1. シゴクリラジオ!
  2. 書くことは考えることかも
2025-09-22 41:26

書くことは考えることかも

spotify apple_podcasts
壁打ちに関する記事を書きましたー。良ければご笑覧くださいませ。
https://vside.jp/5281
https://vside.jp/5287
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/618b94773db982af52639b7a

サマリー

今回のシゴクリラジオでは、ビジネスにおけるアイデアの壁打ちと書くことの重要性が探求されています。大橋氏は、アイデアを出す際のコミュニケーションや知識の整理について述べ、記録や反省の意味について考えています。書くことは考えることに密接に関連しており、思うことと考えることの違いについても探求されています。特に、経験が記事執筆の価値につながり、書く行為を通じて考えを整理することの重要性が論じられています。また、書くこととテーマの設定、感情とのつながりの重要性が語られています。思考を整理する過程が創造的な文章を書く上での鍵であることが強調されています。

ビジネス壁打ちの重要性
はい、こんばんは。シゴクリラジオ大橋です。 今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマは、軽めでして、最近ですね、ビジネス向けというか、ビジネス文章というとおかしいんですけど、
ビジネスアイデアの出し方とか、今回は壁打ちなんですが、そういうですね、仕事で書いた文章がありまして、
実績ではないんですが、お披露目というか公開みたいな、多分していないはずなんで、それをしておきますというかします。
それだけだと全然面白くないので、書くことって何ですかねっていう、ちょっとフワッとした問いかけになりますが、
それぐらいでちょっと緩めで話は今回していければいいかなと思います。
というわけで、今回もよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回テーマはですね、ビジネス壁打ちですね。
の文章を書きましたと。これはお仕事で書かせていただいたので、その紹介をしますと。
それだけじゃ面白くないので、書くことって何ですかねと。
聞かれてはないんですけど、書くことって何ですかってちょっと重たいんですけど、話から書くに寄せてちょっと着地して、今回は終了というか終わりにしたいと思います。
今回ですね、書いたのはですね、2本というか実施者1本なんですけども、
Vサイドさんというですね、佐世保の長崎県ですね。
佐世保の市の産業支援センターというのがありまして、そこでですね、コンテンツナレッジ記事ということで書かせていただきました。
ありがとうございます。前編後編と別れてますが、URLをペロッと貼っておきますので、また見てやってください。
これはですね、壁打ちってやった方がいいよっていうことなんですよね。このメディアを見ている方も、このシゴクリラジオもしかしたら
起業したいという方がいらっしゃるのかもしれませんが、こんな考えてるんだよねっていう時に、ということを言える人がいた方がいいですよね。
というか、話した方がいいんじゃないですか。
という話でいいと思います。細かいところはちょっと長くなるんで、よかったら記事を見てみてください。
アイデアと知識の創造
ちなみにですね、アイデアをパクられるみたいな話があると思うんですよね。
僕はそこまで気にしてないですけど、パクられるという風にする方がいると。
絶対ですね、言ってたものをやってたって、こちらが言ってたものをコミュニケーションがない中で相手がやってきたらそうなるんですけど、
似たようなアイデアって出るじゃないですか。ということからすると、なかなか難しいと。
アイデア自体を保護するってなかなか難しくて、特許ぐらいしかない。あとはイメージとかだったらいつよね、一生とか、あと言葉だと商標ってありますよね。
ダンシャリとかね、確か商標登録されてると思うんですけど、ダンシャリって言ったら怒られる。
怒られはしないんですけど、その商標の範囲みたいなのがあって、では使えないですよね。
ダンシャリってなかなかね、一般語化したらなかなかどうかって思うんですけどね、オセロとかの商標になってるんですよね。
だからオセロでは出せないけど、リバーシーなら言うみたいなね。リバーシーも取られたらどうするのみたいな。
まあその、事業者側がですね、それを一生懸命広めてたからっていう意味では確かになって思う面はありますね。
話戻していくと、アイデアを出すと、だから壁打ちってアイデア出すじゃないですか。
要はその自分の考えてるアイデアこれですよって言うと相手に取られるんじゃないか。
なんかその気持ちもね、わからないでもないですけど、そこで取られて終わるってアイデアって何なんだろうなっていうのと、
あと仮に取られたところで実行して実践していくのは自分というか、なるんで。
アイデアを言って、実践してないけど、取られたっていうのは、
これは言い方によってはちょっと難しくなるんですけど、
まあそこまで本気じゃなかったっていうのも正直あるんじゃないかと思います。
で、そうやって自分があまりやりたくなかった、やれなかったものを誰かがやってしまった時に、ちょっとイラ立ちが来るんでしょうね。
わからんでもないんですけど、それは向けるべき対象者は、相手その人じゃなくて自分なんじゃないかなと思ったりします。
別にそういう経験があるわけじゃないですけど、そんなことをふと思いました。
壁打ちやって整理していってね、いいものを作っていきましょうというのがスマートかなと思います。
でですね、記事紹介という意味では壁打ちしようよぐらいで全然いいんですけど、そういった各仕事もしてますんで、
よかったらということでご連絡くださいと、それぐらいです。
あとですね、今回書くって何ですかって話を冒頭しちゃったんで、
しちゃったんでっていうか考えていくんですけど、なかなかちょっと問いをね、重たい問いですね。
書くって何かって言われたら、僕は書いてるんですけど、
メモですよね、気づいたことを。さっきも見てましたけど、気づいたことを書く。
あとコミュニケーションですよね。会話、チャットみたいなのを書いてますよね。書いて書いて伝えると。
あとはそうですよね、あと振り返りですよね。自分どうなってるかどうやってるか状態を。
頭の中で考えることはないですね、あんまりね。書きながら考えますね。
そうですね。今回はお仕事のものですが、そうじゃないものも書き散らかしているというか、いっぱいアウトプット、ブログ、
ノート、あとなんだ、最近YouTubeをね、そうYouTubeの、思い出しましたすいません、YouTubeでも配信してるんですが、
意外に、意外にですよ、ポッドキャストって、
当たり前ですけど、YouTubeに配信されると、たぶんこれスタンダードFMからなので、その概要っていうのがたぶん張り付いてこないんですよね、きっとね。
言っときながらちゃんと見てないんですけど、たぶん見えないはずです。
なんで、配信元、ほとんどの方は配信者じゃないと知らないと思うんですけど、スタンダードFMからRSSというのを配信するとなると、
その配信元というか配信先ではSpotifyとか、そこでYouTubeはGoogleポッドキャストの後継みたいな感じですか。
で、どう出るかというと、スタンダードFMでコメントできます、みたいなふうに書かれてるぐらいで、なんかあんまりこう、URLも張り付いてたのかな、さすがに。
あんまり親切じゃない、そうそう。一個一個手直ししていくとか、ちょっとさすがに考えてないんで、
今はちょっと考えてないです。ちょっと捨てときましょう、それは。
で、その時にですね、YouTubeでも、そのYouTube、ポッドキャストのYouTubeじゃなくて、いわゆる普通のYouTubeを出す時でも概要欄ってあるわけですよね。
そこも書いてますね、ある程度。概要欄全くないのってあんまりないですよね。
個人がやってるものであればそんなに全然書かずにってありますけど、しっかり運営してるところは本当にしっかり書いてるような気がしますね。
概要、中身だったり、もしくはお知らせ的なものとか関連するようなものも書いてる気がします。
メタ認知と自己分析
なんでそういうところでも書きますね。だから意外に書くわけですよね。
あともう、リスナーのあなたも使われているかもしれない、その先生相手のやり取りって、音声でやり取りしてる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、
音声は書いて、やり取りしてますので、読んでは書いてみたいな感じを繰り返す。そんな感じでやってますね。
書く時に大事にしているというか、思ったことというか感じていることを書きますよね。
事実ベースのものとか、この確からしい事実的なものっていうのは全然書いてもいいし書いていくんですけど、やっぱりメモって、自分がやっぱり気になったことを書くべきなんですよね。
当然その講義形式のものとかだと、確かにどういう流れでどういうものになってたかっていうものでのメモはいるっちゃいるんですけど、頭に残らないというか、ほとんどのもって全部インプットできないじゃないですか。
学生さんとかで勉強しててってことであれば知識ベースのものがいるってことになるんですけど、確かに知識は大事ですよね。
でも基本的な基礎的なところを言った後は、数学とは全然違うと思うんですけど、でも一緒なのかな。公式とか公理みたいなもとのやつ。
それこそ三平方の定理とかあるじゃないですか。ああいうのって別に僕得意じゃないんですけど、元のものからこれってこういうふうになりますよねって証明ができるじゃないですか。
っていうのって暗記させられて全然面白くなかったなと思うんですけど、そうじゃないなって。わかります?
ちゃんと考えるとそうなるなっていうのを導き出せるようにしておいた方がいつでも使えるわけですよ。忘れてもね。
っていうのがやっぱり忘れてもねっていうか、覚えてなくてもっていう。根っこのところをしっかり掴んでおくというか、やっておくのがいいなって思ってるんですよ。
書くこととメモみたいなところでいくと、知識ベースのもので確かにそれはある程度やらないとわからないなっていうのは大事だと思うんですけど、
それってすごいノウハウだなっていうのも多分使えないですよ。多くの人は。僕もですね。僕がすごいなと思うノウハウも多分使えなくて、何でかっていうと自分がやってないからですね。
なのにすごいノウハウみたいなものをメモし始めるわけですよ。でも多分それって使えないから正直メモしてもあんまり意味ないかなと思うんですよね。
ケースバイケースですよ。絶対メモするなとかじゃないですけどね。だったらその話を聞いたときに、もしくはメモできるときにメモしてわからないっていう。
このわからない話はキリがあって、わからないことがわからないみたいなのってありません?わからなすぎる時ってありませんか?
もしそういうことを経験したことがない人は、わかる世界にいるかもしれないですよね。だいたいそんなことないと思ってまして、どういうことかよくわかんないみたいな。
わからないことがわからない状態になる。特に未知なところに行くとなりますよね。それがないっていう人は多分そこまでわからないところに行ってない。
だからダメとかね。そういうことじゃないですよ。だけど、わからないところに行って、わかるところまで戻っていくっていうんですか?もしくは下がっていくっていうんですか?
上がっていくでもいいんですけど、わかるところまで行けるならそこからスタートできますよね。そういう時ってひたすら口で言っててもしょうがないので、書いたほうがいいかなという感じがします。
どこまでがわかりますか?どこからがわからないですか?わかる部分を述べてくださいみたいな。
これですね、あんまり考えるのが得意じゃない人は、わりとすぐ詰まりますね。言っていることが多分伝わらないっていうんですか。
自分がわかるところ、わからないところみたいなのって、結構メタ認知的な話になってくると思うんで、そのメタ認知ができないと厳しいみたいなのは正直あるんですけど。
極端なことを言うと、メタ認知みたいなのができない。要は自分がわかるところはここまでです。わからないところはここまでです。
ある種のメタ認知的なことだと思います。メタ認知というのは自分で自分のことをどうかっていうのを見る、観察する、眺める、把握するということですね。
相手に対して何かをやって、嫌な奴だなと。自分が嫌な奴だなと思ってやる。これ嫌な奴だなという認知があるならばメタ認知ができてるかもしれないですよね。
でも嫌な奴だなと思って、相手にとって相手が嫌だったらただの嫌な奴ですよね。そこからどうするのかは別の問題だと思うんですけど、なかなか嫌ですよね。
嫌な奴だなと自分で思いながら嫌な奴だなと。そういう時に思うとか考えるという話があって、自分はこう思いましたみたいなふうに言ってやる人がいらっしゃるのかもしれないですけど、
僕もですね、思うこととか意見というのはすごく大事にしてるんですが、思ったからやりましたっていうふうなことを全部やっちゃうと、分かる分からないの、ロジックとか事実とか状況みたいなものを全部知ってしまうので危ないじゃないですかって思うんですけど、
ちょっとこれ抽象的になってますけど大丈夫ですかね。っていうのがメタニッチです。多分思うっていうのが、僕は良くない思うはただ思うだけっていう、ロジックも何もない。
ただその違和感発想法とかもそうなんですけど、違和感というのも殺しすぎたり、要は気づいたりすることですよね。感情ってことなんですよね。自分がなんでそう思っているのかっていうのを一個一個の行為じゃなくてもいいんですけど、なんでこんなことしてるんだろうなんて。
なんでこんなこと言われるんだろうな、もしくはなんでこんなふうに自分は思ってしまうんだろうなっていうことって、まさにメタニッチなんですよね。自分はなんで喋ってんだろうとか、もしくは自分はなんで書いて考えないんだろうとか、なんか言われたことってちょっとよく分かんないけど、後から考えると腹立ってくるなとか。
言われてすぐ返せずに、パパパパって言われちゃって後で言えないとかって、割と慣れてない人ってあるんじゃないかなと思うんですよね。
思うと考えるの違い
リスナーのあなたがどういうタイプか分かりませんが、後から考えるとものすごく腹が立ってきたり、もしくは全然ロジックでもなく単に感情をぶつけられただけとかね。確かにそういうときって処理ができないと、ただぶつけられて終わりみたいなのもあるような気がします。
それが思うのを弊害というか、ただ思ったことを言われてしまうというね。ただ思う人って自分が感じたことを言ってるだけなんで、あれじゃないですよ。相手に対する配慮とかもちろんないですし、そのロジックみたいなのが飛んでると、ただ思うって感じで、考えてないってやつになりますよね。
思うと考えるのはいくつか違いはあるはずですけど、やっぱり考えるって根拠とか、例えば自分のやっている癖とかでもいいんですけど、何かエビデンスと言いますか、根拠の言い換えですが、何か証拠みたいなものがあるかなと。
考えるってことは、メタ認知だったり、さっき言った分かるとかね、自分がそれを言いたいとかね。そのためにこういうことを考えました。原因と結果でもいいし、フレームワークみたいなものでもいいですけどね。何かそういうのがあると思います。
これは思うって言ってますけど、そう考えてるって言ってもいいでしょう。思うだけっていうのは、楽しいとか辛いとかそういうことであって、何で楽しいのか何で辛いのかってあんまり考えないじゃないですか。
考えるってことは、これが原因だったんだとか、これが良かったんだみたいなことに気づけるわけですよね。だから反射でやり続けると結構しんどいというかね、難しい。
若干脱線してると思うので戻していくと、書く行為は多分考える方向に僕は紐づくと思うんですよ。だから考える人とか考えたい人は書いたほうがいいですね。
まれに考えるんだけど書かない人が結構いて、そういうのがもったいないなって感じがします。思うだけだと書かないような感じがします。局面局面で書くという。
でも書くとより強化されるし、さっきの数学の公理とか定理みたいな話しましたけど、抽象化できるんですよ。自分の考えを。それを持ち運びできるのがいいんじゃないかなって思ったりします。
最近言ってないですけど、守護国ポイントだとかいっていろいろ言ってますよね。多分一番最頻度で出てきてるのが、近いOSは言ってないんですけど、近いOSっていうのは自分が自然にやれるとかついやってしまうようなことを近いOSと言ってます。
OSはオペレーションシステムですが、近いって何かっていうと、別にOSっていうのはあるわけじゃないですよ、人の中に。ただ、基本的な考え方みたいなものは学べるし学んでいるよと。
そういうときに遠いっていうのは、自分が慣れないとか全然あんまり向いてないなっていうようなことを、それこそ儲かるからとか、良さそうって誰かが言ったからみたいな。そういうやつです。違うなーみたいな。
そういう違うなーっていうチャレンジも全然いいんですけど、多分そういうのって無理してるんですよね。体が無理してるって感じですよね。それはあんまり、やるなら自分がいいなとか勝手にやってしまうようなことをつい書くとかつい喋るとか、つい何かやってしまうようなことはありませんか。
そうやって言うと、スマホをいじってしまうとかは多分違うんで、それだけは外しておいてください。ついやってしまうというのは、時間、自分の癖みたいなものですかね。つい考えちゃうとかもいいですよね。そういうのをうまく活かした方がいいですね。スマホをいじるとはちょっと違うかなみたいな。中毒みたいなものがあったりする。
あと、Xを永遠と見てしまうのも、ついそれはちょっと中毒。多分わかってると思うんですよね、そういうやってる人は。規制ができなかったらちょっとヤバいですけど。そういうのがあるかなと思います。
そういう近い方です。あとは、労せず苦労するというのはちょっと言葉が違ってくるニュアンスが難しいんですけど、自分がすごい苦労してるぞと、やってるぞということじゃなくて、自分がそんなにやってないなというもので、人が感謝してもらえるものがいいかなと思います。
もちろんビジネスとかであれば、自分が一生懸命何かやって、家事を作ってくっても全然アリなんで、一概にはそう言えないかもしれないですけど、でも無理することもないかなと思うんで、自分がそんなにやってないんじゃないかな、自分にとっては普通だよっていう。
だけど、人から見たらそれは詳しいよねって言われるようなことがあるんですよ。誰でもね。それを仕事作りの起点にしていった方が、僕はいいなっていつも思います。
っていうのも、今のも抽象化してまとめてるんで、別にそれを言うぞって言って喋ってるんじゃなくて、自然に僕の中にあるっていうことですよね。それが不自然に、毎回修行クリアこれだとか言ってたらめっちゃ不自然じゃないですか。
普段そういうこと考えてやってるっていう、それが勝算になるかわかりませんが、そういうふうに言ってますよねっていうことですね。それがメタニン。だから要は自分が言ったことをある程度、こういう思考パターンがある、こういう概念がある、こういう考え方を使ってるっていうのを持ち出せている人はメタニンしてるし、考えるのが得意な人なんじゃないかなと思います。
みんながそれを持っているとは思いませんが、そういうのを鍛える意味では書くことはかなり重要な気がします。冒頭の話に戻していくと、そういう壁打ちでもね、そうですけど、テーマを出された時に何もないよと壁打ちをやってなければ言えないとか、壁打ちっていうので、実践しながら言えないことももちろんあると思いますけど、
やってなくても、あるじゃないですか、ウェブライターみたいな仕事で、ウェブライターってどういうのかっていうと、まとめ記事ですよね。まとめ記事みたいなのは僕もいろいろストックしてるんですけど、本当にまとめただけで別に特に、
まとめる、ただのまとめだと本当にAIのね、GoogleのAIモードじゃないですけど、変わらないので、ちょっときつくなってきてますよね。だけど、まとめましたっていうのはまだあるし、まだ出てると。でもほとんどなんですけど、そういうのって入ってこないですよね。
僕は少なくとも入ってきてない。スルーしちゃいましたね。じゃなくて、その人がやっててこういうことが言えるって、それこそ説得力体験、経験ですよね。がないと、なかなかですよね。今ってもうそんな感じしますよね。
だから経験してない人が経験したような記事っていうのは書けなくて、それはちょっと詐欺とは言わないけど、厳しいですよね。そういう記事でもいい時もありますけどね。やってみたいこととか、別にエビデンスとか経験を重視しない場合は。
だけど、そこで書くってことになってた時に、自分の経験してないものを書くって、なかなかできないわけですよ。だから書いていくと、自分が経験したことはそれだけで価値になりますし、経験してないことはこれからでいいんじゃないですかっていうことで。
さっき僕がメタ認識するならば、自分が経験してないことを書いてても、感じてないこととか、もしくは伝わりづらいようなことって、なかなか難しいんでしょうね。
ただそれこそがAIじゃない人間が書けるようなことでもあるんで、考えると思う。絵は思えないですよね。だけど人間がただ思うだけで動いてても、全然パッとしないというか、考えにならないっていうね。思っているだけっていう感じがしますよね。
仕事としての書く行為
考えましょうっていうのも変ですけど、書くことで考えられるような気がしますね。書かずに考えられるのかなっていうことを、このポッドキャスターも話したかわかりませんけど、結構きつい気がしますね、話しているだけでは。
ポッドキャスターは話してますけど、話してまとまることもあるんですけど、まとまらないこともあって、書いていくとやっぱり記憶に残りやすいのと、書き言葉の圧縮率というか、こういうことなんですよね。
自分が喋っているというのもあるんですけど、相手の話を聞いたりしているということが多いような気がしますよね。
だれだれさんが言っていた話って結構こういうことだよねって、ようやくできていないと厳しくないですか。ほとんどようやくって書いたり、大胆にまとめたりとかいうのを鍛えないとできないですからね。
あと最後に、しごぐりっぽい話をすると、ちょっと笑った話で、書く仕事ってリスナーの中でやったことがあるかどうかわかりませんが、どういう規模であれ。
オーダーがあるわけです。オーダーというのは要件といいますか、注文といったら言い方が悪いかもしれませんが、条件とかこういうふうに書いてほしい。
というふうに指定があるわけです。指定がないって、相当のもので自由に書いてください。それを書いておりますということですから、そんなことはないですよね。相当売れている人で、相当書ける人だったらそれでいい。逆に言うと、それで書いている人はもう相当の人ですよね。
これを多分聞いてはないはず。と思いますけど、まあまあわかんないです。その時に、ある記事ですよね。多分こういう方もいらっしゃると思うんですけど、指定された記事を書くということがつまらなくてしょうがない。
わかります?つまらないですよ。そのしごくりでね、僕はずっと言ってますけど、面白いことをやってくださいって言ってますけど、その途端につまらなくなるわけです。この方、という方は向いてないというよりは向いてないですよね。
要は、その方の場合、書くってことが自分の考えを書いたり、自分のものを伝えるってことが主だったりする。自分にとって使えるんじゃないかな、整理して。そういった手段だったことですよ、多分。それが指定されて、このテーマについて書いてくださいってなると途端に面白くなる。だってそれに対して書かなきゃいけないし、制限があるし。
全員が全員そうだとは思わないんですけど、やっぱり手段なんですよね、書くもね。だから僕は考えるってことは書くってことだよねって言ってますけど、そうじゃないケースもやっぱりあるのかなと思いつつも、なかなかそういう人にはあんまり出会えてないっていう感じです。
だからたまたまそう思っているだけで全然ね、喋っているけどめちゃくちゃ考えているっていう人もいるかもしれませんが、少なくとも脳内でまとめたり、どこかでまとめないとフワフワして落ち着かないような感じもします。
今のですね、テーマを与えられたら書けないとかつまらなくなるっていう人は、基本的に文章を書くライターみたいな仕事って、自分が仮にね、この人面白い、この職業グループラジオ面白いって言ってくれた方がいたら嬉しいんですけど、
じゃあこの人に何か取材したいですって言っても、別にメディアの方針とかテーマに合わないよねって、違うよねってなったらもう終わりですよ、編集会議とかね。そんなもんですよ。
だから要は自分が書きたい記事なんて、多分記者の人なんてほとんど書けてないんじゃないですか。書けてないんだけど、粘ってその中で時間にやっていってるかっていうのが、特に新聞記者とかそうじゃないですか、取材とかは基本ですもんね。
ウェブライターとかやってくるとちょっとよくわかんないですね。だけど自分が書きたいことなんてほとんどの人が書いてないんじゃないですか、仕事だとね。
って僕は思います。
だから僕がこのビジネスアイデアの壁打ちとかを書いたのは、自分が書いてもいいし、書いてもいいかなっていうテーマだったんで書いてるだけで、
例えば僕にですね、モーカルビジネスは何かとか言われたときに、その人を疑いますし、人という会社がね、何というテーマに来るんだっていう、何期待してるのって一応聞きますけど、
モーカルビジネスを教えてくださいとか言われて、いやー、そんなのないですって。そういう話になって終わりだと思うんですけど、結局ですね、書くってことでも仕事にする途端に違ってくるよねっていうのがあるわけですね。
で、そういうことを仕事にして初めて気づきましたっていうのもありなんですけど、仕事ってそういうものじゃないですか。そもそもの話ですよ。
何度もこの四国放送でも言ってますが、自分がワクワクするとかね、それこそ面白いと思うことをやってくださいっていうね、ある。それで、ロースレーズじゃないけど、自分がそこまでやってない、普通と思ってるんだけど人にとっては悔しいよねって言われるようなものだと、負荷はあまりかからないですね。
自然ですよね。自然に高めていけるし、自然にやっていける。そこで価値が生まれているという状況があります。そこでお金を出すかどうかってなっていくと、出す人もいれば出さない人もいるし、全く出してくれないかもしれない。
出すってことは、要求とかオーダーがあるわけです。実は飲食店でちょっと違うんですけど、焼き鳥に食べたいから行くと。でも焼き鳥って言っても、ネギ、焼き鳥って言うか分からないですけど、食べないんで。
ネギマみたいな、ネギマ結構好きですけど、ネギが間に入っているやつ。鶏肉とか。そういうネギマを食べたいんだと。
だけどその店でネギマがないと。どうするかって言ったら、諦めるか、どうしてもネギマが食べたかったらオーダー注文してきて出てくるかですけど、出てこないかもしれないですね。うちネギはあんまりやってないんで。
そういう時に状況で、飲食店側だとそういうオーダーが来た時にネギマってやらないですよっていう人もいれば、やるっていう人も出てくると思うんですよ。
で、ここら辺が興味なんでしょうね。お客さん、ここでネギマをオーダーしてくるお客さんということですけど、極端なことを言うと、いい人そうだからやろうかって。
書くことと考えること
すごい極論言ってますよ。何か言ってきたけど、別にクレームとかじゃなくて、ネギマかみたいな。確かにうちないよねって。
焼きそり屋でネギマないってちょっと分かんないですけど、どんなレベルかは。ありそうですけどね。だけどないと。
ネギが苦手な店主だったかもしれないし、分かんないですよ。たまたまネギを切らしてるだけかもしれません。
だけど、そういう時にどう判断します?そういうイレギュラーなやつって。ということが問われてるんじゃないかなと僕は思いました。
で、その時にその人に、いい人そうってのは変なんですけど、この人だったら別にやってもいいかなって思えることってありません?ないですか?ないです?
あってほしいんですけど、だったらいいかみたいな時って動きません?気持ちが。まあまあ、じゃあやるかみたいな。そんな感じですね。
なんでこの人にこのことをやらなきゃいけないのかなって思えることもありますよね。なんでそんなことをわざわざやるの?みたいな。
今ネギマね。なんでネギミさすの?みたいな。そうそうそう。そういうことです。雑とか乱暴ですけど。でも、そんなもんじゃないかと思うんですよね。
これ何を言ってるかって言ったらオーダーがこういう風にテーマで書いてくださいって言われる時につまらなくなるっていう人ってわかるんですよ。
でもその人が言うならしょうがないかじゃないけど、なんかやってみようかなって思えることってありません?そこそこですね。
そうやって拡張していくか、なんていうんだろう、つまらないっていう、これもっともともとも何かすると、つまらない仕事じゃないですよね。
たぶん自分がつまらないって思ってるだけなんですよ。なんでそのオーダーが来て決められるとつまらなくなるんですか?
そうそうそうそう。少なくとも僕がこの記事を書いて、つまんないよねっていう、つまんないなこのオーダーと思ってば書いてないですよ。
なんかこれ面白そうだよねっていう感じじゃないと力が出ないですよね。
力が出ないやつでつまんないなつまんないなーって書いてるやつはつまらなさが出ますよね。
本当に。特に僕だとより出ると思います。これつまんなそうに書いてるなーとかね。
そんな感じですね。なんで気まぐれとかでもいいと思うんですよね。
でもつまんないっていうことになることをそこまで把握してるなら、そこまでもし把握できてる人がいるなら、
例えば今書く仕事ですよ。テーマが与えられたときにつまんないなと思うのであれば、
それなんでだろうねってもうちょっと深掘りしてもらうともしかしたらなんか見えるかもしれないですね。
テーマだけがつまらないのか、じゃあ面白いテーマだったらいいのか。
じゃあ面白いテーマとつまんないテーマって何が違うんだって。
決めつけてるだけかもしれないですよね。たぶんね。一言だけ言うなら。
そうじゃないこともちろんありますよ。誰が書いてもつまんないことってあるかもしれません。
でもそれがもしつまんないんじゃないよね、楽しいよね、かけまるよねっていう人だったら、
それこそ逆に他の人が書かないので書いてくれるみたいなことになるかもしれないです。
ちょっとどちらかありましたけど、ちょっと長くなりました。これぐらいにしたいと思います。
記事書いたんでよかったら見てくださいっていうのと、そういう書く仕事もやってるんでよかったら書いてほしいという方がいれば、
ビジネスアイデア発想法、企画の立て方、事業経過書の作り方とかになってくると、
結局それ作ってもやらないとダメなんで、ふわっとした感じになりますが、
そういったビジネス系のこと書けますんでよかったらどうぞと。
あとは書くって何かってことはやっぱりちょっと難しいですね。
だけどやっぱり僕にとっては考えることが書くことに近いですね。
のと固まるですね、抽象化したり持ち運べるような感覚になりやすいんで、
思うと考えるの違いはそこが明確に違うというか、
思っててもしょうがないというか、思う思う思う思うだと感覚の連続なんでそれは大事なんですけど、
やっぱりそこに考えるというか、ロジックなり整理したものっていうのがないと、
で何なのっていうね、いろいろ思ったら偉いねっていう子供ならいいですけど、
ちょっと子供ではないのでちょっとそこは考えていきたいと。
すごいまとめですけど。
で最後にそのね、余談みたいに話しましたけど、
書くの好きなんだけど手も与えられたらつまんないとかいう人とかっていると思うんで、
そういう人って書くの面白いなら、
面白がれるようにうまくテーマを設定すればいいだけというだけなんですが、
これもメタ認知したりとかいろいろやらないと、
あ、テーマじゃなかったんだとかね、その人だったんで、
その人が良ければ別にテーマなんでもよくて、その人のために書きたいとかってないですか。
僕はあるんで、そっちに触ればいいかなと思いますね。
まあでもね、面白くないなと思っているテーマを書かなきゃいけないのは事実ですよね、そういう場合に。
でもその人が喜んでくれるならっていう風にやっていけば、
ごまかすってわけじゃないですけどね、できるような気がしました。
はい、ちょっと長くなりましたけど今回は以上となります。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
四国居ラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。
41:26

コメント

スクロール