一字一円の問い
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のネタとしては、アイディアについて話します。
シゴクリラジオは、あまり受けが悪くないというか、面白くないというかね。
根付けをしていたりとか、サービス企業をしていたりとか、提供している人じゃないとなかなかピンとこないというか。
仮にそういう仕事を対面でね、サービス業みたいなことをやっていても、リアリティがないのかもしれないですね。
今回のお話も受けが悪いような気がするんですけど、ライターとかっていう仕事がありますと。
文章を書くというところで、単価が一時一円ということで。
最近ちょっと聞かないですけど、一円ライターなんていうね、揶揄されている言葉だと思いますが。
その一円ライターがどうとかっていうことではなく、一時一円という状況があるとき、あなたがもしライターであったらやりますかと。
ライターの人に対して煽りたいとか、これが安い高いというところは、いろいろ考えていく必要があるんですけど。
一旦、一時一円で文章を書くか、文章を書くのかどうかという問いを投げて、このテーマで考えてみたいと思います。
ライターの価値
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、しごくりラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては、一時一円で文章を書くのかどうかです。
この問いですね、別に正解ないですよ。
あと、一時一円で書いている人とか、もしくはそれ以下で書いている、もしくはそれ以上で書いているから、どうかという話は全くなくて、状況によって変わるのかなと思います。
一応、僕の立場を言っておくと、別にライターとして文章を書いて、お仕事をいただいている中でやるということは、今ほとんどないですね。
たぶん、仮にやってくださいと言われて、一時いくらというと、たぶんあんまりよくないと思うので、アイディアとかってどう思いますか?
150とかになっちゃうと、150人とかにして、ちょっと嫌じゃないですか。
物差しなんですよね。ここは割と大事だなと今思いましたけど、要は一時というのは、次数があればいいとか、次数がただの文字数だけでカウントするわけです。
じゃあ10万字の本で10万円で買いますって言ったときに、買わなくないですか?
ってなりますよね。だから一時1円でもないんですよね。
でも、その人のために書いた10万字って10万円くらいするんじゃないかなと思ってて、出版って数千部は出すじゃないですか。
ベータのところにいくと3千部くらい出すから、3千で割る必要がありますから、10万を3千で割ると、いくらだろう、3.3で1万になるんで。
3.3で1万になるから、え?33円?安いですよね。
一部33円、そうですね。1冊3千部出したら一部あたり33円で合ってますよね。
本とか出版物ってね、印刷していろいろ売るから、そういうところの価値がありますよね。
なんかそんなこと思いました。
それは大事だと思ってて、人によりますよねってことと、相場ものさしである標準的、普遍的とは言わないですけど、ものさしとして何か。
あと文字量と言いましたけど、プログラミングでも1本いくらじゃないけど、システム1つとか、企画であれば企画書1本とか、単位がいろいろあるじゃないですか。
ウェブサイトで1ページとか、写真は1枚、イラストも1枚なのかな?本当かな?
イラスト1枚じゃないですよね、全然ね。
もうなんか一生かかる壁画みたいな、1枚とかって言われても困りません。
だからそれにかつ、プログラマーとかやってた時は見積もりとかは別にしてないですけど、よく言われてたのが掛け算するやつですね。
難易度みたいなやつ、難しさどうか、簡単かどうか、あとボリュームで量ですよね。
一体どれくらい出さなきゃいけないか、もしくはやる量、あと時間、どれくらいかかるかと思いますし、
絵だったらわかんないですけど、そもそもそれを描くための機材とかがすごいたくさんいるとか、難易度と一緒なんですよね。
高くなっていくと資料を読み込んだりとか、時間かかりますよね。
あと、得意不得意もあるじゃないですか、そういうのもありますから。
一概に言えませんよね、という話で終わりなんですけど、仮に一時遅延というところで考えていくと。
こういうのも考えていきましょうって話なんですよね。
考えていきましょうということで、一つの例として、一時遅延でやるとして、仮にやるとして、もし仕事としてやっている人であれば、
全くやったことない未経験の人でもいいんですが、未経験ってことは、ライターが未経験であって他の仕事をしている確率が高いわけですよね。
それがないという人は、アレバイトをしている学生さんとか、引きこもってしまったりとか、
働くという感覚が全然わからない、経験が全くない人もいらっしゃると思うので、そういうケースもありますよね。
例えば障害があったり、病気とかいろいろあって、普通に働くみたいなのが大変。
普通に働くというのもなかなか定義が難しいんですが、一旦そこは置いておきましょうと。
そういう時に、働くということはどういうことかということなんですよね。
結局、仕事って何?ってなるわけですよね。
ここで一応、書くって何かって言ったら、いわゆる企画があって、企画をして、要は文章を書くって言ったら、
タスク詐欺みたいなのもありますし、詐欺もめちゃくちゃ進化しているし、怪しいものがいっぱい飛び交っているので、
ここはちゃんと考えておかないと、いわゆる免疫みたいなのがなくなってやられちゃうわけですよね。
犯される、詐欺に遭うということでありますし、
いいというか、まともなものとまともじゃないものを見分けられないという感じですかね、話としては。
これはもうずっと言っていると思います。
文章を書いたときに納品したものがどう使われますかというわけじゃないですか。
それこそ、反社会的なものとか、やんまりよろしくない、犯罪に使われていたらあかんじゃないですか。
いや、それね、別に笑い事でも全然なくてね、普通にありますからね。
この仕事は何?っていう。
よくわかんないけど、感想をちょこっと書いただけで、すごいお金をもらえるとかね、絶対詐欺ですからね。
という意味の相場感はあってもいいかもしれないですよね。
企画があります。その文章を誰にどう届けて何をしたいか。
これもですね、別に詐欺に寄せるわけじゃないんだけど、
これもですね、別に詐欺に寄せるわけじゃないんだけど、
SAIとか使えばそれっぽいものを出せるから、誤魔化されるかもしれませんよね。怖いですよね。
そういうところで企画があって、実際に文章を書いて、取材をするとかあると思いますが、
調べたりして書いて、それを文章として出したら修正とか、構成がどこのレベルまでやるかわかりませんが、
そもそも出版物なのかどうかでだいぶ違いますから、
一時一演ということは出版物ではないでしょうと思っています。
ちょっと安すぎる気がしますよね。
働くということ
ここではウェブの記事を書くみたいなやつで、
こたつ記事なんていうふうに言われされたりしますが、
されることもありますからですね。全部こたつ記事じゃないですね。
要は取材とかせずに、家でインターネットを調べて書いているようなやつです。
インターネットで調べて書いているようなやつというのは、
インターネットで調べているというのが、他の記事を参照して、
その記事をまとめているというわけでもなく、
編集もあまりしせずに、それをつないでいるだけとか、見てどうかと言っているだけなので、
別にそれが絶対ダメとは言わないんですが、
お金を取れるかというところと、それの価値って何かといったときに怪しさが出てくるわけですよね。
それだけであったらね。
そういうのもあってもいいとは僕は思うんですが、
せせエアイもそうですけど、せせエアイが作った記事だけを垂れ流しているものって、
価値がないわけじゃないですか。
価値を出せますかという話で、結構しんどいかなと思ったりはしています。
そのあたりは置いておいて、最終的に納品して終わりということですけど、
ここまででどれくらい時間がかかるか、もしくはどの部分をやるかという話なんですよね。
端的に言えば企画という部分が入ったときに、文章を書くという業務、タスクというところになるだけと、
全然違ってくるので、どういう記事を書いたらいいですかというのを考えるのが企画と考えてください。
最初の部分ですね。
それが抽象度がどんどん高くなって、どういうメディアとかどういう媒体とか、
どういう事業戦略とかどんどん高くなっていくと、いわゆる単価というのが上がってくると思います。
単価が安くなったって聞いたことないですね。
なぜなら、それを考える人は少ないし、能力が求められるわけですね。
ここでずっと言っていますが、具体的なものと抽象的なものというのもありますし、
それはロジカルに考えるというのではないというのは、アイデア出しの話をしていると明確かなと思いますが、
具体的な経験とか体験とか人の話とか、自分が感じたこととかも踏まえつつも、まずなら新しいことという部分もありますし、
もちろん企画でも今までのものと踏襲して率なくこなすみたいなものもありますから、一概には言えないんですが、そういうのが求められるので、
書くだけよりは価値があります。書くだけというときに、こういうふうに書いてくださいというふうに指示をする、いわゆるディレクションというものですが、
指示をしたりマネジメントというか、そういう人たちにモチベーションじゃないけど、こう書いていってよというふうにチームでまとめていくという仕事は、
当然、ただのライターというか、言われたことを書いていますという人よりは全然価値が上がってくれますよね。
そこまでいったらライターじゃないですよね。いわゆる書いてもいいけどね。
1時1円で書いたとして、仮にそれを1時間で頑張って書いたとするじゃないですか。
この時給2000円というのもちょっと違うというか、いろいろありますよね。
これも時給で考えてしまう人は単純に作業料を時間で割っちゃうんだけど、その作業というのの価値が違うわけじゃないですか。
企画を30分と、書くだけで1時間だから企画をするものはもっといるし、1時間では済まないと思いますね。
それを修正したりとか納品したりやり取りする時間もありますし、
そのタイムマネジメントじゃないけど、時間を調整して自分でやりくりするのもありますから、
仮に会社員の人が副業としてやるとして、週に1回土日で寝たいけど1本、遊びたいけど1日1本書くと、
1日で終わるかどうかわからないですけど、2、3時間かけて1本書いて1円で2000円くらい、3000円くらいかかりませんが、
そういうのを書いたとしても2000円か3000円じゃないですか。
それを月に4回あったり頑張ってあったとしても、面白かったらいいですよ。
面白かったらいいけど、やったとしても8000円とか1万円くらいになっていくわけですよ、月にね。
お小遣い程度になりますが、今って1万円とか1万円は否定してないですよ。
1万円あってもできること少ないですよね。
文章を書く価値
物価も上がってますね。
なかなか昔の1万円の価値はない。
要は低いってことですね。価値が低くなってる気がしますね。
今回は若干巻き気味ということで、いろいろ端折っていきたいと思うんですが、
そういった一時前で稼ぐというか、やるかどうかということをリアリティを持って考えてほしいということですよね。
一時前でやれって話じゃないですよ。
それを自分なりに考えてやるかどうかを判断しましょうよね、ということになりますよね。
そこで考えるってなんだろうなって言ったら、まずは問いかける。やりますかどうか。やるかどうかとか。
でも実際にそういう仕事しか今ないよなって思ったらやるのもありですよね。
でもそれをやっていったところで、その仕事ってスキルとか能力とか何か得られるかって話なんですよね。
相手とか依頼主が述べているような実績になりますとかはちょっと怪しいですよね。
書いた文章が何でもいいんですけど、美容器とか金融とか保険、不動産、要は広告をしたいとか、
そういう記事しかなくなってくるわけですね。売りたい商品。
アイフリエイトとかもそうですよね。
その時に求人広告とかがありますよね。それやりたいですかって話なんですよ。
ここで僕はあまり見聞きしないんですが、ものすごい楽しいですよって言っている人がいるのかもしれません。
だけど書きたいとか紹介したいっていう人。そういう人って僕は分からないんですけど、
どちらかというとライターじゃなくて営業をしたいとか営業ができるような人って感じで、
ライターじゃないんですよねっていうね。
ライターとかっていう人って文字書きたい人ってどちらかというと外向型っぽくなくて、
外向とか内向に分けたいわけじゃないですけど、どちらかと言えばって感じですよ。
どちらかというと自分の内省とか考えを深めていきたいみたいな人だから、
外にこれいいよっていうタイプじゃなくて、自分もこういう人間なんだなって気づいてくるのが好きな人だから、
あまり商品売る向いてないんですよ。きっと。
若干乱暴ですけどね。すみませんね。
例えばそういう風になった時にやりますかって話なんですよ。
例えばこのゲーサーと。
それをやっていくと商品を売らなきゃいけないっていう仕事ではないんだけど、
求められているのは文字を書く、文章を書くことで伝えることだから、別にそれはできるかもしれないしやるんだけど、
これって自分にとって価値が高まっていく感じするの?っていう感じですかね。
それを問いかけていくっていうのが考えることなのが一つなのかなって思っております。
ライターの仕事とは
だからスキルとしても溜めていきたいことなのかっていう話なんですよ。
さっき言ってたように1時1円で書いていったら、何か出世するとか能力値があって企業できますとか、
そんなことはとても言えないんですけど、
要はそこで、その最初の仕事が初めの仕事だとしても全然よくて、
でもそれでこれは違うなと、別のやつも探そう、
もしくは別の他の人のやり方を見ようとか真似してみようとか、
もしくは自分で考えていったら文章を書くよりも絵を書くとか図解をするとか、
なんか違うことをやったら評価されたみたいなね。
そこでもがいてですね、やっぱり。
単価を上げるというとちょっと物欲感がありますが、稼ぐっていうね。
そういう感じよりも価値を上げるっていうような感じのほうが僕は好きかなと思います。
言葉としてもね。
価値を上げるといったときに、その肯定があったときに、
やっぱり企画としてこういうのを作ったらどうですかって提案できる人は強いわけですよね。
なぜならそこで違うことをアイディアを試せたり作れたり形にできたりするんですけど、
なんでそこが価値があるかって僕が断言しているかっていうと、
僕が別にそういうポジションだからってわけではないんですけど、
シンプルに、じゃあ企画やってくださいって言ったときに結構大変なんですよね、多分。
この人全く企画できないんですけど企画をできるように教育してくださいって言われたときに、
金額って、要はそれを仕事としてやるかどうか置いておいて、
仕事じゃなくても、ボランタリーでも別にお金取らなくて、無責任状態でも結構大変で、
まずその人がやる気があるかどうかみたいな話になってきて、
やる気があってもそんな行動できなかったりしますっていうときに、
あれってなって、これモチベーションも高めなきゃいけないの?とかなっていったときに、
めちゃくちゃ大変なんですよね。
その知識とか経験とかを、こういう時はこうした方がいいですよって、
それこそ今の文章をね、何か文章を書いていく取材記事とかでもいいし、
その文章を書くためにどういう文章を書いたらいいか、こういうのが世の中に流行っているとか、
こういうのを届けたい、IT系の情報でもいいし、AIのネタでもいいし、
それなんでもいいですけど、何を文章で届けたいのかを考えて書くっていうことを
トレーニングするって結構大変なんですよね。
で、それは今書く話じゃないですか。
伝えたいことがあって、でも伝えたいことがなかったり、
その伝えたいことを、あなたが伝えたいことはいいけど、
そうじゃない誰かが知りたいことを調べるのも企画だと思うんですよね。
取材したりとかね、調べて書く。
それも結構どういうテーマがいいのかなっていうのは、
いわゆるメディアで取材系というかね、ライターさんであれば、
編集会議とか、もしくは編集者がいて、
こういうのを書いてください、もしくはこういうのをやりたいんですって言ってあげてね、
アイデアを出して、それを記事として書いている。
簡単な企画、こういうのが今世の中で流行っているかもしれないし、
こういうのが友人から聞いたんで、ちょっと考えてみたんですけど、
っていうような提案を多分していると思いますよ。
どうなんでしょうね。やっている方がいたら教えてください。
多分ね。
商品企画もそうです。商品もこういうのを考えてどうですかってことをやっているわけですよ、日々ね。
そんなものですというか。別にそれが優しいと思っていないんですけど、
それは極度に難しくて困難なことをやっているわけでもなく、
そういうのをやっていって身につけた力やスキルを発揮しているって感じですよね。
そういうのをやりたいのかっていう話になりますよね。文字、文章を書いている。
文章を私が書くだけなんだと規定して、それこそレンガ職人の話じゃないんですけど、
レンガを積んでいるだけなんですよ、文字を書いているだけなんですよという人は、
断言できますけど、やっぱり価値は低くなっちゃいますよね。
それが文字を書く人の価値がないですという意味じゃなくて、
書けちゃうわけですよね、そういう。
例えば、生成AIで書かせるってこともできるじゃないですか。
もちろん生成AIが書いたものがそのまま使えるかどうかとか、
著作権的なものはどうかとかももちろんありますが、
ただ、今の昨今、生成AIで書かせた文章で、
その文章をどう捉えるかっていうのは、かなりグレーな部分があって、もうわからないですよね。
だから、インプットするもののアイディアですよね。
アイディアが自分のものであれば、考えたものであれば、
別に書いたものがどうだって問いづらいというか、
独創性とかそこに出てくるかってポイントになるんで、
著作権はその人が書いたっていうことはできても、
生成AIで書かせたものが、何だろうな、
独自の切り口だとか、調べたものが入っているとかっていったら、
生成AIが学習したものを出しているだけとも言えるんで、難しいと。
一方で、ここら辺は飛ばすんですけど、議論が難しいのは、
僕が学んだことって人から学んだこともあるし、
盗んでるって言うと言い方が良くないんだけど、
学習って結局真似なんで、そこから得て応用させるから、
別に僕が言っていることは全部オリジナルに分けて全然ないわけなんですよね。
僕のアイディアもそうだし。
というときに、お子さんが担保できるAIとのアイディアの違いって何ですかって言われるときに、
困るわけですよね。
これが誰も否定しづらいというところなんです。
だからといって、何でも真似させてパクればいいとも思わないから、
ここが難しいなとは思っています。
僕も結論ないし、どうしていいかが分からないから問題になるし、
もしくは容認派、否定派みたいに分かれちゃうというところもあるんじゃないかなと思っています。
価値を上げる方法
ちょっと脱線しましたけど、そんな感じでですね。
文字を書くだけというふうには、自分の仕事の仕方とか、
自分の仕事って何かというのをどう規定するかによるんじゃないかなと思います。
そこでアイディアがなくて、勉強もそうだし学びがあまりしていないと、
文字を書くだけの仕事でライターというのがそういうもんだよね、
というふうに思っている人は本当に多分思っていると思います。
それは別に否定しないですね。
その人はそう思っているんだなというだけなんですよ。
教育要素とか、その人を育てなきゃいけないという状況じゃなかったら、
この人はそういうふうにやられるから文字を書く仕事だけどやってくださいみたいになりますよね。
その人に企画的なものとか提案とかを期待できないじゃないですか。
あまり仕事化できないというとよくないですけど、
あまり仕事化できる人ではないですよね。
その時にもっといいものを作っていきましょうとか、
そういう話を声をかける人には入ってこないじゃないですか、どうしても。
ただそれだけです。
その人がもし企画とか上流工程じゃないけど、
もっとコンセプトとか提案していくようなことをやりたいのであれば、
その考え方を変える必要はあると思っていて、
少なくとも書いたものを誰に届けようかとか、
これはもっと良くしていくにはどうすればいいかとか、
それこそ単価を上げるというのでもいいんですけど、
単価を上げるということは価値が上がるとか、
より相手に刺さるとかということだけど、
それはどうすればいいのかという時に、
例えば文章の文字を増やすとかという方向性だと、
ただ文章の文字が増えているだけ。
文章自体の1記事あたりの文章が増えたら価値が上がるかといったら、
情報量が増えたけど、結局それを求めていなかったら減るじゃないですか。
価値がね。めちゃくちゃそれ難しいです。
だから価値がこうすればいい、上がるよという正解なんか僕はないと思っていますし、
要は食べ過ぎている人にうまいステーキなんか出したら嫌じゃないですか。
でもお腹減っている人にステーキ肉って言うわけで、
価格設定の再評価
でもステーキ肉はみんなが食べたいわけじゃないという話なんですよね。
お腹いっぱい。
だから今なんて短くなっていって、動画だったらどんどん短くなって、
ショート動画が数秒で終わっちゃいますけど、数秒?5秒とかね。
それもう短くできないじゃないですか。
そうなったらもしかして文字で単語とか俳句とかね、
ことでパッといってパッと終わるようなものとか、
もしくはそこから分からないけどそこを説明したり、
何か考えて感じていく方が価値が出てきたりとか、
読めない。全然読めないですね。
読めないし、そこで読まなくてもいいかもしれないですけど、
少なくともそういうふうに、
ちょっとごめんなさい、巻いていくんですが、
結局一時期文字を書くかどうか文字を書くかというところも、
一つ自分の頭で考えてみるというところが大事なんじゃないかなと。
別に偉そうに言うつもりはなくて、
別にこれがライターの仕事じゃなくて、
イラストレーターとか写真家とか何でもいい、
自分のご自身の仕事。
もしくは別にこれは誰にとっても言えることで、
別にライターの人を責めるとかそういうことはなくて、
一時0.1円とかもあると思いますし、
一時5円とか10円とかどんどん高くなっていくのもあるけれども、
それは一旦置いておいて、
自分がその今の価格でやるかどうか、
やっているのはなぜかというのを考えているのは意味があるかなと思います。
これも会社員とか公務員でも、
全く仕事が月給か、
サラリーまで月給ですけど、
規定されていても、
それから残業がある、残業がない、
仕事がどうとかいろいろあると思うんですが、
結局それって何でどう決まっているんだろうねというのを
考える人があるわけですよね。
そのお金の流れですね。
お金の流れが誰かからもらっているから、
誰かが出しているから、
誰かが税金があるから、
それが流れて自分の手元に入ってくるということを
しっかり考えておいておかないと、
お金を高める、お金を得るのを高める、もしくは低める、
もしくはスキルとか得たいものを高めるとか、
もしくは低める、分かりませんが、
自分が得たいというところに行ったときに、
それが高められるのか、もしくは低くなってしまうのか、
分かりませんが、
高めていくためにやっていくことを考えていくと、
結果的にお金の単額が上がったりするもしますし、
考えないと下がっていくというよりも、
自利品みたいな感じで、
どんどん上がっていかないという方が、
実際には多いのかなと思います。
今回の趣旨としては、
1時1年というのが適切かどうかという話ではなくて、
その1時1年というのは、
お金の流れが誰かからもらっているから、
誰かが出しているから、
1時1年というのが適切かどうかという話ではなくて、
自分の今の1時何円とか、
もしくは今の金額設定とか、
単価みたいなところがあったときに、
お金の流れと価値
それは適切なのだろうかみたいな問いかけ。
もちろん答えはないんですよ。
そういった答えはないんだけど、
上げられないのかという、
常識的に相場が決まっていて上げられないのかだったら、
違うものを付与して上げてみたり、
もしくは下がるんだけど実は量が多くなるとかね。
そこがビジネスとかっていう感覚とか、
人と人とっていう感覚だと、
いろいろいじりれたりするんです。
変数が多い。
これが変数があまり少なくて、
文章の量を書くしかないですって言ったら、
つまらなくないですか。
あと文章の量、もしくは本数を増やさないといけなかったら、
面白くなくないですか。
って僕は思うんですが、
リスナーのあなたはいかがでしょうか。
というわけで、
そんな切り口で今回少し考えるネタというわけで、
投げかけてみました。
くどいですけど、
一時遷がどうとかいう話じゃなくて、
それは高いと思うか安いと思うかっていうのも、
価値観が出ますよね。
そこをもとに、
いくらだったらやるんですかって話になりますし、
それは人によって違うし、
経験とか体験とか、今重視したいこと。
だから別にいいわけですよ。
安くやって経験を積みたい。
でも経験を積んでるかもしれないけど、
その経験って何に活かせるのかってことをやっていった時に、
見えなかったら、
あまり意味ないですよね。
あとは他の優先順位とか、
他の事項もあるし、
そのままずっとそれだけやり続けるわけではないと思うので、
どうするかみたいなことになっていくのかなと思います。
今回は以上となります。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきまして、
ありがとうございました。
以上、失礼いたします。