっていう人は効率がないから、
なんでみんな効率を求めるんだろうっていう人はいるかもしれませんが、
こういう人はなかなかあれかなと思います。
でもそういう方がいても全然面白いと思いますけど、
ただそれは物差しが一つっていうのは、
僕はちょっと偏りすぎててどうかなっていうような感じがあるわけですね。
そういう風にですね、無駄なことをやらなきゃいけないとは言いませんが、
絶対にその無駄性というか、
それこそ研究でもいいと思うんですよね。
研究って結局無駄なんですよ。
なぜならすぐに役立つものでもないし、
誰かがこれをやって調べていったら何かが生まれるかもしれないから、
今やっていることが必ずこれに寄与しますということは言えない。
もしくは言えたとしてもこういう風になるかもしれない。
でも全然そっちの方面に役立たないかもしれないねっていうのがザラにあるわけですよね。
そんなのがゴロゴロしているわけなんで、
そもそもの性質として研究に役立つかを求めていることが、
ナンセンスってやつなんですね。
意味がないんですよね。
期待値を間違えているというか。
わかります?
その回転寿司屋さんって賑やかでいいじゃないですか。
っていうところに、
すごい静かな接客、
自分カスタマイズしてこういうのを食べたいんじゃないですかっていうような、
あらない寿司屋さんの対応とか、気の利いた何かなんてないわけですよ。
そういう店があってもいいかもしれないですけど、ないわけです。
それを求めちゃいけないよっていう、そんな話ですよね。
だから効率なところに意味を求めちゃいけないし、
意味のところに効率を求めちゃいけないっていうのが、
セットであるんじゃないかなとは思ったりします。
両方相反するというか相対するような。
もちろん意味を求める中で、
無駄をやっていく中で、これをやっていったら、
より環境づくりがいい感じにできるよねっていうので、
例えばそういう意味ではライフハックみたいなのがあって、
例えば僕だったら話してた方が調子いいから話していくことをやっていくと。
それはある人にとっては、
そんな話って無駄じゃないですかっていうツッコミができるんですけど、
それは大きなお客さんの話で、
その人にとっては無駄なんだけど、こっちにとっては意味があるよねっていう。
価値観の相違がどうしてもあるわけです。
あるので、効率っていう概念が出てこないんですよね。
効率的にっていう頃には、
既に規制の概念とか事実とかデータとかそういうのがあって、
状況があって、それをどうこうしていくかってことなんですよね。
その観点がまさに全然違ってて、
価値の相違があるような違ったりするってことであれば、
あんまりいい議論にならないというか、
いい話にならないですよね。
冒頭の話に戻していくと、
無駄なことをせずに、効率的にやりたいこととか、
面白いことって探せますかっていうと、
駆動ですけど、できないわけです。
いろんな無駄というか、
経験からの学び
全然これ関係ないかなっていうことをやります。
で、やっていって、それが不安なわけですよね。
不安なんだけど、
何度も言ってますが、人間の脳って、
共通項とか、役立つっていうよりも、
自分にとっての意味みたいなのを求めるんじゃないですか。
多分ね。
久しぶりですけど、ペンが今あるんでペン回ししてるんですけど、
ペン回ししてみてください。
疲れちゃった人。
疲れちゃった人、聞いてないか。
ペン回し危なかったら、ペン無かったら、
両手塞がってたらダメですけど、
片手で指で空中をクルクル回すんですけど、
指でクルクル回してみてください。
意味あります?意味ないじゃないですか。
両手でできたら、両手で指で回してみてください。
もしくは、指遊びみたいに、
指同士を両手をくっつけて、
親指とか人差し指同士を回す、
指回しみたいな運動ありません?
これやってみてください。
これ意味あります?
ノーのトレーニングだとか、
そういうこと言ってもいいんですけど、
中指ぐらいが回転が悪いんで、
ちょっと良くないなと思いますけど、
これが回るから良いとか、回らないからダメとかもないし、
それをやりたかったら、別にやればいいじゃないですか。
別にいいですよ、ローカー予防とかでね。
全然いいのはいいんだけど、
それは誰かの意味とか、
価値とか評価とかじゃなくて、
自分が意味がある。
自分もこれ面白いからやってるんですよっていうのが、
まさに僕が言ってる意味とかです。
でもこれはなぜか、効率世界では無駄だと思われるんですよね。
効率世界なんてものは存在しないのかもしれませんが、
社会的に効率的にとか、
コストパフォーマンスとか、タイムパフォーマンスとか、
生産性とか、有益って言葉が、
すごいハテナになってるんですけど、僕の中では。
それは別にやってもらってもいいんですけど、
それって既にあることをどうこうするだけだから、
全然新しい課題とか、新しいアイデアとかの方には、
全然刺さらないです。
全然できない。
むしろそれは悪ですらある。それを持ち込むとね。
無駄であって、指回しで指回してて、
もしかしてみたいな。
指回してたら見つかるかもしれないじゃないですか。
回転が悪いってことは、もしかしたら頭の回転が悪いから、
なんかなってるのかもしれないなとかね。
知らないですよ、本当に。医学的な話じゃないですよ。
もうちょっと回せるようにしたいと思ったら、
まさにそれが、今思った方がいるか。
本当に回してたらね。
ダンスの振り付けの動きで指の回しをやってみるとか、
もう何でもいいですよ。
思いつきでも何でもいいので、
それを面白いと思うかどうかなんですよ。
ということで、これが面白くないですって言ったらどうするんですかってことで、
そこでさらに聞いてくる方がいらっしゃるかもしれませんけど、
どうするも何も、あなたが面白いかどうかってだけなんで、
判断はあなたがするから、
別にこちらが保証するわけじゃない。
ゲームは必ず面白いものです。
誰もが言えないと思うんですよ。
面白いと思ってるし、やってみて面白いと言えるけど、
その人がやる前からわからないじゃないですか。
全部そうじゃないですか。
授業とか仕事とかビジネスもそうで、
これ絶対売れるよなっていう。
これすごいよなって言って売れないわけですよ。
価値が違うから。もしくは見せ方とかいろいろあると思うんで。
自分が思っている意味っていうかね、
自分がいいなと思っているものが他の人に刺さるって、
ないわけじゃないですよ。
あるんだけど、そんな簡単に刺さないよなっていう方が、
僕は健全かなと思ったりします。
刺さることがある部分を見つけたら、
それはある種ラッキーで、
そういうのを育てていくのがある種の諸国理的なものかもしれませんし、
じゃあそれを、これをやったらどうだろうか、
あれをやったらどうだろうかっていうことを、
行動と考え方の重要性
指回しダメだったら今度はペン回しだとか、ペン回しダメだったら足回しだとか、
体回すのやめて、
神風船じゃないけど、パンパンパンパン、
体動かしてたらいいんじゃないか。
でもそれをやることで何か見えたらいいじゃないですか。
そこで、
それを効率化がどうのこうのっていう人に、
よく言われるのが、
言ってしまいがちになるんですけど、
考えすぎだよと。
考えるのを否定しないんだけど、
その局面では、やる前に考えるんじゃなくて、
まずやってどうかを考えてください。
やる前に考えるんじゃなくて、
指回しやってみて、
その指回しが流行りの詐欺だと、
お金がいるんで振り込んでくださいってね。
お金がいるんで振り込んでくださいって、
それは詐欺じゃないですか。
指回しをするのには何かいらないですよね。
その人の意思とか、
やりたくないなら別にやらなくていいですけど、
お金かからないじゃないですか。
時間もほとんどかからないから、指回しをやります。
やる前の興味とかありますよね。
指回しは別にいいですよ。
そこになります。
時間が皆さん共通、
あなたも僕も共通であって、
それを何に使うかは、
その人の価値観、生き方、
心情というか、その人のどう何を大事にしているかだから、
僕は指回しします、僕は話します、
あなたは絵を描きます、
プログラミングするでもいいし、
今営業を頑張っているので、営業を頑張ります、全然素晴らしいと思います。
そういう中で別に、
相手の価値というのは色々あるから、
そういうのもあるんだなという感じでいて、
だから社会にはいろんな人がいていいと僕は全然思っていて、
効率化するのも面白いなという人は、
それを楽しみだったら、
プラスで捉えていますよ、
効率化していくの楽しくないですか、
それをやっていただければいいと思います。
でもそれは、やりたいことが効率化していくことだから、
全然いいと思います。
でも、その効率化を問題を発見するとか、
どういうところに行くかを効率化はできないじゃないですか。
社会とコミュニティの影響
だから無理なんです。
最終的には結局無駄なこととか、
自分しか意味を見出せないだろうなとか、
これは他の人に言っても分からないなということがあるんでしょうね。
あるんでしょうねというか、あります。
そういうことを通していって、
世の中とか社会とか人とか他人とか、
そのニーズとか、
これが面白いよねということをやるしかないんだと思います。
その数とか数もですし、
あとその評価ですよね。
例えば僕が指回ししていて、
楽しそうだねって言われたら一緒にやるって言って、
みんな指回ししていくと思うんですよ。
公園での子どもたちとか、
大人はあんまりやらないかもしれないですけど、
公園で子どもとかが遊んでいて、
どんどん知らない子たちで遊びが伝染していくみたいなのって、
まさにそんな感じなわけですよね。
別にそんなに意味なかったけど、
指回ししていたら面白いよねって言って、
一人で回しているよりも二人で回して、三人で回して、
逆回転、順回転というか向こう側に回転するんじゃなくて、
手前側に戻ってくる逆回転になっていました。
今やりながら喋っているんですけど、
順回転しながら逆回転しながらということを
どんどん分けていってやっていったらリズムが生まれて、
もしかしたらその指に、回転に音をつけたり、
拍手をする人が出て、
それで楽器みたいなやつとか、
ハーパーとか、
落ちている機械を使って、
それでやり始めてというようなものが生まれてくる。
これめちゃくちゃ想像的じゃないですか。
ということをもしやりたいのであったり、
そこからさらに、ここが面白いんですけど、
あれ最初別に意味ないというか指回していただけなのに、
気づいたらみんなが価値をつけてくれて、
一つの指回し祭りみたいになって、
それが地域おこしになっていったとかね。
それで本当に経済が回るといったら、
めちゃくちゃ価値ありません。
それは後付けなんですよね。
後付けというか後でしかわからないから、
指を回す瞬間とか指を回していて、
虚無というかなんだろうねという時に、
これはわからないわけですよということをお伝えしているということですね。
多分これも変形になってしまうかもしれないですけど、
脳の話なんですけど、
変胴体化、アーモンド状の脳の部位があって、
不安というものを使って踊るというのは、
不安だけじゃなさそうですが、
ものがあったときにそこの部位とかを果たさせていると、
不安だ不安だというか心配性ですよね。
例えば、いいのは、
例えば調べたものがこれは本当だろうか、
本当に合っているんだろうかというのは、
いい不安な感じがするんですけど、
自分がやっていることは本当に意味があるんだろうかとか、
これは価値がないんじゃないか役立たないんじゃないかというのが、
別にあってもいいと思うんですけど、
自分がやっていることは完全に意味があり、
自分としては正しくて、誰かに必ず価値があり、
正しいのだみたいな正義みたいなのはないですよ。
でも感じていただける方がいれば、
みたいなところでしかない。
だから基本的に自分が楽しくなんかやっていくしかないんですが、
発達しすぎると変とって、
だから不安になるんじゃないかと。
不安が強い。不安を見がち。
だから一つの刺激というか状況を提示したときに、
いやじゃあやりたいことがないですよねってときに、
めちゃくちゃ不安になる。だから今やっていることとか、
やれることで埋めていくみたいなのはめちゃくちゃ分からない。
不安だから。
でもその不安がある人と僕からすると、
これはあまり意味ないんですけど、
不安を感じるところが強すぎるから、
僕は不安は分かるけど、楽しみとか見出せるから満足しません?
とか、そこからもしかして見えるものが
出てくるかもしれないんじゃないですかっていう風に、
客観的に言ってポジティブに捉えられているわけですよね。
でも別にそれはポジティブに捉えようとするっていうのもあるんだけど、
そもそも不安をそんなに、
俺とかね、不安だ不安だ不安だって言うと不安になりません?
でも、いけるいけるいけると思ったらいけるわけですよ。
その捉え方で、捉え方ってやつですけど、
そこで不安になってしまうと、
やれなくなると。
新しい行動ができなくなる。
やるたびに指回した時に指が折れるかもしれないとかね。
分かります?
病気とか怪我している人はやらないでくださいね。
それは確かにやめた方がいいですよね。そこまで想定してないですから。
指を回すと、
無駄になってその時間5秒がもったいないとなると、
こちらとしてはお手上げなわけですよ。
僕は何もできない。
だから新しいことをやってみるとか、
仕事として自分のやりたいこととか好きなことでもいいし、
価値を探すとか、
人が面白いと思ってくれる価値とか、
役立てる価値、もしくは自分が意味があるとか、
いわゆる無駄だと思われることでも何でもいいんですけど、
全てにおいて無駄性というか、
役に立たないというか、
効率的ではない非効率。
デジタルというよりもめちゃくちゃアナログ。
ネットというか、
ネットはあまり違うんですけど、
インスタントにできるんじゃなくて、
意味の探求と不安
全部自分でやらなきゃいけない。
ガスコンロみたいな便利なものがありますが、
そうじゃなくて、
木から火を起こしてあっという間に火が出てくる。
火をつけて、
薪というか炭でもいいけど炊いて、
それで火を起こすとか。
めちゃくちゃ時間がかかるじゃないですか。
時間がかかるんですよ、性質として。
インスタントな意味があって、
インスタントな意味をすぐ出せる何か装置とか、
魔法とかツールとかはないわけですよ。
分かります?
でも、そんなこと言ってるんだけど、
副業詐欺みたいなのがなくならないのは、
簡単に儲かりますよ、絶対儲かりますよって言われて、
自信って言われたら絶対行きますよって言ったら、
そうかもしれないなと思ってしまう。
そういう意味で、
これは僕の考えでは、
結局人間って心理の余白みたいなのがあって、
これはもしかして自分だけが知っていることだよねって。
自分が知っている真実みたいなね。
なんか陰謀論みたいな話になってくるんで危ないんですけど、
自分が知ったネットから知った真実とかね、
そういう系とかでもいいし、
そういうのって信じてしまうわけですよ。
自分が知っている真実とか、
そういうのって信じてしまうわけですよ。
信じるっていうか、
それ何なんだろうねって疑わない。
疑ったとしても、
これはここだけの話なんだって言われたら、
ここだけの話ですって思ってしまう。
ないですか、そういうジョークみたいな。
公開してるんだけど、
ここだけの話って言いながら、
めちゃくちゃ沢山の人が聞いてるわけじゃないですけど、
聞いてる人には全然聞けるから、
少なくとも2人とか3人は分かってるから、
全然ここだけの話じゃないんですよね。
公開されてるわけですよ。
でもここだけの話って言われたら信じてしまう。
あなただけとかね、上手い話があって、
あなただけにこっそりお伝えしますよと、
儲かりますよと、損はさせませんと。
嫌になりますよね。だからもう言わないですけど、
そうやってるわけじゃないですけど、
そうやって人を騙すわけですよね。
騙せるんですよね。
自分の心理とか状況とか、
私は絶対大丈夫だって人が、
かなり危ないわけです。
そうやって疑って、
それをいい意味で疑って、
何だろうねって思う人は、
そんな風にはならないかもしれないなと思いました。
すみません、長くなりましたけど、まとめますと、
効率的にやりたいことを探せるかという話なんですけど、
できないですと。できません。
わかるんですけど、
意味をいきなり求めると、
ないんですよね。
自分が面白いものっていうのが、
僕はこれ評価の問題だと思うんですけど、
自分が面白いねとかいいねということを、
他の人がいいねという体験がゼロなら、
それは不安ですよね。いきなり、
自転車乗ったことないので、自転車乗れみたいな感じだから。
だからそこトレーニングとかやって、ちょっとずつやる必要がありますよね。
それで慣れていったら、もうちょっと出してみるとか、
今度は自分の意味としてはわかってるんだけど、
伝え方として人に伝わるように言えてないとか、
商品の魅力が伝わってないってそういうことじゃないですか。
それも結局ズレなので、
じゃあそのズレを直すためにも、
広告やればいいとか、そういう手法の話じゃなくて、
何なんでしょうねってことで結局それも、
意味というか、探求というか、
効率的に探すやり方なんかほぼないですよ。
あったとしても、
効率的だと思わされているぐらいですか、
かなと思うぐらいでいいかなと思います。
結局実際に、
効率だとか非効率だとかも、
意味がある意味がないとか正直どうでもよくて、
なんでかというと、
AIと人生の豊かさ
何度も言ってますけど、例えばAIが入ってきて、
働く人がありません、お金の心配もありません、
みたいになった時に、何やります?全部時間が浮くんですよ。
そうなると、
人生の豊かさ、人が豊かに生きる、
心の満足、メンタルとして充実していて、
友達がいて、話し合って、
毎日楽しくて、自分の趣味というか、
少しやりたいこともあって、楽器習ってて楽器演奏して楽しい、
発表する楽しい、素晴らしいじゃないですか。
って思いません?という時にそれをやるじゃないですか。
そうなったら、例えば今それ引っ張ってくると、
楽器で趣味やられている方って、
意味あるとか、価値あるとか、役に立つとか、
というのがないわけじゃなくても、
それだけでやります。別に楽器演奏している人が、
大道芸じゃないけど、
街角に立って、お金を得る、
演奏でチップ払って、チップをもらうとか、
仕事するためにやっている人なんて、かなり限られません。
するなんてことじゃなくて、そのためじゃないですよね。
だから結局、
趣味、効率を求めた結果、
もしくは何かに、
自分の人間の時間を、
人間が労働する時間をAIがゼロにした瞬間に、
もしくはゼロになっていった時に、やることって結局、
趣味とか教養とか、
自分が心が満足するってことでしかないわけです。
ここでいう、藤原さんという方も書かれているんですけど、
結局、自分が心が満足する、楽しいということで、
心が満足するっていうことは、
論理的にはもう説明できないわけです。
言っていることは変わらないと、僕は解釈しているんですけど、
要は自分がいいなと思ったら、それをやるっていうことは、
今の状況でそれを思えるかどうかと、
別にAIが入ってきて、
それでやることがなくなっても何も変わらないと思います。
今まさに自分がやりたいなとか、
やってみたいなと思う、どんな小さなことでもよくて、
それをやらないと、
多分何も進まないという感じがします。
別に僕が偉そうに言う立場でも全然ないんですけど、
と、思いますよって話です。
心の満足ってやつですね。
じゃあ、あなたのウェルビングとか、
あなたが人生豊かとか、あなたがいいよね、
こういう状態いいよねっていうのは、多分あるんですよ。
それが知らないです。ハリボテンなのか、
どこから持ってきたようなものかもしれないけど、
そう思うなら、それをどういうふうにでもいいんで、
実現しているかやってみませんかって話です。
例えば、本を読んでいる人が賢そうだから、
私も読んでみたいんだったら、本を読んでみたらいいじゃないですか。
本もいろいろあるから、読めそうなやつから
行って、別にどの本を読んでいるかとかを
気にして笑われるから嫌だとか言う人がもしかしたら
いるかもしれませんが、言わなきゃいいじゃないですか。
それを少しずつやっていって、
本を読む時間って有意義だと自分は思うなと。
有意義というのはまさかに意味があるということですけど、
心が満足しているなと、この話を誰かにしたら
満足するかもしれないから話してみようとか、
友達に今度は話してあげようとか、でもいいですし、
ってなりますよね。
でも、それを読んだ本が微妙だったら、なんか違うなって思うので、
じゃあ次行きましょうとかになるし、
結局は、最終的には自分が満足するかみたいになるわけですね。
で、ちょっと分かりづらいですけど、
人のため、世のためじゃないけど、
お客さんのために仕事をしました、それで満足したれて
ありがとうって言って、それでいいなっていうような
心の満足もありますよね。
多分それが主になるのが仕事だと思っているんですよ、僕はね。
みんなそうじゃないかもしれないですけどね。
でもその場合、仕事が主だとするときに、
仕事が無くなったり、それこそ定年退職したり、
それこそAIが入ってきて無くなったときにどうなるかですよね。
だから自分がやっていることに対して
意味があるよねっていうのは、
強い自己肯定感がありますっていうことでは、
多分僕はそこまでないと思っています。
自分がやっていることに意味があるかなんて、僕もそんなに言えないです。
全然意味ないんじゃないかっていう。
それこそ高校でも話しましたけど、
プロタイミングツールじゃないけど、AIバイブコーディングとして
WebSIMというのを1年間やってきて、1個ずつ作っているんですけど、
それを見て評価というか、
他の人が見たらそんなに意味ないじゃんっていう人もいると思うんですよ。
余計なお世話なんですけど、
別にそういう評価されるんじゃないかなと思うんですよ。
そういうのって。
全然こっちでは意味あるし楽しいと思っているから、
いらんお世話だなと思うし、別に言われたことないですよ。
でもそんなもんかなと思います。
自分がやっていることを全員に認めさせて、
俺は自分の価値があるよなんていうふうに、
自分がやっていることは価値があるなんていうことを言う必要があるんですか?
ってことなんですよね。
そこがあるのであれば、別に証明していけばいいんですけど、
そこまでしたいんだっていう。
そういう欲がある。自分のことを知らしめたい。
自己顕著欲とか、有名になりたい。
全て価値なんだ。
すごい高い方はやってください。
知らないですけど。
それは僕はないので。
それは逆に高すぎて、
普通のことで満足できなくなっているから、
さぞかしい普通というか、
ご飯おいしい幸せだねみたいなのでは満足できないってことですよね。
分かります?
これ美味しいよねって言ってた方が、
指回しなんかできてよかったねっていう方が、
実際のあなたもやられたか分かるんですけど、
指回しなんか楽しかったよって思ったら、
それだけでもいいですけど、楽しくないですか?
よかったよみたいな。それでよくないですか?
そこは高望みというか、そこで何を求めるんですか?
って話なんですよね。
趣味の追求
その高望みしないご飯が美味しいよね、
面白い話聞けたよねって。
今回の話が面白いか分かりませんが、
それで満足しないのであれば、何で満足されるんですかって話です。
満足というのは、
10段階評価で10が一番満足だとしたときに、
10になるとかってことでもなく、
5でも6でもよくて、不満じゃなかったらいいかなっていうね。
でもその中で、
より満足するものが何かあるんじゃないですか。
ないなら、そのために探索するしかない。
2択しかないですよね。
意味性というか、自分の面白さで何かやっていくか。
それは当然だから、格好で、
意味とか、効率とか、価値とかね。
意味はあるかもしれないけど、効率性とかそういうのはないですよ。
それで正解だったら、
もうそれ誰もやらなくないですか。
やる前から正解がわかったから、これをやれば正解だって分かってたら、
何もやる必要なくないですか。探索っていうことにならないですよね。
何がどこにあるかを調べているから、
ものがわからないから地図がないから、
地図を作ることをしているのに、
地図があって、北へ行けとか、
北東に何があるとか、
それがわからないから探索しているんですよね。
声がおかしくなりましたけど、
それで、地図が探索してできたから、
こっちへ行こうというのがわからないですね。
地図を探索して何も何かわからないのに、
地図を求められていたら、それは無理じゃないですか。
地図があったときに、北にはこれがあって、
これぐらい距離があるから、まずは、
手近な南の方から攻めていって、
そこを観光したから行きましょうね。
だったらそれは効率ですけど、
やっぱり手順が圧倒的に違いますよね。
何もないような効率がない、データがない、
よくわからないような状況では、
自分の心の満足というか、
これでやってみようかと。
不安になることはわかるんだけど、それでやってみると。
それがある程度やって、量が見えて、こういうことがある、
手応えがあって、こっちかな、あっちかなというのが地図が見えていたら、
効率化が始めて出てくるんじゃないかなという話になります。
これはかなり重要なので、
だいぶターニングポイントになっていくような気がします。
わかるんですけどね。
効率、効率って。
でも効率って言うほどね、
ここでピックアップしてどうこう言ってますけど、
そこまで不安なのかなというのは正直思いますね。
だから10人行った時に、
不安で行動できない人は、
半分はいないと思っていて、
僕の意味では1割2割くらい。
行動ができないレベルはね。
逆で意味があるやつがあればいいという、
アート性というか感じの人もそんなにいないと思います。
ただクリエイターの人とかっていうのは、
そういうの出してってやっていかなきゃいけないんだけど、
世の中的には少ない感じがしますよね。
世の中そうクリエイターではないけど、
僕はクリエイターでいいんじゃないかなと思うので、
どんどんどんどん数が増えていくんですよね。
そうなっていった時に、5対5とは言わないですけど、
探索に意味ないですよねって言ったら、
話終わるんですよね。
でも、
その失敗や不安とか、
お金を失う、時間を失うことが怖いので、
失敗するなみたいになるわけですね。
失敗するなっていうのが、
行動を抑制し何もしない、
探索を拒否するのであれば、
地図の話は探索できないから、
ずっと周辺しかわからないってことだけなんです。
自分が興味ないとか、
知らない世界に行って、
やればいいですかみたいなことを、
もしかしたら思う方がいらっしゃるかもしれないけど、
別にそれはいいんじゃないですか。
知らない世界は興味がなく、
そこに対して自分が心を動かそうとする、
知ろうとするという態度がなければ、
入らなくないですか。
ただ知らないところに行ったんだけど、
何も入ってこなかったという結果が残る。
それは知らないところに行くと、
もうちょっと引いてみてて、
客観視しすぎてて、
そこに入り込めなかったというだけのこともあるわけです。
これはあると思います。
いろんな違うことをやっているんだけど、
全然納得していないというかね。
多分それは、
効率的にやろうとしているっていうのもある。
違うことをやっているんだけど、
その人の範疇での違うことだから、
もうちょっと全然違うものを入れなきゃいけないんだけど、
その全然違うものを入れるのは難しくないですか。
妙なことをやるというわけじゃないですから。
人とか、
どういう人と出会うか、
時間の使い方とか、全然違うことをやるということをやっていく。
探索の重要性
その時にまさに大事になるのが、
無駄とか意味がないと思うようなことで、
それをやってみて意味を身に出すというような、
発想とか視点というのが大事になるということになります。
ということで、今回は以上となります。
ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。
四国にラジオ大橋でした。
以上、失礼いたします。
01:06:08

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