AIによる仕事の変化
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。 なんか、最初噛みまして、
Take3です、これ。 どうでもいいですけど。
やっていきましょう。 このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組です。
仕事づくりしていますでしょうか。 ね、余計なお世話だと思うかもしれませんが、
楽しいですよ、と言っておきましょう。 今回はですね、AIネタですね。ある、これは翻訳家の方ですかね、の記事が
たまたま見かけまして、 リンクも貼っておきますが、
簡単に言えば、
翻訳家の仕事がAIで奪われています。 大丈夫ですか、みたいな。
大丈夫ですかってのはちょっと雑ですけど、どうしようね、という話ですね。 翻訳家の方と言っても、この筆者とその方が紹介している、
別に翻訳家の方という構造ではあるんですが、 記事も見てもらえばいいんですが、答えを持っているわけじゃないんだけど、
という話でした。 一言で言えば、そのAIが仕事を奪うっていうね、そんなことないよ、と。
AIは仕事を目指してくれるんだよ、ってね、想像的なことを見えていったらいいんですけど、 正直見えます?っていう。
世の中的にAIでこれ仕事ができたよね、っていうのがあったらね、 バンバン教えてほしいんですけど、どちらかというと、あの企業側で、つまり会社員の人が多いじゃないですか。
会社で、じゃあAIを使って新しいビジネスが生まれましたとか、生みましたとかじゃなくて、
経営側とか、要はその企業側の偉い人とか、社長さん、経営者さん、
なんでさん付けなんだろう、まあいいや、経営者側とか、 役員とか、わかりませんが、要はトップダウンで
生産性を上げると効率化するっていう、まあぶっちゃけそれだけなんですよね。 それがダメとは言ってないんですよ。
いいんだけど、何度も言ってますけど、このショークルラジオで何度も言ってますけど、それで浮いた時間何するんですか? って話になってきて、ん?ってなって、サボる、やりたくない、
AIなんて新しいことをやりたくないっていう人が、まあ、属出すると。 そんなことないと思いますけど、
僕が会社員でそれやってたらやらないですよ、そんな。 だって別に給料上がらないでしょって、そう。
休みが増えるとかね、なんかご褒美がないとやらないですよね。 それをあの、なんかキャリア側とか、スキル側とか、AIを世の中的にとかいう、
そんな言ってもね、困ってないしとかね、そう。 で、上げたところでってなりません? これは別にその会社員の人をディスってとかじゃなくて、
当たり前ですから、 あの、それを上回る何かを言わなきゃいけないわけですよね。
それを提示できてないのに、入れてくれないとかはさすがに厳しいんじゃないかなと思います。 で、それを乗り越える何かが出せてない、
新しい仕事ができます、生み出せます、はい、それで儲かります、給料増えますとか、休み増えますとか、 もっと働きやすくなりますとかね、言えたらいいと思いますけどね。
ならないんじゃないですか。っていうところで話が終わっちゃうんですけど、 この話をまたもうちょっとね話していって、今回はAIと働くことですよね。
特に翻訳家さんの事例ということがあったので、そこを見ながら考えていきたいと思います。 ご興味の方は引き続き聞いてみてください。今回もよろしくお願いいたします。
翻訳家とAIの関係
はい、シゴクリアジオ大橋です。テーマはですね、 AIに仕事を奪われる、どうしようみたいな話です。
URLをですね、添付しておく、添付? 概要欄に載せておくんで、翻訳家さんの記事よかったら見てください。
小林さんという方ですかね。 イギリスのメディアで働いている翻訳家の人が、メディア等で、
イギリスのメディアでそういうのがあったってことかな。 ちゃんと見てないですけど。
話としては、翻訳家っていうのは仕事が分かる方が多いと思いますけど、
例えば英語で海外で書かれているものがあり、 海外の言語で書かれている、日本語じゃない言語で書かれています。
日本人だと読めない人が多いじゃないですか。 僕も読めないですけど。それを、分かりやすいのが何でしたっけ。
忘れした。 シャロックホームじゃなくて。
完全に出てこないですね。今絵が出てるんですけど、何も出てこないです。 賢者の意志とかのやつですね。すみませんね。
多分もう皆さん伝わっていると思うんですけど、何も出てこないです。 作者の方の名前が出てこなくて。
タイトルの方も出てこないです。ごめんなさい。 まあその要はイギリスの名前を思い出したら言います。
イギリスの小説があった時に、じゃあ英語ですってことで、 それを日本で翻訳します。その時に勝手に翻訳できるかというと、
今までもあったんだろうけど、AIサービスがあります。 もしくはコンピューターが翻訳してくれるっていうのがあったんだけど、
最近のチャットGPTCからAIがもうガンガン入ってきてて、 それで正直なところ、翻訳家の仕事が減っている。
翻訳の仕事が減るということは、依頼主が、それこそ判権と言いますか出版権?著作権? どっちかというと出版社でしょうね。
が、じゃあこれ日本向けに出したいからってことで、 英語と日本語が分かる人っていうね。
で、日本に出したいと。 日本人に来るかもしれないし、それ分かんないですね。イギリス人とかかもしれないし。
だけど、翻訳家のところに仕事が来るときに、依頼しなきゃいけないわけですね。出版社なりその企業が。 だけどその仕事が減っていると。まず。
仕事が減っていることに対して、 仕事くれって言っても、いや依頼しないですって言ったら終わりだから。
そういう話なんですよね。 で、どういう仕事が来るかというと、記事も書いてあるんですが、
AIで翻訳したやつを、その翻訳家、人間に対して、これもうあるから、 これをもうちょっとブラッシュアップしてみたいなのが来るんです。
これはですね、よく聞く話というか、ちらちら聞こえてくるわけなんですけど、 例えばSEO対策みたいなのがあるじゃないですか。
SEO対策っていうのは、Google検索とかで検索サイトを使ったときに、 最近はもうAIの方に見てもらえるようなみたいなのが、
AI SEO、ジェネレイティブ側の、 セスAIだから、GEOとか、なんかよく分かんないですけど、
そういう対策が専門家はしようとしていたり、 そういうニーズがあるのかなっていうのがあるんですけど、
要はウェブサイトを検索したときに、その順位が上のほうに上がるってことは SEO対策というと。
それでもそうなんですけど、じゃあこれ SEO対策をAIにしましたっていう文章を、
そのSEOの専門家に投げて、それを修正してくださいみたいな依頼があるっぽいんですよね。 それと構造は全く一緒じゃないですか。
僕のとこに来てないですけど、AIにアイディアを出させて、 それをあなたアイディアとかビジネス考える得意でしょ?
設計とか戦略とか考えてよっていうのは来てないですね。
ニアリーっていうのは、考えたけどなんか微妙だったっすよねっていうのがあるけど、 AIにね。
壊れても困る感じがしますよね。 それを真面目にAIが出したものを評価するってことはできますけど、
なんすかねっていう突っ込みになるのかなと。
その翻訳化なり、SEO文章とかね、対策済み文章みたいなのがあったときに、
じゃあその文章が優れてるかって言ったら、もちろんそこそこなんかいいんだけど、やっぱ違うよなとか、複雑なものとか、
言語と文化の複雑性
より専門性が問われるものだと、やっぱり文化、文脈、その先方ですよね。 例えば英語から日本語だったら日本に対する使い方みたいなそういう話になるわけですね。
翻訳っていうのを誤解されている人がいるかもしれないけど、僕も詳しいわけじゃないですけど、
Appleっていう単語がリンゴなのかっていうと、わかんないわけです。
リンゴなんだけどみたいな。 言ってもわかります?
文脈によって変わるわけですね。別にそれは日本語だけ得意の、別に翻訳コンテキスト感が日本語かもしれないけど、別に英語でも言いやみっていうものはあるでしょうし、
より細かい日本語より細かい表現があるような気がするわけですよね。 例えば日本語で言う雪とか、
いろいろ表現あると思いますけど、雪がない地域ではそんな表現が目立たないじゃないですか。 ヨーロッパとかだったらスポーツが盛んだったりするっていうね。
日本でも盛んだけど、例えば野球じゃないですよね。サッカーとかヨーロッパだとメジャーになってくるんですけど、
そのヨーロッパのサッカーを応援する言語とか言葉は多分多いんじゃないですか。
だから適当に言ってますよ。そういうところを知っているとか、学んでいるとか、教養でもそうだし、実際に体験しているとか、文化への理解みたいな。
そういうのなわけです。これめちゃくちゃ大変で、日本語ですら国語辞書は大変ですけど、それを横断するっていうことで。
だから蓄字役じゃないってことですよね。それでもいいよっていうものはあるけど、完全一致なものってないんじゃないかな。
だからアップルはリンゴだよって覚えるし、リンゴがアップルだよって言うけど、本当かなっていうわけですよ。
本当にそうです。これは別に日本語話者のネイティブの日本語同士でもそうで、僕が言っている仕事とか大事とか、いろいろ言ってるじゃないですか。
それリスナーのあなたが想像する仕事とか大事っていうことであるんで、仕事大事にしてますかって言われて、大事にしてますって言った時に、
そうなんですね。大事にしてるんですねって。この意味のない会話って言うんですか。何を大事にしてるかが分かりません。
大事って言ってるけど、それは何なの?みたいな。それを本質だとか言う人がいるかもしれないですけど、そもそもですけど、
コミュニケーションにおいてそこの本質の部分が出てこなかったら、あんまり意味なくないですか。別に挨拶とか、
転校の話をするなってことじゃないですか。上っ面のことを言うなってことじゃないですか。
伝えたいっていうことは何ですか。あなたにとって伝えたいことは何ですかってことは伝わってないのに、
AIと翻訳業界の変化
仕事は大事だと思いますって言ったら、それが相手に仕事が大事だって伝わると思ってるんですかっていう方がおかしくないですか。
っていうことはよく思いますよね。僕はね。感じますよね。まあ置いておきましょう。
で、その翻訳家の仕事が減って何が増えてるかというと、もしくはそこに代替されているのがAIで翻訳したものを、成果物を翻訳家が見て修正すると。
問題はその質があんまり高くないから、結局それは自分がやった方が、1からやった方が早かったり、それを結局修正するという行為は、
何もないとこからこういうものが言えるよねって言った方が早いわけですよ。
むしろすでにあるものを直す方が大変だと、なわけです。これもちょっと嫌な話じゃないですか。
システム開発とかプログラマーの人がもしいれば、AIで書いたやつがあるんでこれを修正してくださいと、
やります。で、しかもそれが企業依頼側からすると、既にあるし自分たちで出させたんだから、
安くていいよねってなるんです。ここが不思議ですよね。 あるものを直すという修正の方が簡単だっていうのを見せる。
詐欺って言ったら怒られますけど、ちょっと罠ですよね。 すでにあるから安くなるっておかしいわけですよ。
なぜなら修正する方が大変なことってありません。っていうことが専門家じゃないと理解できないから、
それをどうしていくかということで、ここで答えはないです。その筆者の方も答えはないって言ってるんだけど、
問題はですね、修正するので依頼する費用が当然安いんです。
わかります?従来、依頼企業を翻訳か直依頼してたものっていうのが、翻訳家に任せられてやってきたっていうものがあった。
それに比べてAIが翻訳化したものを依頼主の企業が引き下げて、それをもうやったんで、じゃあそれを修正してくださいって依頼が増えてる。
翻訳がやるのかな?やってるのかわかりませんが、やるとそれは報酬の相場が低くなるわけですね。
クリエイティブ職の影響
半分になるのか3分の2になるのかわかんないですけど、確実に低い。 高くはなってないですよね。
高かったら問題にならないですよね。今までこんな企業はいないっていう例を言うと、企業がAIで翻訳させて、
翻訳家の人にこれを修正させるの申し訳ないなと手間がかかるから、今までより高めに依頼しましょうって、それってやらなくないですか?企業の合理性としてはおかしいですよね。
なんか自分たちでやってるし、かましてるから安くなるよねっていうのがあるんです。これは例えばデザイナーでも言いますよね。
デザイナーっていうのがクリエイティブってことで、バナー画像を作るとかウェブデザインでもいいんですけど、ウェブ製作だったら
AIにまず全体のウェブサイトの設計とかをできるかどうか置いておいて、こういうサイトを作ってほしいですっていう、
なんかよくわかんないものができたらしましょう、ラフみたいな。コーディングというかランディングページみたいなのができてるとしましょう。
これを見せて後を直してくださいっていう依頼がなんか出てきてるんじゃないか説ですね。もしかしたらウェブデザイナーの人がいたら来てるっていう人がいるかもしれませんが、そういう話です。
嫌じゃないですか。プログラムバナーだったら、システム開発とかやってる人だったら、もう既に顧客業で
要件定義とかやりたいからAIに作らせたんで、あとは動くようにうまくやってください。セキュリティとか不安なんでぐらいで投げられる。そういう感じです。
で、当然だから費用が安くなるっていう。要は報酬が低い。やります?
いじわるしてるわけじゃなくて、それが現場ってことですよね。厳しいですよね。
で、それが報酬が低いし、低いから、例えば分かりやすく半分になったりしましょう。翻訳費用がどれぐらいになるかわかんないですけど。
例えば10万円だったら10万円。10万円ではできないと思うんですけど、10万円だったものが5万円になりました。半分になりました。仮にね。半分になった。
半分になったから作業量が半分だったら、まあいいじゃないですか。
単純にね。でも多分作業量は変わらないかもしれない。増えてるんです。つまり実質、受給の考え方はあんまり良くないですけど、その一式で減っているわけです。
むしろ半分になっただけっていうね。むしろ作業コストが倍になり、費用が減ったら4分の1ですよね。
だから作業時間が変わらなかったら、ただ報酬が減っただけで2分の1になったわけですよね。
で、その作業が簡単であったらいいけど簡単じゃない2分の1になったら、そこまで問題にならなかったかもしれない。
で、問題はその件数が2倍にならなきゃいけないですよね。ちょっと複雑だったかもしれませんが、簡単に整理すると、
他、依頼費用というコストと作業時間というのをやった時に、作業時間が変わらない、むしろ増えるのに報酬だけ半分減っているという状況なんですよね。
っていう状況になります。で、この記事はさらに踏み込んで、魂のっていうようなことを言ってますが、魂をすり減らすようなことで、魂って何ですかっていう話なんですね。
魂っていうのはここでは精神っていうことなんでしょう。精神性みたいな、メンタルですよね。僕が解釈するの。
心がすり減るみたいな方が適切かもしれないですけど、じゃあそのAIが翻訳したやつを翻訳家として、自分が翻訳家じゃなくてもいいです。
自分のご自身のデザイナーなのかエンジニアンなのか、そのビジネス的なやつはマーケティングなのか、それでももうちょっと事務職とかオフィスサポートとか、
ご自身の仕事で考えてみてください。もしくはご自身のビジネスで考えてみてください。それがAIが出してきたアウトプットを、自分が人間が修正するっていうふうなものになるわけですね。
で、報酬もあまり高くないと。で、やるとここで確かにそうだなと思うのが、自分で考えてやらなくてもいいなと。
つまり、適当にやっちゃうみたいな。監修って某メディアですよね。ウェブメディアで健康とか医療とかでめちゃくちゃだったんで、監修をつけるっていう仕事がちらほら見るんですけど、
なんだその監修っていうね。監修もちょっとうさんくさくなってきてますけど、プロが見たからいいなんていうのも、その売名行為ってことは言わないですけど、
なんかつけときゃいいみたいなね。だから例えば医療系のネタなら医師が監修しましたみたいな。
そんなのね。だからまともな人は監修しないんじゃないかなっていうのと、監修するそのメディアを選びますよね。ここがね難しいですね。
失敗して変なところ載せちゃってっていうのも、僕は別に監修しないんですけど、なんかないわけじゃないから。
慎重にいきましょう。そこは置いといて。考えるってことに話を持ってくるんですね。考えるってじゃあ何ってなるんですけど、
それこそ文化とか、
相手の翻訳先ってことですけど、例えばイギリスから日本だったら日本の文化を考えている人の方が優秀だし翻訳家としても、もしくは翻訳の成果物も優れてると思うんですよ。
でもそれ考えてますよね。
で、わかんないんだよなっていう。
やらされると。 基準も書いておりますけど、AIが上で、まずAがスタートで、その成果物を直させると。本来は逆じゃないの?
人間が直した、翻訳を作ったものを吉野に最後に修正とかって、人間ができないことを修正して
やると。そういう感じじゃないと、もう何だろうねと。つまりAIに働かされているようなものになり、AIのできないことを人間がやっているっていう。
考えることの重要性
いわゆるちょっとディストピアみたいなやつですね。理想郷の逆。時刻といったら怒られますけど、悲観的なシナリオになるわけですね。
で、この考えてるって何?ってなるんですけど、考えることに関しての合理的報酬、考えるから増えますよねっていうのって、アイディア出しとかもリサーチもそうなんですけど、
いっぱい考えたからいいアイディア出ましたって、基本になるんですけど、出てきた成果物と関係なかったりするんですよね。
言えないってやつですね。3日考えたら、1日考える3番良いものが出ますとかないわけですね。
むしろ1日で瞬間的に出した方がいいかもしれないっていうのもあるんで、翻訳に関してはそういうことはあんまりないとは思うんですけど、
文化を考える、ユーザー、読む人の読み手の視点を考える、どういう対象者かって考える、
ここは特有の注釈がいるよなとか、そういう今までの経験とかいうのを含めて考えるってことがあるんですけど、そうじゃないわけですね。
AIが出してきたものを直すっていうふうに思われる。当然それでコストがかかる、要は時間がかかる。
よりやらなきゃいけないって言うんだけど、より安くなってるわけですね。だから考えるゾーンになっちゃう。そうするとどうします?
やらなくないですか?そうそうそう。だから手抜きになっていますよね。で、あれおかしいなと。前はそのうち気づくんですよ。
例えばそのAI翻訳したものを翻訳家の人が直すっていう仕事をいっぱいやればいいじゃんっていう人がいらっしゃるかもしれないですね。
翻訳家の中でもこう、AI推進みたいな人。で、ありかなと思います。別にそこは否定しないんですよ。別に僕も否定しないんですけど、でもそれ結構怖いなと思うが、
じゃあもうこれそれをやっていけばいいから、
時間も報酬も半分なら時間も半分でいいよねってなりますよね。そうすると手抜きっていうのはそのいい意味でも悪い意味でも使うんですけど、
実際に質が低くなるわけですよ。なんか俺AIでやったなみたいな。で、AIバレっていうような言葉を最近聞きましたけど、
AIバレが出ちゃうみたいなね。で、クライアントはAIバレしないようにみたいな謎のオーダーが来たりするわけですよ、多分ね。
でも厳しい。だからもうまあまあまあ最低限のちょっと違和感はあるがみたいな、ちょっとこの
違和感が残ったものを出さざるを得なくなるわけですよ。真面目な人ならね。 翻訳家なら。で、それが普通になる。そうすると
昔ってなんかすごく真面目に考えてたよねーってハッハッハって笑えたらいいんですけど、その頃には良くないって言ってるのが、ここが一番主題なんですけど、
AIと人間の関係
長くなりましたけど、もう自分で自ら考えたり、ゼロからやるってことができなくなるわけですよ。
これは、ここね、四国レラジオの何度も言ってますけど、僕の体験では文章をAIに書かせるってことはやってるんですけど、それをメインにしちゃうと、要は自分で書かなくなる。
自分で文章を書かないってことは、もう感覚が薄れていくわけですよね。なんかピアノとかの楽器の練習を1日サボると、3日なんかアドバンテージが、
アドバンテージじゃない、ごめんなさい。ディスアドバンテージか。要は
もう3日練習しないと取り戻せないってやつですね。毎日やった方がいいよって。それは僕は言い得てみようというか、多分合っているような気がします。
だから、サボらない方がいいんですよ。自分が書くってことはね。
で、自分で書かずにAIに書かせたから自分は書かなくていいっていうのが許されるって言ったらちょっと言葉が強いんですけど、
オッケーな人は、普段書いてる人がその一部をAIにやらせる。もしくは自分はもうこれだけキャパは終わってるから、あとは
AIにやらせるっていうような感じで、その体験とか経験とか思考とか考えるってことをその自分で書いてやってるっていう人が
さらにやるならいいんですよ、AIでね。そうじゃない人がAIでやれると、あともうやらなくていいよねってなるんですよ。
で、それが僕が過剰書きとかをAIに投げて自分ぽく書かせるっていうのでやってたんですけど、なんか虚しくなってくるんですよね。
つまんないって言ったほうがいいですか、正確には。それだけやると。で、僕がその反省というか振り返りから自分で文章書きたいなって思ったんですよ。
それがもうある程度AIのこととか、だからそれはね、自分の過剰書きのやつをAIに書かせたってことで自分でやってるから
まだいいかもしれないです、コントロールできる。それがですね、他人ですよ、企業や他の人がAIで作った成果物を
どうやって見せてくるわけですね、どうやってなくてもね。それがある前提だから、ここは結構嫌なところですよね。
それでいいっていう人だったらもうAIで自分でやらせればいいじゃんっていうふうに突っ跳ねていくか、
それはもう全然違うんだよって言って、一からやらせる。あくまでもわかるんだけど、それクオリティ低いですよとか、
それはAIが出してるだけで別に人間が見たら別にとか、プロから見たら微妙じゃないですかっていうのはあるわけですよ。
だから許されるというかフワッとしてるんですけど、依頼側がAIでアウトプットでいいよっていうところで質が高いと思っている。
高いと思っている。もしくはわからない。わからないならわかる専門家の価値を評価しなきゃいけないんですけど、そこを評価しないっていうね。
それは要はコスト削減とかを進めていった結果、結果的にこの記事に参照している記事が書かれてますけど、結果的にクライアントのためにもならなくなるってわけです。
全体の翻訳の質がグレードダウンして下がり、翻訳家自身も気づかなくなり、
じゃあAIなしでやってくださいって時にはもう何もできなくなっている。AI待ちですよね。
表現が良いかわかりませんけど、子育てしている鳥の親が、ひながペイチックパーチック空いてるから、親が来たらエサくれって言ってるような感じになっちゃうんですよねって僕は思いました。
一方で考えるをそんなに神聖化しなくていいんじゃないかと。要は正義化じゃないけど、人間が本当にそれをやらなきゃいけないのかっていうのもわかるんですよ。
わかります。だけど、逆に問いたいんですけど、そういう人に。じゃあAIが出してくれるもので100%満足してそれで行こうってなるんですかね。
多分それって、それを採用しようという人は、多くの人はそこそこ考えてて、そういうAIのアイディアもあるよねぐらい、AIのそういう成果物もいいよねっていう一部なんですよね。
その一部で目新しいから評価、課題評価しすぎなんじゃないですか。もちろん過小評価で全然ダメだよねっていう人ももちろんいると思うんですけど、
それは、なんていうんだろう、それによってAIを使う人がないっていうところもさすがにオーバー。やりすぎなんですよね。
だからね、そのバランスが難しいのと、じゃあ結局どうなんっていうところは、僕もわからないです。
そうなんです。
で、じゃあ現状何言えるかって言ったら、多分人、AI、AI疲れが起きるんじゃないかなと思ってます。
疲れてます?どうです?もうAI結構使ってる人疲れてませんか。なんか似たようなアウトプットだなぁとか。
で、結局AIに満足したアウトプットを出してもらうには人間側ですよね。何度も言ってますよね。人間側が考えて指示したりいろいろフィードバックしないと出てこないわけです。
それ考えてますよね。そうなんです。だからAIに何か出させるだけじゃなくて、考えて出させる。もしくは人が別の考えたことをやってて、それを一部を代替させるってぐらいの、その2パターンぐらいしかなくて。
そうじゃない単純に、さっき批判しましたけど、既にやっているものをAIに代替させてはい終わりみたいなことだけだと、そのうち経験とか体験だけはなくなっていって、できなくなるんですよね。
っていうことを言っておきたいって話ですね。で、それは既に実務とかスキルで身についているよと、10年5年やってるから身についているよって人は別にいいんですよね。そうなんです。
だけど、これで5年経ってた時に、よく言われているのがジュニアと言われているような、要は経験値が浅い人とか新卒とかこれから働く人が翻訳家で働くぞとかいう、もしくは翻訳系を目指す人が
最初にもうAIの出した翻訳を修正していくっていうのがありきだった時に、それは本当にいいのかって話なわけです。
本当にいいのかです。だからAIのコーディングっていうのもそうですね。でもAIでコーディングしたものを別にコーディングとさせてもいいんだけど、それは何が良くないかっていうのは考えなきゃいけないですよね。
今日やっぱりそれの話は割とネタはあって、やっぱり2つに分かれちゃうみたいですよね。そのAIに出させたから、自分が指示したから、別にこれでいいと思いますっていう人がいると、多分その人はあんまり優秀じゃないわけですよね。
翻訳とライターの未来
でも出したけど、本当にこれ合ってるのかなと、違うんじゃないのかなっていう風にしていけば、AIを結局疑っているわけですから、あとはアウトプットを自分で見えていこうとしているわけだから、結果的にAIを使って思考する考える、体験を積もうとしている人間が
学習していくってことになるんですよね。その順番が若干違うだけで、これから勉強しよう学ぼうとか、キャリアを積んでいく人はそっちですよね。
既にある人は、これから新しくやることに関しては、多分AIってどうしようって、概要とか言ってるけど本当かなっていうのが常についてくるから、なかなか難しいなって思うわけですけど、本当にその感覚そのままです。
なので、人への揺り戻しですよね。人に対して人とやり取りしたいんですとか、もうそこしかないかなって思います。
ライターさんの仕事が減っているみたいなことも話してる気がしますけど、それは減りますよね。
それもライターも一緒ですね。翻訳とは違うかもしれないけど、文章に携わるってことで一緒にしてしまうと、結局ライターも
文章を作るとかもクライアント企業側からもできてしまうので、あと何?この取材して実際に行って現地撮る、カメラで撮る、その人の何か気持ちを引き出す。
もうフィジカルになっていくわけです。それが望むよねっていう人がいる限りは全然いいですよね。
でも報酬がどんどん安くなってくるんですよね。 だから真にライターというか、
ライターとして続けるにはそのAIができないことをやるところで価値を見出す、もしくはそこで価値を感じてもらうってことの成立が重要になります。
翻訳家も結局一緒なんですけど、でもクライアント側がそういうふうな態度を取ってきたりしてしまうともう厳しくなってくる。
だから一周しなきゃいけないですよね。つまりAI翻訳した、あんまり質が高くないやつを翻訳家も乗り気じゃないけどやってくれたけど、
AI疲れと文化的要素
微妙な翻訳ができました。それはその翻訳物ですよね。本とか小説とかそういうのを見たときにお客さんからのフィードバックで
いやなんかもうこれちょっと微妙ですねってなっていったら改善せざるを得ないですよね。でもここが怖いんですが別にこれ面白かったですね。
むしろ一番今まで良かったみたいになったらもう偉いことですよ。
別に誰かが何かこうしている決めているというわけじゃなくて評価次第なんですよね。
すでにAIが、AI音声はわかりますけど自然な音声も出てきてるじゃないですか。ノードブック、LMとかね。
あと文章もね、AIの文章いっぱいありますね。画像とかデザインもなんかあと動画とかもね、出始めてて
なんかちょっとわかんなくなってきてるわけですよね。文章もそうね。AI文章と人間の文章かどうかわかりづらいですよね。
でも極論すればAIだろうが何だろうが伝わったり、それが人間の心を動かすとか良ければ言っちゃいいわけですよ。
そこまで行った時に、今までの翻訳家に戻せば、翻訳家がそういう文化とか様々な背景を考えて提示していくっていうものが重要ですよっていう風にならなかったら
ビジネスとしてはやりづらいですよね。これがよくある教育文化とかっていうのとビジネス経済がうまくマッチしないという状況になるわけですね。
そうなんですよ。厳しいですよね。
それは全然これは翻訳家さんの話です、私は関係ありませんってことは全然なく、そんだよなーって思ったんですよね。なんで共有しました。
なんでおかしくなるというか、人間がそれで壊れていって
AI疲れとか、もうAIの修正するの嫌だとかなっていって、なんだろうねっていうことになります。
それで全体がそれでバイブスじゃないけど、もういいよね、AIいいよねっていう風になってるかというと、今って結局そのAIが新しいから面白いよねっていう人で盛り上がってきたんだけど
AIと人間の役割
じゃあ実際どうなのっていう時になっていったら、逆に落とし込めてないっていう。企業でも事務的なとかルーティン的なものをそれで削減することは
何かできているのかもしれないですよね。っていうぐらいじゃないですか。
って僕は思ってます。
そうなんですよ。
だから結構微妙ですよ。
だから浮いた時間をどうするかとかいう話ね。何度も言ってますけど、お金が生まれる、何か新しいビジネスが生まれるのか、疲れなくなるのか、あと休みが増えるのかみたいな話になってくるんですけど、
なんかそうなってかないですよね。みんな使うからね。
だから、こうら辺だとさすがに哲学者の人とかはよく考えてて、まあ共生とかでもいいですけど、AI独特のものもだいぶ認知されてきてるわけですよ。量産とかね。
何でも同じことさせるならAIだけど、主観とか感情はないから、それを考えるのは人間とか、個別なものは人間っていうふうに分けれたらいいですけど、
翻訳も文章もSEOもウェブデザインも写真でも動画でも量産したいしつっていう人だったら使うんですよね、AIをね。
でもただ量産されてるだけですよねってなるんで、結局人間が見なきゃいけない、人間が改ざんしなきゃいけないね、なってくんで、それはやっぱり費用はかかりますよねっていうところが、ご理解いただけるかどうかね。
できなくて、質が低くていいんだと、6割もあれば十分で、ってなったらAI使ってやればいいので、それを人間側がやらないっていうのも大事になってくるかなと思ったりしました。
ここまで聞いてみて、実はあなたのAIとその仕事の感覚はですね、ぜひ聞いてみたいんで、もしこんなふうに考えてるよっていうのがあればご自由にコメントをいただければ幸いです。
今回は以上となります。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。四国理ラジオ大橋でした。以上失礼いたします。