それっていいの、役に立つ、役に立つというか、うまくいくのと言ってもいいですよね、この場合ね、役に立つのかなという思いついたことがね、分かります?役に立つ何かというのもあるから、非常に話が込み入って難しいんですけど、そこにフォーカスを当ててぶれないようにしていきたいなと思います。
問いかけとしてはですね、無駄なことをせずに、あまり意味がないということをやらずに、自分が思わずに、それこそ効率的に、生産的に、有益にという、めちゃくちゃ嫌いな言葉なんですけど、有益って最近。
別に有益で使ったらダメなんじゃないですけど、何だろうなという文脈前後が気になるんですけど、面白いことをやる、もしくはやりたいことを見つける、やりたいことをやっていくことってできますか?という問いかけなんですよ。もう一回言いますよ、無駄なことをせずに効率的に生産的に有益に、面白いこととかやりたいことって見つかったりやれたりしますか?ということなんですよ。
まだ始まってないんですけど、結論は無理だと思います。そんな分かっているという方は、話はここで終わりにしておいて、後は補足みたいなものです。
そうなの?という方はぜひご一緒に。ただ、これはもう価値観の問題にもなってくるので、例えばですよ、考え方としてね、ピーマンが苦手な人、ピーマン嫌いな方がいらっしゃるとして、あなたがピーマン嫌いだとして、ピーマンおいしいって僕が言っても、いやー苦いじゃん、うまくないじゃんってなりません?
そういう程度って言ったら怒られるかもしれませんけど、でもそういう程度なんじゃないかなと僕は思ったんですよ。共有はできないですよね、この考え方が。共有するつもりもないですよ。ただ、そういう考え方がしてて、やりたいことを見つけていくしかないのかなと僕は思っているという話で、うまく捉えていただいて、というところを話していきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
見つかっているところじゃなくて、そういうものがある、だけど今は見つかっていないみたいな。ただ、そこだけ補足しておくと、別にどこかに何か転がっているわけじゃないので、見出すしかないですよね、というのもまた同時に言います。
何もないと寂しいかなというわけじゃないんですけど、無駄作りということをされている藤原麻里奈さんですか、という方はもしかしたらご存知かもしれませんが、昔何か著書を読んだ気がします。
細胞図式という細胞図者がオンエンドメディアをやっていて、その記事が面白かったので、これは共有というか貼っておきたいと思うので、気になる方はぜひ、かなり参考にしているので読んでみてください。
ここをすごく簡潔に言うと、藤原さんという方が無駄作りという活動をされていましたし、今もされているんだと思います。すみません、チェックしないので。
その無駄作りというのは何かといったら、一見すると無駄っぽいやつですね。
ツイッターとかで見ていたのでは、例えばノートパソコンで出席、会議に出るのを離脱するボタンとかあったかな。
間違っていたらごめんなさい。そういうようにボタンを押したらすぐ、例えば上から吉本新劇場じゃないけど、金だれみたいなのが落ちてきて、
すみません、吉本新劇場とかわからない方いらっしゃるかもしれませんが、要はそういう、上から物理的に金だれが落ちてきて、たらいに当たったので、ちょっと欠席しますとかね。
そのバカバカしさはわかりますか。というのも込みで、無駄だなと、別にいいと。でもそれを作ることで、面白いねという方がいるし、僕も全然面白いと思っています、その無駄作り。
ということをやっていた、ある種の無駄のプロと言ってもいい人が、たぶんメンタルとか体調崩されたのかなというところもありつつも、別に復活されているのですが、
そういったところを、暇な時間とか退屈、退屈はちょっと言うか、暇な時間を怖くないかみたいなテーマで話しているので、今回の話とほぼほぼ一緒というかところになります。
まずこの問いかけですよね。冒頭でも話したんですけど、答えというかこの問いかけは若干おかしいんですが、一応問いかけしておかないと脳が動かないかなと思って問いかけにしてみました。
要は無駄なことをせずに、効率的にですね、有益に何でもいいです。面白いことってやれますか?ということですね。できないです。
もう一回言いとくと、無駄なことをせずに、夢でもいいしやりたいこと見つかりますか?無理です。
そんなことないでしょう。洗脳されてるんじゃないですか?おかしさん洗脳されてるんじゃないですか?と言われたら、そうかもしれないですね。
いろいろ言っていくんですけど、別に汗水流して何かやらなきゃダメとは言わないけど、汗水じゃなくて体を必ず動かしてとかね、そういう意味だと。
でも動かした方がいいんじゃないかと思いますし、無駄にね、めちゃくちゃこの暑い中で走り回れとかね、そんなことは思わないですよ。
いろいろそういう補足になっていくんですけど、なんで見つからないのか?なんで効率的に見つけられないのかと言ったら、トートロジーと言いますか、循環しているんですよ。
何を言いたいかというと、まずこのリスナーのあなたとぜひ考えたいんで、考えながら料理されたりしてもいいし、他事しながらちょっときついかもしれないですけど、タイピングとかね、本読みながらきついと思いますけど、
お邪魔しますと。まずこの疑問に対して、この問いかけおかしいと思いませんか?ってところなんですよ。これ思うならもう別に正常とは言いませんよね。異常とか正常ってことは申し訳ない。言い方がきついし、それは言い過ぎだと思うんですよね。
僕が異常なこともありますし、異常かもしれませんからね。少なくともマイノリティな感じはしないかもしれないし、分かんないです。別にマイノリティなのも持ってないし、別にいいじゃん。そういうことは構わないです。
これおかしいと思う方は、自分で何かされてていろいろ考えてやってきた方だし、今もそれをやろうとしている方だからそう思うのかなという感じがします。おかしくないよね、いや効率的に探せるよね、面白いことって思っている方は本当にそれがあって、自分は効率的に探したよっていう。
手間を省いて何かやったよっていう。もしかしたらそういう語形言があるかもしれないから、別におかしくない。そういうのもあるかもしれませんよね。絶対否定しないですよ。何度も繰り返すけど、効率的には何かで、面白いこととか何かっていうのはフワフワしてて定義しづらいっていうのはあるんですけど、多分定義ができないんですよ、フワフワしすぎて。
ルードっていうんですか、言葉の示す範囲も違うし、大きさも違うし、価値が違うじゃないですか。効率ってそこに求めないよっていう人から、めっちゃ大事じゃんっていう人から、面白いことに価値を求める人がいたり、僕は求めますが、求めない人もいませんか。そういうところがあると。物によって変わるから、ますます分かるんですよ。
で、これはおかしいと思うんですよね。おかしいというのは、効率的には探せない。要は非効率、つまり無駄が前提なんですよ。
もう一回言うと、面白いこととかやりたいことを得るには、もしくはやりたいことを見つけるには、無駄なことをやらなきゃいけないと言ってもいいでしょう。ちょっと強めに言うとね。やらなきゃいけないってないんですけどね。もしくは、やっていくことで見つかる確率が高まるぐらいですか。
でも、9割?95%ぐらいの感じですけどね。見つかる確率が95%じゃないですよ。やっていく割合として95%で、無駄なことをやられないと。
そもそも効率的って何ですか?というのも若干触れておくと、何か仕事なり、やっている作業があって、例えばわかりやすいのが、ITとかAIが入れたらいいかわからないですけど、今までレジを手打ちでやってたんですが、それをラベルをピッて通すことでいい。
さすがにそれはもう、手打ちで売ってる人います?ってことになりますけど、あまりないですよね。
さらにユニクロとかだと、前提簿が入っているかわからないですけど、カゴを持って行ったら、服を入れたらもうそれで判断してくれるというのがあると。
セルフレジーですよね。それはもうかなり効率化しているじゃないですか。
店員さんは服を畳んだりとか、ワークホード読み取るという作業すらなくなるので、レジで不正というか万引きしないかとか監視するとか、操作がわからない人をサポートするという仕事になりますよね。
そこまでいろいろないですよね。
レジに、経営的な意味になるんですが、レジにスタッフを置いてというのが10人いたのが、私は1人とか2人になると。
当然万引き云々とか、いろいろ総合的に見てどうかは置いておいて、ただ局所的に見てレジをする時間が減りますよね。
だから今までレジが業務8時間、8時間もないかもしれないですけど、8時間あったとして働いている人がいて、レジ入りが4時間だったのがもうゼロになりました。
で、当たり前ですけど、じゃあその残り4時間はレジの監視したり、他のバックアウトとか商品の服が畳み直しとか、業務の名前わかんないですけどね。
名前があると思いますが、畳み直したりとかね。
お客さんが商品の案内を進めたり、やっぱりそういうことは在庫から品出しをして、空の棚を入れとかないとお客様が商品を選べないので、それとか。
あといろいろあるよね。掃除するとかね。
ロボが走ってたりするから、そのロボを直すとか。
そうですよね。
で、そんな感じじゃないですか。他にもあると思いますけど。
アパレル、ユニクロの業務のイメージを勝手に想像してるんですけど、そういうのがありますよね。
そういう時間になっていきますよと。
で、効率っていう意味では、その局所的にレジ業務というのがITとかAIによって減りましたよね。
要は、異論はあるかもしれないけど、時間がかかっていたものが、4時間かかっているものが0時間になると。
例えば、その業務をやらなくてよくなる。
もしくは、業務の時間が著しく減る。
もしくは、業務の時間が1割でもいいから減るっていうことが効率的だっていう話じゃないですか。
ここも異論はないかもしれない。
だけど、効率的にっていうのは、ここはトリックでもなんでもないんですけど、
既にレジ業務というのがあって、それを動向するってことなんですね。
要は既存の業務を動向するかが効率化なんですよね。
わかります?
ことはどういうことかっていうと、多分なんですけど、例外とか違うのもあるかもしれないけど、
既にあるものを動向するのが効率化なんですよね。
だから、問題解決みたいな感じに近いですよね。
課題とかでもいいですけど。
問題発見、課題発見っていうのがあって、それを動向するのが問題解決とか効率化みたいな話をしたときに、
発見と解決っていうところでいくと、課題の発見じゃないですよね。問題の発見じゃないですよね、多分。
この時に別のパターンとして、同じように、どうしたら効率化できるかみたいな話をしましょう。
それだったら結構分かりやすくて、分かんないなってなって、既にある業務を動向するのはできるけど、
これをやったら良くなる。
問いかけを送るんですね。効率化ではなく、どうやったら店の価値が高まるかってどうですか。
お客さんによく来てもらえるようにするか、みたいな問いかけっていうことでどうですか。
それは結局、冒頭の問いかけとは違うんですけど、面白いことをやるとかとは違うんですけど、
お客さんにとって価値があるとか、お客さんが楽しいと思えることとほぼ同義だと思います。
ほぼ同義というのは、面白いとか感覚とかに訴えるっていう意味では一緒かなと思います。
対象が自分とか、自分の人生とキャリアとかっていうことだけじゃないってことですね。
じゃあ、お客さんにとって価値があるとか、有意義とか、お店に来たくなるような仕掛けはどう考えますか。
どうやって見つけますか。
それこそリスナーのあなたに問いかけたときに、それは既にある業務から見つけてもいいんですけど、既にある業務から効率化するとは全然違うじゃないですか。
わかります。
それこそ、例えばですよ。
勘の言い方は、お客さんを配膳ロボで送っている間に観察しようと。
そうしたら、お客さんがロボを見たときに、仏頂空という表現が通じるかわかりませんが、あまり濃面とは言いませんけど、
わー来たーという感じがせずに、表情が動かないというか、来たねという感じで、結構ドライな感じになっている。
それを店員さんが見ていて、なんかドライだよねということで、これは別にどこからやっているか知らないですよ。
例えば本当にアイディアとして、ロボに頭に被せ物をしたりとか、鼻をつけたり、何々ちゃんって名前をつけたりすると。
でもルンバーしかり、そういうロボに名前をつけたりするなんて別にいいと思うし、やっていったらいいんですけど。
つけて、何々ちゃんでも何々くんでもいいですけど、そうやってつけたことでお客さんがクスッと笑ったとするじゃないですか。
やります?という。
だから、そういうアイディアを思いついた、もしくは見て気づいたに、前に観察しなきゃいけないじゃないですか。
観察していたときに、スタッフとか店長からお前何やってるんだって言って怒られて、そんな意味ないだろうと。
観察するなって言われたら、もう話終了ですよね。
その店長が無駄なことをするなと言ったら、話は終わりません。
だけど、そうじゃなかったとして観察していって、お客さんとのロボットのやりとりがないから、
ツッコミどころとしてもいいし、お面でもいいし、ニット帽みたいなの被せてもいいし、手足とかどこでもいいですよ。
あとは名前の名札を貼って、何々ちゃんですよろしくみたいなことを書いてあったりすると、
面白いね、この間のことは違うんだね、みたいなことになっていく。
もしかしたら、そのスタッフさん、人間がこの子はよく頑張ってくれていますと、
一番お兄さんですとかお姉さんです、前から導入されたロボットのたとえですよ、
というふうに言って会話をするようになるかもしれませんね。
もちろんそれが煩わしいお客さんもいるから、ファミレスに行って店員さんと話すというのが価値ではない人はいらっしゃると思うし、
それがファミレスの価値だとは思っているわけじゃないですよ、絶対に。
でもそういうことをやると、もしかしたら出てくるかもしれないなと僕は思っているんですよ。
コミュニケーションには価値があると僕は思っているので。
だからそうなってくると店の提供する価値が変わりますよね。
話を戻すと、そこでハイゼンロボットを観察するスタッフさんの行動、
それを見出す前に、今は結果論というか話が通ってトントン拍子がうまくいったわけですけど、
お面とか名札とか名前つけてお客さんに楽しんでもらうというのが全然無駄というか意味がなかったとするじゃないですか。
何も反応が生まれなかったからやめようとしたときに話が出てくるわけですよ。
それは無駄じゃないですか。
なんだけど、それをやらないと確認できないじゃないですか。
これは何度も言っているんですけど、やってみないとわからないわけですよ。
やってみないとわからないときにやってみるか、あまり効果を発揮していなかったこと、
ここでは無駄、意味なかったということを言うんですけど、意味なかったことがあるから、
じゃあここでその冒頭の話に戻って、効率的にそういう価値が見出せることってできますかっていう、
それが自分に向いたらやりたいこと見つかりますかという話だと思うんですよ。
できないと思いますね。
それを否定してしまっているから、つまり何かをやる、行動する、時間をとる、
全然違うことをやるということが無駄というふうに提起をしているわけです。
というだけなんですよね。
だけというかその通りなんで、特に結論は変わらないんですけど、
そうやって、僕の考え方が変わることがあるかもしれないけど、
少なくともこの今の話の中では、無駄なことをせずに、
要は効率的に探すことはできないのだという話ですね。
そこでニュアンスというかツッコミとして、
いきなり観察したスタッフさんは素晴らしいけど、
分かんないから、
闇雲に何かやっても確かにダメかもしれないですよね。
闇雲というのは、
例えば、ちょっと違うんだけど、
他のファミレスではこうやったらよかったからそれを真似しようと。
それをいろいろ集めていったら100個ぐらいあったから、
1個ずつそれをしらみつぶしみたいにしてやっていくと。
それはさすがにちょっと微妙かもしれないけど、
策がなかったらそうやるしかないからしょうがないですよね。
だけど、さすがに100は無理だから、
ちょっと離して絞り込んでやろうは効率的っぽいですけど、
ここでそこまで重視する話じゃないですよね。
そこのやり方って思いますけど。
言いたいことは結局、何かしら行動する、
何かやってみるってことが価値がない、意味がない、
無駄であるっていうことを極度に恐れるってことです。
極度に不安になるとその行動できなくないですか。
で、なると次の行動がさらに不安になると。
不安がどんどん高まってくるんですよね。
これ慣れだと思うんですけどね。
慣れとか、あと行動量ってことですよね。
一緒のことです。
慣れてないので、そういうことをしたら何か見つかるよねっていう感覚が
マジでないとしんどくないですか。
これは意味があるんだろう、価値があるんだろう、
役に立たないんじゃないかみたいなことを思ってしまうわけですよね。
その参考にしている記事はそんな話になっているんですよね。
藤原さんという方が言われているのは、
意味がないというか、無駄だなと思うことも
やってみて、それがまさに自分が面白いと思うことですよね。
自分が楽しいと思うこと。
例えばですね、僕が最近やっているのは国語辞典を引くと
分からない言葉とか書いていて、
これ何だったっけなってことを国語辞典を引いているんですよね。
紙の辞典をね。
これは人からすると何で引いているの、そんな意味ないんじゃないとか
ネットとかサクサクっと調べたらいいじゃんっていうのも
全然分かるんですよ。
それだけやってるわけじゃないですよ。
やってるんですけど。
じゃなくて、調べていく中で、
本屋さんとAmazonと違いと一緒で、
調べていく中で家庭で見つかるものとか、
そういう表現があるんだが、
他の言葉に出会ったりするんで、面白いわけですよ。
僕は。
辞書を引くのは好きなんですよね。
そういうのが好きなんだと思うんですけど、
全員が全員とは言いませんよ。
っていうのが、
例えばリスナーのあなたから、
よく分からんなと。
自分はやったことないとか、もしくはそこまでやるつもりがないんだったら、
あまり意味とか価値とかを見出しづらいじゃないですか。
だから意味を、
僕が国語辞書を引くこと、
言葉のことを調べる、紙の辞書を引くことに対して
意味を見出せっていう話じゃないですよ。
僕のことを理解しろってことじゃないですよ、そこにおいては。
じゃなくて、リスナーのあなたにとっても、
そういう僕が紙の辞書を引いて面白いよねみたいな風に
思っているような、自分が面白いよねって思うこと、
楽しいと思うよねってこと、
なんかワクワクするとか、
もっとやってみたいとか、気になるなとか、
最近やってなかったけどもう一回やってみようとか、
なんか人の話聞いたらやりたくなったなと思うこととか、
なんでもいいんですけど、
まさにそれなんです。
それをやりましょうってことなんですよね。
だから主張は変わらないです。
だから自分が楽しいことやりたいことをやりましょうというわけなんです。
今回の問いが、やりたいこととかを効率的に、
面白いと思えることを効率的に見つけることができますか?
という問いかけなんですけど、
これが笑えなくなっている状況がもしかしたらあるんじゃないか?
という意味でちょっと話してみたということになります。
で、それが笑えないというのは、
おかしさに気づかないということですね。
そういうふうに見つけられると思っているからというわけですね。
例えば、ちょっとわからないですけど、
効率的に探す方法みたいなので、
これがウケるかどうかを置いておいて、
例えばYouTubeを今見ます。
自分がYouTubeを見ていない人がいないという乱暴な前提として見ます。
面白いと思ったもののチャンネルとかをピックアップします。
そこから共通的なものを引っ張り出して、
自分は魚釣りの魚とか工場見学みたいなのが好きだったので、
そういうのが好きなんだなとわかります。
そういうのは別にいいじゃないですか。
自己分析みたいな感じで。
で、工場見学のやつを見ていて楽しいから、
自分は工場見学にコンテンツを作るとか、
もしかしたらそういう工場の現場で働きたいとか、
そういうビジネスをやりたいとか、知らないですよそれはね。
というふうにもしかしたら思う人がいるかもしれないですね。
それが効率的かどうかわかんないですよ。
だけど、そこにありそうなのは、
じゃあ100本YouTubeを見て気になるやつを10本上げてくださいって言って、
で、上げたところで、もしくはそこの10本上げるところで
まずこれ意味あるのかなって思うんじゃないですか。
で、10本上げて、その中で自分がさらに刺さるものはって考えたときに、
さらにそこで何の意味があるのかなって思っちゃうんじゃないですか。
で、それでさっき言ったように工場見学のやつ面白かったよねっていうのも、
面白いって何だろうねっていうね。
自分で、魚が捌かれてどんどんカゾブシみたいな感じで、
どんどん魚からカゾブシになってくるの面白いよねって。
僕も見てて面白いと思いますけど、見てて、で何だろうねっていう。
わかります?これ何が意味あるんだろうねってなるわけですよ。
で、意味って多分ないんですよ。
意味がないっていうのは価値として、
例えば正確に言えばあなたが魚がカゾブシになっていく過程を
工場見学みたいな動画をYouTubeで見て、
それで得られる何か、成分、要素、感情の機微、変化っていうのは
価値があるのか意味があるのかっていうのは多分ないんですよ。
だから梅田さん、見るなとかってことじゃないですよ。
価値がないっていうのは他の人からどう言われても意味がないよねっていう。
わかります?あなた自身がリスナーのあなたが面白いよねっていうことしかないというか。
面白いよねっていうのはカゾブシってそうやってなってくんだな、面白いな、
もっと調べてみようとか、自分の食べているカゾブシがちょっと違うなとか、
もっといいカゾブシ食べてみたいとか、そういう興味関心ですね。
もっと調べてみたいっていうのがその動画を見て別にそこまでないなら、
そこまで興味ないんじゃないですかっていう話ですよ。
伝わってますか。
それで、じゃあ効率的にそれを見ていって、
眺めて自分がやりたいこと、好きなこととか得意なこととかっていうのに
重ねていってできるかっていうと、そこでまだくどいですけど
無駄なことをしなきゃいけないですよね。
無駄っていうのは最初から無駄として決めてるんじゃなくて、
何も名前がないような、これやってみたいなと思うことでも
一緒なんですよ、言ってることと一緒です。
これやってみたいなと思うことが、多分効率的なものを重視しすぎるが
あまりに効率というか何もないものに対して全部非効率とか意味がないっていう
ある種のラベリングを張ってしまっている状態があるんだと思います。
何度も言ってますけど、既にあるものを何か改善していくのが効率化だとしたら
ないものとかこれから生み出そうとするものは分からないもの、
正体不明なもの、名前がないものは全部意味がないし価値がない
みたいなラベル付けを待っているような状態なわけですよ、その人から見ると。
リスナーのあなたがそうとは言ってないですよ。
仮にそういう考え方の人がいたらそうなっているんじゃないかと思います。
やっぱり意味ないよね、価値ないよね、意味ないよね。
もしくは、お母さんが言っていることは分かるんだけど、
でもそれをやろうとするときに不安だという人はもう乗り越えるというか
なんていうんだろうな、そこまでして嫌ならやらなくていいって感じなんですよ。
無理に無駄なことをやれなんて言っていなくて、意味がないことをやれと
すごい言っているわけじゃなくて、自分がやりたいことをやっているわけですよ。
やりたいことをやっているんだけど、何か知らないけど、
効率が重視される世界からすると意味がないという世界なわけですよ。
逆に言うと、逆の立場から言うと、効率じゃないところで
面白いとかやりたいこととかっていう立場から見ていると、
その効率というのは物差しの一つにしか次いないわけですよ。
だから効率とか考える人って、効率じゃないものを叩くというかね、
なんか厳しく当たるんだけど、別にこっちの意味がある、これ意味ある、面白いねという人にとっては
何ら気にならないというか、そういう物差しの味方の一つって感じはするんですよね。
多分ね。それは効率というのはちょっと悪く言い過ぎているかもしれませんが、
一つは物差しが一つしかない人にとって複数の物差しがある人を評価することはできないし、
評価としてもミセリードする、誤解してしまうような感じがしますよね。
でも物差しがたくさん持っている人にとっては、そういう物差しの味方もあるかなってことで、
まさに一興という、一つの興味というかね、そういうものもあるよねっていう風になるという感じはしています。
少なくとも効率っていう人は効率しかないんだけど、
無駄がある人は無駄と効率の両方を選んでいるわけですね。
これでもちろん無駄しかやってないっていう人ですよね。
無駄のみっていう人は効率がないから、
なんでみんな効率を求めるんだろうっていう人はいるかもしれませんが、
こういう人はなかなかあれかなと思います。
でもそういう方がいても全然面白いと思いますけど、
ただそれは物差しが一つっていうのは、
僕はちょっと偏りすぎててどうかなっていうような感じがあるわけですね。
そういう風にですね、無駄なことをやらなきゃいけないとは言いませんが、
絶対にその無駄性というか、
それこそ研究でもいいと思うんですよね。
研究って結局無駄なんですよ。
なぜならすぐに役立つものでもないし、
誰かがこれをやって調べていったら何かが生まれるかもしれないから、
今やっていることが必ずこれに寄与しますということは言えない。
もしくは言えたとしてもこういう風になるかもしれない。
でも全然そっちの方面に役立たないかもしれないねっていうのがザラにあるわけですよね。
そんなのがゴロゴロしているわけなんで、
そもそもの性質として研究に役立つかを求めていることが、
ナンセンスってやつなんですね。
意味がないんですよね。
期待値を間違えているというか。
わかります?
その回転寿司屋さんって賑やかでいいじゃないですか。
っていうところに、
すごい静かな接客、
自分カスタマイズしてこういうのを食べたいんじゃないですかっていうような、
あらない寿司屋さんの対応とか、気の利いた何かなんてないわけですよ。
そういう店があってもいいかもしれないですけど、ないわけです。
それを求めちゃいけないよっていう、そんな話ですよね。
だから効率なところに意味を求めちゃいけないし、
意味のところに効率を求めちゃいけないっていうのが、
セットであるんじゃないかなとは思ったりします。
両方相反するというか相対するような。
もちろん意味を求める中で、
無駄をやっていく中で、これをやっていったら、
より環境づくりがいい感じにできるよねっていうので、
例えばそういう意味ではライフハックみたいなのがあって、
例えば僕だったら話してた方が調子いいから話していくことをやっていくと。
それはある人にとっては、
そんな話って無駄じゃないですかっていうツッコミができるんですけど、
それは大きなお客さんの話で、
その人にとっては無駄なんだけど、こっちにとっては意味があるよねっていう。
価値観の相違がどうしてもあるわけです。
あるので、効率っていう概念が出てこないんですよね。
効率的にっていう頃には、
既に規制の概念とか事実とかデータとかそういうのがあって、
状況があって、それをどうこうしていくかってことなんですよね。
その観点がまさに全然違ってて、
価値の相違があるような違ったりするってことであれば、
あんまりいい議論にならないというか、
いい話にならないですよね。
冒頭の話に戻していくと、
無駄なことをせずに、効率的にやりたいこととか、
面白いことって探せますかっていうと、
駆動ですけど、できないわけです。
いろんな無駄というか、
だから無理なんです。
最終的には結局無駄なこととか、
自分しか意味を見出せないだろうなとか、
これは他の人に言っても分からないなということがあるんでしょうね。
あるんでしょうねというか、あります。
そういうことを通していって、
世の中とか社会とか人とか他人とか、
そのニーズとか、
これが面白いよねということをやるしかないんだと思います。
その数とか数もですし、
あとその評価ですよね。
例えば僕が指回ししていて、
楽しそうだねって言われたら一緒にやるって言って、
みんな指回ししていくと思うんですよ。
公園での子どもたちとか、
大人はあんまりやらないかもしれないですけど、
公園で子どもとかが遊んでいて、
どんどん知らない子たちで遊びが伝染していくみたいなのって、
まさにそんな感じなわけですよね。
別にそんなに意味なかったけど、
指回ししていたら面白いよねって言って、
一人で回しているよりも二人で回して、三人で回して、
逆回転、順回転というか向こう側に回転するんじゃなくて、
手前側に戻ってくる逆回転になっていました。
今やりながら喋っているんですけど、
順回転しながら逆回転しながらということを
どんどん分けていってやっていったらリズムが生まれて、
もしかしたらその指に、回転に音をつけたり、
拍手をする人が出て、
それで楽器みたいなやつとか、
ハーパーとか、
落ちている機械を使って、
それでやり始めてというようなものが生まれてくる。
これめちゃくちゃ想像的じゃないですか。
ということをもしやりたいのであったり、
そこからさらに、ここが面白いんですけど、
あれ最初別に意味ないというか指回していただけなのに、
気づいたらみんなが価値をつけてくれて、
一つの指回し祭りみたいになって、
それが地域おこしになっていったとかね。
それで本当に経済が回るといったら、
めちゃくちゃ価値ありません。
それは後付けなんですよね。
後付けというか後でしかわからないから、
指を回す瞬間とか指を回していて、
虚無というかなんだろうねという時に、
これはわからないわけですよということをお伝えしているということですね。
多分これも変形になってしまうかもしれないですけど、
脳の話なんですけど、
変胴体化、アーモンド状の脳の部位があって、
不安というものを使って踊るというのは、
不安だけじゃなさそうですが、
ものがあったときにそこの部位とかを果たさせていると、
不安だ不安だというか心配性ですよね。
例えば、いいのは、
例えば調べたものがこれは本当だろうか、
本当に合っているんだろうかというのは、
いい不安な感じがするんですけど、
自分がやっていることは本当に意味があるんだろうかとか、
これは価値がないんじゃないか役立たないんじゃないかというのが、
別にあってもいいと思うんですけど、
自分がやっていることは完全に意味があり、
自分としては正しくて、誰かに必ず価値があり、
正しいのだみたいな正義みたいなのはないですよ。
でも感じていただける方がいれば、
みたいなところでしかない。
だから基本的に自分が楽しくなんかやっていくしかないんですが、
発達しすぎると変とって、
だから不安になるんじゃないかと。
不安が強い。不安を見がち。
だから一つの刺激というか状況を提示したときに、
いやじゃあやりたいことがないですよねってときに、
めちゃくちゃ不安になる。だから今やっていることとか、
やれることで埋めていくみたいなのはめちゃくちゃ分からない。
不安だから。
でもその不安がある人と僕からすると、
これはあまり意味ないんですけど、
不安を感じるところが強すぎるから、
僕は不安は分かるけど、楽しみとか見出せるから満足しません?
とか、そこからもしかして見えるものが
出てくるかもしれないんじゃないですかっていう風に、
客観的に言ってポジティブに捉えられているわけですよね。
でも別にそれはポジティブに捉えようとするっていうのもあるんだけど、
そもそも不安をそんなに、
俺とかね、不安だ不安だ不安だって言うと不安になりません?
でも、いけるいけるいけると思ったらいけるわけですよ。
その捉え方で、捉え方ってやつですけど、
そこで不安になってしまうと、
やれなくなると。
新しい行動ができなくなる。
やるたびに指回した時に指が折れるかもしれないとかね。
分かります?
病気とか怪我している人はやらないでくださいね。
それは確かにやめた方がいいですよね。そこまで想定してないですから。
指を回すと、
無駄になってその時間5秒がもったいないとなると、
こちらとしてはお手上げなわけですよ。
僕は何もできない。
だから新しいことをやってみるとか、
仕事として自分のやりたいこととか好きなことでもいいし、
価値を探すとか、
人が面白いと思ってくれる価値とか、
役立てる価値、もしくは自分が意味があるとか、
いわゆる無駄だと思われることでも何でもいいんですけど、
全てにおいて無駄性というか、
役に立たないというか、
効率的ではない非効率。
デジタルというよりもめちゃくちゃアナログ。
ネットというか、
ネットはあまり違うんですけど、
インスタントにできるんじゃなくて、
何度も言ってますけど、例えばAIが入ってきて、
働く人がありません、お金の心配もありません、
みたいになった時に、何やります?全部時間が浮くんですよ。
そうなると、
人生の豊かさ、人が豊かに生きる、
心の満足、メンタルとして充実していて、
友達がいて、話し合って、
毎日楽しくて、自分の趣味というか、
少しやりたいこともあって、楽器習ってて楽器演奏して楽しい、
発表する楽しい、素晴らしいじゃないですか。
って思いません?という時にそれをやるじゃないですか。
そうなったら、例えば今それ引っ張ってくると、
楽器で趣味やられている方って、
意味あるとか、価値あるとか、役に立つとか、
というのがないわけじゃなくても、
それだけでやります。別に楽器演奏している人が、
大道芸じゃないけど、
街角に立って、お金を得る、
演奏でチップ払って、チップをもらうとか、
仕事するためにやっている人なんて、かなり限られません。
するなんてことじゃなくて、そのためじゃないですよね。
だから結局、
趣味、効率を求めた結果、
もしくは何かに、
自分の人間の時間を、
人間が労働する時間をAIがゼロにした瞬間に、
もしくはゼロになっていった時に、やることって結局、
趣味とか教養とか、
自分が心が満足するってことでしかないわけです。
ここでいう、藤原さんという方も書かれているんですけど、
結局、自分が心が満足する、楽しいということで、
心が満足するっていうことは、
論理的にはもう説明できないわけです。
言っていることは変わらないと、僕は解釈しているんですけど、
要は自分がいいなと思ったら、それをやるっていうことは、
今の状況でそれを思えるかどうかと、
別にAIが入ってきて、
それでやることがなくなっても何も変わらないと思います。
今まさに自分がやりたいなとか、
やってみたいなと思う、どんな小さなことでもよくて、
それをやらないと、
多分何も進まないという感じがします。
別に僕が偉そうに言う立場でも全然ないんですけど、
と、思いますよって話です。
心の満足ってやつですね。
じゃあ、あなたのウェルビングとか、
あなたが人生豊かとか、あなたがいいよね、
こういう状態いいよねっていうのは、多分あるんですよ。
それが知らないです。ハリボテンなのか、
どこから持ってきたようなものかもしれないけど、
そう思うなら、それをどういうふうにでもいいんで、
実現しているかやってみませんかって話です。
例えば、本を読んでいる人が賢そうだから、
私も読んでみたいんだったら、本を読んでみたらいいじゃないですか。
本もいろいろあるから、読めそうなやつから
行って、別にどの本を読んでいるかとかを
気にして笑われるから嫌だとか言う人がもしかしたら
いるかもしれませんが、言わなきゃいいじゃないですか。
それを少しずつやっていって、
本を読む時間って有意義だと自分は思うなと。
有意義というのはまさかに意味があるということですけど、
心が満足しているなと、この話を誰かにしたら
満足するかもしれないから話してみようとか、
友達に今度は話してあげようとか、でもいいですし、
ってなりますよね。
でも、それを読んだ本が微妙だったら、なんか違うなって思うので、
じゃあ次行きましょうとかになるし、
結局は、最終的には自分が満足するかみたいになるわけですね。
で、ちょっと分かりづらいですけど、
人のため、世のためじゃないけど、
お客さんのために仕事をしました、それで満足したれて
ありがとうって言って、それでいいなっていうような
心の満足もありますよね。
多分それが主になるのが仕事だと思っているんですよ、僕はね。
みんなそうじゃないかもしれないですけどね。
でもその場合、仕事が主だとするときに、
仕事が無くなったり、それこそ定年退職したり、
それこそAIが入ってきて無くなったときにどうなるかですよね。
だから自分がやっていることに対して
意味があるよねっていうのは、
強い自己肯定感がありますっていうことでは、
多分僕はそこまでないと思っています。
自分がやっていることに意味があるかなんて、僕もそんなに言えないです。
全然意味ないんじゃないかっていう。
それこそ高校でも話しましたけど、
プロタイミングツールじゃないけど、AIバイブコーディングとして
WebSIMというのを1年間やってきて、1個ずつ作っているんですけど、
それを見て評価というか、
他の人が見たらそんなに意味ないじゃんっていう人もいると思うんですよ。
余計なお世話なんですけど、
別にそういう評価されるんじゃないかなと思うんですよ。
そういうのって。
全然こっちでは意味あるし楽しいと思っているから、
いらんお世話だなと思うし、別に言われたことないですよ。
でもそんなもんかなと思います。
自分がやっていることを全員に認めさせて、
俺は自分の価値があるよなんていうふうに、
自分がやっていることは価値があるなんていうことを言う必要があるんですか?
ってことなんですよね。
そこがあるのであれば、別に証明していけばいいんですけど、
そこまでしたいんだっていう。
そういう欲がある。自分のことを知らしめたい。
自己顕著欲とか、有名になりたい。
全て価値なんだ。
すごい高い方はやってください。
知らないですけど。
それは僕はないので。
それは逆に高すぎて、
普通のことで満足できなくなっているから、
さぞかしい普通というか、
ご飯おいしい幸せだねみたいなのでは満足できないってことですよね。
分かります?
これ美味しいよねって言ってた方が、
指回しなんかできてよかったねっていう方が、
実際のあなたもやられたか分かるんですけど、
指回しなんか楽しかったよって思ったら、
それだけでもいいですけど、楽しくないですか?
よかったよみたいな。それでよくないですか?
そこは高望みというか、そこで何を求めるんですか?
って話なんですよね。