1. シゴクリラジオ!
  2. 話すことの面白さとは、人のこ..
2025-08-21 1:09:10

話すことの面白さとは、人のことを知れることかも

spotify apple_podcasts

---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/618b94773db982af52639b7a

サマリー

このエピソードでは、話すことの楽しさとそれに伴う共感を考察しています。特に、異なる意見や価値観に触れることがコミュニケーションの楽しさを生む要素であることを探っています。また、会話を通じて異なる価値観や考え方に出会うことが話すことの面白さにつながっていることが語られています。相手の気分や反応に配慮することが重要であり、互いに理解し合うことが会話を豊かにする要因であることが示されています。今回のエピソードでは、話すことの面白さやコミュニケーションの重要性、特に営業の現場での聞く力について考えています。また、AIが伝える情報には感情がなく、創造性に違いがあることにも触れています。さらに、コミュニケーションにおける「話す」ことの意味や他者との関係構築の重要性について考察しており、自分だけの話ではなく、相手の話を聞くことで深まる理解や信頼について述べています。話すことの面白さや他者を知ることについても語られており、自己表現のための挑戦やさまざまなアイディアに触れる楽しさが強調されています。また、このエピソードでは、話すことが人々の理解を深める手段であることに焦点を当て、教育やビジネスにおけるコミュニケーションの重要性にも触れています。最後に、人との会話を通じて得られる楽しさや意味について考察し、自己の価値や生きる意義を再確認しています。

話すことの意義
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
このシゴクリラジオは、パーソナリティーである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
一朝一夕ではいきません。
前回はだいぶ長くなりましたが、あれから気づきを得ました。
簡単に言いますと、自分が得意とかよくわからないときに、メンタルとか調子がいいときにやってくださいね。
自分が普段やっていることを軽く否定してみたり、やめてみる。
実際にやめてもいいですけどね。
そうすると、そこに拒否反応が起きないかという話もありました。
僕で言えば、書くとか話すとか考えるとか、アイデアを出すとか調べるとかいろいろあるんですけど、
その中で特に話すのをやめてみる。
やめてないんですけど、やめるつもりもないですけど。
やめたらどうなるかというよりも、話すの何が楽しいの?みたいなことを、
もしかしたら感じている方もいらっしゃるかもしれません。
いらっしゃるかもしれないので、いらっしゃらないんで、すみませんね。
話す楽しさみたいなことを、
すごいなんかこう、
ポッドキャスターを始めて話すって何?っていう、
初心者みたいな、悪い意味ではないですよ。
初心者ポッドキャスター、初心ポッドキャスターみたいな人がしゃべるようなトークテーマですけど、
改めて考えてみようと。
別に上手い答えとか、これだっていうこともないんですけど、
話すことの楽しさ。
それだけ話すの楽しいって言うわけですよ、僕が。
言ってるからにはっていうことで、
少し考えたいと思います。
話すこと苦手だっていう人もいるんですけど、話すこと好きな人はこう考えているみたいな、
観察としてとらえてもらえればいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願い致します。
四国理ラジオ大橋です。
今回ですね、話すことはどういうことが楽しいか。
話すって何?とかね、そんなテーマです。
ゆるゆるとお聞きください。
共感の重要性
まずですね、冒頭から言うと、話すのやめたらどうなるんですか?っていうところに行くと、
つまらなくないですか?っていう話で終了です。
本当にそれだけです。
なんで、逆に言えば面白いから話してるっていうだけです。
じゃあ何が面白いんですか?と、
あなたは何が面白いんですか?っていう自問自答になるんですか?聞いてみると、
リスナーの方もぜひ話すっていうことに関してでもいいですし、
自分に引き寄せながら聞いていただけると嬉しいんですが、
いろんな方がいると思います。得意から不得意とか、
なんかあんまりっていう人もいらっしゃると思うんで、
それは全然承知した上でね。
まず話すといくつか出てくるのは、面白いかなっていうのは、
大きく二つというか、面白いという意味では、
まず一つ出てくるのが、共感ですよね。
例えば、ボドキャストでもいいし、話したときに、
こういうふうに思ったんですよっていうときに、
ああ、私も私もっていうのって、ちょっと良くないですか?
だから、いいねっていうわけじゃないんだけど、共感ですよね。
ここで話すなんで、正確には、
エピソードみたいな話で、自分はこういうことに出会って、
こう考えたんだけど、自分は嬉しかった、悲しかった、
分かんないけど、ということをある程度言わないとダメですよね。
それはそうです。
それに対して共感。
共感って別に共感しようってことじゃないですよ。
共感したら、そういうところそうだよねみたいな、
通じ合うみたいなのは、面白いんじゃないかなと思います。
これつまんないっていう人いるんですかね。
共感したくないっていう。
あるかもしれない。ちょっと分かんない。
逆にもありますよね。
そういう見方じゃないんじゃないっていう。
自分はそうじゃないよっていう。
違う価値とか意見、視点っていうのがある。
これは批判しろっていう意味ではないですけど、
別に真逆じゃないっていうね。
例えば、昔、大学の友人がいるんですけど、
これ多分僕覚えてて、
別に全然悪意はないし、
悪意というか、世の中に発信して、
それこそXとか炎上するとか、
そういう系になるかもしれませんけど、
そのまま言うとね。
要はその友人との何気ない会話で行ってたんですが、
買い物に一緒に行って、
これ社会人になってからですよ。
多分社会人になってからだと思うんですけど、
靴を見に行って、靴とか服とか見に行って、
買い物に行って話しながら、
中古の靴、要は靴ですよ。
多くの人が履いてると思いますけど、靴。
その靴って、僕の中では新品を買うっていう、
新しいものを買うっていう感覚しかなかったんですよ。
今も、ちなみに言っておくと、
中古の靴は買ったことはないと思います。
それが是非がどうかとかじゃなくて、
中古とかの靴って売ってるけど、
あんな自分に足に合わないんじゃないということで、
ちょっと分かんないよねみたいなことを言ったんですよ。
その友達に。
でも結構自分は、
友達ですよ。
結構中古多いよみたいな。
むしろほとんど中古じゃないみたいな言ってて、
マジかみたいな。
真逆じゃないですか。
これは友達という、
かなり古い関係値なんで、
そんなこと言ってちょっと違うよぐらいで、
別にもう喧嘩するとかそんなことはないってことは
お伝えしておくんですけど、
ここだけ切り出し発言すると、
すぐ炎上しそうじゃないですか。
まあまあまあまあまあ、
なんかね、うーんって感じがしますよね。
僕も別に友情を責めるというよりも、
知らないわけですよ。
別に友情のこと知らなくてそこまで。
そういう勾配行動というか、
価値あるんだなと思って、
思いましたね。
で実際にですね、
足の形って一つはまだまだじゃないですか。
まあでも既製品って一緒ですよ。
だから、なんていうんだろうな。
例えば足の幅が広い人は、
靴が狭いと履けないですよね。
だからちょっとこれ別にね、
何か商品を攻撃するわけじゃないですけど、
なんだったかな。
コンバースだったかな。
なんかオーソドックスなスニーカーありますけど、
あれがですね、
履いている人を見て、
自分も履いたことあるんですけど、
全然足に合わないですよ。
だからコンバースは悪いとかじゃなくて、
僕の足に合わないっていうだけなんで、
だからコンバースって履けたことないですよね。
だから履いている人って結構足の、
足が小さかったり、
もしくはモデルとしてそういうのがあるのかなと思って、
ありません。
あと足の高さはありません。
あれが合わない。
だから自分高いかなと思ってて、
低いものだとちょっと履きづらいというか、
当たり前っちゃ当たり前なんですけど、
いろいろあるよねと。
今の話はですね、
話したところで違う価値が出てきたり、
考えが違うってことがどうなのかっていうときに、
これも一応誤解がないように言っておくんですけど、
そんな中古の靴を買うやつとは付き合えへんみたいなね。
そんな話じゃないですからね。
そういうものはあるんだ、ごめん全然知らんかった。
そんな感覚なかったわっていうので、
自分が知らなかった、
知ったっていうところですね。
だからもしかしたらリスナーのあなたも、
中古の靴結構買っててとかっていう。
だからスニーカーというよりも、
スニーカーでいいのか。
古いところだと、
エアジョーダンでしたっけ?
ナイキとか。
思いはスニーカーブームが終わったっていう感じはしてますけど、
それは全然細かいことは知らず。
でもスニーカーの売買サイトもあったりして、
それって結局中古が前提だったりするんで、
中古ですよね。
中古って今言わないのかな?
フリマーサイトはね、
メルカリもありますが、
そういう延長上でやってる感じもするんで、
だいぶ感覚が違うんだろうなとは思います。
そのね、ヴィンテージとかいうのか、
レアだから、
履く用じゃなくて、
所有する用とかね。
いろいろあるから。
でもあくまでも友人との話では、
自分が履く用でしたね。
確かにブランドとかレアものとか、
自分がいいなと思うものを、
お求めやすい価格で買えるなら、
確かになって。
そこまで僕はこだわってないっていうだけなんで、
それだけです。
だからこっちはわかってねえなって思う方もね、
いらっしゃるかもしれませんけど、
例えば靴でそういう話がありましたと。
主題はそれじゃないですね。
話すことで、
自分が話すことで、
共感とかポジティブなものがあれば別に、
それはそれでいいし、
どうしてこうかっていうのもあるし、
全然違う考え方だったら、
それを知ることもできるじゃないですか。
コミュニケーションのダイナミクス
で、この2つどちらに転んでも別にいいのかなと思うわけです。
例えば、
具体例が何かわかりませんけど、
コミュニティとか全然違うところで、
待っててもしょうがないじゃないですか。
っていう考え方なんですね。
とりあえず仕掛けてみると。
着株と、
別に本当に火付けるわけじゃないですかね。
会話とか雰囲気に、
いわゆる賑やかしっていう風に言ってるんですけど、
賑やかすのが多分好きなんですよね。
賑やかすって結構いい言葉ですよね。
そういうのもあって、
まず投げてみて、
その反応でどうするかを考える。
だからまず投げるんですよね。
当然リスクがあるわけです。
リスクっていうのは多分、
すぐ思う方は、
それが適切じゃなかったらどうしようみたいな。
それはニヤトリが先が卵が先が問題ってやつと一緒で、
どうしようもないから、
まあいっかみたいな。
仕掛けろみたいな感じです。
だから何言ってもいいとかそういうことじゃないですよ。
だからそのリスクはあるけど、
言うしかない。
だがしかしですよ。
そこで、
いやそんなこと言うなよとか言われたら、
一緒とは言わないですけど、
感じ悪いなってなりますよね。
その辺りでまず出すと。
そこでの反応というのが、
当然ポジティブとか共感を呼ぶっていうことは、
ちょっとわからなくて。
どちらかというと、
ニュートラルとか中立?
中立のような感じはしてますよね。
わからないから。
投げていって、
そこで状態を見て、
どうしていくかってことになりますよね。
そういう時って、
価値観とか反応がわからないので、
求めてたものなんだとか、
もしくは、
それは全然違うんだなっていうようなことが、
よく見える。
そういう初めての場とか、
初めて接する人の時だと、
よくわかりますよね。
ああ、こういう反応になるんだとかね。
メタ認知っぽいですけど、
それを僕は同時に楽しんでいますし、
そっか、みたいな。
ふうに捉えているわけですね。
だから一度で、
さっきの肯定されようが、
否定されたいってわけじゃないですけどね。
会話の中立性とイメージ
肯定されたいってわけでもないですからね。
だから正確には中立。
中立なんだけど、
もっと厳密に言うと、
僕自身はいいなとか面白いと思った、
もしくは相手がいいんじゃないかと思っている何かがあり、
それは中立です。
だって相手がわからないじゃないですか。
でも、
こちらが考える相手がってことなんで、
中立とか、
まあ中立っていうのもよくないですけど、
そのニュートラルな状態で、
特に何もなく出してみる。
あまり難しく考えずに一旦出すと。
で、それに対して相手がどう思うかってことと、
それに対して僕自身も、
自分もどう思うかってことで、
やり取りしていくっていうのが、
会話のイメージですね。
多様な価値観との出会い
なんでどっちに、
さっきも同じこと言いましたけど、
どっちに転んでも別に面白いんじゃないかと。
その違いがある方が、
ここ違う場に来たなって。
なんていうか、
空気じゃないけど雰囲気として、
自分は、
いやいやいや、
例えばですよ、
さっき言ったように、
そういう提案とかいらないんでとか言われたら、
もう何なんだろうねってなって、
もう二度と行かないですよね。
二度と話さないとかね。
そんなもんじゃないですか。
それを気難しいとか、
取り扱い難しいっていう風に、
もしかしたら思う人がいるかもしれませんけど、
人の気分を害するって、
結構なダメージなわけですよ。
結構なダメージじゃないですか。
僕が言っていることが、
また言いますけど、
万人のために、
万人が絶対いいなってことは、
ないと思っていて、
分かり合えんわみたいな人も、
いらっしゃるわけなんですよ。
というか、
そういうもので、
だから必要悪とも思わないし、
そういう中で、
どこまで、
考えが違うんだなとかいうときに、
是正するとか、
こちらが正義だとかっていくと、
ちょっとおかしくなってくるわけですよ。
それちょっと怖くないですか。
どっちが正しいみたいな。
いい着地にならないというか、
だいたい揉めますよね。
それ自体が揉めているし、
解決しないですよね。
でも話していくのは、
やめないほうがいいんじゃないかなってことで、
話すことの面白さというのは、
まとめてしまうような、
いろんな価値観とか、
いろんな考え方に出会える。
だから、
前回、
だいぶくどくど話したんで、
またかと思われるかもしれませんが、
結局、
いろんな人の考え方という、
いわゆるいろんな人は違うので、
ある時に触れると、
何それって思って、
面白いわけですよ。
さっきの、
友人の中古の靴を買うというのに、
僕は知らなかった。
これが別に、
この具体例をどうこうじゃなくて、
レスラーの中でとっても、
全然自分はそんな感覚なかったんだけど、
そんなやり方もあるんだね。
例えばですよ。
これ聞いている人は、
分かんないですけど、
例えば話すのが好きな人っているんだみたいなね。
みんな好きじゃないと思ってたっていう。
話すの苦手な人だと、
話すのが得意な人は、
深い共感の重要性
そういう持って生まれた才能だとかね、
言われるかもしれないんだけど、
それはね、
ずっと言っていますけど、
ここでは何度も言っているように、
説明しますと、
遺伝とかね、
DNAとか分からないけど、
そういうのは、
頑張っても5割だと。
これは僕が勝手に言っているだけですよ。
半分だと。
あとは後天的に環境とか、
その人の努力というとね、
何か自分の責任みたいな思うかもしれないですけど、
環境もあります。
社会の環境もあります。
ときに、
そういうのがなかったとか、
あまり恵まれなかったら、
そうなるかもしれないということで、
話していて、
だから紙一重なんですよ。
話していて、
さっき言ったように話して、
何か良かったねというような感じで、
そういうのいいですよねというのが、
僕の中では、
これまさに体験とか経験ということで、
あるんですよ。
響くみたいなのはね。
これは、
これも散々批判しましたけど、
SNSにおけるいいねとかっていうのでは、
多分ないものですね。
頑張って、
共感が生まれて、
さらにその恋、
そうなんだ、本当に深く、
いいねと。
いいねというふうに、
本当に心から思って、
本当にそう思うよ。
それこそ、
一加減じゃないですけど、
そのことについては自分も共感するし、
言いたいし、
コメントもかなりできるよねっていうぐらいの
重いものっていうのが、
わかんないですよ。
こういうと、
別にその数値とか定量化を
いいふうにしてるように思うかもしれないけど、
別にそれは今なくて、
例えば1000いいねあったら、
10人ぐらいは深く刺さってるかもしれないですよね。
でも、
それだったら、
ゼロいいねで、
実はめっちゃ刺さってるとかのほうが、
僕は好きだったりするわけですよ。
僕はね。
そんなんで、
わかりますかっていう、
疑ってるわけですね、
そこをね。
なんでそんなことが言えるんですか、
それは大橋さんの妄想ではないですか、
虚言ではないですかみたいなね。
そんなこと言われたことないんですけど、
仮にそういうのがあるとしたときに、
真面目に答えると、
自分が言うことで、
いいよね、
そういうのいいよねっていう人が、
何だろう、
10人いたら多分1人ぐらいいるんですよきっと。
違うっていう人もいると思いますよ。
そういう経験が、
割とあります。
社交事例みたいなやつで、
例えばプレゼンするじゃないですか。
こういう話して、
こうだこうだって言うじゃないですか。
なんかいいですねって言って、
で、
自分が、
いいじゃないですか。
なんかいいですねって言って、
話すじゃないですか。
そのいいねって言って話す人のトーンも、
バラバラだし、
ぶっちゃけ関係ない人もいるし、
営業っていうのを悪い意味で、
いいですねとか言って、
共感しました?って言うけど、
全然言及できない人いらっしゃいません?
だから別に、
何だろうな、
褒めるなとか、
社交事例言うなとは思わないですけど、
それで話せるんだっていうところに、
心がね、
驚きますよね。
僕の中でね。
話すなとは言いませんよ。
それで来るんだみたいな。
関わりたいのかな?みたいなね。
思っちゃいますよね。
っていうのが、
もしかしたらその人はバレてないというか、
その人からすると、
要はその人からすると、
こっちの心の内はバレてなくて、
話してそれで何とかできるとか、
もしかしたら思っている方が
いらっしゃるかもしれませんがね。
それなんかありそうですね。
でもそんなのはちょっとね、
さすがにって感じがします。
バレバレとは言わないけど、
辻褄が合わなかったり、
何だろうな。
それこそ、
これはちょっと声を大事にして言いたいのは、
語彙ですよね。
表現とか、
そういうものがないから。
例えば食レポみたいなのがあるじゃないですか。
食べ物のね。
僕は多分できないですよね。
そんな食レポなんでね。
うまいですよね。
で、終わりですよ。
それを表現したいという、
気持ちがないからですよね。
分かります?
これはどういう美味しさなんだろうかを、
そこまで考えていないっていうことです。
分かりますか?
この辺り。
なんでそこまで僕は、
言語を持たないというか、
言葉を持っていないんです。
だから、
ある食レポをやっている人からすると、
もしくは食レポ、
食レポをやっている人というよりも、
食べたものに対して、
それを言語化、もしくは伝えるということに対して、
何か磯心理とか、
専門的である、
もしくは仕事でやっている、
時間をかけている、
よく考えている人からすると、
伝わらないわけです。
何うまいっすねって。
なるわけです。
うまいもうまいしかいないじゃんってね。
すごい怒られそうですけど、
まあまあいいでしょう。
でも本当にそう思っている。
だから表現するなんてことじゃないですよ、もちろんね。
全然表現していただいて、
レポしていただくのはいいんですけど、
その時に、
問題はその時に、
表現がうまいとか、
巧みであるというのは、
それだけで手放しでパチパチパチといいんですが、
そんなんじゃないじゃないですか。
だから言葉は伝わらないなと。
うまいっすねってしか言わない。
僕もうまいっすねとしか言わない。
何も食べてないですけど今ね。
うまいっすねとしかうまい。
コーヒー飲んでますけど、
うまいっすねって。
うまい。
これうまい。
だけど、
本当にこの人はうまいんだなと思っているのであれば、
うまいっすねで伝わる可能性があるわけですよ。
可能性でいいですね。
で、思いませんか。
文章もそうで、話すのもそうで、
この人は心から思っているかなっていうのを見てます。
見てますね。
僕が審査員とか面接官じゃないですかね。
やってないですよ。
はいじゃあ面接しますとかじゃないですよ。
普通にやってます。
この人本当に困っているのかな。
この人聞いてきてるけど、
本当に解決したいのかな。
本当にってつけるのはよくないですけど、
どのぐらい自分で考えられているのかなとか。
どれぐらい自分で調べられたのかなとか。
お困り度はそんなに高くない。
適当に聞いているだけですかねっていうね。
それもまた言っておきますけど、
バレてないと思っている人がもしかしているかもしれないですよね。
言葉でちょろっと書いたら。
いやいやいやいやいや。
わかります。
全部かわかるわけじゃないですよ。
そういうとこから推測してって考えていくっていうことで、
パターンとは言いませんけど、
いろんな人がいるなーっていう中で、
この人は何なんだろうねっていう風に、
思われてしまったらね。
悪い意味ですよね。
悪い意味でこの人面白いねっていう意味では何なんだろうねじゃなくて、
よくわからんわっていう意味の不快な方はね、
よくないじゃないですか。
で、そうやって伝えなくても、
コミュニケーションの重要性
技術じゃないってことですね。
技術もありますよ。
逆のこと言いません。
技術を否定しているんじゃなくて、
技術だけではないってことですね。
その伝えたい気持ちって何ですかねって。
こういう話聞かないですか。
営業職とかの方で、
リスナーのあなたが営業に連絡されているかもしれませんけど、
何か別にそんな喋るとかね、
ではないんだけど、
どちらかというと、
お客さんの話を聞く方に徹したら、
何だっけ、
お客さんのね、
売れると言うとよくないですけど、
コミュニケーションがちょっと増えていったり、
ちゃんと聞いてくれるんだねって、
この間来た営業の人なんか、
ずっと自分の自社のことをずっと言ってて、
他社を別に入れさせたくないとかわかるけど、
それはまたどうなんだよね、みたいな。
じゃあ君は聞いてくれるから、
あなたは聞いてくれるから、
じゃあちょっと試してみるかねっていう。
これ別に作り話でもなく、あると思うんですよ。
聞いてくれるって結構大事じゃないですか。
AIと人間の違い
だから聞き役に徹して何も言うなとかね、
そういうことじゃないですよ。
あと、本当に聞いてるうんうんって言ってる、
ふーんとかいいですねとか言ってるだけで、
何も理解してなかったらダメですからね。
当たり前じゃないですか。
それAIでもできてしまうというか。
自分がやる必要がないというか、
聞かずにそのふむふむしてるのは何なんですかねっていうね。
またくどいですけど、
そのふむふむしてる時に本当に相手の立場に立ってて、
ちょっとごめん、わからない部分はあるんだけど、
こういうことかなっていうような、
理解度をそこでアウトプットする。
ちょっとごめん、わからないんだけど、
こういうことなんですかね。
っていうふうに言えるかどうかもあるけど、
言えなくてもそういう態度になるかっていうね。
それはどちらかというと非言語なんで、
身振り手振りとかね、表情とかね、
そういうことになってくると思うんですけど、
それ出ないですか。
で、何度もこのポドキャストラジオで言ってますけど、
その伝えるためにジェスチャーが入るかということで、
もうめちゃくちゃジェスチャーしてたりするわけですよ。
で、なんか口先だけでベブベブって言って、
終わってるわけじゃないって話して、
どうですかと問いかけて、
いやーまあそうですねってなって、
やってることはYouTuberじゃないですけど、
映像で撮ったらそんな感じになります。
そうなんですね、わかりますわかりますみたいな、
っていうふうに喋ってますから、
当たり前かもしれませんけど、
なんか原稿読むとかね、
原稿読むなとは言いませんよ。
読んでこうですとか、そういうのじゃないです。
四国レラジオはそんな感じで届けてますと。
そういう感じですね、
話は、話すっていう技術もある。
大事だし、その技術を習得するなってことじゃないんですけど、
あったとしても、
テクニックで塗り固められた何かみたいな、
あなたらしさとか、あなたの感情とか、
あなたの本当のスイッチってのはわかんないけど、
本当にそれを持ってるんですかと、
感情をぶつけろとは言わないですけど、
厚く語れとかっていうふうにも言わないんですけど、
あなたが見て、あなたが何を感じて、
あなたがどういうふうに思ったかが、
私は聞きたいっていう、それだけなんですよ。
これはもう多分、別に詐欺の話じゃないですよ。
特にそう思いますね。
AIさんがいろいろわしゃわしゃ出てきたから余計思いますよね。
だから、これも何度も言ってますけど、
AIに対する見解は、僕の中では主観はないよね、感情はないよね。
主観っぽさとか、人間っぽさ、もしくは感情っぽさみたいなのを入れてくるけど、
違うよねと。
それこそ叩けば痛いし、
興味深いこと言われたら興味深いと思うし、
けど、AIがそれは興味深いですねって、
GBTのゴリ5になってから若干戻ったみたいですけど、
これは良い質問ですね、興味深い、鋭いですね、素敵ですねと言われても、
本当に持ってないだろうっていう。
クッション言葉としてはね、全然いいと思う。
クッションとしてはありです。
でもクッションしてるけど、クッションする気はないでしょっていうね、
素人質問ですがとかね、
ちょっとごめんなさい、私の理解が追いついてないですがとかね、
それは何も別に特に、
うんうんとか、合図地みたいなもので深い意味はないと僕は思ってますけど、
でもそれがね、AIがそれやると何か、
何だろうねっていう漏らしさがね、出てきますけど、
それを、だから情報の種なかしじゃないですけど、
情報というか、それは情報ですよね。
感情がないというか、何もその人の営みというか感覚がないので、
本当に情報だから、コピーペイできるわけですよ、コピー&ペイスできるから、
僕は全然面白くないなと思います。
だからそのAIが考えると、
面白さの再構築
多分人は泣くんですよ。
多分僕もAI小説って知らずに書かれてて、
うまくやられたら、
あ、そうなんだって感動して泣いてるかもしれないですね。
だがしかしですよ。
だがしかし、
AIの創造性っていう意味のクリエイティビティーが、
ないとは言えないですよね。
AIらしいというよりも、
AIらしいというと人間っぽいみたいな意味ですけど、
機械は機械なりの、よく分からない人間ルールではないものを
ぶっ込んでくると、それはそれでいいんじゃないですかね、
と思います。
それに対して人間がいいねと思えばいいし、
僕もそう思います。
人間がいいと思えば、
そういう機械のクリエイティビティーがあるんですよ。
だから、
それに対して人間がいいねと思えばいいし、
でも分析していくとやっぱり面白いなと思えるものって、
その人の心が動かないと、
さっき言った全部技術とか情報の話になるわけですよ。
新しい情報を持っているから面白い。
でも新しい情報が、
例えばね、
四国レラジオに新しい情報を期待している人がいたら、
多分、
ちょっとあんまり向いていないんですよね。
向いていないというか、
全然ないですよね、新しい情報って。
新しい情報はないんで、
考え方とかこういう風に考えてみたらあります。
でもこれ僕が言っていることは、
全然昔から考えられていて、
はい、昔のやつ考えてましたよねっていう、
批判することもできるじゃないですか。
のもまたどうかなと思いますけど、
だから何を求められるかによるわけですよね。
そうやってどんどん話す内容とかっていうのが、
コンテンツとして消費されていくと、
情報だと鮮度とか新しさとか、
客観性わかんない、
社会性、面白さわかりませんけど、
様々あるわけですよ。
でもですよ、
SNSは散々批判していますけど、
その人が本当にそれを持ったんであれば、
別にいいんじゃないですか。
誹謗中傷はもちろん良くないですけどね。
思ったんなら良くないですかっていう。
で、なんか花畑で花良かったっていう。
なんかすごい良いと思うんですよ。
だから良いねとかどうでも良くて、
良かったんだ、良いですねっていう。
それだけです。
SNSにするとちょっとよくわかんないけど、
友人とかの会話で、
どっか行ってきたんだよ、
ここ良かった。
どっか行ってきたとか、
見に行ってこれ良かったよとか、
もしくはこういうこと気づいたんだけど、
どう思うとかって、
なんか良くないですか。
僕だけですか。
僕だけですか。
わかんない。
散々ね、
学びがどうってことで、
学ぶのってそんなにつまんないことなんですか?
っていうことを言って、
やらされてたらつまんないですよ、そりゃ。
そう。
だからやらされてるやつを、
自分が取り戻して、
こうやってやると面白いんだねっていう風に、
編集し直すって言うんですか?
構成し直すっていうのはちょっと違うな。
思い直す。
ちょっとわかんないんだけど、
自分の中で再構成するみたいな本格がないとか、
自分でやりたいと思ってやってるんだっていう、
これが主体ってやつですよね。
人間らしさってことで、
感情的なものも良いですけど。
例えば、
マインクラフトにしますか、とりあえず。
マインクラフトってゲームがあるんですけど、
それで建築とか色々できるわけですよ、ブロックね。
マインクラフトってボタンっていうものがありまして、
そのブロックにボタンを入れると。
例えば、素材ごとに、
すごいどうでもいい話ですよ、知らない人にとっては。
知ってても別にどうでもいい。
ちょっと聞いてくださいね。
木のボタンとか鉄のボタンみたいなのがあるんですよ。
ボタンを押すと、
マインクラフトっていうのは仕様上ですけど、
隣にあるドアが開いたり、
装置が作動するみたいなのがあって、
それで自動装置だとか作ったりするし、できるんですね。
で、そのボタンの挙動って、
例えば何マスまで動くんだろう、
こういうボタンをこのブロックの隣に置いたら何が起こるんだろうって、
面白いと思います?面白くないと思います?
っていうことだけなんですよ。
僕は割と面白いなと思います。
マインクラフトやってる人も、
そのボタンを押して何ができるかなってことで、
ワクワクするかどうかって、多分人によると思うんですよ。
みんながみんなワクワクしてるわけじゃないんですよ、多分ね。
もしくは、冒険みたいなところで、
どうすれば強くなれるのかを、
最強の装備みたいなのを追い求める人もいるじゃないですか、
ゲームだとね、主人公を強くするみたいなね。
それも全然いいし、色々あると思うんですよ。
その時に一つだけ、
抽象化っていうか言えるのは、
自分にとって面白いものは何ですか?ってことなんですよ。
ボタンを並べてって、
押してくれると面白くないですか?ってなったら、
それをやってみたらいいじゃないですか。
で、強くするにはどうしたらいいですか?って言ったら、
自分で何を工夫してもいいし、調べてもいいし、
それをやっていったらいいんじゃないですか。
防具を強くするっていう方向もあれば、
ダメージを受けないような安全地帯に行くっていう方法もあるし、
それはもう人それぞれのアイディアじゃないですか。
それはもう色々あっていいし、
特に僕が何か言うことはないんですけど、
そういう風に自分が面白いと思ったことをあって、
これは面白いんじゃないかと言うと、
それは絶対100%指示はないし、
何度も言ってますけど0%もないんですよ。きっと。
これ中長期的に見なきゃいけないですよ。
だから自分が面白いと思ったことが、
コミュニケーションの基本
他の人に面白いと思われないっていうのが不安なんじゃないですか。
特にクリエイターの人が思う。
真理ってそうですよね。
別にクリエイターじゃなくても、
自分が話したことが、
全然相手が退屈してそうだったら、
僕は話はやめますからね。
全然ごめん。
スポーツとか興味ないのでスポーツ話しちゃったとか、
音楽とか夜遊びいいよねみたいなことを言っててごめんねみたいな。
この方がいいよねっていう。
それは空気を読まないというよりも、
相手に対して面白いってことを探ってないって感じですよね。
だから自分の話をする。
ここで一個出てくる疑問は、
自分の話をすると冷めていくみたいな人がもしかしているかもしれないですけど、
それは自分の話だけをしているからでしょうね。
自分の話のだけをして、
私はこうで、私はこうで、私はこうなんですって言ったら、
ただの自己アピール大会じゃないですか。
このラジオもそうなってないかってことは、
正解どうかであやじ疑問が残るんですけど、
なってるかもしれませんね。
それも踏まえた上で、
自分の話しかしてないっていうのは、
ある人からすると逆に捉えられるかもしれないですよね。
自分の話をしてくださいって言っているのは、
自分の話していいんだって言ったら、
これはまた言っておくんですけど、
ダメですよ。
自分のターンで言って、自分だけ話して、
自分がしていることをばーっと喋って、
はい、どうぞみたいなのは、
コミュニケーションじゃないですかね。
自己開示の重要性
話すって言っているのは、
相手があるじゃないですか。
相手があるということは、
相手にそれなりに何か伝わるように話しておかないと、
失敗というよりも、
その続きがなくなりませんか。
話が伝わってますか。
自分が言いたいことを言うのはいいんですよ。
でもそれが例えば誹謗中傷で、
あなたはダメですよねって言われると、
嫌じゃないですか。
嫌じゃないですかって、
それがある局面で、
これはダメだし、
これはダメだし、
そこまでいかないなってことだったら、
言わなきゃいけないけど、
それを言われて、
いやでも、
言いたいことは分かるけど、
それを言われてもってなりませんか。
ありませんか、そういうこと。
それを私に言っても意味ないよねみたいな。
ないですか。
カスタマーサポートとかそんな話ですよね。
それを言うなっていうね。
だから言いたいことを言うということが、
自分らしさとかじゃないですよね。
話す上でね。
自分で一人で誰にも、
それこそXとかね、
誰にもインターネット上とかもなく、
空中に向かって今言ってるんですけど、
喋ってるんですけど、
向こうに空中に向かって、
自分はこういうことを考えてますっていう風に言ってたら、
ちょっと外から見られて怖いですけど、
全然それで完結しませんか。
もしくは自分の中でメモするとか、
僕はそういうことをやってるんですけど、
それでいいんじゃないですか。
相手がいるとか誰かに聞いてもらうとかってなると、
これはもちろん時間を込めてなんですけど、
その人に触れてた時に、
こういうふうに情報が入ってるかもねってことで、
集接していく必要性はありますよね。
これはこうやってやればいいですよねっていう、
特段の技術があるわけでもなく、
簡単に習得できるものはないし、
背景とか知識とか無ければ、
こいつ何言ってるんだってなりますしね、
僕の話もね。
何話すって面白いこと言ってるだけなんだみたいな。
いやまあだけですよ。
何を期待するんですかみたいなね。
有益なことを知りたいんですっていうね。
こうすればすぐ効率的に話すのがうまくなる方法を知りたいんですけど、
教えていただけませんかってきたら、
爆笑もんですよね。
爆笑ですよそれは。
そんなのはない。
そうそう。
そうですね。
残念ながらございません。
そういう話は置いといて、
そうやってですね、
自分のことを言うっていうね。
自分のことを言うのは、
自分だけが話すのなく、
相手にも話してもらわないと、
コミュニケーションにはならないですよね。
そもそもなんでコミュニケーションしたいんですかっていう。
ごめんなさい、
それは僕の大前途として相手のことを知りたかったり、
考え方とか、
考え方を知りたいかな。
価値観とか別にね、
中古の靴買うかはないから嫌だとかならないですけど、
どういう風に生き方されてるんでしょうねっていうのは知りたいわけですよ。
でも当たり前ですけど、
初対面にあなたの生き方どうしてるんですかって、
ちょっと気持ち悪いというか、
怖くないですか、いきなりね。
なんでそこはちょっとずつ開示したり、
ちょっとずつ長くなっていくしかないですよね。
だからそれを面倒くさがったりする人もいるのも、
分からんでもないですけど、
面倒くさいとは思ったことないんで僕は。
そういうところかもしれないですよね。
得意とかあまり苦にならない。
話すことの意義
苦にならないほうがいいですけど。
だから別に興味なくなったら連絡来なくなるというか、
興味がなくなるというよりも、
でも面白くないとか、
つまんないよねっていうのはそういうことになるんで、
僕も別にそれに怯えてるわけじゃなくて、
別にコンテンツ消費されてるわけでもなく、
人間なんで様々な興味と関心になっていくじゃないですか。
当たり前ですけど、
仕事からその人の人生ライフプランなんて、
僕は掌握してるわけでもなく、
その人が何をしていたいかを毎日追って、
見てたいわけでもなくね。
見てないですよ。
好きなYouTuberを追うのはダメとか言ってないですよ。
そういう中で、
そんな中があって、
結局ですよ。
今がいいよねみたいな感じで、
笑い合えるとか話せるのが良くないですか。
ぐらいで捉えてます。
いろいろ、
あったり、
空があれば楽あるさじゃないけど、
いろいろあるから、
その上で、
なるべく、
しつこいですけど、
いろんな人と話していって、
いろんなものに触れていく方が、
僕は面白いというところがあります。
そこが話すのの醍醐味じゃないですか。
だから話すんだけど、
別に僕の話を聞けなんて、
ごめんなさいね、
ポドキャスト上そういう風になってるんですけど、
聞けなんて全然思ってなくて、
どうですかっていうね、
先回も言ってるんですけど、
おすぞわけってところですね。
だからパスなんです、あくまでも。
シュートじゃない。
シュートを打ち込んでる人は、
多分俺のターン、
僕のターン、
私のターンで、
話を弾丸みたいに浴びせるって思ってるけど、
それは話すっていう、
確かに形式はのっとってますよね。
Aさん、あなたが話す。
Bさん、話を受けて、
じゃあ私の話するねって言って、
全然関係ない話をしていくと。
それが、笑い話ならいいんですけど、
それが真面目に起きてると、
かなりストレスですし、
これでやべえなと思いますからね、僕。
聞く気ないよねとか、
もしくは理解されてないなって思うので、
不審になりませんかと思うんですが、
どうでしょうか。
そこは投げかけつつ。
で、相手を理解しようとするという、
いわゆるこの、
家庭ですよね。
シュートじゃなくてパス。
それでどうなっていくかを見るというところです。
だからこのパスというのは、
一回投げて、
何々についてはこうだから、
どこです、どーんって投げて、
こうです、ああですって言ってきて、
そのやりとりが、
ラリーというか、
リレー、ラリー、リレー、リレー、
繰り返すことですね。
テニスとかだったら打ち合いみたいな感じですけど、
そのコミュニケーションを繰り返すことで、
深まっていく感じですよね。
だから回数を減なきゃいけないし、
時間もかかりますよねってことです。
故にそれが関係性になって、
関係値になって、
信頼になっていくという話を前回もしたので、
今回もしないですけど、
だから時間がかかるってことですね。
だから時間がかかるから、
タイパーとかが悪いとかじゃないんですよ。
そこは外したいけないですね。
だからもう分かんなくなってきたりするんじゃないですか。
なんでそんなに時間かかるんだっけみたいな。
手取りバッグやれるじゃんって。
なんて言ったら危なくないですか。
社会危ないなみたいに思うんで、
時間かかるっすよっていう。
コンパクトにまとめて、
否定というかね、
それが絶対悪くは思わないですよ。
効率的にまとめてダイジェストでっていうのを、
全然僕もXをね、
まとめのトゥゲッターですよね。
見ますし、ネタにさせてもらってるんで。
だけど、
それで全部を掌握したとか、
それでそれを追ってればいいとかっていう、
なんていうんだろうな。
それだけでいいよねみたいな風になると、
まずいですよっていう。
だからショート動画だけしか見てないと、
めちゃくちゃ言葉悪いんで、
怒られるかもしれないですけど、
頭悪くないんじゃないかなって思ってまして、
ショート動画だけ見てるんですよ。
なんかね、おかしくなると思うんですよ。
ショート動画見るなって思いますね。
見てますからね、僕もね。
だから見たら、
結局話しといてはシンプルです。
それだけじゃなくて、いろんなことをやって、
話す、考える、
長い動画を見るね。
長い何々を見る。
自分でしっかり考える時間を取る。
そこでやった上で、
人の一つに別にショート動画って全然あれだと思うんですよ。
まとめサイトしか見てなくて、
それで全部掌握したつもりとか、
掌握ってはないかな。
知ったつもりになるのも、
ちょっとどうかなと思うじゃないですか。
なんか気持ち悪さが残るんじゃないかなと思うんですよね。
追ってる人だとね。
ちょっとわかんないです。
そこはもう人によっちゃうんで、
それでいいやって思ったら、
よくなるかもしれませんよね。
なので、
短くコンパクトにまとまる効率性を否定しているわけじゃないんだけど、
それだけじゃないよねっていう。
でも、これは僕の感覚ですよ。
実感として効率的だとか、
少ない時間で何かっていうのは、
逆行しますよね。
長くかかるし、すぐには見えないけどっていう。
話すことの重要性
僕としてはしごくりは、
もう明らかなんですが、誤解がないように言っておくと、
そんなコスパだ、タイパだ、すぐわかる、すぐわかる、すぐ儲かる、すぐ何かできる。
量だ。
論的にこう言ったらすぐ結果が出る。
回答になる。
そういうのじゃないですよ。
真逆ですよ。
逆だと言うと、時間がかかる。
ちょっとよくわかんない。
考えなきゃいけないんだ。
まとまってない。まとまってないのもあるよなとか。
なんかそんなんですよね。
むしろテーマとしては、
そんなありふれたものとかね。
そんな感じもしますけど。
でもね、そこが大事なような気がしました。
結局。
まとめて、最後にもう一回言っておくと、
結局ですね、話すことが、
面白いからやってますと。
で、パスみたいにとりあえず投げて、
同行していって、相手のことを知るっていうことがあります。
もちろん相手のことを知りたいとか、面白そうだなとか、
いうところがわからない状況だったら、
まず投げてみてどうかっていうだけなんで、
それが全然違ったってこともありますからね。
だから撤退すると。
でもパスをやめていくことは、
多分ないんじゃないかなっていうことで、
ポッドキャストからいろんなことをやっているような気がします。
だからある意味、反応に期待しないし、
これは何度も言ってますけど、
タメセイさんという方が熟達論という中で、
反応の大きさっていうのを多分、
大きすぎるとネガティブな方に触れたときにはダメなんだと思う。
うまくいかないってなるから、
アイディアの探求
そうじゃないよねっていうことを考え方に述べられているんですけど、
本当に僕もそのとおりだと思っているので、
よくも悪くも期待せずに淡々とやりつつ、
長い時間というか、長くやればいいってことじゃないですか。
だけど長くなってしまうというか、結果的に。
が大事なような気がしています。
で、パスをしていって、
相手のことを知っていく、人のことを知っていくってことですね。
こうやって言うと万人とか全員とかあるかもしれないですけど、
そこまではもちろんないですね。
だから授業というふうに取られると違うんですけど、
要はその市場というか、いろんな知らない道とかがどんどんあって、
道だらけなんですね。知らないことだらけなんですよ。
今日もこんなのあったんだとか、こういう考え方あるんだっていうのが、
楽しくてしょうがないっていう感覚なんですよ。
これが伝わっているかどうかはちょっと分からないです。
でも伝わってないのかもしれないです、その部分はね。
あと分からない、そんなに楽しくないですよっていうのが毎日ね。
まあでも、そういうのあるんだっていうふうに考えとかね、
意見とか言葉でも意味でもいいし、知らないことを知るっていうのか、
あとは知っているつもりで知らなかったとか、
その深掘りしていたら違うとか、
あと、それこそ人とか新しいアイディアとかね、
遭遇して可能性みたいなのが出てくるんじゃないかと。
少なくとも錯覚かもしれません。実際は分からない。
だけどそれ面白いなと思うので、僕はね。
知らない人からしたら妄想とか錯覚が見えるかもしれないけど、
僕はそこまで思っていなくて、いいんじゃないと思ってやっているわけですね。
学びと挑戦
で、面白いから話をしていくと。
その時に、途中でも話したところが一番今回言いたいところですかね、
あえて取り上げるならば。
つまり、100%絶対みんなに刺さるとかはないですね。
もしくは10人、100人とかの前で話した時に、
素晴らしいですねって言って100人全員拍手するなんてことはないですよね。
なぜならその人それぞれ状況が違い、立場が違い、テンションもあり、
体調悪い中来ているとか、もしくは何だろう、無理やりこさせられたとかね。
このPodcast無理やり聞かせられている人とかはないですよね。
それだけはちょっと、たまたま次の再生になって入って聞かせられているとかがあるかもしれないので、
しょうがないというかごめんなさい。
それはもうプラットフォームとかサービスの方のせいにしてください。
GAできなかったらごめんなさい。
で、0%ですよね。
誰からもそれは違うよってこともない。
社会的悪というか、犯罪とかまずいやつはダメですよ。
倫理的にも良くないのもさすがにダメですよ。
そこはさすがに言った上で、さすがにゼロパワーもないんじゃないってことですね。
誰からも指示がないのもないというか。
指示って言ってもおかしいんですけどね。
パッと思い出すところで言えば、プレゼントがね。
プレゼントが実版的じゃないかもしれないですけど、
これこそ一般的な言い方で刺さるかどうかわからないですけど、
そのリスナーのあなたが話すの得意じゃないんだけど、
勇気を持ってね。
もしくは先輩とか誰かに押されて、やってみたらどう?って言われて、
その人が尊敬したり、そこそこ心を置けないね。
良い意味ですよ。心を置けないというのは良い意味ですけど、
心を許せるような信頼における方だったので、
じゃあやってみようかと、勇気を持って話してみたと。
そしたらですね、社内の勉強会でもなんでもいいんですけど、
いいよね、そういうことやってくれて、こういう心目素晴らしいよねって言ってくれる人がいたと。
他の人はそんなに言ってくれなかったけど、
じゃあ次もやるかという一つ続ける気持ちが起きませんか?
いわゆるモチベーションがなったりすると。
その人のためだけにやってるわけじゃないよ。
だけど、自分もやってよかったなと思えるなら続けませんか?みたいな。
そうなんですよね。
だから自分のつたない発表プレゼンみたいなのがあった時にね、
昔ね、企業の発表をこのラジオでもしたんですけど、
施設図書館みたいなのをやって、
自習室みたいなのをやったらどうかってことを考えて。
僕なりにこれがビジネスとして成り立つとは思ってないし、
むしろ描けなかったと言っていい?描けなかったんですよ。
別に負けとかでもなく、
シンプルに自分の中でそういうアイディアしかなかったわけなんですよ。
やりたいこととやってみたいことみたいなところで。
分かります?
これはだから言っておきたいのは、
例えば世の中で儲かるようなものって、
ウェブの記事、広告じゃないんですけど、
電車の広告とかも、今広告少なくなってますけどね、地下鉄とかもね、
医療、美容みたいなね、脱毛サロンもね、
いろいろ揉めたかトラブルになってましたけど、
とか、あと不動産ね、土地買います、もしくは家を買います、
もしくは分譲マンションみたいなやつですね、不動産みたいなやつ、
あと、何でしたっけ、弁護士の修行の方が、
修行の方というと、一部の修行の方と言えばいいか分かりませんけど、
トラブルね、様々な問題を解決しますみたいなやつとか、
そんなのしかなくないですか。
あと旅へ行こうとか、その時々のイベントのやつとか、
あと病院とかね、あと教育系の大学とか、
あとは保健だとか、頑張ってそういう塾とか、社会人学校、
ありますよね、英会話、古いところで言えばNOVA、
NOVAでもありますけどね、英会話スクールみたいなやつとか、
そんな感じじゃないですか。
だからそれが全てのサービスで、それしか儲からないってわけじゃないんですよ。
でも世の中でそういう儲かりますよね、みたいなのをやります?って話なんですよね。
いやいやいや、やりたいです、やりたいです、やってみたいですっていう人は、
全然やっていただいても全然いいと思うんですよね。
一方で、僕がカウンターというか、オルタナティブというわけじゃないんですけど、
大体というか思うのは、本当にこういうのをみんなでやりたいのかなって思ってるわけですよ。
分かります?だから営業職で不動産ついて売っててお金稼いでるけど、
本当に自分は不動産のそういうのをやりたいのかなって。
だけどお金を儲かるし面白いからいいやっていう人はいるのかな?
でもね、僕思うのは、成果を出せなくないっていうのがやっぱり思うんですよね。
心からやりたいものがないとね。
だから嘘じゃない、別に嘘じゃないと思うんですけど、
お金を儲けたい、それでやってみて、どうやってお客さんの心を掴んだらいいかってことを、
問題がない形でやってたら別にいいんじゃないかなとは思います。
悪質なやべえやつだったらダメですよ。個人情報を流すとかね。やばいやばい奴はね。
じゃなかったら今いいんじゃないかなと思います。
だからアプローチは違うかなとは思いますけど、
ただそこにやりたいというか、自分が続けられるイメージとか、
そこに多分僕ならですね、散々言ってますから学びみたいなのがないと、
未知でもいいし、未知すぎてもダメじゃないですか。難しいですよね。
学びが難しいんですよ。学びの環境を作って学んでいくっていうのはめちゃくちゃ難しいんだけど、
でもなんかめちゃくちゃ難しいっていうのも、
それは人それぞれ最適な標準化したパッケージみたいなのを作るのが難しいってことで、
答えは出てますよね。
自分が面白いと思ったことをやっていかないと学びにはならないし、
それは習得したり定着はたぶんならないと思いますよって話ですね。
自分がやりたくないことをいやいややって、
これが役立つからAI使いなさいって言われて、使わせられたらもうやんないですよ、AIも。
本読みなさいとかもそうですし、読みます?これやらされて。
月に一冊強制的に読んでねってやります?
そうそうそうそう。いやいやね。
もちろんそれが、そういうので機会になってそれで気づくケースもあるから、
なんとも言えないんですよ。
そのニュアンスはちょっと伝えておきたいですよね。
だから無理やりやるというのが絶対悪臭ではないけど、
あんまり長期的に続かないよね。
むしろそれで嫌になる人も出て、成功者バイアスで10人中1人しか
そのいやいや本を読ませて気づき合いられなかったんだけど、
いやでもそれで気づく人もいるよねっていう風に、
1人の10%の確率で成功するみたいになっていくと、
やらないより10%の確率で成功すると思われるかもしれないが、
その10人中3人はもう嫌でしょうがない。
3割の確実にもう二度と見たくないし、本読みたくない人が生まれたらどう思います?
難しいですよね。
だからそれはさすがにいいと思うんで、どうしようかってことで結局マイルドになりますよね。
強制はしないけども、こういうのはどうかっていう。
パスをしなきゃいけないですよ。
だから先回の話に出てきて、教育者とか学びとかを与えるというよくないですね。
提供したり、学んでこうねっていう立場の人。
別に僕もそういう立場では全然ないんですけど、
話すことの意義
学んでた方が面白くないですか?ってぐらいの感じです。
資生の人として言ってます。
資生の人というのはごめんなさい、一般大衆ってことですよ。
で、一社会人としてね。
1人の大人として言ってるだけです。
特にそこに忖度とかポジションはないんですけど、
で、ただ話すのが好きな面白い人ぐらいの謎のポジションとして取っておいてください。
あればね。
そういう時に言っていってパスしていかなきゃいけない。
そのパスが学生さんとか生徒さんにとって、
もしくは学びたい人にとって、学びたい社会人とかはいいんですけど、
窮屈であれば修正しなきゃいけないよねって話ですね。
当然ですけど、学びたい側が学生さんとか生徒さんという立場が、
自分はこういう風にやりたいっていうのがなければ、
指導者側も、この人にどういうパスをしたらいいんだろう、
これも嫌だ、これも嫌だって言うけど、
手の補助がないよな、みたいな相談が僕のところに来てるわけじゃないですよ。
でもこれ、教育する立場の人はほとんどの人が思うことなんじゃないですか。
めちゃくちゃ難しいなと思ってて、AI出てきてね。
さらにどうなんだろうなと思って、
チャットGPTは学習モードなんていうのも入れてるんですけど、
これ何なんだろうなと思って見てます。
無力なわけですよ。
学びたくないとか、もう嫌だと思っちゃった人にとっては、
何を言ってんだと。
学びたい人にとっては、めちゃくちゃ面白いんですよ、それがね。
それが違いがどういっても、結果論なんで、
その手前のところですよね。
それこそパスして、いや面白いんだよっていう。
それが教師というか教える人のプライドとして、
僕は別にこれね、全然立場が違うんで勝手に言ってるだけなんですけど、
持っておいてほしいし、そういう人が、
とはいえそういう人はレアなんで、
出会ったら絶対その人のことを話さないっていうのが、
僕から言える一つの唯一のことぐらいですよね。
それは教師とか師匠とか学ぶ人を選んでどうこうの話なんだけど、
自分でやる分には全然いいじゃないですか。
っていうことはもう言うつ言えるのは、
学びに対する姿勢
面白いことやりましょうみたいなことになっちゃうんですよ。
だから本面白くないなと思ってる人に、
別に本読めないって思わないですけど、
本面白いですからね。
この人の考え方面白いなって思って。
ありますあります。
昨日読んでた本、めちゃくちゃ面白かったですね。
自分に興味があったことをやりましょうって。
その時の話を戻すと、
それで刺さる人がいるよねっていう。
100%でも0%でもなくて、
一人はいるんじゃないの?
で、これがですね、
何でもいいんですよ。
一回でもいい。
それで経験をしたら、
こういうこと言ってもダメじゃないんだなって、
その素朴な感覚で、
という感じです。
むしろそれを味わってほしくて、
喋ってるような気がします。
それいいよねっていうのが、
一回でもあれば、
それで生きていけるっていうと、
ちょっと大げさかもしれないですけど、
それぐらい強力な体験なんじゃないかなと、
僕は思ってます。
中毒ではないですよ。
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
刺激的かっていうと、
強烈な外部の何かでもないから、
それぐらい、
共感ってめちゃくちゃ大事なんでしょうね。
分かります?
いいねの数とかじゃないんですよ。
定量化じゃない。
非定量化ですね。
定性的な自分自身が、
リスナーのあなたが生きてきた中で、
自分が勇気を持たなくてもいいし、
何気なく言ったら言わなくてもいいし、
考え抜いて言ったら言わなくてもいいし、
3日未満。
3日未満?
最近はないですね、3日未満ってね。
3日未満考えて、
やったけど、みたいな。
それは問わないんですけど、
そういうところで、
言ったことが、
全員でもないし、
誰か一人の、
物に、
物っていうか人に刺さるというか、
そういうのはあるよねっていう、
通じる感じっていうんですか、
すごく大事なことだと思うんですよね。
だからそれぐらいしかないかなと思ったりします。
だからそれを少しでも、
機会を提供するとちょっと大げさなんですけど、
そういうのあるよっていう、
ことは言っておくと。
これ、
仕事作りとかビジネスと関係あるんですか?
っていう人が多分いそうなんですけど、
めちゃくちゃあるんですよ。
すごく短絡的に言えばですよ、
それこそ効率的かね、
わかりやすいかわかりませんけど、
言えば結局その一人のお客さんのために、
何かやれるかどうかって、
その人に寄り添うとか、
その人のことを考えて、
これどうすかねって言える。
その一人の人っていうのが、
お客さんが一人であれってことじゃなくて、
そのお客さん一人の時に、
もしくは一人に対してどう振る舞えるか、
だから僕で言うさっきの、
話としてパスを出せるかみたいなことと一緒で、
この人はこういうの好きかもしれないから、
これで話せないかなとか、
この人の考え方から得たいなっていうのは、
まさにそれなんですよ。
その人のためにどうかっていうのを考えてみる。
それがですね、
的外れなこともありますよ。
だからね、
お客さんこういうの好きじゃないですかって時に、
いや別に好きじゃないや、
その気持ちが嬉しいわみたいな。
ギフトとかプレゼントはそんなもんじゃないですか?
そんなもんじゃないですかって、
物をもちろんもらえて嬉しいけど、
その人のことを考えてくれるのが、
最高に嬉しくないですか?
それとプラス物が含まれるから、
それもギフトになるわけじゃないですか。
見ず知らずの人に、
なんか、
レコメンドされて、
これいいですよねって言ってきて、
仮にそれが好きなものだとしても、
ちょっと怖くないですか?
そんなもんないですけど。
怖くないっていうかね、
Amazonなどだっけ、
ウィッシュリストとか出しといて、
それくるとかは別ですよ。
それはちょっと別なんですけど、
そういう関係性がある程度ある人の中で言うのが、
そういう気持ちや心が動くっていうのは、
そういうことじゃないかなって思います。
それができないのに、
ビジネスとか商売っていうか、
物を売るとかっていうのは、
ちょっと厳しいですよね。
厳しいというか、
別にそれでやってみてもいいと思うんですよね。
効率性とか、
効率化できるから、
それがいいから頼むっていう人もいると思うんで、
それは全然いいですよね。
でも、そういう関係で終わるというかね、
深まるとかはなかなか難しいですよね。
きっとね。
でも、
それは否定というよりも肯定なんですけど、
そういう考え方があっても悪くないなと思います。
全否定するってこともなく、
ただ僕はそうしてないっていうだけなんで、
だから僕はそうしてないのを否定と捉えられるかどうか、
否定と捉えてしまうかどうかなんですけど、
いろいろやり方あるねっていうのは、
その道は選ばない、
僕は選ばないけどねっていうのは、
取り入れてないから否定っていう人もいれば、
いろいろあるよねっていう風に踏まえられる人で
分かれると思うんですよね。
そこら辺も線引きというか、
分水型みたいな感じもしますよね。
ただただ、
長くなってますけど、
これで終わりなんですけど、
自分の
考えとか意見とかパスとか、
提供したこととかが、
いわゆる貢献と言っていいでしょうか、
何かをその人に
貢献する社会に対して貢献でもいいんだけど、
何かこう、
自分なりに考えたものが、
ビジネスと人間関係
ありがとうとかいいよねっていうのが、
全くないってことは、
ないんじゃないのかなと思ってます。
多分ね。
ごめんなさい。
社会が、北斗の件でね、
ちょっと古いですけど、
荒廃した大地で、
暴力、権力、
軍事力っていうんですか、
のみで、
何もこの人々は
怯えていくと、
一般の人は怯えると、
僕も一般の視線の人ですけど、
怯えていくっていう社会って、
良くないじゃないですか。
いや良くないんですけど、
それがいいと思っている人がもしかして、
やべえなって思うだけですよ。
これはもう思想というか、
主張として述べておきますけど、
それ嫌じゃないですか。
ってことで、
そういうところで、
それこそね、
何でもいいですよ。
学びって面白いかもなっていう風に、
一瞬でも思ってもらうとか、
いろんな人の考え方があるっていうのを、
楽しむっていうのは、
こういうことなんですかねとか、
今回で言えば、
話す?
ごめんなさい、
ちょっと脱線しましたけど、
話すのが面白いってことですけど、
ビジネスでその一人の人を考えられなくても、
できるものもあるかもしれないけども、
僕はその人にとって、
いいなってものを出して、
喜ばれていきたいよね、
っていうことではあるかなと思います。
効率化とかを、
本当に最初に代行して、
これいいっすよねっていうのをやって、
成り立つのもあると思うんですけど、
平均化して、
真似りとか予定調和になっていくと、
多分それって、
参入障壁みたいな、
誰でも真似できるもの、
真似できないよねっていうのじゃなくて、
そうすると真似されて、
価格が下がっていって、
みたいなことになりやすいですよね。
中長期的に言うとね。
最初は別に真似でもいいかもしれないな、
と思いながら、
どうなってくるかなって。
短期的なやつはもう知らないです。
中長期的に考えていくと、
誰かとか、社会とか、
その人の気持ちに、
考えていくっていうね。
よりそういうと言うと、
道徳の時間みたいなことを思ってるんだ、
全然そのことなくて、
僕はビジネスとか商売とか仕事作りにおいても、
同様に、もしくはそれ以上に、
あるって考えているってことですね。
きっと。
会話の楽しさと思考
でないと、
喋ってないし、
アウトプットしてどうかってことはやってないです。
とっくに辞めてる。
それが全く0%だったら、
僕は辞めてるし、
そんな社会なんですねって言って、
不的されるわけじゃないけど、
山にこもってですね、
世の中の奴らは分かってないんだ、
みたいになるんですけど、
それはちょっと、
斜め下見て、
斜め下じゃなくて、
下見すぎてないですか、
もうちょっと行こうよ、みたいな。
幸いにもですね、
僕の周りにはポジティブな人とか、
みんなが話そうぜって言うわけじゃないんですよ。
そんな感じじゃないんだけど、
こういう人いるよねって、
僕のことを面白がってくれる人がいるってだけで、
生きていく価値あるかなっていう、
生きている価値というより意味か。
その人の価値にとっては価値だけど、
僕にとっては生きている意味ですよね。
があるから、まあいいかなと。
結論がちょっとバラけましたけど、
楽しんでいきましょうと。
僕のとっては話すのが楽しかった。
楽しい仕事やってるってことです。
加えて何かやっていくと。
だからリセラーのあなたにとってもですね、
解釈とくと、
あなたにとって楽しいとかね、
面白いってことを、
1ミリでもちょっとでも関心があって、
これいいなと思ったものが、
今回聞いてくださる方はほとんどいないかもしれませんが、
あれば、
それやりましょう。
今からやりましょう。
そんな感じで終わりたいと思います。
なかなかどうもありがとうございました。
ここまでお聞きいただきまして、ありがとうございました。
将軍ラジオ大橋でした。
以上、失礼いたします。
01:09:10

コメント

スクロール