ラテラルシンキングの概念
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。今回ですね、テーマとしては、ラテラルシンキング。話してないと思いますが、あまり聞き慣れない言葉かもしれません。
ビジネス性思考法、なんちゃらし、デザイン思考のシンキング界隈ではあるのかなと。
シンキング界隈ってなんだろうなって思いましたけど、思考界隈ですか、ビジネス性とかね、見かけた方もいらっしゃるかもしれません。
ラテラルシンキングですね。水平思考ということですが、そのことについて結構良かったなと思ったので、共有していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回はですね、ラテラルシンキング、水平思考と、水平というのはですね、垂直の反対の水平ですね、の考え方です。
ラテラルシンキングというものは何か、一言で言うのは難しいんですが、ロジカルシンキングというのはよく聞かれるかなと、ラテラルシンキングに比べてロジカルシンキングというのはよく聞かれるかもしれません。
ロジカルシンキングというのはですね、論理的な考え方でして、AならBとか、AはBとCに分けられるとか、そういうふうにですね、いわゆるロジック、論理で考えるというようなものです。
それがですね、今回は相対的に、今回の説明としてはですね、垂直で掘り下げていく、もしくは上げていくということで、物事を深掘りするイメージがロジカルシンキング、もしくは具体的なものを抽象的に上げていくというのが、もしかしたらロジカルシンキングかもしれないです。
ただね、このあたり、抽象化と具体化については両方混じっているのもあるので、いい説明ではないですよね。
少なくとも、今目の前にあるものから想像していくということの時に、今ある情報やデータから導いていく、分析するみたいなのが割とロジカルという感じですね。
このラテラルという水平思考というのは、そういうのもあるんだけど、全然違うところから組み合わせるということですね。
だから一概に絶対そうとは言えないんですが、企画とかアイデアとか発想みたいな部分を創作とかもそうですが、どっちかというとロジカルもあるんだけど、ラテラルもある。
僕、このシゴクリラジオで言っているアイデア出しが半分しかロジカルで説明できないというのは、このまま適用できるんじゃないかと思っていまして、半分ラテラルじゃないかなと。
ご対応じゃないかもしれないですけど、少なくとも何か問題を解決したいです、もしくは現状を変えたいです、もしくはどうしていったらいいかの方針を決めたいですというときに、
ロジカルで出てくるものもあれば、それが良い悪いとか、良いとか悪いとかということじゃなくて、ラテラルが良い絶対良いわけでもないですから、良い悪いというのもあって、
両方が必要なんだろうなあということを思います。5対5というわけじゃなくて、両方必要だぐらいですかね。両方とも大事という感じです。
読んでいた本だと、著者が書いていたというか伝えたいなと思っているのは、僕は思っているんですけど、
いわゆる著者の意図を僕なりに解釈すると、ロジカルに寄りすぎじゃないかと。何て寄りすぎというよりも、ちょっと考えてみると、
四国居ラジオでもよく言っていると思うんですが、ロジカルに考えたいんじゃなくて、ロジカルシンキングというのがいっぱいあって出回ってしまって、
アイデア発想とかラテラルシンキングとかもそうなんですけど、違うものを対抗場として当てていった時に、
ロジカルシンキングって聞いたことがあるし、そうやってやればいいよねって。その正解みたいな、みんなやっているみたいなやつになりませんか。
みんなやっていたから、それがうまくいくかというと、また別じゃないですか。
なんていうんだろうな、結局、社会の繁栄なんかわかりませんが、新しいことをどんどんやるぞということで、ラテラルだみたいな風にはなっていないし、多分ならないと思うんですよね。
それは思考法の問題というか、思考が普及するかというのは、単に一人一人の受け感というか、一人一人がどう思うかということなんで、
例えば僕がラテラルシンキングがいいなというか、そうそう、そんな感じだよねって思ったんですが、前は別にそこまで思わずに、
流行りのなんちゃら思考法かなぐらいの、ビジネス書のタイトルのつりみたいなもので、深い意味ないよねっていう、あっさい内容じゃんみたいなことを思ってたんですけど、
それは浅さはもちろんあるけども、キャッチーなものとして浅さはあるんだけど、やってみたり考えたりすると、なかなかいい線いってんじゃんみたいなことを思う。
偉そうな言い方に聞こえたら申し訳ないですけど、でもそういうふうに思ったわけですよね。いいじゃんっていうね。
っていうことはどういうことかというと、世の中的にはすごい浅くて、なんちゃら思考法、なんちゃら発想法でいいよね、発想法ぐらいの一つのやり方、
フォワットというか具体的なやり方の一つでしかなくて、そこに僕が言っている違和感発想というのを並べちゃうのもどうかと思うんですが、
そんなぐらい、誰かの発想の考え方ぐらいしか思われていないんじゃないかなというふうに思ったという話ですね。
ロジカルシンキングと対立ではないんだけど、対立として考えられるんだけど、別にどちらでもいいし、両方大事ですよ。
無駄の価値
ただ世の中的にはロジカルによってないですかみたいな。ロジカルでやっていると、何度も言っていますが、全員ロジカルにはできるし、
同じようになるんで、精度は上がるかもしれないです。ただ、面白くはないですよねというのが僕の主張ですかね。
みんなできるようになるし、同じような考え方になるんだけど、みんな同じですよねということで、面白くないですよねという。
チスコかもしれないですけど、面白さはロジカルにはないかなと。
じゃあラテラルでいいのかという話はもちろんなくて、みんな違ってみんないいみたいになっていくと、乱れますよね、まとまらないですよねみたいな。
再現性という意味では同じものを作るという再現性じゃなくて、仕組みとして、料理の仕方みたいなのがあって、準備して調理して食べるみたいなのがあるじゃないですか。
この論理的なものは再現できるじゃないですかという意味ではすごくロジカルなんですよね。
だけど、出てくるものが毎回違います。同じものを出したいという人は、それは再現性がないというわけですね。
つまり再現性もどういうものを期待しているかに寄ってきてしまうので、そういうところもあって、どちらがいいということはないということですね。
だったらラテラルという話題でしょうねという話になります。
思ったんですけど、いくつか言われていることとかはかなり被るというか、僕も言っているようなことでもありますし、気になる方はぜひ読んで簡単にチェックしていただければいいと思うんですが、
リンクは概要欄に貼っておきますが、その中でやっぱりですね、無駄ですね。大いなる無駄。
ここがですね、まずロジカルシンキングとかで効率、ロジカルだけではないんですけど、ちょっと違うと思うんですが、
ただ効率とか能率とか、無駄を嫌うとか、コスパタイパーとか、コストパフォーマンス、タイムパフォーマンスと言われていますが、
様々な、1時間かかることは少しでも短くした方がいいし、30分、もしくは1分で終わらせた方がいいみたいな、世界。
これはもう、最近AIの話してないですか?しますか?
AIでも一緒で何度も言っていますが、AIによって効率化された時間が、何に使うんですか?問題というのが現に出ているはずなんですが、
何かあんまり聞こえてこない。何でかというと、個人とか組織とかの自由であって、それを示す必要がないわけですよね。
多分示したところで、その人はそういうのでいいんだなということになる。
例えば釣りの話、釣りの話なんかしつこいかもしれないですけど、釣りが趣味の方がいて、
1日8時間働かなきゃいけないのが、実は1時間で終わっちゃう。8分の1。
つまり、残り7時間は遊んでていい。仕事が1時間で終わりました。7時間遊んでいい。
じゃあ釣りやろうと言って、釣りやってます。話としてはそれだけなんですけど、
その時に浮いた7時間を釣りに費やすのが正しいかどうかってわかんないじゃないですか。
言っていることが伝わってます。
極論ではないんですけど、結局その人の人生の意味なんてないと僕は考えているので、
その人は釣りが楽しいから釣りをやりたいのだということで、
釣りなんかしちゃダメだよとか、釣りなんてしちゃダメだよとか言われたら大きなお世話じゃないですか。
リスナーのあなたもぜひ考えていただきたいんですけど、
自分のやろうと大事にしていることを、そうやって懸案されたら腹立ちませんかって思うんですけど、
なんでそういうふうに余計なお世話だよね、いらんお世話だよねってなって話が終わるんですよね。
ミハイル・エンデの影響
というか言う意味もないですけどね。
いいえってことじゃなくて。
なんでそれで幸せですかっていうか、いいじゃないですかってことになって話が終わるはずなんですが、
なぜか効率的なものって越境してくるわけですよね。
なんで7時間浮いたのにもっと仕事やりなさいよみたいなね。
わかります?いいじゃん。
この辺りはあれですよね。
ミハイル・エンデのモモですか。
自眼泥棒。
確か灰色の男たちというのが象徴的に描かれていると思いますが、
あれなんでだろうなと思ったんですけど、
最後の方はちょっと覚えてないんで気になる方は読んでくださいってことですが、
僕も忘れましたけど、物語で僕もちゃんと覚えてないんですけど、
途中からミハイル・エンデのモモという小説があるんですが、
なんていうんだろう。
自分はいいと思ってない。最初はね。
だから最初に住んでいるとか、あんまりネタバレにはならないくらい程度です。
登場人物の人たちとか、床屋さんとかいたかな。多分いたと思うんですけど、
自分はお客さんに満足してもらえばいいし、それでいいふうにやっていけばいいと。
でも、新しいシステム。
床屋の、例えば髪を洗う洗面台とかあるじゃないですか。
全自動で倒れたりとか。
そういう周りの物ってお金をどんどん付け入れられるじゃないですか。
別にトリートメントでもいいし、なんでもいいですけど。
床屋さんとか美容院とかがあった時に、そういうシステムを入れますと。
そうすると何が起きるかというと、時間を短くできます。
前のものは時間がかかってしょうがないくらいですか。
その間にお客さんと話をして、待たせるみたいなふうになってたと。
もしくはパラマに2時間かかるけど、30分で終わると。
1時間半浮きませんか。そうすると次のお客さんも入れて、あなたはハッピーですよみたいなのが、
最初はまやかしだと思うんだよねっていう話です。
だけど、自分はやりたくなかったんだけど、周りの人がやっていたり、他の人がやってるからやらなきゃいけないのかな。
確かにその通りで、2時間で終わるものが30分で終われば、1時間半はボケとしそうじゃないですか。
だけど、違っているとまた30分で終わる。
今まで2時間でパラマで1人のお客さんでよかったのに、30分ずつで4人いるから忙しくて疲れちゃうんですよね。
無駄の認識
じゃあ売り上げ上がるからいいやっていう感覚の人もしかしたらいるかもしれないですけど、
いや、あると思います。売り上げが上がると思います。
ただ、疲れますよね。自分も稼働しなきゃいけない。
これはまさにAIと全く一緒で、疲れるんですよね。
このあたりね、僕も使ってる人とか気づき始めてると思うんですけど、あれ疲れるなみたいな。
じゃあ疲れたからどうするの?ってなってくるんですよね。
どうなると思います?疲れた。休みませんか。
あと、反乱とは言わないですけど、そういうやり方は嫌だよね。
そんな別にシステムとか便利なものを入れずに、便利なパーマシステムとか入れずに、
2時間でいいじゃんっていうふうに貫き抜ける人って、
多分哲学とか、自分がこうだよねって言わないと、
なんとなく周りとは嫌だからっていうね、周りと一緒が嫌だからみたいなのもあれば、
自分はこうですっていうふうにあるんだけど、結構大変だと思います。
それがですね、社会の圧といえば圧だし、流れといえば流れなんですけど、
それをダメだよねっていうのもあるし、いいよねっていうのもあるので、
別にいいと思った人がいいとか、ダメと思った人がダメっていうのはないんですけど、
なんとなく気づいたら、どんどん効率よくやるっていう風になっていったっていう風にしているのが、
すごく上手いなって感じるわけですね。
わかります?しれっとやるっていうね。しれっと効率化がいいよねっていう風にしていく。
はい。
でもそれ極端な話だと、ソクラテスっていう哲学者の人が言っていたのが、
紙に書くと文字にするというのは消しからんって言ってたわけですね。
それは自分が喋りたいとかそういうことじゃなくて、それもあるかもしれないですけど、
書くことでそれが違った意図で書いた人ですね。
今までは書いたものがなかったら、書き言葉とか文字がなかったらそうじゃないですか。
でも話す言葉しかなかったら、それはその人に聞いて話すことで伝わるし深まっていくっていうことですね。
っていう意味では確かに。
だから本ってありますが、書き言葉が基本じゃないですか。
別に書き言葉じゃないものもありますね。オーディオブックもあるんですが、
例えば僕が書いた文章も誤解してそういうふうに読まれるんだっていうのもあるわけですね。しょうがない。
ただそれって、さっきのソクラテス的に言うと、書くから悪いんだってことがあるわけですね。
勝手にできてしまう。理解とか解釈できてしまうっていうのがある。
もちろんそれは正しいというか、ほぼほぼ意図通り使うこともありますから、全然違う読み方もできますしね。
そこが面白さと怖さが両方ありますね。
だから別に本があればいいとかダメとかそういうわけじゃないですけど、
そういうふうに意図と違ったやり方とか、ある種どこまで行っても、
なぜソクラテスの話をしたかというと、結局AIもどう使うかだけなので、
どちらかというと問われるような気がします。問われてるってことだと思います。
つまり効率化能率化するってことがいいよねっていうのは、全然否定しないですよね。
例えば逆で1時間終わることを8時間ダラダラやりたくないじゃないですか。
市場のリフレーミング
で、その8時間かけていいですよっていうのが、多分それは余裕だと思うんですけど、
あれば別にそれでね。それで1時間のものを8時間でやるっていうだけなんですよね。
だけなんですが、そうはさせないというか、ここでしれっとと言っているのが結局ITもそうですよね。
インターネットもそうでしたし、スマートフォンもそうでしたしってことになってきて、
今まさにAI時代となっていくんですが、結局他の人がAIを使っているから、
使わざるを得ないみたいになってきて、使ってもっといろいろできるよねってなっていくと。
だから、これもよく言われがちですけど、見落とされるのは、自分だけがAIを使えるわけじゃなくて、
他の人も使えるわけですね。ロジカルシンキングじゃないけど、みんな使えるようになるから、
あとはその微妙な差異みたいなのがあって、普段考えていたり伝えることが上手かったり、
指示ができるっていう人が多分優位なんだろうなというふうに思います。
だけどそれも優位性も、どんどんプロンプット動画が開発されていったり、やり方がどんどん変わっていくと、
全然変わってくるとは思います。ただ、結局どこまで行っても、どう使うかっていうことが変わらないので、
無批判というか、ただただダメですよねっていうのはよろしくないというのは柔軟ではないかなというふうに僕は思っています。
話を戻しましょう。ラテラルシンキングという水平思考というところで言っていたのが、
言っていたというか、書かれていたのもあったんですけど、無駄とか大事だなという話です。
つまり、ロジカルに詰めていったときに、今の話はちょっと長いんですが、効率という意味ではなさそうだということ。
これは何度も言っていますが、何か新しいことをやるというときに、
これは行けそうだという直感みたいなのがあると思うんですけど、
そんなんでいいんですよね。わかります?
これはこういう情報やデータがあるから行けますというふうに言うほうがかっこいいしロジカルなんですけど、
そんなんないんですよね。で、わかったけど、でっていう。
市場が10億円ありますとか、10億人の人がいますとか、だいぶ違いますけど、
そういう大きなデータとか根拠があったときに、最近だと聞いたのが、
推し活という、自分が趣味、興味、何でもいいんですよね。
ものから消費が流される推し活市場みたいなのがある。
それは好調ですとか言うんですけど、市場側を切り直しただけであって、
ある種リフレーミングというやつで、捉え直しただけであって、
特に本質としてそういう市場が生まれて何かというわけではないわけです。
ただこの市場の切り方もアイデア次第だから、
別にそれを推し活市場はないとか言うわけじゃないんですけど、
推し活市場というものが純粋にあって、それをみんながんばって消費してやろうというのではなくて、
そもそも景気が良くないという状況の中で、
わざわざ景気が良いかどうかわからないですけど、
生活必需品とかそうじゃないエンタメみたいなものに対して、
お金って使いますかって話になってくるんですよね。
どんどんお金は使わなくなってくるはずなんですね、そういう時にね。
思うんですけど、アニメとか漫画とかいろんなものがありますが、
そういうものに対しての需要が増すかというと、
それはある種の現実逃避でもあって、むしろそれは余裕があるからできたりするわけじゃないですか。
もちろん本当かどうかわかりませんが、
結局自分のお金を使ってはいけないものというのを、
生活資金を投資に使うみたいな感覚で、
使ってはいけない金額を使っていたりして、
それで支えられているというのはちょっとヘビーすぎませんか。
だからお金をいただくとか使ってもらわないといけないんだけど、
そのお金というのがどういう種類のものかまでわからないじゃないですか。
そこがお金の怖さもあり面白さもあるっていうね。
アイデアの創造
これはまた別のフレーズで言ってますけど。
でもそんなものはあるかなと思います。
だから無駄ですね。
無駄というところでいくと、
で、押し勝ち市場という話をしてましたけど、
押し勝ち市場自体がどうか置いておいて、
自分の中にとって無駄みたいなものがある程度なかったりしないと、
いいものというと怒られますが、
ラテラルに考える材料がないというのが正確なとこかもしれませんね。
なので、これは有効ですよ、これはためになりますよというもの自体がロジカルなんです。
伝わりますか。
じゃあ全くくだらなくて意味がないものをやり続けろという風に思われるかもしれないんですけど、
ある種そうですね。
ある種そうで、むしろそうしないと、
よくある悩み、上位、3位ぐらい入ってくるような気がするんですけど、
何やっていいか分からないってないですか。
実はあなた、この番組を聞いている人はそういうのないかもしれませんが、
何やっていいか分からなくてないです。
分かるんですよ。そういう状況は分かるんですよ。
何やっていいか分からないという時って、
本当に何やっていいか分からないんですという人って、
まああんまりいないんですよ、多分。
なんでかというと、たぶんそれはアイディアと一緒なんですけど、
いいアイディア狙いすぎてるんですよね、一つは。
いいアイディア狙いすぎてて、アイディアはあるんだけど、
それは自分が認めるようなレベルじゃないから、
何て言うのかな。
答え持ってるけどとか、考え持ってるんだけど、
考えてないんですけどっていう風に言う人いないですか。
それは分かるんですよ、言っても。
恥ずかしいのはありますよね。
自分が言った答えとか持ってるものが否定されたら嫌だから、
言わないっていう人いるじゃないですか。
まあいいんだけど、別に否定しないしって言うんだけど、
でも相手からすると否定された覚悟とかトラウマレベルのものがあると、
自分の考えを述べるって大変じゃないですか。
でもそんなもんだと思ってて、
そこに慣れてる人って別にこういう風に考えてるけど、
別に認められなくてもいいですよっていう、
別にあなたの賛同を得たいがために言ってるわけじゃないですよとか、
あまりやりすぎてこじらせてしまうとまたこれも問題だなと思うんですけど、
そういう意味で自分がやりたいことってあるんですよ。
あるんだけど、いいやりたい何か、
要は綺麗な何かみたいなものを求めすぎてるから、
ないって言うんじゃなくて、
あるんだけど自分の中で否定しちゃってるって感じですよね。
だから大きいかな。
なんでかっていうと、
多いあるいは無駄っていう話で、
無駄でもなんでもいいんで、別にやればよくて、
最初から、これは何度も言ってるんですが、
最初から綺麗なアイデアが生まれるわけじゃなくて、
何かやってって見つかるってことなんで、
あと紐付けです。まさにラテラルで、
紐付ければいいわけなんですよね。
タオルやってる人が、
全然関係ないけど、
タオルを作り始めたみたいな。
タオルです。
手芸というよりもタオルです。
でもタオルやってったら、
つるつる使うなーみたいな気づいたりとか、
いくらでも紐付けられるんですよね。
タオルメーカーとかをめぐると、
一緒に釣りもしようみたいなね。
結びつけちゃえばいいというか、勝手にね。
それを世の中に対して有用だとか、
無駄の価値
人のために役立てるよって、
もちろんそれを考えたってことじゃなくて、
いきなり全部フルフルにセットで込みにして、
素晴らしい行動を見つけて、
それをやればいいんだっていうふうに、
思いすぎてる人ですね。
思うことはいいんですよね。
思ってもいいし、もちろん考えてもいい。
思いすぎることで、考えすぎることで、
行動をせずにそれがこじらせてしまって、
自分はやれないことないんですよっていう方が、
そんなにたくさんいると思ってないですけどね。
世の中はわかんないです。
もしそういうふうな感覚があるのであれば、
釣りの興味の人がタオルを作るとか、
誰かに言われたときに、
興味ないからやらないですっていうのも、
もちろん全然ありなんですけど、
たまにはやってみるってくらいです。
あまりそこで、
人に言われたことをやりますっていうことに、
ここの伝え方が非常に難しいんですけど、
自分が興味ないことを他の人が言ってきたから
やりますってことであると、
今度は自分がなくなります。
他の人が言われたことだけしかやらなくなるから、
それまた大げさなんですよね。
このバランスが非常に難しくて、
伝え方としてはそういうふうになりますが、
そのときにまさに大いなる無駄である
タオル作りっていうね、
タオル作りをしてる人を怪我してるわけじゃなくて、
釣りを市民の人にとって、
タオル作りって全然興味なかったんだけど、
やってみたらそれが良かったっていう。
要は、わからないってことですね。
まさに興味があるなしっていうのがよくわからなくて、
しかもそれが役立つかどうかっていうのが、
正直わからないっていうのが、
興味と学び
このラテラルじゃないけど、
考え方ってものがあると思います。
だから、
ペンもずっとありますけど、
ペンの話になりますが、
文房具が好きみたいなのがあったときに、
文房具好きなんだよねって、
ボールペンなんか集めちゃうんだよねみたいな、
いろんな色ねって言って、
特に橙色ってあんまりないから、
見たら買っちゃうみたいな人がいたときに、
その橙色のボールペン、
オレンジ色のボールペンを、
効率的に集める方法とかっていうのは、
やってもいいですけど、
そういうのじゃないんだよねって言うんだったら、
そういうのじゃないから、
その人のペースで集めたり聞いたりすれば、
いいじゃないですか。
っていうときに、
それが自分のやりたい仕事とか、
釣りとか趣味に対して、
プラスになるか分からないじゃないですか。
だけどやってみましょうね。
やっていって、
もしかして文房具っていうのが、
それこそ釣りなんで、
釣りをしているときにメモすると、
よく濡れるんだけど、
その濡れても大丈夫なボールペンとか、
オレンジ色橙色っていうのが、
実は、
分かりやすい何かとか、
日焼けを防止するとか、
そんなんこじつけですよ。
こじつけですけど、
その後から、
何年後か分かりませんが、
何十年後か分かりませんが、
役立つかもしれないですね。
だから、この無駄みたいな発想というか考え方は、
非常にですね、
相性悪いと思いませんか?
今の、
釣りって言っている時代の感覚と、
めちゃくちゃ相性悪くないですか?
もう一度言っておくと、
役に立つか分からないものを、
興味でやって、
しかもそれは今、
ほとんど役に立ちませんが、
後から役に立つかもしれません。
どうですか?
めちゃくちゃ相性悪いなって、
僕も話していながら思ったんですよ。
ということで、
マリセラーのあなたがどこまで、
無駄なことをやろうと思ったかは、
分かりませんが、
思わないんじゃないかなと思うんですけど、
だからやらないんじゃないかなと思います。
だから、
見方ですよね。
見方というのは、
短期的に見るか、
すぐ収穫したいかというのと、
ある程度後で収穫するかというのが見方で、
やっぱり短期的か中長期的かということで、
ロジカルはやっぱり短期な感じがしますし、
じゃあ、
中期経営計画、
5年のロジカルって成立するかというと、
まあ、だいぶね、
ステップバイステップでできるか、
本当によく分からなくて、
多分しんどいんじゃないかなと思います。
授業の経営計画とかは、
そういうのを立ててもいいですけど、
面白くはなさそうだなと、
それだけで聞いてもね、
僕はね。
お勧めしないのが、
実勢計画をロジックで立てて、
ここのまでにはこれやるみたいなやつですね。
あんまりお勧めできないです。
いいんだけど、
結局今考えた20年後って、
全然違ってたりするんで、
その時に、
計画という意味で、
修正できる人はそれでまたさらに修正すればいいし、
毎年アップデートしていったら、
それはいいんですけど、
そういうのってアップデートしないじゃないですか。
10年単位でわからないじゃないですか。
だから、別に、
長期の計画を立てるのは、
もちろんないんですが、
面白くはないんじゃないかなという、
僕なりの感覚ですよ。
面白くはないんじゃないかなと思います。
だったら、今は面白そうなことを、
それが無駄であってもやるという方向に、
振りたい。
僕の感覚ですよ。
振ったほうがいいんじゃないかなと思います。
それが結局巡り巡って、
後でその面白さの部分に直結したり、
楽しい。
少なくとも、
自分が楽しいと思えるという感覚を、
大事にしたい。
大事にそれをしたので、
楽しいなと思うはずです。
でも、
それを今、
僕も思ったんですけど、
そこまで楽しいとか、
面白いのを取らないんじゃないかな、
という説ですね。
世の中的にですね。
僕がそう言っているだけで、
世の中的に他の人って、
そこまで楽しい方向に
振らないんじゃないかなと思います。
なんでかというと、
結局、
タイパー、コスパー、
もしくは、
周りの評価、
成功みたいなものがあって、
もしくは、
そういうことを目指しているわけじゃないんだけど、
何て言うんだろうな、
不利をするってやつですよ。
他人から認められたいとかはないんだけど、
そういうふうに自分は、
意識を高くして、
やるっていう、
不利ですよね。演技。
役者ですよ。
そういう不利をしていないと、
生きていけないみたいなのがある。
もしくは、それができないから、
全然違うことをやる、
ということもありますが、
そういうふうに演じて、
それこそ同調するということですが、
方もかなりいらっしゃるんじゃないかな、
ということですね。
その同調と、
自分があるない、
自分がなさそうだ、
自分がこういうことをやりたいのがないというのは、
かなり根っこでは通じているところだと思うので、
別にカウンセリングとかはできないんですが、
結局、
自分が面白いと思ったこととかを、
誰かが無駄だとか、
そんなことは無視して、
自分が面白いと思ったことをやる、
という方向にしか、
最終的にはならないし、
このラジオもずっとそれを言ってきている気がします。
だから、それができている人は、
このラジオは多分聞いていない。
できている人は聞いていない。
違うんだ、分かんない。
分かんないです。
どんな方は別に聞いてもいいんですけど、
自由ですから、解釈は。
ただ、結局言いたいのは、
仕事というと、
誰かのために役立つということは言っていますが、
これも2つで説明できますよね。
だから、
自分がやりたいことを自己実現でやるというのは、
全然いいし、
それを多分否定される方はいらっしゃらないと思います。
だけど、多くの人は、
いや、そんなの分からないよというのが、
今の話としてあります。
それは、ロジカルで出せないです。
ラテラルです。
視点の重要性
ということで、要は大いなる無駄をやりましょう。
ラテラルシンギングというのは、
無駄なことをやれということではないんですけどね。
材料としては、
他の、水平的に考えるには、
他の視点が必要なんですよ。
でも、他の視点というのは、
ロジカルで得られるかというと、
ロジカルだけで得られるかというと、
結構厳しくて、
例えば、自分が釣り業界にいますというときに、
釣り業界以外のことだったら、
ぶっちゃけ何でもいいわけですね。
漫画業界でもいいし、
美術とかでもいいし、
さっき言った文房具でもいいし、
他のエンタメでもいいし、
出版とかね、
紙とか、
IT業界でもいいし、
何でもいいじゃないですか。
でも、それって、
リスナーのあたりにも問いかけたいんですけど、
あなたが釣り業界で、
釣り具業界で、
釣り業界の人で釣りの仕事をしていて、
釣りのメーカーでもいいですけどね、
そのときに、
他の業界を学ぼうって思います?
というのがまず一つです。
レクルート等が出している、
社会人の人が学んでいるか?
みたいなことをやっているんですけど、
5割くらい何もやっていない人が多いですよね。
何もやっていないというのは、
生活プライベートじゃなくて、
OJという仕事の中ででもそうですけど、
業務をやっている俺ですよ、
みたいなところで、
業務もやっている中で身につくものもあるんだけど、
何かあんまりみたいな。
半分って結構大きくないですか。
半分も学んでいるのではなくて、
半分しか学んでいないというか。
学びを普段やっているというか、
衝撃的なデータで、
世の中が戦慄するんじゃないかと、
思っているんですけど、
そうもなっていない。
学びの多様性
だから学びの定義も違う。
わかります?
例えばこのポッドキャストを聞いたから、
学んでいますという人は、
多分あんまりいないと思っていて、
だけど、
学びってそんなもんかな。
無駄なことというか、
全然違うことを
入っていくようなことを
あるわけなんで、
まさに今言っていた
無駄をやろうということなんですけど、
今なってくると。
だからあなたが釣り業界なので、
釣り業界以外のところで学ぼうとしますか、
見ますかということが
まず一つありますよね。
5割ぐらいではやらないということですよ、多分。
さらに、
IT業界だというときに、
IT業界勉強会みたいに
行きます?なかなか行かないですよね。
だから、
学び方というか、
他の情報の入れ方とか、
誰と話すとか、
何を取りに行くとか、
結局情報だとか、
学び方になっちゃうんですよね。
ときに、
興味があるものしかやりませんとなると、
狭いので、
業界の人だから釣りのものを
業界のほうで高めようとするのは、
割と当たり前だけども、
それはロジカルということですね。
他の業界のことについて知っていこうとすると、
全然違ってくるわけですよ。
でもそこに、はたっと気づくのが、
どうやってそれをインプットしたり、
何かできればいいかとなるときに、
まさに大いなる無駄。
ってことで、文房具とか好きだから、
別に文房具業界に詳しくなりたいわけじゃないんだけど、
文房具はこうですよ、
今いろいろ流行りありますよ、
とかって言っていたり、
知っている人は、
別にそのために勉強したり学んでいたわけじゃないんだけど、
他の業界の知識とか、
経験とか体験というか、
生きてくるわけですよ。
これは軽んじる人はいるんですが、
めちゃくちゃ大事で、
それがなければ、
何もできない。
本当に何もできない。
釣り業界以外のことは知らない。
もしくは釣り業界以外のことも、
どこから切り崩してていいかわからない。
これやったら、
仕事につながりますか?
自分にとってメリットはありますか?
なんて聞いちゃう。
それは当たり前ですけど、
わかんないです。
ということなんです。
わかりません。
やったらいいじゃないですか。
本当でもそんなことです。
不安だから聞いてください、
というのもあると思いますが、
不安だから聞いてくださいというか、
その不安って、
消えないというか、
ずっと別に残りますよ。
それは別に不安はないですというわけではなくて、
自分がもし釣り業界にいて、
文房具をいじって遊んでいた時に、
不安ですか?と言われた時に、
不安とかそういうことを言われても、
わかんないじゃないですか。
わかんないを楽しんでいる人って、
不安の要素はかなり低いと思います。
その辺りですかね。
わかんないを楽しめるかどうか。
ラテラル思考の価値
だから、
また出てくるのが、
面白いかどうかってなってくるわけですね。
自分の中で面白いものを増やしていったら、
何でも面白くなるんで、
何でも繋げられるわけです。
ポジティブに言えば。
ラテラルってそんな感じで、
何でも繋げられる。
繋げられますということですね。
ロジカルってきれいな論理だとしたら、
ラテラルって汚い論理というか、
ごちゃごちゃな論理で、
この気候がもしかしたら、
カチカチやっているものが、
ツリーグに使えられるかもしれないし、
若い人に向けているような、
音楽の流行りが、
実は、
ツリーの新しいエンタメに繋がっていくかもしれませんよね。
というようなことが、
一瞬でも思える、
もしくは思えるための材料がある、
材料が近いですよね。
思うとか想像する何か前に、
まず体験として、
経験としてなければできないから、
そこが必要だよね、ということで、
僕はこのラテラル審議がいいなと思いました。
再度言うと、
全然時代には合わないというか、
マッチしないんですよ。
何でかというと、
無駄を推奨するような考え方でもあるからですね。
もちろんラテラル自体が全部そうではないんだけど、
思想の軸としては、
全然無駄なことをやっていって、
縦じゃなくて水平の方向に掘りましょう、
ってなった時に、
水平って多分人って掘れないと思って、
自分のやっている、
普段やっていることを延長させようとする、
拡張させようとするんですよ、
僕もですよ。
でも世の中って、
当たり前ですけど、
そうじゃないところで生きている人がいっぱいいて、
自分が想像できない仕事の人もいっぱいいるし、
自分が想像できないぐらい働いていたり、
もしくは想像できないぐらい働いていなかったり、
それは稼ぎとか稼ぎじゃないのもあるし、
時間もあるし、
興味の幅もそうじゃないですか、
それって、
その人と出会って、
そういう人がいるよね、
気づけないと、
狭いですよね。
僕はその狭さが結構怖いので、
だからといって別に、
情報に追われるように浴びていたらダメですけど、
っていうところで、
多分出てくるのが、
こういう、
よくわからないポッドキャスト、
よくわからないポッドキャストって言ったら怒られますが、
聞いている方にね、
よくわからないポッドキャストをやっていると思っているんですけど、
一応仕事とかビジネスとかアイディアとかをテーマに、
僕なりの考え方を述べたり、
最近では、
ニュースですね、アイディア。
ニュースというか、
僕自身が何か接種しているので、
そういうのが出ているという風に、
理解していただいた方がいいんですけど、
そういうのを接種して、
こういう風に考えているよ、
という風に言っていますが、
本当にですね、今回だったらね、
そういう本を読んで思ったことを言っていますけど、
本当にこの相性が悪いな、
という風に思っています。
だから解決策という風に、
これは絶対ロジカルって考える人は、
思ってくれないんですが、
解決策はシンプルで、
自分が面白いと思ったことを、
つまりあなたが面白いと思ったことをやることで、
あなたがまさに、
ラテラルに考えられる材料を得ることができるわけですね。
既存の枠を超える
ロジカルからの脱出ですね。
ロジカルが強すぎる人は、
お勧めします。
あと、鬱病とか、
精神的に、
心理的に患うものもありますが、
これですね、
何が問題かというと、
戻さしとかルールが一つになっていて、
ここではこうならないといけないんですよね、
というのは、
組織とか集団とかコミュニティとしては、
正しい姿だと思うんです。
ここではこうしてください。
そういうのばっかりで、
きついんですよ。
だから、一個のコミュニティで、
一個の同じルールだと、
それが世界の当たり前になるんですけど、
そんなわけないじゃないですか、
というのがあるかどうか。
もし、実際のあなたの中で、
世の中って一つのルールとか、
こういうルールで決まっているんじゃないですか、
と思われているのであれば、
言い方が悪いんですけど、
狭いところに落ちるという可能性があって、
それは何でかというと、
世界の全てが、
その一つのルールで決まっているということは、
ないです。
そのふうに思わされている可能性があるし、
もしくはそこに所属しているというところが、
あまりにも比率が高いから、
そう思ってしまっているだけという、
異常的な反応のような気がします。
だから、別にマウントを取って、
私は広い、
あなたは狭いですよね、
ダメですよね、
そういうことを言ったわけではなくて、
そういう時にまさに、
打つというか、
自分はもう脱出して、
他のところにないんだ、
ここで何とかしないといけないんだと思うことが、
排水の陣じゃないけど、
そこで力を発揮するというケースもありますが、
どうなんでしょうね、
多くは発揮せずに、
病気とか違うものを発症して、
ダメだ、向いていないなと言って、
辞めていったりとか、
もしくは病気が発症して、
疲れて病んでしまう、
病んでしまうという言い方が軽いんですけど、
めちゃくちゃ重いので、
病む必要はないわけですよね。
そこであってないだけなので、
他のところでやったほうがいいです。
この見極めも難しいわけですよね。
会社に入って、
退職代行等も、
だいぶ言われてきていますが、
1日で辞めたとか、
1ヶ月で辞めたということが、
まだまだインパクトがあるじゃないですか。
それはまだまだ、
社会的に3年とか、
いっぱいやるということが普通だと、
思われているし、
そういうものだというふうに、
もしかしたら思われている方もいらっしゃるし、
そういうものだと何か擦り込みみたいなのがあるけど、
向いていないところで、
ずっと言ってなんかやる必要はないですからね。
ただ、
向いていないところの分析とかやっぱりしたいから、
ロジカルでやっぱり考えたいから、
ロジカル思考が、
ダメとかっていうわけじゃないですよ。
寄りすぎるなってことですね。
逆にラテラルに寄りすぎるのもどうかと思いますよ。
全然ルール守んないとかね。
ここは難しいですよね。
だから、ないです。正解はないです。
正解はないっていうことも、
ラテラル的だなと思います。
ロジカルはもしかしたら、
こう考えていったら、
たどり着く世界は一緒かもしれない、
っていうのがあるから、
もしかしたら安心する人がいるかもしれないですね。
それはわからんでもないです。
ここは僕もわかってないです。
無駄の重要性
自分の中で、
シンプルに他の人と一緒のことをやるって、
なんかあんまり好きじゃないって
いうのもありますから、
そこはバイアスとしてね、
こんな人いないと思いますけど、
僕を真似したいとか、
僕のように生きたいとかね、
そういうのはやめてくださいというか、
参考にもならないと思います。
だから、
僕はそう思ったっていうだけで、
そういう見方もあるんだな、
そういう風に考えるならぐらいの感覚で
捉えておいてもらうのが一番いいかなと思います。
そんな真似しようとかっていないと思いますけど、
そうやってですね、
考えていって、
テーマとしては今回、
ラタルシンキングって面白かったって話で、
そのためには、
考えるためには無駄が必要だよねって話です。
無駄って言うとちょっと印象悪いじゃないですか。
世の中に役に立たないことをやってるみたいな感じで、
例えばここにラムネがあるんですけど、
ラムネってずっとあんの?
ラムネ、
全然危険だけど大丈夫ですけど、
ラムネがあって、
これ今開封って密封できるチャックが付いてるじゃないですか。
これを開いて、
閉じてみたいなことを
ずっとやってたら確かに無駄じゃないですか。
そういうのやれってことじゃないですか。
そこはちょっと言っておきたいです。
今、自分がこれをやって
絶対役立つなとか
っていうものばかりではないよ
っていうニュアンスです。
自分に役立つなってこともやってくださいね。
そこは言っておかないと、
この人は無駄なことやるから
じゃあ今からペン回し一万回やろう。
もちろん一万回やったら一万回やったら
それはすごいですけど。
こと言ってるわけじゃないですからね。
自分が有益だなと思って、
ロジカルで有益だなと思ったことを
やっていただいてもいいですが、
そればかりでは堅苦しくないでしょうか。
であればこそまさに
なんかよくわかんないけど
やってみようかなってことで
ペン回し
一万回はやらなくていいですけど
10回くらいやってもらっていいですか。
なんか感じられます?
いや感じないです。
じゃあやりますか。
でもいいし、もしかしたら
このペン回しすると
マインドフルネスだ、瞑想だなって
30回くらいできるかもしれないなって。
マインドフルネスとペン回しみたいなので
新しい切り口出てきたぞみたいな。
だったら面白くないですか。
っていうふうなところで
違うことをやってみるっていうことを
超絶おすすめしますし、
普段会ってない人に会ってみるって
ちょっと頭を刺激してもらうね。
バンネリ化してたら刺激してもらうのもいいですし、
無駄というよりも
なんだろうな
でもその言葉がなかなかないんですよ。
こちらの言い訳としてね。
なんて言ったらいいんだろうな。
ニュートラルな
自分がそこまで
前止めにならないことでも
あえてやってみるぐらいですか。
でもなんかちょっと弱くないですか。
だから無駄って言ってるのは
ロジカルシンギング的な
有益じゃないってぐらいですかね。
ラテラル的には好物です。
好物ですよ。
そういうのやってって。
なんだろうなっていう。
そうです。
ポッドキャスもそれはあるかなと思います。
自分がそこまで気にしてなかったりするんだけど
そういう考え方あったりするんだとか
そういう人いるんだっていう。
特に最近推してるのは
僕の中で
誰かと話してるのが一番いいかもしれない。
だからこのラジオ聞きにくいかもしれない。
もしかしたら。
僕で喋ってますからね。
誰かが喋ってる方が
いいかもしれない。
ただ
物によるのかな。
一人で喋っても別にね。
結局僕一人で喋ってますけど
話題は結局他の人から
他の人の話とか
もしくはインプットしたものから
ベースで話してるんで
結局一緒じゃんっていう
このロジカルじゃないけど
感覚的にはほぼ一緒じゃないかな。
だから僕の話が
そこそこ面白いと思ってくれたなら
それは僕と話してるんじゃなくて
僕が見たものとか聞いたものを
こうね
旅の話じゃないんだけど
こういうのありますよっていうのが
多分僕もしっくりきますし
リスナーの中からたぶんしっくりきたな
って思ってくれたら
たぶんそこが僕の
持ち味になるのかなと思ったりします。
だから意識として
僕が一人で喋ってるって感覚は全然ないです。
共有しようってしてて
確かに僕が感じたことではあるんだけど
分けられるじゃないですか。
事実というかニュースというか
その人の話と
今回この本の話もそうですけど
と著者の方の話と
僕の考えと
あったときに
著者の方の考えたのはそこにあるわけだから
それをネタに話してるのであって
解釈はこちらであるし
でも解釈だから別にその人の
言ってることを要約して何か話してるってだけでもないですから
それだけだったら全然
その本読んだよって終わるじゃないですか。
ということで接着剤として
僕がこう思ったから
この本に興味を持つ方も
いらっしゃるかもしれないし
そういう本があったんだねぐらいの話で
それを本当に加工して
僕が伝えている解釈というもので
何か新しいものが生まれたかもしれないし
今回は無駄ってことを
言ってますけど、無駄が悪いっていうことは
全然思ってないし
じゃあ無駄を美化して
ずっとお菓子の
開封チャックをずっと無限で
開けて閉めてやり続けるって
この無駄なことをやれってことではないですからね。
その辺りを
上手く触ってるか
ってことなんですけど
言えば
自分の興味をどう拡張していくか
世界をどう作っていくか
ってことなんです。
世界というのは別に
世界政府とかそういうものじゃなくて
自分の見方とか人生とか
そういうのを拡張していったり
どんどん学んでいったり
どうしていったらいいかというときに
やっぱり面白いとか
興味あるということをやる
っていう風に話になっていくんじゃないのかな
っていうところでした。
新しい視点を得る
だからその水平思考という
ラテラシンキングがまさに
そちらに近いので
アイデアを出そうとか
アイデアを何か企画してる人っていうのは
このラテラシンキングが
自ずと身についてるんだろうな
っていうことを改めて思います。
この考え方がすごく新しいなとか
全然新鮮だなっていう風に
思われた方は
本がですね
ずるいっていう特徴的な
言葉がついてますが
ずるいなって思うんじゃないかなっていうのは
僕もそう思いました。
なんか大橋さんのアイデア出てきて
ずるいって言われたことはないですが
ずるいって言葉もあんまり使わない方が
いいと思いますけどね。
タイトルはしょうがないですけど
あんまり使わない方がいいかなとは思いますが
タイトルとしてはなかなか
面白い言葉かなとも思いました。
というわけでですね
これも使いましたが
無駄なことをやるからって言って
言い方変えれば
無駄なことをやるからって言って
あなたの人生が無駄であるとか
あなたは生きている価値がないとか
そんなことじゃないですよね。
そこは間違えないでくださいね。
よく仕事で
仕事がうまくいかないとか
自分の仕事のパフォーマンスが低いから
自分はいる意味がないんだと価値がないんだ
って方いらっしゃるじゃないですか。
あんまり発揮できてないなとか
それは確かに
仕事のパフォーマンスができなかったら
それで価値というか
会社の中とか組織の中とか社会の中での価値が
もしかしたら低くなるかもしれないです。
だけどそれは
あなた自身の価値じゃなくて
仕事の価値とか仕事でのパフォーマンスであるので
持ち味理論でいくと
誰でも個性があって
適切な何かがあるとすると
ルールに縛られてやるというところは
無理ですね
ストレスですね
僕のようなタイプ
どちらかと言えばね。
じゃあ個性とか自分のやりたいように材料を持って
自分がいいと思ったものを出していって
それをプロダクターオートであろうが
要は自分で出したものを
自分の発信で出していって
後で評価される方がまだいいっすわ
っていったらそっちのほうがいいですよ。
絶対。やったほうがいいです。
それをルールの中でしかやって
うまくいかなかったら
そういうときに
まさに
環境として
自分がうまくいく環境では明らかにないよな
って実際にやってみて
我慢してやってきたけど全然やっぱできないよね
ってときに
どこまで我慢すればいいの?
っていう感覚は
分かるんですけど
誰も正解を教えてくれないですから
自分で考えてやるしかないです。
まさに本当に
多分無理ですよ
10年とか無理で
頑張って1年もっと早くていいと思いますよ
だからそれはその人の学びとか
習得とかどうしていきたいかによるから
触れ幅が
ものすごく
広いですよね
だけど
うつとか病気になっちゃいけないし
いけないというか
それは反応だからそうなってしまったんでしょうけど
ならないですよね
そうなってなかったら
やらないかもしれないんで
なりやすいとかなりにくいとかもあるかもしれませんが
そういう反応だって思ってもらえたらいいと
そういうときに
人格攻撃ということで
あなたの仕事やったものがあまり良くないということで
その人を責めているように思う
ラテラルシンキングの重要性
やつですよね
だけどその人を責めているんじゃなくて
その仕事を責めていると
仕事自体をね
あとはその人がどう改善できるか
また別問題っていう風に
分けて考えるのは
重要なんだろうなと思いますが
この考え方って
あんまりできる人がいないのか
でもそれロジカルシンキングだったら
できるはずなんで
じゃあロジカルシンキングもそこまで広まってないのかと
いうことにもなりそう
まあ機械みたいになりますからね
ロジカルでやるとね
感情がなくなってくるんで
やりすぎるとロボットみたいになりますよね
ラテラルもやりすぎると
アーティストで全然
なんだろうな
クリエイターというか
変わった人みたいになってて
話ができないみたいな人に
なっちゃうんで
両方とも対外というか
適度にやらなきゃいけないかなとは思いますが
あの
何でしたっけ
ロジカルに考えるってことを
全然否定してないんだけど
ラテラル的にやってみるっていうのも
いいんじゃないか
でそれがですね
無駄というよりも
面白いことでもやってみたり
今の違う
学びとか刺激とかを得てることで
出てくると
言われてると思うんですよ
なんか違うことやってみようとか
試してみようとか面白いことやってみようとか
言われてるんだけどできないっていうのは
ここにあって
言われてるほどできてないってことですかね
いずれですよ
でもまあ
くどいですが
めちゃくちゃくどいですけど面白いことやりましょう
まあ結局帰結するというか
結局そこにまとまっていくんじゃないかなと
僕も改めて思いました
なんで自分が
ぜひ聞いた方は面白いことを
やってください
自分が楽しいと思ったことをやってください
それがですね割合としては全部
一日ね
8時間10時間とかやらなくてもいいんですが
少しでもやることで
全然違った風になると思いますから
ぜひそのあたり
今回お伝えできればいいかなと思います
今回もやればぜひ
ホームチェックしてみてください
というわけでここまでお聞きいただきまして
ありがとうございました
以上四国にラジオ大橋でした
以上失礼いたします