現時点で言うならば、自分しか見ていない人ってそういうことできないですよね。だって自分ができませんって言うだけじゃないですか。あ、いやないです。みたいな。もちろん接客業的な意味で、そんな人は別に断っていいよっていうのもわかるんですよね。
ただ別にその、このやり方対応例、ことを絶対やれって意味じゃなくて、そういうことや、なんか姿勢というか余白というか何だろうないと、なんかつまんないというか面白くはないかなっていうことですが、伝わりますかね。伝わらないのかもしれないけど、そのあたりはちょっと説明できたり、何でだろうねっていうことを考えていければいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。はい、諸国理ラジオ大橋です。よろしくお願いします。冒頭でお話した通りでテーマとしては、自分視点だけじゃなくて主観は大事ですね。他者対応している人、顧客視点と言った方がいいんでしょうか。この2つの視点は同時に持つことは難しいかなと僕は思ってるんですが、同時にというのは並列ですね。並行して持つ。
同時に自分視点、主観の話っていう立場というのをまず一旦メモリーと言いますか脳の記憶っていうのを考える領域に入れつつ、もう一方で他者ですよね、お客さんのものを入れつつっていうのを頭の中でイメージできるかってことなんですけど、そのメモリー機能が少ないと僕できないなと思ってるんですよ。
メモリーだけじゃないと思うんだけど、その主観的な視点がこう、今こうです。お客さんの視点はこうっていうのを脳のキャパシティというかメモリーだと思いますが、それぞれの主張や論点というか言いたいことがあって、意見があって、事実やそうじゃない気持ちみたいなのもあるんでしょう。
結局そこがぶつかってどうなるかっていうね。試合ではないですけどね。スポーツみたいな試合じゃないんだけど、そういうやりとりがあってどうなっていくかということがコミュニケーションかなと思うわけですよね。
整理するとテーマとしては、自分ができないことをどうするか。そのときに特にできないっていうふうに断るのは全然ありだし、それを否定してるわけじゃないですよ。だけど、そこで一つひねってというか違う対応として、ここだったらできるかもしれませんよねっていう話ですね。
特にライバルというとよく分からませんが、もうちょっと分かりやすい例にするとクリーニング屋さんで特殊な洗剤とかもしくは洗い方みたいなのがあって、自分のところではできません。だけど他社の技術だったらできるかもしれません。同じクリーニング業界でね。
Bクリーニング店。実際のあなたがいるところはAクリーニング店だとして、そこの店員さんだと思ってください。一応シミュレーションとして。そのときにBクリーニング店、進めますかって話なんですよね。あなたがその立場としてA店の店長でも何でもいいんですよ。社長でも何でもいいんですけど、なんか素朴にBを進める他社だからライバルだからそっちに売上がいくことになるじゃないですか。もしくは売上がいく可能性を与えることになりますよね。
っていうのを根こそぎというかそぎ落とすというか。やらないっていうのもあるんだと思います。考え方として。だからそれは否定しない。否定しないですよ。だけどなんかそれって僕からするとめちゃくちゃ嫌がらせじゃないかなって思うわけです。嫌がらせとまでは言わないんだけど、あんまりいい感じじゃないですよね。
で、違うんですよ。お母さん聞いてください。それはA社とB社の関係みたいなやつで、たまにラーメン屋とかでもいいし、居酒屋でもいいんですけど、兄弟、授業で兄弟とかで仲が悪くて仲違いして別れていがみ合うみたいなのありますよね。兄弟喧嘩みたいな感覚でもいいし。
分かりませんけど、なんかそういう流れで、そのA社とB社仲悪いんだと。で、こちらがB社だっていいって言ってもB社側はA社なんか行くなとか、むしろなんか工作ですよね。ある種。流言としてなんかA社って悪いらしいよみたいなことを吹き込んでいる噂があるとかね。実際は知らない。実際は知らないけど、そういう噂が流れる程度。
そういう噂が流れる程度の何かが社内でも社外でもあったりするっていうね。お互いのね。みたいな時に、わざわざ敵に資料を送ると言いますが、資料足りんやろうと。大事なもんやろうということで。
ウェスケンシンが送ったんでしたっけ。もらったんでしたっけ。忘れましたが。すいませんね。その史実は置いといて、そういうふうにですね。敵に資料を送ることならんかみたいなことをどうなんでしょうね。今の僕も現代の人ですけどどう思うんでしょうね。
だけど、なるからATプラスことはないんじゃないみたいな。っていう考えもあると思うんですね。関係性があったら。そこまで言ったら正直わかんないですね。わかんない。だけどそこまでの関係が悪くなかったら別にこういう店あるからそういうの行ったらどうですかとか、こういうクリーニング屋さんあるから行ってみたらどうですか。
少なくともちょっとうちではできないけどね。だからうちではできないってことで断ってさよならってことではなく、本当にそれもね仕事の忙しさとか対応するまさにご自身ですね。リツアーがあったらご自身の気持ちというか状況次第だと思いますよ。
思いますけどそこに気持ちに余裕があればこういう誰かに、目の前の人を助けるって言うとちょっとね、おこがましいかもしれませんが余裕があるんじゃないかなと思います。つまりその他の店行ったらどうですかっていう。この店で知らないけどっていう意味じゃなくて、こういう店があるから調べてみてくださいぐらいのイメージですかね。
ができるかもしれないっていう話ですね。でそれやるとじゃあおかしさんそれどういう意味あるんですかってどういうことになるんですかって言ったら別に何か保証するわけじゃないですよ。銀の弾丸はないというのが流行りというかずっと言ってて、要は魔法はないんですよ。
だからそれはすることでその人が素晴らしい対応だ、じゃあここのAクリーニング店に今後来ようってなるとは別に限らないですよ。だけどこれって僕からすると神社みたいな話で別にスピリチュアルな話じゃないですけど、願うか願掛けするかとかで話して、別に願掛けとか願ったりおみくじとかでも何でもいいんですけどいいんですよ。
それするのは良くてどちらでも良くてやるかやらないか。でそれやるからにはその行動としてじゃあ何かを達成するために動きますよね、考えますよねっていう考えるためにアイディアを出すみたいなことをずっと繰り返すってあれば別にその一部である願掛けって別にいいんじゃないかなって。
むしろ意識が専用化というか尖ってなんかね、より行動したくなるんじゃないのって。だからつまりその行動する一部だっていうことですね。ただ願ってるだけだったらダメですよ。やってる上で願ってるってことです。願うからやるってことです。
両方セットで考える。考えるアイディア行動する、考えるアイディア行動する、考えるアイディア行動するみたいなことをずっと繰り返すっていう。そういうのと一緒じゃないかなと思ったんですよ。だから誰かに来た人に1ケースをあげて来た人に対応しなかったらダメってわけじゃないんだけど、全員が全員家ではできませんっていう風に言うのもどうなんだろうねっていう。
ちょっと精神的なというかマインド的な話ですよね。なんで僕こんなこと言ってるかというと、結局お裾分けみたいなのがあるんですよね。お裾分けっていうのは結局自分が機嫌がいいとか状態がいいっていうこと。もしくは自分がうまくいってるからならやりますよねっていうのでもなくですよ。ここがポイントなんですけど。
自分がうまくいってたりするから周りの人に気がいいっていうのは普通なんですよね。誰でもそうじゃないですか。じゃない状況でどこまでできるかっていうのが多分僕は問われる。だからこれは初めて聞いた方だとわからないと思いますが、簡単に言えば友人と一緒に起業しない方がいいっていうのがまことしやかというかある話なんですが。
なぜかというと仲互いしたら終わるみたいなね。パフォーマンスとかその考え方価値観というのは仲がいいのとまた別でもねみたいなですね。プライベートと仕事が分けた方がいいとかそういう話じゃないですけど。
少なくともうまくいってるときはうまくいってたからいいよねっていいんですよ。でもうまくいかなくなったときに一気にこれスタートアップとかでも全然いいと思うんですけど、あれなんかうまくいかなくなったよねってときにどこまでその事業とかやっていくことにコミットと言いますかね。
要は耐えれるかもしくは続けられるかっていうと意外にですね人って簡単に離れるわけですよそういう時に。例えばお金払ってなかったらもう無理じゃないですかとかね。お金はくださいみたいな。思いは霞では生きていけませんみたいな話っていうのはもう如実にありますよね。出ますよね。
そうなんだけどねってことで無限に止められないわけですよね。でその時間を別のことに使ってたりその人の将来人生の一部を切り取るじゃないんだけど奪うことになりますからね。
そういう時にうまくいかなくなった時にどこまでできるかっていう類の話ですね。どちらかというとこの今の話はクリーニングで例えてますけど。
端的というか例で挙げるとそういう風になっちゃうんですけどまあまあそういう感じです。だからお裾分けって言ってる部分は自分がうまくいってるからって意味じゃなくてどのような状況でも僕だったらアイデアを出すと。
アイディアが別に出ないことなのが普通にあるわけですよ。なんか出してって言われて別にポンポンと出せないですし。
友人と話してて面白かったのはデザイナーとかイラストレーターみたいな、それを仕事でやってる人に対して何も別にお金を払うとか仕事でもなくなんか今書いてくださいみたいな話を打ち合わせみたいなところでしている状況があった時に
そういうのってやらないですよねみたいな。だからITエンジニアに対してじゃあ今すぐちょっとコーディングをしてみてくださいちょっと見ますんでみたいな。そういう人ですよね。
そのITエンジニアであれデザイナーであれイラストレーターであれ、すぐその場でささっと書けるかって結構難しいと思ってるんですよ。
これ昔ですね僕もなんかプログラミングでなんかそれでコード書くときになんかそんなすぐライブコーディングというか言われてすぐできなかったんですよね。
要するにちょっと言い訳みたいに聞こえるかもしれないですけど言い訳でもありますが言われてすぐできる力っていわゆる反射的な力じゃないですか瞬発性みたいな。
だから走り幅跳びとかもしくは100メートル走の瞬発、まあ100メートル走は瞬発でもないですけど50メートル走みたいなもので一気に走って一気にやるみたいな。
だから50メートル走が瞬発っていうふうにはじゃあ4000メーターとかその時給層とかいわゆる長距離ですよね。走るものって比べたら使い方が違うじゃないですか。
ロードレースと軽輪みたいなぐらい違うというか一気に走る力が求められるんですけどロードレースと違います。長い長距離を走るから。
そういう時に別にその自転車とか短距離長距離とか知らないっていう人でもいいんですけど素朴に無邪気に知らない人が自転車乗ってるんですね。
じゃあ速いですよねって言ってスプリントってことで一気に50メートル勝負しましょうみたいになって。
別にその50メートル速くないんですよみたいな。いやいやいややりましょうよってわかるからって。遅いですね大したことないですねみたいな感じで言われるって感じでわかります。
あと勘違いしてそうなのがあなたももしかしたらご勘違い?勘違いされてる方もいると思いますけど
デザインって言葉ありますよね。デザイナーですよね。デザイナーの人がイラストを描けるようは絵を描けるわけじゃないって思うんですよね。
わかります?そのスケッチですね。デザイナーがね。デザイナーがスケッチはいいのか見たものを描くのはいいんだけど
例えばなんだろうそのチーカーとかじゃないですけどキャラクターあるじゃないですか。そういうの描けると思ってる人いません?
要はイラストを描けるのとデザインをするっていうのは一緒だと思ってたりする人がいるしあとデザイナーの人では別にスケッチできない人も多分いると思ってて
デザインによりますよね。例えばデザインでもデザインって設計ってことですから
プロダクトデザインってことで物を形作る人だったら多分そういうのはあった方がいいしないときついかもしれないですけど
ウェブデザイナーとかはウェブでコーディングしてウェブのホームページですよね。ランディングページとか色々ありますが
その中で設計するので絵を描けるイラストを描ける人っていないんですよね。そのウェブの世界のルールを知っていて
それを表現できればいいわけなんでむしろいらないかもしれないですね。イラストをつけるスケッチスキルってね。それ乱暴だったらごめんなさいね。やってる人いたら
多分あんまりいらないと思います。例えばITエンジニアで僕もプログラマーやってたんですけど
機械語っていう機械がわかる言葉があると思いますがそんなことは僕は別にわからない。自然言語ではないけど
懐かしいことはビジュアルベーシックっていう言語を使ってたんですけど、それで仕事してできてましたから別にそれでいいんです。
わかります?エンジニアは全部機械を操作できる機械語っていうものを、機械語っていうのはプログラミング言語の中でも提供と言われている
より機械が解釈するものに近いアセンブラとかそういうやつですね。ご存じない方も多いと思いますがそういうのがあるわけです。
でもそれ知らなくてもよかったりするみたいな。よかったりするとか別に知っててもいいんだけど知らなくてもできますよねみたいな。
そういう状況があるわけです。ちょっとすみません脱線しましたけどそういうふうに速応力というかその場で瞬発的にできる反射的にできなかったらできないっていうのも
またちょっと違うよねっていうわけですよ。知っている人からすると。これあくまでもマフントではなくてそういう状況があると。
でも素人的に知らない人だとそれはデザイナーに絵描けないんだとかコーディングできるのに機械にメールできないんだみたいになるわけですよ。
なんかしょんぼりする話かもしれないですけど。そういうのはありそうですよね。
ちょっと脱線しましたけど話を戻していくと、お裾分けっていうのは結局自分が別にどういう状況であろうがどうですかっていうふうに提案してたり
なるべくなら、これはもう信条みたいなものです。信じるに大切にしている条例の条かな信条。大切にしているものってことですね。教授みたいなプライドみたいなものだと思いますけど
目の前の人に喜んでもらいたいとか、目の前の人に別にみんなではないですよ。これはまずみんな皆様が聞いた人全ての人だとか思わないですよ。それをお互い様でいいと思ってるんです。
その上で、できたらいいふうにしていきたいですよね。分かりますかね。そんな感じです。生きてます僕は。その思いが通じない方もいらっしゃいますよね。
さっきみたいに、すぐ作れないんだねダメだねみたいな。じゃあいらないっすみたいな。そういう人もいますよね。分かります。その時も言い訳にはもちろんなるんですけど、
その即応ですぐできる人ってどれくらいいるんだろうなって僕は疑問に思いますけどね。じゃあそういう人にすごくお金を払って何かやるかって言ったら、そうでもなかったりするわけじゃないですか。そういう話ってね。
なんで僕今回言いたかったかなって思うのは、どういう状況であれ目の前の人に楽しんでもらうとかっていうのができることはありますよ。もちろん全然。僕ができてないこともありますよね。今回聞いた人が全然面白いかどうか分かりませんけど、でもなるべくならばそういう機会があってチャンスがあって、別にお膳立てとかなくてもいいから、そこで何かできることってないんですかねっていうところを
姿勢というかこのマインドセットみたいなメンタル的な精神的な話なんですけど、ものすごい重要じゃないかなと思いました。改めて。すごく人によっては抽象的かもしれない、隣どころのない話だかもしれないし、イメージがしづらいかもしれませんけど、クリーニング屋さんとかね。
だからぜひご自身の仕事とかで置き換えてもらっても全然いいんですけど、ITエンジニアだったらできませんって言って終わって追い返すっていうのもありますが、こういう風だったらできるかもしれないですよね。もちろん対話というか関係性ありますよ。
そうやって提案しても全部バシバシ切ってくるからもうこいつはダメだみたいな感じにするのもありだと思います。僕も別にそこまで提案したりクリーニング店なのにその人の服を買いに行くのを手伝うとかってやりすぎじゃないですか。
従業員の立場だからそれやりすぎでしょっていう。他の仕事をしててそれができてるならいいかもしれないけどみたいなね。そういうことはなってきますよね。だがしかし、アイデアを出したり何か工夫とかもしくは改善をしようみたいなことを会社とか組織とかで言われるじゃないですか。
自律的に考えようみたいな。現場にいないようなトップの人はそうやって言いがちじゃないですか。でもその時にじゃあ何かやろうとして見つけたから改善しようって言った時にそれは業務内時間でやるんですねみたいな。
業務時間内でやっちゃダメなのとか。やってもいいけどそれは業務をこなしたならいいですよみたいな。なんか謎の前提条件が出てくるわけですよ。スーパーマンかみたいなね。ツッコミ入れてもいいと思うんですけど。
要は言うけど実際にやるにはものすごく制約があったり時間がかかったり圧力ですよね。言ってるけどやってもいいけどもみたいな。やってもいいけどもって次は何?やるなってことですかって。やるなとは言ってないみたいな。
やってもいいけどもみたいな。じゃあ業務でやってる時間を早くやりそれを改善するってことですか?で?みたいな。より業務を圧縮して効率化してすごいやって、しかもそこで貢献しているんですよね。しかも質が高くなっていく。
かつその業務内でさらに改善して工夫してやっているすごい価値上げてますよね。っていう人が報われないというか何もそれに対して別にお金出せってことじゃなくてなんか褒めの言葉とかその人いいよねっていうことすらされないとかってめちゃくちゃあると思うんですよ。
なると思います。だって今言ったように、さっき言ったじゃないですか。仕事はもうちょっと改善していったり、こうしたらお客さんのためになりますよねっていうようなことを、今聞いたリスナーのあなたご自身に問いかけてほしいんですけど、そんなにやれないよ、そこまで仕事ってできないですよねっていうんだったら、それはそれがダメっていうよりも、そういうレベルになると思うんですよ。あんまり高くないレベルになる。
だからそれを別に僕が評価するわけでもないし、エラー総理にこうしてくださいってことはないんだけど、そういうものなんだと思います。
で、それを、いやそうだよね、そうやってもっとどんどん改善していった方がいいよねっていうのは、当然お客さんとか改善していって、経営としてですよね。人材育成なり、いい人が存在だったり、あと外からもそういう場だったらもっと行きたいですって言って、社会に適応したような商品やサービスを生み出したり、それこそ社会にとって必要だよねって思われるような企業だったり、
そこで働いている社員というか従業員の人ですよね。とか、経営も全てそうだし、思われるんじゃないかなと思います。まさに。だからそれをいわゆる評価が高いというふうに使うのが適切だと僕は思ってますね。
じゃあその、もういいや、適当でいいやとか、サボっちゃおうみたいなところでが、ちゃんと仕組みがあってそういうサボり大事だよねみたいなところじゃなくて、シンプルにもうやらないっていう、全然微妙みたいな対応のところに、人もそうですけど、いいサービスとか、他の人がいいよねって思われることはなくないですか?
そこは詰めて考えたいですよね。そこがですね大事じゃないかなと思いましたんで、なんかこんな精神論ですけど話してみました。
だからその、リスナーのあたりに落とし込むのであれば、普段の行動のところで、自分が対応するときに、なんかないですか?対応したときに、こうやって言うとお客さん多分よくないんだろうけど、こっちはこっちの事情があるからこうやって言うよねって。
っていうのがあった上で言ってるのが、もうなんかそんなこと何も考えずに、あいもあいも関係ないですみたいな、親ハラミじゃないけど、シシーみたいな野良犬とか野良猫じゃないですけどね。
みたいに扱われたら腹立ちますよね。そうされるとね、なんか不審ですよね。もうなんか大丈夫かみたいなね。なりますよね。なるなる。改めてなるなと思いました。
だからそうならないように、なんて言うのかな、真心を込めたらいいよねみたいな、そんなピュアな話じゃないんですけど、でもその真心すらないというか、真心も込めようよみたいな感じです。
だからAIに文章書かせたら心はこもってないっていうふうにはなるかもしれませんけど、じゃあAIに真心を込めて打ち込んで作ったら心はこもったかっていうと、まあそれもわかんないわけです。
だけど別に対応チェックをして全部格付けしてランキングつけてるわけでも全然なく、めちゃくちゃ主観の話ですよ。いいなって思った対応のところに人はいいなと思うし、そのサービスが売れたり、そのサービスが商品が売れたりするし、
そのサービスがすぐ売れてなくても予約が殺到したりとかね、なると思うんですよ、本当に。っていうのをある種これはスピリチュアルではないんですが、信じられるかどうかなんじゃないですかね。
それを自分のご自身の体験とか、さまざまな人と出会い、学び、体験して感じていただき、もしくは感じていただいている方がいたときに、やっぱり自分はこういうふうのがいいよねって思えるようにしていけばいいんじゃないかなと思います。
これは何度も諸国ラジオで話しているんですが、何度も言っていくと、経営コンサルタントを目指すみたいなのをすると、もちろん経営コンサルタントをするのがゴールではないんだけど、フレームワークをちょちょっとパワーポイント資料いじくってポンって出してお金もらってるみたいなのが、もしかしたらあるかもしれないですけど、僕は知らないですよ、経営コンサルタントではないから。
し、そんなふうに思ったことないんで。だけど、それはないですよね。少なくとも僕のレベルでもってことですね。そのお客さんに授業企画とかビジネスモデルじゃないけど、こうしたらどうですかねって考えるときに、例えば必要なる資料を作るときに、その資料を作って資料自体をきれいに見せるなんてあんまり意味なくて、本当に意味ないです。
それで何を伝えたくて、お客さんがどう考えていることに対してプラスしたり、そのお客さんのためになんとかしたいよねって。なんとかしたいって別に魔法ないですよ。魔法ないんで、こういうのが考えられるかこうしていったらいいんじゃないか、プラスというか、ポジティブなことを言えっていうことじゃなくて、何か実現するのであればこういうことを考えていったら価値にならないか、可能性を見出すみたいな感じですかね、うまく言えば。
っていうことをする上で、お客さんがそこにそれやった上で価値だね、いいね、お客さんそのやつでヒントになったよっていうふうに感謝だったり、心が動いたらお金いただけるわけですよね。本当に。
っていうことをやってないのであれば、やっぱりですね、僕にブーメランみたいに飛んでくるかもしれない。つけた次回もこうやっていくと、やっぱりそれは感謝されない。お金になるかどうか置いといて感謝とかがないんじゃないですかね、そこにね。やってくれたりして、価値に対してありがとうがない。
だからやること、何でもいいからやればいいんじゃないんだけど、そのありがとうも本当に心が動くかどうかなんでしょうね。だからその、まだまだその次回を込めて言えば心を動かしているかどうかってところでいくと、まだまだ足りてないんじゃないかなと思ってます。もう十分心を動かしてるよっていうふうに涙流してる方がいたら是非ですね、涙流してますってコメントいただければ嬉しいですけど。
でもですね、それぐらい心を動かしていくっていうことを意識して、意識しすぎることはないと思います。毎回毎回すごく気を使って、それで精神的に疲れてしまって仕事ができないんだったらちょっとやりすぎです。それはやりすぎです。だけど、全くそれに鈍感というか気づかずに、もういいや適当でいいやみたいな感じで、僕で言えばポッドキャストを適当に喋ってるってことですよね。
適当っていうのは、書かれたやつをビビッとAIにやらせて、それをただ原稿を読んで喋ってるっていうような感じ。ないですからね、その原稿なのかね。メモはありますよね、考えたやつとかね。全くなしでやるとブレてっちゃうんで。今回ちょっとブレましたけど。
そうやってやってます。なんで心から全く思ってないことを嘘で塗り固めてるとかはないし、割と本音ベースで語ってるし喋ってるんですけど、そういう意味での自分の気づいたことを今回話してみました。自社ができないから断るっていうのも選択肢としてはあります。
その上で、目の前の人をどう楽しませるか、もしくは喜んでもらうかみたいな風に考えていくマインドセットもしくはメンタルがある、余裕があるのであればそれをやっていただくと、それは僕は感動の種と言いますか、別にその人を感動させなきゃいけないじゃないですよ。別にウェディングでお祝い事でめでたいみたいなところではなかったりするのもあるじゃないですか。