失敗のポジティブな捉え方
はい、こんばんは。シゴクリラジオの大橋です。このシゴクリラジオは、仕事クリエイターである私、大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
仕事クリエイターと言ってるんですけど、余談ですよ。僕自身がクリエイターと言う意識は全くないですね。
なのに、よく名乗ってるなっていう。野望だから。という感じで、ちょっと逃げておきつつ。
今回はですね、失敗の話、失敗したイコール、やったエビデンス、証拠だよね。やっているかどうか、失敗しているかどうかでわかる。そんな話をしていきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回のテーマは失敗したことイコール、やったことだと。そういうふうに捉えていこうと。
わりと、自己啓発じゃないですけど、前向きな話です。ネガティブな話はそんなにしてないと思いますけどね。
失敗というと、リスナーのあなたはいかがですか?今日失敗しましたか?失敗しますか?わからないですけど、これうまくいかなかったな、やりたかったことできなかったな。
いろんな失敗の定義というか、感覚があると思います。やろうとしてことができなかった。
やろうとしてやれなかったんじゃなくて、やったんだけど、出てきた結果が違ってた。
いわゆる成し遂げたぞというものではなく、なっちゃったというかね。運とかもありますしね。タイミングもあると思います。
そういうですね、もしくはトラブルに巻き込まれたとかもありますし、さまざまなうまくいかないことがいっぱいあるんじゃないかなと考えています。
で、その失敗したよっていうのがテーマ通りではあるんですが、失敗した数があるじゃないですか。それがまさにやっている数だよねっていう捉え方ですね。
失敗っていうとちょっとネガティブに寄っちゃうんですけど、やった数だよねってなると、とてもポジティブになれませんか。
アイデアと提案の実績
それはごまかせというわけじゃないですけど、そうだよなって改めて思いました。
これは僕の仕事ですが、提案実績とかですね、ポートフォリオとか作り変えたり見直したり、実績とかで見て提案するときとか、こういうことをやってますよということを出したりするんですけど、
その提案実績が今474という、覚えなくていいですよ。数百やってるんですけど、これは別に提案をして出したよというだけじゃなくて、
実際にその売上というか、お客さんから依頼されて、これのテーマについて考えてください。もしくはアイデアコンペとかで当選したとか、要は当選したりしてお金を得たコンペとかね、いうものなんですよね。
ということはどういうことかというと、僕がそのアイデアを考えたり提案するときって、1個2個ポンって投げることももちろんありますが、そうじゃないものもあるわけなんですね。
5とか10とかいっぱい。1000はないですよ、さすがに。100もないかな。でもさすがに50とか数十いったやつとかありますよね。
そうなるとアイデアなんだけど、企画というか事業というか、とことん考えるモードに入りますよね。
たまたま宣伝会議という、ご存知の方がいるかもしれませんが、広告とかクリエイティブ業界と言われるところでは、わりとメジャーな雑誌、もしくは宣伝会議ショーというのがあって、キャッチコピーをいろいろ出すと。
それが100に100とかじゃなくて、1000とかキャッチコピーなんでね。それでいくと毎日、ちょっとすいません脱線しますけど、毎日、ごめんなさい思い出したので、ポーズキャストの自分のメモリーを使うなと思います。
毎日がワクワクというキャッチコピーを思い出しまして書いておきます。それはですね、要は毎日ワクワクをかな。
これは何かというと、僕自身もそうですけど、毎日楽しい方がいいじゃないですか。それくらい深い意味はないですけど、それこそ発想したり、アイディアを考えるとか、そういうコンテンツをですね、まだまだ伝わってない部分が多いと思うので、もうちょっとさすがに固めて伝えていくと。
固まってないとかもないんですけど、もっともっとやっていこうかなと思います。まだ足りてないですね。それは反応とか見ながら、もっともっとやっていこうと思ったので、脱線しましたけど。
キャッチコピーじゃなくて、もっと戻していくと、アイディアの流度によるとは思いますけど、引き目に見て5倍、10倍ぐらいはあってもいい。つまり、475分かりづらいので500としたら2500とか5倍すると。もしくは10倍なら5000。
でもそれくらいは考えているわけですね。つまりそれはボツだったものが9割あるとかね。8割9割はボツですよね。それは失敗した数じゃないですか。
社会におけるビジョン
つまり僕が言いたかったのは、提案最多の実績が474あったときに、その474はどうでもよくて、100でもこれからやられる方でもいいし、実際に別にアイディアを出すとか、提案をする企画をするとかっていう仕事じゃなくても全然よくて、何でもいいんですけど、何か仕事をする、何か事業をする、何か企業をするというときに提案をするのもそうだけど、これでいいかな、あれでいいかなって考えるわけですよね。
ソフトウェア開発でも何でもいいわけです。やることはね。そのときに不動産系でもいいですよね。やるときのアイディアの価値ってやっぱり10倍くらいは欲しいですよねって僕は思っているんですよ。10倍じゃ足りないかもしれない。だけどアイディアがいっぱいあるから迷うんだよっていう人も分かるんですよ。
要は10個あるから迷っちゃう。でもその迷うとかって一旦行動の話になるので置いておいて、でも選択肢というか卓としてこうした方がいいんじゃないっていうのはないとやれなくないですか。こうした方がいいんじゃないがなかったりする。もしくはあってもそれをやるっていう後押しがなかったりするっていうのは両方必要だと思うんですけど、
なんかもっとシンプルに考えて、僕がシンプルに言える言葉は、失敗した、やられなかった、できなかったけど、そこで何を学べたかってことじゃないですか。極論、最終的に。学べてないならちょっと残念というか違うよね。では次やりましょう。学べてたらその学んだことを活かして次やりましょう。
ことの繰り返しでしかないですよね、たぶんね。たぶん。なので失敗した数っていうのがたくさんあればあるほどその人はやっているわけで、それをやったことから学んでいる可能性を高めればめちゃくちゃ学んでいることになるわけです。
その比較することってあんまり意味ないって言ってますけど、少なくともやってない人よりやっている。つまりそこで差ができますよね。やっている、やる人が少ないわけです。なのでやっている、失敗してるって言うけど、やっていることでまずやってない人よりは全然上なわけですね。
人間って面白くて、マズローの五段階復旧っていうのはあったりするわけですけど、要は自己実現の上に自己調節があるんじゃないかってちょっとよくわかんないけど、一旦置いといて、いろいろ満たされていったときにこれをやらなきゃいけないってなるわけですね、もっと。
でも自己実現で正直ちょっと僕は何なんだろうなと思ってまして、やりたいことあればやればいいじゃないですか。やりたいことないのに無理にやりたいこと探してっていう話ではないですし、それを強制することはかなり危ないですよね。
だからそうやって心から思ってもらうように仕込むみたいな。というのがちょっと怖いっていう人もいますよね。コントロールされてるんじゃないかとかね。分かりますね。
でもギラリそんなコントロールして全部洗脳することはできない。洗脳はもちろんできると思いますが、しちゃダメですよ。できると思っても。
で、そっちじゃなくて、そうじゃないですよね。要はパスとかコミュニケーションをしていって、あなたはこういうふうなんですねっていうのを確認していったり、もしくはこんなわけでやってみたらみたいなことをやっていく、割と愚直にやっていく感じっていうんですか。
という人がどんどん増えていったらいいかなって僕は思ってるんで、それに重ねますと、やった分だけ、失敗した分だけ学んで、次にやっていけばいいわけですね。
今言ったやってない人よりやっているから、マゾロの話に戻ると、やってない人よりもやっているからいいよねって満足しちゃう人もいると思うんですよね。
自分はやったからいいんだって。でもそれはちょっと違うわけですよ。何でかっていうと、欲求的にはそんなやってない人と比較していなせないよね。やってる人って多分。
やって失敗して、でもそこからさらに成果というか自分がやりたい方向をやっていきたいんだけど、なかなかできてないよねみたいなのがある。
そのギャップが課題というか解決策としてどうしていったらいいか。それがですね、簡単にいかないからこそどうですか。
リスナーのあなたはどう思いますか。僕は面白いと思います。簡単にできてしまったら面白くなくないですか。
ボタンを叩けば全部お金が出てくるとかつまんないですよ。実際にはありえないですけど、ただ現実問題、ゲームとかで簡単なものってボタンを押してクリアできたら面白くなくないですか。
それでもいい。それでもいい人はいるかもしれませんが、それでは全然ということですね。
でも今放置、クリッカーゲームというような放置型ですよね。
放置型という概念がいつ出てきたかちょっと覚えてないんですけど、その昔からなくて、要はプレイヤーがそこに関与しなくてずっと放置ですね。
ゲーム画面すら立ち上げなくてもよくてやっておいてくれるというような、そこまでいくとゲームなのかという突っ込みがあると思うんですが、その至上があるのが事実で、何でしょうねって思います。
真理という意味では、ゲームというのが自分で関与して、関与という関与度がプレイをしてこのやつを育てる自動化みたいなのを押して、それだけでやっていることになるんでしょうね。
ただ達成感はすごく低いですよね。これやっていたら面白いよねっていうのも。ものすごく低いというか、考えたとか、やるようなものではない気がします。
そういう放置型ですごい達成感があるのか、あるかもしれないですけど、基本的に時間が溶けていくだけじゃなくて、それはちょっと分からないです。
やっている方を否定するわけじゃないですけど、僕もやったことあるので分かります。
やったことで学んでいくということをしないと、その比較は意味ないということですね。やったことない人と比較するんじゃないです。
やった上で今度は比較しなくてもいいんだけど、自分ができていない現状があると。いろいろやったけど失敗したりする。
さらにそれを確率なりどう高めていったらいいか、もしくはさっき言ったように、ただ放置してボタンを押すだけで簡単ですって言うのだったら面白くないじゃないですか。
そうじゃなくて現状より難しいこととか、簡単なんだけど自分ではできるんだけど行き届いていない。
もしくは誰かを教育するとか育てるとかもいいですし、そういうことになっていくんじゃないかなと思いました。
失敗したというとそれを成功にカウントしないということで、僕もその実績というのを成功という意味では474件と言っているんですけど、
これって何なんだろうなって思うわけですよね。一方で。
だからそれぐらいやってたらアイデア出せるよねってことで十分かなって僕は200とかそれぐらいでも思いましたけど、
もうさすがに自信がないですとは言えないですよね。
言えないですよね。全然言えないです。
だからそこで踏ん張ってやっていくしかないかなって思っています。
別にアイデア出ししかできないみたいなことを言っているかもしれませんけど、
絞っていったら結局そのコアな部分が可能性みたいなもので、
ビジョンの生む是非かは置いておきますけど、
ご機嫌な社会を作るアイデアがある社会ということを言っているんですけど、
それって結局僕自身がご機嫌じゃないですとか、
あと極端なことを言うと僕と話をしてて不快になるとか、
なんかもう嫌だっていう、1万人ぐらいいたら絶対あるんですけど、
自信があります。1000人でもあるかもしれないですね。
気が合わない人はいるじゃないですか、どちらに考えてもね。
相性、会話のリズム、コミュニケーションのリズムもありますよね。
だからめちゃくちゃみんなとみんな友達になるわけじゃもちろんないので、
その意味でいくと、ご機嫌な社会を作る人一人がアイデアがあふれたり、
選択肢があるということを前に掲げたりしたんですけど、
嘘くさいとは言わないですけど、なんだろうなと思ったわけです。
結局僕自身がそう心から思っていなければ、
そこまで本音では思っていないとかそんな嘘はないんですけど、
自分で考えて作ったんで、なんかずれるわけじゃないけど、
なんかそうやって言ってもいいんだけど、ビジョンとか掲げてもいいんだけど、
リツアーのあなたがビジョン掲げて会社やられたりとか、
フリーランスで授業やられたりとかね、小規模の会社でもいいですけどやってるとか、
会社にやりながら服をやってるとか何でもいいんですけど、
これからやろうっていう人でもいいですよね。
掲げても、動かなかったらしょうがなくないですか。
っていう意味であったら、世のため人のためっていうよりも、
金のため、金のため、金のためだって言って、
そのお金のために掲げるためにすごいお客さんとかにサービスして、
すごくやってくれる人を考えて、
その人の立場に立って考えてくれたら、それいいじゃないですか。
ただ、何で金のためかっていうふうに掲げるとね、見えられるかもしれません。
その人からどう見られるかの方が強い気がします。
ビジョンと実行
自分たちがどう動けるかって別に掲げていって、
そこに巻き込んでいくかどうかがいいかは正直わかんないというか。
会社であれば、社員というか従業員向けのものと経営者のものと
可視点が違いますし、違ってあるべきじゃないですか。
みんな一丸となってって言うけど、立場違うじゃないですか。
冷めた目で言わなく、実際にね。
お客さんからすれば別に会社というものとか、
もしくは会社というか担当者なのかよくわかんないですけど、
その人が良くしてくれればいいわけで、
その会社のビジョンが、例えば会社じゃないですけど、
毎日ワクワクだからワクワクしなきゃダメなんですよっていうふうに
消えられて不満ぶちけられたらお客さんに、そんな言いはめじゃないですか。
で、カスハラじゃないですけど、カスタマーハラスメントってことで
クレーマーみたいな人が来てニコニコしろよみたいな
毎日ワクワクだろって来たら、僕もぶち切れますからね。
それは伝わると思います。このニュアンス。
つまり、掲げておきながらじゃないんだけど、掲げたところで掲げますと
実際にどうできるかはまた別なわけですよ。
これはもうビジョンというね、抽象度が高いものとか概念っていうものを掲げる時点で
ズレがあるわけです。めちゃくちゃありますよね。
だから掲げなくていいとは思わないですけど、
掲げたところで何も動かないなら、別にそこまでの意味はないよねっていう。
失敗からの学び
わかります?ハリボテみたいな。
お店でいうと看板とかあるじゃないですか。
それを見て来る人がいるのであれば置けばいいけど、
看板なくても別に来るような仕掛けがあったり、
そういう集客の仕方をしてたら、いらなくないですか。
むしろ隠れ家なのにわかっちゃうと困るからみたいなね。
それは要は店とかコンセプトとかどうしたいかによるから、
看板を掲げる是非みたいな話です。
言えば正解はないじゃないですか。だからケスバイケスですね。
ビジョンもそんなもんかなと思ったりします。
だからビジョンによって人が来てくるっていうのはいいかもしれないけど、
でも来たところでそのビジョンの是非とかわからないし、
やってるかどうかわからないじゃないですか。
あとそういう理想とかを掲げる姿って美しいとか素敵って思う人も
もちろんいらっしゃると思うんですけど、
毎日ワクワクってなんでふざけてんじゃんっていう人もいると思いますし、
いやそれ楽しそうですねっていう人もいると思うし、
僕が今掲げた発想とかアイデア出しとか学ぶみたいなことで
コミュニティサービス全般の名前を勝手につけたときに、
コミュニティサービス全般の名前をつけてないですけど、
そんなん別に今までやってること変わらないですけど、
そういうキャッチコピーになるなと思ってさっきメモったというか考えたんですよね。
だからビジョンがどうこうじゃなくて、
それは自分に機能するかワークするかっていう話ですね。
だから友人ともそういう話はしたような気がしますけど、
結局僕もビジョン掲げて動けるかって言ったら、
いろいろ概念的なこと言ってるかもしれないですけど、
そんなことないですよ。正直な話。
別にここだけの話とかも何もないですから。
そう思いましたね。
そのビジョンを掲げようが掲げないがやる人はやりませんっていうことで言うと、
やればいいってことなんですよ。きっと。
掲げるけどやらないなら掲げずにやるっていう。
昔は有言実行みたいなのが流行ってた。
いつ頃だったかな。20代とか。僕の中では流行ってて。
言ってやるのがいい。かっこいいみたいな。
だけど、不言というか言わない。言わなくてやってもいいじゃん。
毎日ワクワクって僕言ってなくても、毎日ワクワクするって感じですねって伝わってたらそれで良くないですか。
異心伝心みたいなのがある。
伝えなくてもいいんですけどね。自分で言わなくて自分でやるっていうだけなんで。
人に何か言わないとできないっていうよりも、言わずにできた方がコスパとかタイパーみたいに良くないですか。
コスパ対バリ求めるわけじゃないですけど。
それをわざわざ言わなくていいよっていう。報告で言わなくて、やっといてっていう。
そうっていうのもありますよね。難しいですよね。
言わないとわからないのもあるし、言わなくていいのもあるっていう。
性性とか状況とか文学によりますから。
だから有言実行なのか、不言実行なのか、無言実行なのか、無言実行なのかわかりませんがあると。
結局実行ですね。アクションするってことを目標に置いているのは確かですよね。
有言だろうが、不言無言だろうが、無言か。言わないだろうが言おうが、結局やらない、実行しないっていうことはないわけですよね。
実行しないっていうタグを自分で選んでるならいいんですけど、実行できないです。やりませんって言うのだったら、
本当にシンプルに課題が難しすぎるのか、今の技術では無理なのか、単純にやる気だったらごまかしてもやるのが本当に嫌だったら別にやる必要はないですよね。
ストレスっていう意味では本当にやりたくないんだけどやってますみたいな方も多いでしょうね。
ちょっとそれはね、どこまで妥協できるかっていう、妥協、レジリエンスじゃないですけど、受けてそういうケーパビリティじゃないですけど、
どれくらいキャパシティというか、要は需要できるものがあり、ストレス耐性みたいな感じでできて、
やるためにどうしていったらいいかってことを考えたら、すいません横文字並べましたけど、重要なんだろうなぁとは思ったりします。
これも正解ないですね。話を戻していくと、何度も言ってる通りで失敗したイコール数がやったことの数だから、それで満足しろではなくて、だから学んだことがありますよねっていう。
まさに自害を込めて、僕の生理の意味でも話してるんですけど、あるなと。さすがにやってきたなと。
誰かに言われたわけじゃないですよね。そんなことはないですよ。言う人もいないですよね、さすがにね。
言ってきたら相当の人だから、別にそれ以上やってる人がいたらいてもいいですし、やってる人もいると思いますが、
アイデア出してきましたし、採択されましたし、それでお金いただいたりで、その仕事としてアイデア出しとかやってますし、
そのリサーチも積み上げていって、レポート出すとかもやってきましたし、いろいろやってきたわけですよ、プログラマー法としてね。
やるしかない
プログラミング業界でも働きましたし。振り返っていったときに、結局アイデアマッチングサイトみたいなのもやって、1年かな実質で閉じましたけど、
そういういろいろチャレンジしてやってきたなと。だから自信がなくなっているわけでは全然ないんですけど、
そういうことをやってきたんだなと改めて振り返ったというか、しみじみやったなと。
まさにその失敗したというか、うまくいかなかったということなんですけど、客観的に見てね。
だけどそこから学べることはすごくあって、そこからまさに話を聞かせてほしいとか、そういうのがあるからできることっていうのもあると思うんですよ。
なのでそこはうまく出していって、入り口にしていくっていうところですかね。
全部ブログも整理されているわけではないんで、ピックアップしてこうだよねって。
ブログの感覚でいうとブログを書いていて、それがこういう記事を書いてあるなというふうに参照するように書くんですけど、
それと同時に、ポードキャストはなかなか難しいんですけど、この回あったなっていうのを参照するまでやってないんですけど、
うまく仕組み作れたら参照してもらう。
いわゆるYouTuberの切り抜きまでいかないですけど、これ読んでおくといいよっていうようなことを、
何度も何度も同じことを言っていくのは僕はありだと思っているんですけど、
さらにアップデートしていって参照してもらうっていうのを、
それこそファンの人とかショークリックの人にやっていただくみたいなこともあってもいいんだろうなと思います。
それはファンとかやりたいですっていう人が出てきて、
こちらからお願いするというよりもやってもらうというか、やっていただくですよね。
仕事として発注するとかはできないんで、そこはいい関係を作れたらいいかなと思います。
そういうのもできるんじゃないかなと思いました。
まっすぐにではないですけど、そういうのもイメージしながらやっていくという感じになっています。
そうやって結局やっていったもので、できなかった、うまくいかなかったこと、
もしくはできたこと、学んだことっていうのがあるわけです。
僕なりにね。
そうじゃないやり方とか、違うことでうまくいっているとか、たくさんあると思うんですけど、
結局そこって誰かと比較してもしょうがないから、自分の中で等身大というか本音というか、
受け入れて、需要して、やるしかないよねってなるわけです。
最近友人とも言っているんですけど、やるしかないっていう。
やるっていうのは別に、がむしゃらにやるっていう。
何でもいいからやるっていうのももちろんあるんですけど、考えてやってもいいわけで。
でも結局やるわけなんで、何をやるの?どれをやるの?っていう。
たくさんあれば選ぶし、なかったらひとまず目につくやつをやる。
そんなことを繰り返していって、結果的に学びに変えていってやっていくっていう、
よくある話になっちゃうんですけど、まずやろうみたいな。
で、やれなかったらぶっちゃけしょうがないなと思ったりします。
今なんかやりたいことがリスナーのあなたであって、それをやろうとしてるんだけどやれないと。
なんででしょうねって言われても、やれないならしょうがないんじゃない?
例えばですよ、無理してんじゃない?とかね。
そうそう、そんな感じですよね。
ちなみに僕自身がプログラムの時に企業とか副業でやろうかできたかっていうと、
その発想もあんまなかったですね。
結局時間がないんですよね。
言い訳になりますけど、無理じゃないかなと思います。
そんな残業めちゃくちゃしてるわけでも結局疲れますから、他のことで遊びたいじゃないですか。
土日もね、そうやってやってたら、企画でイベントとかやってたら時間なくないですか。
時間っていうのを低く見積もっている。
今の人がどういうふうに見るか本当に分からないですけど、
時間があれば何でもできるわけじゃないんですけど、
ただ時間がないと何もできないっていうね。
自分が考える時間すらもないというか。
で、ね、隙間時間だって言ってそれでなんかやるのも全然あれですけど、
それはそれでかなりの体力もしくは力を使うので結構しんどいと思います。
その副業だろうが何だろうが、その小さな事業1個やる仕事を作るでもいいんですけど、
それこそメルカリ転売?メルカリ転売よくないか。まあいいけど。
そうやって何かやってみようとか、何かコンテンツ発信してみようも、
じゃあブログ書きますでも、ユーチューバー発信、あ、ごめんなさい、ポッドキャストやるでも、
これ副業にならないですけど、こんなる時代は終わりますけど収益化なんかできないんで。
だけどそれをまずやろうっていうのは良くて、じゃあやってみてくださいって言った時に
やれます?っていう話になってて、途端にやる人が減っていくんですよ。
これに関しては何度も言ってますが、決意とか意思じゃなくて、環境とか時間の使い方とか、
何だっけ、合う人によるかな。結局環境だと思うんですよ、僕は。
あと時間と環境か。だから時間配分というか、時間ってあるよねって思ってる人はいなくても、
いつかやれば結構危ないなと思ってますね。いつかやるって何かありません?
特に会社員の人とか所属してる人。いや分かります全然。
だけどいつかやってみたいんだよねっていうのも言っておいてはいいんですけど、
いつやるのってことはやっぱり決めたりなんかしないと、やらない。
だから別にいつかやりたいって言ってることが心からやりたいわけじゃなくて、
車高じれみたいな意味で、自分に車高じれしても意味ないですけど、人に対して車高じれて、
やっても面白いですよねくらい。っていう意味だったらいいですよね、それでね。
でも本当にやりたいとか、これをやっとかないと嫌だなと。
死ぬというのもちょっと言い過ぎなんですけど、本当にやりたいんだと。
人生の中で本当に一番やりたいことかもしれないんだったら、やったほうがいいですよね。
で、ここで不思議なんですけど、やるじゃないですか、そういう。
別にそれは成功者としての発言でも全くないんですけど、成功してるイメージじゃないんで。
やるじゃないですか、一個。やると、達成すると、こんなのならってなるわけですよ。
で、次の目標とか次やりたいことをまた考え始める。
結局人ってそれがずっとループしていくと思うんで、
失敗からの学び
一個やったらもう終わって満足してもういいやっていって、
よく僕が拝見してるというか観察してる限りでは、スタートアップとかで連続企業化みたいな人、
連続企業化はいいのがいっぱいやってるから、要は授業を作って売るみたいな人ってすごいなと思うんですけど、
お金いっぱい得ちゃって、旅人に出るとかね、やりたいことがあるみたいな、いわゆるファイヤーみたいな、引退しちゃうって感じですよね。
すると何が起きるかというと、つまんなくなるわけです。
何かやってないから、社会との関わりもなくなったり、一緒に何かやる何かがないから、つまんなくなるわけですね。
それはね、あるなーって僕は思いますね。
だからファイヤーだろうが、経済的に成功した人たちか、それで全部すなわち幸せになれるかというと、
当たり前ですけど経済的に困ってるとか、経済的にまずいっていう人からすると、それ恨ましいっていうのは僕もわかるんですけど、
でもその人たちが幸せかというと、また別腹かな、別軸かなと思います。
これは面白くないですか、そういうことを考えると。
ってことは毎日ワクワクして楽しんで生きていくというところができるだけで、
できてるだけで僕は幸せなんだろうなっていう、僕も幸せですし、
あと他の人もね、他の社会というか他の生きてる人もそうやってできることが幸せなんだろうなって思うんですよね。
だから幸せになってくださいって、実際のあなたも幸せになってください、幸せですか今みたいな、
寄付型自販機のアイデア
宗教みたいになってくるんで、そういう問いかけはないんですけど、
結局それでできることって言ったら、僕ができることとしたら、
それこそ目の前の人とか関わる人に役立つとか楽しくするとかね、だけというかそれがあって、
アイデア発想とかそういう想像性みたいなことがどうも好きみたいなんですよね。
なんだかんだ言ってずっと言ってるんで、よく言ってるじゃないですか発想法とかずっと言ってるんで、
ずっと結局切り替えて言ってる。
それがですね、何度かお話ししてるかわかりませんが、
自動販売機を寄付型の自販機というのがありまして、今もあると思いますが、
その団体とは全く関係ないところで寄付型の自販機を普及しようという法人を立ち上げたことがあるんですよ。
僕がそういうオペレーションをやれるってわけじゃなくて、
メンバーの人とか経営者の方ですけど、やりませんかって話でやっていって、
それはやろうとしてそこまで上手くいかなかったですね。
それはそれで置いといて、団体も投げられましたけど、
そういうのをやっていった時にふと思ったんですよね。
寄付するって、僕も個人的に寄付するとかあるんですけど、
僕が寄付したいだけじゃないですか、団体に共感して。
リスナーのあなたもどこか寄付したりなんかやってるかはわかりませんが、
仮に応援したい企業とかでもいいですけど、誰か推しでもいいですけど、あるとした時に、
それって色々違うじゃないですか。
NPOで例えば寄付を集めた時に、これ誰に寄付した方がいいんだろうね。
もしくは寄付することで何が良くなるんだろうねみたいな。
僕が課題として思ったのは、そこまでここ頑張ってほしいっていう風に特定するのって嫌だなと思ったんです。
個人が団体でもいいですけど、自分の意思で困っているから寄付しようとか、
応援したいからやろうっていうことを全然否定してるわけじゃないし、
僕自身もそうやってますから。
じゃなくて、どこかに寄付して応援したいという気持ちがあると。
企画としてどうしなきゃいけないかというと、
例えばお金を作ると自販機にボタンがあって、
そこにこの団体はこういう寄付を募集しますと言ったら、
その寄付ボタンを押した分をそこの団体に寄付するわけですよ。
それは全然いいわけです。
でもそれっていいんだけど、そこまでその団体を応援したいのかって。
だから要は仕組みを作るイメージなんですね。
要はその団体に寄付を集めたり、その寄付を団体に集めることで、
そういうことがわかりやすくいったらいいことをしてるよということで、
押しじゃないけど、買う人が寄付しようかと。
今はそんな時代じゃないのかなと思いますけど、今でもね。
10円とか50円とか寄付ボタン入れられるんですけど、それをやると。
だけどもらえる何かがあるわけでもないし、
本当にコンビニにある募金箱みたいなものです。
そういうところがある中で、
自分が特定の団体を応援できないなって思ったわけですよ。
ちょっとこれ長くなるんで、もう決め気味にいくと。
だから、さっきのね、一番最初のビジョンとかの話も戻ってくるんですけど、
一番話、最初じゃなかったですかね。ごめんなさい。
途中で話してた毎日ワクワクをとか戻ってくるんですけど、
決めてこれやるぞって言ってやるっていうのが、
多分あんまり向いてないんだろうなって思いました。
僕も。僕はか。
レザーの方は決めて逆算してそれやるっていう方ができます?
それとも決めずにいろいろ当ててそこで見つかったものを楽しんでいく方がいいです?
といったわけで僕は後者の方なんですよね。
前者の人のタイプもいるけど、前者タイプだとそれ見つけてやったら
次また僕を立てて、それを今度ブラッシュアップしてアップデートしていくみたいな感じ。
比較的分かりやすいですよね。
後者の人だとちょっと何やってるかよくわかんなくて興味がいろいろ変わるし、
もちろんその中やるためにですよ。
これやらなきゃいけないってことで逆算してっていうのはできますよ。
これやるためにはこれやらなきゃいけないとかわかるんですけど、
それが人生とかもうちょっと長期になっていった時に
あんまり機能が変わっていかない。
長期になっていった時にあんまり機能しないなっていうのが僕の考え方なんですよね。
これやりたい、あれやりたいって言っておくのは全然いいんですけど、
いったところでやらないっていうね。
そのためにアクションしなかったら意味ないじゃないですか。
だから決めてここにやりましょうっていうのが、
もうわかんないです。
克服できると克服したいとかっていうことは、
僕の立場的にも仕事クリエイター的に言うと、
あんまり意味ないなと思っていて、
その人に向いたようなやり方を考える方がクリエイティブなわけですよ。
それがあまりにも全然アクションしませんとか、
何もやりたくないですみたいな。
マウスのクリックすらやりたくないですだったら話が違ってきますけど、
考えたくないですとかもう全然違うんですけど、
ある自分のブリコラージュという考え方ですけど、
自分の持ち物あるもので何かうまくなんとかしてみませんかっていうのが好きですし、
そっちの方がクリエイティブかなと思っちゃったりしますよね。
でも実際にそのうちなんですよね。
何かどこかから持ってきて、
武器とか道具とかがあるからできるっていうのも全然面白いし、
よりできるんでしょうけど、
でも結局それも得てきたところでのアイディアがなければ、
武器とか道具は使いこなせないわけですよ。
AIでもいいじゃないですか。
AIがあったからできるって言うけど、
何やるのってやりません?
何やるのが決まっていなかったり、
やることが決まらなかったり、
それやれないんですけど、
面白そうではダメじゃないですか。
実際に動いて形にしていかなきゃいけないですからね。
NPOの話はそういう形で、
何か決めてこうするっていうのって、
それが僕の中でできなかっただけなんで、
別にだからといってってことになるんですけど、
企画としてね。
でもそんな決められたところで、
自分で先決めてやった方が良くないって思えば、
じゃあそういう企画にしたらいいじゃないですかって、
もしかしたら思った方は結構鋭いですけど、
それやると今度僕らが決めなきゃいけないじゃないですか。
この団体、福祉系がいくら福祉にするとか、
それ何なんだろうねってありません。
っていうぐらい僕らが信頼されていて、
関係性ができてたら全然違ってたかもしれないですけど、
そこまでは全然やらなかったなっていうのが、
今振り返っても思い出せる範囲ですけど、
そんな風だったかなと思います。
だから、やるってことは、
これをやるって決めてやればいいわけですよ。
ちょっとしつこいですけど。
それが上手くいかないってこともいっぱいあるわけですよ。
上手くいった上手くいかなかったってある。
でもやってるってことは確かじゃないですか。
失敗、成功、是非だと思う。
ってことはそこから学んで次にやればいい。
そういう短期の、
行動することの重要性
PDCじゃないですけど、
やって繰り返してまた学んでっていうのはやっていくと。
っていうことが前提にあるときに、
そのビジョンとか長期でどうとか、
このゴールのためにこれやっていくっていう、
バックステップっていうんですか、
バックキャスティングか。
決めたものから逆算してやる。
だからそれはある種ハードルが高いものを分解している思考と、
全く同じというか似てるんですけど、
なんか短期と中期、長期でまた全然違ってくるような
っていう感覚ですかね。
人はですね、
短期的なものだったらちょっとは動けると思うんですよ。
強制されてもね。
でもそれって続けられます?っていうのがあるんで、
僕は自分を誤魔化さない方がいいですよね。
っていう話と、
じゃあ自分の、
自分の誤魔化さなくて自分の本音が分からないみたいな
人もいると思うんですけど、
本音が分からないといってもしょうがなくないですか。
考えて自分は何だろうな、
何がやりたいんだろうかって考えても、
見つかります?あんまないですよね。
考えることは全然否定しないで考えたほうがいいんですけど、
それを考えて何もやらなかったら意味なくて、
何かやっていったら見つかるから、
やっぱり最後はハイブリッドな話になってきて、
目標から逆算するか、
やり方を完全に否定してはしないんですよ。
短期でやらなきゃいけないしね。
だけど、さくりながら試行錯誤するのって、
アクションするってことですけど、
失敗をしたくて失敗してないじゃないですか、やる人って。
何かやろうとしてるんだけど、あれうまくいかなかった。
その時って論理じゃないなっていう、アート思考といいますか、
やってみたいからやってみる、これ焼け出しそうだからやってみる、
分かんないですけど、そういうことを
していった時に、
これはいけるかもしれないとか、こういう学びが気づきあるんだとか、
これはもしかしたら今までの何かとつながっているかもしれない
ってことを思うので、感じるので
それをやってられるんじゃないかなっていう話ですね。
その時にビジョンというか、
自分が動ければ、開発的動機付けじゃないけど、
自分が動けるようなものがあればいいわけで、
僕にとっては学びとか、
社会にいろんな人がいて面白いなって思うとか、
その武器と道具みたいなやつが
コミュニケーションじゃないけど、話ができたり、
もしくは会話と会話ができたり、
アイデアを出したり、やり方を考えますよ、
みたいなところになっているだけかな
というふうにだいぶ整理ができました。
整理させていただきました。ありがとうございます。お付き合い。
ここまで聞いていただいた方、ありがとうございます。
なので、もしその状況にない、
全然状況が違う方もいらっしゃると思いますけど、
何かやろうとしていて、
悩んでいたり迷っていたりする方は、
あまり難しく考えずにやってみることですよね。
やってみて、すごいことをいきなり最初からやらなくていいので、
小さく、さっき言ったシンプルで簡単にやってみてください。
シンプルで簡単にやると、
失敗したり間違えたりすぐ分かるじゃないですか。
頭の出来と言ったら怒られますけど、
人によってその頭で学習の仕方が違うから、
1回で分からなくても、2回3回やっても全然分からない。
10回やってもいいじゃないですか。50回やってもいいじゃないですか。
何回やっても良くて、そういうことなんだって気づければいいわけで、
気づくために何度も失敗してもいいわけですね。
それは本当に思います。
それを繰り返していくと、
次に50回失敗してたのか、今度は49回になったらすごくないですか。
次は48になって。
挑戦と成長
それが55になって増えたら、
そこで諦めずに、これは精神論になります。
気合と根性になるんですけど、やっていくしかないかなと思います。
その時に気合も根性もなくて、そこまでやりたくなかったのであれば、
それは強制じゃないですか。
自分を強制してやる。
それが無理がない範囲では、
ストレスはかかるんだけど面白いものがあったり、
もしくはストレスはかかってるんだけど、
寝たり美味しいものを食べたりして、
美味しいものを食べたりして、
違うもので長期死というか、消えるかもしれないです。
だけどそれが本当にやりたくないのではなくて、
違うのだったら蓄積していくんですよ。
蓄積していくとどうなるかというと、
人間の心理とかをカバーできない範囲であれば、
病気というか、何か発症しますよね。
だからそこまでやれってことは言ってないですよ。
だからそこはコントロールしていただくんだけど、
あまりにも追い込めすぎると、
反応が違うものが出てくるというわけです。
それは追い込むことがいいとか、
追い込まなかったらダメとかは全く思わないんですけど、
自分はやっぱりよく知っていくしかないですよね。
そこはもう正解ないなと言ってて思いました。
だから僕自身が毎日ワクワクとか言って、
動けるっていうのはもしかしたら不思議だなって思う人もいるかもしれませんが、
それでいいんじゃないかなと思うんですよね。
なんでかというと、僕とリスナーの方は違いますからね。
だからこそ自分が動けるものを見つけていけばいいのかなと。
結局その社会の中でいろんな人が、
僕もリスナーの方もそうですけど、動いていって、
いろんなやり方があったりして、
アウトプットとか出せる仕事とかサービスとか、
事業なのかそれともプロジェクトなのか分かりませんけど、
それがいろいろあって形にしていったらいいし、
それが支持されないというのは、
規模とかいろんなものはありますけど、
その規模も何だっていいなと僕も思うんですよね。
一人の人に届いて、
その人が気づきを得られるということがもしあるのであれば、
それはそれですごくないですか。
そういうのを、
自分一人一人がやっていくという感じですか。
社会側というとよく分からなくなるんです。
でも近くの人が、
さっきの話で言うと、
僕と関わっていてつまらなくなるんだったら、
ちょっと作戦を見直した方が良くないですか。
僕は思うんですよ。
さすがにそれはあまりないような気がします。
ただ、それは僕がそう思っているだけで、
相手からしたらつまらないなと思われているかもしれないです。
それは分からないです。
絶対的な自信は全然ないです。
だからこのポッドキャストも面白くないなと思ったら、
フォローとか登録。
先にYouTubeも。
YouTubeでも配信し始めたんですよね。
YouTubeでも聞けます。
よかったら、YouTubeで聞きたい人はそっちでお願いします。
これは概要欄に貼っておいたほうが良いですね。
というところになっています。
ちょっと長くなりましたけど、
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
一言で言ってしまえば、
いろいろやってみましょうということですね。
それぐらいしかない。
そうですね。
やって終わりじゃなくて、
やってさらにやりたいこととか、
こうしたいみたいなのがあって、
じゃあどうしていったらいいんだろうねって考えて、
リスナーとの関係
難しくならないようにまたやって、
その繰り返しかなと思います。
なので、上からの目線ではなく、
一緒にやっていきましょうという感じになります。
そこで助力というか何か手伝うことがあれば、
やっていくと話としてはそんな感じになります。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
四国放送ラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。
ありがとうございました。